文責は番頭(Jacky)。夜学バー日録。
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 バーやスナックはある種の秘境で、入ってみるまではどういう空間なのかわかりません。なんたってそこが魅力です。「秘密」や「謎」というのは、なんだってそれだけで人の心をくすぐります。入りづらそうなバーにこそ、入ってみたいと思ってしまうものです。
 訪れたことのあるお店でも、日によって表情はかならず変わり、ある日のお店とべつの日のお店は全然違う、ということもあります。原則として、自分がいなかったときのお店の雰囲気や出来事というのは、わからないものです。そのほうがやっぱり魅惑的だし、いろいろと騒動も少ないから、太古よりそうなっているのだろう、と思います。
 ましてやこの現代、インターネット上で「今日は〇〇さんがお店に来ていた」と書けば、その日の〇〇さんの行動がまるっきり公開されてしまいます。たったそれだけで、〇〇さんはなんらかの形で不自由を、または不利益を被りかねません。「あなた! 仕事だなんてウソついて、バーなんかに行っていたのね!」とか。そういう具体的なことでなくとも、自分の行動が意図せずどこかに残留してしまうのは、イヤな人にはイヤなものです。
 バーやスナックというのは未来には数少ない、「公開」を前提としていない場所、になっていくのかもしれません。(もちろん、公開を前提としたようなお店もたくさんあるでしょうが。)

 そういうことで、この夜学バーという小さなお店も、その日の営業の様子をインターネットを通じて発信することは、極力避けるように努めています。公式ツイッターに載せることは必要最小限、訴求力(宣伝力)のありそうなことに絞っているつもりです。会話の内容とか、どんなことが行われているか、どんなドリンクが注文されたか、どんな人が来ているか、何人くらいのお客さんが来ているか、ということは、あんまり書いていません。書くときは「夜学バーらしさのアピール」や「ブランディング」(!)を意識したときです。たまに「お客さんがいないよ〜」といった泣き言めいたことを書くこともありますが、さみしすぎてついつい本音が出てしまったのでしょう……。(これらは、「j」という署名があるツイートに関しての話です。)
 また、「訴求力がある」ことなら何でも書いてしまうのかというと、さにあらず。たとえ黒柳徹子さんがとつじょ来店しても、ご本人が公にそのことを表明しないうちは、こちらも書くことはないでしょう。お店のなかでは「じつはここだけの話、こないだ徹子さんが……」と思いっきり自慢するかもしれませんが、おそとでは言わない。そういうふうに、バーというものは「秘境」としての機能を守っていかなければならないのです。

 ではなぜ、この「ジャーナル」と名付けられたページをわざわざ作ったのか。「どんな秘境だって、たまには空撮くらいされていいだろう」という感じです。先日「ブラジル政府が未だ接触していないアマゾンの部族(という表現で正確?)」をドローンで撮影することに成功した、というニュースがあって、なんだかワクワクしました。この世にはまだそういう、ドローンを飛ばしているような人たちにもよく確認できていない人たちがいて、それがほんのちょっとだけ見えたりする。それってなんだかイイジャ ナイノ、と。

 夜学バーというお店で日夜、どんなことが行われているのか。その全貌は誰にだってわからない。僕だって毎日お店にいるわけではないし、いるときでも見えていないことも多いはずです。ましてや、インターネット上でこのお店の存在を見つけて、未だ足を踏み入れたことがない、という人には、まったくなんにもわからないでしょう。
「わかんないけど、とりあえず行ってみよう」という人もいるでしょうし、「わかんないから、もうちょっと様子見だな」と思う人もいるでしょう。「わかんないから、まあべつにいいや」もあるかもしれません。このページが「様子見」の材料になればいいし、「わかんない」が「もしかして、こういうことか?」くらいになって、「ちょっと実際見てみよう」になればいいな、と願って、ちょっとだけここに毎日の記録を書いてみます。

 僕がお店に立っていた日のことだけを書きます。秘境性を保つため、ほとんどのことは書きません。とくに、後々なにかの「証拠」として機能しそうなことは避けるようにします。夜学らしく、起きたことよりも僕が考えたことを書くと思います。それでちょっとでもお店に興味を持っていただけたら。あとは、読み物としてある程度成立するものをめざします。
 タモリさんはかつて『笑っていいとも』について、「反省はしない」と長続きの秘訣を語っていたそうです。僕もずっとそういうスタンスでやってきました。10年くらいお店をやっていて、記録をとったことはこれまで一度もないし、反省らしい反省もほとんどしません。店を閉めた瞬間に、その日にだれがきていたか、ということさえ思い出せなくなるのです(本当です)。だからこのジャーナルなるものも、きっと「記録」や「反省」にはならないでしょう。
 とりあえず試験的に、こっそりとやっていきますね。
(2018/09/16 02:22)


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2018/09/14金
 10代の頃から顔を見せてくれている人たちが、「20歳になったので」と3人でお酒を飲みにきてくれた。(学校等の教え子ではありません。)
「誕生日祝いのカクテルをつくってください」と無茶振りをされたので、「誕生酒」というのを調べたところ、「ジャック・ター」だった。これはあるお客から何度か注文を受けて作ったことがあるので知っている。横浜発祥のカクテルの名で「水夫」を意味するそうだが、僕にとってジャック・ターといえばフリッパーズ・ギターというバンドの『ヘッド博士の世界塔』というアルバムだ。その宣伝資料にこうある。

《81. このアルバムはJack Tarr(1930-1961)の小説 "Doctor Head’s World Tower" にインスパイアされて作られた。その一節 "Don’t be afraid to lose control.. and control is the name of our game."(主人公とヘッド博士が初めて会う場面での博士の言葉)が、インナージャケットの右上に印刷されている。ジャック・ターはケン・キージー率いる"メアリー・プランクスターズ"の命名者だった。ウイリアム・バロウズの生涯の恋人だった。》

 まず間違いなく、これは出まかせのうそっぱちなのだろうが、当時の小沢健二さん(おそらく彼が書いたと考えられる)が知ってかしらずか筆に起こすくらいにはパンチのある名前ってことだろう。
 ただこのカクテルはロンリコ151(ラム)とサザンコンフォート(度数の強い海外版を使うらしい)とライムジュースからなり、ものすごく度数が高い。「あんまりお酒が強くない」とのことだったので、苦心のすえ「ジャッキー・ター」というオリジナルカクテルをてきとうに作成。クラッシュアイスにサザンコンフォート(度数の低いほうのやつ)を注ぎライムを絞って入れてジンジャーエールで割ってセブンシーズ(香りのよい国産ラム)を垂らして意味もなくチェリーを乗せストローを刺して出す。とてもおいしいと僕も思うし評判もよかったのだが、ジンジャーエールを入れてしまえばたいていのものは甘くておいしくなるのだ! クラッシュアイスとチェリーとストローは味以上に「それっぽさ」の演出という側面が強い。僕のような者にはこのあたりがまだ限界である。
 そして誤解を避けるために明言しておくが、夜学バーというのは基本的にこのようなこと……つまり「リクエストを受けてカクテルをつくる」ということが真顔で横行するような場所ではなく、それなりにイレギュラーな事態でありますのだ。お酒ならばビールとか日本酒とか焼酎とかウィスキーとかジンとかウォッカとか泡盛とかをストレートとかロックとか水割りとかソーダ割り(ハイボール)とかオレンジ割りとかで出したり、カルアミルクとかカシスウーロンとかカンパリオレンジとか有名なカクテルをさっと作ったり、めずらしいお酒に「めずらしいですね」と言ってもらったり、コーヒーや甘酒や日本茶や紅茶やトマトジュースやほの甘いカルピスをおいしくいただいていただいたり、するのが大概である。ワインはあったりなかったり。常駐は検討中なので詳しいかたご意見ください。木曜のsue氏はワインに明るいのでときどきいいのがあることも。
 金曜だからとて混むこともなかったものの、入れ替わりつつ常に何人かいた印象。よく「金曜だから混んでるだろうと思って」と言われるけど、意外とそういうこともなく。今のところは、どの曜日もだいたいゆったり。たぶん、「木戸銭1000円(奨学生は500円)」という設定が、そのくらいの感じに調整してくれているのでしょう。どの日も、もうちょっときてくれたらいいなあ……というのが本音なくらい。
 笑い上戸のひとがいておもしろかった。

2018/09/15土
「夜学バーを卒論の研究対象にしたいので、3週間ほど開店から閉店まで常駐させてください」と申し出てくれた学生がおります。調査期間は9/7(金)〜28(金)、今のところ本当に毎日(僕の当番でないときも!)欠かさずやってきてくれています。なんと殊勝な。
 常に店の隅っこに座り、メモをとったり、会話に参加したり、たまにおつかいに行ってもらったりなどしています。彼女なりにいろいろ考えることはあるようだし、お客がいないときはいろいろ二人で話しているのですが、その成果は卒論の完成を待ちましょう。お店用に一部、つくってもらう予定です。
 お店をひらいて2年目に学術研究(!!)の対象になるなんて、夜学バーなるものも捨てたものではないですね。とてもうれしい。そういえば去年、某大学某学部某学科の某授業から取材を受けていて、いずれ冊子になるはずなんだけど、大幅に遅れているらしい。お蔵入りしないことを望む……。(僕の人生、そういうことが多いのです。)
 今日はゆったりとした営業。いろんな意味で緊張感がなかった。なんか知的に面白い話をけっこうしたのだが、思い出せないので書かない(書けない)。
 対機説法についてあらためて考えていた。

2018/09/16日
 17時開店なのにフードメニューが貧弱すぎるのをなんとかしたくて、でも僕は性質として「甲斐のあるもの」しか作れない。平たくいうと、心の底からウキーとなるくらい好きなものでなくては、作る気にならない。これはワガママというよりは本当に性質だし、店で出すとなれば美意識にも関わってくる。というのもここでいう「好き」というのは味というよりも存在、概念として好き、ということなのだ。
 オープン当初からメニューに入れている小倉トーストは僕にとって「甲斐がある」ものだ。18歳まで名古屋で育ち、今でも一年の30〜40分の1くらい(?)を名古屋で過ごす。その名物、というか日常である小倉トーストは、作っているだけで幸せな気分になるのである。「ああ、名古屋……ふるさと……」と思うのである。かつて喫茶店を営んでいた祖母も、店で小倉トーストを出していたので、その想い出もワアっと浮かぶ。小倉トーストなら、どれだけ作っても苦ではない。ちなみにパンは湯島にある「パスコショップ レピ」というパスコの直営店(なんと店舗で焼いている!)から買うことにした。パスコは名古屋の企業なのである。肝心のあずきは、名古屋でよく見る井村屋(三重県津市)のゆであずき。バターはふつうの北海道バター。マーガリンが主流かもしれないけど、少しぜいたくに。
 しかし小倉トーストのような甘いものばかりではいけない、ということでいま試作しているのが「名古屋ふう鉄板ナポリタン」。……今日は短く済ませようと思ったのにもう長くなってしまった。鉄板ナポリタンのことを語り出せば果てしないのでいつかの機会にいたします。今日は二食つくって、一食は自分でたべ、もう一食はお客さんに食べてもらった。
 昼は武富健治先生による漫画『鈴木先生』の精読会だった。参加者はまだ多くはないけど、ページを一枚一枚めくりながらあれやこれやと話し合うのはとても楽しい。夜学にきたことがきっかけで『鈴木先生』を知った、という方もいらっしゃって、こんなにうれしいことはない、という気分に。
 夕方から通常営業に切り替わり、昼と夜のお客が混じり合う。「会」と「通常」の境目はできるだけないほうがよい、と考えていて、今日はうまくそうなっていたと思う。

 相変わらず、振り返ろうとしても今日のことがもう、ぜんぜん思い出せない。営業を終えたばかりだというのに。なぜそうなのか、という理由がいまふと思いついたが、いつか書くことにする。

 思い出すためのメモ→「その都度の、瞬間瞬間のことを考えている。リズムに乗っている。」

「言語をすり合わせる」≒「自分と他人との言葉の使い方、思考の手順、考え方などのズレを前提とし、どこがずれているのかを客観的に把握して、お互いに適宜調整、確認しながら話す」みたいなこととか、「新奇性や意外性がない」ということに関してとか。

2018/09/18火
 柿のおかしをいただいた。僕ほど柿好きを主張する人も珍しいであろうからどうも柿を見ると僕を思い出すという人が相当数いるらしい、ありがたいことです。
 ところで、「夜学バー」というのは学ぶ場であって決して難しい話をするための場ではない。でも、誰かが「難しい」と思うような話になってしまうことは、当然ながらある。どんな場でだってあるだろう。
 そこで大切になってくるのは、「その場にいる人みんながおおむね理解できるような話し方に努める」という感覚や、「難しいと感じることをべつに苦だとは思わない」という感覚、とかかなと思う。
 まず、誰かが「難しい」と思うような話し方は、できるだけ避けたほうがいい。しかし「難しい」と思ってしまうことは、絶対にある。そのとき、「難しい、自分がばかだからわからないのだ(自分のせい)」と思ったり、「難しい、なんやねんこいつ!(相手のせい)」と思うよりも、「難しい(べつに誰のせいでもない)」とだけ思ったほうが、平和なはず。「難しい、でもそのうちわかるかもしれないし、わからなくてもべつに問題はないよな。まあわかったら嬉しいから気が向いたらまたなんとなく考えてみるかもしれないが、とりあえずいまは忘れてしまってもいいや」くらいの温度で、「ンまあ」くらいで置いておけるような軽さが、肝要と思う。
「夜学バー」と名付けたのは僕だけど、「勉強バー」「学問バー」「学習バー」「教養バー」「知識バー」といった名前にだけは、したくないと思っていた。「学」だけで十分なのだ。
「学ぶ」というのは、ものすごく広い概念のはずだ。僕は、「考える」という行為をちょっとでもすれば、それで「学ぶ」の要件は満たしているのだろう、と理解している。あるいは、「感じる」や「知る」をちょっとでもすれば、「学ぶ」でありうるのかもしれない。その精度とか純度とか、役に立つ度といったものは、あったとしても。

 結果として、なにか役に立つようなことができるようになる、ということが、すなわち「知恵をつける」ということなんだと思う。(「役に立つとはなんや?」というのは、今は考えないこととします……。)
「難しい」も「簡単」も、「わからない」も「わかる」も、すべて学びの一環であって、知恵をつけるという道すじの上にある。だから、べつに「難しい」や「わからない」をこわがることはない、のです。
 なんだかよくわかんなくって「ふうん」と受け流してしまっても、その「ふうん」がすでに十分に、学びだと思っていいんじゃないか、と。たとえばとても単純な話、「あーこりゃわかんねえな」と思う対象のサンプルが得られた、ということでもあるのだし。
 夜学バーというお店の理想は、「ここにくると、なんだかちょっとだけなにかがよくなる」というくらいの場になること。遅々とした学びでも、あるいはその場では何も学べていないような気がしても、なんとなく長い目で見たらいつかは知恵につながっていくようななにかが、あるような場所になればいいな。
 そういう意味で、このお店は本当に誰にでも……そういう意味での「学ぶ」ということを尊しと思ってくださる方ならば誰にでも、開かれているはずだと信じております。
 ちなみに「知恵」という言葉を使っているのは、広中平祐さんという数学者の影響です。(本読んで、その気になっていた。)

2018/09/19水
 はじめとおわりにはお客がいたが、まんなかの3〜4時間は僕とくだんの「卒論の子」とふたりきりだった。
 お店をやるには、孤独を楽しめると楽だ、と思う。
 これを書いている今は20日の午前10時42分、愛知県にある西春という駅の、コマツヤという喫茶店にいる。僕が入店したときにお客は僕一人であった。つまり僕が入店する直前、お客はひとりもいなかったことになる。
 けっこう繁盛しているお店でも、お客が一人もいないタイミングというのはある。時には何時間も誰もこない、なんてこともある。夜学バーはまだまだ「繁盛」には程遠いお店だから、そういうことは頻繁にある。(どうにかしないと。)
 そういう時間は当然、孤独なわけだけれども、それを楽しめる、というか、少なくとも苦痛を感じずにいいられる、というのは、おそらく一つの才能だ。僕はそんなとき、本を読んだり、音楽を聴いたり、おかたづけをしたり、ぼんやりと虚空を眺めて架空のたばこをふかしたりする。(僕はたばこを吸わないので、ありもしない幻想のけむりを出し入れし、もって手持ち無沙汰の解消にあてるのである。)
 じつに愛おしい時の過ごし方であるが、それが1時間、2時間となってくると、「この店は潰れるのではないか?」という焦りが首をもたげてくる。しかしその焦りすら、だからといってなんだということもなく受け流せてしまう、というのもまったく才能というやつだろう。
 そこで焦りをパワーに変え、一発逆転の名物メニューや広報戦略でも思いつき、目下の暇を利用して地道にでも着実に改革していけば、繁盛店への道は開けるのかもしれない。しかし、やはり僕は架空のたばこをぷかぷかとやってしまう。これは才能というのか? むしろその逆のような気もする。でも、僕だってただ無為にぷかぷかするのではない。いつもなにかを考えている。たとえば、夜学バーにとっての「繁盛」というのは、いったいどの地点にあるのか? とか。
 このお店は、悲しいけれども儲けるためのお店ではない。儲けるためにはお客の回転率を上げるか、客単価を上げるのが手っ取り早いのだけれども、そのための努力を単純にすれば掲げた理想やコンセプトから離れていってしまいかねない。そこを担保したまま利益だけを上げていくのはものすごく難しい。「それなりには儲かりつつ、保つべきところはきちんと保ち、さらに楽しくなるように仕向けていく」というのが至上命題なわけで、そのバランスのとりかたを考えるために……やはりぷかぷかとするのである。(重ねて言いますが、わたくしはたばこをすいません。)
 ゆっくりと、まあもうちょっとくらい急いでもいいような気はしますが、考えつつ少しずつ、夜学バーをおもしろいと思ってくれそうな人のところにこの店のことが届くように、そして「いい人たち」がちゃんと「いいじゃん」と思ってくれるようなお店になるように、流動していきたく存じます。
 有名になればいい、ということではないし、お客がたくさんくればいい、というわけでもない。かといって、「仲良し集団」や「同好会」や「コミュニティ」が作りたいのでもない。むしろそういったものとはできるだけ距離を置いていたい。お花見やバーベキューなんて、絶対にしない。周年イベントもしたくない。そのへんのことについては、機会があればまた。
 夜学バーにとっての「繁盛」というのは、まずは「持続可能な形で、楽しく実りある学びの場になっていること」だろう。では「楽しく実りある学び」とはいったいなにか。それはもう、結局のところわからないので、考え続けるしかない。それで僕はまたぼんやりと虚空を見つめて、架空のたばこをぷかぷかとやり、またこのように無為みな文章を書きつづけるのであります……。

2018/09/21金
 金曜だからといって人が多いというわけではない。本日は4人。そんなものです。

2018/09/22土
 昼は小沢健二さんの歌詞を精読する会。やや盛況。遠方から来てくださった方も複数名。『夢が夢なら』という曲について話す。「孤高と協働」(『フクロウの声が聞こえる』より)というフレーズがぴったりハマるな、と話しているうちにふと思った。この会がなければ、またこのメンバーでなければ一生そう考えることはなかったかもしれない。それだけでも僕にとっては意義のある時間だった。また「行きつ戻りつ」と「たゆたう」に注目した方がいて、そこからかなり話が広がった。
 ちなみに、この会に参加するメンバーはかなり流動的で、毎回必ずくるというような人はほとんどいない。いつも顔ぶれが違うので、毎回ちがった刺激が得られる。小沢健二さんに興味のある方は、ぜひいちど。
 夜は浅羽通明先生による星新一を読む会。昼から引き続き参加してくださった方も。浅羽先生はもう、重要文化財のような人間なのでこちらも興味あれば一度はぜひ。
 ちなみになぜこの方には常に「先生」をつけるのかといえば、十代のころ大学で講義を受けていたからで、他意はありません。僕にとって浅羽先生は永遠に先生です。

2018/09/23日
 藤子・F・不二雄先生のご命日。メロンパンを差し入れてくださった方がいた。ドラミちゃんの好物である。偶然であろう。ちなみにF先生とドラミちゃんは誕生日が1日違いです。
 バラエティに富んだ顔ぶれで楽しかった。普段ならまず話すことのない相手と話せる、というのがバーのような場のよいところだが、夜学バーはとりわけ、面白い組み合わせになることが多い、と、思う。もっとそういうふうにしていって、そうであることを売りにしていきたい。

2018/09/25火
 庚申の日なので29時まで営業。実際には6時30分くらいまでお店にいた。庚申について書くと大変なのでまた次回にでも詳しく書きますが、要するところ「60日にいちどみんなで徹夜する、という風習がかつてあったので、夜学でもそれをやってみている」ということです。
 高校生から前期高齢者まで、やはり多様な顔ぶれがそろう。昨日も、中国古代料理と古詩をふるまってずいぶんと盛況だったようだけど、今日もそれなりに。でも「混んでいる」という感じもなく、常に数人はいた、という感じ。一晩のお客の合計が1〜4人くらいのような日も多いが、7〜10人くらいの日もけっこうあって、そのくらいだとちょうどいい。11人以上となると、忙しかったなあ、という気持ちになる。
 ちょっとわかりにくいことを書きます。僕の基本的なスタイルは「問題を感じた場合、できるだけ様子を見ながら調整をこころみ、ぎりぎりのところまで直接的な介入はしない。しかし最終的には良き人にとって良くなるように(ひいてはこのお店が良くなるように)全力をつくす」です。
 様子を見すぎて、短期的にはちょっと良くなかったかもな、というようなこともけっこうあります。よく反省して、長期的には良くなるように努める、というわけです。がんばります。

2018/09/26水
 昨日「7〜10人くらいの日もけっこうあって、そのくらいだとちょうどいい」と書いていますが、今日はまさに7人+「卒論の子」で、たしかにちょうどよかった。この店の客単価は500円から始まって高くても5000円くらい、平均は2000円ほどではないかと思われるので、そういう意味でもちょうどいい。日に15000円くらいうりあげればとりあえず存続できそうなので。(このへんの金勘定バランスについてはいつかなんらかのかたちで公開し、こまかく分析してみたいところ。)
 僕は、世の中に「こういう店」が増えたらいいと思っております。「こういう店」というのが何を意味するのかはわかりませんが、ともあれ、ということは、その一端である夜学バーが「一例」として経営方法や理念、収支などについて公開しておくことは後発のお店にとって意義のないことではないだろう、と思うわけです。我が旧友のせかいさんが未来食堂でやっていることと同じですね。
 このお店の関係者や、僕の友達に、「そういうお店」をやろうと思っていたり、すでにやっている人がにわかに増えている。「そういう世の中」に少しずつなっていく兆しかもしれないので、大切にあたためていきたい。

2018/09/28金
 前回客単価の話をしたけど、きょうは「奨学生」やボトルキープの方が多かったので、平均1500円くらい。でも人数はそこそこ(7〜10人の範囲)きてくれたので、そんなに悪くはない。
「ネットで見て気になって」という大学生が、ここんとこ何人かきている。こういうのはほんとうにうれしい。たまたま看板を見かけて来てくださるのもうれしいし、誰かに紹介されて来てもらえるのもうれしい。なんでもうれしいが、やはり「ネットを見て」と言われると、店名とかHP、Twitterのやり方は間違ってはいないようだ、と励みになる。素敵な人が多いんで。
 某氏の卒論調査はこの日でいったん終了。いつも通りに店を閉める。

2018/09/30日
 昼間は浅羽通明先生の星読B。台風をおそれてJRが20時以降止まる、ということで17時くらいからお客さんが順次お帰りになり、18時過ぎには僕ひとりに。それから0時30分くらいまでお店を開けていましたが、だれもきませんでした。台風は0時くらいにやっときて、いま(午前3時半ごろ)おさまってきた感じです。風はまだそれなりに強いですが、雨はやんでいます。
 なんだかいろいろ思うところあって、自転車で築地まできています。今はジョナサンで休憩中。1時半くらいに着いたのですが、築地市場をちらりと見たら、たくさんの人たちが働いていました。ここもあと1週間くらいで使われなくなるのです。これから「愛養」というステキな喫茶店に行ってきます。築地市場内にあって、3時半に開店するのです。やっているかな。いろいろなことは、あとでまた、どこかに書くかも。

2018/10/02火
 開店当初からずっとお店に置いてある小沢健二さんの『うさぎ!』を手にとって、じっくりと読んでくださった方が。「小沢健二さんって文章も書いてるんですか? 読みやすい、面白い!」と、気に入ってくださったようで何より。「また読みに来ます」とのこと。そういう利用の仕方も大大歓迎、とてもうれしいです。
 いちおう、『うさぎ!』シリーズはほとんど置いていると思います。『企業的な社会、セラピー的な社会』なんかも含めて。あとは単行本が何冊かと、「子どもと昔話」がズラッと(『うさぎ!』の掲載されたものは全号)あるので、そこでだいたいカバーできているはず。興味のあるかたはぜひとも。

2018/10/03水
 この2日……いや、台風だった9/30の夜も含めると、直近で僕の担当した3日間はお客がなんと合計4人(!)。いつもはさすがにこんなにおとなしくないのですが、まあこういうタイミングもあります。お客は多ければ多いで、少なければ少ないで楽しいし、それぞれ独特の動き方をするので、むしろ退屈しません。
 最近、八代亜紀さんと谷啓さんに凝っているので、お客がひとりもいない時間はずーっとお二人の曲だとかを聴きつつ、八代亜紀さんや谷啓さんの本を読んだりしていました。今日は谷啓デーで、CD(アルバム3枚、シングル2枚は持っている)やYouTubeの演奏動画などを流しつつ、エッセイ集『ふたつの月』を読んでお客を待つ。途中からやや趣向を変えて向井滋春さんのトロンボーンをずっとかけていました。トロンボーン、とても好きな楽器です。
 というようなことを書くと、番頭と名乗るjとかいう者の年齢がわからなくなってくるかもしれませんが、半田健人くんと同い年です。僕は誕生日まだですが!

2018/10/05金
 バーやスナック、クラブなどはなぜかむしろ金曜が空いてたりする……というのは、最近複数の同業者さんから聞いた。「うちも意外と金曜が弱くて」と。夜学バーも金曜が意外と静か。今夜は5人お客さんがいらっしゃったが、すべての方と(長かれ短かかれ)二人きりの時間があった。なかなか珍しい事態である。おかげでゆったりとできた。
 やはり、金曜はほかの予定が入っていたりするのだろうか。それとも「混んでそう」という理由で敬遠されるのか。なんとなく、何曜に人が多いか、というので、その店の「使われ方」がわかるような気もする。しかしもちろん、どの日も差別なく「使われて」ほしいものだ。ただ、「◯曜日はなぜか静か」というようなのがあっても楽しいと思う。じっくり飲みたいときはその日に。いろんな人がやってくるのにワクワクしたいときは他の曜日に、と。

2018/10/06土
 オタク(?)なお客さんが二人と僕だけになったときに、オタク(?)な話をたくさんしてしまった。『うる星やつら』と『究極超人あ〜る』がのちの日本文化に与えた影響は〜みたいなことを性懲りも無く講釈しちゃったけど、しつこいながら僕は半田健人くんと同い年です。
「ものすごい演劇を観てしまったので、その心の整理をつけるために来た」とおっしゃる方も。そういう「使い方」もめちゃくちゃうれしいです。

2018/10/09火
 初めてきた方と未来食堂の話になったので改めて考えてみた。せかいさんとは20歳のころ人づてに知り合った同い年の古い友達である。時を経て似たようなこと(だと僕は思っているしたぶん彼女も少しはそう思っている)をしているのがわかって「類は友を呼ぶ」とか「持つべきものは友!」などと思ったものです。
 ちょっとわかる人にしかわからない話になりますが、夜学バーを語るときによく(?)引き合いに出されるエデンというバーが「フォーマットがあってコンセプトがない」だとすると、夜学バーは「フォーマットがなくてコンセプトがある」。で、たぶん未来食堂は「フォーマットがあってコンセプトもある」なんだけど、このお店に関しては「フォーマット」と「コンセプト」が融合して強固な「システム」になっている、という感じ。夜学バーにもシステムはあるつもりだけど、「流動的で属人的なシステム」というわけのわからないものを目指しているので、「強固」にはならない。だから、弱いんですねえ……。
 強弱をべつにすれば未来食堂と夜学バーはけっこう似通った部分がある(発想の根幹はかなり近いはず、たとえば「サロン18禁」と「奨学生制度」、「ただめし券」と「ごちそう権」、「まかない」と「客の従業員化」、「さしいれ」と「おざ研スタイル」、また種々の流動性の確保など)のだが、最大の違いは「メッセージ」にあろう。未来食堂は「誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場所」と掲げている(事業計画書では「根底にあるメッセージ」としている)が、夜学バーは「君が気に入ったならこの船に乗れ」(宇宙海賊キャプテンハーロック『われらの旅立ち』より)なのであります。
 夜学バーでは、「誰もが受け入れられ」るわけではない。それは単純には食堂とバーの違いからくるものだし、そのような場を作るためには「強固なシステム」が必要だということが僕にもわかっているからだ。もちろん「誰もがふさわしい場所」でもない。そもそも「受け入れる」とか「ふさわしい」とかいう発想から遠く離れよう、というのが、夜学バーの「根底にあるメッセージ」なんだと思う。(それはテキストのページにある遠心的うんぬんという文章と関連している。)
 ところで、せかいさんと僕の原体験がともに喫茶店にあり、20歳ごろから歌舞伎町に出入りし、同じバーで働いたこともある(のちに知った!)というのは、けっこう面白い。
 喫茶店というのはまさに「誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場」なのだ。僕もそういうお店が好きだし、いつかはそういうことをやるんじゃないか、とも思う。その偉大なる先輩としてせかいさんがいるなあ、という感じ。今後も勉強させていただこう。
 未来食堂が事業計画書などを公開しているのをまねて、夜学バーは「マニュアル」を公開しようかなあ、と思っている。しかし問題は、この店にマニュアルなど一切ないということ。マニュアルらしからぬマニュアルを、どうにか作ってみたいと考えている。いつになるやら。

 夜学バーは「誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場所」ではない、と書いて、その説明が不足だったように思うので補足。これは「あなたは排除される可能性があります」と、この文章の読者に呼びかけるものでは(当たり前だけど)決してない。「誰かを受け入れるとか受け入れないとかいう発想はそもそもありませんし、誰かにふさわしいとかふさわしくないとかいう発想もそもそもありません」と僕は言うのです。人が来て、場ができて、その場が楽しく健全である、ということが、夜学バーが夜学バーたる要件だから、ウチにくるときはどうぞそういうふうに振舞ってくださいネ、ということなのです。「人」ではなくて「場」を重視します。そして「場」をつくるのは「人」というよりは「振る舞い」なのですね。
 あんまり人の悪口や、下品なことはしないでネ、というだけのことだったり、するわけです。

2018/10/10水
 はじめ数時間はお客が2人だけで、ぼんやりくだらないことを話していたら、21時半くらいからあれよあれよと6人ふえた。めずらしくいそがしかった。
 お店をやっているとよくお客の年齢層や男女比なんかを聞かれるけど、「日による」としか言いようがありません。「毎日どのくらい人がきますか?」とか「何時くらいが混んでますか?」とかいろいろ聞かれますが、これも「日による」です。
 1人や2人しかこない日もあれば、平日でも10人以上くることもあります。座れなくなったら補助椅子を出し、それも埋まれば誰かが立ちます。だいたい店に慣れている人か、奨学生が立ちます。でも、そういうことはほとんどないですね。
 ちなみにこの日のお客は年齢層は20〜40くらい、男性2女性6。全員男性の日もあれば逆もあり、10代や20代ばかりの日もあれば40代以上が占めることもそれなりにあります。面白いです。(偏りが大きい日は母数が少ない日、って面もあるのですが。)
 バーとかっていうのは本当に開けてビックリ、ということがあって、いろんな顔があって、そんだからやってても行ってても飽きないですね。

2018/10/12金
 今日もさまざまな人がきた。大学生になった教え子(教え当時は高2〜3)がきてくれた。もうすぐ二十歳になるとのことなので、最初の酒はここで飲みます、と言ってくれた。ありがたい。
 直近で働いていたのが女子校だったので相対的に僕の教え子といえば女の子が多いが、共学か男子校だったらどうなっていただろう。モッシーモ、ですな。並行する世界の僕は。

2018/10/14日
 今日は早い時間に高校生が2名。未来食堂でやっている「サロン18禁」からの流れも1名。推薦入試のための「志望理由書」を見る(世に言う「添削」)流れに。僕は基本的には生徒の文章に勝手に添えたり削ったりはしたくないので、対面でインタビューしながら「このへんってどういう意味?」「ここもっと詳しく書くとしたら?」みたいな感じで聞き出して、「じゃあそんな感じで書いてみて」と投げるのが好きだ。そのほうがいいと信じてもいる。だけどもちろん、相手の資質や性格、入試の形式や難易度、締め切りまでの時間と何より僕らに与えられた時間、といったものをすべて勘案して、いろんなふうにやる。今回はちょっとだけ、添えたり削った。
 年齢層でいえば、今日はいちばんうえといちばんしたで50歳以上離れていた。たのしいことだ。


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