文責は尾崎(Jacky)。夜学バー日録。
2020年後半(7月1日〜12月22日)

ジャーナル 2020年前半 2020年後半 2021年前半 TOP

 4月(緊急事態宣言直前)から8月末までにトップページの「最新情報」に載せていた文章はこちらに。当時の時系列を簡単に追えて面白いと思います。


2020/07/01水 i

 i氏20時ごろ到着という予定だったので代わりに19時ごろお店に。見習いf氏来る。あれこれ教えていたらi氏到着。じき非レギュラー従業員の某が来店。最後までほかにお客なく中の人4名でOJT&意思疎通の会となった。0時ごろif帰去。某と僕とで話し込み夜が明けた。めずらしい回。

2020/07/02木

 昨日は実質お客ゼロ人だったわけだけどその反動なのかなんと来客が16名(うち1名はお届け物を置いていってくださったのみ)。夜学バーとしては奇妙なほど多い。しかも木曜日に。
 種の一つは、そのうち6名が一つの人脈に連なる人たちだったということ。しかし6名一気に来たのではなく、はじめは2名。それから時間があいて3名増え、そのうちの1名が最後の1名をリアルタイムで呼び出した、といういきさつ。最後の人は呼び出した人以外に面識がないそうで、むしろその場にいたその他の人たちとよく交流していた。6名といっても2、3、1(2)というふうにばらけていた印象。
 あとは二人連れが2組あって、単独での来店が5名(お届け物の人を合わせたら6名)。
 その中で「初めてこのお店に来た」という方は6名。なかなかいいバランス。
 もちろん十数人が一度にお店にいた、という場面はなく、最大でも確か9名、そのあとすぐに減っていったので満席の時間はそれほど長くなかった。夜中に3名ほど残りチルアウト状態でゆっくりしたのも楽しかった。
 お客さん同士の組み合わせを考えたときの「初対面率」はかなり高かったし、グループ来店(初めて使う概念)も多かったわりに場が閉じるということはなかったし、開きすぎもしていなかった。あちこちで流動的な「かたまり」が生まれては溶けてまた固まり、時に一体となる、というまるで群像劇のような日。人が多いときの理想の状態にわりと近かったような気がする。もちろん取りこぼしたものというか、うまくいかなかったことも多いけど。
 それなりにうまくいったのは、誰も褒めてくれないけどいろいろと工夫があるのです。そのあたりをできるだけ言語化して再現性のあるものにしたいんだけど、なかなか難しい。少しずつやっていきたいものです……。
 ところで「お届けもの」というのは6月30日の伏線回収。なんと僕の15歳以来のたずね人を探し出し、その素性の記された紙片だけをわざわざ持ってきてくだすったのである。多謝、多謝。今年のうちになんらかのアプローチをしてみます。本当にうれしい。お店ってのは実にすごい。やればやるほど楽しいのだ。その凄さを人に伝えられたらと思ってお店を続けているし、こうして文章を書いているし、若い人たちを登用したがるのです。

2020/07/03金

 華の金曜日ですがお客は2名。水曜が実質0で木曜が15(+1)で金曜が2。
 東京都の感染者数(未来人のためにことわっておきますと2020年は新型コロナウィルスと呼ばれるものが猛威を振るっていたのです)は水曜67、木曜104、金曜131。木曜に2ヶ月ぶりくらいに三桁に入った。この半年の感覚だと「前日・当日の感染者数と客数は反比例する」ので、木曜は誰もこないだろうと思ったらたくさん来て驚いた、ら、金曜はやはり誰もこなかった、というわけ。
 仕方ないと思うしかないけど、さみしくなくはない。僕が2月くらいからずっと坦々、塞いでいるのは主にこの「反比例」のせい。ニュースとお店との相関が強すぎる。このお店も世の中の一部であって、それは当たり前のことだし誇ってもいいことなんだけど、世の中から自立(自律)していないということでもある。もうちょっと孤高であれたらとやっぱりどこかで思ってしまう。道は遠いです。

2020/07/04土

 お客は3名。客数だけ見ると直近7日間は3、4、3、実質0、15(16)、2、3という鮮やかな分散。2019年までは5〜10人くらいが多かったので、2020年は本当に異常。面白いけど、あまり楽しくはない。
 温暖化によって水蒸気が多くなり、よって一度に降る雨量も増していくらしい。これからの世の中はなんだって極端に寄っていくのだろうか。格差社会というものも、富豪と貧民とがモーセが割る海のように隔たれていくようなものなのだろうし。
 たとえば若い人が、「収入は多いが自由の少ない道」を選ぶのか、「収入は少ないが自由を感じられる道」を選ぶのか、という極端な二択も、実際すでにあると思う。どっちも取れれば言うことはないが、どっちも取るのは難しいというふうにだんだん(今以上に)なっていくんじゃないかしら。
 二極化していくとしたら、どちらの道も選択しやすくなるということだ。正社員は希望者が減るぶん採用されやすくなるかもしれないし、自由にやるのは仲間も前例も豊富なのでやりやすかろう。楽観的かもしれないがそういう面はあると思う。
 お店でいえば、「賑やかな日と静かな日の二極化」というのは実は世の中にすでにありふれている。それは「イベントのある日とない日」である。ハレとケですな。イベントのある日は混雑するが、普段はかなり空いている。イベントによる収入を当て込んで、普段は売り上げが立たなくてもなんとかなっている。そういうお店はたくさんあるのだ。本当よ。
 夜学バーは初めからそれを拒絶してきた。イベントに頼った経営はしたくない。特別か特別でないかというのを、お店の側で決めたくはない。偶発的にお祭りのような状況になることは楽しいが、「今日はお祭りですよ!」と自分から言うのは好みでない。そんな大層なものではないので。
 毎日が特別で、楽しくなり得るし、お祭りにもなり得る。神回は機を選ばない。でも誰一人として来ない日もある。そのギャンブル性が癖になってしまう。
 イベントを打つのは、「その日には確実に客が来る」と確信できるのが最大のメリットなんだと思う。ギャンブル性が低い。経営者はその安心が欲しいのだ。
 安心はもちろんほしいけど、それ以上に予定調和が好きじゃない。夜学バーに来るのはカジュアルなギャンブルなんだというくらいに、わからないものでありたい。だから木曜みたいなイレギュラーは面白い。ただ、全然人が来ないのは本当にたまにでいいな。毎日7〜8人くらいはきてくれるのが、精神安定上(そして経営上)ちょうどいいです。

2020/07/05日

 客数は8。日曜としては多いほう。感染者数がどうやら「100人ちょっと」で安定(?)したと合点し、みんな様子見をやめたんじゃないかな。このくらい人がくるのがちょうどいい。
「これから映画観てきます」と退店した方が、2時間後に戻ってきて「夜学割」のための半券を貼って、ついでに一杯飲んで行ってくださった。『AKIRA』を観たそうな。いいなあ。
 僕の14年来の大親友が東京を去る間際で寄ってくれたり、久々の人が何人かいた。たびたび書いているけど、「しばらく行ってないから気まずくて行けない」という発想はMAJIDE不要です。よっぽど性根が悪いのでなければ、お店の人というのはどれだけ間があこうとも来てもらえたら無条件に嬉しくて、「全然顔出さなかったじゃないのよ、この恩知らず!(?)」みたいなことは考えません。
 ある人が「夜学バー手伝いたいんですけど」と申し出てくれた。6月24日に書いた「人手が足りてないんですか」のもう一人。その伏線があったのでたじろぎもせず「ぜひ」と思ったが「ですけど」の続きがあり、「1 家が遠いので終電が早い」「2 自分が夜学バーの一部となることで店の色が変わってしまうことを懸念」といった内容。1は閉店時間を早くするだけなので問題なし。2に関しては確かにゆゆしき問題で、夜学バーという作品(僕は本当にそういうものだと思っていて「おざ研」以降はインスタレーションの自覚を明確に持っている)の質を心配してくれるとは「わかってんじゃねーの」だ。「そうなると思ったら言ってくれればよい。言えないような関係になったらどのみち終わりだし」というようなことを伝えたら「あそれは言えます」とシンプルに返ってきたので「じゃあそれで」となった。
 瞬時に「ぜひ」と思ったのは、それまでのお店での振る舞いだとか、Web上(LINE等も含む)での距離感だとか、これまでにかわしてきた「交流」のすべてを総合した結果。どうしてもそういうことになる。僕の胸には機会の平等も結果の平等もなく、ただ対等だけがある。対等とは「相手と自分とは対等である」と仮定し合うことから始まり、互いに尊重を向け合うことを積み重ねてその都度成立するもの。それをダンスのようにできるか否か。
 人を試しているわけではなくて、こちらとて全霊で「尊重」に身を尽くしているのです。このへん詳しくはいつかそのうちだし、過去にもWebのどこかに書いております。(探しだせない)

2020/07/06月

 7月1日につづき、f氏(全角半角が定まらない、スケジュールでは全角、文章中では半角でいいかな)二度めのOJT(オザキジャッキータカ……ではなくオンザジョブトレーニングようするに実地訓練)。18時半ごろ来てもらって一緒にお店を開ける。ちくいちメモを取ってくれる。前回立った時のメモはなんと清書してあった。これはもう僕が作らなくてもマニュアル的なものができあがるのでは……と淡い(そして若干甘くよこしまでもある)期待が胸をよぎる。お客が4名に加え、もう一人の見習い菫氏も現れたので急遽カウンターに入ってもらう。さっきまで教えてもらう立場だったf氏が瞬時に教える立場へと豹変。頼もしい。メモの清書も早速役立ってしまった。いろいろ自由にやってもらって二人とも特に問題がなかったので遠くなく独り立ちしてもらうと思う。ありがたいナア。
「問題がない」というのは僕が見ていて嫌な感じがしないということで、問題があるとしたら彼女らが嫌な感じを得てしまうことだから、より気を引き締めないと。

2020/07/07火

 いつも必ず同じものを同じ順番で注文するお客さんはけっこういる。まったく同じで変わらない人もいればちょっとバージョンを変えてくる人もいる。こちらはだいたい把握しているので顔を見た瞬間にもう心の中で準備を始めているのだが、いちおう言われるまでは動かないようにしている。「常連しぐさ」みたいなものに存在感を与えすぎたくはない。
『名探偵コナン』のかなり初期の回で、男性(犯人)が「着信音の鳴る前に電話を取った」ことにコナンが気付き、それをきっかけに謎が解けていく、というシーンがあった。固定電話はだいたい着信音が鳴る前にランプが点灯するので着信がきたことはそれでわかる。たしか着信音に細工をしていたことがトリックの肝となっていて、それを刑事や探偵に聞かれるわけにはいかない犯人は慌てて電話を取ったのである。
 ここまで書いてお客が来た(営業中に書いていたのである)ので、なぜコナンのことを書いたのかすっかり忘れてしまった。
 着信音の前のランプ点灯、みたいなことはけっこうある。夜学バーの電話もそうなので鳴る前にかかってきたことはわかる。お客さんも着信音を鳴らす前に必ずランプを点灯させる(比喩です)。それは常に視界の端に見えていなければならない。
 わかりやすい例を出せばお客は注文をする前に「注文しようとする」仕草をする。ファミレスや居酒屋の優秀な店員はそれを決して見逃さない。そういうことのさらに鋭敏なバージョンを会得すると色々捗る。
 大切なのは「察知」であって「パターン構築」ではない。ランプの前では早すぎる。着信音のあとでは遅すぎる。ランプをちゃんと見てから動こう、というだけの話、だったのかなあ。
 短距離走者は銃声を耳ではなくて足で聞く、と小山ゆう先生の『スプリンター』にあった。

2020/07/09木

「話す」だけが時間ではない。本を読んでいても黙っていても時間はそこにある。こういうお店をやっているとどうしても沈黙は埋めたくなるが、そればかりがすべてではないという戒めは常に持っていたい。ともかく大切なのはその場にいる人たちがどうしていたいか、どうすれば最大多数の最大幸福という状況になるのか。そんなことわかるわけがないのだが、志すくらいは。

2020/07/10金

 金曜だけどわりと静か。途中「隣接」という概念(というと大仰であるが)の話になり、「一つの国家としか隣接していない国家は13個(ある人調べ)ある」と言うので考えてみた。8つくらいはなんとか思いつきうるし、あとの5つも言われればイメージくらいはできる。ただ問題は「橋やトンネルでつながっていることを隣接と言えるか」で、このオンオフによってどの国が該当しどの国が該当しないかが変わってくる。橋やトンネルを認めると北海道は青森と隣接していることになるので孤立している都道府県は沖縄のみとなる、みたいな話。
 こういう話題が成立する(世界地図を頭に浮かべてあれやこれや検討する)余裕があったくらいには静かだった。ふだんこういうクイズとか大喜利みたいな事態にはあんまりならないのだが、いろんな条件が揃えばたまにはそういうこともある。

2020/07/11土

 19時から25時くらいまでのあいだに来客が20名。年に一度あるかないかの状況。満席になって補助席が出るような事態もあった。こういう時は先に来ていた人が気を遣って「じゃあ自分、帰りますんで」と言い出すのが小さなお店の定石なのだが、僕は必ずしもそれを良いとも思わないので、そのような雰囲気を察知した(着信音前の赤ランプを見た!)時点でこう言ってみた。「混んできたので気を遣って帰ろうかと思っている人がいるかもしれませんが、ちょっと散歩して戻ってくるのだっていいんですよ」と。もちろん誰に言うでもなく虚空を見つめながらぼんやりと場に投げてみた。するとなんと、その時9人くらいいたうちの4人が席を立って「散歩行ってきます」と外に出たのである。店内には5名が残り一瞬にして混雑は解消。そのあとほどなくしてまた新しい来客が続いて席が埋まり、また一人散歩に出て行って計5名の散歩人間が生まれた。ありがたい。もし誰も散歩に出なかったら狭い店内に十数名がひしめくか、あるいは何人か志半ばにして(?)帰宅を余儀なくされていたところ。ちなみに「いったんお会計を」と申し出た人はまったくおらず当たり前のようにふらっと出て行った。余程慣れた人たちだったかというとそうでもなく二度めの来店という方もいた。それでいいと自然に思えるような環境ができあがっていたのだというのはまた嬉しい。(ご当人の性格という要素も大きいのであろうが。)
 運よく従業員としてカウンター内に入ってもらえる人が前半に一人、後半に一人お客さんとして来ていたので珍しく二人体制で営業。お買い物にも行ってもらった。この人たちがいなければだいぶ疲弊していただろうと思う。ものすごく大きく感謝。ちなみにタダ働き&タダ酒で。やりがい搾取。
 ぽつぽつと人が減ってきたところで、ぽつぽつと散歩から帰ってくる。ひとりカラオケに行って来たという人もいれば、映画館でナウシカ観てきたという人、ぶらぶら歩いていた人などさまざま。無駄だと思ってしまうような時間にならなかったのならば幸い。
 ちとゆっくりは話せなかったという感覚はあったけど、こういう回もたまにはいい。本当に特異的に跳ね上がった一日だった。翌日のお客はたった一名だったもの。わからんもんです。
 初めて来店して、しばらく特に口をきくということもなく小一時間経って「奨学生制度はつかえますか」と切り出した方があった。申し出があれば身分と財政状況等を吟味し、よほど嫌な態度をとらなければ適用いたします。ここでついついフジテレビの年末特番「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」の話をしてしまった。なぜかは、奨学生にせよと申し出てくださればわかる(かも)。

2020/07/12日

 前のお店(おざ研)の時代からちょくちょくきてくださるお客さん。ものすごく久しぶり。この日はこの方のみだった。積もる話に……とも特にはならず、将棋麻雀鉄道登山などなど趣味の話に終始。いろいろ勉強になりました。
 久々に顔を出してくださったのは「応援」の気持ちもあるんだと思う。このお店(夜学バー)をなくしたくない、と思ってくださる方はこういうふうに、ふだんは見えなくとも実にたくさんいるのだ。そして時おり姿を見せてくれる。お店に来ることができなくても何かしらウィンクを送ってくれたりする。ありがとうございます。幸福なことです。

2020/07/13月

 来客3名で、一対一、一対一、一対一、みたいな三部構成。たまに「(感染症の影響で)お客さんは減っていますか?」と聞かれることがある。減ってるに決まってるじゃんか! そしてまだまだぜーんぜん減ったままですよ! と、お店をやっている人間としては思うんだけど、そうでなければそんなことは全然常識なんかじゃないんだろうな。飲食店がヤバイ、というふうにはいろんなところから聞こえていても、「夜学バーは例外」となぜかどっかで思っている人はけっこういるみたいなのだ。やってる側としては、例外があるなんてまーったく思えない。
 じっくり考えてみると、「夜学バーは例外」と思ってもらえているのは悪いことではない。「世間から外れた」お店として認知されているということで、それはある面での高評価とも取れる。ただ、「依然として元気いっぱいな騒がしい夜の店」というイメージを抱かれている可能性も少なからずはあって、やはり複雑な気持ちは拭えない。
 来客の減っていないお店なんて実際ないと思う。元気いっぱいな騒がしいお店はヤケクソになっているか、献身的な客たちが必死で通っているかではないかと。あるいはものすごい企業努力的なことをして、何かを犠牲にしたうえでお客を集めているとか。必ず何かしらの影響は強く受けているはず。みんなそんなにエキセントリックではないのだ。
 というわけで依然として静かな状況が続いております。これからもしばらくは続くでしょう。

2020/07/14火with f

 最初から最後までf氏がカウンター内におり、僕は出たり入ったり。ちょうどよいくらいの来客があって、良い練習になったはず。OJTにお付き合いいただいたみなさまありがとうございました。
 いわゆる「接客」という部分ではもう問題はないと思う。あとは商品(ドリンク)の作り方を覚えるだけ。ただ夜学バーがヨーキューするのは「接客」でも「接待」でもない独特の振る舞いで、それに名をつけるとしたら「接場」なのであるが、セツバとはなんとも語感が悪い。場って字もどうやら手垢にまみれてきたし。
 空間づくりとか空間デザインとかいうとまた、古くて胡散臭いイメージにもなってしまうけど、なんというかその人がカウンターに立っているときにお店全体が一つの「ゾーン」になるといいんですよね。何度も書いているけどそれは「一つの話題をみんなで共有する」ということではなくていい。この小さなお店のすみずみまでをみんなで共有することが大事で、そのためにはカウンターの中にいる人がお店全体を一つのゾーン、空間であるように立ち振る舞わねばならない、というわけ。
 学校の授業なんてのはまさしくそうだ。寝ている人とか、漫画を読んでいる人、友達とこっそりコミュニケーションをとっている人は、いてもいい(と僕は考えている)。ただし、先生というものはそういう人たちをごっそり含んだ「一つの空間」として、教室を運営し授業を天海していかなければならない。
 みんなが授業を聞いている必要はない。みんながノートを取っている必要などまったくない。しかし、それまでまったくこちらに注意を向けていなかった生徒でも、しようと思えばいつでも授業に戻れる(参入できる)ような環境を常に用意しておかねばならない。そのためには教室の隅々まで、そして授業の初めから終わりまで、ずっとそこが「一つの空間」であるように場を監督していなければならないわけである。「窓をあけておく」というのはそういうことでもある。(テキスト「子どもの匂い/窓をあけておく」参照。)
 そういうふうに隙(余地)を作っておくことは大事。しかし空っぽの空間は空っぽなので「余地」はない。ある程度なにかがそこにあるからこそ、そこに隙間(余地)は生まれるわけだ。場に種をまくといいますか、ある程度は先生(夜学バーであれば従業員)が何かを用意して、その余地を生徒(お客さん)に委ねる、というようなイメージでもいいかもしれない。もちろん、先生はともすれば授業の大部分を埋める場合が多いけれども、お店の人はそうでもない。たったひと粒の種がいつのまにか店中を埋め尽くし、余地を作るために幹や枝葉を切り落とさねばならない、という事態にまでなる。
 そんなふうな面倒なことを僕は言っていますが、こういった小さなお店は楽しもうと思えば無限に楽しめると思うので、ぜひ楽しんでほしいと思っています。(因数分解したくなる。)

2020/07/15水 k→石川

2020/07/16木 ※庚申

 2ヶ月に一度の庚申の日なので朝まで営業。まず女子校で働いていた頃の教え子がふたり来店。もう二十歳。それからぽつぽつと一人ずつお客が来ては帰り、一晩で計8名。と言うとそこそこ人が来ていたような感じがあるけど、0時を過ぎてから朝4時までは1〜2名。これだけ静かな庚申の日は本当に久しぶりだ。1年目、まだこの行事が周知されていなかった頃はこんな感じだった。2年目以降はだいたい毎回5人前後くらいはいた気がする。
 流行病の感染者数は都内だけで286名と過去最多、天気もよくなかった。そんな日にだらだら朝まで遊ぼうという人は、あまりいないということなんだな。おそらく。

2020/07/17金

 二日連続で教え子(別の人)が来店。とてもうれしい。それからぽつぽつとお客があったが、金曜としては実に静かなものだった。KKKS(感染者数)も昨日に引き続きとても多く、その影響だろうと思う。用心するのは良いことです。皮肉でなく。「縁起が悪い」という発想が身を守ってくれることも多々あるはず。
 不幸は突然にやってくるが幸福は逆で目に見えて少しずつ成長する、と村上龍が『69-sixty nine-』に(たしか)書いておりましたが、ゆっくりと仲良くなっていくことは実感ができる。

2020/07/18土

 静土(しずど:静かな土曜日の意)。お客は3人。のっとりと過ごす。
 東京を離れていく人がちらほらあるけど、東京には放っといてもどんどん人が集まってくる。むしろ地方に友達が増えていくことを喜びと思おう。再会という言葉は本当に希望。

2020/07/19日

 ふらっと見習い人がやってきたのでカウンターの中で練習してもらう。「筋がいい」という言葉は、「血筋(ちすじ)」の「筋」がもとという説があるらしい。血筋というと生まれつきのものでしかないが、たとえば「生筋(いきすじ)」みたいなものがあるとしたら、その良し悪し(もちろんごく主観的な判断になる)や得手不得手、そして相性みたいなものはあるんだろう。その人がどうやって生きてきて、どうやって生きていて、どうやって生きていくつもりか、みたいなことの、筋。
 スジというのはたとえば血管や葉脈なんかをイメージするといいけど、一つの筋は一つしかなくて(当たり前)、たくさんの筋が存在していて、みんながそれぞれ活躍して、ひとつの生き物を動かす。だから「筋がいい」と言うとき、それは「自分と同じまたは似ている」という意味ではなくともいい。腕や葉をともに流れるイメージさえできればよい。矛盾しなければ良い。調和したら言うことはない。
 血筋は一脈が脈々と脈打つ脈だが、生筋なるもの(「スジを通す」という時のスジはこれに近いのかもしれない)は、それぞれが全体の一部でさえあればいい。出どころが同じである必要はない。葉の場合はわりと血筋に近いイメージで広がってゆくけど、血管とか神経みたいなものなら、人体というひとつの系(全体)のうちの一つで、その中を何か(エネルギー的な?)が循環していくような感じ。なんか、雰囲気でしかないけど。
 仲良しとか友達という言葉を僕が使うとき、わりとそういうようなことを考えているのかもしれない。

2020/07/20月 with 菫

 菫さんに開店から閉店までいてもらって、流れを一通り教える日。幸運にもちょうどよいくらいのお客に恵まれ、だいたいのことは身につけてもらえたと思う。あとは慣れと、細かいことども。とりあえず8月は月曜日を中心にお願いする予定。
 特殊といえば雑すぎるので工夫して言うと、彼女はオリジナルの人間である。なんとも当たり前なことに、彼女以外に彼女はいない。だから「他の人間(たとえば自分)との比較」という視点で見たところで、「違う」とか「違和感がある」という超当たり前の感想にしかならない。「他の人間(たとえば自分)との関係」という視点で見ると、まったく別の話になる。これは誰に対しても同じことで、特段この人に限らない。
 で、後者のような視点で見たときに、「興味深い」と思う人がもしいたら、僕は嬉しいのである。これは夜学バーで働いてくれる人たち全員に関して思うこと。

2020/07/21火

 久々にお客が少なく、静火(しずか:静かな火曜日の意)。
 最近本当に疲れているのだろうか、営業が終わってもすぐに帰れないことが多い。洗い物はできるだけ溜めないようにしていて、手があけば常に洗い物をしているくらいなので、延々とお片付けをしているということではない。長くともみんな帰ってから小一時間で終わる。新聞読んだり「この作業も今のうちにしておこう」といったことが積み重なったり、「くたびれたなー」とか思いながらぼんやりしていると、ついつい時間が経ってしまう。癖がついてしまったというよりは、体調の問題だと思おう。コンディションを整えるために来月はちょっと休養を増やします、という感じ。
 僕じゃない人がお店にいることがとても増えると思うのですが、するとやっぱり、お客さんはたぶん減ってしまうんですよね。なぜかというに、「初めて会う人しかいない場」に足を踏み入れるのは、けっこうしんどいので。すでに夜学バーに来たことがあって、僕しか知らないという人は、基本的には僕の日にしか行かない。僕の日に来ていて、たまたまスタッフの誰かと居合わせたら、「今度〇〇さんが立ってる日に行きますねー!」とか「やっと(ジャッキーさんの日以外で)行ける日ができたー」といった言葉が出る。けっこうよく聞く。そういう手続きを必要とする人はかなりいる。
 お気持ちはわかるのですが、ぜひですね、初めて夜学バーの重い(観念的な意味で)扉を開けた時のように、ドキドキしながら、知らない人しかいない世界へと冒険してみてください。その時、あなたはあれです、初めて夜学バーに来たお客を一旦演じることさえできます。それをもし刺激的だと思うなら、本当におすすめです。
 知っている人のいる慣れた場所に行く、という心地良さもすばらしいけれども、知らない人のいる慣れない場所に行く覚悟や刺激というものも、また大切だと思うのです。前者に浸かりすぎると、ふやけます。まったく知らない新しいお店に入るような気持ちで、よかったら。
 まだ夜学バーに行ったことがない、という人は、何も考えずに適当に来てみてください。「違ったな」と思ったら、その次は僕のいる日に来て文句でも、どうぞ。

2020/07/22水 k→i

2020/07/23木

 ずーっと一人で喋り続けてしまうお客がたまにいる。その場にいる人たちの様子を見ながら、何かを言おうか、言うまいかを僕は考える。「その話を聞きたい人は今いないので、とりあえずやめてください」という一言の亜種を脳内で無数に作り出し、タイミングをはかってそれを口に出したり、出さなかったりする。どうすべきなのか。その見極めは本当に難しい。直接的なことは言わずにうまくやることが一番いいにはいいんだけど、それがいつでもできるとは僕には言えない。そして、その人に話すことをやめさせたり、口数を減らしてもらったりすることだけが正解というわけではない、という場の状態、というのはきっと存在する。そのままそうしていただくことが、実は何よりもその場にいる人たちの「ため」になる、ということもあるかもしれないのだ。とりわけ、長い目で見たときには。わかりやすくいえば、「自分はどうしたらよかったのか?」ということを考えてもらえるから、とか。「自分はこうしないようにしよう」と思ってもらったり。「なぜそうなるんだろう?」と考えることができたり。いろいろけっこう大変なのですが、そういうことを飽きるほど考え続けることが、たぶんこういうお店を続けていくために最も重要なことなのだと信じて、がんばりまーす。

2020/07/24金

 初めていらっしゃった二人連れのお客さんたち。長い時間楽しんで居ていただき、「また来ます」的なことを口々にしてお帰りになった。記録しました。再会があるといいな。
「初めて来たバーが夜学バー」という人はかなり多い。そういう人が「ほかのお店にも行ってきます!」と言って、いろいろ巡ってみてくれるという流れも、けっこうよくある。そういうふうなことが僕には本当に嬉しい。街々のお店を巡り歩くこと、というのが僕の最大の趣味のようなもので、同好の士が増えてそのことについて話し合えるのは本当に幸い。
 ただ、夜学バーはあんまりバーらしくないバーで、かといってスナックでも喫茶店でもサロン(とはなんだ?)でもない。それらすべてのいいとこ取りを試みた結果、類似店のない鵺的(ぬえてき)なお店になってしまっている。だから、このお店を気に入った人が、じゃあどういうお店を気にいるのか、ということは、わからない。だからこそみんなはジャンルにかかわからず、いろんなところに行ってくれている、と思う。
「夜学バーは面白かったから次はほかのバーに行ってみよう」よりも、「夜学バーは面白かったから次はほかのお店に行ってみよう」という発想のほうが、たぶん良い出会いに恵まれる。「バー」というジャンルにこだわってしまうと見落としが増える。出会えたはずの素敵なものと、すれ違ってしまう。「バー」という単語を名につけてしまっている人が言うのもなんだけど。
 感じた素敵さ、素晴らしさを極限に最小まで分解し、並べて眺めると、街のいたるところにその欠片と同じものがキラキラ光っていることに気づく。というようなイメージを持って僕はいつも散歩しております。

2020/07/25土

 僕の古い友達がやってきた。また、ある人とその古い友達もやってきた。いずれも10年をこえる付き合い。そういう関係が空間の中にポーンってあると、ともすればそこが浮きがちになる。そうなりすぎないように心を配るのも仕事の一つ。
 居合わせる人がみなそれぞれにコミュニケーションを持ちうるような小さなお店で、「内輪話」というものはまず避けたい。しかし全くないのも不自然。誰かにとってのあらゆる未知に対して「あ、ケンジって子がいてね」「ユミっていうのはその彼女で」と解説を加えるのは逆に野暮だし言われるほうとて気を遣う。知らない話をされたら即不快だというわけでもないんだから、「知らない話は知らない話としてそこに存在していてもべつに構わない」という気楽な状態を作り出すことがより大切であろう。
 今日はそのへんのバランスけっこうよかったと思う。知らない話はたまに浮遊する。それが特段いやでもない。そのうえで共有されるものは、足並みの偶然そろった瞬間のようにただ嬉しい。

2020/07/26日

 やや静日(しずにち:静かな日曜日の意)だけど、日曜としては特に少ないほうではない。前半は一人ずつ計3名の女の人がきていた。帰り際「一人で夜学にきたの初めて」と言ってくれた人があった。ちょっと嬉しそうに見えた。
 初めては一度しかないが、ほかの初めては探せば無数にある。何度も来ているお店であっても新しい初めてはいくらでも見つかるはずで、そこを嬉しがってくれる人はありがたい。
 初めては二度めに繋がり、二度めは、ずっと。点が二つで線が引ける。どこまでも伸びていける。真っ直ぐである義務もない。
 いったんお客がなくなり、0時近くなって一人ずつ計2名の来店。一人でくるお客が、やはり圧倒的に多い。
 あるお客さんと一対一だった時間がけっこう長かったが、前半彼は本を読み、僕はPCで作業をしていた。後半は世間話になった。二度おいしいというか、喫茶店でありつつスナックでもあるようなところ。本を読む間はお酒を飲んでいて、お話をする間はコーヒーを飲んでいた。逆転という感じで面白い。

2020/07/27月

 静月(しずげつ:略)、一対一で終わるかなと思ったら22時ごろに一人、23時くらいにもう一人増えた。連休中はそれなりにお客があったが、終わってみれば静化(しずか:静かになること)し、翌火曜のお客も3名であった。
「話し始めればどうしてもその人が場の中心になってしまう」ような話し方をする友達がいて、聞き手に回るときは気配が消えるほど徹底的に聞き手になる。一対一ならかなり上手に話せる人物だが、複数人になると「自分が中心」か「自分は消える」かのどちらかになりがちである。そうでない「いかた」の研究が、当座の僕の興味である。それに満足するまではたぶんこのようなお店をやり続けると思う。そのあとはわからない。ぜんぜん違うことをする可能性もあるけど、何にせよ「現場」からは退かないようにしておきたいな。

2020/07/28火

 静火だが充実していた。
 この人は何か話したいことがあるのではないか? と感じることがある。それをあえて確認しようと試みるや否や、というのは実に難しい。気配に気配を重ねて、そこにさらに気配が重ねられてまた重ねて……ということを繰り返して、ようやくそういう話は出てくるものであって、直観だけでは動けない。でもそれでいたずらに時が過ぎていつしか手遅れ、ということだってあるのだから冒険が必要なときだってある。その見極めを究めていきたい。

2020/07/29水 k→i

2020/07/30木

 KSSSが増えてきている。久々にコーヒーのテイクアウトのみというお客さんがあった。ゆっくりとコーヒーを入れながら四方山の話をする。これがウーロン茶だったら早ければ数十秒で会計まで終わってしまう。コーヒーという時間は実にありがたい。
「湯島 バー」で検索しようとして、まちがえて「湯島小学校 バー」と入力してしまった結果、夜学バーが(当然ながら)ヒットしたのでやってきました、というお客が。おそらく『小学校には、バーくらいある』という本を僕が作ったからそういう検索結果になったのだろうが、ひょっとしたら「夜学」の「学」だけでもけっこう上位に来ていたかもしれない。検索というのはあの手この手で似たようなものを引きつけあうのだなあ。

2020/07/31金

 お客はわりに多かった。いわゆる「給料日後初の金曜日」というものらしいが、このお店との関連は詳らかでない。8月3日(週明け月曜)からふたたび飲食店などへの「休業要請」が始まり、世に自粛感が増すのであろうから、そういう意味での「飲み納め」だったというのもありそうだ。雨も降っていなかった。
 18歳の大学1年生が「夏休みに何かやりたい」と言うので、みんなで考える。彼にとって良い意見が出たかはわからないが、「みんながいろいろ考えて何かを言った」ということは良かったのではないかと勝手に思う。
 あるお客さんが、僕が数年前に女子高の生徒たちに向けて書いた文章を見つけて(そういうのはお店のどこかに隠してある)、まじまじと読んだあとに「これを読んでみて」と、その18歳に渡した。彼もじっくりと読んでくれて、けっこう心に響いたようで嬉しかった。ただ「ジャッキーさんが自分の先生じゃなくてよかった」とも。今このシチュエーションだからまじめに読めたけど、もし高校生で担任とかに配られたら「流してた」だろう、という意味らしい。なるほど。それは「女子高の生徒たち」に向けて書いたので、男子生徒が読むことをまったく想定していない書き方をしている。男子も対象に含むなら、同じような内容でもたぶんもっと違った文章を書いていただろうから、それも読んでみてほしいなあ。(存在しないけど。)
 何度か来てくださっているお客さんがバッチリとかわいくカッコよくしてやってきた。「自分の中での解禁日」とのことで、その詳細や内実はよくわからないけど、「うむ!」と思った。


 8月は僕(j)の日すくないので、しばらく更新おっそりします。
 ※追記 10月25日現在、ジャーナルの更新止まっています。書けるだけこれから書きます(第四期)が、8月をはじめ穴のあく日もあるかと思います。その代わりと言ってはなんですが、緊急事態宣言前後から秋ごろにかけてTOPページ「最新情報」に置いていた文章をここに転載しておきます。

 以下は、緊急事態宣言発令直前から、現時点(10月25日)での最後の時短営業要請(〜9月15日)が発表される頃までの事情をリアルタイムに綴った文章群です。歴史的価値あり、御刮目を。

 2020年4月6日
 2020年4月10日
 2020年4月11日
 2020年4月23日
 2020年5月5日
 2020年5月16日
 2020年6月11日
 2020年6月20日
 2020年8月28日

【2020/04/06月】
 都知事により「週末の外出自粛」が要請された3/27(金)から 4/5(日)の十日間で、17時以降の来客数は《4、2、4、4、5、3、2、3、2、2》、のべ31人の平均3.1人。重複を除くと20名。
 Twitterでの広報を制限(開店ツイートを停止)して目立たないようにしているのもあってか、静かな日が続きます。売上は今のところ3分の1くらいだと思いますが、この調子だと5分の1か6分の1くらいにはなるでしょう。となると家賃は払えません。マイナスが続く見込みです。
 お店を開け続ける理由は主に二つ。経済的な理由がまず一つですが、「開いている」ということを確保しておきたい気持ちも強くあります。
 人一倍(「誰よりも」と言いたいほど)恐れ、慄いていると自覚しています。調べ、考え続けています。そのうえで可能な手を尽くし、同じく可能な手を尽くした人たちが、静かに対面できる場を用意しておきたいのです。
 そのために17時から25時前後くらいまで毎日お店に立ち続けてきたのですが、体力の保持と、他の活動に注ぐ時間と元気をつくるべく、営業時間は少し短縮します。
 今後、国や自治体から「休めば休むほど補償します」等の通達があった場合、このバランスは変動し、お店をピッシャリ閉める可能性もあります。場の持続と、世の健康のバランス。
 日報だけでなく、この文章もたびたび更新すると思います。思い出したらまた見においでください。


【2020/04/10金】
 4月11日から5月6日まで東京都の要請に全面的に協力します。夜学バーは「飲食店営業」として届け出ており、「基本的に休止を要請」されている業態としての「バー」に該当するのかどうか現時点では確実な判断ができません。ここでいわれる「バー」は風俗営業、すなわち接待や遊興を伴うかまたは低照度の店舗をさすと解釈できるからです。
 実際、東京都の出している資料で「バー」の文言は「遊興施設等」というカテゴリに入っています。「遊興施設等のうち、バーとして営業しているもの」という読み方をして差し支えないでしょう。
「遊興施設等」にはおそらく、「カフェバー」や「ダイニングバー」は含まれません。となると、コーヒーやフードを提供している「夜学バー」も同様の可能性があります。これらは「飲食店」として見なされるだろう、というのがいまの僕の見解です。

 同資料において「飲食店(居酒屋含む)」「料理店」「喫茶店」が並ぶのは、「食事提供施設」というカテゴリの中。カフェバーやダイニングバー、ワインバル、スナック、小料理屋、あるいは一般的なカフェ(「カフェー」なら「遊興施設等」かもしれませんが)などは、ここに含まれると考えるのが自然でしょう。おそらく、夜学バーも。あるいは「オーセンティックバー」と呼ばれるようなお店であっても。

「緊急事態措置相談センター」には何度も電話してみたのですがつながらず、この点を問い合わせることはできませんでした。確認が取れるまでひとまず夜の営業は20時まで(酒類の提供は19時まで)とし、ソフトドリンクのテイクアウトや新刊冊子の販売なども順次進めていく予定です。ディナータイムはスガキヤラーメンなどを一所懸命つくります。
(問答無用の休業要請対象であると確認できた場合はすみやかに営業を休止する可能性があります。)



【2020/04/11土】

●5月6日まで夜の営業は17〜20時
 (お酒のラストオーダー19時)

コーヒー(250cc)、ネーポン、クリームソーダなどソフトドリンクはすべてテイクアウトできます。同人誌や冊子などの販売(委託含む/新刊準備中)も続けています。テイクアウトや本の購入のみの場合は木戸銭いただきません。

●20時以降はテイクアウトと本の購入のみ可能です。片付けなどあるのでしばらくはお店にいると思いますが、ご一報(03-5826-4750/brat.yagakuのあとにアットマークつけてgmailドットcom)いただければ少し遅い時間でも対応できるかもしれません。遠方の方や、タイミングの限られる方などは、ぜひ。

●テイクアウトを始めるのには理由があります。いま外出にはリスクが伴いますが、さまざまな理由で外出せざるを得ないことはあると思います。湯島・上野エリアに御用のある方もいらっしゃるでしょう。
 そのとき、せっかくだから夜学バーに行きたい、行ってみたいと思ってくださるのならば、ぜひともおいでくださいともちろん僕は言いたいです。しかし、まとまった時間を小さな空間の中ですごし、その中で飲食をする(その際はマスクを外さざるを得ません)という行為にはもちろん相応のリスクが伴います。滞在が長ければ長いほど。また、人数が多ければ多いほど。
 テイクアウトであれば滞在時間は短くなり、マスクを外す必要もなく、外で待つことさえできます。滞在するのは不安だけど「あいさつ」くらいはしたい、夜学バーというお店の雰囲気を一瞬だけでも垣間見たい、という方はきっといらっしゃる(いてくださる)と想像します。500円(木戸銭なし)からのテイクアウトは、そのために「ちょうどいい」機能を果たすはず。
 また、「行ってみたいけどどのていどリスクがありそうな状態なのかわからない」という不安をお持ちの方が店内の様子を知るためにも、テイクアウトはちょうどいいと思います。
 もちろん、「大変だろうから応援したいが、座ってドリンクを飲む余裕はない」という方も大歓迎いたします。烏龍茶でもオレンジジュースでも(あれば)お持ち帰りできます。「釣りはいらねえ」もいくらでも。
 テイクアウトに限っては「20時まで」という要請にあてはまらないので、多少遅れて到着しても問題ありません。


 個人的には、外出は「しないほうがいい」と思っています。世の中全体のリスクを適切にコントロールすることには「全面的に協力」したいという強い気持ちもあります。
 ものすごく正直な話をしますと、お客がくればくるほど極地的にリスクが高まるわけですから、以前のようにまとまった人数の人たちが入れ替わり立ち替わり、流動的に「場」を結んでいく、というような営業のあり方は望んでいません。ただせめて「あいさつ」くらいはできる場を確保しておきたいのです。これまでに来てくださった方とも、初めてお目にかかる方とも。そういった人たち同士でも。とりわけ、このような状況にあってこのお店のことをちらりとでも意識してくださっている方々とあらば。

 おそらく、ある程度の割合の人たちに「息が詰まる」という気分があるでしょう。すでに、あるいはやがて。そういう人たちが、リスクとも経済とも離れて、「人と会う」ことで息抜きできるような場が、少しくらいはあったほうがいいと僕はいま信じています。病は気からとも言いますし。そのためにこのお店は(状況を見つつ)営業を続けていく予定です。



【2020/04/16木】
 東京都の「緊急事態措置相談センター」に電話で確認しました。やはり4月10日に書いたように休業要請対象の「バー」とは風俗営業の(またはそれに準じるような)お店とのこと。夜学バーのような場合は「飲食店」とみなされ、「5時から20時までの営業(酒類提供は19時まで)」を求められるようです。

 ここまでの告知通り5月6日(水)?まで夜の営業は17〜20時、昼は水曜のみ13〜17時です。20時以降はテイクアウトのみ。尾崎(j)担当の日は21時くらいまでテイクアウト待ちしています。お近くにお寄りの方はごあいさつくらいできれば。

 詳しくは4月11日の文章(下記)をご覧ください。
 具体的な予定、担当などはこちら
 日報引き続き更新していきます。



【2020/04/23木】

●5月6日まで夜営業は17〜20時→詳細
●17時〜ソフトドリンクのテイクアウト可。日によって20時以降も。

●「日報」をまとめた冊子を販売
・600円
・縦書、B6サイズ
・22字×22行×2段組×52ページ(5万字弱)
・書籍用紙(淡クリームキンマリ)90kg、青インク

 2020年1月19日〜4月8日までの81日間の日報を読みやすく改訂、大幅に補筆しました。オマケとして「最新情報」や4月9日以降の日報からも抜粋して収録。巻末に書き下ろし名文あり。
 国内初の感染者が確認された三日後から緊急事態宣言発令日まで、毎日の営業の様子がどのように変化していったか、その中で僕(尾崎)が何を考えていたかを、まとめて読むことができます。
 また、お店をやっていくうえで重要としていること、とくに小さなお店に特有の「考えるべきこと」についてもたくさん書いています。ちょっとした「お店論」「場所論」「空間論」「関係論」のようなものにもなっていると思いますので、「お店」というもの(とりわけバーやスナック、喫茶店のように、複数の人が一つの空間を共有する種類の)に興味ある方は、ぜひ。

【購入方法】
・4月24日(金)以降、営業時間内にお店で販売します。購入のみの場合はもちろん木戸銭いただきません。j(尾崎)担当の日は20時以降もテイクアウトと物販のみ対応している場合があります。ご連絡(03-5826-4750/brat.yagakuのあとにアットをマークつけてgmailドットcom)いただけると確実です。とくに予定がなければ夜中までお待ちすることもできます。

・通販をご希望の方はこちらのページに記載のゆうちょ口座に800円(送料込み)ていど振り込んでいただき、送付先住所とともに「振り込みました」とご一報ください。送金の際、「ご依頼人名」や「メッセージ」などに「ヨシダ」とか「ニッポウ サッシ」などと書いていただけると非常にわかりやすいです。
 まなび文庫『小学校には、バーくらいある』とまとめて通販でご購入の場合は、600円+1200円+送料300円→2100円を直接ご送金ください。

(2021/09/10更新 PDF版はこちら



【2020/05/05火】

 5月31日まで、4月11日4月23日に書いた方針を続けます。改めてご確認くださいませ。

 夜の営業は無休、17時から20時まで(+ロスタイムでテイクアウト営業)。引き続き尾崎とi氏が中心に担当します。水曜昼は特に変わらない予定です。
 5月はそれに加え、べつの時間帯にもお店を動かすかもしれません。ためしに6日(水)は午前8〜11時も開けてみます。よろしければ。

 17日(日)は庚申の日なので本来は朝までなのですが、店内営業は20時で終了。21時まではテイクアウト営業し、その後はお店にはいません。
 あとは、17時より前の時間、日中もお店を開けるということも考えはしましたが、さしたる意義が思い当たりませんでした。精神的インフラとして存在を続ける、ということが大切だと思っているので、「来店しやすくする」ということは、いまは脇に置いておくこととします。それにしても誰かに会いたい、という方は、なんとか営業時間内に。あるいはご相談を。



【2020/05/16土】

 あす17日(日曜日)は庚申の日。通常であれば朝までお店を開けている日なのですが、夜学バーは31日まで20時以降の営業をしませんので、守庚申も今回はできません。こちらをご案内いたします。



【2020/06/11木】

 ここ「最新情報」は5月16日でいったん新しい文章を載せることを止め、スケジュールの更新のみにしておりました。今までの流れをざっとおさらいします。

 5月26日午前0時に「緊急事態宣言」が解除され、夜学バーは22時まで営業時間を延ばしました。夜の部は17時から22時までの5時間営業となり、まる1週間は5〜9名ていど来客のある日が続きました。緊急事態宣言中は0〜3名の日がほとんどだったので、急増といえます。そこへ6月2日「東京アラート」が発動し、以降またお客は0〜5名ほどに減ります。夜の来客が0ということがそのうち3度ありました。
 6月12日0時より東京アラートが解除され、都の基準は「ステップ3」すなわち飲食店の営業時間は24時までが目安ということに。それを参考にして夜学バーも24時までの営業といたします。
 6月12日〜14日までの金土日は17時から24時といたしますが、15日(月)以降はしばらく「19時から24時まで」にします。わけはいくつか。
 4、5月に夜の営業を週2ペースで担当してくれた若きエースi氏(ここ数ヶ月、夜はほぼ僕とi氏のみで意地のように無休を実現させておりました)も本業が平常通りの出勤になるため17時開店は難しくなります。以前は17〜20時だけ僕が入って到着次第交代しておりましたが体力の限界! 無理すべき時期でもないのでそれに合わせて全体の営業時間も後ろ倒しにしてしまおうと思いつきました。
 また、4月11日から5月25日まで「17時から20時(酒類提供は19時まで)」にしていたので、その時間をあえて外そうという意図もあります。
 しばらく「17時から19時まで」の夜学バーをなくし、逆にその時間について想いを馳せたいな、という感じのこと。その時間にひっそり粛々とお店を開け続けていたということを際立たせたい、という格好つけです。というのは後付けで、「いきなり7時間営業は疲れちゃうな」というのが本音でもあります。

 というわけでスケジュールを組んでみました。ご確認のうえおいでいただけると嬉しいです。



【2020/06/20土】

 6月19日より夜の営業時間を一時的に「19時から終電(24時〜25時前後)くらいまで」にします。開店を遅らせる事情に関しては6月11日の文章をご参照ください。そのうち17時からに戻します。

 19時からにしたことで、僕(尾崎)は日中に時間がとりやすくなります。もし僕個人やこのお店について、もう少し詳しめに知りたい、理解したい、話を聞いてみたいなどのご希望がありましたら、brat.yagaku@gmail.comもしくはTwitterアカウント@brat_yagakuまたは@tkom_Jackyまでご連絡ください。喫茶店にでも参りましょう。すでに面識のある方も、まったくない方も。ただのお約束ですのでご負担はご自身の喫茶代のみです。当たり前ですが僕のぶんは僕が支払います。場所はご相談の上。
 夜学バーについてよく寄せられる言葉の中に、「バーは行ったことがないので足が向かない」「夜のお店はなんだかこわい」「実際どういう雰囲気なのか、どういう人がやっているのかわからなくて二の足を踏む」といったものがあります。ではまず店主と会ってみてはというわけです。日中の衆人環視の喫茶店で、400円だか500円だかの珈琲紅茶ジュース代のみで。湯島近辺には喫茶店がたくさんありますしほかの街でも一向構いません。あまり聞いたことのないやり口と思いますが面白そうと思った方はご遠慮なく。どのみち一人でもそのあたりによくいますので。

 こういうお店をやっていると、「待つ」ということに慣れすぎて、「約束する」ということが少なくなります。うまくバランスをとれたらと。



【2020/08/28金】

 前回のこちらの更新が6月20日。以降の流れを整理しておきます。(歴史資料として。)
 19時〜終電という「およそ週6で出勤する店主の体力保全のための省エネ営業」は、8月2日まで続きました。8月3日からは都から時短要請があり、「省エネしつつ20万円をもらえる」ということだったので17or18時〜22時に変更。昨日の発表で、その要請が9月15日まで延長し、追加で15万円いただけるということが報されたので省エネをしばらく続けます。体力と心身の余力を確保しつつ、灯火は絶やさないでいたいのでそのようにバランスをとっております。

 7月から新人ふたり(f氏と菫氏)の見習いが始まり、8月から週1〜2日で担当してもらっています。また休まず手伝ってくれているi氏に加えk氏、あすか氏、かりん氏が適宜お店に入ってくれたので、僕(j)の出勤は週1〜2日になりました。久々にじっくり休めて有り難かったです。また、f氏が木、日と週に2日入ってくれて、そのおかげでなんと、8月も無休を達成しそうです。2020年は正月含めまだ1日も休んでいません。(とはいっても、水曜は昼営業のみにして夜を休んでしまっておりますが。ぎりぎりお許しいただきたい。)

 9月15日までは22時閉店の時短かつ水曜夜はお休みとし、16日の水曜日から24or25時閉店で水曜夜も再開する予定。国や都との取引、ないし僕や従業員の状況によっては変わる可能性もあります。
 ところで、8月とても活躍してくれたf氏は9月10日(木)の担当を区切りとして10月いっぱいまでのっぴきならない事情(極めて前向きな)により、このお店には数日入れるか否か。11月からはたぶんまたしばらくやってくれると思います。ゆえ、その間レギュラーは僕、i氏とk氏(セットで担当)、菫氏ということになります。僕はだいたい週5でお店に出ることになりますが、理想は週4なので、人手としてはぎりぎりのところ。引き続きこちらに書いた件を強調しておきます。

●2020年8月

 2020年8月は、「4月から7月までお店に立ちすぎて疲れた!」と限界を訴える店主Jに対し「ジャッキーさんを休ませよう」「しかし夜学の灯火は絶やさぬよう」と従業員のみんながいろいろ都合をつけてくださり、なんと31日のうち尾崎の担当日はたったの6日。(普段はだいたい20日くらいは立っています。)新人のf氏、菫氏のOJTをしたり、時おり様子を見に行ったりと実際はけっこうお店にいたのですが、心身ともにかなり休まったので大感謝です。
 4月からほとんど時短営業だったので労働時間としては長くなかったものの、特殊な環境下で、いろいろと気を遣い、膨大に考えながら営業するのは、心身ともにものすごく消耗しました。1日も休まずに毎日、暖簾だけは守っていたので。詳しくは第三期の下のほうを参照のこと。

 とにかく「休む」ということを最優先した結果、ジャーナルも止まってしまいましたし、メモもほとんどとっていませんでした。8月にお店で僕と会った方は、ぜひとも「どの日、どんな感じだったか」を教えていただけたら嬉しいです。とりあえず8月は担当者だけを列記し、9月から思い出せる限り書いて行きたいと思います。


8月
 1土 あすか
 2日 f
 3月 菫
 4火 k→i
 5水 (昼のみ)
 6木 f
 7金 尾崎
 8土 あすか
 9日 f
 10月 尾崎
 11火 i
 12水 (昼のみ)
 13木 f
 14金 尾崎
 15土 尾崎
 16日 f
 17月 菫
 18火 k
 19水 昼のみ
 20木 f
 21金 尾崎
 22土 かりん
 23日 f
 24月 菫
 25火 k
 26水 (昼のみ)
 27木 f
 28金 尾崎
 29土 かりん
 30日 f
 31月 菫

2020/09/01火 k→i

2020/09/02水 (昼のみ)

2020/09/04金 
 ここからしばらくは、10月25日ごろから思い出して書いていくので、かなり簡素になるか、その日の出来事とは直接関係のうすいエッセイが続くと思います。

 8月3日から9月15日までは「22時まで」の時短営業。8月中のことは出勤少なかったのでいまいちわからないけど、お客はずいぶん少なかったはず。9月からはGoToキャンペーンも始まって、やや客足は増えてきた印象がある。この日もそれなりにはお客があった。とはいっても数人。22時というのは夜のお店にとって(しかも金曜ともなれば!)「これから」というところなのだ。
 予告しておくと、16日から24〜25時までの営業に戻り、19日に東京都発着のGoToが解禁されたのをもって、格段にお客が増えた。明確に。やはりどこか集団意識というものはあって、「みなさん」というのは実在するのだなと思った。

2020/09/05土 
「タメ口(タメ語)」について。
 敬語というのは、「人との距離や関係を規定するもの」で、だから人との距離や関係によってどんな言葉を使うかは決まる。
 たとえば若い女の人に「ちゃん」をつけて呼ぶとき、その言葉が規定する距離はかなり「近い」。呼ぶ側は「近い」と規定するが、もし呼ばれた側が「近くない」と思っていたら、どうだろうか。違和感、ギャップが生まれる。「急に距離を詰めてきたな」と感じる。よくある話。
 人と人との間には距離がある。その距離感を共有して、お互いに少しずつそれを近づけていく、というのが、「仲良くなる」という現象。そこには暗黙の合意というものが必須で、どちらかが勝手に近づけたり、遠ざけたりしてしまうと、その二人が仲良くなる、ということはほとんどなくなる。あえてわかりやすい言葉で説明すれば、「心の距離」と「言葉の距離」とが一致しているときにのみ、その二つを同時に近づけていくことができるのだと思う。

 僕は、たとえばお店に入ってきた瞬間に、「おー! 兄ちゃんとりあえずビールな! ここ何年くらいやってんの? まあ頑張ってくれよな! ガハハ!」みたいなノリで来られるのを、べつに嫌だとは思わない。「ちょっとまって」とは思うけど、それがその人のやり方なのだから、文句を言う筋合いはない。そういう人に対しては僕は、たぶん軽い感じで「アリッザス! そっすね、4年くらいっすかね。シブいっすけど、なんだかなんだ楽しいっすわ。ういっすカンパイ、キャハハ!」みたいな感じに応える、かもしれない。その人に「敬語を使ってください!」と強要なんてしない。ほかのお客に負担や迷惑がかかりそうなら、その点は注意する。そういう人は、ほかのお客さんに対しても「いきなり距離が近い」ということがほとんどだから、僕が不快でなくたって、基本的にはちょっと困る展開になることが多い。ともかく、その人の存在を前提として、いかに身を振れば場が幸福かを考えて動く。普段とまったく同じように。
 ただ、こういうケースについてはちょっとは嫌だ。最初は敬語なのに、途中から急にタメ口になるような場合。「急に」が重要で、「ん? なぜ?」と感じるような時。(こんなことを書くとまた偏屈だとか、頑固っぽい感じに思われるかもしれないけど、僕はとても弱そうなので、ある種の人々から「急に」タメ口になられがちなのだ。)
 その人は、僕が弱そうだとか、年下っぽいから、そしてまた、ちょっと話してみたところ、あんまり厳しそうでもないから、気を抜いて、「若いやつ」というカテゴリの中に「勝手に」分類して、「あー、そうなんだ。なるほどね。それで、〇〇はどうなの?」みたいにくる。初対面の、5分後くらいに。もうちょっと仲良くなってから、あるいは、「なりながら」じゃないですか、それは。とこっちは思う。もう、向こうにとっては僕は「若いやつ」でしかない。そういうふうに「ポジション」を固定させたほうが楽だ、という人は本当に多い。
 一応、探りを入れているところが姑息なのである。怒られそうならしないし、怒られないならする。おとなしそうな子だけを選んで痴漢する、セクハラする、みたいなもの。
 しかし僕は弱いので、世の中の女の人たちがおそらくみんなそうせざるを得ないでいるように、特に文句も言わず、「そっすねー」と、絶妙な準敬語でかわしていくのだ。そしてその人の存在を前提として、いかに身を振れば場が幸福かを考えて動く。普段とまったく同じように。
 それは「諦める」とか「野放しにする」ということでは、もちろんない。どうすれば「僕の気持ちも含めたこの場」が、清浄な幸に満たされるのであろうか、と、僕は本気で、全精力を尽くして考えるのだから。

 ところで、僕は基本的に、子供に対しても最初は敬語で話すことが多い。しかし相手が敬語を使って来ないなら、使う義理も理由もあんまりないから、ほろほろっとタメ口になる。これも「途中からタメ口になる」の一種だが、上の例とは全然違いますよね。お互いがより自然と思えるようなほうに、言語を傾けていく、ということを大切に。
 最初に挙げた「とりあえずビールな!」の場合は、その人にとってはそれが自然なわけだから、なれなれしい子供に対して「敬語を使いなさい!」と叱責はしないような感じで、とりあえずは受け入れる。そこからどんな関係が立ち上がっていくのか、というのも、興味深い。恐る恐る、「こいつは自分より上か、下か?」なんて探り方をするよりは、断然清々しい。
 子供でも、最初は丁寧語で、こちらが厳しくないと見るや、いきなりタメ口になって、なんか意地悪されるようなこともけっこうある。「なめくさって!」と思う。ただ、彼らは意外と段階を踏んだり、よく観察しているとちょっとずつ敬語を少なくしていったりする場合も多い。ちゃんと緊張もしているのだ。その緊張感が、肝心だと思う。

 このテーマについては橋本治さんの『ちゃんと話すための敬語の本』(ちくまプリマー新書)でも。

2020/09/06日 
 3月に小バー(拙著『小学校には、バーくらいある』)を買ってくださった方が、お連れさまとともにご来店。良き本をつくると、いろいろな効果がある。経済効果とも言っていい。

2020/09/08火 k→i

2020/09/09水 (昼のみ)

2020/09/11金 
 金曜は混んでいる、というイメージは、夜学バーについては当てはまらない、ことが多い。たしかに月のうち一週くらいは混む金曜もあるが、この日なんか5名である。うち学生が2人、若いフリーター(求職者?)が1人。サラリーマンは2人。世情もあるが、そんなには曜日と関係がない。浮世離れしている感じで、少しは嬉しい。

2020/09/12土 
 土曜日、客は3人。うち1名は従業員。再び減ってきた印象だが、22時までだとそんなもんかなとも思う。
 少し遠い土地で、新卒で働いている女性が、おそらく半年ぶりくらいに来店。学生時代に時おり来てくださったいたのだ。環境が変わってもまた顔を出してくださるのがとても嬉しい。嬉しがってばかりである。そうでなくては。

2020/09/13日 
 と、思ったらこの日曜はそれなりにお客があった。読めないものである。そして読めないからこそ面白い。お客さまに置かれましては、馬券を買うような気分で、「今日はどのくらい人がいるかな? 〇〇だから混んでいるかな? でも〜〜だから空いているかも?」なんて予想しながらおいでいただけると、ちょっと楽しいかもしれません。(僕は毎日予想立ててますこっそり。)

2020/09/14月 菫
 途中から入店。お客は初めての青年、たびたびきてくれている若い社会人、僕の十数年来の友人、のみ。営業後、上野公園で守庚申。知らない人がたくさん。夜が明けて逃げるように帰宅。

2020/09/15火 k→i

2020/09/16水 
 遠くに住んでいて、たまに寄ってくださるお客が「夜行バス待ち」とのことで、かなり長い間ゆっくりと話した。後半はずっと2人きりだった。「では」と旅立ったはずのその人が、ちょっとして戻ってきた。バスを逃したらしい。笑ってしまって、確かビールを飲んだ。

2020/09/17木 
 記憶があやふやである。スガキヤラーメンを作ったらしい。

2020/09/18金 
 金曜日らしい金曜日、だったようだ。「夜中にたまにふらりと来る」みたいなお客にけっこう僕はグッと来るのですが、そういう方が何人もいらっしゃって、なんだか嬉しかった。ゴールデン街時代(10年以上前の雰囲気)を思い出すからだろうか。

2020/09/19土 
 すでに予告しておいたように、9月19日はGoToキャンペーン東京解禁の日であり、はっきりとこの日を境に人々の気分は一新された、と強く実感している。
 実際お客は多かった。初めてのお客も4名ほどあったし、久々の方、同業(バー経営)の方も複数名。嬉しい楽しい大好きと思う一方で、どうしても不安もつきまとう。これ書いてるのなんと翌年2月17日(9月ぶんだけだいぶ後回しになってしまっています)なのだが、その後やっぱり感染再拡大したので、さもありなん、というところ。
 歴史をひもとくと、4月11日から翌2月までで時短要請が解除されていた(夜学バーの場合、終電まで営業した)のは6月19日(金)〜8月2日(日)、9月16日(水)〜11月27日(金)の期間のみ。6月12日(金)〜18日(木)は24時までの時短で、あとは20時または22時まで。
 なんと、時短要請が出ていなかった期間は合わせて4ヶ月にも満たないのである。すごい話だ。
 みんな(誰?)が「よし! 解放された!」と思った[要出典]のもむりはないよな、と、あとから振り返ると思えます。

2020/09/20日 
 この日も初めてのお客が4名ほど。初回バブル。「ずっと気になってたんです需要」が、時短解除とGoTo解禁によって解き放たれたのでしょう。客数も二桁あったので、当店としては(しかも日曜としては)かなり多い。
 緊張と弛緩というか、抑圧と解放というか。人はもちろん個人単位でものを考えるんだけど、「世の中」というのはやっぱり存在するし、「集団の最大公約数的気持ち」というのも、あるんだろうなと、お店をやっていると折に触れて感じる。
 願うのはもちろん「みなさまご自身のペースで好きなときにお越しください」で、たぶん誰もが自然にそうしている。それがたまたま重なったり、重ならなかったりして、人の多い日と少ない日とが生まれる。本当に不思議で、面白い。

2020/09/21月 菫
 菫氏のOJT、やはり来客そこそこあり。21時から23時までは席を外して喫茶店に行った。不在力とか欠席力みたいな言葉をたまに僕は使うが、ここぞというときにいなくなる人でありたい。なぜそう思うかはよくわからない。自分がいる場合と、いない場合との両方を常に意識していたいのだと思う。どうしても「いる」ことを前提としてしまいがちだから。

2020/09/22火 k→i

2020/09/23水 
 笹野氏が見習いとしてやってきた。お客そこそこあり。あまり覚えていないが、笹野氏の存在は心強い。
 彼女曰く、「いろんなお店に行ってみたが夜学のような場所はない」とのことで、いやほんとにそれはそうですし僕が一番言ってもらいたいことかもしれない。(ここは「ぼくのかんがえたさいきょうのお店」だから、ザラにあってもらっては困る。どこかにあるなら教えてほしい、通います。)
 そう思ってくれるなら、そういう空間を彼女なりに作りだせるよう工夫してもらうだけだから、特に何も注文することはないはずなのだ。

2020/09/24木 
 このあたりから「バブル」が収束していくような気がする。「解放!」という気分が「解放」になってやがて「平常」となる。夜学バーもだんだんと平常に近づいていく。
 さあ、本当に申し訳ないことですが、このお店では僕の目の黒い限り、「自分が出したい音を漫然と口から出して気持ちよくなる」ということは許しません。その際は、「すみません! どうしても! 口に出したい音があるんです! わずかの時間だけわたしにくださいませんか! くるしいのです!」みたいな断りが、たとえばあるべきなのだ。(あくまで、たとえば。ほかにもいろんな流れがあると思います。ともあれただ単純に出したい音を出されては僕は困っちゃう、という話です。)
「自分が出したい音を漫然と口から出して気持ちよくなる」の「漫然と」が肝だし、「気持ちよくなる」も大事。結果として気持ちよくなっていただくことはとても嬉しいのですが、「ようし! 今日も自分が出したい音を漫然と口から出して気持ちよくなるぞ!」という態度は、基本的に僕は嫌なのです。それが許されるお店はたくさんあるので、それらとの差別化として「それを許さない」というコンセプトを当店は掲げておるわけですので、それをやられるとはっきり「コンセプトの侵害」でございますから、「ちょっと! コンセプトの侵害ですよ!」とこちらは言うことができる。うん、これからはこのセンでいこう(自己完結)。

2020/09/25金 
 この日は、男性を自認していると僕が判断している人(以下男性)のみの来客。何度も何度も恐縮ですがそれこそコンセプトとブランドのために申し上げておきますがこのお店は老若男女、けっこう良きバランスで訪れてくださいます。しかし時に女性(略、以下女性)のみの日もあれば、その逆もあり、20代前後と僕が認識している人ばかりの日もあれば、40代(略)以上の人ばかりの日もある。その偏りはなぜ生まれるのか? なぜも風邪もなくたまたまそうなるのでしょう。そういう偶然性が支配しているのが「待つ」タイプのお店で、だからギャンブリィでやめられないのですね。

2020/09/26土 
 今週の金土日は前週と比べて来客が半分くらい。バブルは弾けました。早! でもそれは「平常に戻る速度がはやい」ということで、落ち着きのある良いお店たる証拠だと、思うことにいたします。

2020/09/27日 
 出会いということを考える日だった。人と人とが出会うとき、まず間違いなく「媒介」がある。何かを介して繋がるのだ。人だったり場所だったり、好きなものだったり。それを意識しすぎると「〇〇サン知ってます?」とか「どんな音楽聴くんスカ?」みたいな野暮ったいアプローチになってしまいかねないが、事実として重要なことだ。僕が常にお店のような場(お店じゃない時もあった)を運営し続ける大きなモチベーションの一つはここにあるが、「色のない媒介」であることは非常に難しい。
 ただ「媒介」であるだけならさほど難しくはない。「〇〇好きあつまれ!」と号令をかけたり、「出会いましょう! 楽しくしましょう! 気持ちよくなりましょう!」と煽ったりすればいい(実際やるとそう簡単でもないのでしょうが……)。しかし、そういうことには「色」がつく。「〇〇好きあつまれ!」とやると、「〇〇好きだと自認していて、〇〇好きと他認されても構わない」という人ばかりがやってくる。
 そうではない透明な媒介(媒体)でありたくて、できるだけ意味のわからない「夜学バー」などという名称にしてみたわけだが、もちろんこれだって無色ではない。ただその色は比較的薄く、幅はけっこう広いと思う。この辺りが今の僕の限界なのだ。
 その薄く広い色味にある種の渋さを感じていただければ、そういう好みの人たちが交わっていくだろう、というような話です。
 経歴や好きなものや、あらゆることがほとんど違っても、なんとなくその淡い色の好みだけで友達になれる。「青が好き!」「私も!」ではなくて、「こういうような、なんかよくわかんないんだけど、なんかこういう淡さが好きで……」「ああ、わかります、なんかこう、渋いっていうか、ささやかっていうか、なんか幸福なかんじがありますよね」みたいな。そういうふうに繋がったらしい人たちがこの日いらっしゃった。

2020/09/28月 菫→j
 錦糸町でフィリピン料理食べてたら電話が鳴って「事情が!」と言うのでお店に走り、菫氏と途中交代。いやー、そういうことがスルっとできるのは、お互い、えらいね。

2020/09/29火 k→i

2020/09/30水 j+笹野
 笹野氏OJT。若者と女性が多く、やりやすかったと思う。(やりやすいと思ってもらいたい。)

2020/10/01木 あすか

2020/10/02金 
 金曜らしい日。お客の多い金曜は、わりと早い時間に初めての方が2人連れとかで来て、慣れた方が一人ずつぽつぽつ来て、日付が変わったころにまたお客が入る、みたいなパターンがわりとある。金曜の遅い時間にやってくる方々に、「ああ、人々は働いているのだなあ」と思ったりなんかする。僕は働いてないようなものなので、「すごいなあ」と素直に思います。がんばれ社会人!(?)

2020/10/03土 
 103の日。というのは、僕が高校1年生のときに103組(1年3組)だったことに由来しております。ということで高1の時の同級生がきました。うれしいですね。
 このお店の客層はごっちゃごちゃで、このように僕の地元の友達もたまにくるし、いろんなところで知り合った方々や、誰かから教えてもらったとかインターネットで知ってくださった方、看板見つけてフラリと入ってきた方などさまざま。そういう人たちがパッキリと分断されることなく一つの場にいて必然に偶然に混じり合う、というのが僕のやりたいことなのだと思います。めちゃくちゃ難しいことなのですが、世界平和(大きく出た)実現の一環としてがんばっていきます。

2020/10/04日 
 

2020/10/06火 k→i

2020/10/07水 笹野

2020/10/11日 かりん→j

2020/10/13火 k→i

2020/10/14水 笹野

2020/10/20火 k→i

2020/10/21水 笹野

2020/10/24土 
 久々にジャーナル(日報)を更新。これから遡って書いていくことにします。

 なぜ重い腰を上げる気になったかというと、たしか9月24日に、あるお客さんから「しばらく更新がないね」と指摘されたことが一つ。こういう「いいね」も何もないコンテンツは、何をどれだけ書いても暖簾に腕押し、本当に反応が全然ないのです。「しばらく書いてないね」とか「そろそろ読みたいな」といった、ほんの小さな一言が、爆発的にやる気を引き起こさせます。作家に送る一通の紙のファンレターが昨今、絶大なるインパクトを持つように。ご意見ご感想、やや気恥ずかしいですが、いつでもどこへでも、よろしくお願いいたします。

 もう一つの理由は、本日土曜日、とてもお客が少なかったから。具体的にいえば、座りのお客がお二人と、コーヒーのテイクアウトがお一人。後半は3〜4時間くらい「サシ飲み」状態でした。
 別にお客が少ないのはいいのです。これまでの日報をご覧いただければわかりますが、閑古鳥はざらにあります。しかし、僕は今日、ちょっとかわいい服を着ていたのです。
 いい歳の男性だし、かわいいと言ってもちょっとだけしゃれた、白黒のしましまの、めずらしい構造のぴらぴらした長袖と、最近気に入っている緑っぽい良い色のズボン。覗くシャツも好きな色。
 実はこのファッション、昨日とまったく同じもの。家に帰っていないとかではなくて、シャツと下着だけ替えて、わざわざ一緒にしてきたのです。
 なぜそうしたか、というのはやや説明がむずかしい。昨日もお客がそんなに多くありませんでした。そしてそのうち、その服装を「かわいい」と思ってくれるお客は、たぶんいなかったのです。変な服だな、とは思ったかもしれないし、心の中はわからないのですが。
 僕はなにも「この服を愛でてくれ!」と言いたいわけでは、そんなにありません。まあ愛でてくれればそれは非常に嬉しいわけですが、僕はそんなにファッションに明るくはないし、客観的にどうだかは実際どうでもいいのです。かわいいかかわいくないかは自分が考えればいい。ただ、昨日僕は思ったのです。「かわいい服なんか着てきたから、お客が多くないのでは?」と。かわいい服を着て、あわよくば褒めてもらおうなどという邪心を出したから、褒めてくれそうな人が誰も来なかったのでは? と。
 つまり、「かわいい服を着てくるとお客が少ない」というジンクスのようなものが、あるのではないか。そういうバチみたいなものが、あったりするのでは……。
 それを確かめるために、今日も同じ服を着て来て見た、ということなのです。そして蓋を開けてみれば、実質2名。土曜なのに。「ガイトウスタンド」という路上立ち飲みの催しもすぐ近くでやっているのに。

 もちろん、ただの偶然でしょう。しかし僕はこっそりと、開店ツイートの中で「かわいい服を着ている」ということをほのめかしました。それが客足に影響した可能性が、まったくないとは言えません。ああ、やはりそれは要らぬ色だったのかもしれない。「褒めてくれ」という邪心もそうだし、「特別である」というアピールもそうだし。やっぱり夜学バーというお店は、徹底的に「日常」的なものであるべきで、あまり特別さをアピールしないほうがいいのかもしれない。
 僕が勝手に唱えているジンクスとして、「僕がどこか遠くに旅行していて、帰ってきたその足でお店に立つ日は、お客が少ない」というのもあります。最近は破られがちですが、最初の2年くらいは「統計的に有意」と言えそうなほどでした。これももちろん偶然でしょうが、しかし「新潟帰りです」などとツイートした日に閑古鳥、というのは本当に何度もありました。めずらしく甲斐性出して、お土産なんか買ってきた日に限って。また、ある有名な死刑囚の刑が執行された日はお客がほぼなかったし、台風の予報が出るとお客が減ります。台風が直撃している日、ではなく、上陸が何日後であれ、台風の接近が話題になっている日です。
 それは、「イベントではなく日常」をテーマに掲げる夜学バーとしては、実は喜ばしいことなのかもしれません。特別っぽい感じは「夜学バーっぽくない」ので、バチが当たっているのです。

 第三の理由は、ここんとこ、僕の文章(このホームページなど)を読んで面白いと思ったから来ました、というお客がチラホラといらっしゃること。それでいい気になって、このような意味のありそうななさそうな長文をいきなり書いてしまいました。たまには面白いものもあると思います。気が向いたらいつでもどうぞ。

2020/10/25日 
3月にご相談した件について、報告に来ました!」と男子が来店。こういうのは素直に感動する。3月に2日続けてやってきたが、その前も後も、彼に会ったことは一切ない。7ヶ月経って、唐突に現れたのである。
 そこに偶然にも彼の知っている人間が複数人現れた。こういうシンクロニシティに僕は最近とても興味を持っている。ただの偶然なのだが、偶然というのにも実はある程度原因や理由があるんじゃないか、と。そんな話をあるお客さんにしたら、『ミクロ経済学の力』という本を紹介されて買った。何かとっかかりはあるものかしらん。

2020/10/27火 k→i

2020/10/28水 笹野

2020/10/29木 
 何人かで連れ立ってしか来たことがないお客が、「一人でも来てみたいんですけど、なかなか……」と仰ることがたまにある。「いやーぜひぜひおいでくださいよ」と僕はもちろん言う。バーというのは、一人で行くのが一番タノシイのだ(僕調べ)。しかし「なかなか……」というワンフレーズはかなり重たいもので、そういう方が実際に一人でいらっしゃるようになるまでのハードルはものすごく高い。さあ、こんな時お店の側は何をしたら良いのでしょうか。
 身も蓋もないことをいえば、「必要があるからそこに行くのであって、必要がなければ行かない」ので、「必要」という部分を解きほぐすしかないような気がするのですが、それこそ「なかなか……」難しいものなのであります。
「来てみたい」と仰るからには「必要」はどこかにあるとは思うのですが、具体的にどういう「必要」なのかはわかっていない場合が多くて、そうすると「なかなか……」になってしまう。本当は、その謎に満ちた「必要の予感」を解き明かすために、とにかくそこへ行ってみる、というのが正規ルートだと僕は思っているのですが、「なかなか……」の壁は、とても高い。

2020/10/30金 
 大きな話題を持って来たお客が、よし今だ、とそれを切り出してくる瞬間がけっこう好きです。

2020/10/31土 
 これを書いているのは実は11月29日の深夜で、まる一ヶ月後なのですが、今は準緊急事態宣言という感じで、都内の酒類を出す飲食店には22時までの時短営業が要請されております。というのも11月11日に都内のカンセンシャスーが300人を超え、18日には493人、19日には534人とどんどん増えていっているのです。
 そのことと関係のあるやなしや、この日はお客が多かった。同じお店でも、ある日は混んでいて、ある日は空いている、というのはとても不思議。「集団意識」みたいなものがあるのかな、とも思うけど、もっと単純に、「同じ条件を与えられて同じようなことを思うのは当たり前」というだけなんでしょう。ハロウィーンで、土曜日で、翌日が店主のお誕生日。そして「感染」まわりに関しても、みんなにほぼ同じ条件が与えられている。

 9歳の子供がいる、という方がMoo.念平先生の『山奥妖怪小学校』を買っていってくださった。この本は、夜学バーのお客さんが編集者(というか社長)となって出版したもので、僕も大尊敬している漫画家の作品。このお店でもありがたく委託販売させていただいております。特に10歳前後の方に強くおすすめいたします。
 また、その9歳の子供が、僕の敬愛してやまない岡田淳さんの本(児童書)を読んでいる、と聞いたのは本当に嬉しかった。僕がものすごく岡田淳さんを好きだというのを知って、子供にさりげなく読ませてみたところ、見事好きになったとのこと。ああ、僕はものすごく良いことをしたような気がする。宇宙の中で良いことを決意してよかった!

2020/11/01日 
 僕のお誕生日。開店してすぐ、浪人生がわざわざ果物を届けるためだけにやってきてくれた。バースデーだけど特に宣伝もしていないし、そういうノリのお店でもないのでいつもの日曜らしくお客はごく少なく、ゆったりと時は過ぎていった。僕一人だけの時間も長かった。ちょっぴり孤独だった。正直言ってもうちょっとくらい人がいてもよかったのよ! と思うので、来年のカレンダーにご記入お願いいたします。
 いやほんとに、果物の子が果物だけ置いて帰ったあと、お客が2名あったんだけど、お一人は割と早めにお帰りになって、そのあとはふたりきりで4時間くらい(!)過ごし、その人が帰ってからはひとりぼっちでぼんやりお店の壁を見つめておりました。しばらくしてお客が1名あって、チョコをいただいた。そして夜中にもう2名お客があった。今歳もタノシイお店にしたいです。

2020/11/03火 k→i

2020/11/04水 笹野

2020/11/06金 
 インターネット上で不思議な活動をしている方がおり、気になってフォローしていたら、なんとその方が唐突にご来店。お互いがマンガ・マニアだとわかり、ずいぶんと話がはずんだ。そこへまた別のマンガ・マニアの方が現れ、しばらくはそのような話題に。偶然が偶然を呼んだ感じ。
 この日は金曜日らしい金曜日で、その後もお客が途切れずやってきた。その度に話題や空気は入れ替わり、それを定点で見ている僕はとても楽しいのだが、いわゆる「舵取り」みたいなこともしなければならない(というか、したい)ので、なかなか大変だった。
 その中でいきなりお店の電話が鳴って、「今から行ってもいいですか? 浅草から歩いていきます」とのことで、その言葉の通り、一時間くらいして現れた。高1、高2と国語を教えていた現在二十歳の元生徒が友人を連れて。会うのは2年か3年ぶりくらい。その感動を噛み締める一方、数人の人たちが「おじさん的な態度をあえてとることについての是非」みたいな話題(論争に近い)を。
 本当に、近年は「おじさん的な態度や行動」についてよく語られる。この「おじさん」というのは、決して「特定の年齢層の男性」を指すのではなくて、「特定の年齢層の男性によく観察されるある種の思考・行動体系を持つ存在」というようなものである。そこがごっちゃになると、話が噛み合わなくなってくる。
 そこで僕は「おじさん的な思考・行動様式」のことを「距離感バグ」と最近は表現している。ほとんどの問題は「適切な距離感で接することができていない」というところに発している。距離というのは、遠近でもあるし、上下でもある。遠近と上下を適切に見定めることができていない、あるいは、「勝手に見定めてしまう」ということがこの問題の核心なのだと僕は思う。と、そんなことを書き始めたらいつまで経っても終わらないのでもし興味のある方がいらっしゃれば続きはお店で!
 人数が多くてやや混沌としたような時間もあったが、全体的には良きハーモニーだったと思う。もっと上手くできたかもしれない、とは思うのでさらに精進します。


 放っとくと自分のしたい話(しかもWikipediaに載っているような内容)だけを延々喋り続ける方がいて、すでに何度か通ってきている。毎回あれこれ注意していて、この日もがんばって制御(言い方は悪いけど、こういうことも時には必要なのです)していたので、あんまり気にならなかったのだが、僕がお手洗いに入った途端、いきなりその人の声がババババーっと聞こえてきて、ワチャーと思いながら戻ったら、お会計してすぐにお帰りになった。

2020/11/07土 
 阿佐ヶ谷の名店「カクテルバー メリデ」のマスターがご友人と連れ立っていらっしゃった。恐ろしく緊張。「ウィスキーのソーダ割」とのご注文を受け、震える手でジョニ黒のソーダ割を作った。メリデ風に。たぶん81歳、帽子とジャケットがよくお似合いでカッコ良かった。夜学バーにいらっしゃったお客の最高齢が更新されたかもしれない。
 彼からはお酒の作り方だけでなく様々なことを教わっている。いや、不遜を承知でより正確に言えば、「確認させていただいている」というほうが近い。「やっぱりそれで良かったんだ!」というふうに。60年前後(正しい年数は今わからない)も商売やってる人が絶え間なく考え続けて至ったものと、僕が考えていることとが、時おり奇妙なほどにマッチしてしまうのである。それはそんなに特別なことじゃなくてほんの些細な部分だったりもするのだが、僕にとっては重要なことだったりする。
 たとえばメリデというお店の看板にはでっかく「?」のマークがついている。お店の入り口に続く通路の壁にも「?」マークが貼ってある。「?」はメリデの象徴なのだ。「ミステリアスじゃなきゃダメなんだよ」とマスターは言う。これは本当にその通りで、「わからない」からこそワクワクする。だから僕もミステリアスな存在でいようと、実はこっそり努めているところがある。(ところで、僕の大好きなとあるマンガは、「ワカラナイカラ好キニナル」というのがキャッチフレーズ。)
 実際、このホームページを読んでから夜学に足を踏み入れたお客さんの八割くらいが、一様にこういうことを言う。「よくわからなかったけど、来てみました」と。

 そもそもなぜ、メリデのマスターが夜学にいらっしゃったのか。メリデには何年か前から何度もお邪魔しているのだが、「湯島でお店をやっている」なんてことは畏れ多くて一度も話したことがなかった。そんなに頻繁には行かないので、顔をようやく覚えていただけているか、というくらいだったと思う。しかし11月3日(4日前!)に友人と二人で訪れた際、思わず名刺を渡してしまった。それはマスターが、「これからの飲食店ってのは、単にものを出すってだけじゃなくって、何かそこに“学び“があるようなものじゃなきゃいけませんよ」というような意味のことを仰ったからである。マスターは渡された名刺(細かい字がびっしりと書いてある)を黙ってじっと読んでくださっていた。
 ジョニ黒のソーダ割を飲みながら、「なかなか考えのある若者だと思ったから来てみたんだよ」。ありがたいです、本当に。

 マスターの言葉で最も強く印象づけられたのは、たぶん2年くらい前のこと。「バーテンダーの役割ってのはね、自分を反射させて、お客さん同士を繋げることなんですよ」と、はっきり仰った。意外かもしれないが、このことを言語化して主張している人はたぶん、ほとんどいない。
 いわゆるオーセンティックなバーというのは、むしろお客同士を「繋げない」ことを是とするお店が多い。お客同士がみだりに交流するのはトラブルのもとだし、場がちゃんと分断されていた方が「管理」がしやすいというのもあろう。カジュアルなお店の場合は、「繋がる」ということはイコール「そのコミュニティに入る」ということである場合が多い。すなわち「常連」になるということだ。
 しかしメリデの場合は、「その場でだけ繋がる」ことを良しとし、「コミュニティ」のようなものはたぶん存在しない。いわゆる「常連同士の馴れ合い」みたいなものは見たことがなく、ただ自然にその場にいる人と会話をする感じ。そのために実はマスターはかなりいろんな工夫を凝らしている。たとえば手品とか。(行ってみればわかります。)
 夜学バーは、歴然とこの「反射」を意識しているし、これを基礎として、さまざまな応用によってその場を「よき場」たらしめる努力をし、かつ「コミュニティ」が形成されることを拒絶している。そういうお店は、実のところなかなかない。あったと思ったら、オントシ81歳(たぶん)である。リスペクトせずにはいられない。
 もちろん、あらゆる考え方が自分と合っているというわけではないし、やり方も違えば理想も異なる。しかし、僕は勝手に「師匠」であり「同志」のような存在に思っているのです。また学びに伺います!

 この話には続きがあって、マスターがお帰りになった数分後、なんと、4日前にメリデでたまたま同席したお姉さんが来てくださったのだ。この偶然も凄まじいが、何よりすごいのは、これもマスターの「反射」の成果だということである。マスターを反射して、僕とそのお姉さんが「繋がった」ことによって、今日この日の再会があった、ということなのだから。


 この日は長く、まだそれだけで終わらない。初めてお会いしたボーテンダー(某店のバーテンダー)の方と一対一で、けっこう実のあるお話ができた。その方は非常勤の国語の教員もしていて、僕も全く同じ職の経験があるのでずいぶん奥のほうまで掘り進めた気がする。
 ちなみに、一対一の場合でも「反射」という現象は起こるし、かなり有用。どんなものでも反射はするのだ。カウンターというものも、たぶん反射のためにあるのである。

2020/11/08日 
 日曜は周囲のお店が軒並みお休みなので通りすがりや「湯島 バー」などで検索してやってくる方がたまにいらっしゃる。今日は2名。意外といちばん何が起こるかわからないのが日曜。その代わり何も起きない(本当にお客が少ない)日も多い。よろしければ御神籤と思ってでもどうぞ。
 以前津田沼のとある学習塾で教育系(?)の会があった時にご一緒した方がご来店。「営業」の成果。興味を持った場所には顔を出してみるものです。

2020/11/10火 k→i

2020/11/11水 
 熱はどうしても散らばっていってしまう。その中で僕らはどうやって体温を保っていったらいいのか? というようなことを、高校生くらいの時から、いや実は小学3年生くらいの頃から、ずっと考えているような気がする。
 熱は上がっては下がる。お店で言えば、ある時期に通い詰めたお店に、急に行かなくなって、もう何年も足を踏み入れていない、というような経験はかなり多くの人にあるだろう。ものすごく好きになった人のことを、いつの間にかなんとも思わなくなって、「あれは一体なんだったんだろう?」と思うようなことも。
 その代わり、別のものに対して「熱を上げる」。

2020/11/13金 ※庚申
 10年くらいまえにとある中学校で教えていた生徒がふたり、別々にやってきた。最近なぜか教え子が来がちである。同じ先生に、たったひと教科、せいぜい1年か2年くらい教わっていただけで、似たような思考パターンになるとは到底思えない(そんなわけはない!)が、しかし確かに僕の実感としては「やたら教え子が来てくれるなあー」である。たまに誤解されるけど、そんなにいつも教え子ばかりがくるわけではないのです。通算5年度(正確には50ヶ月)しか教員はやっていないので、母数も多くはありません。
 1年ぶりくらいに会った教え子も、ちょうど「似たような思考パターン」の話をした。「最近、友達と同じ時に同じような行動を取ることが多い」と。この話、詳しいところは省略する(気になる方はオタズネを!)けど、そういうことってあるのかもしれないな、と思うくらいには僕の頭は神秘的である。
 庚申の日だったので朝まで営業したが、朝までいたのはその教え子の彼だけだった。積もる話をたらふくした。と言って、思い出話とか共通の友達の話をするというのではなくて、「最近考えていること」を共有しあった。や、もう、10年前と比べたら赤ん坊と兵隊。僕も、兵隊だったら戦車にならなきゃ。
 ところでこの彼はちょっとインパクトのある人間なので、この人を目の当たりにした人たちの反応を見るのは面白い。いきなり対等に向き合える人もいれば、圧倒されてホワーってなる人もいて、少しずつ慣れて行く人も(たぶん)いる。人は、「予想していなかったこと」や「初めてのこと」に接するとき、いわゆる「性格が出る」という状況になるのだと思う。彼は今のところ、そういう人間なのである。

2020/11/14土 
 女子校で働いていた頃の教え子がふたり、「二十歳になったよ!」と来店。開店まもなく顔を見せ、終電近くまでだらだらしていた。この時間感覚、すっごく学校みたいで懐かしかった。テスト前の放課後とか、夏休みに出校して何するでもなく(本当はやることもあるのだが)ぼんやり雑談してる時みたいな。
 その長い長いだらだらとした時間の中に、チラホラとお客がやってくる。はじめは若い女性がきて、なんとなくその「だらだら」に溶け込むような感じがあった。そのあとは、彼女たちとバランスを取るように40代から60代くらいのおじさんが何人か。そのあとさらにまた違う動きがあって、いつしかみんな帰っていった。
 何が起こるかわからない。誰がくるかわからない。誰がくるかによってその場の雰囲気、空気はまるで違う。最初の「だらだら」は持続しつつ、別の空気が醸成されて、ミルクを入れたコーヒーのように混ざり合う。それをスプーンでぐるぐるとすれば渾然一体となったカフェオレができあがるはずなのだが、うまく混ざらないまま分離し続けることもある。僕はいずれの状態も好きではあるが、もちろん「美味しい」時と「美味しくない」時はある。それはお客さんたちにとっても同じだろう。願わくは美味しい「時」だけを味わって帰ってってもらいたいんだけど、いつでもそれが提供できるわけではない。しかしできるだけその「率」を上げていくというのが、僕のこの仕事なのである。
 この日はお客が1人だけだった、というのは覚えているんだけど、どなただったか思い出せない。心当たりのある方は(すっごい気が向いたら)教えてくださいませ。

2020/11/18水 
 なんとなく、今年は水曜日の夜のお客が少ない気がする。今日については、前半は4人(うち1人は従業員)の来客があったのち、22時くらいからはお客なく、0時すぎて1人いらっしゃった。5人、というと数としては「まあそんなもんか」と思うけど、どなたも滞在時間はかなり短く、誰もいない時間や一対一の時間がほとんどだったので、印象としてはやはり心寂しい感じだった。
 東京都の新型コロナウィルス感染者数が過去最高の「493人」という報道があったから、だと思う。前日は298人だったし、400人を超えるのは8月以来。当たり前だけど、やっぱり連動している、というのがお店をやっている人間の実感。
 その「連動」をネガティブに捉えているわけではない。まあ、そりゃそうだよなと思うのみである。だけど僕やみんなは「集合体」ではなくて「ひとり」なわけで、それぞれがそれぞれのことを考えてそれぞれに行動する。ただそれだけのことだから、そのうえで誰がどのように行動するのだろう? 自分はどうしようか? ということをただひたすらに考えている。あるいは、観察している。

2020/11/20金 
 御せぬ事があって、ちょっとうまくできなかった。力不足を感じます。けっこう長いことこういうタイプの接客をやっておりますが、まだまだ全然上手になれない。『笑っていいとも!』をやっていた頃のタモリさんの感覚と、似ているところあるんじゃないかなあ。彼は「反省はしない」と言っていたそうだ。僕もあんまり深刻には考えないようにしているけど、やっぱり後学のために反省みたいなことはけっこうする。
 もしかしたらお客さんにとっては、「え? 何が問題だったの?」と思えるような些細なことかもしれない。あるいは、「や、別にそういうもんでしょ」というくらいのもんだったかもしれない。たぶんそっちのほうが客観的には妥当なのだが、僕は「ここをもうちょっとうまくやれれば、このお店はもっといいお店になるんだよなー」と思っている。精進いたします。

2020/11/21土 
「友達と会う」ついでに、「友達を連れて夜学バーに行ってみる」をしてくださるのは、とてもうれしい。一人でもやってくる方が、いろんな友達を連れてもやってきてくれる。そうやって輪が広がって行くこともある。
 こういう時、「連れられて初めてやってきた」人が、「楽しかったです! 一人でもまたきます!」といったことを仰ることはそれなりにあるが、実際においでになる方は少ない。(ぜひ有言実行していただきたい。)ただ実感として、「連れられてきた」人が「その後に一人でくる」ということがあると、その人にはかなりの確率で「通って」いただける。「連れられてきた」場合だけでなくて、「複数人できた」後に「一人でくる」があると、これもまたそのまま「通って」いただける場合が多い。やっぱりバーってのは、「一人でくる」ってのがミソなんだよなあー、と、深々想うものであります。
 僕もそういえば、初めて通ったバーには最初「連れられて」行って、二度目は一人だった。それからはずっと一人。うーむ。「二度めは、ずっと」。

 そういえば斉藤洋さんの『ひとりでいらっしゃい』というお話は、名作です。一人で行く勇気のない方は、ぜひどうぞ。怖いですよ〜。

2020/11/22日 
 お客は2名。やや神秘的な話に展開したりして楽しかった。
 男性ばかりがくる店だと思われるのも嫌だし女性ばかりがくると思われるのも嫌なのでできるだけ性別には言及しないでいますが、ある時は男性だけの空間になることもあるし、ある時は女性だけの空間になることもある。僕は学校の先生をやっていたのでついそういう喩え方をしてしまうのですが、男子校の時もあれば女子校の時もあって、共学の時もある。それが来店や退店によって切り替わったりもする。女子校が共学になったり、共学が男子校になったり。そのたびに雰囲気はもちろん多少変わって、ずっといる身としてはもうめっちゃ面白いんだけど、「異性の前では態度が変わる」みたいなことは僕は本当に心底心地悪いので、気をつけてよく観察して、耳を澄ませるように努めている。
 ある友達が、「自分以外の全員が男性の飲み会に行ったら、すごく下品な性的な話ばかりしていて気分が悪くなった」というようなこと(原文ママではない)を言っていた。これ、じゃあ「男性しかいない飲み会」だったらいいのかというと、まあ、もしかしたら「いい」のかもしれないけど、ではその時に女性が唐突に参加してきたら?(お店とはそういうものなのだ。)パッと切り替えて別の話にするのか? それって、けっこうな性別差別だなー。かといって下品な話を続けるのもな?? となると、やっぱ下品な話なんておんもでしないほうがいいってことなのだ。
 場にいる人のセーベツに関わらず、とにかくいつだってできるだけ上品にやって、その都度その都度、もし誰かが嫌なような雰囲気があったらちょっとそっちのほうにはあんまり行かないようにするとか、そういうことが大事なのだと僕は考えております。
 もちろん、それでも「今だ!」というタイミングで、あんまり品はないかもしれないけど秘密めいて特別な魅力のある話とかをこっそりしちゃうってのは、一方で、とても大切なことだとも思う。

「ある程度の緊張感」は必要でありつつ、「今だけの秘密のリラックス」も大事だという、これはちょっとした「ズル」みたいな話なのかもしれない。授業中に手紙を回すみたいなことと似て。

2020/11/24火 k→i

2020/11/25水 
 都から酒類を提供する飲食店へ、22時を閉店とする「時短要請」(11/28〜12/17)が発表された日。そのせいもあってか(僕はあると思う)、22時半までずーっとお客なし。たった一人おいでくださったお客と終電まで1時間半ほどゆったりと過ごす。実りのある時間だった。
「このお店を知ったのは、今日の日付が変わるくらいの頃です。ホームページを見て、(よくわからないけど)とにかく行ってみようと。しかも時短が発表されたから、今日行かないとしばらくこの時間に来られないと思ったので。」
 うれしいです。その行動力。直観力。勘のようなもの。こういう方と巡りあうためにこういう店名で、こういうホームページにしているのです。

「どれだけ分かったと感じても そこを 離れてはいけない」とGuniw Toolsというバンドの『真鍮卵』という曲のMVの字幕(歌詞ではない)にある。この警句の裏にあるのは、「分かったと感じたら、人は離れていってしまう」ということだろう。だからこのお店は「わかる」ということからだいぶ遠いところに作ったつもりです。いつまで経ってもできるだけわからないように、僕にもよくわからないようになっています。

2020/11/26木 f
 18時半くらいから20時くらいまでお客として来店。他に人はなく、ぽつりぽつりf氏と話す。大した話はしなかったが、こういうので大事なのは内容よりも「時間」だと思う。(もちろん、長さの話ではない。)

2020/11/27金 
 前半に4名(組はなく1名ずつ)の来客あり。21時半ごろ空っぽになって、以後お客なし。時短は明日からで、今日は24時まで営業だったのだが、世間(?)はもう「22時まで」の空気になっている? 給料日もあらかた過ぎたプレミアムフライデーだというのに、というか、だから、なのだろうか。「混みそうだからやめておこう」とみんなが思ったのかもしれない。

2020/11/28土 
 閑古鳥を覚悟していたが、1、3、1、1、1と来客あり、計7名。4時間営業の密度はそれなりに濃く、それなりに忙しかった。22時にお客がなくなったあと、洗い物がけっこうあって、ゆっくり色々やってたら23時半くらいになっていた。
 1、3、1、1、1とあるように、このお店は一人でいらっしゃる方が多い。2〜3名での来店もそこそこ。ここでなぜかバラしてしまうが、2名以上のお客はお店の端のほうに座っていただくことが多い。その理由はもったいつけます。待たない方はおたずねください。

2020/12/01火 k→i

2020/12/02水 昼営業のみ

2020/12/03木 
「このことを話したい」とあらかじめ考えてやってくるお客さんもいる。今日なら「開発した新製品について意見が聞きたい」という方がいて、実際それを見せてもらって、みんなあれこれ思うことを言い合った。ある面ではとても素敵なシーンで、夜学バーというお店をやっている身としては一種理想的だなとさえ思えた。
 一方で、もしかしたら、その場にいた他の人も何かを持ってきていたのかもしれない、と想像もする。話題はべつに「新製品の話」のみに終始していたわけではないし、もし誰かが何らかの話題を持ってきていたとしたらそれを切り出しうるタイミングはいくらでもあった。僕もいつも、そのような「空白」(みんなが一斉にお茶をすするような時間)を意識的に作り出すことに努めている。しかし、だからといってそこでその人がその「話題」を出したくなるとは限らない。
「このことを話したいな」と思っていたとしても、それを言うためには「条件」がある。たとえば、「他にお客さんが誰もいなかったら話そう」と明確に思っている場合もあるだろうし、なんとなく、ぼんやりと胸の中に「話題」があるだけはあって、それを出すか出さないかはその場の流れや気分でしか決まらない、というようなことだってきっとよくある。
 ぼんやりと、胸の中に「話題」はあって、それを燻らせたまま言わずにいて、やや消化不良な感覚を抱いて帰る。そういうことってある。別に「言おう」と思っていたわけじゃないし、「言いたかった」わけでもないけど、「言ったらどうなっていただろう」とはちょっと思う。上手に話せた自信はないけど、話たら話したですっきりはしただろうし、自分を傷つけないような言葉が返ってきたかもしれない。でもひょっとしたら、自分は傷ついていたかもしれない。そんなことをグルグルと考えて、やはり「消化不良」である。
 この消化不良がはっきりと「不快感」に結びついていた場合、その人はもうそのお店には行かないかもしれない。あるいは、数ヶ月ないし一年くらい置いてからまた訪れるのかもしれない。そうでなく「好奇心」や「後悔」「疑問」あるいは「想像力」などと結びついていた場合や、あるいは何とも結びついている実感がないという場合は、たぶんその人はそのお店を「面白い」と思った、のではないかと思う。半分くらいは「そうだったらいいな」という希望ではあるものの、僕自身の実感としても、ちょっとくらい消化不良だったほうが再び訪ねる動機になる気がする。お店をやっている側としても、そうなんだろうなと思うことがある。もちろんあまりにも「消化不良」ばかりが続くと、「不快感」に限りなく近い状態になると思うので、「今日は消化したなー」という日もあったりする。そういう名店を実は僕は目指しています。

「いやー! 楽しかったー! またきます!」と言って満面の笑みで帰るお客さんの、約七割くらいは二度とおいでくださらないのである。(2020/12/05現在。この先おいでくださるかもしれません!)
 それはすでに「過去の想い出」になってしまっているから、だと思う。「あの時たまたま入ったあのお店、もう一度行きたいなあ……!」と切望したまま何年でも過ぎているお店、僕にもたくさんあるのです。(できるだけ少なくしていきたいのですが。)

2020/12/04金 
 2度めのお客さんから「複数の人に同時に話しかける」という文章について嬉しい感想をいただいた。僕はあまり褒められない(と僕は思っています)ので、褒められると本当に喜びます。たぶん末っ子で、両親からも兄(3人おります)からもあまり褒められた覚えがないので、褒められに飢えているのでしょう。隙を見つけてお褒めくださると、六割くらいの率で両腕あげて「ヤッター!」って言います。
(覚えがないだけで、たぶん褒めてもらってはいます。幼い頃は褒めの吸収率が低かったのでしょう。)
 また別のお客さんからは、「恋愛などない」という、僕がたびたび書いてきていること(詳しくはお店で!)についてお褒め……というか強い同意をいただいた。僕は長い文章をこのようなhtmlのホームページにずっと書いていて、そこにはいいね!もリツイート的なものも、リプライも何にもないので、ほとんど反応がもらえません。だからちょっとでも何かポジティブなこと(重要!)を言っていただけると、本当に嬉しい。
 そういえば先日、久々にここ(ジャーナル)を更新した直後に、あるお客さんから「再開して嬉しいです!」と言われたのもとてもとてもとてもうれしくて、それだけで書く動機になります。最近は紙のファンレターを書く文化もずいぶん廃れて、一通一通の比重がだいぶ高まっているようですが、それに近いのです。せいぜい数十人しか読んでいない(と思う)中に、さらにほんのひと握りの方から反応をいただけるだけで、50000人から喝采を受けたのと同じくらいかそれ以上の心強さがあるのです。
 似たようなことをたぶんたびたび書いていますが、たびたび書くということはたびたび寂しくなるということです。(だから更新が止まってしまう、ということでもあります。)思い出したら何かお言葉をいただけますと励みになります。このジャーナルだけでなくて、個人で書いている日記に関しても。

 よくおいでくださっているお客さんが未来の世界へ、じゃなくて1000キロ離れたご実家へお戻りになるという。帰省ではなく無期限で。「よいお年を」と言い合った。生活とは、変わる時には変わってしまうもので、約束しなくてもどこかで会えていたような関係が、ふっと遠のいてしまうタイミングというのがある。心が離れたのではなくて、生活が離れてしまって。それはもちろんさみしいけれども、「心が離れた」ことに比べたらなんてことはない。
 僕は『ドラえもん』という作品が好きである。本当に何よりもと言っていいほど好き。ドラえもんとのび太は、いつか離れてしまうらしい。でもそれは生活が離れてしまうだけで、仲が悪くなったとか、お互いを好きでなくなったというわけではないだろう、と僕は勝手に確信している。
 おそらくドラえもんは、のび太の家からはいなくなるけれども、未来のセワシの家にいるだろう。だって考えてみれば、ドラえもんにとって「実家」はそっちなのだ。そのほうが自然なのである。そしてたぶん、たびたびドラえもんは未来からのび太に会いに来るだろう。のび太も時には、ドラえもんに会いに行くだろう。電話やメール(!?)もするかもしれない。それで当たり前なのだ。
 時間も空間も、彼らにとってはたぶん「距離」という意味で同じである。ドラえもんはのび太にとって、「引っ越していってしまったけど電車に乗れば会いに行ける距離にいる友達」になるんだろうな、と僕は解釈している。このたび引っ越していくお客さんも、新幹線や飛行機に乗れば数時間でまた会えるのだ。
 そういえば、彼らはよくタイムマシンに乗っているけれども、いったいどのくらいの時間乗っているのだろうか? 漫画では「一瞬」のように見えるけど、実は何時間もかかっているのかもしれない。

2020/12/05土 
 執筆時、年が変わっております。思い出し思い出し書いていきます。
 Googleマップか何かで「バー」と検索しておいでになったという男女二人連れのお客あり。めっちゃ嬉しいし、ありがたいし、刺激的なのですが、世の中はもうそこまで「戻った」のだということでもありました。未来人のためにも書き添えておくと12月5日といえば、東京都の「感染者数」が500人前後に高止まりして久しい(半月は経っている)。そしてそれから2週間後には800人前後くらいになるような頃なのである。つまり、「感染は減らないが人の動きはむしろ増えている」という状態で、その時に実際、若い男女二人が、夜の上野の街に来て「バー」と検索し、雑居ビルの三階まで上がってきて得体もしれぬ「夜学バー」の扉を開いたのである。実に感動的で、喜ばしい反面、そういうことが社会全体で起きていたという一つの状況証拠でもあった。
 誤解のないように申し添えておくと、その方々はとても素敵な振る舞いでして、嫌だったとかそういうことではありません。ただ世の中の動きというのは、一人ひとりの小さな動きの集積なのだと改めて思った、というだけの話。また来てくださるといいなあ、と純粋に思います。

2020/12/06日 
 土曜日は5名前後のお客があったが、この日は一人だけ。時短だし、日曜だし、前日の感染者数が583名でそれまでの最多を更新したし。静かにゆったり過ごした。ともかく2020年というのはそういう日が例年以上に多かった。

2020/12/07月 
 この日もお客は1名。ゆっくりと語り明かしました。どうでもいいことから真面目な話まで。夜はいっつもそうでありたい。

2020/12/09水 夜の営業なし(昼のみ)

2020/12/11金 
 久々の登壇(壇?)で金曜、ということもあるのか、それなりの客入り。と言ってもカウンターの半分が埋まるかどうか、というくらいだったはず。なんだかんだ時短営業(22時まで)だとそんなものです。緊張感はさほどなし。
 ところで実は11月の頭から、某街の某店でアル某トしております。お金に困って、というのではなく、趣味で、期間限定で、週に1日ていど。他のお店で働いてみると、いろいろと頭も体もリセットできる。自分のお店で当たり前のことが、他人のお店では当たり前でない。当たり前ですが。一度違う環境に身を置くと、ともあれ柔軟になるような気がします。
「ホーム」にばかりずっといるとお山の大将になってしまうんで、自分のことを全く知らない人たちと、お店という後ろ盾も経営者という肩書きもない状態で、「アウェイ」で裸の状態でどこまで上手に接せられるか。そういう荒業みたいなことをたまにやっておくと、神経が研がれる、はず。
 この日は、そっちのお店のお客さんもおいでくださった。なあにわしもまだまだ、と思えるための、一つの状況証拠となりました。ありがとうございます。

2020/12/12土 
 合計でカウンターの半分が埋まらない程度の来客あり。つまりトータル数名。2020年は、1日のお客が4人あれば「多い」という印象で、0〜3名が「少ない」。時短だと3名でも「ありがたや」という気持ちに。
 そういう過疎の空間でありながら、顧客の実数はこの規模の飲食店としてはおそらくかなり多いほう。「たまにしか来ないが、たまには必ず来る」という層の厚いこと!「いつもいる」という人(いわゆる「おまいつ」)はおらず、今のところはまだ膠着していない。
 恐れるのはコミュ二ティ化と、内輪ノリや馴れ合いの蔓延。僕のような「陽気で根暗なコミュ障上がり」には向いていないのだ。そういう場所はきっともっと見つけやすい場所にあって、ここはせっかく隠れているのだからできる限り精緻にやりたい。
 遠くからでもおいでくださる方、本当に感謝しております。その「数ヶ月に一度」の来店が、この空間に花を添えてくださるのです。これは本当に本気で。そして「週に一度くらい」か、あるいはそれ以上おいでくださる方! あなた方のおかげで潰れずに済んでおります……。これからも気が向いたときに。(毎日気が向く、という時期が数週間くらいあったって僕はそれを理由に嫌な顔はしません。)

2020/12/13日 
 hideの誕生日。スピードフリークスベベロケっダイ。若い男子が「何かを創りたいが、できない(大意)」ということを言っていた。これを自覚できるってとても素晴らしいことだと思う。彼は「創作とかをしている人すごい、自分にはそれができそうもない(大意)」というようなことを言っていたと思うが、穿った見地から言ってしまえば、「自分は創作をしている! 自分には創作ができる! だから自分はすごい!」と思っているような人(いると思うのだ)よりは、ずいぶん上品で控えめである。
「飛び続ける辛さを知らないあなたも、いつかは気がつくことでしょう。自分が誰かの手の中でしか飛んでいなかったことに。そしてそれを自由なんて呼んでいたことにも。」
「借り物の翼ではうまく飛べず 真っ逆さま墜落していく」
 ピンクスパイダー。hideの曲の歌詞をさっきから引用しています。急になんやねんという感じですみません。数日前に本棚でhide©︎と小山田圭吾さんとの対談が載った雑誌(『音楽と人』)を見つけて読み返したせいでもあります。
「悲しいと言うならば 空の青ささえも 届かないもどかしさに君は泣くんだろう 君の小さな身体包んでる夢は 痛みを飲みこみ 鮮やかになる」(『misery』)
 こういう繊細さを持った人間には、「痛みを飲みこみ鮮やかになる」という未来があるような気がしております。Jーpopは「痛みと共に行く」というモチーフを多用します(代表としてミスチル『Tomorrow never knows』、バンプ『天体観測』)が、hide©︎は「夢は痛みを飲みこみ鮮やかになる」と歌う。ついでにいえば小沢健二さんは「麻薬みたいに酔わせてくれる痛みをとき 連れてって」(『ある光』)と言い、「すべては優しさの中へ消えていく」(『美しさ』)とも言います。
 だからなんだということで、特に結論も何もないのですが、「できない」という自覚から始まることもあると思います。ステイフリーユアミザリー。

2020/12/14月 
 金曜から4日連続、4〜6人くらいの来客が続く。そのうち初めてのお客も何名かあった(ありがたいことです、迷っている人はこっそり来てね)。先週の日月の来客が合計2名だった(!)ことを考えると、年末に向けて着実にお客が増えているような気もしてくる。一方、ウィルスの猛威は弱まりそうもない。
 人が多い少ない、なんてのはこんな小さなお店だとすべては誤差の範囲内なのですが、なにぶんそれが僕の(そしてこの「ジャーナル」の)主たる観測値なのでお許し願いたい。競馬の予想みたいなもんです。
 ともあれ実感として、このままいくと年末年始はフツーにお客があるんだろうなあ、と感じていた(本稿執筆時はすでに年が明けている)。いろいろなバランスを考えていたところで、「(12月17日までの予定だったところ)1月11日まで時短要請延長」という報道がこの頃出る。そして15日に「時短したら100万円あげます」ということが確定。ここで「休もう!」といよいよ決めました。
 それで「23日から1月15日までの長期休み」を15日に告知。詳しくは年末年始に書いた「エッセイ1〜3」参照。そこに書いていなかったことを一つだけ。どのみち営業したって22時で閉める。しかしお客はまだ帰りたくなさそうな顔をする。それがまた心苦しいのであった。今は1月21日(書くの遅)で、昼にちょこちょこ営業しております。心が楽。いやー、時間通りに無理矢理閉めるのは、やっぱちょっとストレスだったんだなあ。

2020/12/16水 夜の営業なし(昼のみ)

2020/12/18金 
 けっこう来店があった。すでに「年末年始は長期休み」と告知をしていたので、納めに来てくださった方もあったかもしれない。ちょっと早いけど、この一年、よく乗り切ったものだ。みなさま本当にありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。

2020/12/19土 あすか

2020/12/20日 
 明らかに知らないはずのことを、知ったように言う人には、たまに「え、知ってるんですか!」と強めに反応して、ちょっと深掘りしてみる。とだけ言うと性格の悪い意地悪なマスター、って感じだけど、ちゃんとこれには意味がある。あまりそのまま放置しないほうが、このお店のためには良い(すなわち僕好みになる、ということですが)気がするので。
 もちろんその動機が「話を円滑に進めるため」だったらいい(なんなら僕もそれはやる)んだけど、「その場において自分が優位になるように」という動機と見えれば、用心してちょっと突っ込んでみる、という感じ。そういう細かいことが、意外とこういうお店では大切だと今の僕は思っておりますが、実のところその辺りはちょっと今後変わるかもしれない。いろいろ考え中なのです。

2020/12/22火 f→i
 急遽k氏に代わりf氏が前半担当。ありがとうございました。

 12月23日から2021年1月15日まで夜の営業をお休みしました。その理由はトップページ「最新情報」に記していますが、やがて「テキスト」内(「ジャーナル」かも)に移送すると思います。

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