文責は番頭(Jacky)。夜学バー日録。
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 バーやスナックはある種の秘境で、入ってみるまではどういう空間なのかわかりません。なんたってそこが魅力です。「秘密」や「謎」というのは、なんだってそれだけで人の心をくすぐります。入りづらそうなバーにこそ、入ってみたいと思ってしまうものです。(僕はそうです。)
 訪れたことのあるお店でも、日によって表情はかならず変わり、ある日の様子とべつの日の様子は全然違います。また、当たり前ですが自分がいなかったときのお店の雰囲気や出来事というのは、知ることができません。
 そのほうがやっぱり魅惑的だし、いろいろと騒動も少ないから、太古よりそうなっているのでしょう。
 ましてや現代、インターネット上で「今日は〇〇さんがお店に来ていた」と書けば、その日の〇〇さんの行動がバレバレになります。たったそれだけで、〇〇さんはなんらかの形で不自由を、または不利益を被りかねません。「あなた! 仕事だなんてウソついて、バーなんかに行っていたのね!」とか。そういう具体的なことでなくとも、自分の行動が意図せずどこかに残留してしまうのは、イヤな人にはイヤなものです。
 バーやスナックというのは未来には数少ない、「公開」を前提としていない場所、になっていくのかもしれません。(もちろん、公開を前提としたようなお店もたくさんあるでしょうが。)

 そういうことで、この夜学バーという小さなお店も、その日の営業の様子をインターネットを通じて発信することは、極力避けるように努めています。公式ツイッターに載せることは必要最小限、訴求力(宣伝力)のありそうなことに絞っているつもりです。会話の内容とか、どんなことが行われているか、どんなドリンクが注文されたか、どんな人が来ているか、何人くらいのお客さんが来ているか、ということは、あんまり書いていません。書くときは「夜学バーらしさのアピール」や「ブランディング」(!)を意識したときです。たまに「お客さんがいないよ〜」といった泣き言めいたことを書くこともありますが、さみしすぎてついつい本音が出てしまったのでしょう……。(これらは、「j」という署名があるツイートに関しての話です。)
 また、「訴求力がある」ことなら何でも書いてしまうのかというと、さにあらず。たとえ黒柳徹子さんがトツジョ来店しても、ご本人が公にそのことを表明しないうちは、こちらも書くことはないでしょう。お店のなかでは「じつはここだけの話、こないだ徹子さんが……」と思いっきり自慢するかもしれませんが、おそとでは言わない。そういうふうに、バーというものは「秘境」としての機能を守っていかなければならないのです。

 ではなぜ、この「ジャーナル」と名付けられたページをわざわざ作ったのか。「どんな秘境だって、たまには空撮くらいされていいだろう」という感じです。「アマゾンの文明未接触部族をドローンで撮影!」というような。(個人的には、『大長編ドラえもん のび太の大魔境』でヘビースモーカーズフォレストの中を空撮する場面のドキドキ。)

 無数にきらめく夜のお店。その中でそれぞれに毎夜、いろんなことが起こっている。そしてそれが、ほとんどすべて秘密の中にかくされている……そういう面白さの、わずかな一端を、ほんの少しでも覗き見してもらえたら、と。

 夜学バーというお店で日夜、どんなことが行われているのか。その全貌は誰にだってわからない。僕だって毎日お店にいるわけではないし、いるときでも見えていないことも多いはずです。ましてや、インターネット上でこのお店の存在を見つけて、未だ足を踏み入れたことがない、という人には、まったくなんにもわからないでしょう。
「わかんないけど、とりあえず行ってみよう」という人もいるでしょうし、「わかんないから、もうちょっと様子見だな」と思う人もいるでしょう。「わかんないから、まあべつにいいや」もあるかもしれません。このページが「様子見」の材料になればいいし、「わかんない」が「もしかして、こういうことか?」くらいになって、「ちょっと実際見てみよう」になればいいな、と願って、ちょっとだけここに毎日の記録を書いてみます。

 僕がお店に立っていた日のことだけを書きます。秘境性を保つため、ほとんどのことは書きません。とくに、後々なにかの「証拠」として機能しそうなことは避けるようにします。夜学らしく、起きたことよりも僕が考えたことを書くと思います。それでちょっとでもお店に興味を持っていただけたら。あとは、読み物としてある程度成立するものをめざします。
 タモリさんはかつて『笑っていいとも』について、「反省はしない」と長続きの秘訣を語っていたそうです。僕もずっとそういうスタンスでやってきました。10年くらいお店をやっていて、記録をとったことはこれまで一度もないし、反省らしい反省もほとんどしません。店を閉めた瞬間に、その日にだれがきていたか、ということさえ思い出せなくなるのです(本当です)。だからこのジャーナルなるものも、きっと「記録」や「反省」にはならないでしょう。
 とりあえず試験的に、こっそりとやっていきますね。
(2018/09/16 02:22)


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2018/09/14金
 10代の頃から顔を見せてくれている人たちが、「20歳になったので」と3人でお酒を飲みにきてくれた。(学校等の教え子ではありません。)
「誕生日祝いのカクテルをつくってください」と無茶振りをされたので、「誕生酒」というのを調べたところ、「ジャック・ター」だった。これはあるお客から何度か注文を受けて作ったことがあるので知っている。横浜発祥のカクテルの名で「水夫」を意味するそうだが、僕にとってジャック・ターといえばフリッパーズ・ギターというバンドの『ヘッド博士の世界塔』というアルバムだ。その宣伝資料にこうある。


《81. このアルバムはJack Tarr(1930-1961)の小説 "Doctor Head’s World Tower" にインスパイアされて作られた。その一節 "Don’t be afraid to lose control.. and control is the name of our game."(主人公とヘッド博士が初めて会う場面での博士の言葉)が、インナージャケットの右上に印刷されている。ジャック・ターはケン・キージー率いる"メアリー・プランクスターズ"の命名者だった。ウイリアム・バロウズの生涯の恋人だった。》


 まず間違いなく、これは出まかせのうそっぱちなのだろうが、当時の小沢健二さん(おそらく彼が書いたと考えられる)が知ってかしらずか筆に起こすくらいには、パンチのある名前ってことだろう。
 ただこのカクテルはロンリコ151(ラム)とサザンコンフォート(度数の強い海外版を使うらしい)とライムジュースからなり、ものすごく度数が高い。「あんまりお酒が強くない」とのことだったので、苦心のすえ「ジャッキー・ター」というオリジナルカクテルをてきとうに作成。クラッシュアイスにサザンコンフォート(度数の低いほうのやつ)を注ぎライムを絞って入れてジンジャーエールで割ってセブンシーズ(香りのよい国産ラム)を垂らして意味もなくチェリーを乗せストローを刺して出す。とてもおいしいと僕も思うし評判もよかったのだが、ジンジャーエールを入れてしまえばたいていのものは甘くておいしくなるのだ! クラッシュアイスとチェリーとストローは味以上に「それっぽさ」の演出という側面が強い。僕のような者にはこのあたりがまだ限界である。
 そして誤解を避けるために明言しておくが、夜学バーというのは基本的にこのようなこと……つまり「リクエストを受けてカクテルをつくる」ということが真顔で横行するような場所ではなく、それなりにイレギュラーな事態でありますのだ。お酒ならばビールとか日本酒とか焼酎とかウィスキーとかジンとかウォッカとか泡盛とかをストレートとかロックとか水割りとかソーダ割り(ハイボール)とかオレンジ割りとかで出したり、カルアミルクとかカシスウーロンとかカンパリオレンジとか有名なカクテルをさっと作ったり、めずらしいお酒に「めずらしいですね」と言ってもらったり、コーヒーや甘酒や日本茶や紅茶やトマトジュースやほの甘いカルピスをおいしくいただいていただいたり、するのが大概である。ワインはあったりなかったり。常駐は検討中なので詳しいかたご意見ください。木曜のsue氏はワインに明るいのでときどきいいのがあることも。
 金曜だからとて混むこともなかったものの、入れ替わりつつ常に何人かいた印象。よく「金曜だから混んでるだろうと思って」と言われるけど、意外とそういうこともなく。今のところは、どの曜日もだいたいゆったり。たぶん、「木戸銭1000円(奨学生は500円)」という設定が、そのくらいの感じに調整してくれているのでしょう。どの日も、もうちょっときてくれたらいいなあ……というのが本音なくらい。
 笑い上戸のひとがいておもしろかった。

2018/09/15土
「夜学バーを卒論の研究対象にしたいので、3週間ほど開店から閉店まで常駐させてください」と申し出てくれた学生がおります。調査期間は9/7(金)〜28(金)、今のところ本当に毎日(僕の当番でないときも!)欠かさずやってきてくれています。なんと殊勝な。
 常に店の隅っこに座り、メモをとったり、会話に参加したり、たまにおつかいに行ってもらったりなどしています。彼女なりにいろいろ考えることはあるようだし、お客がいないときはいろいろ二人で話しているのですが、その成果は卒論の完成を待ちましょう。お店用に一部、つくってもらう予定です。
 お店をひらいて2年目に学術研究(!!)の対象になるなんて、夜学バーなるものも捨てたものではないですね。とてもうれしい。そういえば去年、某大学某学部某学科の某授業から取材を受けていて、いずれ冊子になるはずなんだけど、大幅に遅れているらしい。お蔵入りしないことを望む……。(僕の人生、そういうことが多いのです。)
 今日はゆったりとした営業。いろんな意味で緊張感がなかった。なんか知的に面白い話をけっこうしたのだが、思い出せないので書かない(書けない)。
 対機説法についてあらためて考えていた。

2018/09/16日
 17時開店なのにフードメニューが貧弱すぎるのをなんとかしたくて、でも僕は性質として「甲斐のあるもの」しか作れない。平たくいうと、心の底からウキーとなるくらい好きなものでなくては、作る気にならない。これはワガママというよりは本当に性質だし、店で出すとなれば美意識にも関わってくる。というのもここでいう「好き」というのは味というよりも存在、概念として好き、ということなのだ。
 オープン当初からメニューに入れている小倉トーストは僕にとって「甲斐がある」ものだ。18歳まで名古屋で育ち、今でも一年の30〜40分の1くらい(?)を名古屋で過ごす。その名物、というか日常である小倉トーストは、作っているだけで幸せな気分になるのである。「ああ、名古屋……ふるさと……」と思うのである。かつて喫茶店を営んでいた祖母も、店で小倉トーストを出していたので、その想い出もワアっと浮かぶ。小倉トーストなら、どれだけ作っても苦ではない。ちなみにパンは湯島にある「パスコショップ レピ」というパスコの直営店(なんと店舗で焼いている!)から買うことにした。パスコは名古屋の企業なのである。肝心のあずきは、名古屋でよく見る井村屋(三重県津市)のゆであずき。バターはふつうの北海道バター。マーガリンが主流かもしれないけど、少しぜいたくに。
 しかし小倉トーストのような甘いものばかりではいけない、ということでいま試作しているのが「名古屋ふう鉄板ナポリタン」。……今日は短く済ませようと思ったのにもう長くなってしまった。鉄板ナポリタンのことを語り出せば果てしないのでいつかの機会にいたします。今日は二食つくって、一食は自分でたべ、もう一食はお客さんに食べてもらった。
 昼は武富健治先生による漫画『鈴木先生』の精読会だった。参加者はまだ多くはないけど、ページを一枚一枚めくりながらあれやこれやと話し合うのはとても楽しい。夜学にきたことがきっかけで『鈴木先生』を知った、という方もいらっしゃって、こんなにうれしいことはない、という気分に。
 夕方から通常営業に切り替わり、昼と夜のお客が混じり合う。「会」と「通常」の境目はできるだけないほうがよい、と考えていて、今日はうまくそうなっていたと思う。

 相変わらず、振り返ろうとしても今日のことがもう、ぜんぜん思い出せない。営業を終えたばかりだというのに。なぜそうなのか、という理由がいまふと思いついたが、いつか書くことにする。

 思い出すためのメモ→「その都度の、瞬間瞬間のことを考えている。リズムに乗っている。」

「言語をすり合わせる」≒「自分と他人との言葉の使い方、思考の手順、考え方などのズレを前提とし、どこがずれているのかを客観的に把握して、お互いに適宜調整、確認しながら話す」みたいなこととか、「新奇性や意外性がない」ということに関してとか。

2018/09/18火
 柿のおかしをいただいた。僕ほど柿好きを主張する人も珍しいであろうからどうも柿を見ると僕を思い出すという人が相当数いるらしい、ありがたいことです。
 ところで、「夜学バー」というのは学ぶ場であって決して難しい話をするための場ではない。でも、誰かが「難しい」と思うような話になってしまうことは、当然ながらある。どんな場でだってあるだろう。
 そこで大切になってくるのは、「その場にいる人みんながおおむね理解できるような話し方に努める」という感覚や、「難しいと感じることをべつに苦だとは思わない」という感覚、とかかなと思う。
 まず、誰かが「難しい」と思うような話し方は、できるだけ避けたほうがいい。しかし「難しい」と思ってしまうことは、絶対にある。そのとき、「難しい、自分がばかだからわからないのだ(自分のせい)」と思ったり、「難しい、なんやねんこいつ!(相手のせい)」と思うよりも、「難しい(べつに誰のせいでもない)」とだけ思ったほうが、平和なはず。「難しい、でもそのうちわかるかもしれないし、わからなくてもべつに問題はないよな。まあわかったら嬉しいから気が向いたらまたなんとなく考えてみるかもしれないが、とりあえずいまは忘れてしまってもいいや」くらいの温度で、「ンまあ」くらいで置いておけるような軽さが、肝要と思う。
「夜学バー」と名付けたのは僕だけど、「勉強バー」「学問バー」「学習バー」「教養バー」「知識バー」といった名前にだけは、したくないと思っていた。「学」だけで十分なのだ。
「学ぶ」というのは、ものすごく広い概念のはずだ。僕は、「考える」という行為をちょっとでもすれば、それで「学ぶ」の要件は満たしているのだろう、と理解している。あるいは、「感じる」や「知る」をちょっとでもすれば、「学ぶ」でありうるのかもしれない。その精度とか純度とか、役に立つ度といったものは、あったとしても。

 結果として、なにか役に立つようなことができるようになる、ということが、すなわち「知恵をつける」ということなんだと思う。(「役に立つとはなんや?」というのは、今は考えないこととします……。)
「難しい」も「簡単」も、「わからない」も「わかる」も、すべて学びの一環であって、知恵をつけるという道すじの上にある。だから、べつに「難しい」や「わからない」をこわがることはない、のです。
 なんだかよくわかんなくって「ふうん」と受け流してしまっても、その「ふうん」がすでに十分に、学びだと思っていいんじゃないか、と。たとえばとても単純な話、「あーこりゃわかんねえな」と思う対象のサンプルが得られた、ということでもあるのだし。
 夜学バーというお店の理想は、「ここにくると、なんだかちょっとだけなにかがよくなる」というくらいの場になること。遅々とした学びでも、あるいはその場では何も学べていないような気がしても、なんとなく長い目で見たらいつかは知恵につながっていくようななにかが、あるような場所になればいいな。
 そういう意味で、このお店は本当に誰にでも……そういう意味での「学ぶ」ということを尊しと思ってくださる方ならば誰にでも、開かれているはずだと信じております。
 ちなみに「知恵」という言葉を使っているのは、広中平祐さんという数学者の影響です。(本読んで、その気になっていた。)

2018/09/19水
 はじめとおわりにはお客がいたが、まんなかの3〜4時間は僕とくだんの「卒論の子」とふたりきりだった。
 お店をやるには、孤独を楽しめると楽だ、と思う。
 これを書いている今は20日の午前10時42分、愛知県にある西春という駅の、コマツヤという喫茶店にいる。僕が入店したときにお客は僕一人であった。つまり僕が入店する直前、お客はひとりもいなかったことになる。
 けっこう繁盛しているお店でも、お客が一人もいないタイミングというのはある。時には何時間も誰もこない、なんてこともある。夜学バーはまだまだ「繁盛」には程遠いお店だから、そういうことは頻繁にある。(どうにかしないと。)
 そういう時間は当然、孤独なわけだけれども、それを楽しめる、というか、少なくとも苦痛を感じずにいいられる、というのは、おそらく一つの才能だ。僕はそんなとき、本を読んだり、音楽を聴いたり、おかたづけをしたり、ぼんやりと虚空を眺めて架空のたばこをふかしたりする。(僕はたばこを吸わないので、ありもしない幻想のけむりを出し入れし、もって手持ち無沙汰の解消にあてるのである。)
 じつに愛おしい時の過ごし方であるが、それが1時間、2時間となってくると、「この店は潰れるのではないか?」という焦りが首をもたげてくる。しかしその焦りすら、だからといってなんだということもなく受け流せてしまう、というのもまったく才能というやつだろう。
 そこで焦りをパワーに変え、一発逆転の名物メニューや広報戦略でも思いつき、目下の暇を利用して地道にでも着実に改革していけば、繁盛店への道は開けるのかもしれない。しかし、やはり僕は架空のたばこをぷかぷかとやってしまう。これは才能というのか? むしろその逆のような気もする。でも、僕だってただ無為にぷかぷかするのではない。いつもなにかを考えている。たとえば、夜学バーにとっての「繁盛」というのは、いったいどの地点にあるのか? とか。
 このお店は、悲しいけれども儲けるためのお店ではない。儲けるためにはお客の回転率を上げるか、客単価を上げるのが手っ取り早いのだけれども、そのための努力を単純にすれば掲げた理想やコンセプトから離れていってしまいかねない。そこを担保したまま利益だけを上げていくのはものすごく難しい。「それなりには儲かりつつ、保つべきところはきちんと保ち、さらに楽しくなるように仕向けていく」というのが至上命題なわけで、そのバランスのとりかたを考えるために……やはりぷかぷかとするのである。(重ねて言いますが、わたくしはたばこをすいません。)
 ゆっくりと、まあもうちょっとくらい急いでもいいような気はしますが、考えつつ少しずつ、夜学バーをおもしろいと思ってくれそうな人のところにこの店のことが届くように、そして「いい人たち」がちゃんと「いいじゃん」と思ってくれるようなお店になるように、流動していきたく存じます。
 有名になればいい、ということではないし、お客がたくさんくればいい、というわけでもない。かといって、「仲良し集団」や「同好会」や「コミュニティ」が作りたいのでもない。むしろそういったものとはできるだけ距離を置いていたい。お花見やバーベキューなんて、絶対にしない。周年イベントもしたくない。そのへんのことについては、機会があればまた。
 夜学バーにとっての「繁盛」というのは、まずは「持続可能な形で、楽しく実りある学びの場になっていること」だろう。では「楽しく実りある学び」とはいったいなにか。それはもう、結局のところわからないので、考え続けるしかない。それで僕はまたぼんやりと虚空を見つめて、架空のたばこをぷかぷかとやり、またこのように無為みな文章を書きつづけるのであります……。

2018/09/21金
 金曜だからといって人が多いというわけではない。本日は4人。そんなものです。

2018/09/22土
 昼は小沢健二さんの歌詞を精読する会。やや盛況。遠方から来てくださった方も複数名。『夢が夢なら』という曲について話す。「孤高と協働」(『フクロウの声が聞こえる』より)というフレーズがぴったりハマるな、と話しているうちにふと思った。この会がなければ、またこのメンバーでなければ一生そう考えることはなかったかもしれない。それだけでも僕にとっては意義のある時間だった。また「行きつ戻りつ」と「たゆたう」に注目した方がいて、そこからかなり話が広がった。
 ちなみに、この会に参加するメンバーはかなり流動的で、毎回必ずくるというような人はほとんどいない。いつも顔ぶれが違うので、毎回ちがった刺激が得られる。小沢健二さんに興味のある方は、ぜひいちど。
 夜は浅羽通明先生による星新一を読む会。昼から引き続き参加してくださった方も。浅羽先生はもう、重要文化財のような人間なのでこちらも興味あれば一度はぜひ。
 ちなみになぜこの方には常に「先生」をつけるのかといえば、十代のころ大学で講義を受けていたからで、他意はありません。僕にとって浅羽先生は永遠に先生です。

2018/09/23日
 藤子・F・不二雄先生のご命日。メロンパンを差し入れてくださった方がいた。ドラミちゃんの好物である。偶然であろう。ちなみにF先生とドラミちゃんは誕生日が1日違いです。
 バラエティに富んだ顔ぶれで楽しかった。普段ならまず話すことのない相手と話せる、というのがバーのような場のよいところだが、夜学バーはとりわけ、面白い組み合わせになることが多い、と、思う。もっとそういうふうにしていって、そうであることを売りにしていきたい。

2018/09/25火
 庚申の日なので29時まで営業。実際には6時30分くらいまでお店にいた。庚申について書くと大変なのでまた次回にでも詳しく書きますが、要するところ「60日にいちどみんなで徹夜する、という風習がかつてあったので、夜学でもそれをやってみている」ということです。
 高校生から前期高齢者まで、やはり多様な顔ぶれがそろう。昨日も、中国古代料理と古詩をふるまってずいぶんと盛況だったようだけど、今日もそれなりに。でも「混んでいる」という感じもなく、常に数人はいた、という感じ。一晩のお客の合計が1〜4人くらいのような日も多いが、7〜10人くらいの日もけっこうあって、そのくらいだとちょうどいい。11人以上となると、忙しかったなあ、という気持ちになる。
 ちょっとわかりにくいことを書きます。僕の基本的なスタイルは「問題を感じた場合、できるだけ様子を見ながら調整をこころみ、ぎりぎりのところまで直接的な介入はしない。しかし最終的には良き人にとって良くなるように(ひいてはこのお店が良くなるように)全力をつくす」です。
 様子を見すぎて、短期的にはちょっと良くなかったかもな、というようなこともけっこうあります。よく反省して、長期的には良くなるように努める、というわけです。がんばります。

2018/09/26水
 昨日「7〜10人くらいの日もけっこうあって、そのくらいだとちょうどいい」と書いていますが、今日はまさに7人+「卒論の子」で、たしかにちょうどよかった。この店の客単価は500円から始まって高くても5000円くらい、平均は2000円ほどではないかと思われるので、そういう意味でもちょうどいい。日に15000円くらいうりあげればとりあえず存続できそうなので。(このへんの金勘定バランスについてはいつかなんらかのかたちで公開し、こまかく分析してみたいところ。)
 僕は、世の中に「こういう店」が増えたらいいと思っております。「こういう店」というのが何を意味するのかはわかりませんが、ともあれ、ということは、その一端である夜学バーが「一例」として経営方法や理念、収支などについて公開しておくことは後発のお店にとって意義のないことではないだろう、と思うわけです。我が旧友のせかいさんが未来食堂でやっていることと同じですね。
 このお店の関係者や、僕の友達に、「そういうお店」をやろうと思っていたり、すでにやっている人がにわかに増えている。「そういう世の中」に少しずつなっていく兆しかもしれないので、大切にあたためていきたい。

2018/09/28金
 前回客単価の話をしたけど、きょうは「奨学生」やボトルキープの方が多かったので、平均1500円くらい。でも人数はそこそこ(7〜10人の範囲)きてくれたので、そんなに悪くはない。
「ネットで見て気になって」という大学生が、ここんとこ何人かきている。こういうのはほんとうにうれしい。たまたま看板を見かけて来てくださるのもうれしいし、誰かに紹介されて来てもらえるのもうれしい。なんでもうれしいが、やはり「ネットを見て」と言われると、店名とかHP、Twitterのやり方は間違ってはいないようだ、と励みになる。素敵な人が多いんで。
 某氏の卒論調査はこの日でいったん終了。いつも通りに店を閉める。

2018/09/30日
 昼間は浅羽通明先生の星読B。台風をおそれてJRが20時以降止まる、ということで17時くらいからお客さんが順次お帰りになり、18時過ぎには僕ひとりに。それから0時30分くらいまでお店を開けていましたが、だれもきませんでした。台風は0時くらいにやっときて、いま(午前3時半ごろ)おさまってきた感じです。風はまだそれなりに強いですが、雨はやんでいます。
 なんだかいろいろ思うところあって、自転車で築地まできています。今はジョナサンで休憩中。1時半くらいに着いたのですが、築地市場をちらりと見たら、たくさんの人たちが働いていました。ここもあと1週間くらいで使われなくなるのです。これから「愛養」というステキな喫茶店に行ってきます。築地市場内にあって、3時半に開店するのです。やっているかな。いろいろなことは、あとでまた、どこかに書くかも。

2018/10/02火
 開店当初からずっとお店に置いてある小沢健二さんの『うさぎ!』を手にとって、じっくりと読んでくださった方が。「小沢健二さんって文章も書いてるんですか? 読みやすい、面白い!」と、気に入ってくださったようで何より。「また読みに来ます」とのこと。そういう利用の仕方も大大歓迎、とてもうれしいです。
 いちおう、『うさぎ!』シリーズはほとんど置いていると思います。『企業的な社会、セラピー的な社会』なんかも含めて。あとは単行本が何冊かと、「子どもと昔話」がズラッと(『うさぎ!』の掲載されたものは全号)あるので、そこでだいたいカバーできているはず。興味のあるかたはぜひとも。

2018/10/03水
 この2日……いや、台風だった9/30の夜も含めると、直近で僕の担当した3日間はお客がなんと合計4人(!)。いつもはさすがにこんなにおとなしくないのですが、まあこういうタイミングもあります。お客は多ければ多いで、少なければ少ないで楽しいし、それぞれ独特の動き方をするので、むしろ退屈しません。
 最近、八代亜紀さんと谷啓さんに凝っているので、お客がひとりもいない時間はずーっとお二人の曲だとかを聴きつつ、八代亜紀さんや谷啓さんの本を読んだりしていました。今日は谷啓デーで、CD(アルバム3枚、シングル2枚は持っている)やYouTubeの演奏動画などを流しつつ、エッセイ集『ふたつの月』を読んでお客を待つ。途中からやや趣向を変えて向井滋春さんのトロンボーンをずっとかけていました。トロンボーン、とても好きな楽器です。
 というようなことを書くと、番頭と名乗るjとかいう者の年齢がわからなくなってくるかもしれませんが、半田健人くんと同い年です。僕は誕生日まだですが!

2018/10/05金
 バーやスナック、クラブなどはなぜかむしろ金曜が空いてたりする……というのは、最近複数の同業者さんから聞いた。「うちも意外と金曜が弱くて」と。夜学バーも金曜が意外と静か。今夜は5人お客さんがいらっしゃったが、すべての方と(長かれ短かかれ)二人きりの時間があった。なかなか珍しい事態である。おかげでゆったりとできた。
 やはり、金曜はほかの予定が入っていたりするのだろうか。それとも「混んでそう」という理由で敬遠されるのか。なんとなく、何曜に人が多いか、というので、その店の「使われ方」がわかるような気もする。しかしもちろん、どの日も差別なく「使われて」ほしいものだ。ただ、「◯曜日はなぜか静か」というようなのがあっても楽しいと思う。じっくり飲みたいときはその日に。いろんな人がやってくるのにワクワクしたいときは他の曜日に、と。

2018/10/06土
 オタク(?)なお客さんが二人と僕だけになったときに、オタク(?)な話をたくさんしてしまった。『うる星やつら』と『究極超人あ〜る』がのちの日本文化に与えた影響は〜みたいなことを性懲りも無く講釈しちゃったけど、しつこいながら僕は半田健人くんと同い年です。
「ものすごい演劇を観てしまったので、その心の整理をつけるために来た」とおっしゃる方も。そういう「使い方」もめちゃくちゃうれしいです。

2018/10/09火
 初めてきた方と未来食堂の話になったので改めて考えてみた。せかいさんとは20歳のころ人づてに知り合った同い年の古い友達である。時を経て似たようなこと(だと僕は思っているしたぶん彼女も少しはそう思っている)をしているのがわかって「類は友を呼ぶ」とか「持つべきものは友!」などと思ったものです。
 ちょっとわかる人にしかわからない話になりますが、夜学バーを語るときによく(?)引き合いに出されるエデンというバーが「フォーマットがあってコンセプトがない」だとすると、夜学バーは「フォーマットがなくてコンセプトがある」。で、たぶん未来食堂は「フォーマットがあってコンセプトもある」なんだけど、このお店に関しては「フォーマット」と「コンセプト」が融合して強固な「システム」になっている、という感じ。夜学バーにもシステムはあるつもりだけど、「流動的で属人的なシステム」というわけのわからないものを目指しているので、「強固」にはならない。だから、弱いんですねえ……。
 強弱をべつにすれば未来食堂と夜学バーはけっこう似通った部分がある(発想の根幹はかなり近いはず、たとえば「サロン18禁」と「奨学生制度」、「ただめし券」と「ごちそう権」、「まかない」と「客の従業員化」、「さしいれ」と「おざ研スタイル」、また種々の流動性の確保など)のだが、最大の違いは「メッセージ」にあろう。未来食堂は「誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場所」と掲げている(事業計画書では「根底にあるメッセージ」としている)が、夜学バーは「君が気に入ったならこの船に乗れ」(宇宙海賊キャプテンハーロック『われらの旅立ち』より)なのであります。
 夜学バーでは、「誰もが受け入れられ」るわけではない。それは単純には食堂とバーの違いからくるものだし、そのような場を作るためには「強固なシステム」が必要だということが僕にもわかっているからだ。もちろん「誰もがふさわしい場所」でもない。そもそも「受け入れる」とか「ふさわしい」とかいう発想から遠く離れよう、というのが、夜学バーの「根底にあるメッセージ」なんだと思う。(それはテキストのページにある遠心的うんぬんという文章と関連している。)
 ところで、せかいさんと僕の原体験がともに喫茶店にあり、20歳ごろから歌舞伎町に出入りし、同じバーで働いたこともある(のちに知った!)というのは、けっこう面白い。
 喫茶店というのはまさに「誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場」なのだ。僕もそういうお店が好きだし、いつかはそういうことをやるんじゃないか、とも思う。その偉大なる先輩としてせかいさんがいるなあ、という感じ。今後も勉強させていただこう。
 未来食堂が事業計画書などを公開しているのをまねて、夜学バーは「マニュアル」を公開しようかなあ、と思っている。しかし問題は、この店にマニュアルなど一切ないということ。マニュアルらしからぬマニュアルを、どうにか作ってみたいと考えている。いつになるやら。

 夜学バーは「誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場所」ではない、と書いて、その説明が不足だったように思うので補足。これは「あなたは排除される可能性があります」と、この文章の読者に呼びかけるものでは(当たり前だけど)決してない。「誰かを受け入れるとか受け入れないとかいう発想はそもそもありませんし、誰かにふさわしいとかふさわしくないとかいう発想もそもそもありません」と僕は言うのです。人が来て、場ができて、その場が楽しく健全である、ということが、夜学バーが夜学バーたる要件だから、ウチにくるときはどうぞそういうふうに振舞ってくださいネ、ということなのです。「人」ではなくて「場」を重視します。そして「場」をつくるのは「人」というよりは「振る舞い」なのですね。
 あんまり人の悪口や、下品なことはしないでネ、というだけのことだったり、するわけです。

2018/10/10水
 はじめ数時間はお客が2人だけで、ぼんやりくだらないことを話していたら、21時半くらいからあれよあれよと6人ふえた。めずらしくいそがしかった。
 お店をやっているとよくお客の年齢層や男女比なんかを聞かれるけど、「日による」としか言いようがありません。「毎日どのくらい人がきますか?」とか「何時くらいが混んでますか?」とかいろいろ聞かれますが、これも「日による」です。
 1人や2人しかこない日もあれば、平日でも10人以上くることもあります。座れなくなったら補助椅子を出し、それも埋まれば誰かが立ちます。だいたい店に慣れている人か、奨学生が立ちます。でも、そういうことはほとんどないですね。
 ちなみにこの日のお客は年齢層は20〜40くらい、男性2女性6。全員男性の日もあれば逆もあり、10代や20代ばかりの日もあれば40代以上が占めることもそれなりにあります。面白いです。(偏りが大きい日は母数が少ない日、って面もあるのですが。)
 バーとかっていうのは本当に開けてビックリ、ということがあって、いろんな顔があって、そんだからやってても行ってても飽きないですね。

2018/10/12金
 今日もさまざまな人がきた。大学生になった教え子(教え当時は高2〜3)がきてくれた。もうすぐ二十歳になるとのことなので、最初の酒はここで飲みます、と言ってくれた。ありがたい。
 直近で働いていたのが女子校だったので相対的に僕の教え子といえば女の子が多いが、共学か男子校だったらどうなっていただろう。モッシーモ、ですな。並行する世界の僕は。

2018/10/14日
 今日は早い時間に高校生が2名。未来食堂でやっている「サロン18禁」からの流れも1名。推薦入試のための「志望理由書」を見る(世に言う「添削」)流れに。僕は基本的には生徒の文章に勝手に添えたり削ったりはしたくないので、対面でインタビューしながら「このへんってどういう意味?」「ここもっと詳しく書くとしたら?」みたいな感じで聞き出して、「じゃあそんな感じで書いてみて」と投げるのが好きだ。そのほうがいいと信じてもいる。だけどもちろん、相手の資質や性格、入試の形式や難易度、締め切りまでの時間と何より僕らに与えられた時間、といったものをすべて勘案して、いろんなふうにやる。今回はちょっとだけ、添えたり削った。
 年齢層でいえば、今日はいちばんうえといちばんしたで50歳以上離れていた。たのしいことだ。

2018/10/16火
 なんと6日もためてしまっている。現在23日深夜。しばし簡潔に。
 前半に1人と数時間、後半に1人と数時間、交わることなき計2名の来店という、静かな日。ゆっくり話せてよかったなと思う反面、もっと動きがあったほうが楽しかったかなとも思う。
「初めて来た時は別の人が立っていて」と言われるのが好きだ。つまり、自分がいないときに初めて店にきた人が、僕のいるときにも来てくれた、というようなとき。お店自体が気に入らなかった、という場合は、二度とこないか、少なくとも僕の日にはこないだろうから。
 なじみのお客とゆったり数時間、なんてのも幸せである。2人きりになると飛び出す話題、なんてのもあったり。

2018/10/17水
 色とりどり、いろいろな人がたくさんきた。これぞ店の醍醐味、と思えるのはこういう日だ。Mというお店で知り合った人と、Nというお店で知り合った人と、Wというお店で知り合った人が、それぞれいらっしゃった。べつに営業(宣伝)のつもりで飲み歩いているわけではないが、少なからず僕やこのお店に興味を持ってくれたから、きてくれ(てい)るのだろう。そういう方々が素敵だったりすると、これまでの生き方はまちがっていなかった! と思える。ほかに、ネットを通じてお店を知ってくれた人、お客さんの友人、かつての教え子など、など。

2018/10/19金
「東京に出張でくることになって、新幹線で調べていたら見つけ気になったので来た」という方が。(先取りしてしまうが、この後も複数回来てくださった。)
「1人でも入れるバー」と書いてあったので、とおっしゃるのだが、もちろん僕はたぶんどこにもそんな書き方はしていない。誰かがどこかに書いてくれたのだろう。しかし、1人では入れないバーとか、1人だと入りづらいバーというのは、どういうものなのだろう。「女性おひとりさま大歓迎!」などと書いてある店は、たしかに(逆に)1人では入りづらいかもしれないが。
 今日も色とりどり。しかし、いちいち書くことでもないので今後は特に書かないとおもいます。よく考えたらこのお店は、(お客が極端に少ない時はべつとして)いつでも色とりどりなので。

2018/10/20土
 小沢健二の歌詞精読会→浅羽先生の会。
 どちらの会にも、あたらしい参加者がいてうれしかった。浅羽先生の夜の会はだいたい23時ごろに落ち着いてくるのだが、その後にきたお客さんもあって、それもうれしかった。
 歌詞精読会はみんなで好き勝手てきとうに喋っていくのだが、その中で鋭い意見や考えもしなかった発想が飛び出たり醸成されていくことが毎回あって、小沢さんに興味のある人はほんとうにぜひきてほしい、じつに刺激のある会になっております。浅羽先生の会は、星新一を読み込むというのが表向きの内容だけど、とんでもないところに話が飛んだり、ごく短い作品についてあれこれ考えること自体が頭の体操になったりと、これまた刺激的であります。僕なんかはある種お金をもらってその場にいられるわけなので役得ってやつだと思っていますが、そのかわりそれなりにくたびれます。

2018/10/21日
『鈴木先生』を読む会。ついに「鈴木裁判」編に突入し、こっからどんどん面白くなってくるので、ぜひ御参加を。せっかくだからもうちょっと人数がいるとうれしい。毎回のように来てくれる人の中には、僕がほんとに脱帽するような人間もおります。「かしこい」というのはもちろんなのですが、何より「2-A(鈴木先生が担任するクラス)の座席表が書ける」というのはまったくすごい。(ユーモアがあるってことです。)
 夕方からは通常営業。ゆったりとしました。

ここからは僕の担当じゃない日も、日付と担当だけ記しておきます。お休みのようにも見えてしまうので。原則年中無休です。

2018/10/22月 小津店長

2018/10/23火
 序盤は高校生がきて、ほかにお客がなかった(途中からいたけど)ので現代文と古典を教えておりました。その後だんだんお客がふえて少しずつ大人の時間に。これもひとつの、このお店の理想のかたちだなあ。若い人(こう僕が言うときは、だいたい高校生未満をさします)の時間から、みんなの時間へ。みんなの時間から、大人の時間へ。
 大人の時間がちゃんと「大人の時間」してないと、若い人もワクワクできないから、僕たちは全力で大人の時間をやんなきゃいけない。そんときは。

2018/10/24水
 前半にお客がけっこう多く、後半は静かに。昼から引き続きの方もいらっしゃった。

2018/10/25木 k→sue店長
2018/10/26金 k→ちか店長
2018/10/27土
 世の中はハロウィーンだったらしいですが、夜学は無関係、というより、むしろ静かでした。ハロウィーンだから外に出たくないということなのか、あるいはみなさんほかにご予定がおありか、ただ単純にたまたまか。ともあれこういう日はほんとにたまにでいいので、もうちょっと広報に力をいれよう(なかなかその時間がとれない)。お客は合計ふたりでした。ありがたい。
2018/10/28日
 星読後(17時〜)、お客が3名。日曜夜は、もしかしたらいちばん好きかもしれない。いちばんイレギュラーな動きをするというか、予想のつかない感じ。

2018/10/29月 小津店長

2018/10/30火
 月曜日はお店がないので小岩に飲みに行った。はじめは80くらいのおじいさんがやっているバーにいたのだが、近くに大学生が経営しているバーがあると聞き、行ってみたらよい店だった。そしたら翌日(つまりこの日)、そのオーナー(つまり大学生)がきてくれた。この身の軽さはとてもよい。大学生、といえば僕も立場上は大学生(本当です)なのだが、彼は僕よりも10歳ほど年下であった。
 そんな日だけに、というのか、いろんな人がきてくれた。お店は楽しい。
 そう、その若き経営者は、「お店を初めてからが人生でいちばん楽しいです!」と曇りなく言った。なんとなく、彼はずっとバーにいるような気がする。僕の数倍は酒が好きだし。

2018/10/31水
 後半、「夜学バー研究家」のような人たち(全員、お店が始まってからお客として出会った人たちで、昔からの知り合いというのではない)ばかりが残った。「この店って、いったいなんなんでしょうねえ」みたいなことを話していた。僕も研究家でもあるので、一緒に考えていた。いろいろ話は出たが、とりあえず言えるのは、すでにあるジャンルの名前でくくれるようなものではない、ということだろう。もちろんどんな店だって本当に厳密にいえばジャンルなんぞの外にあるものなんだけど、それにしたって夜学バーはとりわけてジャンルと無関係である、と積極的にアピールできる感じがある……というか、そういうふうにしていたいので、たぶんなんとかそう見えるようになっている。
 だから、いちど来て、「ああ、こんなもんか」と思った人は、思い出した頃にもう一度、二度、来てみてほしいものです。それで「どこどこと同じ感じ」「〇〇系ってとこかな」なんて結論を出されるようならば、僕らのハイボクということ。ここしかないここ、であるよう、日々研究をつづけていきます。

2018/11/01木 k→sue店長 jお誕生日でした(ワーイ)が、店にはおらず
2018/11/02金
 夜学バーをやっているなかでいちばん気を遣っているのは「お客さんの質」。なんてことを言うと、ある種の方々は不審、怪訝、心配、不安、といった様々な感情を持たれるようですが(僕調べ)、なんてことはなく、「いい人にきてもらえるようにつとめている」という意味。「はあ、私はいい人じゃないからこの夜学ナンチャラというお店にはふさわしくないんだ」と思う人も、いらっしゃるかもしれませんが、そう思えるくらいに冷静で賢い人であれば、そういうふうに思うことが実は的外れで、自分が本当に思っていることはほかにある、ということはおわかりになると思います。(なんとも迂遠な。)
 そこの部分をほぐし、解き明かすことが、外に出るということだし、散歩することだし、お店で誰かと出会うことなのだと思って、やっております。(なんとも詩的な。)

「ねえ、仔猫ちゃん?/もう僕の言ってること/分かんなくちゃいけないよ」(小沢健二『レストランのジャバ』)
2018/11/03土
 初めてお店に来たときは大学生だった人が、社会人になっている。初めて来たときは就職が決まっていなかった人が、内定している。一年半ちょっと経って、そんなケースが増えてきた。学生時代から夜学バーーのような場所に出入りして、いろんな大人と接している人たちの多くは、社会に出て面食らうようだ。「えー、社会ってこういうふうなの?」と。
 別にこの店がよいとも悪いとも知らないけれども、少なくともいわゆる「社会」とは違った空間である。また、その「社会」なるもののネガとしての「飲み屋」とも、違った空間となるように努力している。
「社会のネガとしての飲み屋」というのは、ものすごく卑近かつわかりやすい例で言えば、「会社の愚痴を言う」とか「会社での鬱憤を晴らす」といった使い方をされる場所としての飲み屋、といった意味である。もちろん、夜学バーでだって「会社の愚痴を言う」を何かの手段としてもいいし、結果として「会社での鬱憤を晴らす」になるのは特段悪いことではない。だけどそればかりが「目的」となったら、僕の目論見とはだいぶ違うものになる。
 夜学バーは、「広義の社会の中にあって、狭義の社会とはまったく関係のない場所」、にしたいのである。し、今のところはたぶんそうなっている。「社会のような場所」にもしたくなければ、「社会とは正反対の場所」にもしたくない。まったく違った、オリジナルの場でありたい。

 こういう書き方をしていると、「ハイコンテクスト」なんて揶揄されるんだけど。抽象的にいけるところまで、とりあえずはいきたい。

 特定の思想を掲げるバー、というのは「社会の愚痴を言う」といえるかもしれないし、下品なことが許されているバー、というのは、実は「社会での鬱憤を晴らす」なのかもしれない。そういうものたちは、「社会のネガとしての飲み屋」である。「都庁の反対側にある歌舞伎町」みたいなもんである。
「安倍政権は……」みたいなことばかり話しているバーや、テキーラ飲んで服を脱ぐ、みたいなのが常態なバーがあるとしたら、そういうのが。
 いずれにしても、そういうのは僕の言う「求心的」というやつで、僕としてはもっと「遠心的」に、もしくは森博嗣さんっぽい言葉を使えば「分散」とか「発散」というほうに重きを置きたい。「集中」ではなくって。(いま『集中力はいらない』という本をお客さんから借りて、読んでいる。)

2018/11/04日
 日曜日は面白い。基本的にお客は少ないけど。
 静かにいたい人にはおすすめです。たぶん。

2018/11/05月 小津店長
2018/11/06火
 急に雨が降るとやっぱり人はきません。でも、つまりそれは「普段はわざわざ来てくれている」ということ。お客さんがみんな、職場や学校の行き帰りに店の前を絶対通る、というような人ばかりなら、さして天候の影響を受けないはずだもの。夜学バーはものすごくダイレクトに影響する(一年半やった実感)ので、基本的には「わざわざ行く」場所になってるんだな、と思う。ありがたいことだ。
 なんてことを考えて、「わざわざ行こう わざわざ来てね 海洋堂ホビー館♪」(はちきんガールズ『ホビー館で待ちゆうきね』)という曲をよく口ずさんでいます、お客のいないときに。

2018/11/07水
 お店に着いてからiPhoneを落としたことに気づく。早めにあすか店長に交代し、探しに行くが成果なし。天命を待つのみ。

2018/11/08木 k→sue店長
2018/11/09金
 ちょうどよいタイミングで人が増えていく。この店は回転率がほとんどゼロ(そういう表現はあるのだろうか?)で、5時間くらい滞在する人がザラにいる。そのぶんしっかりと席料をちょうだいしておりますので、どれだけいたって構いません。というか、しっかりと席料をちょうだいしているからこそ、回転率がほとんどゼロ(つまり、1日の来客数が席数を超えることがあまりない)というわけですね。
 と言って、書くまでもありませんが、5時間いるからにはいるなりの振る舞いが必要で、そのへんのバランスについて考えなければ、というのも「夜学」の特性。むろん、そのぶん金を払え注文しろ、という話ではございません。場を健やかならしめんための振る舞いを5時間してくださると助かります、くらいのことです。喋っていても黙っていてもいいんだけど、人を殺しそうな顔をして喋ったり黙ったりされると、困りますよというくらいの、こと。
 誤解されると嫌なんでちゃんと書いておきますが、この日のお客さんはみな、すてきにすばらしい振る舞いをしてくださいました。というか、100日あったら95日くらいまではきわめて健やかに思います。ありがたいです。
 こういうことを書けば書くほど、「なんだかめんどくさそうな店だな、御免だわ」と思われてしまいそうで怖いのですが、まあぜひいちど。少しでも気になったらば。

 ところで、しっかりと席料をちょうだいしているこの店は、そのぶん一杯ずつの値段が安め(だと思います)なので、うまくすれば4〜5杯飲んでも3000円くらいです。1杯だけなら1500円(奨学生は1000円)から。ミッションボトルなどを利用すれば、さらにやすくなります。いい酒もかなり安くしています。でも、激安〜なお店とはくらべないでね……。名店にはかてないです。
 しっかりと席料をちょうだいしているので「次は何にします?」とか聞かないし、実際1杯で帰るお客さんがたぶんいちばん多いと思います。なんだっていいのです。

2018/11/12月 小津店長
2018/11/13火
 この「ジャーナル」(なぜ「ジャーナル」という名前にしたかというと、崇敬する歌手のAmikaさんがかつて自HPに「journal」というコンテンツを置いていたから)を営業中に書くのは初めてである。いま営業中なのです。
 ずっとお店にいるのでわかりませんが、多少雨がぱらついたのでしょうか。いつも言いますがこのお店は雨が降るとやはり流行りません。「雨の日サービス♪」みたいなことをやるお店の気持ちがよくわかります。今日のここ(現在23時半)までのお客数は2です。そんな日も(けっこう)ある。
 でも、そんな日はつまんないかというと、そうでもなく、ゆっくりと話せてとても楽しい。
 一人目の方とは、たとえば「警察と学校」というテーマ(?)で知見を交換することができたし、二人目の方とは音楽を中心に様々の話をした。特にPenny Arcadeの佐鳥葉子さんという方と、その周辺のことを知ることができたのは大きな収穫だった。
(このペニー・アーケードのギターは石田真人さんというVenus Peterの方で、このヴィーナス・ペーターのボーカル沖野俊太郎さんはかつてLollipop Sonicに入る前のCorneliusこと小山田圭吾さんとvelludoというバンドを組んでレコードまで出していて、このロリポップ・ソニックというバンドには小沢健二さんも参加していてのちにFlipper‘s Guitarと名を変える……というような事情で、歴史的にも非常に意義深いバンドらしいのである。)
 お客さん曰く、佐鳥さんは「天才」とか「カリスマ」といえるような方で、特に文学的才能みたいなことに関しては小沢健二さんと双璧をなすのでは、と。Apple Musicで聴いてみると、なるほど魅力的なボーカルなのであった。彼女のことをもっといろいろ知りたい、と思った。

 そういうふうに、お客さんが少なくても「夜学」の機能は働き、僕も勝手にいろいろと学べるので超おトクなのであります。困るのは経営だけなのだ……。あんまり儲ける必要もないけど、あんまり儲からなければ、持続不可能になってしまいますので、あれこれがんばろう。

2018/11/14水 j→あすか店長
 卒業生でも現役生でも、「元生徒」はけっこう来てくれるが、一人で来てくれるような子は、そんなに多くはない。特に去年まで勤めていたところの卒業生は(女子校だったし、ってのもあるかも?)。でも最近、二十歳になった教え子で、ちょこちょこと一人でくるようになったひとがいる。じつに嬉しい。うまく活用してほしいものです。

2018/11/15木 k店長
2018/11/16金
 前にも書いたかもしれないけど、地方から来てくださる方がわりといる。僕も「この土地に行ったらここに行く」というお店(主にバー)を各地方都市ごとに持っている(というか、そうなるのを理想として少しずつ増やしている)が、たぶん彼らにとっての夜学バーも、そういうお店なのだろう。ありがたく、うれしい。
 この日は高校の部活の後輩が来てくれた。普段は東京から500kmほど離れた都市に住んでいる。お店ってのは、気軽に再会できるからいい。さらに、同じ都市からまたべつの方も来てくださっていた。いつも遠路はるばる感謝です。
 普段は別の曜日に来ているんです、というひともいた。こういうのもうれしい。日ごとに立つ人が変わるお店というのは、「その人の曜日にしか行かない」ということになりがちだけど、だからこそ、横断する楽しさ、あると思う。立つ人によってこんなに違うものか! とか。
 いろんな人たちがきていて、どういうふうに組み合わさるかわからなくて、何が起こるかわからない。そういうところが癖になって、僕はずっとこういう空間に居続けてるのです。

2018/11/17土
 浅羽通明先生と星新一を読む催し。22時までなんだけど、23時くらいまで終演後物販(?)をやっていたりするから、最近は「23時から通常営業」というような言い方にしている。(あわただしくても大丈夫な方は、22時からお越しください。)
 そんな時間帯にきたお客さんが、1年くらい?前に一度(二度?)いらっしゃった方で、僕はその方のことを自分でも意外なほどよく覚えていて、相手も驚いていたけど、僕も驚いた。僕の記憶にはムラがあって、その仕組みはどうやらけっこう複雑で、どういう種類のことなら覚えられてどういうことなら忘れてしまうのか、いまだにわからない。
 基本的に、一度でも来てくださった方のことは、忘れない。でも、妙なところばかり覚えていて妙なところだけ忘れている、みたいなことが多い。「こいつ忘れてるな?」と思ったら、ヒントをもらえれば、たいがいはわけのわからないことを思い出すと思います。
 名前は、あんまりたずねないしあんまり覚えていないです。「名前に無頓着」ってことなのかな?(参考文献:岩明均『寄生獣』)

2018/11/18日
 昼間は『鈴木先生』精読会。読み上げる会ではなくて、話す会です。「精読」という言葉にピンとこない方が思ったよりかなり多いみたいだけど、頑なにこれでいくつもり。
 よく来てくださる方もいれば、初めて参加してくださる方もいて、いいバランス。でも、もっとたくさん来てくれたらいいなあ。特に、今回は作者の武富健治先生がご参加くだすった(!)のだし。といっても、会の終わったあとで1時間ほどお電話させていただいたのでした。次回以降も、実際に来てくださるか、あるいはお電話で参加したいとのこと。うれしい!
 僕は本当にこの武富健治という人をスゴイと思っているのです。いま漫画アクションでやってる『古代戦士ハニワット』もじつにスゴイので、単行本が出たらみなさまぜひ!!
 お電話の終わった後は、通常営業のお客さんも混じり、ゆったりと。こうやって、催事のためにきた人と、そうでないお客とが、交わることが僕にはうれしい。いろんな人がいろんな人といろんなふうに関わっていくさまが。そういうことに興味のある方は、来てくださればなあ、と思っています。

 ところで、日曜日はこの湯島の街が一斉に静かになり、どこのお店もやっていない、という状況になる。知らずに飲みに来た人は、戸惑い、さまよい、困り果てた挙句、最終的に夜学バーに辿り着いたりする。この日もそんな方が深夜、2名いらっしゃった。
 夜学バーがどんなお店かをまっっったく知らずに来た人たちとでも、なんかどっか夜学っぽい(?)話になったりする。そういうのは店の力というか、空間の力だなあ。

2018/11/19月 小津店長
2018/11/20火
 ようやく、本気でカクテルというものに向き合おうという気になっている。それはこの一ヶ月、小岩の「サバン」というお店に通ってきたからでもあるし、ちょっと前に阿佐ヶ谷の「メリデ」というお店に行ったからでもある。どちらのお店も60年前後(サバンは確実に「以上」)のキャリアを持つマスターのお店で、共通してカクテルがおいしい。また、そのサマがカッコいい。僕は単純な人間だし、カッコイクなることが好きだから、よーしこれからはカクテルだ! という気持ちに(急に)なっている。これが「タテ」だってことなんだと思う。上に手を伸ばす、ということ。(でもそれは「上を目指す」ということとは、ぜんぜん違う。)

(「上に手を伸ばす」人は具体的な「上」を見て、でもそこには行かない。「上を目指す」人は抽象的な「上」を見て、そこに行こうとする。なんだかわけのわからない区別だけど、なんか、そういう違いがある。)

 上に手を伸ばして、僕は彼らから何かを受け取る。だけど、彼らのいるところに行きたいわけではない。彼らのカッコよさを、少しでも自分の身にしみこませたい、というくらいの気持ち。そのために、自分なりに少しずつカクテルを作ってみることが、いま必要な気がする。
 サバンというお店には「サバン」というカクテルがあって、そのレシピはだいたいわかるんだけど、マスターと同じ味は出せない。カクテル自体の味はもちろん、お店の雰囲気とか、マスターのカッコよさとか、いろんなことが関係して人はお酒を「味わう」。同じ味には、そもそもならない。だから結局は「自分なり」なのだ。サバンのレシピを踏襲しながら、どうオリジナルを創っていくか? その試行錯誤を、これからちょっとやっていきたいわけなのでありまする。(照れ隠しの「る」。)

 カクテル、と言われると、それだけで人は身を引き締める。なんでだろうか? でもきっと、そういう力が「カクテル」という言葉にはある。「カクテルを出すようなお店には行けない!」という感覚は、僕にだって、いまだにある。だから夜学バーでは、カクテルを強調しないし、実際にそんなに作らない。(ジントニックやカシスオレンジなら、もちろんよく作るけど、「カクテル!」と言えるほどには、味に絶対の自信があるわけではない……。)
 そう、夜学バーというお店は、あんまり気取っていないのです。ジャージで来たっていいし、ホッピーだって置いてるし、ソフトドリンクしか飲まない人も多いし、「ほぼ禁煙」でジェイポップとか流れている。カウンターにも本とかたくさん並んでいて「オーセンティック」では絶対にない。自分でもわけのわからない店だと思うし、そしてそこが最大のいいところ、のはず。
 でも、実はお酒の種類はけっこう多い。僕がオタク気質だから、「好き!」と思ったらとりあえず買う。集める。研究する。よほどのマニアでもなければ、「これは飲んだことない!」と思うようなお酒がいくらかあると思う。だから、カクテルを「好き!」と思ったら最後、徹底的にやってしまう可能性がある。だからたぶん、これまでその路線から目を背けてきたのだ。大変だもの、そんなところまで手を伸ばしたら。でも、これからはちょっとずつ。(きっとほんとにちょっとずつ。)
 で、神保町に行っていろいろソノテの本とかを買ってきた。カクテルレシピ集……とかではなくて、「銀座に店を持つ老バーテンダーの伝記」みたいなのを買っちゃうところが、夜学バーの店主だなあという気が(我ながら)する。そういう店です。

 本題は別にあるんだった。上に書いたバー「サバン」は、この11月20日で閉店してしまった。その最期に立ち会いたくて、珍しく深夜0時より前に店を閉めた。お客さんたちも僕がサバンに行きたいのを知っているから、「んじゃ、ぼちぼち」と気を利かせてくれた。ありがたかったです。でもこういうことは本当に珍しい。
「もう閉店の時間なんで」とか「そろそろお会計を」という言葉を、僕はほとんど言わない。お客が帰ると言うまで、促すことはない。よほど親しい人だとか、「居座る」ような様子の相手なら別だけど。こちらに時間がある限りは、客に付き合う。場合によっては「帰りたいんだけどな〜」みたいなオーラを出しまくりながら。(そういうオーラを読み取っていただくのも、「夜学」の機能だと思っているので。)
 ただ、これは僕が男性で、責任者だからできること。若い人や、女の人がカウンターに立つような場合は、遠慮なく「そろそろ」を言っていいと思う。(このへんのことはデリケーートな話なので、ピンとくる人だけ考えてみてください。)終電とかもあるし。

 サバンのマスターも、「そろそろ」を言わない人だ、と思う。ラストまでいたのは初めてだったからわからないけど、少なくともこの日はそうだった。
 0時8分の電車に乗って小岩に向かって、着いたのは30分過ぎ。普段は1時くらいに閉めているそうだから、ぎりぎりのはずだった。でも、そのまま3時過ぎまでお店は続いた。最終日だから、というのはある。そもそもは3時までが営業時間だった(Google Mapではそうなっている)という事情もあるかもしれない。でも、ともかくマスターは、その3時を過ぎても、一言も「そろそろ」と言わなかった。
 お客は自然にいなくなった。朝まで、ということもなく、3時過ぎに一人また一人とみんな帰っていって、今年82になるマスターはようやくタバコを吸うことができた。
 そこまで含めて、この店は一流なのだ。誰もが名残惜しいのに、みんなきれいに去っていった。そういうお客さんを、このマスターはつくってきた。育ててきたのだ。最後の最後に、それを「光景」で証明したわけだ。
 僕はマスターにとって、おそらく最後から2番目に帰った客だった。去り際にほんの少しだけお話をさせてもらって、できる限り、きれいに帰った。1秒でも2秒でも長くいたかったけど、もし1分でも2分でも長くいてしまったら、この美しい光景を汚すことになってしまう。
 お客も含めて、お店なのだ。どんなにステキに見えるお店でも、悪いお客(それがどんなものかはさておき)ばかりだったなら、あまり行きたくない。
 こういうことを書くとまた「行きにくい」店になってしまうかもしれないけど、夜学バーってのはものすごく、「お客も含めてお店である」ということを徹底して意識した店、のつもりなのだ。

 まだご来店いただいたことのない方々、ゆめゆめ誤解してクダサルナ。「ああ、それでは私なんぞは、その夜学バーというお店に行く資格などございません!」と思われることがいちばん、僕にはつらいのです。お客も含めてお店であるからには、夜学バーには「ステキなお客さん」がたくさんきてほしい。心底僕はそう思います。それは当たり前のことだと思います。そうなると「私はステキじゃないから」と思う人がほんとに多いと思うんですけども、夜学バーの代表が夜学バーについて書いた長ったらしい文章を、こんなところまで読み進めている時点で、あなた(この読者)はもう、夜学バーにとっては「ステキなお客さん」以外の何者でもないのです。これを読んでいて、まだ夜学に来たことがないという方は、できるだけ早くお越しいただきたく存じます。
 それでもし、「あなた」が「ステキなお客さん」でなかったとするなら、まずは僕の文章の書き方やサイトの作り方、その他広報の仕方などが悪かったことになると思います。もし広報に不備がなかったとすれば、今度はお店の実際に問題があるのです。広報(この文章とか)と実際が、あまりにかけ離れていた場合です。そっちの場合も責任はこちらです。「あなた」は何も悪くないどころか、夜学バーとかいう不備だらけの店の詐欺まがいな商法にひっかかった被害者なのです。(むちゃくちゃ言いよる。)
 とにかくこの文章を書いている僕の目論見というのは、「こういう文章を読んでくれるような人に、どうにかお店にきてもらいたい」ということなのです。

 でも、もちろんもう一つ別の方面のことも考えています。「お店で人と話すということが苦手だし別にしたくもないという人でも、こういう文章を読んでくれる人はけっこう多い」です。そういう人は、お店以外のところで、なんか友達にでもなれたらいいなあ、と思います。それか、「お店」というものが合っていそうな人に、宣伝してくれたらいいなあ〜、とか。

 今日はやったら長くなってしまった。ともあれ、サバンのマスターお疲れ様でした。短い間に図々しくもお邪魔しまくってしまいましたが、いつも優しくしてくださってありがとうございました。最後にあなたのお客になれて僕は幸せです。必ずや、そのカッコよさをみにしみこませます。

2018/11/21水 小津→あすか店長(+j)
 jは途中で来て一杯飲んでカクテルの練習をちょっとして、ほかへ飲みにいって、さいご片付けをして帰りました。

2018/11/22木 k→sue店長 with えびさわなおき。氏
2018/11/23金祝
 昼は「小沢健二の歌詞精読会」、こちらももうちょっと、人が多くなるといいなあ。がんばります。
 17時になるかならないかのところで、小6の女の子とそのお母さんがおいでになった。かしこい方々だった。いろいろお話をした。勉強になった。たぶん、お二人も楽しんでくださったと思う。
 その子に教えてもらったんだけど、向井湘吾さんという人が算数を題材にした児童小説を書いているそうで、調べてみたらとても面白そうだった。読んでみよう。なんかやっぱ年齢ってほんと、たくさんある要素のうちのたった一つにすぎないんですよね。
 すっごい個人的な話だけどその女の子が『ドラゴンボール』にめちゃくちゃ詳しくて、めっっちゃんこ嬉しくなって、べらべらしゃべってしまった。僕も幼き日より、「ごたくどす」というPC98のクイズゲームのドラゴンボールカルトクイズ8問×15ステージ(全120問)をパーフェクトで正答するくらいドラゴンボールを読み込んでいたのである(ちなみにわたしはまだ30代「前半」です!)。『ドクタースランプ』や各種短編もバラバラになるほど読んでいた、キチのつくくらいの鳥山ファンだった(むろん今でも!)。彼女は『ドラえもん』も好きだそうな。でも、別に古いものが好きということでもなくて、いろんなものが好きなんだと思う。本当によいことだ。そのまま幅広〜く翼をおひろげになっていただき、時おりはお店にも顔を出してほしいものです。マタキテクレ。

2018/11/24土 庚申
 夜学バーは60日に一度、「庚申」の日のみ朝まで営業します。
 17時台から3時間ほどお客さんが一人しかおらず、20時台から3時間ほどまた別の方が一人だけいらっしゃった。閑古鳥、と思っていたら日付のかわる頃からぞろぞろと現れた。この日のお客はぜんぶで9名(男性2名女性7名)、うち24日のうちにお帰りになった方が2名、朝までいらっしゃったのが6名、夜中にいらっしゃって夜中にお帰りになった方が1名、でした。
 朝方8時くらいからは女性2人が残ってお話をしていて、僕はごろりと寝てしまったのだが、彼女らはなんと13時までいた。こういうことはきわめて異例で、これまでの最高記録は8時だった。庚申以外の日はたいがい25時くらいで閉めるので、なんだか新鮮な気がする。しかし思い返せばわが夜学バーの前身たる「おざ研」という場では、毎回(週に1日だった)こういう感じだったかもしれない。懐かしい。
「庚申を守った(=夜を明かした)のはみな常連さんですか」というような質問が思い浮かぶ。6名のうち二桁の回数きたことがあるのはたぶんふたり。あとはみんな一桁、2回目の人や3回目の人もいたと思う。初めてという人は今回はいなかったけど、前回はいた。初回で庚申、大歓迎です。やなやつでなければ(重要)。
 庚申だからといって何も特別なことはなく、ただ話したり、ぼんやりしたり。夜中であるということ以外、ふだんの営業と変わらない。でもやっぱり特別な「感じ」がして、とても好きな時間。

2018/11/25日
 13時から(!)浅羽先生の星新一を読む会。ほとんど寝ていないのでくたびれた。18時くらいから通常営業、なのだが、お客いっさい来ず。疲れているからお客がいないほうがいいだろうって? そんなことはないのです。だからって僕は早仕舞いして帰るということはまずしないので、逆に誰もいないなか疲労や眠気と孤独に戦い続けなければならず……。だれかいてくれたらもうちょっと気が楽だったかも。

2018/11/26月 小津店長
2018/11/27火
 僕は高校一年生の時からホームページをずっとやっているのですが、それを読んでくださっている方ばかりがたまたま3名集った瞬間があった。
 二人はこのお店を始めてからお客として知り合った方で、もう一人はずいぶん昔に検索で飛んできてそのまま読み続けてくださっている方。年下の方と、同い年の方と、年上の方。そういうふうに考えると、「幅広い読者層」とも言えそうだ。自分のHPの読者はだいたい常時30人くらい(根拠なし)なので、だとすると10%が一堂に会したことになる。
 みなさま更新したぶんはだいたい全部読んでくださっているようなので、僕ももっと書きたいなと思った。見にきてもらっているのに、更新されていないのは申し訳ない。2000年くらいからずっとある感覚なんだけど、これって「来てもらったのに店が閉まってたら申し訳ない」という気持ちとだいたい一緒だ。ホームページって、なんだか「お店」みたいな感じがある。ちょっとだけだけど。
 ホームページは消さないで更新を続けるし、お店もできるだけ毎日開けていたい。「店を空けるわけにはいかない」って、90歳くらいのおばあちゃんがテレビで言ってた。山奥でずっと商店をやっているから、海を見たことがないんだって。「開ける」と「空ける」は、えらい違いさね。

2018/11/28水
 たぶん同じ学年で同じ学校に通っていて、研究分野もけっこう似ている2人が、夜学から別のお店に「はしご」しに行った。そういうことはしっかり嬉しい。彼らはもともと知り合いだったわけでなく、このお店で知り合った、はず。
 どんなふたりでも、きっかけやタイミングがなければ、なかなか出会わない。そういうものが生まれる場として、この夜学が機能してくれれば僕にとってそれほど嬉しいことはない。
 今日は途中であすか店長に交代の予定だったが、彼女がどうにも都合つかず、到着がかなり遅くなってしまったため、今日はお客として飲んでもらうことにした。
 彼女は、いや彼女だけでなく、ここで働いてくれている/くれていた人たちは、みなすばらしい人々なのだが、すばらしいがゆえに、忙しい。「ステキな人にはだいたいもうすでに決まって人がいる」みたいなもので。学生だった人たちもどんどん就職してしまい、そうそうお店に立ってもらえない。
 なかなか、よき人材と、よきタイミングで出会うというのは難しい。夜学バーは慢性的な人手不足なのですが、たぶん「よき」を考えているせいだ。ともに「よき」を考え、作っていける人と、それができるようなタイミングで出会えなければいけない、ということになると、いやはや、大変なのだ。そんな都合のいい話はそうそうない。
 それでも、実は僕はいつもいつでも目を光らせている。夜学をよきように育ててくれる、いい人どっかにいないかなあ。(ハードルを上げているようですがあるていど上げておかないと「よき」を見失ってしまいかねないので。)

2018/11/29木 k→sue店長
2018/11/30金 小津→sue店長
2018/12/01土 あすか店長
2018/12/02日
 日曜の夜を僕はけっこう楽しみにしている。湯島の街は静まり返り、仕事帰りや学校帰りに一杯飲んで、という人もいなくなる。夜学に来るのは、近く(美術館とか)に用があった人か、わざわざ来る人、そして「他の店が軒並みしまっているので、開いている店を探していたらたまたまたどり着いた人」にほぼ絞られる。
 どのみち、ほぼ混むことがない。たぶん来る人もそれがわかっている。ゆったりとする。混んだら混んだで特別な気がする。どっちに転んでも、なんかいつもと違う感覚がある。
 今日も思ったとおりさほどお客は来なかったけど、なんか結局、特別だったなあ、という印象。

2018/12/04火
 慢性的な人手不足であると同時に、急性的な客不足。急性的と信じたい。というか、急性的で済ませねばならない。もうちょっとがんばろう。
 と、思った瞬間に創作意欲が湧いてきた。
 僕は2009年から何年間か、わりと熱心に同人活動をしていた。小説や漫画や評論を書いて自費出版していた。けっこう売れていた(300冊ちかく売れた日もあった!)。それがきっかけで知り合った人や、当時やっていたお店に来てくれるようになった人もたくさんいる。引き続き夜学にも通ってきてくださっている方もいる。それよりなにより、細かい話は差っ引きますがその活動がなければ夜学バーはない、と断言できる事情もある。僕にとって同人活動や創作というのは、お店に(ないし僕という存在のほうへ)人を誘致する広報の意味が大きかった。ホームページだってSNSだって、そういう役割をかなり意識してやっている。
 夜学バーにしかるべき方をお客として呼び寄せたい、という目的のためには、たとえば宣伝がある面では非常に効率的なわけだけども、それをどのようにやるか、というのは無数に方法があって、その中の僕にわりと向いている一つとして同人活動とか創作といったことがある、と思う。
(それはかつてだったら「本を作る」ということがメインだったけど、今後はもうちょっと広い視点でも考えつつ……、でもやっぱりまず本は作りたい。)
 さっきお風呂に入っていて急に思いついたお話。書くかどうか、書けるかどうかはわからないけど、ずっとぼんやりと考えていたことがそっから30分くらいでだいたいつながって、形が見えてきて、「これはいけそうだ」というくらいになった。こういう感覚は5年ぶりくらいかもしれない。「急に」と書いたけど、たぶん「5年かかった」なのだろうな、これが。
 考えているだけでワクワクする感覚。いてもたってもいられなくなる。こういうのが好きなのは自分だけじゃない、という確信を証明するために、どうやって見せたらいいかを真剣に考える。で、出来上がったものは愛おしい。つたなくっても。
 それが楽しみ以上の意味を持つのなら、なんと素晴らしいことでしょう、ということで、そっち方面のことを考えよう……と思うんだけど、余裕あるかな。ないからちょっと、けっぱります。

2018/12/05水
 ほんとに水商売タァわからないもので、今日はとてもたくさんお客がきた。それも多種多様、いろんな人たちが。高校生から50代までまんべんなく、性別比もちょうどよく。お店や僕とのかかわりもさまざまで、それがほどよく交差しあい、こういうことがお店というか「場」をやる醍醐味なのだよなあ、とカウンターの中でしみじみしてしまった。
 交差という言葉を使ったが、あるお客さんが「バーテンダーってのはお酒を作るだけじゃなくて、人と人との交差点の役割を果たすんだ」とおっしゃった。交差点とは言い得て妙。確かにそうだ。お客さんが「またここで」とか言い合って帰っていくのをみるのは実にうれしい。ここでなくとも、どこででもまた再会していただきたいものです。よき再会を。
 今日ちょっとだけ手伝ってもらった新人さんは、頻度は高くないと思うけどたびたびきてもらう予定。気を長く持ってゆったりとやってもらいます。

2018/12/06木 k→sue店長

2018/12/07金
 友人からの紹介できた人、べつのお店で僕と会った人、散歩してたら見つけた人、近所のお店から教えてもらった人、大昔にオフ会(!)で知り合った人、と、お店にくるきっかけはいろいろある。
「どうやってこのお店を知ったんですか?」という質問は、お店に立っているとよく耳にする。僕もよそのお店に行ったとき、「この人たちはどうやってここにたどり着いたんだろうなあ」と考える。勝手な予想を立てたりもする。
 それをたずねれば、ひとまずの話題になる。「どういう店か」も見えてきたりする。お客さんが店のことをどういうふうに考えているのか、が滲み出てくる。店の表情があらわれてくる。
 顔立ちは外観でわかる。顔色は内装できまる。表情というのはお客がつくる。マスターがすることはあんまりない(というのは僕の考え方)。
 外観というのはもちろん名前も含まれているから、「夜学バー」という名前がいちばんわかりやすい「顔立ち」なわけだけど、顔色や表情はなかなか読み取れない。だから「どんな店だろう、こわい」となる。でも、だからこそ気になる。ミステリアスな人に惹かれてしまうように。

 藤子・F・不二雄先生が生前、作画スタッフにのこしたメモ書きに「のび太の部屋に体温を与える徹底研究」というのがある。のび太のあの部屋が無機質で冷たい空間になってはいけない、どうしたら「体温」のある部屋を描写できるのか。そういったことを解説したものだ。僕はこれに相当な影響を受けていて、夜学バーの内装がちょっと雑然としているのもそのせいである。(整理整頓が苦手なことの言い訳でもある。)
 ドラえもんといえばてんとう虫コミックス14巻「かがみでコマーシャル」に出てくる和菓子のあばら屋からも大きなヒントをもらった。あばら屋は名前の通りオンボロだが、「建物は古くても、衛生には気をつけているぞ」と店主が語るように、チリ一つ落ちていない清潔な店舗なのである。夜学もそのようでありたい。(なかなか完璧にはできないけど、少しでもと気をつけています。)

 顔立ち、顔色、表情という比喩を使ったけど、「どうしてここにたどり着いたんですか?」とか「なぜここに何度も足を運ぶのですか?」という質問への答えは、たいていそのあたりにある。だから実は、あえて質問しなくても、しみじみとわかっちゃうことでもあるんだろうな。
 体温を保っていきます。体温といえば小沢健二さんの『犬は吠えるがキャラバンは進む』というアルバムのライナーノーツにもこの言葉がある。体温、ということは本当に大きなテーマなんだけど、これ以上踏み込むと永遠なのでまたいつか。

2018/12/08土
「これから5人でいきます」としらない人から電話があったので気合い入れて待ってたら結局来なかった。飲食店にはそういうことがけっこうあるようだ。5人連れが来たらこの狭い店は一瞬にして「その人たちの店」になってしまうのである種ホッとしたといえばしたんだけど、このお店には珍しい事態だから楽しみにしてたんだけどな。そんな日もある。

2018/12/09日 あすか店長

2018/12/10月 小津店長

2018/12/11火
「あれ、よく会いますね」というお客どうしのやりとりがたまにある。しかも「わたし月に一回くらいしか来ていないのに、わたしがくると必ずいる気がします。いつもいるんですか?」「いえ、わたしも月に一回くらいしか来ていないんです……」というパターンが多い。このお店には「毎日のように通ってくる人」(いわゆる「おまいつ」ですな)というのがほぼいないので、原則としてそういうことになる。
 考えることが同じというか、バイオリズムが近いというか。わかりやすい例だと「月末の金曜日」とか「月曜が休みだった翌日の火曜日」とか、遊びたくなるタイミングが似ているのかもしれないし、単純に「木曜日は出勤が遅めなので水曜日に来がち」とかかもしれない。カウンターの中からなんとなくそんなことも見えてくる。ふしぎだけどりくつはありそうだ。

2018/12/12水
「月に一回くるお客が200人いればいいな」と開店当初から言っている。キャクタンカを2000円と見積もれば月40万の売上で、まあ潰れはしない額。「月に一回」というのは平均の話で、週に数回の人がいてもいいし、2年に一回の人がいてもいい。ともあれ200人くらいってのが、なんとなくの(本当になんの根拠もない)予感的目算。
 けっこうごぶさたのお客さんとは、もう「旧交を温める」って感じになって、泣きそうなくらいドライ感動(造語)してしまう。「再会」が趣味なので。

 しばらく行っていないお店のドアは重くなる。それでも「いい店」のドアはすぐ透き通った風を送ってくれる。その風にあたると「ああ、やっぱりいいな」って、またいつかそのドアを開けようという気持ちになる。(7日に書いた「体温」の話そのもの。)

2018/12/13木 k→sue店長

2018/12/14金
 さいきん僕の立っている日は曜日問わずお客3〜8人ということが多い。10人くらいだとちょうどいいのでもうちょっとがんばろう。今日は9人でちょっと多め。9人が同時にいたということではなくて、増えたり減ったり。とくに騒がしい感じにもならない。4人が初来店。
 静かな時もそれなりに賑やかな時もどっちもあったらいい。でも常に落ち着いてはいたい。流動的に、いつでもどこにでも、誰とでも行けるような場であるために……。
 お店によっては、「こういう雰囲気」とか「こういう状況」と一度決定されると、そのままそれがずーっと続いてしまうようなことがある。夜学では長くても5分くらいにしたい。だから「みんなでゲームをやりましょう」は起きない。ボードゲームを始めると1時間くらいボードゲームになってしまって、それではアドリブがない。
 夜学バーには将棋盤がある。使われたことはまだ2回くらいしかないけど、もちろん指したっていい。ただ、その将棋は盤上だけでなく「盤外」でも行われるものであってほしいし、その「盤外」はどこまでも広がっていい。時折時間が止まったっていい。いつでもどこにでも、誰とでも行けるような将棋。(いつも以上に詩っぽいなあ。)

2018/12/15土
「ふたり忘年会」のような感じで夕方から飲んでいたという人たちが、ふらりと迷い込んできた。行儀よく素敵な人たちだった。歩いていたら「夜学」という言葉が見えて気になって、と。嬉しい。こういうことがちゃんとあるからお店は面白い。またきてくださるとよいな。

2018/12/16日
 昼は『鈴木先生』精読会。じわじわと参加者が増え、続けることの意義を改めて。興味ある方はぜひ。僕も本当に刺激になってます。

2018/12/17月 小津店長

2018/12/18火
 酒場好きのお客さんからおすすめのお店を伺う。熊本のお店を何軒かきいた。旅でいくのが楽しみになる。予定はないけど、いつか八代亜紀さんの八代ギグに。

2018/12/19水
 開店から6時間お客がこなくて、ひたすらぽかんと口を開け続ける。そんな日もある。夜中に1名ご来店。ゆったりとお話をする。そんな日もよい。

2018/12/20木 k→sue店長

2018/12/21金
 大阪の飲み屋はそんなに多く知らないけど、三ツ寺会館には行く店がいくつかある。そのうちの「桃色宇宙」から店主きたる。大阪に用事があるという教え子を最近派遣したので、その礼を兼ねてとのこと。律儀である。これまでに若いのを4名ほど送り込んだことになる。
 むかしインターネットには「リンク集」や「同盟」というのがあって、とても好きだった。飲み屋の世界にも見えないリンク集や同盟みたいなのがある。あまり狭い範囲でそれをやると「内輪感」が出過ぎてしまっていやなのだが、ちょっと遠いとなんだかうれしい。そういう観点で夜学バーがいちばんなかよくしているお店は荒木町(四谷三丁目)の喫茶店「私の隠れ家」だと思う。単純に僕がその店を愛しているから、いろんなお客さんにすすめているし、自分でも通う。そのうちに「どっちの店にもいくお客」というのが増えてきている。湯島から荒木町へは急いでも30分くらいはかかる。電車だと乗り換えをするか、ものすごく歩く。坂が多いし都心を通るので自転車も向かない。ちょうどいい遠さ。それでけっこう仲良くできているのは夢がある。「桃色宇宙」なんて距離にすれば500キロ以上あるのだ。
 新潟、仙台、高知、徳島、名古屋、大阪、神戸などいろんな都市に、個人的に馴染みの深いお店がたくさんある。そういうところとゆるいリンクをしていきたい。できるだけアナログっぽいリンクの仕方を。SNSの世の中では、もはや「リンク集」なんてのもほとんどアナログ(意味としては「アナクロ」が正しい?)だから、悪くなかろう。そういうの作りたいなあ、とずっと思っている。思っているうちに閉店がきまるお店もあったりして、光陰矢の如し。はやめにやります。

2018/12/22土
 昼は小沢健二さんの歌詞を精読する会。『痛快ウキウキ通り』。僕も知らない話や考えたことのない発想がたくさん出てじつに楽しく実りがあった。人数も8名と最多に近い。初参加がなんと6人。
 ご存知の通り(?)僕は「イベント」というのがそんなに好きではない。僕の好きなお店は町の喫茶店のように日常生活の中にすんなりとあるもので、「特別」とか「非日常」はそぐわない。
 だけど、どんなお店も最初に扉を開けるときは「特別」で「非日常」なのだ。そしてその扉を開けたくなるような「きっかけ」がなければ開けないものなのだ。それが「イベント」(僕はできるだけ「催事」「催し」と呼んでいる)であるのは、ひょっとしたらそれなりには自然なことなのかもしれない。
 イベントをやることで「イベントをやっているような店」になってしまって、それは僕にとってマイナスといえばマイナスなんだけど、「小沢健二の会をやっています」「『鈴木先生』を読む会があります」といった一言は、どストレートに届くところへ届く。チート並み。今回も素晴らしい方々が集まってくださって、その中からふだんのお店にも通ってくださる方が出てくるかもしれない。それがねらいよアクダマン(古い)←この自分ツッコミも古い←これもすでに……。
 そう、ある意味ズルいことなんだけど、そういうアイコンを灯すことによって、ちょっと遠くから見えるようになる。それが夜学にとって「イベント」をやる最大の意味。イベントはそれのみが目的なのではなくて、「広告塔」としても働いてくれる。とくに小沢健二さんはこれまでにもたくさんの素敵な人たちをこのお店へいざなってくれて、灯台みたいなもんである。オザケンだけに、とうだい……。(なんか今日は。)
 それはもちろん、「小沢健二ファンを集めて、小沢健二の話がしたい」ということでは全然ない。それは「歌詞精読会」のときだけでじゅうぶんなのだ。そうではなくて、「小沢健二を好きな人、とりわけ歌詞に注目するような人には、ステキな人が多いはずだ」と僕が思っているというだけのこと。つまりターゲッティングで、そこに的を絞っているという話。『鈴木先生』だってまったく同じりくつだ。べつに『鈴木先生』の話だけがしたいわけではない。同好の士を求めたいのではない。ああいうものを読んで面白いと思うような人たちなら、ぜひともお店にきてほしいと思うからなのだ。
 夜学バーのお客さん像として僕がイメージしているのは、「ものを考える人」、「ものを考えたいと思っている人」、「ものを考えないよりは考えたほうがいいのだろうなと思っている人」、「ものを考えたほうがよい(楽しい)という可能性を吟味してもいいかもしれないと予感している人」、「現状はともかく将来的に何かを考えてしまう可能性を持っている人(赤ちゃん含む)」とかとか、そういうふうな人たちで、ようするに「考える」が一つのキー。考えるってなんだ? というのはまた別に考えるとして。基本的にはあらゆる人たちを含んだ像をイメージしつつ、「考える」を軸にして考えています。核心なのでちょっと早口。
 夜は浅羽通明先生をお呼びして星新一を読む会。これも面白い。ただ、それこそ夜に「イベント」を置いてしまうと「日常」が崩れてしまうので、そのうち夜の回はなくす予定。お昼にやって、残りたい人は夜まで残る。そんで「日常」のお客さんと混じる。なんてほうが僕も浅羽先生もつごうよいはずなので。

2018/12/23日 堪能天井美
『ダッシュ四駆郎』というミニ四駆(自走する小さな模型自動車)のマンガがある。僕はその連載時まだ幼児なので詳しいことはあまり覚えていないけど、まっすぐにしか進まないミニ四駆をホッケーのスティックみたいなのでパシパシ叩いて方向転換させていた。それがいちばん印象に残っている。
 バーのマスターの仕事ってのはそれだな、といつからか思うようになった。お客さんを叩くわけじゃなくて。場を叩く。パシパシと。さりげなく。場がなんとなくやなほうへ行きそうになったら、一言だけパシッと叩いて、クルッとさせる。うまく角度が変わらないときや、変わりすぎてしまうときもあるから、様子を見ながら何度か叩く。パシパシ。
 様子を見るだけのことも多い。「あー、あっちのほうに行っているな」ということをわかりつつも、叩くタイミングを見計らって、とりあえず何も言わないでいる。そのほうが結果的には穏和に済む場合もかなりあるのだ。何もしないのも仕事。(僕が自分のHPのほうで何度か書いている「欠席力」というのと似ている。)
 というのは、場というのは「進む」という比喩だけで表すべきものではないからだ。「育つ」や「養われる」といった、「充実する」という方面の比喩もある。へんなほうに進もうが、いやむしろ進んだからこそ、結果的には「良くなる」こともある。だからパシパシは必ずしも必要な行為でもない。
「場」ということを言っているけれども、もちろんそれは同時に「その場にいる人たちのこと」でもある。絶対に場は人が作る。だから最も大切なのはあとあとその人たち(未来もその場を作っていくであろう人たち)が健やかになれることで、そこをいちばん優先してしまう。ちょっと未来を見てしまう。その瞬間の健やかさよりも、ちょっと未来の健やかさを。

 まんまるい宇宙船を想像してみてください。それが進む方向も大事ならば、その中身(中にいる人たちや、取り巻く環境)が健やかであることも、とっても大事。叩いたら方向は変わるけど、ちょっと揺れる。その揺れによって何が起きるか? ということもイメージしながら、何かをしたり、しなかったりする……というのがバーのマスターの仕事なんだろうな、とか、なんかまあ。

2018/12/24月 小津→j店長
 21時に小津氏と交代! そっからだれもこず! ずっと一人きりでした! ありがとうございました!

2018/12/25火
 いやまじめな話をいたしますと、クリスマスイブとかバレンタインデーとかは、やっぱり飲み屋に人は集まらないみたい。どういう心理が働くのだろう、とくに予定がなくても、「じゃあちょっと飲みにいくか」とはならないで、「夜中まで寝て起きて明石家サンタ観よう……」とかになるのかしら。たぶんなるのだ。それはテレビや街が喧伝する「世間的常識」に誰もが覆われてしまっているからなのだろう。かく言う僕でさえ「クリスマスイブ! だれもこない! ワー!」とか、どっかで思いながら虚空を見つめてましたから、昨夜。
「クリスマスイブだろうがなんだろうが自分には関係がない、知ったことか!」と強く思っている人でさえ、「でも、クリスマスイブが自らにものすごく関係していると思っている人はたくさんいる」ということをよく知っている。だから「とにかく世間ではなんか自分とは関係ないところで盛り上がっている」というふうに認識して、なんとなく街との温度差を予感し、外に出ても自分の気持ちや感覚は「浮く」だろう、くわばらくわばら、と家に引きこもる……なんどというイメージが浮かぶ。
 しかし24日は、むしろ街に出れば楽しい。逆にいえば、バーみたいな密室にあえて入っていくよりはテクテク歩いてイルミネーションでも眺めていたほうがイイ、という考えもあるかもしれない。これはけっこう理解できる。
 ともあれなんであれ、クリスマスイブってのが「特別」であるというにんしきはみんなが持っているので、なんとなく物忌みというか、慎み深く過ごしたくなるというか、つられて「日常」から離れてしまうというか、悪く言えば奪われてしまうというか……そんならパッと乗っかっちゃったほうがいいではないか! メリー! という発想もあったりして。
 そう、クリスマスイブはもはや無視できない。自分が無視しようとしても、みんなは決して無視なんてしてくれない。もしも本当に無視したいと思ったら「みんな」と隔絶するしか手はない。それも寂しい話だ。
 なんてようなことをあれこれ昨夜3時間くらい、一人で考えていたものです。あまりにほんとにだれもこないから、去年の「明石家サンタ」をユーチューブで見る始末。「年末年始もこんな感じかなあ」と一抹いや百抹くらいの不安を抱えながらお店を閉めてダッシュで帰って今年の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」を見てねました。
 そんで……まあこのへんからは自分の日記に書けばいいのでかなり略しますが、年末年始は短縮営業にしようかとか、何日か休みをとろうかとかいろいろ考えました。しかしこの25日、よきお客さんとめぐりあえて、その方にも「あいててよかった、きてよかった」と喜んでいただけて、腹がくくれた。年末年始は営業します。31日まで。1日から。

2018/12/26水 小津→ちか店長

2018/12/27木 k→sue店長

2018/12/28金
 ↑の2日でふるさと名古屋に行ってきたゆえこの日の営業はほとんど名古屋弁。年内最後の金曜日、多くの人が仕事納めということで、ほんの少し賑わったけど、それでも合計10名ていど。それも早い時間に集中して22時すぎにはお店が空っぽに。ぼんやりしていたらお初にお目にかかる方が二人連れでやってきて花が咲いた。お一人は2度目で、最初は小津氏の日にやってきたそうな。こういうふうに、ほかの日に初めてきて気に入って、どれ店主の曜日にも行ってみようと思ってくださるのは実にうれしい。みんなが魅力的な店づくりをしてくれているという証拠です。ありがたい。その方と、ドイツで現代演劇を研究しているというご友人と三人で、演劇やら文学のことやらを語った。夜学っぽかった(ということはいつもはそのような話題ばかりでもないのです)。ふだん日本語であまりそういう話をしないそうで、よろこんでいただけた。よかった。なんか日記調。

2018/12/29土
 年末は違った動きをする。ずっと休日だから、ふだん子供の面倒を見なければならない人でも、ハイグーシャの方が家にいたりして、友達とピュッと飲みに行ったりしやすいみたい。ティーンですらないお客さんもいらっしゃった。子供に気に入られるというのは、ほんとうに良いお店の証だと僕は思っているので、本当に本当に本当に嬉しい。テキストのページにもそのあたり書いているのでよかったら。2018年12月31日付の記事。
 僕は小さいころ児童書が好きで、そのまま中学生になっても高校生になっても、今になっても好きで、読む。大人になったら読めるものは増えていくけど、減ることはないだろうと思う。目が肥えていくわけだから「これは読まないでいいや」と思うものが多くなるのは確かだけど、目の肥えた子供が「良い!」と思うものなら、目の肥えた大人だって「良い!」と思うはずなのだ。そういうものを好きでいたいし、そういうことをやっていたい。

2018/12/30日
 昼、浅羽先生による星新一を読む会。夕方からまた人がちょろちょろ増えて楽しかった。初めてきた方も数時間いてくださって嬉しい。またきてください。

2018/12/31月
 去年は23時55分に全員お帰りになり、ゴーンと架空の鐘の音を聴きながら一人さみしく年を越したものですが、今回は日付が変わる直前に3名いらっしゃって、年越しの瞬間にはなんと5人ものお客が。さりとて大げさにカンパーイとかすることもなく、GPS時計を眺めながら「あ、おめでとうございます」くらいのノリで。35分くらい経ってから沈黙が40秒くらい続いたので何気なくポツリと「年、あけましたね……」とつぶやいたらある女性がウワアーと泣き崩れ(る演技をし)、「じ、自由だあーー! こんな! 新年の抱負とか聞かれない年越しは、初めてだ〜〜」などと仰って、あー、という気持ちに。
 何があー、なのかというと、そう、新年の抱負を聞く、っていうのは、なんなんでしょうね。彼女の言葉を借りれば、自由を奪う慣習なのかも。
「新年の抱負を聞く」は広くとれば「質問」の一種だと思うんだけど、「質問」というのはともすれば「要求」になってしまうわけで。それがともすれば「自由を奪う」につながってしまう。
 ともしなければ、むろん悪いものでもないんだけど。


2019/1/1火
 晴れたれば、鮮やかれ。元日はお客さん少なかったけど、10年以上前に某バーで僕やsueさんと肩を並べて飲んでいた方が来てくださったり、遠く海のない県から来てくださったり。お店ってのは開けていれば何かある、というのは本当ですね。
 そのひさかたぶりの方を通じて、もう70歳になるはずの当時の飲み友達の方とお電話させていただいた。感激。年末年始やり続けるのはどうなん? というのは自分でも思うんだけど、こういうことがあるからいい。ひさびさに来てもやっている。遠くから来てもやっている。窓が開いている。火がともっている。それって本当にありがたい。なんてこと言って来年は休むかもしれませんが、いずれにしてもよろしくお願いいたします。

2019/1/2水
 大好きなお店の店主さんがお子さんとおじいさん二人(お客さんたち)を連れてやってきてくださった。こういうことも正月ならでは。ありがとうございました。励みになります、好きな人たちに応援していただけるということは。

2019/1/3木 k店長

2019/1/4金
 1日に引き続き、これまた2005年ごろ(二十歳のとき)同じお店で飲んでいた方がお越しくださった。年末年始は本当に本当、いつもと違うことが起こる。彼曰く「7年ぶり」とのことで、たしかにそれ以外だと小沢健二さんのコンサートでたまたま会ったのが二度くらいあるだけかも。
「7年ぶりだってのに大して驚きもしないで、昨日会ったみたいに挨拶されてビックリした」(意訳)と言われた。それはちょっと意識してやっているかもしれない。寝耳に水くらい突然だったらビックリもするけど、ネット上の交流はあるのだし。できるだけビックリしないようにしております。「当たり前」でいたい。なにかが「特別」になりすぎてしまうと、それ以外のものの「特別さ」がないがしろになる。ディズニーランドに行くことだけが特別なんじゃなくて、近所の喫茶店でも、ひょっとしたらコンビニやスーパーでさえ、特別なのかもしれないのだから。
 久しぶりでも、昨日ぶりでも、同じように特別である(そしてかつ、日常でもある)ような場にしておきたいのです。

2019/1/5土
 旅先や帰省先から、家に帰るより先に直接お店に来てくださる方がいる。あるいは深夜バスに乗る直前に寄ってくださる方もいる。そういうのって「ゲート空間」って僕は呼んでいる(もともとは友人の麻倉氏が生み出した造語)のだが、そう。そういうゲート空間。ゲートだけど空間。そういう場所ってほんとに大事。門なんだけど空間で、けっこうずっと居てよくて、自分にとって心地の良い場所。こっから帰るとか、こっから出かける、っていうのがやりやすい場所。
 そういえば木曜前半担当のk氏は、「家に帰るのがさみしいから夜学を経由して帰る」ということをたまにしているらしい。夜遅くに一人で現れると、ああそういう日かと思う。とても嬉しい使い方。

2019/1/6日
 あ、久しぶりだなと思うお客さんは当然いる。口には出さず、心の中で思う。そして考える。人はなぜ「久しぶり」と言うのだろうか。いろいろわけは思いつく。ただそのとき特にそれを言う動機がないなら、まず言わない。言ったらダメだと思っているわけでもない。べつに言う理由もないよなと判断して言わない。
 16日から水曜日、新しい人に入ってもらうことにした。その人から「常連さんと初めていらっしゃる方の比率はどのくらいですか?」と聞かれた。それは僕もわからないので、とりあえず「たまに来る、ってくらいの人が多いと思います」とだけ答えた。
 へんくつなようだけど「常連」という言葉が僕は好きではない。常に連なる、だぜ? と説明すればなにが嫌なのか想像していただけるだろうか。「つるむ」感じになるのは嫌だし、「コミュニティ」に堕すのも御免なのだ。そういう方向性の素晴らしいお店は巷にたくさんあって、僕だってお世話になっているのですが、夜学バーはまた別のところをめざしたい。
 そういえば「常連さんですか?」と問われて「はい、常連です!」と胸を張って答える人は、どんな店でもたぶんまずいない。だいたいは「ええ、っと……まあ、たまに来ます」みたいな答え方をして、周囲から「いつもいるじゃん!」とか突っ込まれる、なんて展開が多いように思う。
 夜学のお客に関していえば、「常連」といえそうな人は(僕の感覚では)いない。いたらちょっと困るので、「そんなに毎日来られてもお互いのためになりません」と注意したことさえある。もちろん、週に何度か足を運んでいただく、というのはとても嬉しい。しかし「ほとんどの曜日に、開店から閉店までずっといる」ということになると、「その人の店」になってしまう。そういうことのバランスについて考え、実践するのも、夜学バーというお店の主要コンセプトなのであります。
 ただ例外はあって、一時的にはそうでなくてはならない、というタイミングは存在すると思う。それもバランス。精神的に参っていて、この夜学バーというお店に来ていないと、自分がどうなってしまうかわからない。そんな状態だって世の中には存在するだろう。そういう場合は、ぎりぎりのところまで「どうぞ」とむしろ、言い続けなくてはならない。その人が、ひいてはこのお店がさらに健やかになるための道筋に、そういう時期だってあっていい。そう信じるならば、そうすべきはず。
 そうなると疑問がわく。「毎日のように来ている」時期はなるほど「常連」のようであるが、その後精神が安定するなどし、「月に1〜2度くるかどうか」という状態になったとき、その人は「常連」と呼ばれるのだろうか。あるいは「年に数回」となったらどうか。「かつての常連」とでも呼ばれるようになるのだろうか。そういうランク制みたいなのは、実に夜学らしくない(というのが、わたくしの夜学観)。
 結局のところ、「常連ですか?」や「よくいらっしゃるんですか?」的な問いかけには、「ええと、まあ……へへ。それなりに」くらいの温度で、言葉を濁す以外にないのではないかしら。「それなりに」という、なにも意味しない返答こそが、唯一の矛盾しない返答になる、のでは。
 実際、夜学バーには「常連」といえるくらいにいつもいるような人はいないし、かといって初めて来るお客もけして多くはない(数日あれば1人はかならずいる、という感じかな)。再びいらっしゃる率はけっこう高いと思う。で、結果的に「たまに来る」くらいの人がいちばん多くなる。その「たまに」が週に一度か、月に一度か、年に数度かは人それぞれだし、むらもある。ある週に数度きた人が、次の週には一度もこない、ということだってザラにある。その逆もある。結局それは、その人の気分とか環境とか、経済状況とかなんだとかとにかく色々な要素が絡まり合って変わっていくのだ。「この人よくいるな」とある時期に思った人がいたとしても、ちょっと経てば「あの人見ないな」になり、またちょっと経つと「最近またいるな」になる、みたいなことも多いわけで。
 だからもう一言でいえば「常連などない」ということだし、「常連は現象であって個人ではない」。そういうふうに夜学では(というか僕は)考えております。
「久しぶり」と言って、その後は「久しぶり」を言わないような期間が続いて、また間があいたら、ふたたび「久しぶり」を言う。これはいったい何のための「久しぶり」なんだろう? ただ事実を確認しあうだけなのだからべつに深く考えることもないんだけど、せっかく夜学なのだから深く考えて「久しぶり」も言いたいのです。「最近来てくんなかったジャナイノよぉ」みたいなニュアンスが、もし伝わってしまったら絶対にヤなのだ。「ありがとう」が伝わるのも妙だなと思う。「あ、どうも」くらいの、意味なき気分が僕にはここちいい。

2019/1/7月
 夜学バーに通っているAさんがいて、AさんがBさんに「よかったら(夜学バーに)行ってみたら?」と軽く告げてみたところ、Bさんがほんとうに来店し、そのすぐあとにAさんが来店、「エーッ!」ってお互いびっくりする、なんていう顛末。そのあとでBさんの友人のCさん(Aさんも名は聞き及んでいた)がやってきて、ウワーッて感じで、実に実に僕はそういうのが楽しい。奇跡と偶然ってのはおんなじものなんだよなあ、だから何だって信じられるんだ、なんて迂闊にも(?)考えてしまった。うーんさらに言うのならばその偶然は、人の意志が寄り集まってできあがるんだから、もう凄まじい。
 Aさんご帰宅し、BさんCさんになったところで僕はあすかさんに交代。BさんCさん(ふたりとも女性で、あすかさんよりもお若い)ともあすかさんに興味を持っているように見受けられたので、僕は余分だろうと二時間ばかり店を出て、ギャランという喫茶店でちょっとお仕事をして戻った。その「欠席力」はたぶんまあまあ正解で、それなりの意味があったとしんずる。不在、ということを発想できるのは高級とこれまた、しんずる。ある場があれば、まずは自分が「いる」か「いない」かの差があって、どちらの意義にも意識を向けたい。

2019/1/8火
 新人のかりんさんにお手伝いいただく。夜学に何度も足を運んでくださるのはすばらしい方ばかりなので、オンザジョブトレーニングがとてもはかどる。ありがたいことです。教えつつ動きを見て、おおむね良き振る舞いだったのでとても安心。「教わったことができる」「教わっていなくても当然するべきことを適切に判断して実行できる」「すべきとまではいえなくてもしたほうがいいことを考えて実行できる」という三つが、基本的にはお仕事の核だと最近思っているのだけども、そのあたり十全に満たしているように思えた。たよりにしています。

2019/1/9水
 数時間立ってあすかさんに交代、気になっていたお店に。とてもよかった。店にいることは大好きだし、何は無くとも店の顔である僕はできるだけ店にいるほうがいいとはいえるが、しかし店にばかりいたのでは「夜学」の空気は淀んでしまう。外の空気をいっぱいに吸って、店のなかでそれを出す。店の空気をいっぱいに入れたら、外に出てそれを吐いてくる。そういうふうに空気は循環する。それをお客さんだけに任せていると、いつのまにか新しい空気が入らなくなってくる。つまり同じ息だけが店にたまるようになる。そうなると「夜学」はおしまいである。だからいっぱい外に出ます。僕がお店にいなかったら、「どこかで違った空気を吸って、それをまたここに持ってきてくれるのだろう」と思っていてくださると幸い。もちろん、いないとき(別の人がお店に立っているとき)はまず間違いなく事前に告知しますので、HPのトップやツイッター、Googleカレンダー等をごかくにんください。「j」や「ジャッキー」と書いてあれば僕はいますので。(いなかったら叱ってください。)

2019/1/10木 k→sue店長

2019/1/11金
 面白い日だった。ある方と一対一で漬かるほど話して、たぶんお互いにとってものすっごく意義のある時間にできたと思う。そのあとまたべつの方と一対一でじっっっくりと話し、これまで自分に見えていなかったその方のさらなる魅力(柔軟性とか、発想の豊かさとか)がわかったりして、これまたたぶんお互いに充実した時を過ごせたはず。夜学のようにさして流行らないバーだと、一対一でそれなりの長時間お話しするという事態がたまに起こる。それが何回かあると、やっぱりお互いに緊張もほぐれて、慣れてきて、普通ならさらけ出さないような領域を披露しあったりする。それはプライベートなことを話してしまうとかそういうことだけではなくって、「ちょっと突飛な発想」とか、「自分独自の見解」みたいなことが、言えてしまうようになる。こうなってくるともう知性が花開いたような状態で、会話という行為がまるでカウンターの上へ一緒にお城を築き上げていくような、遊戯性を帯びた「知の共同作業」といったような風情になってくる。あとからきたお客(その後ばらばらに5名いらっしゃった)もその速度に乗っかったごとく「お城づくり」に参加してくださって、一夜の営業がまるでひとつながりの音楽のようだった。断然よくあることなのです。

2019/1/12土
 昨日よりさらに長く、一対一で5時間ちかく話し続けて22時をまわった。これまた濃密な時間だったが、そこからもまたよかった。ひとり増え、ひとり減り、23時半をすぎてふたり増え、24時半を目前にまたひとり増えた。その最後のお客は初めてお越しになる方で、おそらくお互いにとって邂逅といえる良き出会いだったと思うし、そうであることを願ってやまない。遠方からきた若き人。上野周辺をRPGして(※RPGする:見知らぬ町を歩き回り、酒場などで情報を集めながら己にとってよき場所を求め訪ねること)、3軒目にたどり着いたのが夜学だったらしい。僕もうれしくなってしまって、25時をまわってもしばらくお話させてもらった。「町をたずねること」「お店に行くこと」という話題を軸に、いろいろと。こういう人と出会うことや、こういう人と再会することが、僕にとってお店を開ける理由の大きなひとつ。また会いましょう、絶対に。

2019/1/13日
 最初は「人に連れられてきた」人が、一人でおこしになるようになると、うれしい。たまにいっしょにきたりするのも趣がある。一人でいるときと、その相手といるときとの感じが違うのも面白い。

2019/1/14月 小津店長

2019/1/15火
「あのジャーナル(このページのこと)とかいうの、いつまでやるの?」と素朴に聞かれた。どうしよう。いちおう秘境なので、ずっとやる意味もあんまりない。ある程度たまったらやめるかもしれない。もっと簡素に書くようにするかもしれない。3月で半年になるので、一区切りつけようか。たぶんあまり多くはない読者のみなさま、ご意見ください。
 このページの目論見は、「興味あるけど二の足を踏んでいる」まだ見ぬ未来のお客に向けて、「あなたのためのお店ですよ」ということを伝えること。こんなお店です、店主はこんな文章を書く人です、という表明。それはある程度の量がたまれば達成できる気もするし、でも「最新」ということが大事な気もするし。

2019/1/16水 かりん→あすか店長
 かりん氏初登店。これからよろしくお願いします。

2019/1/17木 k→sue店長

2019/1/18金
 めずらしくお客の多い金曜日。先週は6人、次週は4人。ふだんは金曜日だってそんなもんだけど、多い時は多い。といって入れ替わり立ち替わり8時間でのべ15人、それでもここ夜学バーとしては半年に一度くらい[要出典]の盛況。「週末は混みますか」とたまに聞かれるけど「振れ幅が大きい」としかいえない。数人ってことも多いし、平日のほうがずっと人が入る週もこれまた多い。夜学バーはほんとに、普通の飲食店と動きかたがだいぶ違うように思います。
 だから「混みそう」と言って週末を避けるのはナンセンスで、「どの日が混むか」というのは競馬予想くらい難しい。なるべく空いている時に来たいという人は、悪天候の日に来ましょう。つんく先生に「台風の日は這ってでもキャバクラへ行け」という格言があるとお客さんに教わったのですが、まさに。「せっかく行ったのに人がいないとつまんないな」という人は、もういつでもおいでください。こればっかりは読めません。
 ところで「のべ」というのは何かというと、一度退店してまた戻ってきた人がいるということ。そういうの大歓迎です。木戸銭(チャージ)は原則として1日1回なので、再来店の際はいただいておりません。従業員がまちがえていたらこのページをみせてくださいませ。

2019/1/19土
 浅羽先生の夜の会。その後は客こず。
 今後は夜の催事を一掃し、すべて昼にする予定。夜せっかく来てもらったのに入れないのは忍びないので……。2月からは年中無休(原則)かつ、17時(たまに18時とか)以降はかならず通常営業、というふうになると思います。

2019/1/20日 後半あすか店長
 昼、『鈴木先生』精読会。17時すぎからあすか店長に交代。しばらくいて退出。
 この精読会はとても面白いので、もうちょっと人がきてくれたらいいなあ。遠慮している方は、遠慮しないで、ぜひぜひ。

2019/1/21月 小津店長

2019/1/22火
 某地でバーを経営する若者(大学生!)から、「L字カウンターのお店って夜学バーが初めてなんですよ、みんなでお話する感じが素敵ですね。」と言われた。おー、やっぱりバーらしいバーってのはI字の一本木バーが多いんだろうなあ。(もちろん一本木蛮先生とのダジャレです。)
 一直線のカウンターにも良いところはたくさんある。どっちに向いているか、というのもお店をやっている人によってそれぞれ。僕はたぶんL字(理想はV字)が向いている。夜学バーのテナントも初めて見学にきたとき、「このカウンターの形なら」と思ったのをよく覚えている。
 そのあたりの事情については「TOP-STAFF-ジャッキー-場の本(PDF)」という流れを辿ればこのHP内で長い長い文章が読めます。夜学バーを作る前の僕の考え方が記された歴史書です。よろしければどうぞ。

2019/1/23水 かりん店長、深夜(庚申につき朝まで)僕
 まだ二度目のかりん氏。本当はつきっきりでOJTしたほうがいいのだが、もう一人で大丈夫だろうと甘く見てちょっと遅刻して(20時半ごろ)行ったらけっこうお客さんがいて大変そうだった。申し訳ないです。でも上手にこなしていた。あとはお酒を覚えるだけでしょう。
 肝心の庚申は僕含め3人で徹夜。深く話し込めた。60日に一度なので次回は3月24日(日)、この日は朝までやります。次の日げつようだから人くるか心配だけど、日程をずらしたら意味がないのでもちろんやります!

2019/1/24木 sue店長

2019/1/25金
 ゆったりとした金曜日。近所に「道」というバーがあるのだが、そこのお姉さんがたびたびこのお店をお客に紹介してくれているようで、「道から来ました」という方がたまにいらっしゃる。なんとも嬉しい。僕もよく飲みにいくのですが、その時に隣り合った方にも「この人、夜学バーってお店を近くでやってて」と言ってくれるので、それで「こないだ道でお会いした者です」というふうに来てくださる方もいる。そういうふうに他のお店と仲良くしていくのは楽しいし、うれしい。荒木町の「高品質珈琲と名曲 私の隠れ家」というお店とも、そういうような関係がある。(僕は事あるごとに紹介しているが、混みすぎたら自分が困るというパラドックス。)
 一度、「道でお会いした者です」的なのをほかのお客さんが聞いて「えっ、ジャッキーさん道端でお客をつかまえてるんですか?」と思われてしまった、という笑い話。
 よくきていただいている方と二人きりでしばらく(2時間くらい?)、その人の好きな音楽などかけながらゆったりとお話しした。紅茶の似合ういい時間。(紅茶は飲んでいなかった。)
 いろんなふうの時間があってお店は楽しい。

2019/1/26土
 昼は小沢健二さんの『さよならなんて云えないよ』という曲の歌詞について話す会。人気の曲だからか、ちょうどよく人がきて盛り上がった(ありがたいです)。この人の歌詞はほんとうにいろいろと、考えることが尽きない。「青い空が輝く 太陽と海のあいだ」という歌詞ひとつでも、平面的に見るか立体的に見るか、その他さまざま着眼点は無数。
 17時から通常営業に切り替え。たくさんのお客にきていただいた。「切り替え」といっても入れ替え制でなく残る人は残るので、昼の余韻を残しつつ少しずつ夜になっていく感じ。徐々に日がくれる。
 老いも若きも。やはり若い人、ことに20代前半くらいの率が(こういう業態にしては、かなり)高いが、40〜70代の層も少しずつ盤石になっていく感がある。10代も増えている。男女のバランスもいい。ここんとこ良好、いろいろ。
 と、いうような「客層」の話もすでに書いていそうな。どうしても繰り返しになってしまうけど、その都度ほんの少しずつ変わっている、はず。それも「日報」の醍醐味なのかも。

2019/1/27日
 18時くらいに昼の会がひと段落し、数時間音沙汰なし。22時近くなってちらほら現れ、計5名いらっしゃった。そういう日もある。面白い。
 小山田圭吾さんのお誕生日だったので23時過ぎくらいから以下の曲を(こっそり)かけていた。『あなたがいるなら』『Sleep Warm』『Brazil』『STAR FRUITS SURF RIDER』『Rock/96』『太陽は僕の敵』『奈落のクイズマスター』『偶然のナイフ・エッジ・カレス』『FRIENDS AGAIN』『(I would want to)GO!』……(つづく)。
 本当は小山田さん作曲でまとめたかったけど、そこまですることもないかと以上のような。(お客さんが「あ、奈落のクイズマスター」と言ったのを僕が聞き間違えて(?)「のらくろクイズマスター?」と返した、想い出。

2019/1/28月
 小津氏にかわり急遽。ふつうの月曜は久しぶりなので、月にちなんだ曲を(こっそり)かけていた。
 早い時間に来がちな人と、遅い時間に来がちな人。時間がとくに決まっていない人。いろいろいて面白い。これを書いているのは某日の20時18分で、開店から3時間以上経っていますが誰もきません。

2019/1/29火
 営業中に橋本治さんの訃報に接し、やや狼狽。詳しくは僕の個人HPの日記をご覧くださいませ。

2019/1/30水 かりん店長
 かりん氏のサポート(というかOJT)で来たが、ほぼずっと客席にいた。もう一人前ですね。

2019/1/31木 j→sue店長
 k氏欠席のためsue氏到着まで立つ。お客ちゃんといらっしゃって甲斐あり。交代してから、湯島近辺で四軒ほど飲み歩く。初めてのお店にえいやと入ったら、素晴らしい世界が広がっていた。
 そこは木曜の夜しか開けていないそうで、何十回もその前を通ったことがあったのに気がつかなかった。聞けば同じ趣味を持つ仲間の集まりで、「そうでない」人は一人もいなかった。それなのに閉鎖性がいっさいない。感動的なほど。
 外観からして、お店なのかそうでないのかよくわからない。一応のれんは降りているし、店名らしきものの書かれたフダもあった。でも中を覗くと、一つのテーブルをみんなで囲んで、缶ビールなんかを飲んでいる。きわめて内輪っぽい空間! 僕みたいなもんが入っていいものか。知らない人に来られたら迷惑なんじゃないだろうか。かなり逡巡したが、「ままよ」と「えいや」で扉を開けて、「ここは、飲み屋さんでしょうか?」と我ながらあほらしい聞き方をしてしまった。
 すると、店員らしきふたりと、3人のお客さんがほぼ同時にこっちを見て、即座に口を揃えて、「飲み屋で〜す」と、返答してくれたのだった。
 こういう小ぢんまりとした店に入って、これほどのウェルカム感を浴びることはそうそうない。そういえば前橋でお店をやっているある方が言っていた。「東京は、誰でも受け入れる感覚があるよね。地方だとそうはいかない。知らない人が来たらまず警戒する」と。ああ、まさにこれが東京ってやつなんだな!
 それで美味しいお酒と、おつまみと、あつき歓待をいただいて、ホクホクと次の店に向かったのであった。(そして最終的には夜学に帰った。)かならずまた行きます。
 かならずしも、すべての店がこのくらいのウェルカム度を持っているべきというわけでもない。じっさい夜学バーは「平熱」。無条件に受け入れもしなければ、もちろん拒みもしない。こっちとむこうのありかた次第で、すべては変わる。だけど世の中にああいうお店があるというのは希望だし、タイミングによっては夜学バーだって、ひょっとしたらああなる瞬間があるのかもしれない。そういう奇跡(?)も見てみたい。

2019/2/1金
 たまたま若い女性が3人になった瞬間があって、嵐と関ジャニ∞の話になった。そういうタイミングも、非常に面白い。意思は言葉を変え、言葉は店を変えていく。
 また「客層」みたいな話になってしまうが、最近女性客が相対的に増えてきた気がする。今日は6/7が女の人だった。この湯島という街は(とりわけ、この上野寄りのエリアは)、基本的には男性が飲む町であろう、と思う。夜中になると治安は多少荒れてくる(やさしい表現)し、ごみごみしていて、オシャレな感じはしない。この小さな路地の三階の店が、果たして安全なところかどうか。というのは、やはり時間をかけて慎重に判断していただくべきことなのだ。もうすぐ開店から2年経つので、そろそろそういう意味で「安定」してきたのかもしれない。簡単に言葉にしてしまえば、「2年もやってんだから、まあ安全なんだろう」という感覚が、そういう言葉にはなってなくても、意識にはほとんどのぼらなくても、なんか全体にこう、雰囲気として漂ってるのかも。
 実際、「1年くらい前から存在は知っていたんですけど(今日初めて来ました)」というようなことを言われることは多いし、1年目に一度きて、しばらく(数ヶ月〜1年)おいてまたきて、それから安定して通ってくださるようになる、なんてケースもいくらか。「時間」というのは、そういうふうにも作用する。継続は力と言うけど、本当だ。(でも継続だけが力でもない。)

2019/2/2土 あすか店長

2019/2/3日
 そういえば夜学バーを卒論のテーマにした人は無事提出を済ませ、卒業を待つばかりのようです。お店に納品するはずの卒論は、「今のままでは満足がいかないので」という理由で、書き直してから納めるそうな。
 そして今また、「夜学バーを卒論の材料の一部にしようと考えている」人が登場。はてどうなることか。取材や協力は惜しまないので、卒論のテーマや材料に困ったらぜひご利用ください。

2019/2/4月 小津店長

2019/2/5火
 強調しておきますが、こんなことは珍しい。従業員が客として4人もきた。あんまり身内ばっかりお店にいるのはダサいので、みんなそれなりの頻度でしか飲みには来ないけど、考えてみればみんなもともとはお客さんなんだから、こういうこともありうるし、十分にあっていい。みんなこのお店が好きでいてくれて、だからこそ薄給で手伝ってくれているのだから。本当にもう心から感謝しております。個人的には、ちょっと嬉しかった。

2019/2/6水 かりん店長

2019/2/7木 j→sue店長
 k氏休養のためj入るも、21時ごろまでお客なし。sue氏が店に到着した瞬間に数名が来店。シードルいただいてから浅草まで飲みに出た。

2019/2/8金
 花の金曜日、8時間営業してお客が2名。そんな日もある。

2019/2/9土
 昼間、仲の良い人に立ってもらった。夕方から通常営業。合算して昨日の10倍以上の来客があった。夜はちょうど満席になるくらい(といって最大8人ていど)。
 それなりに人が多くなると、小さな店の中でも2つか3つの「場」に分かれがちである。その中に1人でも声の大きな人がいると、その「場」の人たちも自然声が大きめになる。すると店全体に響き渡り、ほかの「場」の人たちも小さな声では通らなくなるので、みんなが声を大きくせざるを得ない。で、「うるさい店」になってしまう。僕はこういうのが非常に嫌なので、おりを見て「夜も更けてまいりましたのでちょっと小さな声で」などとお願いをする。最初に大きめの声を出しはじめた人さえそれをやめれば、全体も静まる。たいていの人は周囲の環境に合わせて、声量を変えているだけだから。
 これ実は、学校と同じである。なぜ授業中の教室は騒々しくなるのか。その要因として最大のものは、「誰か1人(ないし2〜3人)が大きめの声でしゃべっている」なのだ。
 授業中に友達と喋りたい。それは理解できる。あれほど楽しいことはない。だから僕は教員をやっていた頃でも、「しゃべるな」と言ったことはたぶん一度もない。べつに喋ってくれてもいい。小声であればさして困らない。それで僕は(思えば23歳の時すでに)「お話がしたくなったら、声帯をふるわせずにしゃべりなさい」と告げていた。これは本音である。自分(たち)の欲求も満たしつつ、教員および周囲の生徒たちになるべく負荷をかけないためには、「ひそひそ話す」しかないのである。
 しかし、それができない人がいる。声というのは原則として、大きければ大きいほど出していて気持ちがいいものである。だから「気持ちよくなりたい」と専心的に願う人間は、大きな声を出す。1人でも大きな声の人間がいれば、小さな声が通りにくくなるし、「なんで私たちだけが小さな声で話さなければならないのか?」「私たちだって気持ちよくなりたい!」という不公平感が募り、みんなが大きな声を出すようになる。そうなるとさらに声は通りにくくなり、応じて声量はどんどん大きくなっていく。結果、教室は騒々しくなるのであった。
「いいかね、大きな声を出さないほうがいいところで、大きな声を出してしまうというのは、結果を顧みず肉体的な快楽に身を委ねることなんであって……」なんてギリギリの注意をすることもあったが、晩年(辞める直前)はそもそもそのような形で教室が騒々しくなることもなかった。いちばんいいのはそれだ。教員としての技術の向上と、生徒との良好な関係と雰囲気づくり。ようやくうまくできるようになったから、辞めることもできた。
 お店だって似たようなもの、とつくづく思う。技術と関係と雰囲気。
 少し騒がしいな、と思ったら、BGMや照明を工夫してみる。何らかの具体的介入で流れを動かしてみる。それでもダメなら、はっきり伝える。
 もちろん、べつにその場では誰も不快には感じていないかもしれない。みんなその喧騒の中に揺られ、むしろ気持ち良くなっている可能性すらある。ただ、今その扉を開けて、知らない人が入ってきたとしたら?
 その誰かは見知らぬ誰かで、どんな人かはわからない。その喧騒をその人がどう思うか、わからない。
 忍者が片膝と片手をついてしゃがみこむのは、いつでもどっちにでも飛び上がれるためだという。「店」のように開け放たれた場もそのように、緊張感と柔軟性をもち、来る無限の可能性に向けて常にひらかれ続けていなければならない。と、いうように僕は思う。
「柔軟に穏やかに盛り上がる」ということは、もちろんできる。

2019/2/10日
 静かな夜だった。でも寂しくはなかった。ちょうどよい。ゆったりしたい人はぜひ日曜に。

2019/2/11月 小津店長

2019/2/12火
 たばこは外で吸う、という習わしが定着しつつある。2000キロの遠くからお客がきた。お客さんから仕事(単行本の帯文を考える)を依頼された。
 店は生きている。新潟県の上越市に「シティーライト」というすばらしい喫茶店がある。85歳くらいのママが今は一人でやっている。30年以上続いているこのお店が、なんと去年から禁煙になったという。時代の流れで仕方なく、というのではない。ある時ママが思い立ってその日から禁煙にしたそうだ。
 店は動き続ける。躍動する流動体。淀んだらいつでもここは去ります。

2019/2/13水 かりん店長

2019/2/14木 k→sue店長

2019/2/15金
 25時に来客。近所のお店から流れてきたそうな。「夜学」という言葉が気になって、とのこと。
 湯島には夜のお店がたくさんあって、「近所のお店」も無数にある。ただどうも夜学バーは、テキーラをどんどこ飲んだり、折にふれシャンパンをパーンする感じではないのでたぶん水が合わず、近所づきあいもあまりない。実際仲の良いお店はあるが、ほんとにほんのすこしである。
「そういうお店」をちょっとずつでも増やしていきたい。もちろんお店に限らない。「場」であればいい。焦ってどっからでも人を呼ぶより、そういうとこから真水だけをちょろちょろと引いてきたい。
 また、「知識」以上に「知性」を大切にしていたい。
 たくさんものを知っていて、それを一秒間にどれだけ連射できるか、ということよりも、ちょっとのことを的確にバーンと撃てる、というほうがまだしもカッコいい。しかしそもそも「撃つ」時点であまりうまくない。知性はなにに宿るか、という問題。そういうことをずっと模索する店でありたい。

2019/2/16土
 昼に浅羽先生の会があると18時くらいまでは混んでいることが多い。本日お一人、17時すぎにお越しになった方が中を覗いてあえなくお帰りに。まことに申し訳ないです。またきてください。混んでてもスッと入っちゃえばそのぶんトコロテンするので、ご遠慮なく。
 18時にばーっとみなお帰りになり、それからばらばらと計7名の来客。相変わらずいろんなところからいろんな方が来てくださる。ありがたい。新しく通ってくださる方も多く、「お客さん」の総数は増えていく。最近あまり行ってないな、という方々も、たまに来るといろいろ空気が新鮮になっているはずですので、ちょこちょこ覗いてくださると幸い。

2019/2/17日
 昼は『鈴木先生』精読会。今回は終了後、作者の武富健治先生がおいでになった。「会のつづき」という雰囲気ではなく、ひとりのお客として夜からきた方々とも溶けあってくださった。決して「中心」になろうとせず、場をちゃんと見てくださるのが流石です。
 素晴らしい場面や邂逅もあった一方、バランスの良くなかった瞬間も多少はあって、うーん、手腕の問われる夜だったなあ。勉強になりました。

2019/2/18月 小津店長
 小津氏はこの店に立ってもらうようになって1年3ヶ月くらいになるそうだけど、まだこなれない部分が多く、ちと手を出すことに。こなれてもらえるよう僕もがんばります。

2019/2/19火
 L字カウンターのみの夜学バーでは「並び」は大切である。複数の人が一列に並べば、誰がどの位置にいるか、誰のとなりに誰がいるか、といったことによっていろいろ事情は変わる。席順ですべてが決まる、という話ではもちろんない。席順によって、考えることが変わってくる、という話。
 カウンター内の従業員はもちろん頭をフル回転させて「考える」のだが、席につくお客さんたちも「考える」べし、というのが、夜学バーの信念というかコンセプトの一つ。といってべつに、小難しい話ではありません。右隣の人が左隣の人に声をかけたら、真ん中にいる自分はいったんちょっとうしろに身を引いてみて、まず様子をみる。とか。そういうくらいのこと。
 そういうことは普通の人は自然に考えている。まったく考えない人もいる。しかし、基本的にはこのお店に何度かきていると、自然とそういうふうに考えるようになる。みんなができるだけ心地よくいられるようにするには、自分はどうすればいいだろうか、ということを、たいていの人間は当たり前に考えているはずなので、おのずとそうなる。
 そういう能力のある人にきてほしい、というばかりではない。そういう能力がないので、ぜひとも身につけたいと思う人にもきてほしい。ただ、そういう能力をいっさい意識したくないという人だと、ちょっと困る。
「みんなができるだけ心地よくいられるようにするには、自分はどうすればいいだろうか」というのは、夜学バーの芯にある態度である。その「みんな」には「自分」が必ず含まれる。だが「みんな」というのが「いまその部屋の中にいる全員」をみな含むかどうかは、定かでない。しかし「いまその部屋の中にはいない人」がかなりたくさん含まれているということは、疑いがない。
「みんな」とはなんだろうか? とは、常に考える。考えて、それが完全にわかることはない。しかし、そこに「自分」が含まれていることだけは確かだ。単純に考えれば、「『みんな』の中に自分が含まれているのだと意識している人たち」のことを、「みんな」と言うのかもしれない。だが、誰がそれを意識しているのかは、わからない。少なくとも他人には。
 自分がその「みんな」に含まれていることだけは確かで、ほかの人たちも「みんな」なのかもしれない。いまこの場所にいない人だって、「みんな」といえるのかもしれない。でも、「みんな」に含まれなさそうな人もいるような気がする。そういう面倒くさいことをいちいち考えるのが、実は生きるってことなんじゃないでしょうか。(急に話がでかい。)
 この夜学バーというのは、そのミニチュアだと僕は考えております。話が長く、固くなってしまった。僕はきわめて陽気な人です! パ〜。

2019/2/20水 k→あすか店長

2019/2/21木 k→sue店長

2019/2/22金 ちか店長

2019/2/23土
 僕はきわめて陽気な人なのです……。この日は話の流れで「いや〜ぼく占い師なんですよ〜」という大ウソをつき、勢いで「タモット占い」というのをその場で(瞬時に)考案、披露してしまいました。白紙のカード(メモ用に使っているやつ)を適当に並べて適当なことを言うだけの芸。途中で「ではこのカードの数字を覚えてください」とかを挟んで、あー面白かった〜。
 なんてことを書きますと、「ウワ……キツ……」「そういうノリの店なんスか……」「耐えられる自信がない……」「わけのわからないオリ芸(オリジナル芸)を押し付けてくる店主とか最悪……」といった感想を、まともな方でしたら持たれるでしょう。僕ならそう思います。でも、でも。それは「そういうことを許容してくれる(はずの)お客さんしかいない時に」「その場ではそれなりに面白い(はずの)ことを」「いつでもやめられるように」「きわめて短い時間のなかで」やった、というだけなのです。そこでギギッとドアを開けて誰かが入ってきたなら、僕は即座にタモ占を中断し何事もなかったように「こんばんは〜」とでも言ったでしょう。さして笑顔でもなく、フラットに。
 そのあとでいらっしゃったお客からも「しらふなんですか?」と言われたのですが、僕は多くの場合お店ではしらふです。たまに飲んでます。この日は一滴も飲んでおりませんでした。といってべつに僕はハイテンションな人でもないのです。場の様子に応じてハイにもローにもフラットにもなるものだから、それが不思議で「なんだ?」となるのかもしれません。自分で言うのもなんですが自在なほうだと思います。末っ子のよくする(?)「スッと色を変える」が得意なのかもしれません。
 夏目漱石の『こころ』の有名な一節に「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです」というのがありますが、店に立つとき僕はずっとこれをしているような気がします。この文は「私は、私の眼、私の心、私の身体、すべて私という名の付くものを五分の隙間もないように用意して、Kに向ったのです」と続きます。そのくらいできたら理想だなと思いながら、お店をやっております。Kはもちろん、カウンターのK!(Cやがな)

2019/2/24日
 

2019/2/25月
 

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