文責は番頭(Jacky)。夜学バー日録。

 最新へ 文章へ トップページへ
 過去ログ 第一期 第二期


 バーやスナックはある種の秘境で、入ってみるまではどういう空間なのかわかりません。なんたってそこが魅力です。「秘密」や「謎」というのは、なんだってそれだけで人の心をくすぐります。入りづらそうなバーにこそ、入ってみたいと思ってしまうものです。(僕はそうです。)
 訪れたことのあるお店でも、日によって表情はかならず変わり、ある日の様子とべつの日の様子は全然違います。また、当たり前ですが自分がいなかったときのお店の雰囲気や出来事というのは、知ることができません。
 そのほうがやっぱり魅惑的だし、いろいろと騒動も少ないから、太古よりそうなっているのでしょう。
 ましてや現代、インターネット上で「今日は〇〇さんがお店に来ていた」と書けば、その日の〇〇さんの行動がバレバレになります。たったそれだけで、〇〇さんはなんらかの形で不自由を、または不利益を被りかねません。「あなた! 仕事だなんてウソついて、バーなんかに行っていたのね!」とか。そういう具体的なことでなくとも、自分の行動が意図せずどこかに残留してしまうのは、イヤな人にはイヤなものです。
 バーやスナックというのは未来には数少ない、「公開」を前提としていない場所、になっていくのかもしれません。(もちろん、公開を前提としたようなお店もたくさんあるでしょうが。)

 そういうことで、この夜学バーという小さなお店も、その日の営業の様子をインターネットを通じて発信することは、極力避けるように努めています。公式ツイッターに載せることは必要最小限、訴求力(宣伝力)のありそうなことに絞っているつもりです。会話の内容とか、どんなことが行われているか、どんなドリンクが注文されたか、どんな人が来ているか、何人くらいのお客さんが来ているか、ということは、あんまり書いていません。書くときは「夜学バーらしさのアピール」や「ブランディング」(!)を意識したときです。たまに「お客さんがいないよ〜」といった泣き言めいたことを書くこともありますが、さみしすぎてついつい本音が出てしまったのでしょう……。(これらは、「j」という署名があるツイートに関しての話です。)
 また、「訴求力がある」ことなら何でも書いてしまうのかというと、さにあらず。たとえ黒柳徹子さんがトツジョ来店しても、ご本人が公にそのことを表明しないうちは、こちらも書くことはないでしょう。お店のなかでは「じつはここだけの話、こないだ徹子さんが……」と思いっきり自慢するかもしれませんが、おそとでは言わない。そういうふうに、バーというものは「秘境」としての機能を守っていかなければならないのです。

 ではなぜ、この「ジャーナル」と名付けられたページをわざわざ作ったのか。「どんな秘境だって、たまには空撮くらいされていいだろう」という感じです。「アマゾンの文明未接触部族をドローンで撮影!」というような。(個人的には、『大長編ドラえもん のび太の大魔境』でヘビースモーカーズフォレストの中を空撮する場面のドキドキ。)

 無数にきらめく夜のお店。その中でそれぞれに毎夜、いろんなことが起こっている。そしてそれが、ほとんどすべて秘密の中にかくされている……そういう面白さの、わずかな一端を、ほんの少しでも覗き見してもらえたら、と。

 夜学バーというお店で日夜、どんなことが行われているのか。その全貌は誰にだってわからない。僕だって毎日お店にいるわけではないし、いるときでも見えていないことも多いはずです。ましてや、インターネット上でこのお店の存在を見つけて、未だ足を踏み入れたことがない、という人には、まったくなんにもわからないでしょう。
「わかんないけど、とりあえず行ってみよう」という人もいるでしょうし、「わかんないから、もうちょっと様子見だな」と思う人もいるでしょう。「わかんないから、まあべつにいいや」もあるかもしれません。このページが「様子見」の材料になればいいし、「わかんない」が「もしかして、こういうことか?」くらいになって、「ちょっと実際見てみよう」になればいいな、と願って、ちょっとだけここに毎日の記録を書いてみます。

 僕がお店に立っていた日のことだけを書きます。秘境性を保つため、ほとんどのことは書きません。とくに、後々なにかの「証拠」として機能しそうなことは避けるようにします。夜学らしく、起きたことよりも僕が考えたことを書くと思います。それでちょっとでもお店に興味を持っていただけたら。あとは、読み物としてある程度成立するものをめざします。
 タモリさんはかつて『笑っていいとも』について、「反省はしない」と長続きの秘訣を語っていたそうです。僕もずっとそういうスタンスでやってきました。10年くらいお店をやっていて、記録をとったことはこれまで一度もないし、反省らしい反省もほとんどしません。店を閉めた瞬間に、その日にだれがきていたか、ということさえ思い出せなくなるのです(本当です)。だからこのジャーナルなるものも、きっと「記録」や「反省」にはならないでしょう。
 とりあえず試験的に、こっそりとやっていきますね。
(2018/09/16 02:22)

 ちなみに、URLに「#20200101」などをつけると、その日付の記事に直結するユニークIDになります。ご活用ください。


 最新へ

●2020年

2020/01/01水

 お客は2名のみ。参考までに、どちらも二十代前半女性(なぜそういう偏りが生まれるのだ?)。楽しかったけど、来年は休もうかしら。三年間元日営業をやってみて、やはり休むべき日というのはあるのではないか、という気がしてきた。

2020/01/02木

 23時までの時点で、お客はやはり2名。来年は2日も休もうかしら。ところが夜中に3人組がやってきて、その後また1人。やっぱり正月はイレギュラーなことが起きて楽しい、けど、やっぱり休むべき日というのはあるだろうな、という気分は揺るがず。

2020/01/03金 X→

 事情により名前を出せない「X」氏に13時からお店を開けてもらって、僕は夕方から。その時点でお客がずらり。さすがX氏である。五歳の男児もいた。昼夜通して14名のお客に恵まれる。うーん、やっぱり3日だとぐんと外出しやすくなるんだろうなあ。
 X氏が呼び寄せてくれた、「本を売りつつお酒も出す 」型のお店の店主さんが2名。片方は僕もよく通っているお店で、もう一方はいちど行ってみたかったお店。(その後行ってみた。いいお店でした。)
 初めてだという大学生も、かなり長い時間いてくれた。またきてください。
「家にいて親と一緒にテレビを見ているのが耐えられなくて」という大学生も。時代性や感性の違いがきつい模様。ええ、休憩所にしてくださいな。
 夜の夜中には新潟に行った時に知り合った方(会ったことはない)の親族の方が。なんのこっちゃ。巡り合わせは面白い。

2020/01/04土

 お客5名中、初めての方が3名。しかもツイッターや口コミなどではなく、「Googleマップで」「通りかかって」と。うれしいものです。お正月でほかのお店がやってないってのもあるのかも。

2020/01/05日

 なぜか記憶があんまりない。とくにお酒を飲んだわけでもないのに。
 僕の記憶のくせで、「何を話したかは覚えているのに、その相手が誰だったのかが思い出せない」というのがある。この日のことも、お客さんの顔だけがぼやけていたり。じつは、営業が終わった瞬間に「その日どんなお客さんが来ていたか」をほぼ忘れてしまう。記憶は上手なほうなので時間をかければたいてい思い出せるけど、時間が経つとどんどん難しくなる。とっかかりがあればするすると出てくるんだけど……なんて、自分語りになってしまった。
 この「くせ」には、たぶん良い面もある。まだうまく言葉にできないんだけど、夜学バーが今の夜学バーの雰囲気をつくれているのは、僕の記憶がこんなふうだからなんじゃないかと。あんまりその人が「その人」であることに重点がない。夜学バーという場において、人は「絶対」的な存在ではなくて「相対」的な存在で、その日その時その場によって、そこにいる人たちの組み合わせや席順によって、あるいはあらゆるタイミングによって、その人のあり方は変わっていく。個人が溶けて流動体になり、きわめて匿名に近くなる。だから「その人が誰か」ということに僕のメモリはあんまり使われないんじゃないかしら。大事にしたいのは「その場がどうであるか」というバランスのほうなので。

2020/01/06月 小津

2020/01/07火 あすか

2020/01/08水 soudai

2020/01/10金

 あるお芝居をやっている人たちが稽古終わりに立ち寄ってくれることが年明けからしばしば。サントリーの角瓶をキープして2〜3人で分け合って飲んでいる。ちょっと感傷的になる。

2020/01/11土

 外国人観光者の多い地域なので、インバウンドも多少はある。といって雑居ビルの三階にある小さなお店だから日本語の話せない方の来訪は一月に一度あるかどうか、というところ。
 たいていは「チャージありますよ」と言うとOhって帰るんだけど、OKと座ってくださる場合は面白くなることが多い。この日はまず5人のお客がだだっといて、その後その友人が2人。どこの国の方々かは知らないが、みんなオタクのようで、遊戯王とかガンダムとかゾイドとかナウシカのことをちょっと話した。「ショーチュー、ミズ、ワリー」「ウメシュー」「ジン、ロック、ゴードン!」「カフィー」
 7人の白人男女がずらっと並んだところへ、20歳そこそこの女の人がきた。
 まだ午後6時くらい、いつもなら誰もいないか凪いでいる。このイレギュラーな状況に一瞬、驚いたようだったが徐々に楽しむ気分にシフトしたようで、「タコヤーキ!」と連呼する彼らのために御徒町付近のたこ焼き屋を調べてあげたりなどしていた。
 やがて風が去り、店内はいつもの様子に戻った。一人残った彼女は「楽しかった」と振り返り、夜中になるまでずっといてくれた。予想外なことや新鮮な状況を楽しめるお客さんで、ありがたい。
 その後もお客にめぐまれありがたい限り。だけどちょっと反省。3、3、1の「かたまり」になっている時間が長かった。「1」のかたが「3」と「3」の間に位置していたなら、流れや雰囲気はだいぶ変わっていたはず。「3、1、3」のほうが流動しやすい。「グループのお客さんはできるだけカウンターの端に」というのはもっともらしいへたな小技(?)だが、もうちょい意識していたほうがいいかもしれない。端に寄れば「テーブル席」のようにもなるけど、真ん中にいたらそこはどこまでも「カウンター」。
 こういうときに「7」とか「3、4」とかの状態を作るのはさして難しくはない。ただ、あえてそれをしたほうがいいのかどうか、という判断はとても難しい。「みんなで」よりも「自然に」を僕は取りたい。
 ああいう時間はけっこう久々だったのでわりに新鮮な気持ちで観察してしまっていた、というのも正直な感想。

2020/01/12日

 初めてのお客には「初めてですか」とたずねたくなるのが人情だけど、わざわざ確認する理由がなんかあるのかといえば特にはない(ゼロではないけど)ので、たずねないことが多い。あえてたずねるほうがいいと判断する時もあるけど、多くの場合は自然と「そうでない切り口」が開いていく。
 このことは最近よく考えている「線、面、点」ということに関係する。メモ書き程度に記しておくと、大人のコミュニケーションの基本は「線」である。一対一のキャッチボールをイメージしてもらいたい。しかし「場」にいるのは必ずしも二人だけではない。もっと多くの人がいる場合がある。すると「線」では不足で、「面」が必要になる。それが「複数の人に同時に話しかける」である。自分の発生させた波が、一度にみんなのもとへ届く、というようなイメージ。みんなでみんなに波を送り合う。ファミレスで女子高生が四人くらいいて、一人が爪とかいじりながら「彼氏と別れたー」ってつぶやいたらほかの三人が同時に「えーっ!?」ってなるようなの。これが波で、面で、「複数の人に同時に話しかける」ということ。たぶん女の人のほうがこれを自然にやっている率が高いと思う。
 では点というのは何かというと、わかりやすくいえば独り言のようなものである。誰にも向けていない言葉。だけど、その場のみんなに聞こえている。線、面にくわえ「点」まで使いこなせると場ア転ダーとしては十分な技量を備えていることになると思う。
 さっき「線」は大人のコミュニケーションだと書いたけど、たぶん「点」は子どものコミュニケーションなのである。子供は誰にともなくものごとを訴える。泣いたりわめいたり、わけのわからないことを口走ったりする。周りにいる人たちはそれを聞いて、何か反応したり、しなかったりする。場ア転ダーっていうのは、その場で大人にも子どもにもなれるような人が向いているんじゃないかな、と。
 ちなみに「面」は、これはたぶん「文化的なコミュニケーション」ってこと。さあ、これを説明するのは大変そうだから、いつか書くであろう場論の本にゆずります。
 冒頭に挙げた「初めてですか」は「線」であって、大人のコミュニケーション。べつにそれをしたっていいけど、しなくたっていい。少なくともほかに「面」も「点」もあるのだ。さあ、どうやって仲良くなって行こうか? なんてことを考えて僕はいつもワクワクしておりますのです。

2020/01/13月 soudai

2020/01/14火 あすか

2020/01/15水

 ゆったりとした水曜日。「夜学バーをテーマにした卒論」がお店にあるのですが、それをじっくり読んでくださった方も。一年経って未だにソキューリョクがあります。ありがたい。第二弾だれか書いてくれないかしら? とりあえず僕がなんか書くか。

2020/01/16木 小津

2020/01/17金

「誰かと話したくて来た」という方が。岡林信康が1973年に発表したアルバム『金色のライオン』の中の『ホビット』という曲で、「誰でもいいから会いたくなって ふらりと外へ出た ゴールデン街に出かけるような そんな気分で」という歌詞がある。普遍的な気分なのでしょう。そういうご利用、お待ちしております。
 そういえばよく「もっとおじさんがやってるのかと思った」と言われる。岡林とか引用するからかも。五十代か六十代のようにも思われるかもしれませんが、実際は三十代真ん中くらいです。もうそれなりの年齢ではありますが、楽しくかわいくやっていこうと思っています。(などと言っておりますが別にいわゆるフェミニーンな感じではなく、怖くない顔をしていたい、くらいの意味。)
 女の子にこっぴどいフラれ方をしたから、という人もいた。そういうご利用も、いくらでも。

2020/01/18土 庚申

 60日に一度の、朝まで営業する日。最初に来たのはよくきてくれるお客さん(二十歳すぎの女性)のお母さん。用があって上京してきたからついでに、とのこと。お会いするのは初めてだったけど、うん、なんかすぐに「いいやつ(いい店)じゃないか」と思ってもらえた気がした。たぶん。そういうのを感じると、何よりうれしい。
 それから少しずつ人が増えたり減ったり、夜中の2時すぎくらいにいらっしゃった方も。計11名のご来店。12時間営業して11名だからべつに多くはないんだけど、とても楽しい時間だった。朝まで残ったのは四人くらいだったかな。
 いちばんのハイライトは、なぜか僕が最も尊敬する児童書の作家とお電話することになった顛末。そこまで一滴もお酒を飲んでいなかったけど、そのあとついつい。あー緊張した。詳しいことが気になる方はぜひお店に! 

2020/01/19日

 このお店で初めてお酒を飲んだ二十歳の女性がホットワインをゆっくりゆっくり飲んでいた。ゆっくりゆっくり。ぐっとくる。幸福はゆっくり育つが、不幸は急にやってくる、って村上龍の『69』にあったなあ。
 ある女の子の歯が急に抜けて、場に戦慄が走り、しかし仕方ないのでみんな爆笑した。とにかく写真を撮った。「歯が抜けた!」なんてのは大事件で、たぶん一生の記憶。お会いするのは二度目くらいだけど、その一瞬すごく仲良しの人のような気がしてしまった。勝手に。だって仲良くない人の歯は抜けないよね? お大事になさってください。すぐにでも歯医者へ。

2020/01/20月 小津

2020/01/21火 あすか

2020/01/22水

 仕事と仕事の合間を縫ってビールと電気ブランセットを飲みにきた勇者。「休職してその間に転職を考えたい」という冷静さもまさにすぐれた勇者。最近、シゴヤメやシゴヤスの話をとてもよく聞く。実際した人も多いし、検討している人もとても多い。
 僕は2016年の正月、世がベッキーとSMAPに染まっていた頃、いよいよ実感した。「求心力」なんてものは現実にはもうないと。で夏には陛下の「お気持ち」があったんで、やっぱりそういうことだよ、と。んだからこれからは「遠心力」でしょ、と思ったわけです。
 ある程度わかりやすく言ってみると、「人がある状態に固定されているべき根拠はもうない」。芸能界だけ見ても、不倫も離婚も減らないし解散や脱退は後をたたない。しかし彼らは死ぬのでも消えるのでもなく生き続けていく。ただ、みんなばらばらになっていく。
 ばらばらになるってことは、もう「ガワ(外殻)」には頼れないということ。一人ひとりが強度を持つしかない。というか、強度を持ってしまった(そういう実感を持ってしまった)から、ばらばらになる道を選べるようになった、ってことなのかもしれない。
 ばらばらになって、またどこかにくっついて、また離れて、というのを繰り返していくのはちょっと、あまりよくないような気がする。けど、ほっとけばみんなそうなってしまうんだろう、だって「習ってない」から。でもたぶん「ばらばらのまま、ほかのばらばらの人たちと仲良くやっていく」のほうに舵を切ったほうが無難じゃないかな。そう考えて、こういうお店をやっているんだと思います。
 遠心力とは、遠くへいく力。離れていく力。それをみんながそれぞれ持って、時に手を振り、笑い合う。まあそういうふうに、少なからぬ人たちが、すでになっている。
 そこで考えるべきは、「どうやって手を振り合おうか?」というところ。それをずーっと、考えております。

2020/01/23木 →i

 11日の記事の後半から昨日まで、いま書きました。現在19時15分、とくにお客がないのでi氏と交代いたします。

 追記:その後22時すぎくらいまでお店にいた。忘れ物を取りがてらやってきた方と、兵庫からいらっしゃった方が。楽しかった。ほかの人が立っていても、自分がお客として通いたいお店にはなっていると思う。

2020/01/24金

 誰かが話していることに対して何かをコメントする、というのは一つの技術だが、何もコメントしないでいる、というのも技術かもしれない。小さなお店においてカウンターの中にいる人の発言は相対的に重くなる。みんながなんとなく聞いてくれている。だから思いついたことのすべてを口にすると「うるさい」感じになってしまう。何かを思いついたとき、「言う」と「言わない」の峻別を即座に行わねばならない。
 日常生活でも当たり前にやっている人はやっている。お客さんたちも基本的には、常にそのように「言う」「言わない」を検討し続けていることだろう。そういう人たちの集う場を想うとき、いつも夏目漱石の『こころ』にある「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。」というフレーズが浮かぶ。他流試合。そう、このように不特定多数の人がランダムに集まってくるお店では、誰もがみな「他流」なのだ。他流だから、どういう態度を取ればいいか、わからない。わからないから、考える。

「常連」をベースとするお店には、「他流試合」という感覚がほぼない。「常連になる」ということは「同門に入る」ことだから。同じ流派に属するということを、店主やほかのお客から認められることを「常連になる」というわけだから。「常連」が閉鎖的な馴れ合いに堕しがちなのは、そのためだろう。みんなが同じ常識を共有し、同じ仲間意識を持つのが「常連の絆」というやつで、だから店外に出て花見やバーベキューが開かれうるわけである。彼らにはもう店舗空間すら必要がない。そのとき軸となるのは「店」ではなくて「仲間たち(店員+常連)」なのだ。で、そういう状態にある場では「考える」ということがあんまり要求されない。
 そういうお店のあり方は、「安心感」という面では抜群に良い。「考えなくていい」ということは安らぎなのだ。僕はそのような愛すべきお店のいくつかが大好きで、繁く通ったりボトルを入れたりもする。安心のお店はすでにあるので、自分がやるお店は違うふうにしたかった。
 と、いうことは、夜学バーはある意味「安心できない店」なわけである。すさまじい話だ。もちろん、「居心地がいい」とか「落ち着く」とはよく言ってもらえるし、安心感がないお店ではないと思う。おそらく、「考える」ということが適切に行われている状態が心地よいのだ。「みんなが少しずつみんなのことを考える」が自然に成立している状態が、心地よい。それを目指している。そのことを「居心地がいい」とか「落ち着く」という言葉にしてもらえているのだろう。ただし、その状態を保つためには自分自身もある程度の「考える」を差し出さなければならない。そこが「安心できない」の意味である。

 先ほど引用した『こころ』の文、続きはこう。「私は、私の目、 私の心、私の体、すべて私という名のつくものを五分の隙間もないように用意して、Kに向かったのです。」極端にいえば、このように「考える」こと、他流試合のように注意すること。その適度な緊張感によって成り立つ安らぎを是としたいのが夜学バーなのです。

2020/01/25土

 凪ぎつつ充実。お客さんに橋本治さんの『青空人生相談所』という本をお貸しした。あまり大切な本を人に貸したくはないのだが、たいてい「読んでほしい」という気持ちが勝つ。この名著、もう何冊か買っておかないと。どこかで見かけたら買っておいてください、買い取ります。

 夜学バーは空いていたり混んでいたりするわけだけど、「このお店、いつも人がいっぱいいますね」と言われることがある。混んでいるタイミングのときによく来ているということだろう。一方で、「この人とは一対一になることが多いな?」とこっちが思うお客さんもいる。じつに不思議。
 勝手に思っちゃうと、混んでいる時に来る人は「みんなが行こうと思っている日に行こうと思う」わけで、空いている時に来る人は「みんなが行こうとは思わない日に行こうと思う」わけである。後者の人はたぶんナチュラルに「逆張り」できちゃっている。なんだかすごい。そういう「逆張り」の人がもっと増えたら、お店には常にある程度の人がいることになって楽しいので、興味ある方がいたらちょっと「逆張り」いかがでしょうかね?

2020/01/26日

 日曜の夜は静か、というのはなんとなくあって、この日の前半は特にそう。札幌からいらっしゃった方とぼんやりお話しした。不登校の子どもなどへの訪問ボランティアやホームレス見回り、あるいは相談などをやっていらっしゃる方で、ああ他流試合、他流試合。知らないことが触れあって融けあって、結晶していく……なんていうと美化した感じだけど、そういうのがこういう「ランダムな場」の醍醐味なのは確か。
 後半ぽつぽつと人がくる。偶然、前回の庚申の日(1/18)にいらっしゃった方が4名も(奇跡にちかい)。そうそう、昨日書いたことに関連するけど、「行こうと思うタイミングが一致しがち」なお客さんの組み合わせというのも、たまにある。おたがい月に数日くるくらいなのに、その中の一日くらいにばったり会ってしまう。何か生活リズムとか、考え方が似ているのかも。

2020/01/27月 soudai

2020/01/28火 あすか

2020/01/29水

 ある従業員(イニシャルでKとしておきましょう)が17時から24時半くらいまでいた。だったら僕、きょう休みでも良かったのでは? なんて笑い合ったけど、長い時間いろいろ話せて非常に実りがあった。
 お客は少なめ。コロナウィルス報道の影響で、みんな物忌みかしら。心なしか街にも人が少ない。まだ猛威は続くでしょうから、逆張りのかたお待ちしております。
 K氏はたびたびお客としてやってきて、その時の問題意識(考えていること)を教えてくれる。それについて僕もあれこれ考えて何かを言う。そういう時間を積み重ねて間柄は深まり、各自の思索もすすんでいく。今回話してくれた内容は僕が今考えていることと隣接していて、大いにヒントになりそう。ありがたい。
 その内容の一部は個人のホームページに書きます。

2020/01/30木 →i

 21時過ぎまでお店にいたが、コロナウィルス効果(?)なのか、お客なし。i氏と一時間ほど話す。楽しかった。楽しいのがいちばん。話してて楽しい人が働いてくれているからうれしい。

2020/01/31金

 1月は初来店のお客さんが多かった気がする。今日も何名か。「二度め」の方もいて、うれしい。「初めて」より「二度め」のほうが嬉しいかもしれない。僕が好きなのは「出会い」よりも「再会」で、初めて再会するのは通常「二度め」なのだ。ただ、初めて会うのに「再会」としか思われないような相手もいる。それも至福。再会よ、あれ、かし。
 今日もコロナウィルス効果か〜? と思っていたけど、お客に恵まれた。ふだんは金曜でも計3〜4人ということもけっこうあるのだが、今日はぐるぐると10人以上。なぜか多くの人が「今日行こう」と思ってくれたらしい。本当に不思議なことだ。毎日のようにお店で「待つ」ということをしていると、不規則な波のうねりに神秘性さえ感じる。
 わりと人が多かったわりに騒がしくはならず、(実は大きな音が耳に響いてしまう僕にとって)ありがたかった。秩序ないような時間はあったが、時とともにおさまるようにおさまったりする。そういうのをぼんやり体感しているのも、とても楽しい。人間観察というより、人間のいる場の観察。自分も参加しているので、参与観察とでもいおうか。この面白さが、もっと多くの人に伝えられたらいいなあ。

2020/02/01土

 芸術とエンタメ、余剰、なぜミャンマーでシネコンが爆増するのか、いくつかの話題がぐつぐつ煮込まれていた深夜0時ごろ、そういう話の好きであろうお客が来訪。その時点で「帰りが遅くなる」と確信、あきらめた。そこからさらに広がりに広がり、ずいぶん遠くまで行って朝の7時くらいまで話してしまった。たまに、そんな日もあります。
 ここで話したことの一部はブックバーひつじがさんとの往復書簡(とくに4通目)に反映されているし、これから僕の書くことやすることにも影響していくと思います。有意義な時間だった。
 ともあれ、たぶんテーマは「自分(個人)と他人(社会)」。依然として。橋本治さんの名著『いま私たちが考えるべきこと』を読み返します。

2020/02/02日

 書いている今は2月12日ですが、1〜2月はどうも、新しいお客さんが多い。初めての方が初めてきて、それから数度顔を見せてくださる、というケースがいくつも。そういうのはもう風向きみたいなものだけど、「新年! 新しい年! 心機一転! 新天地!」みたいな感覚もあるのかも。どうぞみなさま、住み着いてくださいませ。
 もちろん慣れたお客も。馴れ合いというのではなく、鮮やかに場が立ち上がる、感じになる、気が、します。「も」が8つ。

2020/02/05水

 17時、お昼のさちあきさんと交代。扉を開けたら中1の人と70代の人の姿が同時に目に入り、「そうそう、こういうシーンがつくりたかったんだ!」とうれしくなった。前半はその中学生と、最近来てくださるようになった男性と三人の場になり、じきお二人ともお帰りになって僕一人に。後半は女性がふたりご来店、どちらも僕は初対面で、お一方はsoudaiくんの日にきたことがあるという。そこへ最近よくきてくださる男性が加わり、四人の場。女性二人お帰りになり、よく来てくださる男性が一人増え、GLAYを中心とした男性バンドの書く歌詞世界の分析に深く入っていった。
 何度も書いてしまいますが、一度目が二度目になり、三度目になり四度目になってもらいたい。そのためにはやはり「毎回違っていること」かなと思います。もちろん、「毎回同じである」からこそリピーターは生まれるんだという一般論は重々(?)承知しておりますので、「毎回同じように違う」というような雰囲気を、なんとかめざしていきます。あるいは、「違う」はあっても、「変わる」はあんまりないように努めてみる、とか。

2020/02/06木 →i

 前半にお一人お客。呼び出しがあったようで早めに退出されたが、この方のご紹介という方がその後(12日現在までに)、複数回おいでになっている。ありがたい連鎖です。
 その後しばしお客なく、i氏と雑談して交代。この雑談が肝心なのです。

2020/02/08土

 ご存知の通り夜学バーのHPにはたくさん文章が載っており(ここも含む)、読みごたえは抜群です。一方で、こんなもん誰が読むのかとか、ヤバイ店だと引かれるんじゃないかなど心配も常にしておりますが、けっこうな頻度で「文章がよかった」と言ってくださる方がおられます。やった! うれしい。「良い」「素晴らしい」とまでは思わなくても、「この人がやっているのならとって食われやしないだろう」くらいに思っていただけたら本当に甲斐があります。
 Twitterが象徴的ですが、とにかく現今は「短い文章の時代」。ただそれはもちろん一面的な見方で、「長い文章」を好む人たちもたくさんいます。noteというサービスも流行っていますし。
 仮に「早くわかる」ことと「じっくりわかる」ことの両方が必要だとして、「早くわかる」を担うのは夜学バーの場合、お店の名前そのものでしょう。「じっくりわかる」はたとえばこういう文章。さて、「お店に行ってみる」はどちらか? というと、これは両方、同時な気がします。入室すればさまざまなことが一瞬でわかる一方、じわじわとわかっていくこともかなりあるはず。

2020/02/09日

 僕は小学校2年生の時には「好きな人いる?」と聞かれて「手塚治虫」と答えるようなタフガイ(?)だったので、命日だな、と毎年思います。そんな日に大きなドラえもんをいただきました。僕は本当にドラえもんのことが好きです。
 念のため、『ドラえもん』の作者は手塚先生ではありません。しかし手塚先生の描いたドラえもんの絵、というのが実は残っています。それはドラえもんが舌を出してウィンクしている絵なのですが、なんと今日いただいたドラえもんも、舌を出してウィンクしているのです。しかも、つぶっているのが左目であることや舌の位置まで同じなのです。
 すぐにはこのことに思い至らず、そのことをご本人にお伝えできなかったのが悔やまれます。なんだか、手塚先生と藤子先生の合作のようにさえ思えてきました。大切にします。そうでなくても。

 昼間はコミティアという同人誌即売会に参加して、拙著『小学校には、バーくらいある』を売った。5時間立ちっぱなしでブースにいたけど、そんなにたくさんは売れなかった。でも、わざわざ立ち止まって買ってくださった方々はみなさん素敵そうな雰囲気があって、届くべきところに届けられたような気がする。出展料や交通費などを考えるとほとんど赤字みたいなものだけど、参加してよかった。
 16時に終了し、急いでゆりかもめとJRを乗り継いで御徒町からお店へ。17時ちょうどに開店。前半、お客がふたり。「粉にしたコーヒー豆をドリッパーにセットして、お湯ではなくワインを通すと、コクのあるワインになるらしい」と教えていただく。「それなら日本酒でもできるのでは?」という話題になって、お客さんが「ではいま僕が持っている日本酒を提供しましょう」と。出てきたのは獺祭というお酒の純米大吟醸、精米歩合45%。これを先日焙煎したばかりのコーヒー豆に通してみたら……おいしい! というか、不思議な味で、くせになる。こうやってメニューの幅は広がっていくし、それより何より、「場」というものはたちあがっていく。とても素敵なシーンだった。
 その後またお客さんがやってきたり、お帰りになったりして、またふたりのお客。お一人は、なんと昼間にコミティアで本を買ってくれた方。もちろん初対面で、なんとなく会場を歩いていてたまたま僕の本を見つけたとのこと。『小学校には、バーくらいある』の帯には「すてきなことは光ってくれる」というキャッチフレーズがある(これも僕の自作)。まさに、この本は光ってくれたのだ。そして彼の目に止まった。なんとうれしいことだろう。
 200ページくらいある本を、彼はすでに読み終わっていた。そして「すばらしかった」と言ってくださった。そしてお店にまで来てくれたのだ。聞けば電車で2〜3時間かかるところにお住まいで、コミティアのため東京に宿をとったのだという。いろんなことがそろって、シーンは生まれる。

 札幌に住む友人が「行きます」とずいぶん前に宣言してくれていた。この日に千葉で講演をするので、その後にと。講演自体は夕方に終わるものの、たぶんそのあと懇親会か食事の席でもあるだろうから、遅くなるだろうとは思っていた。23時くらいになって、「さすがに来ないかなあ」と思いつつ、「実は今日」とみんなに話した。津田沼も近くはない。
 僕はMoo.『あまいぞ!男吾』という漫画が大好きで、いろいろはしょるけど主人公の男吾は「男と男の約束は必ず守る」男。じっさい、「あらゆる事情(主に、離れて暮らすヒロインに会うこと)に逆らって、帰ると約束した期日に友達のところへ戻る」という話もある。この作品のことはたしか彼も好きなはず(記憶違いだったら申し訳ない)なので、「たぶん、あの人は来る」と僕は話していた。
 何時間も前から「待つ」ということの大切さについて話していた日でもあったので、23時を過ぎて彼が現れた時には、その場にいた人たち(主に僕だけど)の感慨はひとしお、涙目のようになっているお客さんもいた(ように僕には見えた)。シーン三部作、完。

2020/02/10月

「文学フリマで本を見かけて、その時は買えなかったんですけど気になって」と。去年の文フリ(即売会)きっかけでお店まで来てくれたのは、ひょっとしたら初めて? 知らないだけで、いらっしゃるのかもしれないけど。
 通りすがりで「夜学バー」という文字に惹かれ、来てみたという二人連れの方々も、本を買ってくださった。ただ勢いで買ったというふうではなく、冒頭の「ひかるかざり」の描写が気に入ってくれたようだった。「バーってまさにそういうふうに見つけますよね」と。
 中盤、けっこう長くふたりきりになった初来店の方とは、文化の話をかなり深く掘って行った。こういうサシ飲みみたいな状況も、本当に楽しい。そこに人が増えるのはもっと楽しいかもしれない。
 23時すぎ、誰もいなくなったところに1、2、3とよく慣れた方々がいらっしゃり、第三部という雰囲気に。2時くらいまで営業し、ジャニーズについてなど話す。

2020/02/11火

 ずいぶん前に引っ越していかれた方が久しぶりに。「麒麟山 伝統辛口」という日本酒を浅煎りのコーヒー豆にドリッパーで通した(!)ところ、お連れの方がだいぶお気に召したようすで、「家でやる!」と。みなさんそうおっしゃいます。コーヒー焼酎なんかだと漬ける時間が必要だし、待った割においしくなかったときのダメージも大きい。ところがドリップ式(?)だとすぐに飲めるし、おいしくないと思ったら即座に改良を試せる。うーん、これはすごいことだ。
 お二人がお帰りになった頃、またお二人。こちらも遠く(ご実家)へ引っ越していった方。あたたまる旧交。いいですね、やっぱり、再会。
 宇宙の研究をしている方からいろいろと教えていただく。DNAの配列を組み替えることにどういう用途があるのかとか、その応用で絵文字を作ったとか。「場の量子論」がなんなんだか、とてもわかりやすく説明してくださった。うん、なんとなく、ほんの輪郭の輪郭だけわかったような。こういう実際的な学びも多くて、とてもありがたい。こないだも疎水性相互作用とかファンデルワールス力とか教わった。10歳以上も年下の方々から。あなとうと。
 終わりかけの2時間ほど、従業員K氏とさまざま話す。最近彼と話す内容は本当に重大で、僕の考えていることをかなりアップデートしてくれている。それこそ十二支一回りほどの差があるのだが、まったくそういうことは関係がない。あえて言うようなことでもないんだけど、たまにはあえて。いい店アピール。

2020/02/12水

 来客と来客のはざまの、空白の時間が二度あった。友達の帰ったひとりの部屋でココアをすするような、一抹の寂寥感とくすぐられるような嬉しさがともに湧く。そしてまた待つ。こういう感覚が好きな人には、小さなお店をやるのは合っていると思う。いつでも、働いてくれる人は探しておりますが、とにかく何よりもこのお店が好きなこと。誰もいなくても、ここでただひとり空気を吸って、「ハァ〜」とか思ってくれる人。マンガとか読んでられる人。コーヒーとかお酒飲んで、虚空見つめて、かっこつけた気分になるようなら、なお。ちなみにお給金はぜんぜんでません。

2020/02/13木 →i

 僕の時間(〜20時くらい)はお客なし、かな。たしか。このあたりから某感染症(COVIT-19)の影響「第二波」が押し寄せてきたように思います。(第一波は体感として1月末くらい。)そのせいばかりではないかもしれませんが2020/03/03現在まで売上はたぶん日ごろの半分より低いくらいになっています。その意味ではこの先のジャーナルはけっこうおもしろい記録になるのではないでしょうか。(これから書きます。)
 いずれにしても、Jの字および各従業員に用がある人はいま(とりわけ早めの時間)がおすすめです。

2020/02/14金

 香川の高専生がおふたり。いろんな土地の人に知られておきたいので「ぜひ地元で宣伝を〜」なんてお伝えしておいた。多少でも、遠いどこかで噂になったら嬉しいな。
 夜学バーは「近所型」のお店ではなく、「わざわざ型」のお店。「近所だから/どうせ店の近くを通るから」というよりは、「ちょっと遠回りだけど寄って行こうかな」とか「予定がないから遊びに行こう」といった気分の人が多いと思う。だから天候や流行り病、不吉なニュースなどの影響がダイレクトに表れる。「今日は縁起が悪いから早く帰ろう」「最寄り駅でコーヒー飲むくらいにしとこう」となると、「わざわざ型」のお店は選ばれない。それはそういうものだというだけなんだけど、しかしお客がなければ困るので、「わざわざ」来てくれる人の母数を増やすのが肝要だと今のところは思っている。
「東京」の「上野」といえば、巨大な人口を擁し交通の便もトップクラス。それでもこんな妙ちきりんなお店に「わざわざ」行こうという人の数を増やすのは簡単でない。ただ、「わざわざ」のいいところは、どれだけ遠くからでも来てもらえる、ということ。だから「東京」だけで勝負するのではなく、「日本全国」を視野に入れて広報をしていきたい。(「全世界」になると僕の手にはおえない。)
 いわゆる「居場所」というものは、どちらかといえば「近所型」が多い。夜学バーは「わざわざ型」で、だから「居場所」の「居」がややそぐわない、のかもしれない。
 西部劇の酒場には旅のガンマンが立ち寄る。ドラクエに出てくる「ルイーダの酒場」なんかもそう。旅人たちはきっとアリアハン(地名)に立ち寄るたびルイーダで休むのだろう。そこで顔馴染みもできるかもしれない。そんなようなお店でもありたい。僕もいろんな地方都市にそういう場所を勝手にたくさんつくっている。
 もちろん近所の人にもいっぱい来てほしい。土地の人と旅の人が自然にとけあうようなふうがいい。この日も近所のお店の人や、歩いて帰れるくらいのところに住んでいる方がきてくださった。職場が近いから、という方も。いろんな人がいろんなようにいてもらえるのがすばらしい。
 とてつもなく余談で私事だけど15歳のときに開いたホームページも、はじめからテーマは「ごった煮」。統合された自分像、なんてものはなかったから、「持っている要素はぜんぶ入れてやれ」と思ったし、「中学の友達も高校の友達もネットの友達もみんなきて!」ってことははっきりと言葉にしていた。やっていることは今もあんまり変わっておらず、十代のころの友達と近所の人、ネットで知ってわざわざきてくださる方など、いろんな人が同時にいます。

2020/02/15土

 拙著『小学校には、バーくらいある』順調に売れています。「読んだ、おもしろかった」という感想を言ってくださるお客さんも。この本はお店の販促パンフレットとして作った側面も大きく、その役割はけっこう果たしてくれておりますが、読んだか読んでないか、ということでなにか差が出てしまうのは嫌なので、この本の話にはあんまりなりません。

2020/02/16日

 日曜の夜らしく、ゆったりとした営業。お客が1〜2人で、そのままの状態が1〜2時間ほど続くと、時間の感覚がおかしくなってうっすらとした変性意識状態に入るような気がする。薄暗い店でもなくBGMが大きいわけでもなく、ただ同じ風景のまま時間が経過していくことで縁側感が出てくるって感じだろうか。そんなところでギイッと扉が開くと、ふたたび時間が動き出す。いたって自然に。おもしろい。

2020/02/17月 あすか

2020/02/18火 あすか

2020/02/21金

 高3の進路決まっていない人や、大4の進路決まっている人。この季節ならではの情緒がある。前者の人は受験が終わったばかりで早速きてくれたのだろうし、後者の人は残り少ない大学生の時間のいくらかをこのお店で過ごそうと考えてくれたのだろう。
 金曜ということで仕事終わりの人たちも。曜日問わず本当にお客の少なかった2月後半のなかで、それなりにお客があった。それでもカウンターが埋まるということはなく、ちょうどいい感じだったかも。

2020/02/22土

 凪いだ土曜。しっとりと時間が過ぎていった。経済面では心配になるが場がわるくなるということはなく、その意味では通常どおり。できるかぎり換気をよくしたうえで温度や湿度を調整し、消毒などをしっかりする。状況に応じた当たり前のことは当たり前にやりつつ、あとは特筆すべきこともなく、粛々と営業しています。たまに様子を見に来ていただけると嬉しいです。

2020/02/24月

 からっきしお客なし。途中(22時前くらい?)で従業員i氏が遊びにきたので、一緒にカウンターに入ってカクテルの練習など。すると(23時すぎ?)その日最初にして最後のお客がご来店。止まったような時間を三人で過ごす。また格別。

2020/02/25火 あすか

2020/02/26水

 大学生が2名、新卒1年目が1名きたのみ。平時だってそのくらいのことはよくあるのだが、さすがによく続く……。やっぱり止まったような時間がずっと続いた。密室の醍醐味。そして常に、誰かが新しく扉を開けるかもしれない、という期待感と緊張感が渦巻いているのがお店ならではの空気感を醸成する。
 渦巻いたものが吹き抜ける風にもう一度舞い乱れ、ふたたび渦巻いていくことが「流動的な場」というもので、それをみんなでやっていくのが楽しいし、きっとなんにでも役に立つ。

2020/02/27木 →i

 早い時間に人が集まり、めずらしく19時くらいですでに5名のお客が。20時くらいからはi氏に交代してしばらく客席に。それから23時くらいまでにやってきたのは、たしか2名。そのあたりで僕は帰宅。

2020/02/28金

 前半は長閑、1〜2名のお客とゆったり過ごす。湯島から三鷹に引っ越した方が展覧会のDM持って一瞬だけ寄ってくださる。それからは22時くらいになっても何もないので、「世はプレミアム金曜だが今日はこれで終いか」と思っていたらほろほろとお客に恵まれる。ありがたや。昨日は前半、今日は後半にお客が集まったというわけ。どうなるかわからないのが水商売のおもしろいところだし、やみつきになる麻薬的な部分でもある。
 小さなお店にはいろんな使い方があって、仕事や人間関係やなんやらかんやらに疲れたとき、とりあえずまったくそれらと縁のない空間で人と接することによって、なんとなくリセットされるような気になったりすること、とか。そういうふうに使ってもらえるには、「そこに行って嫌な思いをする可能性はわりと低いはず、もしあったらすぐに帰るようにしよう」と思えるような対象になること、かしら。ただ、「安心感のあるお店にしよう」とことさらに意識してしまうと「甘やかす」にもなりかねず、すると場のバランスはやがて悪くなる。難しい。まあ、ごく自然に。
 帰り際ひさびさに隣のバーにちょっとお邪魔してみた。

2020/02/29土

 この日の18時に「記者会見」があって、「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベントについては、中止、延期又は規模縮小などの対応を要請」「換気が悪く、密集した場所や不特定多数の人が接触するおそれが高い場所、形態での活動も当面控えていただく」「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週月曜日から春休みに入るまで、臨時休業を行うよう要請」というような内容。
 この土曜のお客は3名、翌日曜も3名。どちらも17時から25時くらいまで8時間営業。普段もこのくらいの日は(特に日曜は)めずらしくないので、影響のほどはよくわかりません。
 夜学バーは密室で「すこぶる換気がよい」とは言えないし、お客が3名以上になると1メートル以上離れて座ることは難しい。ただ換気扇はけっこうよく効くし、そろそろあったかくなってくるので二つある扉をそれぞれ開ければ風通しはかなりよくなります。もし二十人くらいの人が入ったらちょっと心配だけど、客席は基本的に8席(いくつか増やすことはできます)、同時にいるお客はだいたい1〜5人くらいが多いので、「換気が悪く、密集した場所や不特定多数の人が接触するおそれが高い場所、形態」ではないだろうと思います。1日の来客はだいたい5〜10人くらい、最近は少なくて3人前後という日も多くなっています。アルコール消毒液もまだ残っているし、手洗いなども励行しているので店内での感染・拡散リスクはそんなに高くない、はず。
 しかし、満員電車に乗らないと夜学バーに行けないとか、からだの弱い家族がいるとか、大事な時期だからとか、あらゆる手を尽くして可能な限り感染・拡散リスクは下げるべきなのだとか、いろんな事情や考え方があるため、「おいでませ」と強く言うつもりはありませんが、「御遠慮なく」とはっきり言っておきます。行きたいと思ったらどうぞ。もちろん熱があるとか咳やくしゃみがいっぱい出るとかそういう場合は「行きたい」を抑えていただいたほうがいいかもしれません。
 もし僕が少しでも体に変調があったら、まずは元気のある人たちに代わりに立ってもらうでしょう。数日長引くようならいったんお店を閉めて様子を見、重症化したら二次感染をおそれしばらく閉めるでしょう。いろいろ考えてはいます。栄養と睡眠もしっかりとって、手などのふれる位置も常に意識し、電車もバスもタクシーも乗らず(そうでなくても常に自転車!)、リスクができるだけ下がるよういくらか店内のものの配置やオペレーションを変えたりもしています。夜学バーというからには、使えるかぎり頭を使っているつもりではあります。
「だれかと時間を共有する」というのは楽しいものです。それが特別な時間であれば、ひとしお。

2020/03/01日

 この二日間、3名ずつお客があったけど、いずれの方とも良い時間が持てたと思う。人が少ないからというのもあるし、こういうご時世だからということも。「いろんなことに気をつけながら、やりたいと思うことをできるだけやる」という気分を、お店にくる方々は共通して持っているように感じる。その心強さが、こころよさにつながっているのかもしれない。
 唐突な不景気だけど焦らずくさらず、これまでのさまざまな貯蓄に感謝しながら、少しでもよき未来にできるよう心を尽くしていこうと思っております。よろしくお願いいたします。

2020/03/02月 小津

 18時ごろからしばらくお客として在店。「小津トンクーラー」(ボストンクーラーの亜種)をつくってもらう。ジンジャーエールではなくソーダでつくるものだが、こういうのは、よほど上手にできないと「とてもおいしいレモンサワー」という印象から離れられない悲しみがある。駆け出しカクテル研究家のi氏には先日「ジンフィズ」をつくってもらったのだが、これもやはり「めっちゃおいしいレモンサワー」になってしまう。
 なんにせよ彼らのおかげで僕もカクテルをゆっくりと研究していられるのでありがたい。みんなで少しずつ、夜学バーの酒の質を底上げしていきましょう……。
 声の使い方や身体の向き、カウンター内での位置取り、勇気と度胸、所作のさりげない美しさ、などなど、僕もまだまだ無限に磨いていきたいことがある。「会話の内容(面白さ)」なんてのは本当に二の次、三の次で、大切なのはバランス。何より距離感が大事だし、あとは空間の使い方だったり、リズムやタイミングだったり。そういうことをちまちま考えてかってに訓練しているのがとても楽しい。(演劇や学校の先生をやったことがあるからこその感覚かもしれない。)

2020/03/03火 あすか

2020/03/04水

 こんな時勢(感染症の流行で外出や消費の一部が控えられている)だからとあえて来てくださる方もいると思う。本当にありがたい。はげみになります。もうちょっとがんばります。

 教え子が来店。「(6年ぶりに)東京に住むことになりました」「(超すごいところに)就職しました」「(一ヶ月前に)結婚しました」と三連発。心の中ではオオーっとなったがお店だし平静に「オウ」と答える。正直いえば扉を開けて顔がのぞいた瞬間に「ワアー!」っと声をあげてカウンターをのりこえビンを4本くらい割ってごく近距離で「ようきたな!」と握った拳を目の前に突き出してやりたかったが、営業中なので「おっ」くらい。
 お客はお客で、「ひとまず」そこに凸凹はない。そういうふうにしておきたいから、あるお客の来店に対してけっこう驚いていたり喜んでたり、あるいは嫌なヨカンがしていても、できるだけ小さなリアクションにする。せいぜい「おっ」くらいにする。扉の開くなり僕が「ウワー!」と叫び出したら、よっぽどのことが起きたと思ってください。
 僕としては「おっ」が出てしまうのさえ相当の事態。かなり感情が動いたと考えてよいです。基本的にはフラットでいたい。しかし「おっ」は「おっ」で独特の機能を持つので、我慢するよりは出してしまおうと思っている。
 機能というのはまず、その入ってきた人に対して「あなたのことを認識しているし、少しくらいは驚いている」という「ほどほど」のサインを送れること。これがまったくないと相手を不安にさせすぎてしまう。「あの、ほら、わたし、わかります? 〇〇高校で教えてもらってた××ですけど、覚えていますか?」となるかもしれないし、「久しぶり!」などと大袈裟にいえば「お久しぶりです! 実はわたし〜」となったり、いずれも即座に新しい話が展開してしまう可能性が高まる。そういうのが面白い時もあるけれども、その入ってくる直前の場の空気との兼ね合いもあるので、少し遅らせたほうが無難ではあろう、と。
 まずは「君のことを僕はわかっているよ」と教えて安心してもらい、座って落ち着いて、その上で当座の「場を見て」もらう時間をつくる。理想としては。そのためにある種の「ほんのりとした主導権(?)」じみたものを、「おっ」として演出してみる、という感覚。たぶん。
 また、その場にいる人に対して、「この人とジャッキーさんとにはなんらかの(おそらくは深い)関わりがあるのだな」と思ってもらえる効果も。これが「伏線」になってくれたりする。(ただ、伏線が機能すりゃ面白いかっていうとそういうことではない。)

 初めていらっしゃったお二人としばらくのあいだお話。医療関係の研究や臨床が専門とみえた。しかしそういう話題を特にするわけでもなく、いろんな事柄について「あれはこうか」「ならばこれはどうだ」「自分の知見からはこう言える」などなど、「三人の真ん中に置かれた話題について、三方からつついていく」というような状態が心地よかった。
「自分がすでに知っていることや考えたことがあること」を内から引っ張り出してくるのではなく、目の前にあること(誰かが話したこと)に対して、ゼロから自分の考えや意見を組み立てていく、という方法をとってくださっていた。ゼロから始めることによって、目の前にあるトピックとの矛盾や逸脱を避けやすくなり、「真ん中にある話題」がブレない。だからみんながそこを見ていられる。

2020/03/05木 →i

 大阪にしばらく(一月弱?わすれてしまった)出張に行っていたという方がご帰還。お土産話をいただく。「飲み屋に18軒行った、こんなにお店を巡ったのは生まれて初めて」とのこと。楽しそう。
 そのお話をもとに「お店」ということを考える。その後、夜学従業員がなんと2名も飲みに来てくれて、途中交代したi氏とあわせて4名が「中の人」、という一見ダッサイ状態に。念のため言っておきたいけど、これだけいるのは珍しい。しかしよく訓練された夜学従業員たちは決して「内輪」に堕すことなく、つねに「他流試合をする人のように」場を見てうまく気配を調整した振る舞いをしてくれる(……と期待している)。
 もっとも、いま手伝ってくれている従業員のほぼ全員がみな二十歳前後の頃から僕のお店に通ってくれていた「お客さん」だったわけなので、好きな時にお店にくるのが自然だし、お客としての振る舞いも堂に入ったものである。当たり前だけど。
 途中、完全に「中の人」だけになり、ますます「お店の話」になっていく。よいお店とは何か。「世の中をよくするお店」とはいったいなんなのか。こういう時に意思疎通をすることで、なんとか「夜学バー」の体裁は保たれているのだと思う。全員が集合することはめったにないけれども、さまざまな組み合わせで顔を合わせるうち、なんとなく認識が通じていく。

 古い喫茶店に行くと、「お客なのか店員なのかよくわからないおじさんやおばさん」をけっこう見る。そういうお店はたいてい僕は好きだ。夜学バーもそんなようなことでいい気がする。馴れ合いや「常連感」は排除しつつ。
 実際、「え、今の人、従業員さんだったんですか?」と言われるくらい気配を消してくれていることはよくある。店員もカウンターの外に回ればただの客なのだ。それを僕はドラゴンクエスト4の第三章「武器屋トルネコ」でよく学んだのである。(わかる人だけうなずいてくださいませ。わからなくてひまな人は、YouTubeのプレイ動画でも。)

2020/03/06金

 久々に人が入った、という感覚。これ書いてる今現在は24日なのですが、振り返るとこのあたりから「反動」が始まっていたと思う。様子見を終え、「そろそろ外に出てみるか」と、気をつけつつも外出する人たちが増えてきたのじゃないだろうか。
 数えてみたら総計で10名。これは決して多くない。8時間営業して10名なので、同時にお店にいるのはせいぜい3〜6名くらい。さして混まないのでご安心(?)を。
 そんなことより面白いデータをご覧ください。

 僕の担当日(全体の7割くらい)で来客数が10名を超えたのは、今年はここまでで1月3日、11日、12日、18日(庚申)の4回のみ。3月6日までのおよそ50日間、大きな客入りのない状態が続いていたことになる。感染症が騒がれ始めたのが一月下旬なので、そのくらいに影響は「あった」と思っている。
 6日〜23日(これを執筆している日の前日)までに僕が単独で立っていた日は14日間。そのうち6日、15日、16日、18日(庚申)、23日が10名を超えている。14日中5日、つまり3分の1以上。かつ、僕のいない日にもいくらか繁盛していた日があった。いかに1月下旬〜3月上旬が異常で、3月中旬から「戻ってきた」かがよくわかる。
 とはいえ「戻った」という表現はふさわしくない。普段から常に状況は変わり続けていて、「定常」などないのだ。「変わり続けている状況のなかで、急激に減った客数が、一時的に少し回復してきている」というだけのこと。実際、6日以降も半分くらいは1〜5名程度の来客だった。依然、まだまだ経営上の危機は続いております。
 しかもこれは「数」だけの話で、「どんなお客が来ていて、来なくなって、また来るようになって、まだ来ていないのか」といったことは、数字からはまったくわからない。(数字以外のことから何かがわかったとしても、あまり意味はないし興味も持たないつもり。)

 ずっと通ってくださっているお客さんが、僕の『小学校には、バーくらいある』を読んで、「まるでこのお店ですね!」と言ってくださったのが、本当にうれしかったです。「自分の子供に読んでほしい」とか「自分の子供がなんとか自力でこの本やこのお店を見つけてくれたら」といった感想も、めっちゃくちゃうれしいヤツです。

2020/03/07土

 AさんとBさんで初来店し、その後AさんがCさんを連れて再来店、みたいなことは、とてもうれしい。もちろんAさんBさんがのちお一人でいらっしゃるのも超うれしい。なんにせよ再会はうれしい。そんな単純なことで僕は本当に心から喜んでおりますが、お店の中では「ワーイ! うれしい! キャーー!!」みたいな反応はグッと我慢しています。じつはとってもうれしいのです。みなさま本当にありがとうございます。

 再会というと「一度でも会ったことがある人」に対して言いますが、「邂逅」は初対面でも使う言葉ですよね。よそのお店で「邂逅」を果たしたお二人が、「再会」の場所として夜学バーを選んでくれる、というようなことがあったようで、こういうことも非常にうれしく思います。うれしがってばかり。

2020/03/08日

 6日に「客入りがあった」と書きましたが、この日のお客は3名。しっとりしておりました。

2020/03/09月

 この日のお客は1名。しかも深夜0時きっかりにやってきました。7時間ぼんやり口を開けておりました。救世主のように見えました。

2020/03/10火 あすか

2020/03/11水

 お客は4名、アピールしておきます。3月の来客数の傾向は「多い日は多く、少ない日は少ない」で、平均すれば心許ない。
 再会といえば、年単位で会わなかった人たち同士が、このお店で「あっ」と顔を合わせるようなことはよく見られます。邂逅といえば、やはり「歩いていたらたまたま見かけて、店名と名刺(入り口に貼ってある)の文章に惹かれて来ました」というのも、ウッシャー。

2020/03/12木 →i

 早い時間からお客に恵まれ、3名お迎えしたところで20時ごろi氏に交代。
 彼に限りませんがみな優れた人たちです。しかし僕と同様まだまだ修行が必要なので、ぜひともいろいろお相手を。

2020/03/13金

 初めてのお客には「他流試合」という気持ちで臨む。二度目でもそうだし、何度目であってもその場にいる人の組み合わせがよほど慣れたものでなければすべて他流試合の、巴戦とかバトルロイヤルといったふうに思う。で他流試合とはどなもんやというと、僕の心がけとしては「注意してかかる」というただ一点。
 共通のルールはない。展開はなにも予測できない。場の動きに耳を澄ませる。それに応じて柔軟に動く。
 片膝ついて、片手の拳を地面につける、子供のころ何かの本で「忍者のポーズ」とあった。すぐに飛び上がれるのが利点らしい。刀の柄に手をかけるというのだと物騒なので、僕はこの忍者を心の中に浮かべるようにしている。
 なんでそんな、飲み屋の店主が臨戦態勢やねんという気もするが、緊張あってこその弛緩の喜び、というのもあると思う。「あー! どうもいらっしゃい! はじめまして! ま、ゆっくりしてってよねガハハ!」みたいなお店も僕は大好きだが、自分がやるならそうでなくてもよい。

 3月4日の記事で「ゼロから始める」ということを書いたけど、お店における関係や話題というのは、ゼロから始めたほうがいいだろうと考えている。「すでにできあがった雰囲気や関係性」が強いと、「常連客が固まって内輪話ばかりしていて居づらい」ということになってしまう。
 ゼロというのはふつうある程度の緊張から始まる。公園で遊んでいる子たちに「入れて」って言う時も、その逆でこっちを見ている子に「入る?」と問いかける時も、おそらく両者、緊張している。お店という空間では「入れて」や「入る?」はまずないが、それに似たような瞬間はある。「それ、すごい良いTシャツですね」とか。「おいしいです」とか。「寒いですね」とか。ちょっと目線を、どこかに向けるとか。その時、澄んだ緊張はその意思をまっすぐ通すのデアル。

2020/03/14土

 スッと場が、分断されることはある。教室に犬が入ってきたような場面さえある。授業中に犬が入ってきたら授業は中断だが、休み時間なら中断はされない。むしろ犬の侵入は休み時間を永遠にする期待まで生徒たちにいだかせるのだ。
 授業中でも休み時間でもない生活というすべての時間は、気持ちしだいでいかようにもなる。楽しくやりたく存じます。

2020/03/15日

 早い時間にまず五人組が現れる。ネットで知って来てくださったというお初の方々。落ち着いて素敵に居てくださったので人が増えても乱れることなくよいバランスの場になった。二人組、お一人、三人組と来店し、ひとときは補助椅子が出る盛況。(半年に一度、あるかないか。)
 それが前半。それから一切人ふえず、五めいさまお帰りのあとはゆったりと若者の恋の話を聞いていた。

2020/03/16月

 休学継続か退学か迷っている人、休学中で復学を決めている人、在学中で恋に悩む(昨日初来店した)人、と三様の学生たち。そこに社会人学生(僕)と僕より年嵩のお客がお一人。というのが早い時間の模様。そこへまた新しいお客がやってきて、入室の瞬間からその人が喋る喋る。まさに14日の記事
に書いた「教室に犬が入ってくる」という状況。
 唐突な「立て板に水」によって瞬時に場は分断され、一つ支配的な空気になった。しかしそれに対して悪意や被害者意識を持つべきなのは、それが「授業中」である時だけ。夜学バーはどちらかといえば「休み時間」でありたく存じますゆえ、だからなんだということはない。「数人で話していたら急に隣のクラスのよく喋る子が割り込んできてわちゃっとなった」という趣。
 その方はいちど僕のいない日にいらっしゃったことがあるそうだけど、僕とは初対面。それで一秒とおかず「立て板に水」なのだからそれがその方のリズムなのだろう。一方で「場」というものは複数の人によって構成されているので重視されるのはハーモニー。調和をめざすうちにリズムが刻まれたり止まったりフリージャズのごとく不規則に動いていく。彼が来てからの一時間ほど、「立て板に水」からの「ハーモニーの醸成」そして「リズムの共振」という流れが、ややたどたどしくも少しずつ生まれていったのが(僕には)見えた。
 彼は「複数の人に同時に話しかける」ということをする人だったし、「ある特定の人に働きかけつつも、その働きかけは場の全体に向いている」もしてくれた。それは「場の中心になることが多い」ということでもあったけど、ひとたびほかの人が話し始めれば、黙って耳を傾けて最後まで聞く。「おれはこう思う」は言うけれども、「きみは間違っている」は極力避ける。僕はずっと、ある親友のことを思い出していた。言葉の量は全然違うが、人に対する姿勢というところでは、ちょっと似ている。
 そういう人がいる場は、「そういう人がいる場」になる。ただそれだけのこと。自然に任せれば「独壇場」にもなるだろうが、働きかけ次第では「ハーモニー」のほうに持っていくこともできる。そのためにいろいろと工夫をするのが「場(バー)のマスター」の役割。うまくいったかはわからないけど、やれるだけのことは尽くしたと思う。少しずつ場は滑らかになっていった。いつでもそうなるためには、もうちょっとたくさんの夜が必要だろうけど。

 僕はそういうことを意識してそれなりにやろうとする人だからまだそうなる(ハーモニーが生まれる)率は高いと思うけれども、他の人ならわからない。特に若い男性や若い女性だとまず「なめられる」というところからスタートさせられがちなので適切に場を管理することは難しいだろう。しかし「のまれ」たらおしまいだ。「敵をのんでものまれるな」というやつ。大変だけどたぶんそれがいい。
 たとえばある種の「若きスナックのママ」はたぶん、そこに血道を上げているはずだ。若い女性がお店を円滑に運営していくにはいろんなやり口のパターンがあってその一つに「決してのまれない」はある。それにはさまざまな道すじがある。一言でまとめれば「強さ」なのだが、その「強さ」の種類はとりどりである。
 年上の客を「ママに言われたらかなわない」と服従させるには、おそらく「愛される」しかない。「惚れさせる」でもよかろうが、「かわいいな」だけではガールズバーのスタッフに向けられる目線と変わらない。愛されるには強さが必要なのだ。富士山が究極に頼もしいように。

 僕が初めてお店に立ったのは21歳くらいで、週一のペースでカウンターを任されたのはたしか23歳。「なめられていた」という実感はないが、「生意気」や「非礼」とは思われていたかもしれない。どちらかといえば、そっちのほうがマシかと今思う。

2020/03/17火 あすか

 23時ごろお店に顔を出す。従業員が一人お客としていたので、三人でまた「お店とは」みたいな話をする。二人ともかしこく勘もよいので大いに参考になる。夜学バーはもちろん僕個人の美意識を強く反映したお店だけど、美意識と想像力とは別のものなので、僕だけでは及ばない部分をみんなが補ってくれているという感じがある。ありがたい。

2020/03/18水 ※庚申

 早い時間からお客。春休みの高校生が隣の隣の県からわざわざやってきてくれた。彼のように若くして「こういうところ」に顔を出していると、周りの成人からよく「若いうちからこんなところに来るなんて」と言われるらしい。もう言われ飽きている様子だった。そう言われないようになることも課題だねという話もした。
「来るなんて」のあとには「すごい」や「羨ましい」がくる。自分も若い頃にこういう、学校や家庭と離れたところで大人と交流を持てる場がほしかった、という感想が多い。僕も同感である。名古屋でフツーの高校生やってたので特にそういう場はなかった。「愛知の高校演劇」というコミュニティはあったが、大人と会う機会はあんまりいなかった。インターネット上にはある程度大人の友達はいたけど、それもほぼ二十代前半くらいまでだった。
 当の高校生もそのように思っているようで、「どうしたら自分のような中高生が外の世界と触れ合う機会を得られるだろうか?」ということに興味を向け、実践しようと企ててもいる。
 彼にも話したのだが、この動機は自分が「高校生」ではなくなった瞬間に消えてしまう可能性がある。高校を卒業してしまえば、急にその地平は開けてしまうのだ。どこにだって行ける。どこにだって連れて行ってもらえる。そうすると「くすぶっている中高生」は意識から消えかねない。「なんだ、自由ってのはたった数年待てば手に入るんじゃないか。そこには無限の可能性が広がっているじゃないか」と。
 もちろん中高生はその「数年」を「たった」なんて思っていないし、それから数十年が経過した人たちも「中高生のうちにそういう場に巡り合えるのは羨ましい」と言うわけだから、「なんだ」と思っているのは当事者の青年だけなのだ。大学生くらいの人は、「現在」の立場からあれこれ活動することが楽しくて、「中高生の頃にくすぶっていた自分」というものを「過去」にしてしまう。その過去を取り戻そうと、「今」ばかりを見てしまう。世の中にはその過去の自分と同じようにくすぶっている人たちが依然として無数にいるのに。で、かなり時間が経ったあとで、「あの頃は刹那的だったな」と振り返ったりする。
 広い世界を知るなら、若ければ若いほど良いと僕は思う。自分からそう願うような人であればなおさら。(むろん、いろんなことに気をつけながら、時にはこっそり。)そういう人に目を向け“続ける”ことは大切だ。彼にもぜひ、その炎をたやさないでいてほしいなと勝手に望んでいる。
 夜学バーは、僕自身が「中高生(ほんとは小学生!)の時に巡り合えたらよかった」と思えるようなお店として存在させ続けるつもりだし、そういう人たちがアクセスできるような仕組みを、なんとか整備していきたいと思っている。アイディアのある方、ぜひ御協力を。
 僕が学校の先生など教育に関する仕事をずっとやってきたのは、「教える」ためなんかではない。そういう彼ら彼女らと「出会う」ためなのである。と、カッコつけとこう。

 人が増え、減り、増え、とやっていくうちに日付が変わっていた。今夜は庚申の日、六十日に一度の、朝まで営業する日である。なかなかに盛況だった。三人くらいで連れ立って買い出しに行ったり、二時以降にもお客が増えたりと、具体的な動きがあって楽しかった。
 福岡から「ブックバーひつじが」のシモダさんいらっしゃった。そのへんのお話は文通のページにそのうち書きます。
また面白かったのは、僕と「新宿の某店で働く尾崎という名前の人」を取り違えていらっしゃったという方。僕もその尾崎氏を知っているんだけど似ても似つかぬ別人。「金髪でガタイのいい強そうな人」がいるはずなのに、「黒髪で痩せた弱そうな人(僕)」がいたのでびっくりしたことでしょう。しかし僕のホームページの文章や詩などをよく読み込んでくださっていたらしく、「あの金髪でガタイのいい強そうな人がこんなすてきな文章や詩を書くのか!」と驚いたそうな。うれしいです。
苗字が尾崎という以外には共通点などなさそうなものなのに、よくぞ取り違えてくださったものだ。いったいどういう経路で僕を見つけたのか、まったくわからない。でも面白いからなんの問題もない。
なんだかんだお店を出たのは朝の七時くらい。次回は5月17日(日)です。日曜だし今度は閑散かな……お待ちしております。

【おまけの話】
 庚申の日は朝までということで僕も多少いつもとは違う気持ちで臨むし、多少いつもとは違う動きをする。どのように違うのか、というのを今回意識してみたところ、ひとつ確実なことがわかった。特に終電がなくなったあとは、時間がたっぷりあるので、一つ一つの「尺」を長めにとる傾向がある。悪くいえば冗長になるということでもあるが、良くいえばふだんなら無視、軽視せざるをえないところまでケアできるということでもある。ようするにのんびりやれるということ。
 ということは、ふだん意外と「時間にシビア」なのだ。いつ次のお客が来るかわからず、今いるお客がいつお帰りになるかわからない状況の中では、あまり悠長にはやっていられない。もちろん「時間をかけるべきところには時間をかける」ということは最優先するが、あまり時間をかけすぎることもできない、という板挟みの中でバランスをとっていくのが普段の営業である。(このあたり抽象的でわかりにくいと思います、すみません。なんとなくイメージで。)
 庚申の夜はいつもに比べれば多少時間にゆとりがあるので、「時間をかける」ほうに意識をより傾けることができる。「庚申の日は途中からジャッキーさんがテキトーになる」というのはたまに言われますが、それも「時間をかける」をしまくるからなんじゃないか。具体的にいえば、僕がふざける時間がちょっと(けっこう?)長くなるわけである。僕はいつだってふざけているが、ふだんはわりとヒットアンドアウェイでふざけている。ふざけてはもどし、ふざけてはもどし。いつでも動ける「忍者のポーズ」を基本とするわけである。しかし庚申の夜は、必要がなけりゃ戻さなくてもいいか、くらいの軽い気持ちでいるのだと思う。今日は時間がある、と思っているから。
 たぶん、人にふざけさせる時間も長めにとっている。僕は時間を愛しているので、「今日は時間の動き方がいつもと違う、楽しい!」みたいなことをほんのり考えながら、長々と泳いでおりました。

2020/03/19木 →i

 17時から20時くらいまで僕の担当で、それから先はi氏。早い時間に「最近東京に来たばかり」という女性が。そして最近夕刻によくいらっしゃる方。でi氏到着。交代。うまくやってくれ〜と願いながら退出。

2020/03/20金

 ゆっくりと時間が流れる。「存在への対価」の文章を読んだ方から「お金のぶんだけ何か面白いことが起こるのがいいんじゃないか」と、ミッションボトルの変形ともいえる「振る舞いボトル(仮称)」のご提案をいただいた。これはこれで非常にすばらしいし、実際その申し出はたまにある。ちょうど今日(これ書いてる今現在は3月27日)「8000円振り込むからボトル入れてくれ、若い人に飲ませてもいいから」とメッセージが届いた。本州の先っぽにお住まいの方。そういうのはもう本当に大歓迎、お金がないけど夜学に行きたい、という人はたぶんたくさんいるので。
 こういうのはミッションボトルの流れとして(もうちょっと工夫を凝らしたうえで?)制度化してもいいかもしれない。アイディア募集中。それとは別に「存在への対価」は置いておきたい。「存在」という静的なものへの対価は成立しうるのか(またはどうしたら成立するのか)、という思索のための試みなので、もうちょっと寝かせてみたいのである。考えながら。

 夜学バーは僕が立っている日でも25時くらいまでということにしているので、「終電を逃す」という人がそれなりに出てくる。このお店は良くも悪くも帰りにくいと思う。電車が終わったあと、「朝までなんとなくお店にいてもらう」ということは基本的にはない。タクシーやシェアサイクリングで帰る人(お酒を飲まない人も多いお店なのだ)もいれば、どこかで時間を過ごしてから始発で帰る人もいる。何時間も歩いて帰る人もいる。そのあたりについて僕は原則として関知しないが、「どうしたらいいかわからない」という人をポイッとほっぽりだすことはない。いろいろアドバイスをしたり、ちょっとくらいはお店でお話ししたりもする。
 せっかくだから素敵な、もしくは有意義な時間の使い方をしてもらえたらと思う。考え事をしたり、夜の花を見たり。いろいろなところを覗いてみたり。安全には気をつかいつつ。そのように家に帰るまでが夜の学びであればとてもうれしい。

2020/03/21土

 お客少なく、一対一でずいぶん長いこと話した。四、五時間くらい経ってようやくのお客。ご両名やがてお帰りになってぼーっとしてたら0時くらいにお二人連れ。
 感染症流行の最中だが「この三連休は(みんな気を抜いて)街に人が増えている」ということになっていた。しかしこのお店はそうでもない。たぶんみんな、もっと「特別な場所」に行っていたのだろう。日常の場所をめざす夜学バーとしてはこれでいいのだという気もするが、それはつまり「日常が敗北した」ともいえなくない。
 イベントよりも日常を、そして日常にはまず何よりも「健やかさ」を。すばらしき生活をしていきましょう。

2020/03/22日

 昨日よりは人が多かったが、それなりという感じ。このくらいが自然でいいな。
 就活中の若者がエントリーシートの内容について悩んでいたのでみんなであれこれ考える。社会に出たことのある人にとっては当たり前のことでも、その以前の学生にはまったく思い浮かばないようなことはたくさんある。専門的なことや明確に採用されやすくなるようなことは言えなくとも、そのくらいの貢献はこのお店にもできるようだ。相談に乗ってくれた皆様ありがとうございました。
 みなお帰りになり、おかたづけをしていた0時55分、見知ったお客が扉を開けた。「どうぞ」と自然に声が出た。「どうせもうちょっと時間かかるので」と。作業しながら小一時間ほどお話をした。今日中に話したいことがあったようで、よかった。

2020/03/23月

 就活に悩む人もいれば、転職が成功した人もおり、春という感じのこの頃。この日は近所に会社があって帰りによく寄ってくださる方から「三月いっぱいで退職する」とご報告をいただいた。環境を変えてもうちょっと働くとおっしゃるので「ぜひとも湯島で」と言うと、「このへんで探してます」と。や、うれしいことだ。
 三連休あまりお客がないなと思っていたら、なぜかこの月曜日に多かった。やはり「日常の店」として存在できているのかな、とちょっと思ったがまあ誤差の範囲でしょう。
 二日連続、1時ごろにお客が。お二人連れ。またほぼ反射的に「どうぞ」が出た。いろいろのあれこれを話した。現代詩がお好きらしいのでオススメをうかがう。自分が詩を書いているくせにあまり現代詩をよく知らない。近代詩ならそれなりに読むけど。こうしていろんなことを教えてもらえるのは本当にありがたい。

2020/03/24火 k(→あすか)

2020/03/25水 k

 夜の開店前にちょっとだけ寄る。寸法を測って本棚を注文した。この先たぶんかなり暇になるだろうから、たっぷり時間は取れるだろう。4月1日で三周年、ようやくちょっとだけ模様替えします。お楽しみに。やがてk氏来る。世間話する。18時ごろに退出。

2020/03/26木 k→i

2020/03/27金

 都知事が「週末の外出自粛を要請」した。近県もそれに倣った。いろいろなお店の休業宣言がSNSにあふれた。夜学バーはさてどうするか?
 僕は自転車で動くので、お店に来るぶんには感染するリスクもさせるリスクもほとんどない。とりあえずお店には来た。いま27日金曜日の21時15分だが、17時にいつも通りお店を開けて、ここまでいっさい来客なし。
 氷の減り具合や空き瓶の並びを見ると、僕の休んでいたこの三日間もかなりお客は少なかったと見える。従業員のみなさん、お店を守ってくれてありがとうございます、本当に。
 たぶん今後しばらく、少なくともこの金土日くらいは休業同然の売上(ひょっとしたらゼロかもしれない)だと思う。光熱費を考えたら閉めていたほうが経済的ですらあるかもしれない。僕だって休めるときに休んだほうがいいし、感染する・させるリスクは極力少ないほうがいい。
 いまは扉をほんの少し開けて、換気扇を回して、ひざ掛けをして座ってこれを書いている。
 いつもは17時すぎにTwitterへ「開店しました」と投稿しているのだが、今日はそれをしていない。しばらくしないでいようと思う。昨年の10月12日、戒厳令のようだった台風の夜もそうした。
 そのかわり、いちばん上にある固定ツイートのスケジュールは常に最新にしている。そこには今日も明日も明後日も営業日であると、ちゃんと書いてある。

 あとからこれを読む人がいたら、「今」がどんな雰囲気だったかもう忘れちゃってるかもしれないけど、ずいぶんな様子なのだ。僕はおんもじゃなんにも言えません。htmlのこのページは独立して自由、あーよかったなホームページがあって。
 ツイートは「流れていく」ものだけど、htmlは「強固にそこにある」もので、能動的に「見にいこう」と思う人だけが見にくる。少なくとも原則としては。わざわざスクリーンショット撮って載せる人がいたら別だけど、URLを貼られたくらいならまだ軽症。自分から興味を持ってクリックまたはタップしない限りその先は読めないから。しかもその文章は長く、まわりくどい。ふつうの人は「この文章」まで読みはしない。
 こんなところまで読んでくれている人は、もし健康で気が向いたらお店に寄ってくだされば、ほとんど僕と「サシ飲み」状態になると思います、たぶんしばらく。こんなところまで読んでくださる人ならば、きっと誰よりも深くよく考えて自分の行動を決めている人だと信じますので、大声上げず、静かにしっとりやりましょう。消毒液もまだあるし換気もなかなかよいですよ。寒い日は少し寒いけど。

「店はいつも未完了のまま待ちつづけている。そのために、常に街に開いているのが店だ。入りやすさ入りにくさといった按配のみが、ぼんやりとしかし適格に客を選ぶ。」(二十歳の浅羽通明「不可視大学論 序言」より)

 お店は、ネット上におけるhtmlのホームページと同じように、「強固にそこにある」もの。そして、「入りやすさ入りにくさ」のみによって客を選び続ける。「どんなツイートをするか、しないか」も、その操作の一環としてある。「どういう客を選ぶか」が、それによりずいぶん異なってくる。いまは とりあえず「しない」を選択した上で、スケジュールだけをただ書き続けることにする。もちろん、方針はすぐに変わるかもしれない。それも含めて「操作」であり、「動きつづけてバランスをとる」ということ。

 22時、まだお客はなし。飲み干したのは偶然だけど紅茶。静かに待ちます。


【追記 22時以降の動き】
 22時10分(開店から5時間以上経過)に本日最初のお客がいらっしゃり、それからぽつぽつ、計四名。売上としては倍くらいあれば日々の目安に届く。週末ということを考えると三倍くらいほしいが、いずれにせよ「売上」ベースの思考をしている時ではないと思っている。詳しくは明日以降の記事に。

2020/03/28土

 繰り返しになるけど家から自転車で往復しているのでお店に来るぶんには感染拡大にほぼ与していないはず。(「外出している人が一人増える」という事実には加担している。)

 17時に開店。人のいない時はいつも文章を書いたり店の内部を整えたり、本を読んだりなんだりしているので無駄と思うことはない。自宅が「母屋」で、お店は「離れ」のような感覚だ。といって常に誰かが扉を開けるかもしれないという緊張感はあり、家にいるよりはずいぶん疲れる。寝っ転がることもできないし。だから休みは本当に大事。四月以降はどうしようか。どうにかして休みを確保しようとは考えている。

 昨日は5時間お客がなかったが、今日は17時半くらいに来客。それから数時間二人きりだった。じっくりと話す。たぶんこれからこういう日々がずっと続くんだろう。なんて贅沢な時間!「売上ベースの思考」を廃し「関係ベースの思考」を中心にすると、この状況も捨てたものではない。

 そもそも夜学バーの経営方針は「ゆりかごから墓場まで」、たとえば二十歳くらいからお店に通ってもらえれば向こう六十年間顧客でいてもらえるはずだという信念(というか祈り)に基づく。もちろん来店頻度は時期により変わっていくだろうが、死ぬまでこのお店のことは忘れず、何年おきかでも来てもらえるような顧客づくりを心がけている。そのために「奨学生制度」という若く貧する者に利する仕組みはあるのだ。

「目先の売上」を見るのではなく「一人のお客が年老いて死ぬまでにお店にもたらしてくれる利益の総和」を見る。利益というのはお金だけでなく、あらゆる角度からの利益。その人がずっと(何年おきにでも)通ってくれることそれ自体が楽しくて嬉しいことならばそれはそのまま「利益」だし、その人が愛媛に引っ越してみかん農家になってなかなか来店はできないけど毎年みかんを送ってくれたらそれも嬉しく楽しい「利益」だし、その人が有名なピン芸人になってテレビに舞台に引っ張りだこということにでもなれば「アノコはねえ、むかしウチに通ってたんですよお、よく世話したもんですわあ」と言えるしたまにお店に来て「いやー」とか言い合うこともできる、「利益」。なんでもいい。なんでも「利益」。
 この考え方でいえば、「目先の売上」が立ちそうにもない現在はむしろ「投資」の時期かもしれない。気をつけながら足を運んできてくれる少しの人たちとゆっくり話すことも、こうした長い文章を読んでもらうことも、「夜学バーは大丈夫だろうか」と心配してもらうことも、すべて先々の伏線にできる。だからとりあえず、なかばこっそりと店は開けている。

 僕の体力的事情もあるのでずっと毎日開け続けるかはわからないけど、とにかくお店というものは「開いている」ことが大切である。誰にどんな事情があるかわからないのだ。特に夜学バーのような特殊なお店は「開いている」ということをあまり簡単に放棄したくはない。すごくたとえば、「いま誰かに会わなければおかしくなってしまう」という人がいて、その「誰か」というのが「あのお店にいる人」でなければならないように思える場面はあるはずなのだ。それが「感染拡大のリスクを最小限に抑える努力をした上で」行われるのならば、今日この日に外出することを誰が責められようかと思うのである。そのお店は小さくて意外と風通しがよく、平時でさえそうそう混み合わず、大きな声をきらう店主(僕)が静かにリズミカルに切り盛りしている。
 好きなお店がやっていることは嬉しい。駆け込めるお店が開いていると助かる。実際には駆け込まなくとも「開いている」ということ自体が心強さ、頼もしさ、安心感をくれる。お店というのはそういうものなんだと、いろんなお店のファンである立場から思う。

 この日のお客は2名。売上は2800円。明日はもっと多いかもしれないが、0円かもしれない。お店の固定費は15万円くらい。でも僕は永井豪先生の『バイオレンス・ジャック』を小学生の頃に読んでいるのでこう言える。「みんなイシをもて!」


戦う!
負けるのはわかってるから‥‥ 抵抗するっていうのかな‥‥
こういうの‥‥
お おい ムチャだ そんなの
ムチャでもやらにゃー
このままいつもおとなしくとられたら
いつまでたってもサカナはおれたちの口にはいらねー
きょうのサカナはとられるだろう
おまけにケガもするかもしれねー
おっ
だが おれたちからサカナをとるのがひとくろうと知ったら
いずれやつらはもっとラクにとれるところからとるようになる!
あしたもとられるだろう あさっても
だが いつか自分のサカナを食うために‥‥
きょうを戦う!
みんな石をもて!
ゴロ チェーンをめちゃめちゃにふりまわせ

 あんまり関係なさそうだけど、気分はこれ。わりといっつも。

2020/03/29日

 横80cm・縦90cm・奥行22cmの本棚を買った。きのう届いて、きょう組み立てて設置した。ついでにいろいろ整理や掃除など。17時開店で21時半くらいに最初のお客。それからもう一人増え、しばらく経ってもう一人。みんな帰ったあとに後片付けして、せっかくだから1時くらいまでいようかと思ったら0時57分くらいに来客。すごい。小一時間ほど談笑。

「ジャッキーさん(僕のこと)は毎回ようすが違う」というようなことを言われた。それはたぶんけっこう意識しているところ。
 僕は人によって態度を完全に変えている。それは当たり前のことだし、礼儀でさえあると思う。学校の先生をやっているときだって、生徒Aへの態度と生徒Bへの態度は違った。
 世間のイメージとして先生は「誰に対しても平等」であらねばならず、生徒によって対応を変えるなど言語道断、という考え方もあるようだが、僕はそうしなかった。それはもちろん「ひいき」や「差別」ではなくて、「一人ひとりと関係を作る」をやっていたら、自然にそうなったというだけ。
 基本的に、教員による「ひいき」や「差別」というのは、生徒を「分類」するところから始まる。「やりやすい生徒」と「やりづらい生徒」といったふうに類型化している先生は多い。(僕にはそう見えた!)

 お店の人も「すべてのお客に平等」を求められがちだけど、それをしたって誰も楽しくない。「すべてのお客に一人ひとり向き合う」ができれば、それに越したことはないと僕は思う。「いいお客」「悪いお客」とか、「常連」か「新規」かとか、そのように人間をフォルダで管理するような分類をすると、いつのまにかすべての人に対してテンプレートで対応するようになってしまう。

 嫌な教員っていうのはたいてい、生徒を分類し、それぞれにテンプレートで対応している。現場でよくみていたから、よくわかる。悩みを相談されても、「ああ、あの手の悩みね」と勝手に生徒の気持ちや事情を先取りし、「そういう時はネエ……」と優しく語り出す、という場面をけっこう見た。その内容は「すでに用意されているテンプレート」であり、過去にまったく別の生徒に対して語られたものとほぼ同一であろう。それが悲しくて寂しくて悔しくて生徒は泣き出すんだけど、教員のほうは「感動して感激して感謝して泣いている」と思い込んだりする。

 お店に立つとき、お客の「分類」なんてしないほうがいい。ただ「関係」について考えるだけでいい。そしてその「関係」というものも、毎日同じではない。(これは拙著『小学校には、バーくらいある』で言うと、「学校、きてんじゃんか」の章が参考になります。)
 さらに、ある人との「関係」は、その人と二人きりの時と、ほかに誰かがいるときで違う。その誰かが誰なのかによっても違う。その場にいる人の組み合わせによって、関係はきっちり変わる。組み合わせが同じであってさえ、無数の要因があって変わる。
 夜学バーはそのようなことが自然(あたりまえ)であるような場をめざしていて、「複数の人に同時に話しかける」というのは、そういった場を成り立たせる最低要件のようなもの。「一対一の会話」しかしないでいると、その閉じた関係は固定的になる。するとそこに別の人がいたとしても、入っていけない。
 少しわかりにくくなってきてしまったけど、わかってもらいたいのでもうちょっと書いてみます。


 バーテンダーがいて、カウンターに三人のお客がいる。このとき、バーテンダーが客Aと「一対一の閉じた会話」をしていると、客Bと客Cはそこに入れない。また、バーテンダーが客Bと「一対一の閉じた会話」をしているとき、客Aと客Cはそこに入れない。
 多くのバーテンダーはこのように、「客Aとの関係」「客Bとの関係」「客Cとの関係」と三つの関係を個別につくる。それらはすべて「固定的な関係」である。「バーテンダーと客Aとの関係」は出来上がっていて、崩したくない。この関係にとって客Bや客Cの存在はノイズである。
 バーテンダーと客Aが話しているところへ、客Bが話しかけると、「バーテンダーと客Aとの関係」はいったん崩され、「バーテンダーと客Aと客Bとの関係」というちょっと複雑なものへと組み替えられなければならない。これを面倒に思う人は、けっこういる。
 せっかく固定的で単純な「二人きりの関係」を作れたのに、なぜ「三人の関係」という新しいものを作る面倒をわざわざ引き受けねばならないのか? そう思う人はけっこう多くて、それを嫌うお店やお客はけっこうある。
 バーやスナックといった小さな飲み屋においては、基本的に「一対一の閉じた関係」が好まれる。それが一番かんたんでトラブルが少ないからだと思う。しかしお店に通うことの醍醐味は「ほかのお客と関係を築く」であろう。そのためにはどうするか?「常連」という概念に頼るのである。

「バーテンダーと客Aとの関係」の中に、もしも客Bが入り込んできたら、どうするか? このバーテンダーは、「客Aに対する態度」と「客Bに対する態度」とを分けている。「客Aとの関係」と「客Bとの関係」は彼にとってずいぶん違った種類のものなのである。不器用なバーテンダーは「三人の関係」の中でどのような態度をとっていいかわからない。「新しい態度」の構築が得意でないのだ。あらゆる関係性に合わせて態度を決めるには「無数の態度」が必要になるが、その引き出しが彼にはない。
 どうしよう? かんたんなこと。「バーテンダーと常連の関係」として一本化してしまえばいい。つまり、客Aと客Bとをまとめて「常連」として分類(カテゴライズ)してしまえばいいのだ。そうすれば「常連に対する態度」と「常連でない人(たとえば新規とか初見と呼ばれる存在)に対する態度」の、大きく分けて二種類の態度が使えれば良いわけだ。
 客Aがすでに「常連」で、客Bがそうでないとしたら、客Bを「常連」にしてしまえばいい。そうしたらバーテンダーは、「常連に接する時の態度」で客Aにも客Bにも接すればいい。同じ態度をとれる。なんの工夫もいらない。じつに楽である。
 その手順は、まず「客Bとの一対一の関係」の中で、「バーテンダーと常連の関係」をつくることから始まる。そのあとになってはじめて、「客Aと客B」とを同時に相手することができるようになる。どちらも「常連」なので、もう困らない。


「常連」という概念は、そういう利便性があって好まれているのだ。あまりに単純化した物言いに聞こえるかもしれないが、本当にこういうふうなことは多い。かなり多くのお店に行って、観察してきた上でそう思う。
 同じ仕組みのことは社会のあちこちにある。「一人ひとりと関係を作り、その組み合わせに応じて柔軟に態度をえらぶ」というのはそれなりの能力やキャパシティが要求され、なかなか億劫なもの。だから「常連」とか「友達」「仲間」といった言葉でもって、態度を一本化しようと努めるわけだ。

 もちろん僕はそのような「常連」という概念が好きでない。お客を「分類」することになるからだ。人を分類して、その分類に則って態度を決定するというのは、誠実な態度ではない。

 ただ「関係」について考えるだけでいい。そしてその「関係」というものも、毎日同じではない。(中略)さらに、ある人との関係は、その人と二人きりの時と、ほかに誰かがいるときで違う。その誰かが誰なのかによっても違う。その場にいる組み合わせによって、関係はきっちり変わる。組み合わせが同じであってさえ、無数の要因があって変わる。

 つねに「新しい関係」を作りつづけることを面倒くさがらない、というのが僕の積年のテーマであり、夜学バーの根本理念。三人で話しているところへ、新しい人が入ってきて四人になったら、「三人の関係」はいったん崩して、「四人の関係」を新しく作る。
 もちろんそれは「新しい人がきたんで、もっかい自己紹介しましょうか」などという不自由な展開にしようというのではない。何が不自由かというと、その四人目の人が会話に参加するかどうかは、その人の自由なのだ。四人目の人が、どのくらいの距離感でこの同じ場を共有するのか、というところから考え始めるのが、「新しく作る」ということである。決して「もともとあった関係に入れてあげる」ではない。それこそ「常連の発想」であろう。

 ずいぶんと遠くまで来てしまったようだが、ようするに僕のようすが毎度違うように見えるのは、「その場」に応じてつねに態度を変えているからだ、と思いたい。それが同じ人(同じお客の組み合わせ)であっても、座っている位置によって変わってくるだろうし、お互いのコンディションによってもめっきり変わる。「〇〇さんに接する時の態度はこう」とか「常連に対してはこう」「初めて来たお客に対してはこう」というふうに、あらかじめ決めていることは何もない。毎日リセットして、新たにゼロから「関係」を考えつづけたい。

2020/03/30月

 支えられております。やや重なる時間はあったもののほぼ、サシノミ、サシノミ、二人連れと僕、という三部構成。ゆったりできて良い、というのはもちろんながら、基本が一対一であると昨日書いたような「複数の人に同時に話しかける」は出番がないし、予想をこえた化学反応(この表現、もうちょっとカッコイイのないかなあ)も起こりにくい。どっちもバランスよくあると良いな。

 少人数(とりわけ一対一)で同じ場にいると、やたら話が深まっていくことはある。この日とくに面白かったのは、ごく単純にいえば「生存」と「楽しさ」のバランスをどうとるか? というようなこと。短い言葉ではなかなか表せないけど、「生存を重視すると楽しさが減り、楽しさを重視すると生存が危ぶまれる」という傾向が世の中にはたぶんある。これをどうにか打ち破るか、あるいは飲み込んだうえで可能な限りバランスよく両立させるか。僕はおそらく、楽しさを土台にして生存を掴み取ろうとするタイプ。逆のタイプの人もいるだろうし、ぜんぜん別って人もいると思う。
 いま僕は「楽しさ」の上に立って神経を研ぎ澄ませ、「生存」のありかを見極めようとしている……みたいなカッコよさげな表現を考えてみたけどあんまりうまくないや。楽しさベースの人間にとって生存は当たり前のことではない。だからこそ誰よりも生存について真剣に考えなければならない。そして信じるのは、そういう人にこそ「生存の本質」がよく見えることだってあるということ。遊びの上手な人が、意外と勉強もできてしまうように。なにはともあれ、今現在めちゃくちゃ「生存」のことを考えております。だって、そうじゃなかったら「楽しさ」が足元から崩れていってしまう。
(念のため、この「生存」というのは自分ひとりのことではないです。みんなものこと。)

2020/03/31火 →あすか

 自粛要請のあとの四日間(27金〜30月)はやはり閑散としたものの、思ったよりは来客があった。四人、二人、四人、四人。「こんな時こそ」と(諸々に気をつけつつ)来てくださったのだと思う。28日の売上が2800円だったというのはすでに書いたけど、それ以外の日は6000円〜8000円くらい。ぎりぎり家賃は払えるでしょう。(僕の収入はほぼゼロでしょう。)
 本来は平均15000円〜20000円くらいが望ましく、金土を含んでこれはたいへんつらい。といって、あまりお客が多くても感染リスク心配度数が上がるので、しばらくは引きつづきそれなりのペースでゆったりやれれば。

(なんでこんなにお金の話をするのかといえば、そりゃ単純に、気になりませんか。「経済的な打撃」がいかほどなものか、ということを。そして、あるお店はそれをどのようにとらえ、どう受け止め、どう動くのか、といったところを。)

 そして今年度最後の31日。早い時間にお一人いらっしゃって数時間お話しする。そこにお一人。先にいらっしゃった方帰る。そこにお一人。お一人帰る。交代予定の従業員あすか氏22時ごろ到着。もうお一人帰り、あすか氏と二人きりになってしばらく話す。お一人いらっしゃる。あすか氏にカウンター入ってもらう。そこへもうお一人。23時すぎに僕帰る。そこから先はわからない。
 お客五名とあすか氏で、わりと来客があった気はするものの、同時に店内にいたのは(従業員含め)三名が最大。いっときだけ四名の時があったが、そのタイミングで僕が退出。
 今日はほぼずっと換気扇をつけて扉をやや開けていたが、ちょっとだけ冷えた。あと少しあったかくなったら常時換気にできるはず。(「生存のことを考える」というのはこういうようなことです。)

 たまに「常連さんが多いんですか?」とたずねられる。「初めてのお客」よりも「二度目以降のお客」のほうが割合としてずっと多いのは確かである。(それはリピーターが多いという解釈でいいと思う。)ただ「初めてのお客」が週に何人か(多ければ十人とか)来ていることもまた確か。「夜学バーに行ったことのある人の数」は、着実に増え続けております。
 そんななか27日以降は「初めてのお客」が一人もいない。そりゃそうだろうという感じではある。もしのっぴきならない理由や単純な好奇心などで夜学バーの様子を覗いてみたくなったら、ちょっと見学して「ありがとうございますまた今度きます」で誰も怒りはしません(むしろ面白がる)から、適当にご利用ください。

 いちばん上へ 最新へ 文章へ トップページへ