文責は番頭(Jacky)。夜学バー日録。

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 過去ログ 第一期


 バーやスナックはある種の秘境で、入ってみるまではどういう空間なのかわかりません。なんたってそこが魅力です。「秘密」や「謎」というのは、なんだってそれだけで人の心をくすぐります。入りづらそうなバーにこそ、入ってみたいと思ってしまうものです。(僕はそうです。)
 訪れたことのあるお店でも、日によって表情はかならず変わり、ある日の様子とべつの日の様子は全然違います。また、当たり前ですが自分がいなかったときのお店の雰囲気や出来事というのは、知ることができません。
 そのほうがやっぱり魅惑的だし、いろいろと騒動も少ないから、太古よりそうなっているのでしょう。
 ましてや現代、インターネット上で「今日は〇〇さんがお店に来ていた」と書けば、その日の〇〇さんの行動がバレバレになります。たったそれだけで、〇〇さんはなんらかの形で不自由を、または不利益を被りかねません。「あなた! 仕事だなんてウソついて、バーなんかに行っていたのね!」とか。そういう具体的なことでなくとも、自分の行動が意図せずどこかに残留してしまうのは、イヤな人にはイヤなものです。
 バーやスナックというのは未来には数少ない、「公開」を前提としていない場所、になっていくのかもしれません。(もちろん、公開を前提としたようなお店もたくさんあるでしょうが。)

 そういうことで、この夜学バーという小さなお店も、その日の営業の様子をインターネットを通じて発信することは、極力避けるように努めています。公式ツイッターに載せることは必要最小限、訴求力(宣伝力)のありそうなことに絞っているつもりです。会話の内容とか、どんなことが行われているか、どんなドリンクが注文されたか、どんな人が来ているか、何人くらいのお客さんが来ているか、ということは、あんまり書いていません。書くときは「夜学バーらしさのアピール」や「ブランディング」(!)を意識したときです。たまに「お客さんがいないよ〜」といった泣き言めいたことを書くこともありますが、さみしすぎてついつい本音が出てしまったのでしょう……。(これらは、「j」という署名があるツイートに関しての話です。)
 また、「訴求力がある」ことなら何でも書いてしまうのかというと、さにあらず。たとえ黒柳徹子さんがトツジョ来店しても、ご本人が公にそのことを表明しないうちは、こちらも書くことはないでしょう。お店のなかでは「じつはここだけの話、こないだ徹子さんが……」と思いっきり自慢するかもしれませんが、おそとでは言わない。そういうふうに、バーというものは「秘境」としての機能を守っていかなければならないのです。

 ではなぜ、この「ジャーナル」と名付けられたページをわざわざ作ったのか。「どんな秘境だって、たまには空撮くらいされていいだろう」という感じです。「アマゾンの文明未接触部族をドローンで撮影!」というような。(個人的には、『大長編ドラえもん のび太の大魔境』でヘビースモーカーズフォレストの中を空撮する場面のドキドキ。)

 無数にきらめく夜のお店。その中でそれぞれに毎夜、いろんなことが起こっている。そしてそれが、ほとんどすべて秘密の中にかくされている……そういう面白さの、わずかな一端を、ほんの少しでも覗き見してもらえたら、と。

 夜学バーというお店で日夜、どんなことが行われているのか。その全貌は誰にだってわからない。僕だって毎日お店にいるわけではないし、いるときでも見えていないことも多いはずです。ましてや、インターネット上でこのお店の存在を見つけて、未だ足を踏み入れたことがない、という人には、まったくなんにもわからないでしょう。
「わかんないけど、とりあえず行ってみよう」という人もいるでしょうし、「わかんないから、もうちょっと様子見だな」と思う人もいるでしょう。「わかんないから、まあべつにいいや」もあるかもしれません。このページが「様子見」の材料になればいいし、「わかんない」が「もしかして、こういうことか?」くらいになって、「ちょっと実際見てみよう」になればいいな、と願って、ちょっとだけここに毎日の記録を書いてみます。

 僕がお店に立っていた日のことだけを書きます。秘境性を保つため、ほとんどのことは書きません。とくに、後々なにかの「証拠」として機能しそうなことは避けるようにします。夜学らしく、起きたことよりも僕が考えたことを書くと思います。それでちょっとでもお店に興味を持っていただけたら。あとは、読み物としてある程度成立するものをめざします。
 タモリさんはかつて『笑っていいとも』について、「反省はしない」と長続きの秘訣を語っていたそうです。僕もずっとそういうスタンスでやってきました。10年くらいお店をやっていて、記録をとったことはこれまで一度もないし、反省らしい反省もほとんどしません。店を閉めた瞬間に、その日にだれがきていたか、ということさえ思い出せなくなるのです(本当です)。だからこのジャーナルなるものも、きっと「記録」や「反省」にはならないでしょう。
 とりあえず試験的に、こっそりとやっていきますね。
(2018/09/16 02:22)


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2019/07/05金
 ついに「日報書いてくださいよ!」と言われたので書くことに。2月ごろからさぼっておりました。また気楽に続けます。これより以前は「第一期」として格納しました。
「日報書いてくださいよ!」と言ったのは、ずいぶん前からのお客で、しばらくのあいだ東京から1500km以上離れた場所に住んでいた人。その間はあまりお店に来られなかったので、遠くからでも(ある程度は)店の様子のわかる「日報(ジャーナル)」が、もしかしたら少しは役に立った(?)のかも。
 上京のたび彼は寄ってくれていた。そういう人がいる限り、できるだけ休みは作りたくないものだ。灯火を絶やさないこと。たとえ建物が崩れても、ちょうちんだけはまっすぐおりる。なんて武田鉄矢さんのご母堂が阪神大震災のおり言っていたらしい。

2019/07/06土
 50〜60キロほど離れた土地から通ってくれている大学生のお客が、アルバイトの職を得た。ある中学生の家庭教師をすることになった。その中学生は夜学のお客の子供であり、当然その話はお店でまとまった。今日は三名の顔合わせが行われていた。結果的に仲介役となった僕もいて、また初めてのお客もいた。それでいてバランスは悪くはなかった。
 初めての方は、慎重に立ち位置を選んでくださっていたと思うし、だから僕もそれほど気を遣わず、全体を見ながら適宜立ち位置を(物理的にも)動かし続けた。こういう日はよい訓練になる。お店に慣れている人と、慣れていない人たちが、さして「気遣い」のようなものをせず、フラットに自然に居られるような状況をつくるのはけっこうむずかしい。
 中学生は、日本の歴史やお城なんかに興味があるようだったので、戦国時代の日本と古代ギリシャの戦争とを引き合わせて考えてみたり、元素のイオン化傾向と技術発展の歴史との関係について少し話してみると、深く興味を抱いたようだった。野球も好きなようだから、そういう話題にもけっこうなった。そして「みんながなんとなくわかる」という範疇を出ない。基本的には、他愛もない話が続いたり、親子のじゃれ合いを眺めたり。
 もし、とりわけ野球を好きな人が二人出会って、ほかにもそこに人がいた場合、その二人は二人の世界にいったん潜ってもらって、その他の人はその他の人でまた別の場をつくることになるかもしれない。一つの空間に場が二つ、という感じ。そしてまたそれが分解され、統合されたり新しい組み合わせになったりして、空間の場は流動していく。
 親子が帰ったのち、「ミッション系のミッションってなんだ?」という話題から、キリスト教だスピノザだハイデガーだ、存在を疑うとは、東洋と西洋とは、仏教と言語論的転回、とかいうふうになっていった。要するに少々こみいった話題である。
 夜学バーのよい(と僕が思う)ところは、「場が話題を決定する」が原則であること。「ミッション系(の学校)」というかなり一般的なキーワードから「どこ」に行くかというのは、「場」つまり、そこにいる人たちのさじ加減で決まる。どこに行ったっていい。そこで「スピノザ」が出たときも、次に「どこ」へ行くのかというのは、またその都度、みんなが決定するのである。
 たまたまその時、その場にはそういうこみいったことを考えたいタイミングの人たちがそろっていたので、そういうことになった。もしその中の誰かが、たまたまそういう気分でなかったとしたら、そういうふうにはならない。(さるべし。)
 よく「難しい話とかできないけど、夜学バーに行ってもいいですか?」と聞かれることがある。もちろん、ぜひお越しください。どういう「話」になるかは、みんなの気分や雰囲気でなんとなく決まっていくのであって、「みんな」というのには常にあなたもふくまれる。そして、このお店は本を読むような人ばかりが来るわけではないし、大卒ばかりが集まるのでもない。いろんな人がいる。共通するのは、「考える」ことが苦でないタイミングが多かったり、「楽しい」空間のバランスをとることが心地よかったりする、ということくらいだと思うので。
 ほんとに、出る話題というのは、そこらへんのスナックや居酒屋、ないし喫茶店で出る話題とさして変わらないことも多い。でも、たぶんちょっとだけ雰囲気は違う。その鍵は、「そこからどこへ行ってもいい」という自由さにあるだろう、とやっている側としては思っている。

2019/07/07日 あすか
2019/07/08月 小津

2019/07/09火
 前半は静か、後半にやや人が増える。平日は(理論的にも?)こういうことが多いはずで、早めにくると僕と二人きりだったりします。そっからだんだんお客が増えていったり、また減っていったりするのを眺め、「場の変化」を楽しむのがこういう小さなお店の醍醐味だったりします。そういう日も、たまにはつくってみてくださいませ。
 しっているお客さんがしらないお客さんを連れてきてくださる、というのがふた組あった。こういうのはとてもうれしい。連れてこられたほうの人が、一人できてくれるようになるのはもっと嬉しい。なんだってお客さんがくれば嬉しい。ありがたや。

2019/07/10水
 ちか氏復帰のはずだったけど諸事情で延期。小津くんも月一にしてもらったので、しばらくはスケジュールにjの字が並ぶことでしょう……。開店当時みたいで懐かしい。
 平日の夜。22時くらいからどっとお客が増えた。それまではまるっきり閑古鳥だったんだけど。いろんな動きをするからお店は面白い。
 日曜、あすかさんの日にいらっしゃったという方が、またジャズボール(仙台の「リチクク」という店がオリジナルの公認パクリカクテル)を飲みに来てくださった。二杯も。なかなかこれにはまってくださる方は少ないのでうれしい。「ネーポンクリームソーダ」という情報過多なメニューを頼んでくださった方も。よかった。ちょっと急に人が増えたのと、油断して僕もめずらしく(めずらしく!)お酒をちょっと(ちょっと!)飲んでいたので、パフォーマンスが完全でなかったかもしれない。
 お酒が入っている状態の自分を冷静に見つめながら営業するのも、夜学バーでの(僕自身にとっての)学びの一つなので、とてもためになった。けっこう飲んでも様子がおかしくなることはないけど、それなりの変化はあると思う。気になる人は、よーく観察してみてください。

2019/07/11木 k→sue

2019/07/12金
 前半、むかし週一で働いていたお店(ゴールデン街)や前にやっていたお店(西新宿・おざ研)にも来てくれていた古いお客としばらく二人きりだった。10年近く前からの付き合い。当時お店が新聞に乗った(そんなこともありましたねえ)ことをきっかけに知ってくれて、縁が続いている。彼の今いる業界の話などを聞いた。楽しい時間だった。
 20時か21時くらいからお客が少しずつ増えていった。はじめてのお客さんもいたし、アメリカから一時帰国している友人(はじめは「おざ研」のお客)、ほんの数十分しかいられないのに来てくれた人など、さまざま。古くからのかたもいれば、最近通うようになったかたもいて、はじめてのかたもいる、というので、バランスがとてもよかった。

2019/07/13土
 ある小説の一節に「You always know after you are two. Two is the beginning of the end.」というのがある。僕の個人サイトでは何度も何度も何度も引用してきた。著作権も切れていることだしあえて作品名は伏せよう。「きみたちだって、二つになれば、それがわかるようになる。どんなことだって二回くりかえせば、いきつく先が見えてくるものなのだ。」と芹生一(せりうはじめ)という人は訳した。おっと、こっちは著作権が現存するので、引用元を書かなくては。(なんのこっちゃね。)J・M・バリ『ピーター・パンとウェンディ』(偕成社文庫)より。
 そういうわけで、僕は「一度きてくれたお客が、またきてくれる」ということがうれしくてたまらない。二回、ということは非常に重要な意味を持つ。今日は「二度目」のかたがたぶん3名。「お店は初めてだけど、僕と会うのは二度目」という方が1名。「僕とは何度も会っているけど、お店に来るのは二度目」もいたかな? 三度目だっけ。
 関西からお越しの方も2名。なんだかいろいろと今日はとりわけ幅広く、じつに楽しかった。
 うれしかったのは、いつのまにかトイレのお手拭きペーパーを交換してくださったかたがいたこと。本来は僕が気づいて換えるべきなんだけど、どなたかが気を利かせてやってくださったようだ。こっそりと。
「勝手」という言葉は、「勝手がわかる」とか「勝手知ったる」といった具合に、悪くない意味でも使われる。「お勝手」もそうか。なんというか、そういうふうに夜学バーを「勝手」にしてくださるのは、ありがたい。どこのどなたか存じませぬが。
 それと、「押上のライフに寿がきやの袋ラーメンが売っていましたよ!」と教えてくださった方にも多大なる感謝を。名古屋人なので(ここは頑として因果関係を主張)スガキヤと寿がきやには目がないのだ。買いに行かなきゃ。
 Sugakiyaのロゴを見て「あ、ジャッキーさん」とか思ってくださったのだとしたら、このうえない幸せ。
 クリームソーダ、ネーポンクリームサワー、ミルクセーキ、コーヒー(同時に三杯、計四杯)など、喫茶系のメニューがたくさん注文していただけた日でもあった。これも幸い。

2019/07/14日
 静かな日。前半は十数年前からの友達(ちょっと年上)とよもやまの話。後半はけっこう長いあいだ、またべつのお客と二人でお話ししていた。明日が祝日とはいえ、天気も悪かったせいか、街も人が少なく、お店もちょっと、時間が止まったようだった。日曜は本当に、いちばん読めない。
 こういう日は、経営者としては心配にはなるけれども、ゆったり、深く話ができたりはして、楽しい。
 かなり仲が良い相手でも、煮詰まってこないと出てこない話というのはある。二時間とか三時間、話し続けて、沈黙も多くなってきたような頃に、ぽろっと言った一言が、ものすごく重要な流れのきっかけになったりする。クリッと音を立てて、空気が変わる。目の前がパアッと、華やかに広がる。そこからは、乗ってきたセッションのように進む。心地よき時間。
 それでいろいろとわかったり、言葉にできたりした。そういうことが明日からの営業にまた役立っていく、はず。

2019/07/15月
 雨、連休最終日。とて平常でいたい。でもダイレクトに客足には影響する、と思う。

 6月くらいから「ほんとにちかごろふけいき」って感じだった。
 一般論的にいえば、GWにお金を使ったぶん6月は消費を控えがちとか、しばらく祝日がないから遊ぶ体力が作りづらいとか、梅雨だとか、暑くなったと思ったらなかなか暑くならなくて戸惑っているだとか、いろいろあったと思うんだけど、実のところ「老後に2000万円」というフレーズの蔓延はけっこう大きかったと思う。
 金融庁の言いたかったことはとりあえず置いといて、注目すべきはともあれ「そのフレーズが蔓延した」ということ。実際それが何を意味するかは二の次で、「蔓延」すれば「意識」せざるを得なくなる。なんか、そういうことなんじゃないかなあ。
 たまに寄る浅草の「稲」というカフェバーのフェイスブックで数日前、「みんな2000万足りないから来ないの?」という投稿があった。そんなふうに感じている水商売の人たちは、けっこういるのでしょう。

 雨が降ると、本当にお店は流行らない。そりゃそうだ、雨より晴れのほうが外を歩くのに適しているというのが普通の感覚。雨の日はできるだけ外を歩く時間を短くしたいと考えるのが当たり前。だから寄り道しない。わざわざ外出もしない。お店をやっていると痛いほど実感できる。だからこそ「雨の日サービス」というものがあちこちにあるのだろう。(最近はすかいらーくがやっていて、何度か利用した。)
 夜学バーも「雨の日サービス」みたいなことをしたほうが儲かるのかもしれない。なぜならば雨の日はお客が少なくなりがちだからだ。(そうでない日もあるから面白い。)しかし、しない。したくない。
 雨の日サービスをしてしまうと、「雨の日は外に出たくないものだ」という偏った(!)価値観をお店が認めてしまうことになる気がするのだ。
 もちろん「雨の日は外に出たくない」という人が今のところ比較的多いから、実際に雨の日はお客が少なくなっているのだろう。しかし「雨の日こそ外に出たい」という人も、必ずいるはずなのである。
「雨の日は外に出たくないという人もいるが、雨の日こそ外に出たいという人もいるものだ」という価値観を当たり前にすることが、夜学バーのめざす「バランス感覚」というもの。だから、今のところは「雨の日は外に出たくない」お客が多いような気がするけれども、「雨の日こそ外に出たい」というお客も、同じくらい増えてくれればいいと願っている。そのほうがバランスいい。

「おお、雨だ。夜学バーに行こう」と思うような人が、いたら楽しい。台風だろうが大雪だろうが、このジャッキーさんとかいう人は「だれか来てくれるかもしれない」という強迫観念で店を開ける。ほかの人の担当日だったら、その人を休ませて自分が店に向かったりする。
「避難所のような役割を果たせるかもしれない」という思いもないではないし、大義名分としてはそれがあるのでここにも書きやすいのだが、本音を言えば「だって、こんな日にお店にいたら楽しいじゃん」である。
 もちろん自分も、本当に危ないような日は無理はしないし、無理して来てほしいともまったく思わない。でも、「あー電車が止まって帰れなくなっちゃった。でもちょっとがんばれば夜学バーに行けるな。風も落ち着いてきたし行ってみるか」くらいに思う人がいたら、けっこううれしいし、きっと楽しい。
 雨の日の夜にお店にいると、なんだかちょっと楽しい。その感覚が「わかる」ような人は、ひょっとしたら雨の日にこそ、夜学バーに来てくれるかもしれない。「雨の日サービス」をやってしまったら、その楽しさはたぶん半減する。いや、ほとんどなくなってしまうんじゃないかな。
 現実がどういうもんかというと、台風の日に這うようにしてお店に行って、17時から25時まで8時間いて、一人もお客が来なかった、という日が去年あった。そりゃそうだ、危険なんだから来ないほうがいい。来てくれとは思わない。だけどたまたま近くを通りがかったり、屋根を求めてさまよっているうちにたどり着いた人がいたりしたら、その時の気持ちって、どんなもんかな。だからそういう日こそ店を開けたい。もちろん無理して大怪我するようなことはないように、細心の注意は払いつつ。

 で、そういうことは「老後に2000万円、というフレーズが蔓延している現在」ということに置き換えても、似たようなもの。それを重要視する人もいれば、しない人もいる。だから行かないという人もいれば、だから行くという人もいる。
 雨だって台風だって、なんだって同じなのだ。
 関係があることには関係があって、関係がないことには関係がない。
(この話は非常に重大なので、いつか自分のホームページでわかりやすくまとめたい。)

 余計な話が長くなってしまった。
「21時に帰るつもりが23時になった」とか、「帰りたくないけど帰ります!」とか、夜学バーという場所についてたまに、「ずっと居てしまう」という方面のことを言っていただくことがある。幸せなことだ。「来る」も大事だけど、「居る」も大事なのである。「雨の日サービス」は「来る」のほうに重点を置きすぎなのかもしれない。「居る」に重点を置くと、あんまり天気は関係ない。雨音は聞こえてくるけど。

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