文責は尾崎(Jacky)。夜学バー日録。
2021年前半(1月16日〜6月28日)

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2021/01/16土 11−12
 夜営業を昼に再開(語法があやしい)する初日。本ホームページ上のみで告知した「11時から12時まで」の1時間営業、誰も来まいと気を抜いていたら、しっかりとお客がありました。ありがとうございます。みなさんちゃんと、読みに来てくださるものなんですね。SNSやnoteなどの「ウェブサービス」の外にも世界(インターネット界)がある、ということを、わずかでも示せたらと思っています。僕はこの自由で広大なインターネットが昔から大好きです。

 久々の営業で、年明けいっぱつめ、しかも土曜。感染者数も高止まりだし、活動的に外に出ている人も多いから、できるだけ人が来ないように「お酒が出せるギリギリの時間から1時間」にしたんだけど、それでもいらっしゃる方はいらっしゃる。そしてちゃんと「わきまえて」くださる(具体的には、大きい声を出さないとか)。頼もしい限り。
 12時直前に滑りこんできた方もあった。もし「20時まで営業」としていたら、20時直前に入ってきたお客さんはお断りしなければならない(協力金をもらうための要件を満たさなくなるので)。酒類の提供は11時〜19時までなので、19時ちょうどに入ってきたお客さんにはお酒を出せない。でも、「営業は12時までです」だったら、すべりこみのお客さんも対応できる。すばらしい。僕に予定がなければ、だけど。終わりの時間を気にしてやるのは性じゃないので、できるだけ早めの時間に開けるようにして正解だった、と思います。
 一歳の子を連れてきてくださった方も。ハツタイメンの彼女にはほうじ茶をお出しした。三階までベビーカーごと担いでいらっしゃったようで、なんともパワフル。
 お客さんたちの顔を見て、一人ひとりの生活について想う。世界は広く、自分はそれなりにいろんな場所へつながっているのだ、という実感がわく。

 普段は夜だけど、今日からしばらくはマッピルマの営業。それもたったの1〜2.5時間。それがちょうどいい違和感になって、「独特の緊張感」が生まれていたように思います。
 当たり前ですが、「いつもと違う」ということが当たり前になると、「いつもと違う」とは思わなくなります。そうすると「緊張感」はなくなります。「エッセイ1」(現在はトップページ「最新情報」内)にも書きましたが、日常とは緊張感のない状態のことを指すのではないかと。でも今は、特に小さなお店の中では、緊張感を持っていた方がいいと僕は思うので、なんとか少しでも緊張感を出せるような環境を作らねばなりません。それはたとえばアクリル板やビニールの仕切りだったりしたのでしょうが、それももはや「当たり前」になってきました。夜学バーがアクリルとビニールを置かないのは、すぐに形骸化して新しい「日常」となることを予感したからでもあります。
 もちろんずっと緊張していては疲れてしまいますが、夜学バーはもともとリラックスできる場所ではなく、ほどよい緊張感の中でなんらかを学べる場所をめざしてきました。その姿勢を崩さず、ほどよいペースで、ほどよい人数で、ほどよい緊張感で、やって行けるようがんばります。

 立川談志がイリュージョンという言葉をよく使っていました。いま世の中を見ていると、「言葉で説明できない、形をとらない、ワケのわからないもの」(イリュージョン)と、それを抑えるための「常識」なるものが、浮きぼられているかのようにによく見える気がします。それを見て、学ぶためには、やはり外に出て、少しでも現場に立つということは大事な気がします。そういうことをみんながしたら大変かもしれませんが、僕はそういう係のような気がします。(3回も気がしてしまった。)

2021/01/18月 13−1530
 平日の昼間でも来客はある。「開けていれば人は来る」ということがまたも実証できそうだ。しかしたくさん来るのではない。今日は2名。ちょうどいいところかもしれない。
 開けていれば人は来る。開けていなければ人は来ない。当たり前だけど初心はここである。お店の本質は「待つ」ということにあって、待てば待ち方にふさわしいものがやってくる。

2021/01/21木 12−1430
 平日昼営業。お客は1名のみ。よもやまの話をした。12年前くらい(僕は20代前半!であった)から僕の立つお店においでくださっている。前回の緊急事態宣言中も時おりいらっしゃっていた。ある意味ではお互い似たようなペースで生きているということだ、と思う。僕とその人とは全然違う生き方や考え方をしていると思うが、なぜか奇妙に共鳴するところがあるようだ。これをお読みの皆皆様方ともそのように長い付き合いになればと願っております。
 それにしてもいつの間にか、週イチ店長の時代から数えればもう13年くらいお店をやっている。月イチだか月ニだかの頃も合わせたらもうちょっと長い。思えば遠くに来たもんだ、と言いたいところだが、ある意味でいえば13年くらい同じところにいるという話でもある。近いも遠いも同じところにある、ということか。
 ところで、最近新しいコーヒー豆がやってきました。付き合いの長い名古屋の喫茶店マスターに「通っていた古い古い喫茶店が閉店してしまいました、そのお店を思い出せるような古き良きブラジルコーヒーをブレンドしてください」と曖昧な無茶ぶり発注をしたら、面白がってくれたようで、かなり注文に忠実な逸品が出来上がっております。味や豆の種類(混ぜる豆の種類だけは閉業前に聞いておいたのだ)を伝えただけでなく、お店の写真も送っておいたので、さすが名古屋人、ニュアンスをしっかりと汲み取ってくださったらしい。すっかり気に入ってしまった。興味ある方はぜひ。これをお鍋であっため直したり、レンジでチンしてみてもまた味が出る……(超マニア向け)。

2021/01/24日 11−13
 午前中から始まってたった2時間ながら3名の来客。ただし一人は支払いなし。10歳の若人が単身(!)やってきて「何か手伝います」と言うのであれこれやってもらった。労働力をもって代えたいという意思と理解したのでそのようにした。
 Moo.念平先生の『あまいぞ!男吾』の小学生編(単行本5冊ぶん)と『山奥妖怪小学校』を読破して帰っていった。無理やり読ませたというのではなくカウンターに並べてあった同著者の『アルカードくん』に興味を持ってくれたことから「こんなのもあるよ」と紹介した。僕も他のお客もみな彼とは初対面だったがとくに緊張の空気はなく、マンガ読んでいる間でも話は(たまに?)聞こえていたようでちょこちょこ話に入ってきてくれて面白かった。
 僕は原則としてどんな人がお店に入ってきても、見た目でわかるような属性や自分との関係によっては態度を変えていない(振る舞いに応じては変えているかもしれない)。老若男女にかかわらずフラットに「こんにちは」とか「どうぞ」みたいなふうにする。基本的にはその都度、ゼロからやっていきたいのだ。「お久しぶりですね」とか「先日はどうも」さえ言わない。必然性がないかぎりは。
 相手と自分が、この場でこのとき、どんなふうに関係するのが「ちょうどよい」かは、見た目や過去の経験からはわからない。もしもそれをこっちが先に(勝手に)決めてしまったら、おそらく向こうは合わせてくださる。そうやって関係は膠着して、動かなくなる。場は堅く引き締まる。
 10歳(と年齢で語るのも本当はとても失礼な話なのだが、公共の福祉のためダシにさせていただく)のお客も、パッと見ればそのくらいの年齢だとわかるのだが、それによってこちらが勝手に出方を決めてしまってはいけない。お互いが、お互いの「出方」を確認し合って、慎重に「関係」が積まれていくのでなければいけない。少なくとも僕と彼との間ではそのすりあわせがうまくできたと思う。はじめはお互い丁寧語だったが、別れ際には「じゃあね」「またね」と手を振り合ったので。

2021/01/26火 12−1430
 こんな非常事態でも開けていれば本当にどなたかはやってくる、とはいえ、時間帯と広報の程度(現在はTwitterでは営業の匂わせ程度しかしておらず、ホームページでもそれなりにちゃんと見ないとスケジュールがわからない)が同じでも、毎日お店を開けていたら、誰もいらっしゃらない日があったかもしれない。週に3日前後という頻度にしてみたら、これがどうやらちょうどよい。個人的にもゆったりとできるし。
 緊急事態宣言が延長されたら、2月8日以降もおそらく「20時まで」という要請が続くと思う。そのあたりが確定したらまた営業の仕方を決めるけど、たぶん今度はもうちょっと時間を長くして頻度も増やす予定。暖かくなってくるだろうし。よろしければ慎重にお越しください。(こんなところまで読んでくださる方は、どなたもぜひ。)

2021/01/29金 13−1530
 やはりお客はある。しかし少ない。一対一でゆったりとできた。昨年の緊急事態宣言の頃もこんな感じで、なんだか時間の進み方がいつもと違うというか、不思議な浮遊感みたいなものがあった。異空間にいる感じ。
 営業時間が短いということは滞在可能時間も短くなるし、一般的には夜のお店より昼のお店のほうが単価が安くなるというのもあるし、それなのに夜学バーはいつもと同じお値段なのですが、それもいろいろ考えあってのことなので、ご容赦くださいませ。いつも通りなのにいつもと違う、いつもと違うのにいつも通り、といったところに、イリュージョンは生まれるような気がするのです。
 奨学制度もいつも通りです。いつもと違うのは、ご希望あらばお茶くらい入れますということだけです。(お金のない方は木戸銭のみでオッケーという話です。)言うまでもなく、この「いつも」という語は未だこのお店に来たことのない貴方に対しても向けられています。

2021/02/01金 12−1430
 前回に引き続きお客は1名。ゆったりとする。我ながらけっこうすごい。ここまでお客0の日は一度もなく、もちろん混んだ日もない。だいたい毎回1〜3名程度。時間帯と頻度の設定がちょうどよかったということだ。誰も褒めてくれないので自画自賛。しかしあんまり自賛しているといよいよ誰も何も言ってくれなくなるのでほどほどにしよう。(それもバランス。)
 これを書いているのは2月3日の夕方で、昨日2日正式に「3月7日までの緊急事態宣言の延長」が決定された。次の1ヶ月間はもうちょっとお店を開ける頻度を増やし、時間帯も拡大する予定。だけど休養と、他の仕事と、勉強や「仕入れ」、新刊(いつか出します)の準備、そして何より感染リスクコントロールとのバランスを考えながら決めます。少々お待ちを。
 二人きりの時と、二人きりじゃない時とでは空気の肌触りからして違う。そのどちらもが存在することが、お店に立つ者としての醍醐味である。しかし本領はやはり複数のお客がいる時だと思うので、少しずつそういう状況が増えてくるといいなとは思っております。

2021/02/04木 13−1530
 平日のランチ後。お客は1名。僕も普通の人間なので、「自分と一対一で同じ空間を共有していてこの人は嫌じゃないだろうか?」くらいのことは考える。考えるけど考えても仕方がないので、焦ったり気を遣ったりは、たとえしたくなってもしないでおきたい。
 でもお店というのが面白いのは、その瞬間は二人きりであっても、一分後には誰か新しい人がやってくるのかもしれない。客を待つ仕事は全般的に「釣り」にたとえられるが、夜学バーのように「お客同士が互いを無視しにくい」ような感じのお店の場合、店だけでなくお客にとっても「釣り」のような感覚があるのかもしれない。少なくとも僕はそう思うし、だからそういうお店が好きだ。
 人が増えるのでなくても、ひょんなきっかけで「何らかの展開」を見せることもある。それが店、客ともに「待つ」ということの結果としてあるような空間が、僕の好み。釣りもそうだけど、醍醐味は待つことにあると思う。
 スペイン語で「待つ(エスペラール)」と「希望(エスペランサ)」は語源が同じ、なんて話をかつて聞いた(読んだ)。僕の出身高校に「エスポワール」という名の銅像(女の子)がいて、ベンチに座っていつも校庭を眺めているのだが、これはフランス語である。(どうでもいい)
 希望が校庭を眺めている、ってのはいいですね。いやほんとにどうでもいい話なのですが。彼女は何を待っているのでしょう? なんてところまで言うと、ちょっとセンチメンタルな気持ちになります。
 これからは僕も、エスポワールみたいな雰囲気でお店で待つことを心がけようと思います。彼女の姿を見てみたい方は、Twitterで「エスポワール公式」と検索してみてください。

2021/02/07日 11−13
 ここからdiv idではなくa nameに。自分のホームページだとa nameなのになぜここだけdivで囲っていたのだろうか。(わかる人にしかわからない話。メモとして。)
 日曜の午前、大人はだいたい寝ているかぼんやりしていると思うが、元気なのは小学生である。11時15分ごろタンタンタンと登ってきた。なぜか漫画を2冊ほどプレゼントしてくれた。
 お客はもう一人あって、「こういう場でないとなかなかできない話題なのですが」という前置きから始まった時間が、けっこう面白かった。
 なぜこういう場でないとできないのか、といえば、たぶんそれが抽象的観念的な話題で、即断が難しく、ある程度複雑な思考とそのための時間を要するからで、「うーん、そうですねえ……」と一旦、考え込む時間が許されなくては成立しないから、とでも言える。
「うーん、そうですねえ……(しばしの沈黙)」というのが許される場、というのは案外珍しい。そういう話題をよくする友達、というのならばいる人にはいるんだろうけど。
 そのように活用してもらえるのはとてもうれしいので、もしなんか「ちょっとめんどくさい話なんだけど、誰か他の人にも考えてみてほしい、意見が聞いてみたい」というようなことがありましたら。

2021/02/09火 15−19
 15時開店だったが、3時間くらいお客がなかったと思う。遅い時間に2名きた。
 世の中は全体「20時まで」の時短情勢に染まり、「20時までにすべてを済ませねば」という気分が高まっている、と思う。それで「夜飲めないなら昼に飲もう」という発想で、たとえば土日にアメ横なんか歩くと、酒場はどこもどんちゃん騒ぎ。アメ横は路上に席を出しているお店が多いので、屋外なら問題なかろうと羽目を外してガッハッハ。それで台東区の毎日の感染者数はかなり少ない。2月に入ってからは平均をとると一桁になるはずである。人口が少ないのは確かだし、上野も浅草も区外からやってきている人が多いのかもしれない。なんにしても、世の中は見えている以上に広いのだろう。
 平日の昼は、もちろんそこまでガッハッハでもない。みんな普通に出勤したり、まじめにリモートワークしているということなのか。夜学バーも静かなものです。このまま静かにやっていきます。
うなことがありましたら。

2021/02/11木 15−19
 建国記念の日だからかお客がたくさん。土日のこの時間にも開けておけばそれなりにみなさま来てくださるんだろうなーと思いつつ、それでも逆張りの美学は捨てられない。みんなが「土日は昼からやります!」と言ってる時に「土日は昼からやります!」と言うのは性に合わない、へそまがり。
 なぜそんなに逆張りをしたがるのかといえば、正張り(?)をすると、客観的視点を保つのが難しいからです。在野精神、外側から見るのがたぶん向いています。
 2月8日から3月7日のあいだに祝日が二度あり、木曜と火曜。ここは2日とも15時から19時までで開けます。どうしても平日と土曜の朝はむり! という方は、ぜひいらっしゃってください。なかなか初めての方は来てくださいませんが、初めての方もぜひ。
 この祝日の営業は、久方ぶりに顔を合わせる方や、ちょっと遠くに住んでおられる方などもおいでになった。そういうふうに繋いでいくことも必要だじゃな。

2021/02/12金 9−12
 お客は1名。1名とはいえ平日の朝っぱらから! ありがたいです。今日からモーニングということで、ペリカンのパンを使った小倉トースト(もちろん愛知県民におなじみ井村屋の「ゆであずき」で)と、ゆでたまごと、インスタントなサラダ。飲み物すべてにつきます。木戸銭はしっかりといただきます……悪しからず。
 朝や昼は木戸銭なしにしようかとも思ったのですが、いろいろ考えてやめました。
 12時すぎ、営業後にちらりと来客。湯島の名パン屋さん「北海ベーカリー」が閉まりますねと話す。世界は少しずつ変わる。

2021/02/13土 9−12
 朝営業2日め、お客は2名。上々上々。
 もともと街の人たちにアピールしたお店ではないので、モーニングやってます!と看板を出すでもなく、通行人がフラリと入ってくるということもない。ホームページを見た人で、金土の朝に「よし行ってやろう」と思って出てきてくださる方のみがお客となる。我ながらターゲット狭すぎる。うーん、看板出してみようかなあ。「モーニング! 1500円から!」とかいって。誰も来なかろうけど、来たらとっても面白い。

2021/02/16火 15−19
 グランドスラム!
 グランドスラムとは:主にファミレスで、自分ないし自分たち以外にお客が一人もいない状態。転じて、飲食店や小売店などで一日の営業時間内に来客のまったくないこと。なぜだかいつしか僕はそう言っております。発祥はファミレスのノリ。
 データによると、僕が単独でグランドスラムを達成(達成?)したのは2020年6月10日水曜日以来、らしい。正確なデータはお店の端末を見ないとわからないけど。いやー、みなさま、きてくださっていたんですね! 雨の日も風の日も、まったく誰も来ないって日はほとんどなかったということなのだ。
 その前は6月3日水曜日、5月9日土曜日、5月5日火曜日がグランドスラムだったらしい。この頃は流石に静謐でしたね。
 ちなみに今日のグランドスラムは、他の従業員や出入りの業者、郵便屋さん等もまったく来ないパーフェクトグランドスラムだった。(完全試合とノーヒットノーランくらいの差がある。)
 さみしかった! でも手元の作業はちょっと進んだ。暇なら本とか読めばいいし、時間は無駄になっていないのでご心配なく。
 あ、でもガスの検針が来たかもしれない。ノーヒットノーランのほうだったかも。

2021/02/18木 15−19
 今年に入って、初来店のお客はほとんどなかった。そりゃそうで、営業時間はかなり変則的となり、わざわざホームページを覗きに来ない限りはいつやってるんだかわからないようにしていた。2月8日以降はTwitterの固定ツイートにもスケジュールを載せているし、営業の日数と時間も増やしたのでちょっとは目立たせたが、それでもやはりお客は平均して2人くらい。直近なぞ「グランドスラム」であった。
「ほとんど」というのは、人に連れてこられたり、人づてがあってやってきたお客はいたからだ。たとえば親に連れられてやってきた幼児や、親に勧められてやってきた小学生であった。十分に成長した人間の「初来店」というのは、なんと今年は今日が初めて。
 半年以上(1年弱?)ROM(Read Only Member)ってからおいでくださったようだ。ありがたい話です。むろんその期間が長ければエラいって話ではない。反射神経の鋭さや瞬発力も偉大である。なんだって嬉しい。
 お客さんは他にもいて、たぶん良き時間となりました。

2021/02/19金 9−12
 平日の午前中、眠い目をこすりながらがんばってお店に行ったら、なんと3名ものお客が来店。でも普通の人はいつも朝7時とかに起きてるんですよね。僕は8時20分に起きてダッシュで来てます。
 そこそこ厚く切ったペリカンのパンを焼き、バターとゆであずきをつけ、ゆでたまごとサラダを添える。これが現在の夜学バーのモーニングである。料金は木戸銭に含まれます。予定では3月6日(土)まで、金土の朝限定の制度です。世間の相場からしたらものすごく高価なモーニングだけど、夜学バーとしては大盤振る舞いなのでございます。
 朝だから安くしよう、木戸銭フリーにしよう、ということも考えはしましたが、色々考えると安売りはしないほうがいいよなということに落ち着いた。それでお客が増えても大変だし。そもそもお金に余裕のない人は申し出てくださればお安くしまっせ〜(※学びに対して真摯であれば!)というお店なので、流動性はすでにある。「いやむしろ払いたいのだよ」という方も、いらっしゃるはず。それに、「いつもと同じなのにいつもと違う」とか「いつもと違うのにいつもと同じ」という奇妙さこそ、イリュージョンなのでありましょう。

2021/02/20土 9−12
 お客は1名。本当に「平均2名」って感じで、暇すぎもせず、うるさくもならず。お客を呼びたいのならば営業時間は「金土日祝の15〜20時」というのが定石だと思うし、それをしていれば「平均5名」くらいにはなったと思う。でも本当に、「色々考えると」このやり方でよかった。
「誰でも共犯になれ得る」ということを大事にしていきたい。僕が「常連」という概念を好まないのは、「共犯となるために条件が要る」というのを楽しいと思えないから。そして「常連」と「常識」とは実は似ている。
「常識」とは、「それを持っていて、それを遵守する人たちの間では常に共犯が成り立つ」というようなものである。「常連」も同じである。
「常識を持っていなかったり、常識を遵守しない人」と「常識を持っていて遵守する人」とが、「常識を重んじる場」で出会った場合、共犯関係を結びづらいどころか、前者の人は「浮く」はずであろう。
 この両者が、共犯関係を結びやすいのは、いったいどんな場であろうか? というのを、一応は考えているつもり。
「常連」というのは原則として、「その場における常識を持っていて、遵守する人たち」である。そのような人たちが多勢を占める場では、そうでない人たち(常連でない人たち)との共犯関係は実現しづらい。

 僕が(夜学バーが)「常識」からできるだけ離れよう、遠くにいようと努めるのは、そのような事情を踏まえてのこと。
 方位磁針がぐるぐる回って定まらない、というような狂った磁場を常駐させておきたい、というような話です。

2021/02/23火 15−19 天皇誕生日
 祝日の日中、ということでお客はなかなかに多かった。単身やってきた中学生がテスト前日だというので、その場にいた「ちょうど中学生の家庭教師をやってるんです」という女性が勉強を教えていた。大学受験を終えて合格待ちという人もきた。僕が学校の先生をやっていた頃の生徒(当時中3)も二人できた。映画を見た帰りだという二人組もきた。お酒をたくさん飲む人もきた。
 昼に開けていると、やはり若い人が来やすいのだなあ。昼間なら小中学生でも平気で一人でやって来られる。このようなタイミングを、緊急事態宣言の明けたあとも定期的に作ろうかな。
 高校生くらいがもうちょっと増えると面白かろうけど、どうやってその層にアプローチすべきかは、ちょっとわからない。みなさまのご紹介にかかっております。

2021/02/25木 15−19
 火曜日は若者と女性ばかりだったが、今日は40代サラリーマン男性たちの日。お酒をよく召し上がっていただく。経営的に言えば、この方々に支えられているところはやはり大きい。まことにありがたい。そしてこの方々が通って来てくださるのは、当然このお店が「面白い」からであって、その面白さを支えてくださっているのは、こんなお店を面白がって通ってくださるすべての皆々様方でございます。

2021/02/26金 9−12
 グランドスラム。お客なし。ぼんやりと3時間たたずむ。というのは半分嘘で、溜まっていた仕事をちゃっちゃとこなす時間となりました。何一つ無駄はナシ。

2021/02/27土 9−12
 たびたび来店してMoo.念平先生の『あまいぞ!男吾』を全巻読破した小学生が本日Moo.念平先生の『あまいぞ!男吾』全巻の二周目を読破。僕も小学2年生くらいの頃に読み、その後の人生を決定づけられたような作品である。彼は読みながら「Moo.念平……スキなんですよね」とつぶやいた。よーし、わかった!(何がだ?)
 好きな漫画は何周でも読むべし。僕も『男吾』は最低でも十周、ひょっとすると二十周くらいしている。
 そんなかたわら他のお客も来店、4回モーニングを作った。ちょうどよくパンがなくなった。ドレッシングは途中でなくなったのでマヨネーズで代用したら「マヨネーズ久々に食べた」と。なるほど! 確かに、大人になるとマヨネーズってそんなには食べないのかも。
 昨日お客がなかったことを考えると、やはり「平均2名」という感じは維持されている。あと1週間、緊急事態宣言仕様で営業します。その後どうするか(そもそも宣言は継続するのか解除されるのかも今の段階では未定)、何も決めておりません。
 ちなみに18日においでになった初来店の方はコンスタントに複数回ご来店しております。こうして進んでいくのであります。

2021/03/02火 15−19
 グランドスラム。今年三度目のno cac de finishである。そろそろこの不定期営業スタイルも潮時ということだろう。緊急事態宣言はどうやら、少なくとも21日までは延長されるようだ。それに合わせてまたスケジュールを考えます。とりあえず時短要請がどうなるかを見てから。
 夜学バーのテーマは「その都度考える」。そのせいでなかなか色々なことが早めに決まらないです、すみません。

2021/03/04木 15−19
 お客はのべて4名、けっこうきた。昨日グランドスラムだったのでやはり「平均2名」という体感です。そしてひっそりと見習いが1名。まさかこんな時期に「ここで働かせてください」がやってくるとは思わなかったのだが、その心意気やよし、ということで、おそらくまずは短い期間になると思いますが、お願いすることに。なぜ短い期間になるのかというと、近いうち物理的に東京を離れる予定があるそうなので。

 L字カウンターの小さなお店の中に立つ、というのは、やってみなければわからない特殊な感覚があります。お店にいるすべてのお客の視線が、無条件に自分に集中するのだ。この「無条件に」というのが重要で、たとえば演劇で役者が注目されるのは演技をしているからだし、生徒が先生に注目をするのは授業をしているから。これらは「表現」だとか「伝達」という機能を働かせるためだから、それで自然なのである。しかしこのような小さなお店の営業というのは、何もしていなくても注目されてしまう。なんの表現もしておらず、なんの伝達も企図しておらずとも、なぜか無条件に客は店員を見るのである。
 特に何も考えず、お客はこちらを見る。何もすることがないからこそ、何も見るものがないからこそ、なんとなく客は店員を見る。ドリンクを口にしながら、あるいは、ほかのお客と会話しながら、視線はそちらではなく、なぜかお店の人に向いていたりする。客同士で見つめ合って話すのはなんかへんだから、自然とカウンターの中に視線を落とす。そっちのほうがずっと自然らしいのである。

 このことは、人から言われて気がついた。訳あってカウンター内に入った従業員でない人が、「よく耐えられますね」と漏らしたのだ。そうか、確かに「お店に立つ」というのは、何もしていなくても無条件に、あるいは無意味に注目されてしまうということなのだ。
 たぶん、僕だってそれが得意なわけではない。単純に人の視線は重たい。でも僕はカウンターの中にいて別に平気である。なぜ平気なのか? というと、慣れと言えばそれまでだが、あえて理屈をつけるとしたら、たぶん「何もしていない」わけではないからなのだ。常に、何かをしている。それは「演技」という名でも構わないだろう。舞台に立っている時や、授業をしている時と同じように、何もしていないようでいて、常に何かをしているのだと思う。
 ただ突っ立って、言葉を発するでもなく、相槌を打つでもない時でさえ、お客がその空間にいる限りは、僕は何かをしているのである。だから、お店に立つということは僕にとって、とても疲れることだ。一瞬たりとも休憩がないのだから。かなり自然体でやっている自負はあるが、自然体とは必ずしも自然ということではない。  ただそのおかげで、怖くはない。何かをしているのだから、見られて当たり前なのだ。
 それは実はお客がいない時だって同様である。いつドアが開くかわからないのだから、常にカッコつけておかなければならない。少なくとも、ドアが開く瞬間を正確に察知して、その1秒後にはもう、カッコつけていなければならない。あまり気を抜きすぎていてはまずい。だから、お客がいっさい来ない日も、まあまあくたびれる。
 忍者はいつでも飛び上がれる体勢で待機する。神経を研ぎ澄ませながら。よっぽど疲労するはずだ。忍者って、すごいなあ。

2021/03/05金 9−12
 なんと2週連続のグランドスラム! モーニングはあと1日、明日のみですよ。早起き楽しいけどちょっと大変だし、自分がモーニングとか行けないので来週からはナシ、でも今やってるモーニングと同じメニューはしばらく残します。小倉トーストとゆで卵、あればサラダ。

2021/03/06土 9−12
 堂々の、2日連続グランドスラム。やはり「潮時」ということなのでしょう。

 この日までのことはTOP「最新情報」のエッセイ5こと「夜という価値観」という文章にまとめました。TOPから撤廃された場合は、「テキスト」ページ内のどこかに格納すると思います。近々HP改装したいなあ。

2021/03/09火 13−16
「夜という価値観」なる文章を書き終え、Twitterでスケジュール掲載(=本日の営業告知)したのが午前4時。9時間後の間にどれだけの人がそれを見て、行こうと思ってくれるのか? ドキドキしましたが、結果的には5名の来客があり。すごい!
 実はTwitterにUPする前に、スケジュールだけは日曜のうちにHPに載せていたので、それを見た方もいたかもしれない。いずれにしても、なんともありがたいことです。グランドスラム(お客ゼロ)2連続のあとだから、嬉しさもひとしおでした。
 直近7回の営業のうち4回がグランドスラム。これを書いている今現在は11日の14時ですが、このまま誰も来なかったら「9回のうち5回」で、過半数を維持することに。
 博打度合が増している。「待つ」職業はギャンブルに近い。まったく。だけど僕はそういう人生が嫌いではない。
 太宰治の『待つ』でも、『ゴドーを待ちながら』でも、なんだか待つということには独特の味わいがある。
 5名のうち4人はお酒を飲んだ。一杯目はソフトドリンクで、二杯目はお酒で、という方もいた。そしてもちろん、「ガハハハハハハハ」「馬鹿野郎!!」「ったくお前は」(ドォッ)みたいなノリは一切なく、静やかにそして有意味に時は流れていった、と思います。お店でPC広げて仕事をしている人も二人いましたし、職場を抜けてやってきた人も二人いました(重複あり)。有給を取ったという方も。昼営業にはいろんな需要(利用法)があるのだと改めて。

2021/03/11木 13−16
 お客の訃報に接す。とても若い人だった。電話でも電子メッセージでもSNSでもなく人の顔から直接伝えられた。これも空間の役目だろう。記憶の限り彼と過ごした時間はすべてこの店内だった。SNSや各種の噂でさまざま聞こえてはいたけど、肉体が空間を共有したのはすべてこのお店の中だった。
 と、書いてみて、そうでもないと思い直した。同人誌即売会に出た時にブースまで来てくれた気がする。彼の姿を思い浮かべ、背景を真っ白にしてみて、そこへイメージを手繰り寄せてみる。忘れているだけで、他にも顔を合わせた場所があったかもしれない。
 お店を長くやっていると、当然出会いは多くなる。では同様に別れも多くなるか? いや、生きている限り「再来店」がありうるので、いつかまた会える可能性はある。「別れ」などというものは原則ない。お客との関係を断つものは死のみである。
 もちろん出会う人が多ければそのぶん死者も増えるので、出会いが多ければ別れも多くはなる。だけど生きていさえすれば再会はある。お店を続ける最大の理由である。
 死だけが再会を阻む。もう芽生えない。だから会えなくなってしまった人とは、「勝手に会い続ける」しかない。もう向こうは来てくれないのだから。
「会う」ということは二人で行うことだが、死後は遺された人が一人で行うことになる。それくらいしかできることがないのだ。

2021/03/13土 13−16
 土曜の昼はやはりそれなりに来客がある。それなりといっても通算6名くらい。夜学バーのようなお店にはいろんな使い方があって、みんないろんな気持ちを持ってやってくる。それが混じり合いつつ平衡するようなのが個人的にはたまらない。緊張と遠慮と含羞をはらんだ各々の自己表出のバランスの上に成り立つ心地よさが、僕はとても好きなのである。

2021/03/16火 13−16
 たった3時間の営業で、某県の同じ中高に通っていた先輩後輩(おそらく互いになんとなく以上は知っている)がたまたま同日やってきたのにすれ違って会えない、ということが起きた。しかもどちらも、近々関西に行くという。会えていたらそんな話にもなったかもしれない。
 奇跡のような偶然はある。奇跡の起きる確率はものすごく低いが、奇跡の種はそのものすごく低い確率をザラにあらしめるくらい無数にある。20年前に生き別れた妹とたまたま再会できる可能性は非常に低くとも、20年前に生き別れた妹が国内に100万人いるとしたら、年間何人と再会できるだろう? というような話。奇跡の種は、本当にありふれている。
 11日に書いた故人を知る方がおいでになり、やや奇跡のような話を聞いた。種は無数にまかれ、時に芽生える。その花に囲まれた人間は幸福であった、と言いたい。

2021/03/18木 13−16
 静かな営業。平日の昼にそんなにお客があるわけないのだが、だからこそ特別な気持ちがする。今はリモートや裁量労働などが増えているだろうし、1年前なら来られなかった人でも顔を出していただきやすいとは思う。
 いつまでお昼にばかり営業するかは未定ですが、こちらとしてはまだ楽しんでいます。夜という価値観を相対化するためにも。
 たぶん最近若い人を中心に「夜」という価値観が流行ってきている。先日小説家の結城恭介先生がブログで「YOASOBI」「ヨルシカ」「ずっと真夜中でいいのに」の3つを列挙していらっしゃった。夜学バーは4年前からあるので、先駆だぞ! と主張したいところです。そして、パイオニア(自称)だからこそ責任(?)を持って、夜という価値観についての点検や批判を常に忘れずにいたいと思います。

2021/03/20土 13−16
 転勤します、結婚します、などの報告があった。お店で訃報に接した話を先日書いたが、そういうことが「空間」で発生することの濃密さというか、密度の高さ(質量の詰まっている感じ)。空気しかないはずなのに。しかも空気は、常時流動し入れ替わっているはずなのに。
 土曜というのもあってかそれなりの来客。それなりといってもやはり6名ほど。土日祝は少し時間を伸ばしてお客を散らしてもいいのかもしれない。
 緊急事態宣言中だというのに見習いに来てくれている方がいて、まじめにいろいろ覚え中。4月くらいからひとり立ちする予定です。

2021/03/23火 13−16
 カウンターに1人、そこへテイクアウトのお客が2人。懐かしい、ちょうど1年くらい前、「テイクアウトは時短要請なし」ということで容器を買ったのだった。ホット用の容器しかありませんがソフトドリンクならなんでもお持ち帰りできます。テイクアウトのみの場合は木戸銭なし。コーヒーなら500円のみです。落とすのにちょっと時間がかかるのでその間は店内でお待ちいただきます。ある意味最もお得な利用方法かもしれない。しばしの女子会。

2021/03/26金 13−16
 二度めのお客。「二度めは、ずっと」という言葉もございます。点が二つあれば直線が引ける。でも点が増えていくたびに少しずつずれていく。そこを楽しむ、というか、その上で楽しくするのが人間関係というものでしょう。(参考文献『小学校には、バーくらいある』)
2021/03/28日 13−20
 7時間(実質8時間)営業。久々に夜まで。その分お客もあった。通算で8名。1時間に1名ということだから混むという感じでもなく、ちょうどいい。ただやっぱり今はもう4人くらい同時にいると「多い」という感覚にはなってしまいますね。常時換気だしみんな僕の方しか向いていない(お客同士は対面しない)し大きな声を出す人もいない(いたら僕が何らかの工夫を試みる)のでリスクはだいぶ低いはず。僕は、自分なりにあれこれと防御しております。知恵、知恵、知恵なのだ。がんばります。
 森鷗外の『高瀬舟』で、役人の庄兵衛が護送中の犯罪者喜助に対して「喜助、お前何を思っているのか」と「こらえ切れなくなって呼びかけ」る場面がある。そういうやむに止まれぬ気分の際を除けば、僕はあんまり踏み込んだ質問をしない。もちろんするにはするのであるが、疑問形の言葉にはかなり神経をつかっているつもりではある。なぜかというのは拙著『小バー』の「質問以外でしゃべれない?」という章をご参照のこと。宣伝。
 ゆえに、名前も素性も知れぬお客は数多い。人は時折、「こないだですね、吉田お前ちょっと来い、って言われて行ったら〜」みたいな形で、自分の名前をこっそり空気中に織り込む。聞き手は「ああこの人は吉田さんというのだな」と思ってこっそりと覚えてしまったりする。僕は「お、これは記憶案件」と保存するほうだ。つまり、興味がないわけではない。ただそうやって知った相手の名前をその後使用するかといったら、それはほとんどない。ただこっそりと知っていてそれで仕舞いというわけ。
 日曜で、昼から夜まで開けていると、しかもそれがかなり久々の夜営業だったりすると、「多くの」というだけでなく「いろいろな」お客があって、その中には「名前も知らない」「仕事も知らない」人もある。しかし実のところ名前を知っていたり仕事もなんとなく見当がついていたりする。でもそれを口にすることもない。相手も「たぶんわかってるんだろうな」と予感しつつはっきりと表明することもない。そういう状態って、存外人は心地よいのではなかろうか、と僕は思っている。

2021/03/30火 13−16
 リモートワークのお客あり。夜学バーにはWi-Fiも電源もあるので、実はそれなりに適している。1500円で3時間(1ドリンクと話し相手付き)借りられるレンタルオフィスというのは結構割がいいのかも。もっと営業時間が長ければさらに安い。是非ともみなさん、夜学バーで仕事をする癖をつけてください。生き残りたいのじゃ。「話し相手付き」なんてレンタルオフィスやスターバックスは、あんまりないでしょう。しかもその話し相手は、ジャッキーさん(僕)だったりするのですから……。すごい!(はず)

2021/04/01木 13−16
 たびたびやってくる小4の少年(今日から小5?)。訪れるたびにMoo.念平先生の『あまいぞ!男吾』を読んでいる。すでに2周していて、今回はラスト3分の1(コミックス5〜6冊ぶん)を読み切って帰っていった。ドラえもんもちょっと読んでいた。僕は涙が出るくらい嬉しい。わしもな、おぬしくらいの年のころ、男吾やドラえもんを夢中で読んだモンジャ。そして男吾のことが好きになりすぎて、約束を破ったりポケットに手を突っ込むことができない(してしまったらひどい自己嫌悪に陥る)ように育ってしまったのじゃ。これからの人生、苦労するぞえ。優しい人を探して歩くぞえ……。(参考楽曲:山本正之『黒百合城の兄弟』←18分ありますが名曲、曲というか歌謡浪曲、というか物語、なのでぜひ聴いてください。見つからなければ僕におたずねください。)
 隅で漫画を読みつつ、時折何か口を挟んではまた物語の世界へ戻っていく彼をかたわらに、お客がほかに2名。実はこの日で4周年でした。

2021/04/02金 13−16
 営業をサボってやってきたお客。工作のため営業車は20キロ離れた地点に置いてきた! そんなことをツイートしたらそれなりに反応があった。性別を特に書かなかったがこの営業マン(マン?)は女性。たぶんほとんどの人は男性を想像するんでしょうねー、なんて話をした。

2021/04/03土 18−20
 自分でもそれがどういう意味を持つのかまだよくわかっていませんがしばらく土日は(僕が担当する場合は)18時から20時まで(実質は21時まで)の営業にしてみます。さすが土曜でお客はありました。4名ほど。
 10年くらいの付き合いがあると時折しか会わなくても近況を聞くごとに併走しているような感覚になります。どんな人とでも10年後にはそうなっているかも知れないしまったく別の素晴らしい感覚を得ているかも知れない。人生(謎)。←古い←[   ]←空欄を埋めてください

2021/04/04日 18−20
 日曜の夜は元来ふるいません。天気の悪かったこともありこの日もお客は僅少。おかげで捗りました。何がかは忘れてしまいましたが……。

2021/04/05月 13−16
 開店当初からたびたび来てくれている若者と「26歳の目覚め」について話す。このフレーズは今適当につけたものですが26歳というのは特別な齢だと僕は勝手に思っています。岡林信康さんの『26ばんめの秋』や『ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど』という曲も26歳について触れています。まあそのくらいの年頃ならだいたい探せば何か変化くらいあるだろうということでしかないような気もしますが、それにしたって28歳とか54歳とかよりは26歳のほうがグッと来るなにかがあるような気がします。真っ白な少女時代から少しずつ青春の青に染まっていくほんのちょっとの水色なとき、なんて言葉もありましたがなんとなくそのようなみずいろのイメージが僕にはあります。
 ぜんぜん関係ないですが僕にとっての大きな内面的転機は10〜11歳、16〜17歳、22〜23歳くらいに訪れました。この調子だと28〜29歳くらいでも巨大なのがあって良さそうですが思いつきません。長い間そのような転機がないとなると「止まってしまった!」と焦りたくもなりますが前向きに考えるならむしろ転機が多すぎて珍しくもなくなったのだろうとも思えます。目まぐるしくていちいち区切っていられないという感じかも。きっと26歳でもあったろうし29歳でもあったでしょう。いずれにしても23歳までとはちょっと質が違っているような気はしています。いずれの時間も愛しております。

2021/04/06火 13−16、19−20
 新入生、という言葉がとっさに出なくて「入学生」と言ってみた。別に間違ってはいないはず。今日は入学生の日だった。高校1年生、専門1年生、放送大学1年生、娘が大学1年生と揃い踏み。
 ちょうど当日だったりもする。自転車に乗っていてもいくつか入学式を通り過ぎた。
 夜は「のめみ」さんが夜学の入学生として初の単身営業。
 卒業も同時に香っていた。
 春は出会いと別れの季節とポエミー萩原さんも仰っておりましたが、僕の周りでもさまざまございます。出会いは嬉しい。別れは再会を待つばかり。

2021/04/08木 13−16
 昼下がり、二人連れ。一人はネーポンソーダを数秒(体感)で飲みきり二人分の会計を済ませて出て行った。その間10分(体感)くらい? もうひとかたはネーポンクリームソーダをゆっくりとめしあがり、その後ネーポンソーダをご注文。
 のこった3人でぼんやりと話す。めずらしく(常にあるわけではない)ワインなど飲みながら。楽しかったです。
「(夜学バーには)よく来るんですか?」という質問を受けて「比較的……」と答えていたのがおもしろかった。何と比較しているのだ? こういう「まったく意味を持たない返答」っていいですよね。本当に悪い意味でなく、揶揄でもなく、こういう言葉には「内容は二の次として、とにかく私にはあなたと仲良くする気だけがあります!」という気持ちだけが残ると思うのです。

2021/04/09金 13−16
 二人は共通の友人があり、かつて別の場所ですでに会っている。偶然というほどの偶然ではないが、巡り合わせということではある。互いにそれを覚えていた。

2021/04/10土 18−20
 もしほかに誰もいなかったら、という想像はよくする。複数のお客がいるときと、一対一の時では当然違う。あちらも、こちらも。
 今日は初来店の方がお二人。一方は福岡の「ひつじが」というお店で夜学バーのことを知ったそうな。上京前から知ってはいたが来るまでには一年空いたとのこと。もうひと方もけっこう長くROM(リードオンリーメンバー)ったと確か仰っていた。そういう期間のこと何て呼べばいいのか。
 かと思えば「昨夜ホームページを見て、これはと思って来ました」という素早い方もいる。どちらもうれしいし、どちらがより良いということもない。結局はすべて「来てから」の話なのだ。「来てから」僕らは出会うのだから。ただ面白いのは人それぞれに「時間」というのがある、という事実。みんなそれぞれの時間を生きていて、そこにその人らしさとか、関係の持ち方とかが出ているのだと思う。
 一度目に来てから二度目に来るまでの時間、三度目までの時間、すべての間隙に独特の意味がある。
2021/04/11日 18−20
 一対一で話す。いわゆる「サシ飲み」のような形になる。静かだった。決して劇的ではなかったが、いつ劇的になるかも知れぬ状況ではあった。誰かが来たらおもしろかったな、と思う一方、誰も来なかったからこその楽しさもあり。

2021/04/12月 13−16
 15時56分、すなわち閉店4分前にお客があった。上京まもない未成年。小一時間お相手させていただいた。
 もしこれが「19時56分に駆け込んできた」だったら「申し訳ないがあと4分で閉店(にしなければならないの)です」と言わなければならいところ。16時閉店だから余裕をもって「どうぞ」と言える。あえて閉店を早めにしているのには、そういう理由もあります。16時までだと最大4時間延長ができる。18時までにしても2時間のバッファがある。予定があれば別ですが。
「さーて20時になったからお開きですよー」というせわしなさが、あんまり得意じゃないのかも。僕が。時間制(タイムチャージ)のお店が(お客としても経営者としても)苦手なのと同じか。
 時短要請のない時期でも「時間です」というようなことは滅多に言わない。それで先日「このお店って、自分の意思で帰らなきゃいけないじゃないですか。それが難しくて」というようなことを言われた。「帰りたくない!」という褒め言葉と受け取りましたが、なるほど時間が来ても「帰れ」と僕は(滅多に)言わないので、「帰ります」とお客の方から切り出さねばならない。お客さんに負担を強いるのは恐縮ですが、「帰り方を学ぶ」ということも大切なはずなのでお許しを。

2021/04/13火 13−16j、16−20のめみ
 前半(僕の担当時間)はリモートワークのお客さんが一人いたのみ。話したり黙ったり静かに過ぎていきました。打ち合わせのため一旦外に出たところのめみさんが到着。僕は客席に回る。そこへ僕が最近受験指導している高校3年生が遊びに来る。リモートワーカー氏お戻りになる。成田光房の成田翁来る。某従業員来て勉強始める。翁帰る。高3数学始める。リモートワークも続いている。まさしく「夜学」となる。
 のめみさんはカウンター内の位置どりと身体の向きなどがとても良い。L字型のカウンターに一人で立つときには、「複数の人に同時に話しかける」とか、「すべてのお客に対して身体を開く」とか、「あらゆる方向のアプローチを常にキャッチできる態勢でいる」とか、そういうようなことが肝要になる。
 演劇をかじると初期にたいてい、「その角度じゃこっちの客席からは見えないよ」とか「それだとこっちにいるお客さんに伝わらないよ」といったダメ出しを受けると思う。原則としてはお客さんから死角になってはいけないし、お客さんを死角にしてもいけない。それは歌を歌ったりダンスをしたり、広くステージに立つ人はみな意識することだろう。こういうお店も同じだと思う。教壇も。
 というようなことを営業後に本人に伝えたら「それは(夜学バーのHPにある尾崎とかいうやつが書いたそういう文章を)読んだからです」と返ってきたが、経験上、読んだり教わったからといってすぐできるというものではない。天性のものか、あるいは他の分野ですでに培っていたのではなかろうか。彼女はけっこう「舞台に立ってきた人」のようだし。
 それはともかく強調したいのは、そういうことを考え始めるとお店をやるのはものすごく楽しくなる、ということ。それはたぶんお客さんの立場でもそうだと思う。僕はけっこうそういうふうに、ある種ちょっとしたゲームみたいな感覚で色んなお店に座っているのが好きである。自分の振る舞いによって場の状態は変わっていく。その影響力を最も強く持つのはもちろん「お店の人」であるが、一人のお客さんがほとんどすべてを掌握してしまうことだってある。良し悪しは別にして。
 ちなみに学校の先生でもそういうことを考え始めるとものすごく面白くなると思うし、色んなことがそういう視点を持って見るとクリッと変わるんじゃないだろうか。自分の立つ位置と、身体の向き。開き方。首の角度。目線の方向。小さな息遣い一つまで、すべてが意味を「持ってしまう」。

2021/04/15火 13−16j
 さまざまなお客があった。3人だけど、さまざまと言って良いと思う。近所のお店の人、ここの従業員の友達、僕の古い友達。年齢や性も(僕を含め)ちょうど良いばらつき。相談事がある、有給休暇でこれから映画を見に行くがその前にちょっと一杯、今日は就職面接があったんです、など事情もそれぞれ。
 そんなときはなんだって面白い。「相談事」をみんなでつついてみても、角度がいろいろなので多彩な花が咲く。具体的に話した内容よりも、その時の雰囲気や空気感、経験そのものが心に残る。場面とか情景とか、持ち寄った線をつないだ複雑な図形みたいなものとか。

2021/04/16金 13−16j
 久々にグランドスラム。お客なし。いわゆるお茶。3時間することなく立ち尽くす。そんな日はたびたびある。平日のこんな時間に開いていれば当然と言えば当然。予約なんて概念はほぼ存在しないし。
 たぶんここしばらくのジャーナルを遡っていただければ明らかなのだが、金曜日は日中の来客が少ない。みんな「金曜は夜」と思っているのだろう。「夏は夜」みたいな。夜のためにエネルギーをためるから、日中は仕事に精を出したり、休んだりしているのであろうな、などと暇な数時間に毎週のごとく考えている。
 その後用事があって新宿方面に行ってみたのだが、どこを見てももう大騒ぎ、どんちゃん騒ぎでした。ゾンビがショッピングモールに集まるように、金曜の夜は街に出る。それは仕方のないことだ。観光みたいな気分でそれを眺めつつ人ごみを避けてやり過ごし、「学校とおんなじだよね」なんて考える。
 他のところにもたしか書いたけど、授業中におしゃべりをしている生徒と同じ。喋っている人が何人かいると、他の生徒も喋りだして、その声量はどんどん大きくなっていく。収拾がつかない。先生が注意をして、一時的には少し静まったとしても、やめない人が何人かいれば、すぐに再び盛り上がる。しかもその騒ぎようは、注意される前よりも大きいのである。なぜなら彼らは学習した。「注意されても実害はない」と。

2021/04/17土 15−20のめみ
 のめみさん単独初登板。僕は15時30分くらいから1時間くらいいて、それから旅に出て、19時半くらいに戻った。片付けをしつつ長い感想戦。考える、ということを厭わない方で助かります。

2021/04/18日 18−20j
 日曜の夜は普段(時短要請のない時)閑散としているんだけど今は夜開けているのが日曜くらいだからかそれなりに来客あり。実のところ日曜の夜が普段閑散としているからあえて日曜の夜だけ開けているという意図も。お客の見込める時間帯は閉め、お客の見込めない時間帯に開ける、というのをここしばらくは意識してみました。混みすぎても大変だから、ということではあるのですが、行きたいのに行けない、という人もできるだけ減らしたいので、トップページ「最新情報」のエッセイ(e8)にも書いたように、22日以降はコアタイムを「15時から18時」にしてみます。逆に日曜の夜に集中してしまうのも考えものなので、少しは平日にも散るように。土曜は朝か昼にします。
 婚姻届を出してきた、との報告が。このお店がなければ出会わなかったはずである。そういえば長野県某市で喫茶店を営んでいた祖母も、「お店がきっかけで結婚した人なんかもいてね」と語っていた。仲人を何度かしたらしい。お店ってのは昔も今も、そういう側面があるものですよね。このお店も一っ端の証拠。ただ、念のため言っておきますが夜学バー周辺(?)で色恋はかなりのレアケースだと思います。僕の知らないところで何が起こっているかはわかりませんが……。
 今日はなんだかたぶんいろんな人がいろんな気持ちや事情を持ってやってきていて、とても感慨深かった。組み合わせにも妙があった。澄んだ煙のようにたちのぼっていった。

2021/04/19月 13−16j
 生後半年の子を連れた二人。「この子が小学校に上がる頃までは通いたい」とおっしゃるので、「上がったら通わないみたいな言い方はっ」と突っ込んだ。僕の書いた『小学校には、バーくらいある』という本についても、「この子がいつか読んでくれたら」と。きっと親は、子供を通して未来を見るのですね。その未来が独りよがりになってしまったら(それを子に押し付けてしまったら)問題だけど、前向きな夢が無条件に自然に、目の前に浮かび上がってくるようなのは本当にすばらしい。幸福とは単純な快楽とは違い、目の前に美の予感(うれしい予感?)があるようなことなのかも。

2021/04/20火 13−16j
 二度めのお客と一対一。漫画の話をしているはずが、世の中や人間の話になっていたり。その逆もあったり。彼にも小学生の子があり、同じく漫画を好きなようで、「そのうちに連れてきたい」と。子供を連れてきてもいい、連れてきたい、と思ってもらえるのは素直に誇らしい。
 学校とは違うところにも人間関係がなくては、という考え方は今や多くの人が持っていますが、ではどこに? というのは難しい。誰かにとってそういう場所になれたら幸い。

2021/04/22木 15−18j
 リモートワークのお客がおふたり。時に黙々と、時にぽつぽつと話しつつ仕事が進んでいく。なんと健全なことだろう。
 夜学バーで自作の小物(アクセサリーなど)を売りたい、と以前から仰っていた方が、よく工夫された陳列セット(現金を入れる箱も含む)をお持ちになる。ポップ等はその場で書いておられたので、三人で黙々と作業に没頭する時間もあった。そんな時僕は何をしているのかといえば、何をしているんでしょう。何かしているような、何もしていないような。
 営業の終わりがけに「本を渡しに来た」と古い知己。精神医学に関する新書で、僕が高校生の頃から疑っている「薬」というものを根元から検討した本、だと思う。すぐに読もう。お店をやっているといろんなものが集まってくる。彼は実は10年以上も前、僕がとある中学校で教鞭をとっていた時の生徒なのだが、いつの間にか研究者の端くれになっているようだ。そしてたまに顔を出しては、他のお客に小さからぬ印象を残していく。そういうふうによりどりの色が塗り重ねられてできる空間をさらにさらに厚くしていきたい。

2021/04/23金 15−18j
 今日もまた、最近来てくださるようになった方々と、10年くらい前から僕のお店に(すなわち夜学バーより以前から)通ってきてくださる方とが同時にいる。お店の面白さは本当にそこにある。そして個人的には、その歴の長さが表面的には何も意味を持たないかのような雰囲気が好き。「えっ、初めて来たんですか? ずっと通ってる人かと思った!」とか「えっ、そんなに昔から(ジャッキーさんと)知り合いだったんですか? わからなかった!」とか、そういうふうな言葉はこのお店で時おり聞くことができて、それは誇らしいというか、ああ自分好みの感じだなとこっそり思っています。
 しかし一方で、長く知っている方との昔話は、最近僕やこのお店を知った人にとっては新鮮で面白いだろうし、逆に最近知ったという人の第一印象や所見等は慣れている人には興味深いと思う。それはどっちも素敵なことだから、同時にあるのが一番好き。

2021/04/24土 13−16j
 土曜日は早い時間に設定してみた。なんとなく、金曜までの疲れもあるし土曜はみんな夕方のほうが活動的なんじゃないかと思って、あえて。難易度を上げる癖がついてしまった。でも結果的にそれで良かったと思う。
「15時から20時」というお店や催しが今は多いので、その前に寄る(0次会みたいな?)のにちょうどよい。実際「これから〇〇に行きます」という方や「これから仕事です」という方がいた。エンジンのかかる前でみんなしっとりしているし、近隣のお店もまだ開店していないので静か。実に快適でした。
 また「平日は働いているし夜はあまり外に出たくないので、土日の昼間しか来られない」という方も。彼女にとってはジャストだったのだ。他の方がお帰りになってから色々お話をした。僕だってしっかり緊張をする。喋りすぎてしまっていたら恥ずかしい。「こういう話をできる相手(や場)がない」とのことだったので、たびたび利用していただけたら嬉しいな。再会を心待ちにしております。

2021/04/25日 17−20j
 日曜の夜。お客がないのでジャーナルを更新。街は人にあふれていたのでno cacなのは緊急事態宣言(今日からです)のせいばかりではないはず。やっぱり日曜の夜ってのは普通の人は大人しく家にいるのだろうし、酒類の提供を今日からしばらくやめるので「日曜の夜だからこそあえて酒を飲もう!」という人も来ない。
 たとえば「昼間だしソフトドリンクだけになるし木戸銭ゼロにします! 来て〜!」とやれば、少しくらいはお客があるかもしれない。でもやらない絶対。夜学バーの木戸銭(チャージ)がこの値段(一般1000円、奨学生500円、極めて若い人など0円)なのは「夜だから」でもなければ「お酒を出すから」でもないのだ。ここが「ヤガクバー」だからこの値段なのである。そういう矜持? を捨てるわけにはいかないので、通常通りの料金でやります。ちょっと高い喫茶店です。
 僕がよく行く喫茶店はコーヒー一杯250円〜430円が多く、高くても500円くらいまでのお店がほとんどなんだけど、その3〜6倍もの価格ということになる。それに見合う店でありたい! がんばります。
 ここにしかないものが絶対にあって、というか、やる以上は絶対にあらしめねばならなくて、それがそのまま木戸銭の対価。時間帯や提供する飲食物で変えてしまったら、「ヤガクバー」の値段はどこに行ったの? ってことになる。
 需要と供給と、客単価と客数と……みたいなことを優先するとビジネスになってしまう。芸術にしときたい。
 単純な話をすれば、皆様にお支払いいただくお金は「みんなでこのヤガクバーという存在を維持するための掛け金」みたいなもの。今のところ僕の考える適正な場を維持するにはこのくらいの価格設定がバランスとしてちょうどいいだろう、と判断した結果です。
 お客が来ました! わーい。

 営業が終わりました。3名のお客あり、お酒はもちろん提供せず。お客さんからいただいた生姜でジンジャーエール用のシロップを作ったり、新メニュー「カラマンシー」を賞味したり、スリランカの甘いスパイスティー「サマハン」をご紹介したり。コーヒーもいれたり。お酒が飲めないとなると何か別のちょっとした珍しいものなどが飲みたくなると思うので、もしおすすめの何かがありましたらぜひご教示くださいませ。

2021/04/26月 15−18j
 一対一でゆったりと過ごす。仕事の合間に来てくれたようでPCを開いて、途中から閉じて。なんだかんだ、開いていると会える。閉じすぎず、開きすぎず、うまい具合にバランスをとってやっていこうっと。

2021/04/27火 1855−20の

2021/04/28水 サ、18-20k

2021/04/29木 10−15の

2021/04/30金 15−18j
 夕方営業。3人のお客。ちょうどいい。金曜とて18時に閉めるということでたぶんあまり関係がない。お酒も出さないし。ところでなぜかいまちょっと頭がよく働いていないので上手に文章が書けません。それも面白いので続けて書きます。
 いま夜学バーでものを売っている方がおられます。手作りの小物を磁石で貼り付けて陳列し、貯金箱にお金を入れてもらう無人販売システム。けっこう凝った仕組み。こういうのはずるずるやるとずるずるなるので期間限定で。とりあえず5月6日まで。わりと評判です。貯金箱にお手紙を入れていく人もいました。仕組みが自然と変化してしまうのは楽しい。そこはお金を入れるところであってお手紙を入れるところではないのです。でも別に誰も困らないどころか嬉しさが世の中に増えるのみなので、何の問題もない(と店主は判断いたしました)。そこに憎しみの言葉が書き連ねられていた場合は「嬉しさ」とばかりも言えませんが、実害はさしてなし。そのお手紙に猛毒が塗りこめられていたら別ですが、そもそも硬貨に塗ったほうが効果があるはずなのでいいでしょう。

2021/05/01土 10−13j
 しばらく僕(j)は朝ばかりになります。午後の営業は別の従業員が入れたら入る、という感じで。
 散髪に向かう道すがらに、休日出勤のリモートワーク(そういうこともあるようです)に、いろいろ「ついで」をつけておいでくださるのが本当に嬉しいです。酒はありませんがモーニング今日から始めました。13時前にすべり込んだ人は気を遣って遠慮してくださいました。(そういう場合もあります。)
 5連休初日ですが、やはり10時–13時は混まないですね。お客は3名。そんなところでゆったりやれたらいいなと思っております。0だとやはりさみしい。6日、7日、10日は平日の午前営業なのでさすがにグランドスラム(お客ゼロ)あるかなー、と予感しております。逆張り勢の方(いるのかしら)は、ぜひこのあたりに。

2021/05/02日 10−13j
 お客は1名。hideの命日で忌野清志郎の命日。こっそりと祈る。『明日、私は誰かのカノジョ』という漫画が6巻まで置いてあるのですが、それをしばらく読んでいらっしゃった。気になってくださったよう。この作品は特定の種類の(?)若い女の子の間でかなり流行っていて、紙の単行本は累計で100万部を突破したそうな。1巻につき17万部くらいということだけど、電子で読んでいる人のほうが多そうなイメージがあるので実際の読者はもっと多いはず。でもいわゆる「漫画好き」みたいな人たちの間ではそれほど読まれていない(これもイメージ)と思うので、今のうちにチェックしておくといいですよ! とても面白くて毎週読んでます。(なんのこっちゃね。)

2021/05/03月 10−13j
 入れ替わりつつ計5名+2歳児。午前中から、ないし午後イチでみなさまありがとうございます。中高に勤めていた頃の生徒が来てくれた。生徒は1人だけなのに僕のことをなぜか「先生」と呼ぶ人が合計3人いた。僕を「先生」と呼ぶ人は元生徒でさえ少ない(苗字やジャッキーさん、「おざ」などと呼ぶ人が多い)のでとても珍しい。にせ先生ブーム。そういうの流行るのかな。
 何か物音がするなと思ったらベビーカーに2歳児を乗せたまま登ってくる方があり、入り口近くの席にいた人が手伝いに出てくれた。その後もいろいろ気を遣って子供の相手をしたり動画を見せてあげたりなどしてくれて母親が小倉トーストを口にする暇を作ってあげていた。たまたまお客はみんな(子も含めて)女の人で、だからとも言わないがなんとなく独特の雰囲気(説明できない)があった。それはとても素敵なシーンだった。おそらく誰もがその子やその状況、その場について快い気持ちでいた。女性ばかりだからではなく、誰がいようがそれはそうだろう(実際僕は男性であろう)。その時はまた別の雰囲気の素敵なシーンがあったと思う。もちろんそれがいい人でなければ話は別なんだけど、それにしてもたった一人の2歳児はすごい力を持っている。ただ2歳だというだけではない。いい人そうだった。だから一つの幸福を呼べる。いいやつになるといいなと思うし、また会うのなら僕も少しは貢献したい。

2021/05/04火 10−15の

2021/05/05水 サ

2021/05/06木 11−12j
 お客はなし。当たり前か。グランドスラムと言うほどグランドでもない。平日の午前中にたった1時間営業、しかも「15時から18時」って言ってたのに割と直前に時間変更したんじゃ誰もくるわけないガヤ何を考えとんダテ。仰る通りです。本当はもっと早く開けたかったのですがいつもパンを買っているお店が10時すぎにパンを並べ始めるので11時からにしました。12時までなのは「これで誰か来たらすごいな」という悪戯実験心だったのですが見事に敗北を喫しました。もうちょっとちょうどいい設定に努めます。明日は9時から。よろしければどうにか11時までに滑り込んでください。モーニングございます。

 時間を早めた理由は、あまりにもゴールデンウィークに世間が騒々しかったから。確率で考えたら感染に関わる可能性は極めて低いんだけど、そういう問題だけでなく「あの人たちと一緒なのはやだなあ」という生理的な(?)気持ちも強いのだ。

 ところで、そもそもマスクをつけて街を歩く理由は何か? マスクを外して歩いたって、よほど人混みでもなければそれで感染させることはまずないでしょう。理由はいくつも考えられて、「わずかな可能性をさらに減らしたい」「いちいちマスクをつけ外しするよりはつけっぱなしのほうがよい」「マスクをしていれば鼻や口を手で触るのを防げる」「常にマスクをつける癖をつけたり、マスクに慣れることが大事」などなど。個人的に最も大切だと思うのは「景観」。みんながマスクをつけている、という風景をみんなで現出させること。すると「みんなマスクつけてるんだから、自分もマスクつけなきゃ!」とみんなが思って、みんながマスクを欠かさずつけるようになる。日本の人は殊にそういう性質があると聞きます。
「みんなマスクしてるんだからぼくもつけよう」と思わせるため、みんなで「みんな」をやるのが肝要なのです。もしもマスクをつけない人が何人かいたら、「なんだかマスクつけなくてもいいような気がしてきたな」と思うのが人間(日本人?)というもの。そこからほころぶ。ひとえに授業中の私語に同じ。
 去年の今ごろ、なぜみんなが家にいたのかといえば「みんな家にいたから」で、このゴールデンウィークになぜみんながお出かけしていたのかといえば「みんなお出かけしているから」である。でしかない。それだけの話。大切なのはみんなが「みんな」をいかにして作り出すか、に尽きる。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」とは本当によく言ったもので、みんなが渡っていたら自分も渡る。それが人の常。しかし、もしそこに「愚直に立ち止まっている親子連れ」でもいたら、何人かはそれに追随して立ち止まるだろう。良識の勝利であり、こちらも人の常である。文化とはそういうところに宿るもの。
 僕はこの「親子連れ」の良識を敬う。追随して立ち止まる人たちの良識に期待したい。すでに出来上がっている「みんな」とはべつに、新たな「みんな」を生み出そうとする人たち。孤高と呼ばれる。
 赤信号は待ったほうがより安全だし、親は子に「赤は止まれだよ」と教えることができる。一緒に待つ人がいれば、「みんな渡ってるよ!」と子に言われても、「でも待ってる人もいるでしょ」と言うことができる。ちなみに、車がビュンビュン走っている赤信号の道路を無理矢理に走り抜けようとするのは、孤高でなく孤低たる可能性が実に高い。
 言うまでもなく、新たな「みんな」を生み出そうとすること、それ自体が偉いのじゃない。どういう「みんな」を生み出そうとしているのか、ということが、いちいち問われる。僕は赤信号をすべて守るような人間ではないが、そこに幼い子とその親が待っているようなとき、やはり戸惑われるのだ。すべての信号を愚直に守ることが必ずしも良いことだとも思われないが、渡れるからといってあらゆる信号を尊重しないのもやはり偏っている。少なくとも幼いうちは「赤は止まれ」と覚え込ませたほうがいい、という考え方を否定する気もない。

 何度でも何度でも言うけど、去年の今ごろはかなり多くのお店が営業をやめていたし、かなり多くの人が家にいた。飲みに遊びに出なかった。そういう「みんな」が主流だった。だからこそ安心して「17時から20時」という時短要請ぎりぎりの時間に営業を続けた。もう「みんな」は出来上がっていて自粛という合意に至っていたから、自分はその「みんな」に入りきれない人たちを待つことにした。もちろん「俺たちは何も気にせず酒飲むぜ!」「あいとる店を教えろどこにでもいくぞ!」といった第二位の「みんな」もいて、その人たちの来訪はできるだけ避けたいので諸々に工夫をした。SNSをほぼ停止させてホームページだけ更新するとか。できるだけ目立たず、でも「夜学バーはどうしてるんだろう?」と思った人には届くように。良くも悪くも人はぜんぜん来なかった。詳しくはこの日報の過去ログ等をどうぞ。
 当時とにかく、上記どちらの「みんな」にも与したくなかった。お店を閉じるのも、開き直るのも嫌だった。「みんな」がお店をやらないなら、遊びにも出ないなら、自分はここにいたほうがいいだろうとはすぐに直観した。だけどもちろん感染リスクの高い場にしたくはない。その中で新たな「みんな」の萌芽を探るのは大変だったけど、正直に言ってとても楽しかった。

 黄色のまま止まった信号を見つめ続けるたくさんの人たちと、構わずヒャッハーと渡るいくらかの人たち。去年の自分は、ものすごく安全に気をつけながら、できるだけ人に見られないようこっそりと道路を横切る、というようなのを目指した。
 今は、黄色のまま止まった信号をヒャッハーと渡る人たちが主流で、じっと見つめる誠実な人たちもいくらかいるような状況。自分は、ものすごく安全に気をつけながら、道路沿いをスタスタと歩いているような感じでいる。メビウスの輪ならいつの間にか向こう側にいるんだけど。

2021/05/07金 9−11j
 ご夫妻と乳児を含む計4名。この時間だからおそらく夜学バーはどこかへ向かうスタート地点なのだろう。かつて従業員のkくんが「(夜学バーで)朝バーをやりたい」と言い出したとき、「一日の出発地点にしたい」みたいなことをたしか言っていた。用事を終えたあとにバーに寄るのも良いが、用事の前にバーに寄るのも大切ではないか、と。実際ここんとこ朝営業をしてみているのだが、なるほどけっこう楽しいし、わずかながら需要も感じられ、世に在る意義を感じる。
 kくんの朝バーはまだ実現していないが、彼の話を聞いていなければいま夜学バーはモーニング営業をやっていないかもしれない。とりあえずアイディアを言ってみるだけでも勝手に世の中は動いていくのだ。悪くいえば「パクられた」というような事態にもなるかもしれないが、お粥は出してないので許して……。
(いろんなアイディアお待ちしています。)

2021/05/08土 730−11j
(僕にとっては)早朝であったが、さすがはゴールデンウィーク。入れ替わり立ち替わり7名のお客あり。顔ぶれもとりどり。「しばらく(環境が変わって)来られなくなるので」とわざわざ顔を出してくれた人あり。就職で地方へ飛んだがGW休暇で寄ってくれた人あり。友達から教えてもらって、と初来店の人あり。お久しぶりですと新年の挨拶をするように寄ってくださる人あり。僕に伝えたいことがあったり、用事のついでだったり、目が覚めたからとりあえず、だったり、お店に足を運ぶ動機や気分はさまざまであろう。それが同じ場所で交差するというのが、何度でも強調したいほどふしぎで楽しい。
 そういう事情は目には見えずとも、「場の色気」として表出している。

2021/05/09日 11−15f
 久々にf氏。僕は顔を出していないが風の噂ではそれなりの来客があった模様。僕がいると思ってやって来た人もいたそうだが、f氏も非常に(ヤガクバー的に)優れた人材なので楽しんでいただけていたら幸い。逆にf氏なる人物を見てみたい会ってみたいという方もいたと思われる。
 同じ場所でもカウンターに立つ人によってガラリと変わってしまうものだが、もともとこのお店が好きだという人が立つ場合、やはりどこか夜学バーっぽい(?)ところは出てくるはず。どう違い、どう違わないか、なんてことも面白がっていただければ。

2021/05/10月 9−11j
 a カップル of 男女。世の中はいろいろある。たくさんの人がいて関係は交錯する。交錯した関係をある視点から眺めたものが「事情」である。事情は視点の数だけある。そのことをどれだけ意識していられるかが勝負(なんの?)なのだ。

2021/05/11火 1855−20のめみ

2021/05/12水 18−20k

2021/05/15土 11−15のめみ

2021/05/16日 10−13j
 編集のお仕事をしている方々と漫画の話など。最近いろんなところで見聞きする『明日、私は誰かのカノジョ』は夜学バーにも全巻置いてある(どこからともなく送られてくるのだ)。この作品をぼる塾(僕はかなり前から注目している!)の3人が激推ししているというのも興味深い。このあたりについては語るとキリがないので興味のある方はよかったらどうぞ話しに来てください(営業)。

2021/05/17月 15−18j
「ここで仕事するのに慣れてきて云々」と非常に嬉しいお言葉。「いつでも雑談が開始できる仕事場」というふうに考えると、けっこうレアだし需要もありそう。最近は3時間くらいで閉まってしまいますが、そのうちもうちょっと営業時間を伸ばすとは思いますので、そうしたら大概のレンタルオフィスやインターネットカフェよりも安くなるかも。ただ雑談が9割くらいを占めてしまう可能性もあり、果たしていいのか悪いのか。

2021/05/18火 19−20のめみ

2021/05/19水 18−20k

2021/05/20木 15−18j
 グランドスラム(お客なし)。天気が悪かったからというのもあるかしら。この無為な時間を「無意味な時間」とせず、カッコつけて澄ましていられる人間でなければ(待つお店をやるのは)難しいと毎度思う。誰も来ない静かな数時間はそれもまたかけがえがない。可能性だけがあるわけだから。

2021/05/21金 10−13j
 高校生が入ってきて開口一番「今日、お金ないんですけどいいですか?」頼もしすぎて笑ってしまった。そうそう、そういうのですよ!「もちろんどうぞ。」中間テストの最終日で、早く終わったので来たとのこと。「期末テストの後も来るので、お金はその時にまとめて払います!」期末テストより前にもぜひ。
 高校生は基本的に木戸銭をとらないので、今日はウーロン茶にモーニングついて500円。喫茶店なみ! ツケにしておきます。ひょっとしたら夜学バーに行こうと決めたのは当日の思いつきで、行きたいけど現金(財布)持ってない! まあツケくらいきくやろ!(ホームページとかでそういうようなこと言ってるし)という判断をしてとりあえず来てみた、のかもしれない。単にそういう可能性もあるだろうなというだけですが、そういうことがあったっていいのです。
 なんて書くと「うちの娘では!」と親バレする可能性がありますが、あまりに素晴らしいシーンだったのでつい。問題ないよう祈ります。おそらく問題ないでしょう。問題ある人は事前にお申し出くださいませ。そして保護者の方、もしこの文章を発見したら、黙ってそっと500円渡してあげてください。
 夜学バーでお仕事をする方が最近ちらほらおられます。PCを叩く人もあれば文章の校正や添削などをペンを持ってする方も。そういえば高校生は毎日何時間もペンを握っている。10年後にはわからないけど。

2021/05/22土 10−13j
 最近僕の周りでホームページ制作が流行っている。たまたまホームページ制作経験者のみの場になったのでホームページ制作の話などをする。
 SNSに投げた情報はいつの間にか散っていってしまうし、ブログでもどうしても「時系列」の縛りが強くなってしまう。「新しいものが常に上に来る」ということに抗うことが難しいのだ。ホームページは、いちばん目立たせたいものをトップの風通し良い位置に置き続けることができるし、それを好き勝手に取り替えることもまた自在である。たとえば僕の個人ホームページのトップにいきなり2000年の日記をボーンと放り投げることもできるし、その頃のホームページを完全再現して読者を唖然とさせる(唖然としてくれ〜)ことだって可能。赤ちゃんの時の写真を背景にすることだってすぐできる。自由自在の七変化である。
 似たようなことは〇〇(サービス名)でもできる! と言われたら言い返すのが難しい場合もあるかもしれないが、ホームページの魅力は自由度にあって、その点についてはほとんど最強だとは思う。時間に対して柔軟だというのはとりわけ強調したい。過去から現在へ一直線、といった構造にしなくてもちっとも構わないのだ。ブログやSNSは、タイムスタンプからなかなか逃げ出せない。
「のびのびとした空間」という表現が許されるなら、「のびのびとした時間」と言っても構わなかろ。この2点を満たせるのがホームページという形式なのだと、今のところ僕は思っております。時間を愛する僕にとってはうってつけ。かわいい子には旅をさせたい(?)。
 夜学バーのホームページも実はリニューアルを進めている。なかなか仕上がらないのだが、着せ替えのようでとても楽しい。

2021/05/23日 10−13j
 21日の記事の件。「黙って」と言ったのに黙ってなかったようで困りますお客様でした。問題はなかったのだとは思います。
 コーヒー入れてモーニング(小倉トーストなど)を用意して、というオペレーションは一人だとまあまあ大変で、お客が複数あるとお待たせすることもあるし洗い物もたまってしまう。喫茶店だとコーヒーは作り置きしといてあっためて出す、というのが普通だし、ことにモーニングであればそれがほぼスタンダードだと思う。当夜学もその感じでやろうかな、と思えど、時間かかって文句言う人もそうおるまいしもうちょっとがんばろう。なんだかんだ楽しいし。アイスコーヒーは作り置きを冷やしてあります、悪しからず。
 ファンレター(曰くラブレター)もらった。わーい。(とてもうれしい)
 家の近所の飲み屋さんで時おりご一緒する方がおいでくださった。いろんなところからいろんな方がいらっしゃるのが当店の自慢でございます。どんな人でも「いろんな方」になりえます。ここでいう「いろんな」というのは単に「さまざまな」というだけの意味で、神奈川県秦野市出身の人もいれば愛知県田原市在住の人もいて、東京都杉並区出身かつ在住の人も同様に存在して、みんな「いろんな」の一部。それがもちろん土地だけでなくあらゆることについてある。
 それは多かれ少なかれどんなお店でも同じだろうと思えますし、実際そうでもあるのですが、意外とそうでもないところもあります。どのような意味や機能としてその場に現出するか、あるいはしないか、ということとか。

2021/05/30日 10−13
 朝営業。3名来店。夜学バーは食べ物や飲み物の質を求めてではなく、ひたすらシンプルに「場所」として利用していただいている感覚がある。気取らず座り続けることができて、そこに本があったり、文化を持った(とは?)人間がいる。嫌なやつは少ない(そうしたい)。
 ずっと読んでくださっている方には同じことばかり書いているように思えるかもしれませんが、初めてこのあたりから読む方もいるかもしれないのでしつこく記しておきます。←これも何度も書いていますね……。

2021/05/31月 15−18
 リアルタイムで進行している「事情」を抱えた人はその期間わりと繁くいらっしゃることが多くて、その経過をリアルタイムで聞くことができるのは面白い。そしてもちろんこのお店で話したことはその「事情」へとフィードバックされてしまうので、発言の責任は重い。少しでも好転するように慎重に言葉を選ぶ。その結果はどうあれ、その過程の中で仲が深まったり絆が生じたりする、と思う。

2021/06/04金 10−15
「会社を休んで、さてどうしようと思ったらモーニングをやっているようなので来ました」と、モーニングを召し上がる。夜にしかお目にかからなかった方と朝に会うのは少し新鮮かも。でもそれをあまり「新鮮」と思わせないのは、窓のない空間ならではかもしれない。朝でも夜でも店内の雰囲気は変わらないのだ。(去年からは常時換気しているので多少光は多くなるが。)
 中に入ってしまえば、そこは夜学バーというお店で、外界が昼でも夜でも何も変わらない。できるだけそのようにしたくて時間によって料金は変えていない。時間を差別しないように。「一つの時間の中にあって幾億も重なる昼と夜」という歌があるけど、一つの時間の中にぽつんとこのお店がある、というイメージでやりたい。
 と言っておいて「モーニング」をやるのはどういうことだ? それは僕が喫茶店好きだからです。そのかわり今日なんかは15時まで「モーニング」やってました。そのうち夜でもモーニングするようになるかもしれません。たまにありますよね、一日中モーニングやってる喫茶店やファミレス。あれいいですよね。朝は心の中にあり。

2021/06/05土 10−15j→のめみ
 のめみさん所用にて急遽午前中は僕。2名来店あり。たびたびいらっしゃる方と、時おりいらっしゃる方。かつてのように、本当にいろんな方がぐるぐると混じり合うようになってほしいな、と思いつつも、今のように静謐でも焦らない、余裕のある時期も大切にしたい。普段ならお客が少ないと「大丈夫かな、この店つぶれないかな」と思ってしまうが、今はそれが当たり前なのだ。すさまじいことだと思う。この感覚は味わえるだけ味わっておこう。昼過ぎに交代。

2021/06/06日 10−13
 小5少年とそのご友人。カレーをたくさんいただく。セロリがたっぷり。ありがたや。社会人数年目の若者もやってきた。

2021/06/07月 14−20
 あるお客さんが『映画大好きポンポさん』を観た帰りに寄ってくださり、半券を貼って行ってくださった。夜学バーには知られざるローカル割引ルールがあって、その日に行ってきた文化的な催しのチケット半券等を貼るとひっそり100円引きになる。ポンポさんは僕が21世紀のアニメで最も好きな『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』の監督(のうちの一人)が撮った作品。まだ観ていないが、評判が良いのでとてもうれしい。
『まなび』は『鬼滅の刃』と同じufotableで、ようやく「折り紙付き」と言えるようになった。名作なのでぜひ。(「特別編」は6話と7話の間に観てくださいませ。)

2021/06/10木 14−20
 高校生の時から通ってきてくれていた人が、浪人を経て、ついに大学入学の報告をしにきてくれた。バイト帰りだそうな。そこに18歳(高校4年生)がやってくる。平日の昼間らしい。と思ったら社会人が。リモートワークや裁量労働制などが流行ると、昼間の飲食店も多少は儲かるような気がする。昼の可能性が広がる。個人的にはとても嬉しい。

2021/06/11金 10−15
 平日昼間なのに会社員が二人も。いや、「も」ってこともないくらい最近は「平日昼間」というものの自由度が上がっている。
 夜のお店には「言論の自由」というものがある程度ある。それが正しく発動するには、「何を言ってもここでは大丈夫だろう」という安心感がなければならない。「酒飲んでんだから何言ってもいいだろォ!?」というのは、言論の自由ではなくて、公共の福祉の侵害。似て非なるこの二つをきっちり峻別せねばならない。
 言論の自由は、公共の福祉が侵されないことを確認しながら、慎重に行使されなければならない。そのことが暗黙の了解として存在している場には、「安心感」が生まれる、ということだと思う。
 20歳の時、すでにインターネット空間に息苦しさを感じていたころに「夜のお店」と出会った。ホストやキャバクラではなくてカジュアルな「飲み屋」である。そこには上質な(と当時の僕は思った)言論の自由があり、それはとっても美味だった。

2021/06/12土 10−13
 お客は1人のみ。2時間くらいか、ゆったりと過ごした。そういう日がこの1年以上多くなっているが、実に豊かなことだ。もともと売り上げを期待してこの時間に開けているわけではないので、特に焦りもない。誰も来なくて当たり前、来てくれたら超嬉しい。特に大した話をするのでなくとも、少しずつ仲良くなっていくような感じがある。
 僕はことあるごとに、しつこいくらい「時間を愛している」などと嘯くが、時間は傷を癒してくれるばかりでなく、生命を育んでもくれる。水も肥料も日光も、もちろん大切だが、そこに「時間」がなければ、絶対に何も変わらないのだ。

2021/06/13日 10−13
 今夜ライブに行くのでその前にと、朝っぱらから寄ってくださった高1。音楽についての話になった。
「好き」というのにも色々あって、誰かが「音楽が好き」と言う時、それぞれの思い描く「音楽」像はそれぞれ異なる。たとえば、一人で静かに聴くのが好きなのか、爆音を全身に受けて踊り狂うのが好きなのか、その音楽の周囲に出来上がった「界隈」に身を置くことが好きなのか、作曲したり演奏するのが好きなのか、など。だけど言葉にすれば十把一絡げに「音楽が好き」ということになってしまいがちである。その違いですれ違いや諍いが起きているのでは? みたいなことを思って、いまいち上手に言葉にできないでいたら、お客さんが「真の好きとか本当のファンとかそういうのは嫌い、キリがない(意訳)」というようなことをおっしゃって、ふむ、その通りだと思った。
 武富健治先生の大傑作漫画『鈴木先生』に、「誰が好きだって、いいじゃないかァ……」という印象的なセリフがある。また、最近お客さんから教えてもらった言葉で、次のようなものがある。

《結局のところ、許されない性というのは、他人に迷惑をかけたり、傷つけたりするもの以外にはない。生まれつきだろうが、選んだものであろうが、それは関係ないのだ。
 僕は淳一君に言った。
「たとえ同性愛がだてや酔狂であったとしても、それで差別されるのはおかしいんじゃない?」》
(伏見憲明『ゲイという「経験」』より)

 つまり、誰が誰と何しても、その人たちの自由である。ただし、その際に他人をそこなってはならない。ただそれだけの、単純な話なのだ。
 これは音楽どういうの話だけでなく、性のことにも重なるし、11日の記事に書いた「言論の自由」にも、そのままあてはまる。

 お客さんからサバを一尾いただいたので、その夜のうちにさばいた。ありがとうございます。
 しまった。サバをシャンバイザーみたいに装着して「燦然!」と叫んだ後、「サバじゃねぇ!」って言って投げ捨てればよかった。(『超光戦士シャンゼリオン』参照)

2021/06/18金 10−15
 グランドスラム。誰も来ず待ちぼうけ。

2021/06/20日 10−13
 朝10時ちょうどにお店に行ったら1名による行列。ややあって1名増える。12時半に3人目のお客。閉店時間をとうに過ぎながらぼんやりしていると、14時半ごろにまた来客が。13時までと告知しているのに、なぜ?「近くに寄ったからです」とのこと。答えになっていない。もしかしたら開いているかもしれないからとりあえず行ってみようダメ元で、ということなのだろう。ありがたいことです。
 開いているということの本質は、「いつでも開いているかもしれないし、いつでも閉まっているかもしれない」ということかもしれない。開いている時が多ければ「きっと開いている」になり、閉まっている時が多ければ「きっと閉まっている」になる。夜学バーは最近かなり開店時間を絞ってはいるものの、基本的には毎日どこかの時間で開いている、というのは以前とそう変わらない。(以前よりも休日を作ることを恐れなくなったけど。)きっとそういう印象があって、ろくに調べずとりあえずやってくる方もいるのだろう。こんな雑居ビルの三階まで、わざわざ。そう近所でもないのに、「近くに寄ったから」と。僕の知らないところで、「今日は開いてないのか」と扉の前で踵を返した人はおそらく、かなりたくさんいる。その人たちのためにも、「開いている」ということをできる限り続けていきたいと思う。

 今日で緊急事態宣言がいったん終わり、21日から7月11日までは別の措置に移行。伴って朝営業はいったんお休みにして、夕方に「自習」と称した営業形式を試してみます。詳しくはトップページ「最新情報」にあるエッセイ11をどうぞ。
 いったんこの期間は夕方にやってみて、やれそうだったらまた午前中とか、早い時間にもやってみるかもしれません。
 火曜日の夜はのめみ氏、水曜日の夜はk氏がいてくれる場合があります。スケジュールをご参照ください。その他、しばらくは臨機応変に。

2021/06/24木 16−19自習
 自習初日。自習について詳しくは現在トップページの「最新情報」欄に載っている(のち「テキスト」内のどこかに移送予定)「エッセイ11」をご覧ください。ようするにセルフサービスをメインにした営業。
 初めての試みなのでどうなるかドキドキしていたが、幸福なことにお客が。「こういうのは早めに来ないと」とのこと。確かに。1日で嫌になってやめるかもしれないし、2週目から評判になって連日満席になるかもしれない。あるいは、初日で良かったらもう一回来られるけれども、最終日に来ても二度と来られない、など。演劇を千秋楽に観に行って「しまった! もう二度とこの名作を観られないのか!」と後悔したことは一度や二度ではない。
 また別のお客が高級なジンを持ってきてくださり、そのまま寄贈となりました。この日は2cac。平日にしては幸先悪くなしというところ。

2021/06/25金 16−19自習
 いらっしゃって最初の1〜2時間でお仕事を済ませ、それからお酒を買いに行ってグビグビとやる人。おそらくは仕事終わりにやってきて一杯だけお酒飲む人。日本酒の小瓶開けて飲む人。

2021/06/26土 16−19自習
 1cac。世間話などする。

2021/06/27日 16−19自習
 6cac。かつては日曜がいちばんお客さんが少なかったのだが、時短中はかえって日曜の早い時間に集中しがちになった。県をふたつまたぎ、銀座で髪を切るついでに寄ってくださった方。「どこかバーはないか」と探していて通りすがりでたまたまいらっしゃった方(たまーにこういうことがあるのです、特に日曜は、他のお店があんまり開いていないので)。一瞬だけ腰を落ち着かせるために、なにも飲み食いせずチャリンと場所代だけ払って帰って行かれた方も。いわく「何も飲み食いしないでいいのはむしろここしかない」なるほど。
 たまたま立ち寄ったその方はかつて渋谷系と呼ばれた音楽……フリッパーズ・ギターだとかそういうことに詳しく、持論もお持ちで、僕もその辺りにはだいぶ明るいほうなので、「こんなにこういう話ができたのは本当に久しぶり(10〜20年ぶりくらい?)」とのこと。奇縁といえる。一方で、夜学バーのことをいっさい知らずにいらっしゃったので、例えばこのホームページに書いてあるようなことはまったくご存知ない。「身構え方」が違うのである。その意味では異分子とも言え、用意してある「夜学バーらしさ」のようなものに亀裂の入る瞬間が多くなる。そこがまた、なにが起こるかわからない日曜の面白さでもある。このジャーナルに繰り返し書いてきましたがイレギュラーなことは日曜や正月に起こりやすいのであります。他のお店が、やっていないから。

2021/06/28月 16−19自習
 JK1がテスト前日だということでまさしく自習。雑談のような補習のような話を多少。現代文は、新現実主義と新思潮派は何が違うのかというような話。一応国語の先生だったので一通りはわかる。古文は、どういうところが設問にされやすいか、というところをサラリと話して、あとは半ば自分の趣味で係り結びのハナシを一席打っただけなのだが、のちに聞くとどちらもクラス最高点だったらしい。
 もちろんもともとよくできるというだけなのだろうが、「テストで問われるのはどういう部分か」という説明を活かしてくれたのであればなお素晴らしい。伝えたのはごく単純なことで、「普通から外れている箇所が問われる」ということ。すなわち、終止形で終わっている用言の活用系が問われることはない(普通なので)が、連体形や已然形で終わっている場合は(普通でないので)問われる可能性がある、というような。この原則はあらゆる試験問題で、さまざまな形に応用して使える。英語でいえば、bringや横たわるlieのような不規則変化の動詞が問われやすいのと同じである。当たり前じゃん、と思いがちだが、意外と中高生はそう強く意識していない場合も多い。
 現社はちょうどギリシャ哲学をやっていて、「ソクラテスのいう魂への配慮とは何か」「イデアとエイドスは何が違うのか」などしびれる質問が。好きな分野なのでそれなりに詳しく(わかる範囲で)話したら、現社100点だったそうだ。恐ろしい。
 僕なんかが教えなくてもいい点が取れたのは間違いないが、「夜学でジャッキーさんに教えてもらったな」という気分は多少記憶を定着しやすくするだろうし、その分野への意識が高まって家に帰ってからの進捗も良くなりそうな気はする。人に教えてもらう、というのは、実のところそういう効果がいちばん大きいのではなかろうか。また「バーで勉強する」という環境自体もやや特殊なので定着度を上げそうな気がします。ぜひご活用を。

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