僕は自転車で動くので、お店に来るぶんには感染するリスクもさせるリスクもほとんどない。とりあえずお店には来た。いま27日金曜日の21時15分だが、17時にいつも通りお店を開けて、ここまでいっさい来客なし。
氷の減り具合や空き瓶の並びを見ると、僕の休んでいたこの三日間もかなりお客は少なかったと見える。従業員のみなさん、お店を守ってくれてありがとうございます、本当に。
たぶん今後しばらく、少なくともこの金土日くらいは休業同然の売上(ひょっとしたらゼロかもしれない)だと思う。光熱費を考えたら閉めていたほうが経済的ですらあるかもしれない。僕だって休めるときに休んだほうがいいし、感染する・させるリスクは極力少ないほうがいい。
いつもは17時すぎにTwitterへ「開店しました」と投稿しているのだが、今日はそれをしていない。しばらくしないでいようと思う。昨年の10月12日、戒厳令のようだった台風の夜もそうした。
あとからこれを読む人がいたら、「今」がどんな雰囲気だったかもう忘れちゃってるかもしれないけど、ずいぶんな様子なのだ。僕はおんもじゃなんにも言えません。htmlのこのページは独立して自由、あーよかったなホームページがあって。
ツイートは「流れていく」ものだけど、htmlは「強固にそこにある」もので、能動的に「見にいこう」と思う人だけが見にくる。少なくとも原則としては。わざわざスクリーンショット撮って載せる人がいたら別だけど、URLを貼られたくらいならまだ軽症。自分から興味を持ってクリックまたはタップしない限りその先は読めないから。しかもその文章は長く、まわりくどい。ふつうの人は「この文章」まで読みはしない。
こんなところまで読んでくれている人は、もし健康で気が向いたらお店に寄ってくだされば、ほとんど僕と「サシ飲み」状態になると思います、たぶんしばらく。こんなところまで読んでくださる人ならば、きっと誰よりも深くよく考えて自分の行動を決めている人だと信じますので、大声上げず、静かにしっとりやりましょう。消毒液もまだあるし換気もなかなかよいですよ。寒い日は少し寒いけど。
お店は、ネット上におけるhtmlのホームページと同じように、「強固にそこにある」もの。そして、「入りやすさ入りにくさ」のみによって客を選び続ける。「どんなツイートをするか、しないか」も、その操作の一環としてある。「どういう客を選ぶか」が、それによりずいぶん異なってくる。いまは とりあえず「しない」を選択した上で、スケジュールだけをただ書き続けることにする。もちろん、方針はすぐに変わるかもしれない。それも含めて「操作」であり、「動きつづけてバランスをとる」ということ。
2020/04/09木 i
お知らせ:
トップページの「最新情報」を更新しました(4/10)。8日の日報に《夜をいつもより早く終わらせるというのは、なんというか直観的に「違う」気がする》と書いた筆の先も乾かぬうちに東京都の要請に従って17時〜20時までの時短営業を決めました。しばらくはたぶんこれでいきます、また状況が変わればわかりませんが。
考え方を変えると、「20時でお店が終わり」ということは、「夜はまだまだ」ということでもある。もちろん遊びまわろうなんてつもりはない。自転車の帰り道、ちょっと遠回りしたり散歩みたいに走ったりなんかは、気軽にできそう。
お知らせ:
トップページの「最新情報」を更新しました(4/11)。
2020/04/10金
1月後半から現在までの「ジャーナル」(ここの文章)をまとめて冊子にして売ろう、と思いついて昨夜からカタカタやっていたんだけど、14時からの都知事会見でいったん停止。
要約すると「11日の0時からほとんどのお店に休業ないし時間短縮営業を要請」とのこと。「バー」は休業要請(完全に営業停止、施設の使用も停止)といわれて驚く。しかし
トップの「最新情報」にも書いたようにそれは「遊興施設等」というカテゴリに属する、風俗営業かそれに準ずる形態のバーであろう。
夜学バーは「飲食店営業」としてのみ(厳密にいえば「深夜酒類提供飲食店営業」も)届け出をしているので、「飲食店(居酒屋を含む)」のほうに入るはず。その場合「朝5時から夜20時までの営業を要請、酒類の提供は19時まで」とのことで、それに則る。
というわけで明日から「20時に閉店」になるのだが、本日は「20時に開店」。たった一日で状況が変わるというのは本当にすごい。
19時すぎにお店に行くとi氏がすでにおり、今後の方針などを軽く話す。彼は(というか夜学バーに関わる人は基本的に)冗談が通じる。「ボケ」を本気にされちゃうこともあるけども。
その後、少しずつお客が来店。フィジカル・ディスタンスをとれるぎりぎりの客数、というくらいになった。最近のニュースやワイドショーの距離感。
ところでバーカウンターというのは基本的にお客どうしが向き合って話すことはない。夜学バーのカウンターはL字だけども視線と姿勢はカウンター内(すなわち僕のいるところ)に集中し、お客どうしはまっすぐには対面しない。
僕だけがそれぞれのお客とほぼ常に「対面」する格好になるので、最近は意識してカウンターの少し奥のほうにいることが多い。ディスタンスの確保。最近はこれまで培った様々の「テク」に加え、特殊オペレーションがいろいろ付け加わっている。いろいろ考えながら、最善と思えるやり方を試しております。
ところで、カウンター内に視線が集中することについて、「よくあれが耐えられますね」と最近言われた。たしかに、普通の胆力では最大10名近くの人間の視線をいっせいに浴びつつそのみんなと同時にコミュニケーションをとる、というのはつらいのかもしれない。僕が平気なのは、たぶん演劇と教員の経験があるから。たくさんの視線と渡り合うことには、それなりに慣れている。
今日はいちおう金曜だし、プチ戒厳令発効の前夜(であり当夜)でもあるからか、そこそこのお客があった。といって片手で数えるくらい。明日から「早い時間の3時間営業」が基本になるし、今後はどれだけ多くともそのくらいだろう。たぶん適切。
2020/04/11土
17時に開店、20時に閉店。お客は2名。うん、適切。
今日からテイクアウトを始めました。コーヒーなどソフトドリンク。合羽橋道具街に行ってフタつきのバリスタカップを50個も買ってしまった。早めに来てコーヒーやクリームソーダをテイクアウト用に作る練習をしてみた。けっこういい感じ。楽しい。
テイクアウトにまつわることは
トップから「最新情報」をご覧ください。4/11更新分、やや長い文章書いてます。
お近くにお寄りの際は、よろしければ「あいさつ」でも。
夜学バーは三階なので、一階に目印をいくつか置いている。それらは今日、お店に仕舞った。あまり目立たず、「夜学バー」というお店に好意を寄せる人たちにだけ来てもらったほうが、しばらくは無難だろうと思う。それは「すでに来たことのある人」だけを意味するのではなくて、「まだ来たことがないけど、こういう文章を読んで夜学バーの性格はあるていど知っている」という人も含みます。5月6日までの「要請」期間中、「初めて来ました」という人はどれだけあるだろうか。あってほしいと積極的に願うわけではないけど、やっぱり純粋に「そんな人がいたら面白いな」と思う。
あとは扉に貼り紙をしたり、いろいろマイナーチェンジはしております。流動的に、変わることを恐れずに。これは本当に「よき場」の本質でないかしら。
2020/04/12日
お店を開けていれば誰かくる。17時からの3時間営業の中でお越しになったのは一名。20時以降にテイクアウトのみのお客もあった。
「二週間後にお年寄りと会う予定があるので、これからしばらくあまり外出しない。だから今日」と。1時間半の道のりをわざわざ歩いておいでに。雨の中、帰りも歩いたみたい。どのルートが楽しいか、ということを考えておられた。
好きな場所、いや好きと言わずとも「行ける場所」があれば、そこを一つの点としていろんな線が引ける。ぐにゃぐにゃでも線である。ぐにゃぐにゃな線を線たらしめるのは、たぶん強固な点である。
2020/04/14火
「最近、仕事が16時に終わるようになったので」と、17時過ぎにお客。「貸切最高」とのこと。いつもだってそんなにお客があるわけでもないけど、ここんとこは安定してお客がない。一人でも来ていただけるだけありがたいというものだ。今んとこゼロということは今年はまだない(僕が通して立っている日のみ観測)が、3時間営業だとそのうちそういうこともあるだろう。いつになるかしら。
19時前にお客。かっきり1時間いらっしゃり20時にご帰宅。帰り道、遠回りしていろいろ見て回るが僕の知っている「世間話ができるようなお店」は軒並み閉めていた。飲食店は基本的にどこも20時で終わるみたい。居酒屋やラーメン屋などで開いているお店もあったけど、落ち着いた雰囲気ではない。浅草近くのパン屋さんは開いていた。いつも深夜0時くらいまでやっているお店。いつものおばあちゃんがいつもどおりいた。こういうお店があるだけでちょっと落ち着く。
夜学バーも、そういう安心感のために開けているところあるのですが、さすがに20時は早いかな。「21時まではテイクアウトやってます」というふうに時間を明確にしようかな。今日も結局21時前までいたし。引き続き考えます。
2020/04/15水
17時にお店に入るとお昼担当のさちあきさんが(当たり前だけど)おり、「この人も相当のもんだな」と思う。休む発想はないのだろうか。自分が言うのもなんだけど。僕のような偏屈な人間とお店をやるくらいだからやっぱり肝が座っているということか。
その後、お客3名。休みになった人と在宅勤務の人とあまり変わってない人。ここ最近、男女の割合はたぶん半々くらいだが、年齢層は「20〜40代」がコアとなっている。ごく若い10代(あるいは学生)の人とか、50代以降はあまり姿を見せなくなっている。このあたりもしっかりといてくれるからこそ夜学バーは夜学バーたると思うので、今はどうしても「非常」という感じがある。(この続きは19日に書きます。)
メリハリをつけたり息抜きをしたり、というのが必要になるタイミングはあって、そのために外に出るということがいま我々には「許されている」。そのとき、いかに(自分と周囲と世の中にとって)低リスクだと思えるような発散をするか、というのがたぶん重要なことだ。いまこのお店に来てくださっている方々は、誰ひとり気軽には来ていないと思う。「最善手」として選択している。それがいつか自分を、周囲を、世の中をよくするのだと信じている……はず。そうだといいな。
すべてはバランス。自分の気持ちを少し和らげ、強めて、この店と僕たちに良いことをもたらす。結果として世の中全体をも利する。負の影響はごく最小限にとどめ、むしろ正の影響を多く生み出すよう努める。悪いことをおさえ、良いことをのばす。そしてみんなよくする。
「AとひきかえにBを得る」というのではなく、いろんなことを同時に、おさえたり、のばしたりする。そいでバランスをとる。極端をきらう、中庸の態度。なんとも東洋的なこと。
2020/04/16木
お客は1名。営業は20時で終了だが片付けたり本を読んだり文章を書いたり事務作業などしつつ「テイクアウト営業」としてしばらくお客を待っている。だいたい21時くらいまで。あてもなくお客を待つ、ある意味ではとても虚ろな時間が、時に詩的で心地よかったりする。常にではない。基本的には孤独で寂寞としている。その時間が長く続くとランナーズハイのような状態がやってくる。「さみしんぼハイ」的な。それがもんのすごく詩情にあふれたものだったりする。文字の空気を吸っているかのように胸の内が詩で満たされる。などといったことを考えながら一人で座っております。
2020/04/19日
(15日のつづき)しかし中学生とか大学生くらいの人が、お店には来られなくとも「気にしてくれている」ことがわかった(証言を得た)し、「実際に行くのは難しいけど開いていると安心する」というお言葉もいただいた。そのためにお店を開けているようなものなので、とても頼もしい。無意味ではないのだと胸に留め、引き続きやれるだけやります。
近所で同じように営業を続けている某店のオーナーも繁くいらっしゃる。この町はもう本当に数えるほどしか開いているところがないのでほかに行くところはないのだろう。(Wi-Fiもあるし。)
「みんな休めばいいと思ってたけど、これほど開いているお店が少ないとさすがに気が滅入る」とは彼の言。現在一日に1〜3人ほどしか来客のない夜学バーが数時間だけ開いていることで、その「気が滅入る」が少しでも和らげばうれしい。きっとすごく遠いところにいる人にさえ届くはずだと思う。(と、信じているというだけ。)
2020/04/21火
早めの時間にお客1名、そのまま閉店まで二人きり。
20時に閉店して、念のためテイクアウト客を待っても21時前後には帰路に着く。その時間までやっているお店はほとんどない。あったとしても秘密裏に闇営業しているようなところくらいだろう。
最近、「あいとる店」を探して歩くのが僕と従業員i氏に共通する趣味。中にまではまず入らないが、「ここはやってるのか」と勝手に心強くなったりしている。近所のバーで17時までの喫茶営業に切り替えたところもある。お客はあんまり来ないようだが、がんばっているなと思う。扉を開け、灯火を絶やさない姿勢。しゃんと伸びてる感じがする。
2020/04/24金
計5名(いちどに5名いたわけではない)の来店。4名以上は2週間ぶり、3時間営業になってから初である。正直言ってこのくらいがちょうどいい。お客が入ってくるごとにみんなが席を調整してディスタンシング(なんだこの言葉は)するのも面白い。夜学バーのつくりだと、4名まではそれらしいディスタンスがとれる。いちどに5名以上お客が入ったら、少し工夫が必要かもしれない。
ただ、前にも書いたけどバーというのは基本的にお客どうしが向き合って話すことがほぼない。カウンターのほうを向いて話す。とりわけ夜学バーはL字型のカウンターなので、身体や顔の方向をほぼ変えずに人と接することができる。僕はやることがないときカウンターの奥に引っ込んで座りながら話しているのでディスタンスは少なくとも1メートル以上。ドア(ありがたいことに入り口と非常口と二つある)は開けはなち換気扇をまわす。マスクもみなさま適宜してくださっている。このサイズのお店としては、うまく対策できているほうだと思う。
幸い、みんな相応に気をつけつつもピリピリした感じはない。あたりまえにすべきことをしてくださっている。よきお客に恵まれております。前にもここに書いたけど、いま外出するのは信号無視に似ている。今のところは「自転車の信号無視」のイメージに近いと思う。安全だと言いたいのではなく、よほどの判断力と集中力を持ってしても危険なのには変わりないし、そこに「無灯火」や「不注意」などが加われば危険度はいっそう高まる。
車のビュンビュン走る大通りを自転車で突っ切るのは、リスクの高い空間にあえて行くことになぞらえられそう。見通しの良い小さくて交通量の少ない道を(信号は赤だが)よく見て渡るのは、マスクしてスーパーにいくとか近所を散歩するといったことにたとえられるのではなかろうか。
喫茶店やバーに行くのは、どのくらいのことだろう。
いたずら心からというのではなく、細心の注意を払ったうえで、必要だと思ったことをする。自分一人のためではなく、ひいてはもう少し大きなもののために、それをする。というのなら、その可能性をまったくナシにしてしまうのは勿体ないというか、「功罪の罪のみを見る」になりすぎるようには思う。そんなようなことなど書き足して、この日報を冊子にしました。600円。お店で売ってます。今日は2冊、売れました。
2020/04/25土
お客は2名。何度めかの学生の方と、たぶん二度めくらいの方。この一ヶ月ほど(「外出自粛」が言われた以降)は「少なくとも5回以上は来たことのある方」の来店が多かった。それでもちらほら「何度めか」の方も来てくださっている。遠慮なく、必要だと思ったらおいでください。(繰り返しになりますがリスク低減には精一杯努めております。)
今のところはまだ今月「初めて」という方は(僕の立っている時は)観測セズ。これはたぶん夜学バー始まって以来のこと。たしかに、いま初めてのお店に行くのは不安だと思う。僕も、「自分なんかが行ったら、むしろお店の人を不安にさせてしまうのではないか?」と考えてしまう。
正直なことをいえば、いま湯島あたりを(このご時世に!)ぶらぶら飲み歩いている知らない人がいきなり飛び込んできたら、僕も不安にはなる。「お、この店開いてるじゃ〜ん」くらいのノリで来られてしまうと、ちょっとな、というのは。でもこの文章を読んでくださるような方ならむしろ、いまこそお話ししたいという気持ちはあります。これも正直なところ。
みかんをいただいた。おいしかったです。
2020/04/26日
お客は4名……なんてふうに人数をわざわざ書いていると「今日の東京都の感染者数は」みたいになってしまう。と、こう書いても一年後にはなんのことやらわからないかもしれない。時事ネタはすぐ風化する。
こないだあるお店にお邪魔したら、「うちは不特定多数じゃなくて特定少数のお客さんしか来ないから(リスクは低い)」とママが言ってた。だから安心というわけでもないと思うが、しかしまあ確かに、そば屋さんや牛丼屋さんのほうが保ウィルス者が足を踏み入れる可能性は高いのかもしれない。計10名ほどのお客がそれぞれ週に3回ずつ来店すれば「毎日4〜5人はお客が来る」ということにはなり、それでひとまず経営は成立するだろう。
夜学バーもこの一ヶ月くらいは、そこまでではなくともあまり遠くないような状態かもしれない。店是(国是みたいな言葉)としては「不特定少数」が理想的ではあるのだが、「不」の部分が現況ちょっぴり足りない。ただ、今はある程度そのほうがいい。
まだ「いつも同じ顔ぶれ」というところには至っていないので、開かれた場としての楽しさも残っている。善戦(戦?)していると思います。
2020/04/27月
一対一でしばらく話す。最近の世の中と、それによって何が浮き彫りになっているか、そしてこの先はどうなっていくのか、といったことが大まかな話題だったと思う。かなり深い部分を泳いでいたとは思うんだけど、まだお互いにつかみかねているというか。「この広大な海のどこを潜っていくべきかわからない」といったふうで、「僕はこのあたりを潜ってみたらこういうのが見えました」「自分はこのへんを潜ったらこういうふうに感じましたね」という意見交換をしているにとどまり、「なるほど! ということは……」「そうか、そうだったのか」といったカタルシスには届かない。でもなんとなく、「じゃあ、ともかくもうちょっと探ってみますかね」というところでうなずき合うことくらいはできたと思う。だいぶ抽象的な言い方になってしまったけど、こういう機能が生きているお店でありたい。一人で考えているだけだといきづまってしまうこともあるので、たまと人に話して、ちょっとでも頭のスペースを整理するのは大切。そこから意外と突破口につながっていく、はず。
2020/04/28火
19時過ぎまでお客なかったので工作をしていた。この三ヶ月くらいの日報まとめた52ページ(5万字弱!)の冊子の、最後の仕上。小口を裁断してまっすぐにする作業。厚めの紙を使っていて枚数も多いため、ホッチキスで中綴じすると外側の紙が短く、中のほうの紙が外に飛び出す形になってしまう。(説明がむずかしい。)
同じ大きさのおふとんを二枚重ねて、はんぶんに折りますと、内側のおふとんが飛び出しますよね。外側のおふとんが「足りない」って感じになりますよね。そのような感じです。
その飛び出した部分を裁断機でシャーっ、と(ザクっ、とではない)切ってそろえるわけです。初期のロット(ロット!)ではやっていないのでめくりづらかったらすみません。希少ということで。これをやっていましたら、お客がありました。続けておふたり。ミルクティーとコーヒー。
20時過ぎ、この冊子だけ買いにきてくださった方が。ありがたい。軽くあいさつをする。営業終了後に多少なりともテイクアウト時間を設けたのは良かったと思う。「顔を見る」「同じ空気を共有する」というのは、たとえ一瞬であっても意味がある気がします。
2020/05/01金
5月になったもののお客は相変わらず僅少、金曜だろうが関係なく静かに時が刻まれていきます。4月の売上集計しましたが去年の30%くらいかしら。原価など考えたらもちろんバッチリ赤字ですが、いや、我ながらよく踏ん張っているものだと思います。来てくださる方も、遠くから祈りを捧げてくださっている方もありがとうございます。みなさまのおかげでなんとかこのお店は淡々と続きます。
2020/05/02土
いまさらだけど17時にお店を開けて20時に閉店、というのは……短い。本当にいまさらだけど。ふだんぼけーっと、17時から20時までの「非ゴールデンタイム」を口あけて(しかしかっこつけて)お客を待っている時間の貴重さを改めて想う。今やあの時間帯「だけ」になってしまっているのだ。だいたい20時くらいからお客は来るときは来て、増えたり減ったりの新陳代謝を愉しんでいた。いつ帰ろうか、もうちょっといちゃおうか、という心のせめぎあいを見ているのも面白かった。そのようなことはいまはほとんど見られない。
しかし、かつてだってその時間帯にもしっかりお客はあったし、今もある。ただそれだけのことといえばそう。時間になったらお店を開けて、時間になったら閉めるだけ。なにも変わりなく、お店はお店。
2020/05/03日
「夢に出てきた」とのことでお客。ありがたい話。「また呼んでください」とのこと。もしかしたら同じようにいろんな人のところに行っているのかもしれない。まだお会いしたことのない方のところにも。誰かわからんやつが出てきたら僕である可能性が。
冷蔵庫の甘酒が変色していていた。味はむしろとっても美味しくなっていたがお客に出すわけにはいかないので自分で飲みつつ、新しく作った。酒造で働いている方から人づてにいただいた酒粕と、塩と、黒い砂糖。蜂蜜も入れたが、砂糖だけのほうがむしろ素朴な良い味になったかもしれない。
最近たびたび飲んでいる、東上野の中山豆腐店の豆乳があまりにもおいしい。甘味もなにもなく豆の味しかしないのだがとにかく澄んでいる。それを思うと甘酒も、もう質の良い酒粕をただ溶かすだけで良いのではないかとさえ思えてくる。少しの塩くらいは入れてもいいかもしれない。砂糖を使わないでどこまでいけるか。こんどやってみます。お店で出すかはべつとして。
2020/05/04月
3月末以来初めての「初めてきたお客」は謎のカナダ人。日本語の話せない人がやってくるのは半年に一度あるかないかで、あんまり慣れない。もともと英語の聴き取りは得意でないのだがカナダ特有の発音なのかよけいに難しかった。あるいはネイティブだからというだけだろうか。スペインやアルゼンチンの人など外国語として英語を話す人の言葉は聴き取りやすい気がする。そう考えるとエスペラントや中世以降のラテン語とかってのはネイティブが(原則として)いないから母語の違う人でも通じやすかったのではないかしら。
あまりに聴き取れなかったのでホワイトボードを渡したら「How do you get out from behind the bar?」と書いてくれた。
2020/05/05火
お客なし。僕が単独で立つ日でまったくお客がなかったのは今年初のこと。そういう日はふだんだってあるし、17−20時の3時間営業になってからこれまで一度もなかったことのほうが奇跡的。「おー、ついに」と思った。
実は20時から高校一年生の時の同級生7名でビデオ同窓会みたいなことをやる予定があって「お客がいなくなって片付けが終わったら参加しよう」と思っていたのだが、期せずして最初から参加できてしまった。そういう事情を世界が汲んでくれたのかもしれない。
2020/05/06水 /i
午前5時から11時まで「朝バー」として営業してみた。やってみるもんで、2名もの(!)お客に恵まれた。最初の4時間くらいはひたすら青木雄二先生の『ナニワ金融道』を読んでいて、9時前くらいにお一人、9時過ぎくらいにもうお一人だったかな。今後モーニング営業をするなら8−11時くらいでいいのかな。7時くらいには開いてないと9時始業の場合だときついかしら。いずれにせよ出勤前に一杯、というのはなかなか乙でしょう。お酒でもコーヒーでも。ちなみに本日はサマハン養命酒と抹茶ミルクをご提供。ああ、トーストと卵くらいは用意しないと。
そもそも朝バーをやりたいと言い出したのは従業員のK氏で、彼はお粥を提供する予定らしい。すばらしい。「帰り道に寄り道できるお店はあっても、行きしなに寄り道できる場所がない」というのが発想の端緒とのことで、なるほどかつて喫茶店というのはそういう立ち位置だった。特に僕のふるさとである名古屋では、出勤前に新聞読みながらコーヒーとトーストっていうのがサラリーマンの日常風景としてあったようだ。今でも多少は残っている。「ちょっと今日は早めに起きちゃったから湯島で降りてバーでも行くか」という気分、非常に楽しいと思う。「明日は早起きして湯島のバーに寄ってから出勤だ!」と心に決めて床に入るのもいい。休日なら「一つだった予定が二つになる」わけで。そういう存在、あこがれます。やりましょう。
2020/05/07木
3時間営業なのでお酒を飲む方は短時間でグイグイっと飲むことになる。8時間くらいの枠のなかでゆったり自由にペースを選べるというのはなんと贅沢なことだったか。
この日は17時台に『小学校には、バーくらいある』
あるお客さんの、この春小学2年生になった息子さんが僕の書いた『小学校には、バーくらいある』という200ページ近くあるお話を読破してくれたとのこと。早熟! 「2年生でも読めるものですか」とたずねると、「ふりがながあるんで」と。ああ、くろうして総ルビにしてよかった。(死ぬほど面倒くさかったのだ。)
小2男子の読後第一声は「ミルクセーキ飲みたい!」だったそうな。主人公が注文する品。物語の中に出てくる食べものや飲みものを「食べたい、飲みたい」と思わせたら子供の本としては大成功だと思うので、もう限りなく嬉しかった。「連れてきてバーデビューさせます」ということなので、いつでもおいしいミルクセーキを作れるようにしておかないと。
彼がこの本のことを何年後かも覚えていて、読み返してくれたりしたら、きっと今とはまた違った感想を抱いてくれるのだろう。そうなったら本当にありがたい。お店をやっていると読んでくれた方の感想がダイレクトに届くので本当に甲斐があるや。ハガキを送ってくれた方々もありがとうございます、落ち着いたら必ずおへんじします。
僕の大好きなカレー屋さんの店主は中2の時の同級生女子3人で組んだバンドを20年以上続けている。(最近サブスクに入りましてApple Musicなどで聴けます。「チャンベビ」で検索!)その方がかつて言っていて曰く、「音楽とカレーは私にとっては同じようなもの。カレーのほうが作ってから反応が届くまでのスピード感が音楽よりもずっと早いので面白い」と。わかるような気がする。バーテンダーがカクテルを作るのにもそういう楽しさがあるはず。
僕は飲みものの味で勝負できるような種類のバー人間ではないので、雰囲気や言動がその代わりになる。自分がどうすれば、場にどう影響するか、といったことがダイレクトに、一瞬で出る。そこがたぶん、もっとも楽しんでいるポイント。
この日は17時台に『小バー』を買いにだけおいでのお客があった。荒木町の喫茶店で知ったとのこと。通販も最近ひさびさに数冊売れた。店は動けないが、本は動く。
2020/05/08金
緊急事態宣言は延長され昨日すなわち5月7日から新たな局面を迎えており、それとは関係があるのかないのか今日のお客は6名。といって同時に店内にいたお客は最大で4名程度。ちょうどいいくらい。あったかくなってきて入り口と非常口を開けっぱなしにできている。
本を買うついでに、と初めておいでになった方がそのままゆっくりしていってくださった。このお店は営業時間中でお行儀が悪くなければ何時間いても問題がないし、一定時間が経ったら追加オーダーを、みたいな考え方も存在しない。何もかも気分と懐次第で。
ただ座ってコーヒーを飲むだけなら400円あれば超のつくような名店に行ける。(僕は毎日のように行っている。)夜学バーで座ってコーヒーを飲むには1000円か1500円ていど必要である。高いと思うこともまあ妥当だと思うこともあると思う。できるだけ「まあ妥当」と思われるようなお店づくりに努めます。
言うだけ野暮というものだけど、鳴れば応える人がいる、しかもその成員は固定ではなく、また来店中に変動もする、という面白さがうまいこといつも出ればいいんだけど。
僕からしても、ちょこちょこ会う人もいれば、しばらくぶりの人もいて、初めての人もいる。そんでまったく見たこともない花が咲く。こういう日は本当に幸福で面白くて、ためになる。
2020/05/09土
お客なし。ひたすら青木雄二先生の『ナニワ金融道』を読んでいた。
この漫画を初めて読んだのはたしか中学生のときで、これで四度めくらいになるだろうか。読むと身が引き締まる。
中学生の僕はたぶんこう思っただろう。世の中にはどうやら「仕組み」というものがいろいろあって、その一つひとつについて「知っている人」と「知らない人」がいる。たくさん知っている人とあんまり知らない人がいて、しかもたくさん知っている人の知らないことをあんまり知らない人がなぜか知っていたりもする。騒動が起きたり収まったりするときにはそういう「知っている・知らない」の要素が大きく作用するらしい。
できるだけ知っておくことは大切だし、知らないなら知らないことを自覚しておいたほうが有利だ。そして、「知らない」だけで問題になることはほとんどない。「知らないのに手を出してしまう」ことが問題を呼ぶ。ハンコをついたり署名したりってのは軽はずみにするものじゃないようだ。
また読み返すたびに希望をくれるのは主人公灰原の恋人、朱美さん。彼女はたぶんこの物語で唯一、灰原に対して「利害を優先しない」存在である。ほかの登場人物だってもちろん利害のみを考えて灰原と接するわけではないが、どこか前提としてそれがあり、だからこそ「buddy」あるいは好敵手として良い関係が成り立っている。朱美さんだけは違う。しかもそこにあるのは恋愛感情だけではない。(むしろ恋愛感情などほとんど見えない。)
恋人であれ友人であれ、関係の名前なんかはともかく、「利害が先に立つのではない」間柄にこそ宿るものがある。このお店に「利害」というものは基本的には存在しない。しないように努めている。「利」だけでなんとかやっていけないだろうか? そのためには「知らないのに手を出してしまう」ということだけは避けたほうがいいと思っている。
それは当然「断言を避ける」という形としても現れる。だから夜学バーがどういうお店かを説明することは難しい。「こういうコンセプトのバーです」と言ったら、即それは「知らないのに手を出してしまう」になりかねないな、と慎重になってしまう。だからと言って押し黙るわけにもいかないから、あれこれとこう、このように長い言葉を重ねてしまうのでございます。
世の中の仕組みに乗っかってしまうと、それを「知っている・知らない」であからさまな有利・不利が出てしまう。仕組みに乗らないようにすると、「みんなが知っていることを(あまり)やれない」ということにもなる。それでクラウドファンディングやほしい物リスト公開、動画配信やビデオチャット、金券やグッズの販売等ではなく「存在への対価」という苦し紛れのオリジナル文言になるわけなのです。
すごく抽象的な話になってしまったのでこのあたりで。こういう面倒くさい文章は個人サイトのほうによく書いています。
2020/05/10日
お客は2名でゆったりとした日。三時間営業はあっという間だけど、17時台からお客があるとけっこう長かったなという感じがする。
新宿区荒木町の某喫茶からたまに差し入れが届く。お客さんがメッセンジャーしてくださる。スープといろいろのはさまったパンをいただいた。手触りあるものが純粋にアナログな経路でやってくる喜び。きっと誰もがそのことを実は楽しんでいる。
2020/05/12火
お店とお客とが依存しあったり馴れ合いすぎてしまうのは当夜学の志から外れてしまうので、あらゆる関係をよきバランスにさせておきたい。一言でいえば「内輪」になんないように、ということで、これだけはもう15歳でチャットルームにどハマりした時からずっと意識しているんだけど、部屋の中で一対一となるとさすがに関係は閉じぎみになる。それは楽しいところもあるし悪いことではないんだけど、新しいお客が入ってくるときのためにやはり、いつでも動ける忍者のポーズでいなくてはいけない。(
3月13日と
18日参照。)
誰かが扉を開けるとき、その先は、開けた人からしてもむろん新しい空間だし、開けられた人たちにとっても、まったく新しい空間になる。深淵を覗くようなもの。
2020/05/13水
ただいま24日。ジャーナルの更新を10日ほど止めてしまった。とても正直な言い方をすれば、書くべきことがそれほどなかった。13〜20日の間に僕が担当した6日間で従業員のi氏以外の来客はのべ5名、実数4名だった。平均をとれば1を下回る。もちろんそれぞれ素敵な時間ではあったが、ほとんどが一対一のやりとりに終始したため、流動的な「場」としての躍動はあまり目立たなかったというわけ。
東京都の感染者数が減っていって、世の中からも自粛意識が薄らぎ、街には人が溢れて夜学バーにも多少はお客が増えたかといえばそうでもなく、むしろひょっとしたらGW前よりも静かな一週間だった。まったく水もの、わからない。
21日はもとよりi氏、22、23日は僕のきゅうようのためきゅうきょi氏にお願いした。まことに助かります。彼が申し出てくれなければごく珍しく(というか開店以来初めての!?)臨時休業にしていたと思う。改めて感謝を申し上げます。
2020/05/15金
ようやく来られた、という顔で入ってきてくださる方には、思わずこちらもにやっとしてしまいます。顔のコミュニケーション。完全の頼もしさを感じるし、感じていただけたらまた幸い。
2020/05/16土
この人にとってこの店はこのような意味があり、このような役割を果たさせていただいているのだなあ、と感じる時はもちろん嬉しい。ただし醍醐味は、複数人それぞれにとっての意味と役割がその場で交錯して混じり合い、溶け合って、まったく新しい意味や役割が一瞬にしても生まれ煌くこと。そのためにはやはりちゃんと「幾人か」という状況が生まれなくては。いっそうの精進。
2020/05/17日 庚申
20時前ぎりぎりに駆け込んできたお客にほうじ茶を出す。21時からはお店に貼り紙をして上野公園で夜を明かした。詳しくは個人HPのこの日付記事に書いています。(ご興味ある方は探してみてください。)
2020/05/19火
パインジュースとマリブとミルクを等量で混ぜシェイクしたロングカクテルを作る。これはよいのでいつでもできるようにしておきたいがパインジュースの缶があんまり売ってなくて困る。
2020/05/24日
「なかなか来られませんでしたが、このお店が開いているということに勇気づけられていました」という意味の言葉をいただいた。こういうことには「しょうこ」がないので、ありがたいものです。
証拠がないようなこと。たとえば手応えがないとか、のれんに腕押しといった状況になると、がんばればがんばるほど人は病む、と思う。生産性のない苦役、穴を掘ってまた埋める、みたいな気分になるはず。
3月末くらいから本当にお客はやってこない。4月からは短縮にもなったし当たり前ではあるのだが、お客が1名や0名という日もザラにある。でもたぶん数十人あるいは百人をこえて「あのお店行きたいなあ」とぼんやりでも思ってくれているだろうことも想像できる。ただその証拠はどこにもない。こうなるとあとは信仰である。目に見えないものを信じる、「神様を信じる強さを僕に」なんていうやつ。みんな遠くでありがとう、と天を仰ぐのみ。
メロスやセリヌンティウスのようにもちろん疑いの心は起きてくる。「みんな忘れてないか?」とか。そんな時は人事を尽くす。何かやるべきことはあるはずだからそれを探す。ただぼーっとしていたって、誰も信じてなどくれない。だからメロスはとりあえず走ったんだろうなーとか思いながら。
近所で最近オーセンティックバーを開いた、という方がやってきてくださった。初めはその身分を隠していらっしゃったので林原めぐみさんの話などをした。なぜ林原めぐみさんの話をしたかといえば彼の座った目の前に林原めぐみさんファーストライブのブルーレイが置いてありそれに反応してくだすったのである。
そこを皮切りにいろいろとお話をした。夜学バーは「オーセンティックバー」ではない。これが何を意味するかというと、「中心にあるものはドリンクではない」ということ。バーとスナックの違いをよくたずねられるが、今のところの僕の回答はこうだ。「バーはドリンク(お酒)が主役であり、あらゆる要素はそれを引き立てるために存在する。スナックは人が主役であり、人が中心として常にある。」
夜学バーは「スナック」でもない。中心は「人」ではなくて、人をメインにあらゆる要素がバランスを決める流動的な「場」なのである、という言い方をしておく。「居場所」とか「コミュニティ」という意味の場ではない。「劇場」的な場、もしくは「教室」的な場と言ったほうが近い。インプロビゼーション(即興)による学びの場、というくらいのニュアンスか。
林原めぐみさんに反応してくださったこのマスターも僕と同じく演劇経験があるとのことで、おそらくただお酒が主役である「だけ」のお店をやりたいのではなかろうと勝手に思った。オーセンティックバーなのでお酒が主役であるのは間違いないにしても、優れた演劇は主役だけを目立たせれば良いというものだけではない。他の出演者や装置、あらゆる演出、劇場の雰囲気まですべて含めて決定される質もある。「主役かっこよかったねー」とばかり言われる演劇だって素晴らしいのは確かだが、「主役を目当てに行ったけど、なんか全体的によかったよねー」というものだって同様に素晴らしい。
OPENは5月8日だったそうだ。まだお邪魔していないのだが、話のわかる方のお店が近所にできて純粋にうれしい。近々遊びに行ってみよう。ところで、夜学バーにも来ているというお客さんもいらっしゃるらしく、そんなお話をしていたらちょうどその方がいらっしゃった。世間は狭い。あまり「コミュニティ」らしくなりすぎないよう、街ぐるみ楽しくなれば良いな。クールに、仲良く。
2020/05/25月
緊急事態宣言の解除が決まった日。ちなみにいま6月5日です。更新ペースまたこのくらいになっていくかもしれません、すみません。
実際に解除されるのは26日の0時からなので、この日は20時まで。しかしお客は5名と、この2ヶ月間の中ではかなり多い。実際、「落ち着いてきたら行きたいね、って話を昨日電話でしてたら、いいや今日行っちゃえ、って話になって」という方々もおふたり、いらっしゃった。おひとりは「外でお酒を飲むの2ヶ月ぶり!」とおっしゃった。
四十九日(しじゅうくにち)というものがある。平たく言えば身内の死後、喪に服す期間。緊急事態宣言の発令されていた4月8日から5月25日までは、ちょうど48日間。四十九日は命日を1日目として数える、いわゆる「かぞえ」の数なので、4月8日を命日とするなら5月26日が「四十九日=忌日明け」なのである。ぴったり重なるもんですね。
昔の人がどうして「四十九日」なんてもんを作り出したかを想像するに、「それ以上はもたない」からじゃないでしょうか。イスラームのラマダンなら1ヶ月だし、キリスト教の四旬節は46日間。「ロックダウンはどの文化圏でも2ヶ月以上はもたない」という説もこないだ目にした。
事実、ここから一週間ほどは来客が増えた。22時まで営業するようにした影響も大きいけど、5時間営業して6〜9名という日が6月1日までは続いた。ちょっとしたバブルである。
が、6月2日は一転してお客0、3日も夜は0、4日は2名ほど来たようだ(i氏の担当日)。そしてこれを書いている5日は、17時に開店して19時10分現在で来客0。
2日に何があったかといえば、都内の感染者数が34名(ここしばらくではかなり多い)確認され、「東京アラート」なるものが発令されたのである。こういうことに、水商売というものは容易く左右される。はっきりいって、めちゃくちゃ面白い。
お店をやっていると、人々というものはなにか一つの巨大な意思によって動いているのではないか、と感じてしまうことがある。「ある組織的大量殺人の最高責任者」が死刑執行された日、たしかお客はゼロだった。「なんとなく縁起が悪い」という気分だけで、十分に客足は変わる。みんなが同時にそう思うことによって、本当に誰も来ない日、というのが生まれる。
ここ数日で、「東京アラートってなに?」と複数の人から聞かれた。いきなり出てきたフレーズという印象らしく、なんのことやらわからないのだそうだ。わからないと、賢明な人はたぶんまず「避けよう」と判断する。東京アラートは、「なんだかよくわからない」ことが一定の効果を生んでいるのかもしれない。(もちろん昼の街には人があふれていたけれども、夜遊びに出る人は減ったんじゃないかな。)
台風にしても、「明日来ます」と言われただけで、その前夜の客足はかなり弱まる。台風が来ると言われているのはその翌日で、天気予報では夕方くらいまで晴れマークがついていたとしても、なんとなくみんな、前日(あるいはもっと前!)から遊びに出るのを控えるようなのだ。「なんとなく縁起が悪い気がする」ってことなんだろう。
そういうのは自然な心理というもので、そういうふうになっているというだけ。ただお店をやる者としては、そのあたりを意識した上で身の振り方を考えたほうがいいのだろう。夜学バーという名前を掲げている以上、個人的には、「風潮」とか「なんとなく」よりも、「自分で考えて判断する」ということを優先させるような人が世の中に多いとうれしいなとは、主張しておきます。
もちろん僕も雨の日は外に出るの億劫だったりしますが、たまに「あえて!」という気分で合羽着て自転車走らせたりします。そうすると意外と、普段では起こりにくいようなことに出くわしたり、するのです。
2020/05/27水
昨夜、i氏の時に来ていたというお客さんが同業のご友人を連れて再び。二度行こうと思ってもらえることはうれしいし、人を連れて行こうと思っていただけるのも嬉しい。i氏がいい仕事をしたということでもあるし、自分がいなくても何かそのオーラとか雰囲気の残滓みたいなものが残せているのかもしれない、とも思えたり。
たまに、「ジャッキーさん僕はこう思うんですけどどう思いますか?」とか「こういうことがあったんですけどどう考えます?」とか、たずねられることがある。その都度よっく考えて自分の思うことを言うわけですが、こういう利用の仕方をされるのは、けっこう嬉しい。
ある人から「ジャッキーさんは関数のようなものだ」と言われたことがある。ここでいう関数というのは「ある数値(x)を入力したら、それに応じてべつの数値(y)が出てくる」というような意味。y=jx(jはジャッキーのj)なわけですね。yは時によってギャグだったり真面目だったり突拍子もない頭抜けた発想だったりする。それを面白がるというのも、僕やこのお店の「使い方」としてはアリかと存じます。(それなりによその人が言わないような、奇想天外なことを言いたがりがちなので、あんまりまともな返答を期待しないでくださいませ。)
2020/05/29金
従業員i氏のおすすめで、一杯3000円、ハーフで1500円という高級酒を仕入れた。ベンネヴィス1996人魚のやつ。夜学バーはホッピーセットや角のロックといった500円くらいの安酒から、がんばって作るカクテル、そして一杯数千円くらいという高いお酒、あるいはコーヒーやミルクセーキ、レモンスカッシュをはじめとした喫茶店ぽいメニューやら、抹茶やらなんやらいろいろ取り揃えておきたいという手広く浅き欲張り精神がある。問題は、すべての従業員がすべてを把握して作れるようにしておくのが難しい、ということ。だいたいのことはできるようになってもらっておりますが、僕しかできない(人に教えないままメニューにしてしまった)ようなものもあります。逆に、僕はできないけどほかの人はできる、ということも同様にたくさんあると思います。そのへんは、もう柔軟に、ということで。あれこれ楽しんでいただけたら幸いです。
2020/05/30土
就職で京都に旅立ったお客さんがいるのですが、その彼に紹介されたということで、京都から就職でやってきたという方々がご来店。東京を出ていく人もいれば、入ってくる人もいる。この春はあまり春らしい感じがなかったので、「ああ、春だ」という気持ちに。
一時は(めずらしく!)満席となり、初めての方やまだ何度目かという方にしっかりと場を楽しんでいただけたか、やや心配。僕もこの2ヶ月くらいはぽっかりとブランクが開いたようなものなので、至らないところがあったかも。ずっとお店は開けていたものの、マンツーマンとか、せいぜい3〜4名で話すということがほとんどだったので。
どっかの坦々麺じゃないですが、三回くらい来ていただけるとなんとなくこのお店のことがわかっていただけるのではないかと思います。たぶんですけど。本当は一回でバッシリと「いいお店なんですよ!」ということを伝えたいものですが、力が足りないし、やはり「いろんなシーンがあるからこそ」というところも重要。
べつに具体的に何かまずいことをした、ということがあるわけじゃないんだけど、うまくメロディを作れなかった感じがあるというか……。リズム、ハーモニー、メロディとあるとして、その三つが一体化していなかったという感触。リハビリのうえ、精進を重ねます。
「(バーに行く時は)ほかのお客ができるだけ少ないほうがうれしい」と言う人もいるのですが、僕はお客としても店員としても、空いてる時と混んでる時どちらも好きです。というか、そのどっちも楽しいというお店がいいお店だと思うので。めざします。いえ、僕の好みがそういうお店なんだというだけです。
2020/05/31日
若い男の人たち……具体的には20歳から25歳くらいまでの人たちと接する時、どうしても自分がそのくらいの年だった時のことを考えてしまう。愚者は経験に学ぶというし、いくら同じ年代だろうと他人と自分とは全然違うものなのだから、こういう発想は取り扱い注意なんだけど、戒めとして利用するなら便利な場合はあると思う。というのは、20歳くらいのとき僕はめちゃくちゃバカだったのである。そのくせV字型カウンターの、夜学バーと同じように「初対面の人同士でも深く濃いコミュニケーションが発生しがちなバー」なんかに足繁く通っていたのである。その当時のことを考えると顔から火が出るほど恥ずかしい。だけど戒めのためたまには思い出す。そうだ、僕はバカだったのだ。それを一般化して他人に適用するのも危険だが、20歳くらいの男の子というのは、とてつもなくバカなのかもしれない、というふうにはやはり思ってしまう。そしてそのバカが、バカなことを繰り返したあげく、うまくやればけっこうマシになるのだ、というふうにも思う。
つまりいま自分はまあマシだと言っているわけだけど、そのくらいは言いたい。20歳くらいのとき、自分があれだけバカだったことを考えれば、いまはなんと賢いのであろうか、と。少なくとも、20歳の時にあれほど憎んでいた、「30すぎてどうしようもなくバカな大人たち」よりはずいぶんマシなはずだという不確かな確信をにぎりしめ、それを確かめるように日々お店に立ってみている。
今のところ男女問わず自分より年齢の若い人がたくさん来てくださったいるのはありがたい。「なんやこの老害のおっさん」と思われたら終わりだと思っている。Don't trust over thirty.かもしれないと20歳の僕はちょっと思っていた。ただしその当時僕の通っていたお店の店主も当時35歳くらいで、「でもこの人は信用できるな」とも思っていた。だから通っていたわけで。
そういうことを思っていた僕はもちろん何度も言うようにバカだったわけだけど、「こいつは信用できねえな」と思っていたその気持ちは今思い返しても正しかったと思う。バカさと正しさは両立するのであって、だからこそ時間が経ってバカが落ちれば正しさが洗練されて残る、といったところかもしれない。
なんて書いているが、いま若い人を見て「バカだな」と思うことは実はない。「バカ」という言葉は自分に対してか、あるいは目上の人に使うものなのかもしれない。ただ「未熟だな」とは思うことがある。相手が未熟であるときにどうするかというと、「そのうち熟するのだから待てばいい」というだけ。待ちながら、水をまいたり草をぬいたりくらいはする、という感じ。
詩的になってしまった。お客がきたのでこのあたりで。
2020/06/01月
緊急事態宣言が明けてから、初めてのお客さんが増えた。「行ってみたい」とずっと思っていてくださったのかもしれない。まことにうれしい。
この日、ジョージ秋山先生の訃報(亡くなったのは5月12日)があり、「ジャッキーさんとジョージの話がしたくて」というお客さんがお二人、別々にいらっしゃった。その真ん中にお一人、初めてのお客さんが座っていた。その方はジョージのことをあまり知らない。こういうとき、知っている人たちだけでジョージの話ばかりするというのはもちろんアンバランスだし、気を遣ってジョージの話をまったくしないのも、逆に気を遣わせてしまいかねない。するとやはり、「今日訃報がありましたでしょう」「そのジョージっていう人はですね……」と、ジョージ秋山についてのプレゼンになる。訃報の当日ということもあって、自然な事態だったと思う。そしてジョージの話で場がほぐれると、いつの間にかまったく違う、ジョージとは関係のない展開になっていく。うまくいけば実に鮮やかなのである。
2020/06/03水
「東京アラート」発令の翌日、夜の営業はお客ゼロ。当日の2日もゼロだった模様。詳しくは
5月25日の記事をご参照ください。
5時間、誰もこないところで突っ立ってる(実際はだいたい座っている)のはさみしいけれども、それなりに作業は進む。こういう文章を書いたりとか。そう、このジャーナルや僕の個人HPの日記がちゃんと更新されているということは、あんまりお客さんが来ていないということかもしれないのであります……。
2020/06/05金
前々から度々きてくださっている方が、22歳のマンガ・マニアを連れてご来店。「ジョージ秋山が亡くなったので」とのこと、うーん、やはり好きなものは好きと主張しておくものだなあ。
若きマンガ・マニアは、自身の知っていることをばばばばーっとまくしたてるタイプの喋り手だった。持っている知識(データ)を連想のかぎり並べ立てていくという感じ。問うてもいないほうにぐいいいと話が逸れていく。知らない話なら「ためになる」とも思えるが、こちらが知っているか知らないかを特に確認せずひたすらデータを垂れ流し続けるし、それがまたすべて正確な情報なわけでもなく間違っていることもかなり多かった。(僕もマンガ・マニアの端くれだから、けっこうそういうのはわかるのである。)
ほかのお客さんもいたので、しばらくしたところで「そのように、求められてもいないのに、自分の知っていること言いたいことをただ欲求のまましゃべり続けられても、こちらは何も気持ちよくない。(あなたが気持ちよいだけである。)」という旨を伝えた。「はい、なるほど」と素直に聞き入れてくれた。彼は人の言葉を遮ったり、他人の言うことを否定したりすることもなく、ごく善良な人と見えたので、もう一押ししてみた。「もしこのまま歳をとって、40代50代となっていったら、とりかえしのつかない醜悪なオタクになりますよ(大意)」といったことを伝えたら、彼を連れてきてくださったお客が「いやいや、彼はいいやつなんですよ、それだけはわかってください」とおっしゃった。ええ、そうなのです、いいやつなのだ。だからこそ、いま言わねばならないのだ。
その、連れてきてくださったお客は、彼のことを何度も「若いのに」とか「この若さで」と褒め称えていた。そうやって甘やかし、チヤホヤするだけでは、悪いところが悪いまま温存される。その、わら一筋の強みである「若さ」はいつしか失われてしまうのだ。その前に少しでもよくなっておかねばならない。念のため申し上げておきますが僕がこのように説教じみたことを言うのは非常に珍しいのです、だからこそ入念に記述している。若い人の欠点というのは、「放っておけばいつかよくなるかもしれない」ようなものと、「放っておいたらこのまま永遠に温存されてしまうだろう」ものとがある。前者に対しては何も言わなくていい、時間をかけてよき人たちとただ仲良くしていくだけで、かならずや少しずつよくなっていく。後者については早めにハッキリとさせておいたほうがいい。
「そうですね、たしかに、そういう醜いオタク、いますよね!」と共感の言葉をいただけたので、「そうだ、おれたちはああなってはいけない、清く正しく美しいオタクとして、世の中をより楽しく、豊かにしていこうじゃないか!」と、あつくかたっておきました。まんが万歳。
2020/06/06土
偶然というのはあるもので、初めてのお客さんと数度目のお客さんが、お話ししているうちに北海道のとある小さな。都市のようすについて語り合う、という展開に。かたや故郷、かたや大学四年間を過ごした土地らしい。札幌や小樽、函館、旭川、帯広、釧路、網走といった有名な場所ではない。僕も鉄道がそれなりに好きで、北海道にも何度か行ったことがあったのでぎりぎり知っていたくらいの場所。
たまたまそういう話になったから、同じ土地にゆかりがあるということが判明した、というだけで、実は人間どうしっていうのは、本当はとんでもない共通点を持っているのに、互いにまったく気がつかない、なんてことがけっこうあるんだろうな。たとえば家庭教師の先生が同じ人だったとしても、そういう話題をすることってまずないから、知ることがない。そういうのが、「お話」っていうもんを通じて偶然に浮き彫りになってしまう、ということは、奇跡の上に奇跡を重ねているようなものだと思う。神秘的!
2020/06/07日
ここんとこ人と話す機会が少ないから、とリハビリのようにお店を利用してくださる方がわりといらっしゃる。「人と話さないと人は変になる、自分の内面やツイッターの狭い狭いタイムラインとだけ向き合っていると、視野がどうしても曇ってくる」というような話をお客さんとした。
実際に来ていた人は多くなかったけど、このお店を一日も閉めずに毎日営業し続けたのは、たぶん間違ってはいなかった。人は常にバランスを取り続けている生き物で、外的な要因でそれを崩されると、やっぱりおかしくなってしまうのだ。たとえば「人と会って話す」ということで、人は普段のバランスをとっている。その場をぎりぎり確保しておけたことは、それなりの意味があったと信じたい。
たとえば、明らかに口数が多くなっているな、という人がいたりする。会ったり話したりすることが減っていた反動かもしれない。常々バランスをとっておかないと、極端な形でバランスをとらなくてはいけなくなる、のかも。
個人レベルだけでなく、社会にあるいろんなサイズのことが、これから「極端なバランスの取り方」をしていくんじゃないかな、と思う。「できるだけ平常でいる」という選択は、「あとの反動を抑える」ということにはそれなりに貢献するんでないかしら。
2020/06/09火
現在7月4日の深夜。6月9日、10日、12日〜7月4日の記事をこれから書きます。と言っても数日に分けてということになる見込み。6月11日だけはその翌日くらいに書いていますので、ちょっと時系列が前後します。
前半に2名、中盤に1名、後半に1名という感じだったと記憶。三部構成。「さんまのまんま」を三本撮りしたような感じ。もうちょっと「さんま・たけしの有名人の集まる店」みたいになるとうれしいな。(そういう番組があったのです。)
夜学バーの妙味は一人また一人と増えたり減ったりしていって場の様相が変幻自在に変わっていくことにある、と思う。少なくとも僕はそういうのがとても楽しい。その楽しさがベースにあるからこそ、何時間もふたりぼっちとか、にぎやかに満席とかいったイレギュラーがいっそう面白くなる。もうちょっとだけお客を増やしたいなあ、と思うけど、いま焦るべきでもない。
未来の話をすると6月後半くらいから初めてのお客がぐんと増えた。久しぶりに顔を出してくださる方も多くなった。ここからどう動くだろう。新しい従業員も入りそうなので、良い変化があるといいな。ちなみにいつでも人手不足ですので、よろしければ
こちらから「人材募集/夜学バーのコミュニケーション論」という文章を、ぜひ。
2020/06/10水
ノー客。専門用語でいえばno cac。この日はまだ22時までの時短営業だったので「長かった」という印象はないが、それでもno cacはこたえる。僕はとても人間らしい人間なので、そういうことできっちりと元気をなくすのである。基本的にそうは見えないようカッコつけているけれども、たまにそう見せるカッコつけかたも研究中。
2020/06/11木 i
この日からお花を飾りはじめた。昼過ぎにお店に来て、お花が届いているのを確認して、バケツに入れて茎を切り、近くの「EXPO」という古道具屋さんに花瓶を求めに行った。よいものが一つあったので買って帰って挿した。はさみと長持ち剤を注文した。
お花を飾るのはずっと夢だったけど、切り花は美しさの切り売りに加担しているようであまり好きではないと躊躇していた。野の花が一番というのは間違いない。だけどじゃあ花壇やプランターの花はどうなのか、なんて考え始めると、花の意思をわからないでいる以上は、どこかで勝手に分け隔てること自体が意味ないような気がしてきた。いずれにしても人間の勝手でしかない。ともかく「部屋の中に生き物がいるというのはすばらしい」というのが感性なんだと思う。何か矛盾くらいはあるだろうがそこを飲み込み考えるためにもお花にいてもらうのは良いだろう。所詮我々は人なのだ。
毎日茎を切り、水を変え、剪定(と言うんでしょうか)したり欠かさず手入れする。だんだん短くなっていき、いつかは枯れてしまう。それを毎日感じていられるというのは、時間を愛する者として至上のよろこびであるような予感があります。
時間ということでいえば新聞もおためしで一週間、とってみることにしました。うまくいきそうなら定期購読すると思います。
2020/06/12金
「よくいらっしゃる」と言ってよさそうなお客が3名、「何度めか」のお客が3名。少しずつ馴染んでいってくださる様子がゾクゾクしてならない。「馴染む」というのは「馴れ合いが生じていく」というニュアンスでは決してなく、「肌の温度がお店の温度と近くなる」というような感覚的なこと。お客さんがお店に馴染み、お店もお客さんに馴染んでいく。双方がともに変化する。ゾクゾクするのはそういう時。
2020/06/13土
かつての生徒(当時高2〜3)からドラえもんのものをあれこれ貢いでいただいた。Tシャツにタケコプター、花札など。おかきの缶には緑茶を入れることにしました。ありがとうございました。彼女に対して僕はそんなに大したことはしていない、ただテスト前に廊下で長々と全然どうでもいいような話をしていただけのはず。要するに仲良しだったんですね。だけどなんだかこちらがいつか恩返ししなければならないような気分になっている。今度遊びに行きますね。
年齢の話をすれば、この日ほかに来たお客は3名あり、いずれもたぶん僕よりも年かさの方々。いまの自分の年齢はなんだかちょうどいい気がする。上とも下ともフラットにやりやすい。これからずっとこのくらい、よきバランスをとりつづけたいな。
2020/06/14日
遠方から来たる大学生数年め男性が終電ぎりぎりになり、近隣に住む社会人数年め男性が「うちに泊まって行きますか?」と申し出る。二人は初対面。そういうことが飲み屋にはあるし、若いうちには起こりやすい。僕にだってまだまだ、そういうことはないではありません。
2020/06/15月
ひとつ下の階のお店の方がご来店、世間話をする。地震などの災害をきっかけとして急速に(しかしたいていは一時的に)近所の方と仲良くなった、ということはけっこう聞く。僕もこの数ヶ月で同じビルの若手(?)経営者の方々とけっこう近づくことができた。「このビルだけではしご酒イベントでもやりますかー」なんて冗談みたいなことを話したり。少なくとも「一時的」で終わらせるのはもったいない。でも馴れ合いや「行って来い」(お互いのお店にお金を落とし合うこと)にはならぬよう。いい距離でありたいものです。
閉店間際にお客。帰ってしまうところだった。あんまり長くはお付き合いできませんが、すべり込んでいただければ断ることはほぼありません。「ごめんなさい」とする時は余程のっぴきならない事情と思ってくださいませ。
2020/06/17水
12日は男女(僕の恣意的な判別による)の内訳が3:3。13日は3:1。14、15、17日は男性のお客さんのみ。19日は2:6。(16日、18日はi氏の担当なので不明。)
だからなんだということはないし、そもそも性別で分けて数えて何かを語ろうとするのはナンセンスと言う人もいるかもしれないけど、なんとなく面白い。
20日、21日は女性のお客さんのみ。22日は6:4。24日は2:3。(23日はi氏担当。)……というふうに挙げていったところで何もわかることなどない。
ただ、こういうのをみて鼻の下をのばす人もいらっしゃるでしょうし、なんとなく安心する人もいると思いますので書いてみました。面白がる人もいるでしょうか。ようするに、当たり前ですがいろんな日があるのです。いろんな日にぜひ。
2020/06/19金
今日から「県をまたいだ移動」に対する国からの自粛のお願いが解除された。(持って回った言い方になってしまった。)だからというわけではないのかもしれないが、関西からのお客さんが。首都圏の外からお客があったのは本当に久しぶりなような。
また4月から東京にやってきたという初来店の方も。じわじわとみんな、長距離を移動したり初めての場所に行ったりしている模様。
近所のお店で働いている人たちや、それなりに近いエリアに住まわれている方々も来てくださる頻度が上がった。ほんの少しの変化を敏感に感じてしまい、どこまでが誤差の範囲かわからなくなる。それでも少しずつ寂しくなくなっていくのは間違いのない感覚だと思う。ただ、それによってこれまでがいかに寂しかったか、ということも浮き彫りになってきて、ちょっとつらい気持ちにもなる。僕はちゃーんと繊細でセンシティブな人間なのです。
2020/06/20土
ドヨーというのに(?)お客は一人。ひとりじめ。そんな日もある。たまにだと楽しい。いつもだとちょっと。
2020/06/21日
ニチヨーだからか(?)お客はふたり。ひとりじめ、からのふたりじめ。
ゆっくりできるのはいい。静かな日に深まっていくものもある。緩急が大事。いろんな日があります。「通えば通うほどいろんな顔が見える」というようなお店をめざしております。
2020/06/22月
土日の反動なのか月曜から10名の来客。まもなく遠方に行ってしまわれる方が惜しむように来てくださる。久々の方や近所の方、ふたり連れがふた組、以前人に連れられて来た方が今度はお一人で、など。さまざまな人がさまざまな経緯、事情、様子でいらっしゃる。それが一つの場で交差し、多かれ少なかれの交流をする。会話を交わすこともあれば交わさないこともあり、何が起こるか何も起こらないかは決まっていない。それが醍醐味。僕はおいしくいただきました。
盛り上がりのいい選曲のあとでしとやかなバラードがくるように、誰もいない状態から少しずつ人が多くなっていって、最高潮のあと次第にまたおさまっていく。そして残った人たちがまた静かに、ちびちびと居る。そこで交わされる音数の少ない乾いた交流。乾いたというのは無機質なということではなくて、響き方のイメージ。
2020/06/24水
親の目が厳しいので遠出は久々という若い人が噛み締めるように時間を過ごしてくれていた(ようにみえた)のが印象的だった。ここんとこ「外でお酒を飲むのは久しぶり」とおっしゃるお客が多い。緩やかに時勢は変わって来ている。
3年くらい前から通ってくれている人が、終電の直前になってようやくお客が自分一人になり、やっとおずおず切り出した。「人手が……足りないんですか」
「人材募集」と題した文章を
テキストページにアップしたのは27日。この時ちょうど執筆中であった。スケジュールを見ればjとiしか並んでいないし、「もう限界や」という僕の心の叫びがどこかから聞こえていたのでしょう。(むしろわざとダダ漏れにしていたふしもある。)
それは本当にあと数分でお店を出ないと帰り着けないくらいの時刻であったから、僕も仏心を出してしまった。「興味がありますか?」とこちらから訊ねた。勝ち負けでいえば僕の負け。それまでに向こうも(ある意味3年かけて)伏線を張っていて、それに気づかぬでもなかったから、内心「おーついにここまで」という思いもあった。「とりあえず今日は帰って、後日喫茶店でも」ということにした。
ちなみに、この「人手が足りないんですか」という一言を、ちょっと(たぶん2週間くらい)前に口にした人がもう一人いた。たしか、僕がふざけた調子で「アー人手が足りない〜」とかわめいた(うろ覚え)のを受けて、鸚鵡返しのようにそう言ったのだと思う。くだんの文章はそれをきっかけに「よし書こう」と決めたようなもの。たまたま偶然ほぼ同じ言葉だったので、ちょっと笑ってしまった。
2020/06/25木
前半は従業員と元従業員がきて、じき帰っていって一人きりに。ジョージ秋山先生の訃報があった日に初めていらっしゃった方が再びご来店、「オススメされたジョージ秋山の本を買って読みました」と。うーん、うれしい。ジョージ著『弘法大師空海』の話題をはじめさまざまな分野をあれこれ。
後半、ぽつぽつと3名ほど。この日くらいから、初めてお目にかかる方や二度めくらいの方のご来店がぐっと増える。来客数そのものはとくに増えていない。
2020/06/26金
学校の先生をやっていたのと、ライターの仕事で大学や専門学校を取材することが多いので、ちょっとはそのあたりに詳しい。「大学一年の時だけ〇〇に住んでたんです」という一言で学校と分野(≒職種)を当てることができた。生徒で一人、そこに進学した子がいたのである。元気かな。
この日は後半、二人連れ、二人連れ、三人連れと「組」のお客さんが複数。時間差はあったので混んでいたという印象はそれほどない。それぞれが閉じすぎず、わりと全体になじんでいた、と思う。0時をすぎてのお客もあり、数人で話し込んでちょっと遅くなった。
2020/06/27土
気心が知れることで場がよくなることは健全だが、そうでないのは好ましくない。馴れ合いかそうでないかの境目は、「お互いに呼吸を読み合う」ということをするかどうか、だと思った。「気心知れてるんだから呼吸なんか読まなくたっていいでしょ?」というのは馴れ合い。「気心が知れているからこそ呼吸は読めるわけだから、それを活用しない手はないよね」というのが、仲良しということだし、「親しき仲にも礼儀あり」だったりすると思う。そういう意味でも素敵なお客に恵まれています。
2020/06/28日
HPの文章がきっかけ(決め手?)で来てくださった方が。うれしい。「文章で身を立てる」ということには、こういう形もあるのだと改めて。がんばりますね。
けっこう前から来てくださっているお客から異動の予定を聞く。それは数年後かもしれないんだけど、すでにさみしい気持ちにはなる。でも忘れることはないのだろうし、たまには寄ってくださるはず。そう思えることがさみしさを払拭する。「ずっと」という言葉をけっこう僕は好きである。
「ここで働かせてください」と事前にDMくださった方が、お連れの方を連れて(変な表現)おいでになる。その人にはふだん敬語使わないのに文章だと敬語になるのはおかしいな。そして面白い。
深夜2時くらいまでお話をした。いろいろ考えて、その人が働くのは夜学バーじゃなくていいだろうと結んだ。たとえばゴールデン街のお店なら、たぶんどこでも。もっとマッチする場所がきっとあると思う。
ところで、あの文章(
人材募集)を読んで、即座に(ツイートで宣伝した数時間後だった)DMで「働きたい」とストレートかつ簡潔に言える心の強さはすごい。すごいんだけど、だったらよっぽど「読めて」いなくちゃ。
また、よき店員になるためには、よき客でなければならない、というのはまず間違いない。「客としてはよく振る舞えないけど店員としてはよく振る舞える」という人がいないとは言わないけど、自分がそうであると相手に思わせることは困難を極める。
2020/06/29月
最近は19時開店(いつもは17時)にしているんだけど、ちょっと早めに入ってお花の世話などしていたら、18時半くらいにお客が。いや、開けておいてよかった。早めに来てしまう方はほかにもいるんだろうなあ、と思うと申し訳ない気分になるけど、当面は体力を優先いたします。
中盤、一対一でわりと深い話に。その人はたぶん「自分のいる位置」を冷静に把握しようとする人で、「わからない」ということに対して「自分はいまこの位置にいて、それはここからおそらくあっちの方角にあるものなので、今のところ私には見ることができない」というような考え方をしている、と感じた。相手や相手の考えを尊重する、というのはたとえばこういう態度なんだろう。尊重というのは、「相手が自分と同じ土俵(座標)の上にいる」という前提があってこそ、優しさを帯びるものなのだ。たぶん。
後半も含め、一対一になる時間が多かった。昨日もだったけど初めてきたお客さんのときにほかにお客がいないと、ちょっと勿体ないような気分になる。ぜひまたお越しください、誰かいるときは、また全然違った動き方をします。
2020/06/30火
3日連続で初めてのお客があった。みなさまお一人で。僕はいまだに知らないお店に入る時はかなりの勇気と覚悟を必要とします。重い扉を開けて(今は通気のため最初から開いていますが)くださってありがとうございます。
「お手伝いしたいです」と事前に申し出てくださっていた方が。お願いするかはわからないけど、お気持ち本当にうれしい。
0時ごろいらっしゃったお客さんと、「長い時間をこえてつながる関係」というような話(抽象的ですみません)をする。流れでついつい昔話を語ってしまった。死んでしまった友達とか、生きてるかどうかわからない友達とか、旅先で出会って二度と会えそうにない人たちのこととか。高校一年生のときに出会った忘れられないおじさんの話をしたら、「それはなんとか見つかりそうな気がしますね」と仰ってお帰りになった。待て次号。
2020/07/01水 i
i氏20時ごろ到着という予定だったので代わりに19時ごろお店に。見習いf氏来る。あれこれ教えていたらi氏到着。じき非レギュラー従業員の某が来店。最後までほかにお客なく中の人4名でOJT&意思疎通の会となった。0時ごろif帰去。某と僕とで話し込み夜が明けた。めずらしい回。
2020/07/02木
昨日は実質お客ゼロ人だったわけだけどその反動なのかなんと来客が16名(うち1名はお届け物を置いていってくださったのみ)。夜学バーとしては奇妙なほど多い。しかも木曜日に。
種の一つは、そのうち6名が一つの人脈に連なる人たちだったということ。しかし6名一気に来たのではなく、はじめは2名。それから時間があいて3名増え、そのうちの1名が最後の1名をリアルタイムで呼び出した、といういきさつ。最後の人は呼び出した人以外に面識がないそうで、むしろその場にいたその他の人たちとよく交流していた。6名といっても2、3、1(2)というふうにばらけていた印象。
あとは二人連れが2組あって、単独での来店が5名(お届け物の人を合わせたら6名)。
その中で「初めてこのお店に来た」という方は6名。なかなかいいバランス。
もちろん十数人が一度にお店にいた、という場面はなく、最大でも確か9名、そのあとすぐに減っていったので満席の時間はそれほど長くなかった。夜中に3名ほど残りチルアウト状態でゆっくりしたのも楽しかった。
お客さん同士の組み合わせを考えたときの「初対面率」はかなり高かったし、グループ来店(初めて使う概念)も多かったわりに場が閉じるということはなかったし、開きすぎもしていなかった。あちこちで流動的な「かたまり」が生まれては溶けてまた固まり、時に一体となる、というまるで群像劇のような日。人が多いときの理想の状態にわりと近かったような気がする。もちろん取りこぼしたものというか、うまくいかなかったことも多いけど。
それなりにうまくいったのは、誰も褒めてくれないけどいろいろと工夫があるのです。そのあたりをできるだけ言語化して再現性のあるものにしたいんだけど、なかなか難しい。少しずつやっていきたいものです……。
ところで「お届けもの」というのは
6月30日の伏線回収。なんと僕の15歳以来のたずね人を探し出し、その素性の記された紙片だけをわざわざ持ってきてくだすったのである。多謝、多謝。今年のうちになんらかのアプローチをしてみます。本当にうれしい。お店ってのは実にすごい。やればやるほど楽しいのだ。その凄さを人に伝えられたらと思ってお店を続けているし、こうして文章を書いているし、若い人たちを登用したがるのです。
2020/07/03金
華の金曜日ですがお客は2名。水曜が実質0で木曜が15(+1)で金曜が2。
東京都の感染者数(未来人のためにことわっておきますと2020年は新型コロナウィルスと呼ばれるものが猛威を振るっていたのです)は水曜67、木曜104、金曜131。木曜に2ヶ月ぶりくらいに三桁に入った。この半年の感覚だと「前日・当日の感染者数と客数は反比例する」ので、木曜は誰もこないだろうと思ったらたくさん来て驚いた、ら、金曜はやはり誰もこなかった、というわけ。
仕方ないと思うしかないけど、さみしくなくはない。僕が2月くらいからずっと坦々、塞いでいるのは主にこの「反比例」のせい。ニュースとお店との相関が強すぎる。このお店も世の中の一部であって、それは当たり前のことだし誇ってもいいことなんだけど、世の中から自立(自律)していないということでもある。もうちょっと孤高であれたらとやっぱりどこかで思ってしまう。道は遠いです。
2020/07/04土
お客は3名。客数だけ見ると直近7日間は3、4、3、実質0、15(16)、2、3という鮮やかな分散。2019年までは5〜10人くらいが多かったので、2020年は本当に異常。面白いけど、あまり楽しくはない。
温暖化によって水蒸気が多くなり、よって一度に降る雨量も増していくらしい。これからの世の中はなんだって極端に寄っていくのだろうか。格差社会というものも、富豪と貧民とがモーセが割る海のように隔たれていくようなものなのだろうし。
たとえば若い人が、「収入は多いが自由の少ない道」を選ぶのか、「収入は少ないが自由を感じられる道」を選ぶのか、という極端な二択も、実際すでにあると思う。どっちも取れれば言うことはないが、どっちも取るのは難しいというふうにだんだん(今以上に)なっていくんじゃないかしら。
二極化していくとしたら、どちらの道も選択しやすくなるということだ。正社員は希望者が減るぶん採用されやすくなるかもしれないし、自由にやるのは仲間も前例も豊富なのでやりやすかろう。楽観的かもしれないがそういう面はあると思う。
お店でいえば、「賑やかな日と静かな日の二極化」というのは実は世の中にすでにありふれている。それは「イベントのある日とない日」である。ハレとケですな。イベントのある日は混雑するが、普段はかなり空いている。イベントによる収入を当て込んで、普段は売り上げが立たなくてもなんとかなっている。そういうお店はたくさんあるのだ。本当よ。
夜学バーは初めからそれを拒絶してきた。イベントに頼った経営はしたくない。特別か特別でないかというのを、お店の側で決めたくはない。偶発的にお祭りのような状況になることは楽しいが、「今日はお祭りですよ!」と自分から言うのは好みでない。そんな大層なものではないので。
毎日が特別で、楽しくなり得るし、お祭りにもなり得る。神回は機を選ばない。でも誰一人として来ない日もある。そのギャンブル性が癖になってしまう。
イベントを打つのは、「その日には確実に客が来る」と確信できるのが最大のメリットなんだと思う。ギャンブル性が低い。経営者はその安心が欲しいのだ。
安心はもちろんほしいけど、それ以上に予定調和が好きじゃない。夜学バーに来るのはカジュアルなギャンブルなんだというくらいに、わからないものでありたい。だから木曜みたいなイレギュラーは面白い。ただ、全然人が来ないのは本当にたまにでいいな。毎日7〜8人くらいはきてくれるのが、精神安定上(そして経営上)ちょうどいいです。
2020/07/05日
客数は8。日曜としては多いほう。感染者数がどうやら「100人ちょっと」で安定(?)したと合点し、みんな様子見をやめたんじゃないかな。このくらい人がくるのがちょうどいい。
「これから映画観てきます」と退店した方が、2時間後に戻ってきて「夜学割」のための半券を貼って、ついでに一杯飲んで行ってくださった。『AKIRA』を観たそうな。いいなあ。
僕の14年来の大親友が東京を去る間際で寄ってくれたり、久々の人が何人かいた。たびたび書いているけど、「しばらく行ってないから気まずくて行けない」という発想はMAJIDE不要です。よっぽど性根が悪いのでなければ、お店の人というのはどれだけ間があこうとも来てもらえたら無条件に嬉しくて、「全然顔出さなかったじゃないのよ、この恩知らず!(?)」みたいなことは考えません。
ある人が「夜学バー手伝いたいんですけど」と申し出てくれた。
6月24日に書いた「人手が足りてないんですか」のもう一人。その伏線があったのでたじろぎもせず「ぜひ」と思ったが「ですけど」の続きがあり、「1 家が遠いので終電が早い」「2 自分が夜学バーの一部となることで店の色が変わってしまうことを懸念」といった内容。1は閉店時間を早くするだけなので問題なし。2に関しては確かにゆゆしき問題で、夜学バーという作品(僕は本当にそういうものだと思っていて「おざ研」以降はインスタレーションの自覚を明確に持っている)の質を心配してくれるとは「わかってんじゃねーの」だ。「そうなると思ったら言ってくれればよい。言えないような関係になったらどのみち終わりだし」というようなことを伝えたら「あそれは言えます」とシンプルに返ってきたので「じゃあそれで」となった。
瞬時に「ぜひ」と思ったのは、それまでのお店での振る舞いだとか、Web上(LINE等も含む)での距離感だとか、これまでにかわしてきた「交流」のすべてを総合した結果。どうしてもそういうことになる。僕の胸には機会の平等も結果の平等もなく、ただ対等だけがある。対等とは「相手と自分とは対等である」と仮定し合うことから始まり、互いに尊重を向け合うことを積み重ねてその都度成立するもの。それをダンスのようにできるか否か。
人を試しているわけではなくて、こちらとて全霊で「尊重」に身を尽くしているのです。このへん詳しくはいつかそのうちだし、過去にもWebのどこかに書いております。(探しだせない)
2020/07/06月
7月1日につづき、f氏(全角半角が定まらない、スケジュールでは全角、文章中では半角でいいかな)二度めのOJT(オザキジャッキータカ……ではなくオンザジョブトレーニングようするに実地訓練)。18時半ごろ来てもらって一緒にお店を開ける。ちくいちメモを取ってくれる。前回立った時のメモはなんと清書してあった。これはもう僕が作らなくてもマニュアル的なものができあがるのでは……と淡い(そして若干甘くよこしまでもある)期待が胸をよぎる。お客が4名に加え、もう一人の見習い菫氏も現れたので急遽カウンターに入ってもらう。さっきまで教えてもらう立場だったf氏が瞬時に教える立場へと豹変。頼もしい。メモの清書も早速役立ってしまった。いろいろ自由にやってもらって二人とも特に問題がなかったので遠くなく独り立ちしてもらうと思う。ありがたいナア。
「問題がない」というのは僕が見ていて嫌な感じがしないということで、問題があるとしたら彼女らが嫌な感じを得てしまうことだから、より気を引き締めないと。
2020/07/07火
いつも必ず同じものを同じ順番で注文するお客さんはけっこういる。まったく同じで変わらない人もいればちょっとバージョンを変えてくる人もいる。こちらはだいたい把握しているので顔を見た瞬間にもう心の中で準備を始めているのだが、いちおう言われるまでは動かないようにしている。「常連しぐさ」みたいなものに存在感を与えすぎたくはない。
『名探偵コナン』のかなり初期の回で、男性(犯人)が「着信音の鳴る前に電話を取った」ことにコナンが気付き、それをきっかけに謎が解けていく、というシーンがあった。固定電話はだいたい着信音が鳴る前にランプが点灯するので着信がきたことはそれでわかる。たしか着信音に細工をしていたことがトリックの肝となっていて、それを刑事や探偵に聞かれるわけにはいかない犯人は慌てて電話を取ったのである。
ここまで書いてお客が来た(営業中に書いていたのである)ので、なぜコナンのことを書いたのかすっかり忘れてしまった。
着信音の前のランプ点灯、みたいなことはけっこうある。夜学バーの電話もそうなので鳴る前にかかってきたことはわかる。お客さんも着信音を鳴らす前に必ずランプを点灯させる(比喩です)。それは常に視界の端に見えていなければならない。
わかりやすい例を出せばお客は注文をする前に「注文しようとする」仕草をする。ファミレスや居酒屋の優秀な店員はそれを決して見逃さない。そういうことのさらに鋭敏なバージョンを会得すると色々捗る。
大切なのは「察知」であって「パターン構築」ではない。ランプの前では早すぎる。着信音のあとでは遅すぎる。ランプをちゃんと見てから動こう、というだけの話、だったのかなあ。
短距離走者は銃声を耳ではなくて足で聞く、と小山ゆう先生の『スプリンター』にあった。
2020/07/09木
「話す」だけが時間ではない。本を読んでいても黙っていても時間はそこにある。こういうお店をやっているとどうしても沈黙は埋めたくなるが、そればかりがすべてではないという戒めは常に持っていたい。ともかく大切なのはその場にいる人たちがどうしていたいか、どうすれば最大多数の最大幸福という状況になるのか。そんなことわかるわけがないのだが、志すくらいは。
2020/07/10金
金曜だけどわりと静か。途中「隣接」という概念(というと大仰であるが)の話になり、「一つの国家としか隣接していない国家は13個(ある人調べ)ある」と言うので考えてみた。8つくらいはなんとか思いつきうるし、あとの5つも言われればイメージくらいはできる。ただ問題は「橋やトンネルでつながっていることを隣接と言えるか」で、このオンオフによってどの国が該当しどの国が該当しないかが変わってくる。橋やトンネルを認めると北海道は青森と隣接していることになるので孤立している都道府県は沖縄のみとなる、みたいな話。
こういう話題が成立する(世界地図を頭に浮かべてあれやこれや検討する)余裕があったくらいには静かだった。ふだんこういうクイズとか大喜利みたいな事態にはあんまりならないのだが、いろんな条件が揃えばたまにはそういうこともある。
2020/07/11土
19時から25時くらいまでのあいだに来客が20名。年に一度あるかないかの状況。満席になって補助席が出るような事態もあった。こういう時は先に来ていた人が気を遣って「じゃあ自分、帰りますんで」と言い出すのが小さなお店の定石なのだが、僕は必ずしもそれを良いとも思わないので、そのような雰囲気を察知した(着信音前の赤ランプを見た!)時点でこう言ってみた。「混んできたので気を遣って帰ろうかと思っている人がいるかもしれませんが、ちょっと散歩して戻ってくるのだっていいんですよ」と。もちろん誰に言うでもなく虚空を見つめながらぼんやりと場に投げてみた。するとなんと、その時9人くらいいたうちの4人が席を立って「散歩行ってきます」と外に出たのである。店内には5名が残り一瞬にして混雑は解消。そのあとほどなくしてまた新しい来客が続いて席が埋まり、また一人散歩に出て行って計5名の散歩人間が生まれた。ありがたい。もし誰も散歩に出なかったら狭い店内に十数名がひしめくか、あるいは何人か志半ばにして(?)帰宅を余儀なくされていたところ。ちなみに「いったんお会計を」と申し出た人はまったくおらず当たり前のようにふらっと出て行った。余程慣れた人たちだったかというとそうでもなく二度めの来店という方もいた。それでいいと自然に思えるような環境ができあがっていたのだというのはまた嬉しい。(ご当人の性格という要素も大きいのであろうが。)
運よく従業員としてカウンター内に入ってもらえる人が前半に一人、後半に一人お客さんとして来ていたので珍しく二人体制で営業。お買い物にも行ってもらった。この人たちがいなければだいぶ疲弊していただろうと思う。ものすごく大きく感謝。ちなみにタダ働き&タダ酒で。やりがい搾取。
ぽつぽつと人が減ってきたところで、ぽつぽつと散歩から帰ってくる。ひとりカラオケに行って来たという人もいれば、映画館でナウシカ観てきたという人、ぶらぶら歩いていた人などさまざま。無駄だと思ってしまうような時間にならなかったのならば幸い。
ちとゆっくりは話せなかったという感覚はあったけど、こういう回もたまにはいい。本当に特異的に跳ね上がった一日だった。翌日のお客はたった一名だったもの。わからんもんです。
初めて来店して、しばらく特に口をきくということもなく小一時間経って「奨学生制度はつかえますか」と切り出した方があった。申し出があれば身分と財政状況等を吟味し、よほど嫌な態度をとらなければ適用いたします。ここでついついフジテレビの年末特番「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」の話をしてしまった。なぜかは、奨学生にせよと申し出てくださればわかる(かも)。
2020/07/12日
前のお店(おざ研)の時代からちょくちょくきてくださるお客さん。ものすごく久しぶり。この日はこの方のみだった。積もる話に……とも特にはならず、将棋麻雀鉄道登山などなど趣味の話に終始。いろいろ勉強になりました。
久々に顔を出してくださったのは「応援」の気持ちもあるんだと思う。このお店(夜学バー)をなくしたくない、と思ってくださる方はこういうふうに、ふだんは見えなくとも実にたくさんいるのだ。そして時おり姿を見せてくれる。お店に来ることができなくても何かしらウィンクを送ってくれたりする。ありがとうございます。幸福なことです。
2020/07/13月
来客3名で、一対一、一対一、一対一、みたいな三部構成。たまに「(感染症の影響で)お客さんは減っていますか?」と聞かれることがある。減ってるに決まってるじゃんか! そしてまだまだぜーんぜん減ったままですよ! と、お店をやっている人間としては思うんだけど、そうでなければそんなことは全然常識なんかじゃないんだろうな。飲食店がヤバイ、というふうにはいろんなところから聞こえていても、「夜学バーは例外」となぜかどっかで思っている人はけっこういるみたいなのだ。やってる側としては、例外があるなんてまーったく思えない。
じっくり考えてみると、「夜学バーは例外」と思ってもらえているのは悪いことではない。「世間から外れた」お店として認知されているということで、それはある面での高評価とも取れる。ただ、「依然として元気いっぱいな騒がしい夜の店」というイメージを抱かれている可能性も少なからずはあって、やはり複雑な気持ちは拭えない。
来客の減っていないお店なんて実際ないと思う。元気いっぱいな騒がしいお店はヤケクソになっているか、献身的な客たちが必死で通っているかではないかと。あるいはものすごい企業努力的なことをして、何かを犠牲にしたうえでお客を集めているとか。必ず何かしらの影響は強く受けているはず。みんなそんなにエキセントリックではないのだ。
というわけで依然として静かな状況が続いております。これからもしばらくは続くでしょう。
2020/07/14火with f
最初から最後までf氏がカウンター内におり、僕は出たり入ったり。ちょうどよいくらいの来客があって、良い練習になったはず。OJTにお付き合いいただいたみなさまありがとうございました。
いわゆる「接客」という部分ではもう問題はないと思う。あとは商品(ドリンク)の作り方を覚えるだけ。ただ夜学バーがヨーキューするのは「接客」でも「接待」でもない独特の振る舞いで、それに名をつけるとしたら「接場」なのであるが、セツバとはなんとも語感が悪い。場って字もどうやら手垢にまみれてきたし。
空間づくりとか空間デザインとかいうとまた、古くて胡散臭いイメージにもなってしまうけど、なんというかその人がカウンターに立っているときにお店全体が一つの「ゾーン」になるといいんですよね。何度も書いているけどそれは「一つの話題をみんなで共有する」ということではなくていい。この小さなお店のすみずみまでをみんなで共有することが大事で、そのためにはカウンターの中にいる人がお店全体を一つのゾーン、空間であるように立ち振る舞わねばならない、というわけ。
学校の授業なんてのはまさしくそうだ。寝ている人とか、漫画を読んでいる人、友達とこっそりコミュニケーションをとっている人は、いてもいい(と僕は考えている)。ただし、先生というものはそういう人たちをごっそり含んだ「一つの空間」として、教室を運営し授業を天海していかなければならない。
みんなが授業を聞いている必要はない。みんながノートを取っている必要などまったくない。しかし、それまでまったくこちらに注意を向けていなかった生徒でも、しようと思えばいつでも授業に戻れる(参入できる)ような環境を常に用意しておかねばならない。そのためには教室の隅々まで、そして授業の初めから終わりまで、ずっとそこが「一つの空間」であるように場を監督していなければならないわけである。「窓をあけておく」というのはそういうことでもある。(テキスト「子どもの匂い/窓をあけておく」参照。)
そういうふうに隙(余地)を作っておくことは大事。しかし空っぽの空間は空っぽなので「余地」はない。ある程度なにかがそこにあるからこそ、そこに隙間(余地)は生まれるわけだ。場に種をまくといいますか、ある程度は先生(夜学バーであれば従業員)が何かを用意して、その余地を生徒(お客さん)に委ねる、というようなイメージでもいいかもしれない。もちろん、先生はともすれば授業の大部分を埋める場合が多いけれども、お店の人はそうでもない。たったひと粒の種がいつのまにか店中を埋め尽くし、余地を作るために幹や枝葉を切り落とさねばならない、という事態にまでなる。
そんなふうな面倒なことを僕は言っていますが、こういった小さなお店は楽しもうと思えば無限に楽しめると思うので、ぜひ楽しんでほしいと思っています。(因数分解したくなる。)
2020/07/16木 ※庚申
2ヶ月に一度の庚申の日なので朝まで営業。まず女子校で働いていた頃の教え子がふたり来店。もう二十歳。それからぽつぽつと一人ずつお客が来ては帰り、一晩で計8名。と言うとそこそこ人が来ていたような感じがあるけど、0時を過ぎてから朝4時までは1〜2名。これだけ静かな庚申の日は本当に久しぶりだ。1年目、まだこの行事が周知されていなかった頃はこんな感じだった。2年目以降はだいたい毎回5人前後くらいはいた気がする。
流行病の感染者数は都内だけで286名と過去最多、天気もよくなかった。そんな日にだらだら朝まで遊ぼうという人は、あまりいないということなんだな。おそらく。
2020/07/17金
二日連続で教え子(別の人)が来店。とてもうれしい。それからぽつぽつとお客があったが、金曜としては実に静かなものだった。KKKS(感染者数)も昨日に引き続きとても多く、その影響だろうと思う。用心するのは良いことです。皮肉でなく。「縁起が悪い」という発想が身を守ってくれることも多々あるはず。
不幸は突然にやってくるが幸福は逆で目に見えて少しずつ成長する、と村上龍が『69-sixty nine-』に(たしか)書いておりましたが、ゆっくりと仲良くなっていくことは実感ができる。
2020/07/18土
静土(しずど:静かな土曜日の意)。お客は3人。のっとりと過ごす。
東京を離れていく人がちらほらあるけど、東京には放っといてもどんどん人が集まってくる。むしろ地方に友達が増えていくことを喜びと思おう。再会という言葉は本当に希望。
2020/07/19日
ふらっと見習い人がやってきたのでカウンターの中で練習してもらう。「筋がいい」という言葉は、「血筋(ちすじ)」の「筋」がもとという説があるらしい。血筋というと生まれつきのものでしかないが、たとえば「生筋(いきすじ)」みたいなものがあるとしたら、その良し悪し(もちろんごく主観的な判断になる)や得手不得手、そして相性みたいなものはあるんだろう。その人がどうやって生きてきて、どうやって生きていて、どうやって生きていくつもりか、みたいなことの、筋。
スジというのはたとえば血管や葉脈なんかをイメージするといいけど、一つの筋は一つしかなくて(当たり前)、たくさんの筋が存在していて、みんながそれぞれ活躍して、ひとつの生き物を動かす。だから「筋がいい」と言うとき、それは「自分と同じまたは似ている」という意味ではなくともいい。腕や葉をともに流れるイメージさえできればよい。矛盾しなければ良い。調和したら言うことはない。
血筋は一脈が脈々と脈打つ脈だが、生筋なるもの(「スジを通す」という時のスジはこれに近いのかもしれない)は、それぞれが全体の一部でさえあればいい。出どころが同じである必要はない。葉の場合はわりと血筋に近いイメージで広がってゆくけど、血管とか神経みたいなものなら、人体というひとつの系(全体)のうちの一つで、その中を何か(エネルギー的な?)が循環していくような感じ。なんか、雰囲気でしかないけど。
仲良しとか友達という言葉を僕が使うとき、わりとそういうようなことを考えているのかもしれない。
2020/07/20月 with 菫
菫さんに開店から閉店までいてもらって、流れを一通り教える日。幸運にもちょうどよいくらいのお客に恵まれ、だいたいのことは身につけてもらえたと思う。あとは慣れと、細かいことども。とりあえず8月は月曜日を中心にお願いする予定。
特殊といえば雑すぎるので工夫して言うと、彼女はオリジナルの人間である。なんとも当たり前なことに、彼女以外に彼女はいない。だから「他の人間(たとえば自分)との比較」という視点で見たところで、「違う」とか「違和感がある」という超当たり前の感想にしかならない。「他の人間(たとえば自分)との関係」という視点で見ると、まったく別の話になる。これは誰に対しても同じことで、特段この人に限らない。
で、後者のような視点で見たときに、「興味深い」と思う人がもしいたら、僕は嬉しいのである。これは夜学バーで働いてくれる人たち全員に関して思うこと。
2020/07/21火
久々にお客が少なく、静火(しずか:静かな火曜日の意)。
最近本当に疲れているのだろうか、営業が終わってもすぐに帰れないことが多い。洗い物はできるだけ溜めないようにしていて、手があけば常に洗い物をしているくらいなので、延々とお片付けをしているということではない。長くともみんな帰ってから小一時間で終わる。新聞読んだり「この作業も今のうちにしておこう」といったことが積み重なったり、「くたびれたなー」とか思いながらぼんやりしていると、ついつい時間が経ってしまう。癖がついてしまったというよりは、体調の問題だと思おう。コンディションを整えるために来月はちょっと休養を増やします、という感じ。
僕じゃない人がお店にいることがとても増えると思うのですが、するとやっぱり、お客さんはたぶん減ってしまうんですよね。なぜかというに、「初めて会う人しかいない場」に足を踏み入れるのは、けっこうしんどいので。すでに夜学バーに来たことがあって、僕しか知らないという人は、基本的には僕の日にしか行かない。僕の日に来ていて、たまたまスタッフの誰かと居合わせたら、「今度〇〇さんが立ってる日に行きますねー!」とか「やっと(ジャッキーさんの日以外で)行ける日ができたー」といった言葉が出る。けっこうよく聞く。そういう手続きを必要とする人はかなりいる。
お気持ちはわかるのですが、ぜひですね、初めて夜学バーの重い(観念的な意味で)扉を開けた時のように、ドキドキしながら、知らない人しかいない世界へと冒険してみてください。その時、あなたはあれです、初めて夜学バーに来たお客を一旦演じることさえできます。それをもし刺激的だと思うなら、本当におすすめです。
知っている人のいる慣れた場所に行く、という心地良さもすばらしいけれども、知らない人のいる慣れない場所に行く覚悟や刺激というものも、また大切だと思うのです。前者に浸かりすぎると、ふやけます。まったく知らない新しいお店に入るような気持ちで、よかったら。
まだ夜学バーに行ったことがない、という人は、何も考えずに適当に来てみてください。「違ったな」と思ったら、その次は僕のいる日に来て文句でも、どうぞ。
2020/07/23木
ずーっと一人で喋り続けてしまうお客がたまにいる。その場にいる人たちの様子を見ながら、何かを言おうか、言うまいかを僕は考える。「その話を聞きたい人は今いないので、とりあえずやめてください」という一言の亜種を脳内で無数に作り出し、タイミングをはかってそれを口に出したり、出さなかったりする。どうすべきなのか。その見極めは本当に難しい。直接的なことは言わずにうまくやることが一番いいにはいいんだけど、それがいつでもできるとは僕には言えない。そして、その人に話すことをやめさせたり、口数を減らしてもらったりすることだけが正解というわけではない、という場の状態、というのはきっと存在する。そのままそうしていただくことが、実は何よりもその場にいる人たちの「ため」になる、ということもあるかもしれないのだ。とりわけ、長い目で見たときには。わかりやすくいえば、「自分はどうしたらよかったのか?」ということを考えてもらえるから、とか。「自分はこうしないようにしよう」と思ってもらったり。「なぜそうなるんだろう?」と考えることができたり。いろいろけっこう大変なのですが、そういうことを飽きるほど考え続けることが、たぶんこういうお店を続けていくために最も重要なことなのだと信じて、がんばりまーす。
2020/07/24金
初めていらっしゃった二人連れのお客さんたち。長い時間楽しんで居ていただき、「また来ます」的なことを口々にしてお帰りになった。記録しました。再会があるといいな。
「初めて来たバーが夜学バー」という人はかなり多い。そういう人が「ほかのお店にも行ってきます!」と言って、いろいろ巡ってみてくれるという流れも、けっこうよくある。そういうふうなことが僕には本当に嬉しい。街々のお店を巡り歩くこと、というのが僕の最大の趣味のようなもので、同好の士が増えてそのことについて話し合えるのは本当に幸い。
ただ、夜学バーはあんまりバーらしくないバーで、かといってスナックでも喫茶店でもサロン(とはなんだ?)でもない。それらすべてのいいとこ取りを試みた結果、類似店のない鵺的(ぬえてき)なお店になってしまっている。だから、このお店を気に入った人が、じゃあどういうお店を気にいるのか、ということは、わからない。だからこそみんなはジャンルにかかわからず、いろんなところに行ってくれている、と思う。
「夜学バーは面白かったから次はほかのバーに行ってみよう」よりも、「夜学バーは面白かったから次はほかのお店に行ってみよう」という発想のほうが、たぶん良い出会いに恵まれる。「バー」というジャンルにこだわってしまうと見落としが増える。出会えたはずの素敵なものと、すれ違ってしまう。「バー」という単語を名につけてしまっている人が言うのもなんだけど。
感じた素敵さ、素晴らしさを極限に最小まで分解し、並べて眺めると、街のいたるところにその欠片と同じものがキラキラ光っていることに気づく。というようなイメージを持って僕はいつも散歩しております。
2020/07/25土
僕の古い友達がやってきた。また、ある人とその古い友達もやってきた。いずれも10年をこえる付き合い。そういう関係が空間の中にポーンってあると、ともすればそこが浮きがちになる。そうなりすぎないように心を配るのも仕事の一つ。
居合わせる人がみなそれぞれにコミュニケーションを持ちうるような小さなお店で、「内輪話」というものはまず避けたい。しかし全くないのも不自然。誰かにとってのあらゆる未知に対して「あ、ケンジって子がいてね」「ユミっていうのはその彼女で」と解説を加えるのは逆に野暮だし言われるほうとて気を遣う。知らない話をされたら即不快だというわけでもないんだから、「知らない話は知らない話としてそこに存在していてもべつに構わない」という気楽な状態を作り出すことがより大切であろう。
今日はそのへんのバランスけっこうよかったと思う。知らない話はたまに浮遊する。それが特段いやでもない。そのうえで共有されるものは、足並みの偶然そろった瞬間のようにただ嬉しい。
2020/07/26日
やや静日(しずにち:静かな日曜日の意)だけど、日曜としては特に少ないほうではない。前半は一人ずつ計3名の女の人がきていた。帰り際「一人で夜学にきたの初めて」と言ってくれた人があった。ちょっと嬉しそうに見えた。
初めては一度しかないが、ほかの初めては探せば無数にある。何度も来ているお店であっても新しい初めてはいくらでも見つかるはずで、そこを嬉しがってくれる人はありがたい。
初めては二度めに繋がり、二度めは、ずっと。点が二つで線が引ける。どこまでも伸びていける。真っ直ぐである義務もない。
いったんお客がなくなり、0時近くなって一人ずつ計2名の来店。一人でくるお客が、やはり圧倒的に多い。
あるお客さんと一対一だった時間がけっこう長かったが、前半彼は本を読み、僕はPCで作業をしていた。後半は世間話になった。二度おいしいというか、喫茶店でありつつスナックでもあるようなところ。本を読む間はお酒を飲んでいて、お話をする間はコーヒーを飲んでいた。逆転という感じで面白い。
2020/07/27月
静月(しずげつ:略)、一対一で終わるかなと思ったら22時ごろに一人、23時くらいにもう一人増えた。連休中はそれなりにお客があったが、終わってみれば静化(しずか:静かになること)し、翌火曜のお客も3名であった。
「話し始めればどうしてもその人が場の中心になってしまう」ような話し方をする友達がいて、聞き手に回るときは気配が消えるほど徹底的に聞き手になる。一対一ならかなり上手に話せる人物だが、複数人になると「自分が中心」か「自分は消える」かのどちらかになりがちである。そうでない「いかた」の研究が、当座の僕の興味である。それに満足するまではたぶんこのようなお店をやり続けると思う。そのあとはわからない。ぜんぜん違うことをする可能性もあるけど、何にせよ「現場」からは退かないようにしておきたいな。
2020/07/28火
静火だが充実していた。
この人は何か話したいことがあるのではないか? と感じることがある。それをあえて確認しようと試みるや否や、というのは実に難しい。気配に気配を重ねて、そこにさらに気配が重ねられてまた重ねて……ということを繰り返して、ようやくそういう話は出てくるものであって、直観だけでは動けない。でもそれでいたずらに時が過ぎていつしか手遅れ、ということだってあるのだから冒険が必要なときだってある。その見極めを究めていきたい。
2020/07/30木
KSSSが増えてきている。久々にコーヒーのテイクアウトのみというお客さんがあった。ゆっくりとコーヒーを入れながら四方山の話をする。これがウーロン茶だったら早ければ数十秒で会計まで終わってしまう。コーヒーという時間は実にありがたい。
「湯島 バー」で検索しようとして、まちがえて「湯島小学校 バー」と入力してしまった結果、夜学バーが(当然ながら)ヒットしたのでやってきました、というお客が。おそらく『小学校には、バーくらいある』という本を僕が作ったからそういう検索結果になったのだろうが、ひょっとしたら「夜学」の「学」だけでもけっこう上位に来ていたかもしれない。検索というのはあの手この手で似たようなものを引きつけあうのだなあ。
2020/07/31金
お客はわりに多かった。いわゆる「給料日後初の金曜日」というものらしいが、このお店との関連は詳らかでない。8月3日(週明け月曜)からふたたび飲食店などへの「休業要請」が始まり、世に自粛感が増すのであろうから、そういう意味での「飲み納め」だったというのもありそうだ。雨も降っていなかった。
18歳の大学1年生が「夏休みに何かやりたい」と言うので、みんなで考える。彼にとって良い意見が出たかはわからないが、「みんながいろいろ考えて何かを言った」ということは良かったのではないかと勝手に思う。
あるお客さんが、僕が数年前に女子高の生徒たちに向けて書いた文章を見つけて(そういうのはお店のどこかに隠してある)、まじまじと読んだあとに「これを読んでみて」と、その18歳に渡した。彼もじっくりと読んでくれて、けっこう心に響いたようで嬉しかった。ただ「ジャッキーさんが自分の先生じゃなくてよかった」とも。今このシチュエーションだからまじめに読めたけど、もし高校生で担任とかに配られたら「流してた」だろう、という意味らしい。なるほど。それは「女子高の生徒たち」に向けて書いたので、男子生徒が読むことをまったく想定していない書き方をしている。男子も対象に含むなら、同じような内容でもたぶんもっと違った文章を書いていただろうから、それも読んでみてほしいなあ。(存在しないけど。)
何度か来てくださっているお客さんがバッチリとかわいくカッコよくしてやってきた。「自分の中での解禁日」とのことで、その詳細や内実はよくわからないけど、「うむ!」と思った。
8月は僕(j)の日すくないので、しばらく更新おっそりします。
※追記 10月25日現在、ジャーナルの更新止まっています。書けるだけこれから書きます(第四期)が、8月をはじめ穴のあく日もあるかと思います。その代わりと言ってはなんですが、緊急事態宣言前後から秋ごろにかけてTOPページ「最新情報」に置いていた文章をここに転載しておきます。
以下は、緊急事態宣言発令直前から、現時点(10月25日)での最後の時短営業要請(〜9月15日)が発表される頃までの事情をリアルタイムに綴った文章群です。歴史的価値あり、御刮目を。
2020年8月28日
2020年6月20日
2020年6月11日
2020年5月16日
2020年5月5日
2020年4月23日
2020年4月11日
2020年4月10日
2020年4月6日
【2020/08/28金】
前回のこちらの更新が6月20日。以降の流れを整理しておきます。(歴史資料として。)
19時〜終電という「およそ週6で出勤する店主の体力保全のための省エネ営業」は、8月2日まで続きました。8月3日からは都から時短要請があり、「省エネしつつ20万円をもらえる」ということだったので17or18時〜22時に変更。昨日の発表で、その要請が9月15日まで延長し、追加で15万円いただけるということが報されたので省エネをしばらく続けます。体力と心身の余力を確保しつつ、灯火は絶やさないでいたいのでそのようにバランスをとっております。
7月から新人ふたり(f氏と菫氏)の見習いが始まり、8月から週1〜2日で担当してもらっています。また休まず手伝ってくれているi氏に加えk氏、あすか氏、かりん氏が適宜お店に入ってくれたので、僕(j)の出勤は週1〜2日になりました。久々にじっくり休めて有り難かったです。また、f氏が木、日と週に2日入ってくれて、そのおかげでなんと、8月も無休を達成しそうです。2020年は正月含めまだ1日も休んでいません。(とはいっても、水曜は昼営業のみにして夜を休んでしまっておりますが。ぎりぎりお許しいただきたい。)
9月15日までは22時閉店の時短かつ水曜夜はお休みとし、16日の水曜日から24or25時閉店で水曜夜も再開する予定。国や都との取引、ないし僕や従業員の状況によっては変わる可能性もあります。
ところで、8月とても活躍してくれたf氏は9月10日(木)の担当を区切りとして10月いっぱいまでのっぴきならない事情(極めて前向きな)により、このお店には数日入れるか否か。11月からはたぶんまたしばらくやってくれると思います。ゆえ、その間レギュラーは僕、i氏とk氏(セットで担当)、菫氏ということになります。僕はだいたい週5でお店に出ることになりますが、理想は週4なので、人手としてはぎりぎりのところ。引き続き
こちらに書いた件を強調しておきます。
【2020/06/20土】
6月19日より夜の営業時間を一時的に「19時から終電(24時〜25時前後)くらいまで」にします。開店を遅らせる事情に関しては
6月11日の文章をご参照ください。そのうち17時からに戻します。
19時からにしたことで、僕(尾崎)は日中に時間がとりやすくなります。もし僕個人やこのお店について、もう少し詳しめに知りたい、理解したい、話を聞いてみたいなどのご希望がありましたら、brat.yagaku@gmail.comもしくはTwitterアカウント@brat_yagakuまたは@tkom_Jackyまでご連絡ください。喫茶店にでも参りましょう。すでに面識のある方も、まったくない方も。ただのお約束ですのでご負担はご自身の喫茶代のみです。当たり前ですが僕のぶんは僕が支払います。場所はご相談の上。
夜学バーについてよく寄せられる言葉の中に、「バーは行ったことがないので足が向かない」「夜のお店はなんだかこわい」「実際どういう雰囲気なのか、どういう人がやっているのかわからなくて二の足を踏む」といったものがあります。ではまず店主と会ってみてはというわけです。日中の衆人環視の喫茶店で、400円だか500円だかの珈琲紅茶ジュース代のみで。湯島近辺には喫茶店がたくさんありますしほかの街でも一向構いません。あまり聞いたことのないやり口と思いますが面白そうと思った方はご遠慮なく。どのみち一人でもそのあたりによくいますので。
こういうお店をやっていると、「待つ」ということに慣れすぎて、「約束する」ということが少なくなります。うまくバランスをとれたらと。
【2020/06/11木】
ここ「最新情報」は5月16日でいったん新しい文章を載せることを止め、スケジュールの更新のみにしておりました。今までの流れをざっとおさらいします。
5月26日午前0時に「緊急事態宣言」が解除され、夜学バーは22時まで営業時間を延ばしました。夜の部は17時から22時までの5時間営業となり、まる1週間は5〜9名ていど来客のある日が続きました。緊急事態宣言中は0〜3名の日がほとんどだったので、急増といえます。そこへ6月2日「東京アラート」が発動し、以降またお客は0〜5名ほどに減ります。夜の来客が0ということがそのうち3度ありました。
6月12日0時より東京アラートが解除され、都の基準は「ステップ3」すなわち飲食店の営業時間は24時までが目安ということに。それを参考にして夜学バーも24時までの営業といたします。
6月12日〜14日までの金土日は17時から24時といたしますが、15日(月)以降はしばらく「19時から24時まで」にします。わけはいくつか。
4、5月に夜の営業を週2ペースで担当してくれた若きエースi氏(ここ数ヶ月、夜はほぼ僕とi氏のみで意地のように無休を実現させておりました)も本業が平常通りの出勤になるため17時開店は難しくなります。以前は17〜20時だけ僕が入って到着次第交代しておりましたが体力の限界! 無理すべき時期でもないのでそれに合わせて全体の営業時間も後ろ倒しにしてしまおうと思いつきました。
また、4月11日から5月25日まで「17時から20時(酒類提供は19時まで)」にしていたので、その時間をあえて外そうという意図もあります。
しばらく「17時から19時まで」の夜学バーをなくし、逆にその時間について想いを馳せたいな、という感じのこと。その時間にひっそり粛々とお店を開け続けていたということを際立たせたい、という格好つけです。というのは後付けで、「いきなり7時間営業は疲れちゃうな」というのが本音でもあります。
というわけでスケジュールを組んでみました。ご確認のうえおいでいただけると嬉しいです。
【2020/05/16土】
あす17日(日曜日)は庚申の日。通常であれば朝までお店を開けている日なのですが、夜学バーは31日まで20時以降の営業をしませんので、守庚申も今回はできません。
こちらをご案内いたします。
【2020/05/05火】
5月31日まで、
4月11日や
4月23日に書いた方針を続けます。改めてご確認くださいませ。
夜の営業は無休、17時から20時まで(+ロスタイムでテイクアウト営業)。引き続き尾崎とi氏が中心に担当します。水曜昼は特に変わらない予定です。
5月はそれに加え、べつの時間帯にもお店を動かすかもしれません。ためしに6日(水)は午前8〜11時も開けてみます。よろしければ。
17日(日)は庚申の日なので本来は朝までなのですが、店内営業は20時で終了。21時まではテイクアウト営業し、その後はお店にはいません。
あとは、17時より前の時間、日中もお店を開けるということも考えはしましたが、さしたる意義が思い当たりませんでした。精神的インフラとして存在を続ける、ということが大切だと思っているので、「来店しやすくする」ということは、いまは脇に置いておくこととします。それにしても誰かに会いたい、という方は、なんとか営業時間内に。あるいはご相談を。
【2020/04/23木】
●5月6日まで夜営業は17〜20時→
詳細
●17時〜ソフトドリンクのテイクアウト可。日によって20時以降も。
●「
日報」をまとめた冊子を販売
・600円
・縦書、B6サイズ
・22字×22行×2段組×52ページ(5万字弱)
・書籍用紙(淡クリームキンマリ)90kg、青インク
2020年1月19日〜4月8日までの81日間の日報を読みやすく改訂、大幅に補筆しました。オマケとして「最新情報」や4月9日以降の日報からも抜粋して収録。巻末に書き下ろし名文あり。
国内初の感染者が確認された三日後から緊急事態宣言発令日まで、毎日の営業の様子がどのように変化していったか、その中で僕(尾崎)が何を考えていたかを、まとめて読むことができます。
また、お店をやっていくうえで重要としていること、とくに小さなお店に特有の「考えるべきこと」についてもたくさん書いています。ちょっとした「お店論」「場所論」「空間論」「関係論」のようなものにもなっていると思いますので、「お店」というもの(とりわけバーやスナック、喫茶店のように、複数の人が一つの空間を共有する種類の)に興味ある方は、ぜひ。
【購入方法】
・4月24日(金)以降、
営業時間内にお店で販売します。購入のみの場合はもちろん木戸銭いただきません。j(尾崎)担当の日は20時以降もテイクアウトと物販のみ対応している場合があります。ご連絡(03-5826-4750/brat.yagakuのあとにアットをマークつけてgmailドットcom)いただけると確実です。とくに予定がなければ夜中までお待ちすることもできます。
・通販をご希望の方は
こちらのページに記載のゆうちょ口座に800円(送料込み)ていど振り込んでいただき、送付先住所とともに「振り込みました」とご一報ください。送金の際、「ご依頼人名」や「メッセージ」などに「ヨシダ」とか「ニッポウ サッシ」などと書いていただけると非常にわかりやすいです。
まなび文庫『小学校には、バーくらいある』とまとめて通販でご購入の場合は、600円+1200円+送料300円→2100円を直接ご送金ください。
【2020/04/16木】
東京都の「緊急事態措置相談センター」に電話で確認しました。やはり
4月10日に書いたように休業要請対象の「バー」とは風俗営業の(またはそれに準じるような)お店とのこと。夜学バーのような場合は「飲食店」とみなされ、「5時から20時までの営業(酒類提供は19時まで)」を求められるようです。
ここまでの告知通り5月6日(水)?まで夜の営業は17〜20時、昼は水曜のみ13〜17時です。20時以降はテイクアウトのみ。尾崎(j)担当の日は21時くらいまでテイクアウト待ちしています。お近くにお寄りの方はごあいさつくらいできれば。
詳しくは
4月11日の文章(下記)をご覧ください。
具体的な予定、担当などは
こちら。
日報引き続き更新していきます。
【2020/04/11土】
●5月6日まで夜の営業は17〜20時
(お酒のラストオーダー19時)
●
コーヒー(250cc)、ネーポン、
クリームソーダなどソフトドリンクはすべてテイクアウトできます。同人誌や冊子などの販売(委託含む/新刊準備中)も続けています。テイクアウトや本の購入のみの場合は木戸銭いただきません。
●20時以降はテイクアウトと本の購入のみ可能です。片付けなどあるのでしばらくはお店にいると思いますが、ご一報(03-5826-4750/brat.yagakuのあとにアットマークつけてgmailドットcom)いただければ少し遅い時間でも対応できるかもしれません。遠方の方や、タイミングの限られる方などは、ぜひ。
●テイクアウトを始めるのには理由があります。いま外出にはリスクが伴いますが、さまざまな理由で外出せざるを得ないことはあると思います。湯島・上野エリアに御用のある方もいらっしゃるでしょう。
そのとき、せっかくだから夜学バーに行きたい、行ってみたいと思ってくださるのならば、ぜひともおいでくださいともちろん僕は言いたいです。しかし、まとまった時間を小さな空間の中ですごし、その中で飲食をする(その際はマスクを外さざるを得ません)という行為にはもちろん相応のリスクが伴います。滞在が長ければ長いほど。また、人数が多ければ多いほど。
テイクアウトであれば滞在時間は短くなり、マスクを外す必要もなく、外で待つことさえできます。滞在するのは不安だけど「あいさつ」くらいはしたい、夜学バーというお店の雰囲気を一瞬だけでも垣間見たい、という方はきっといらっしゃる(いてくださる)と想像します。500円(木戸銭なし)からのテイクアウトは、そのために「ちょうどいい」機能を果たすはず。
また、「行ってみたいけどどのていどリスクがありそうな状態なのかわからない」という不安をお持ちの方が店内の様子を知るためにも、テイクアウトはちょうどいいと思います。
もちろん、「大変だろうから応援したいが、座ってドリンクを飲む余裕はない」という方も大歓迎いたします。烏龍茶でもオレンジジュースでも(あれば)お持ち帰りできます。「釣りはいらねえ」もいくらでも。
テイクアウトに限っては「20時まで」という要請にあてはまらないので、多少遅れて到着しても問題ありません。
個人的には、外出は「しないほうがいい」と思っています。世の中全体のリスクを適切にコントロールすることには「全面的に協力」したいという強い気持ちもあります。
ものすごく正直な話をしますと、お客がくればくるほど極地的にリスクが高まるわけですから、以前のようにまとまった人数の人たちが入れ替わり立ち替わり、流動的に「場」を結んでいく、というような営業のあり方は望んでいません。ただせめて「あいさつ」くらいはできる場を確保しておきたいのです。これまでに来てくださった方とも、初めてお目にかかる方とも。そういった人たち同士でも。とりわけ、このような状況にあってこのお店のことをちらりとでも意識してくださっている方々とあらば。
おそらく、ある程度の割合の人たちに「息が詰まる」という気分があるでしょう。すでに、あるいはやがて。そういう人たちが、リスクとも経済とも離れて、「人と会う」ことで息抜きできるような場が、少しくらいはあったほうがいいと僕はいま信じています。病は気からとも言いますし。そのためにこのお店は(状況を見つつ)営業を続けていく予定です。
【2020/04/10金】
4月11日から5月6日まで東京都の要請に全面的に協力します。夜学バーは「飲食店営業」として届け出ており、「基本的に休止を要請」されている業態としての「バー」に該当するのかどうか現時点では確実な判断ができません。ここでいわれる「バー」は風俗営業、すなわち接待や遊興を伴うかまたは低照度の店舗をさすと解釈できるからです。
実際、
東京都の出している資料で「バー」の文言は「遊興施設等」というカテゴリに入っています。「遊興施設等のうち、バーとして営業しているもの」という読み方をして差し支えないでしょう。
「遊興施設等」にはおそらく、「カフェバー」や「ダイニングバー」は含まれません。となると、コーヒーやフードを提供している「夜学バー」も同様の可能性があります。これらは「飲食店」として見なされるだろう、というのがいまの僕の見解です。
同資料において「飲食店(居酒屋含む)」「料理店」「喫茶店」が並ぶのは、「食事提供施設」というカテゴリの中。カフェバーやダイニングバー、ワインバル、スナック、小料理屋、あるいは一般的なカフェ(「カフェー」なら「遊興施設等」かもしれませんが)などは、ここに含まれると考えるのが自然でしょう。おそらく、夜学バーも。あるいは「オーセンティックバー」と呼ばれるようなお店であっても。
「緊急事態措置相談センター」には何度も電話してみたのですがつながらず、この点を問い合わせることはできませんでした。確認が取れるまでひとまず夜の営業は20時まで(酒類の提供は19時まで)とし、ソフトドリンクのテイクアウトや新刊冊子の販売なども順次進めていく予定です。ディナータイムはスガキヤラーメンなどを一所懸命つくります。
(問答無用の休業要請対象であると確認できた場合はすみやかに営業を休止する可能性があります。)
【2020/04/06月】
都知事により「週末の外出自粛」が要請された3/27(金)から 4/5(日)の十日間で、17時以降の来客数は《4、2、4、4、5、3、2、3、2、2》、のべ31人の平均3.1人。重複を除くと20名。
Twitterでの広報を制限(開店ツイートを停止)して目立たないようにしているのもあってか、静かな日が続きます。売上は今のところ3分の1くらいだと思いますが、この調子だと5分の1か6分の1くらいにはなるでしょう。となると家賃は払えません。マイナスが続く見込みです。
お店を開け続ける理由は主に二つ。経済的な理由がまず一つですが、「開いている」ということを確保しておきたい気持ちも強くあります。
人一倍(「誰よりも」と言いたいほど)恐れ、慄いていると自覚しています。調べ、考え続けています。そのうえで可能な手を尽くし、同じく可能な手を尽くした人たちが、静かに対面できる場を用意しておきたいのです。
そのために17時から25時前後くらいまで毎日お店に立ち続けてきたのですが、体力の保持と、他の活動に注ぐ時間と元気をつくるべく、営業時間は少し短縮します。
今後、国や自治体から「休めば休むほど補償します」等の通達があった場合、このバランスは変動し、お店をピッシャリ閉める可能性もあります。場の持続と、世の健康のバランス。
日報だけでなく、この文章もたびたび更新すると思います。思い出したらまた見においでください。
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