存在への対価(すなわち貢献)


 店名 〇一八 店番 018 普通 9577957 夜学Bar brat
 (記号10130 番号95779571 ヤガクバーブラット)

 夜学バーのゆうちょ銀行口座です。「存在への対価」を通貨で渡したいと思ったとき、どうぞご入金ください。
 住所は〒110ー0005 台東区上野2ー4ー3 池之端すきやビル301

 以下、すべて蛇足です。


  ページ作成 2020/03/14
  追記 2020/04/08


「対価」という考え方の苦しいところは、「何かを提供しなければお金を得ることができない」ということだと思います。お店の場合、モノやサービスと引き換えにでなければ、お金を得られません。
 たとえばある飲食店にお金を払いたいと思ったら、来店するほかないでしょう。そして何かを注文し、注文したぶんの代金が計算され、退店時にそれを支払います。
「好きなお店が経営不振で潰れてしまった」というとき、それを嘆く人の多くが「ほとんど来店していなかった」ということはよくあります。なぜかというと、「そこに来店して注文して飲食してお金を払う」という流れが、その人にとって日常的ではなかったからでしょう。
 まずエリア(立地)の問題があり、遠ければなかなか行かれません。夕食をいつも家族ととる人は、ディナーのお店に行くタイミングはほとんどありません。忙しい人は時間が捻出できません。また、提供されているモノやサービスが自分には必要ないが、そのお店は好きだ、ということもあります。好きな床屋があるが、髪の毛はいつも自分で切っているとか。好きな天ぷら屋があるが、揚げものは苦手であるとか。この八百屋は好きだが、スーパーで野菜を買ったほうが楽だとか……。
 これについて、「そういうことではいけない、好きなお店にはちゃんと行ってお金を落とそう」という言い方が昨今よくなされます。しかし「お金を落とす」が目的や動機になってしまうのは転倒です。少なくとも、「行かなきゃ」よりも「行きたい」のほうが美しいはずです。
 お店には必要な人が必要なタイミングで、あるいは好きなタイミングで行くものだと思います。家にごはんがあれば無理して外食することはないでしょう。髪も自分で切りたいなら切ればいいし、天ぷらを食べたくない時には食べなくていいはずです。八百屋よりスーパーで買うほうが都合のよい事情があるなら、それでいいと思います。特定のお店に行くにはそのための十分な時間が必要だし、「交通費」という中間の費用もかかります。
 実のところ重要なのは「好きなお店でモノやサービスの提供を受けること」ではなく、「好きなお店が存在してくれている」こと、そのものだという場合はけっこう多いと思います。それによって人は心強くなれます。年に一度しか行かなくても、それが「ある」というだけで安心できる。嬉しくなる。そういうものがたくさんあると、人の心は、生活は豊かになります。
 ただ、年に一度しか利用しないということは、お店には「年に一度」ぶんの収入しか入らないということになります。それほどそのお店を愛している人であっても、お店にお金を払いたいと思ったら、来店(または発注)するしかないのです。

「お店というのはそういうもんだ、それで淘汰され消えていくのも自然の成り行きだ」と割り切れるでしょうか。
 自分がたくさん行けばお店の利益は増える。そういう人が何人かいれば潰れずにすむかもしれない。しかし「行く」ということのハードルは自分にとってかなり高い。それで行けずにいるうちに「儲からないのでやめます」となったとき、それを「仕方ない」とあっさり思えるか。
 お店というのは「営業(モノやサービスを売ること)によって人々に貢献する」という役割以外に、「存在によって人々に貢献する」という役割もあると思います。
 営業による貢献を受けなくても、存在してくれているだけで自分の心に、生活に貢献してくれているような気がする。そういう愛おしいお店は僕にもたくさんあります。全国各地に好きなお店があって、しかし頻繁には行くことができません。

 夜学バーはあいかわらず(2020/03/14現在)、テキストページにある「あらためて、夜学バーとは」という文章に書いた通りの出納で、店主の夜学バーによる収入はいま月にだいたい10〜14万円くらいと見られます。(むろん「何も引いていない額」です。)大きな資産はとくにありません。
 いちおうライターなどほかの仕事をしていないでもないし名古屋人は財政感覚に優れている(要出典)ので今のところ困ることもなく暮らせておりますし不満もありません。(不安がないとは言いません。)問題があるとすれば、あまりほかの仕事をしすぎると夜学バーの営業や店づくり、自費出版やホームページなど自分が本領だと思っていることに力を入れる余裕がなくなってしまうことです。また、使えるお金が少ないと地方に飛んだり人と会ったりいろんなお店に行ったりするいわゆる「取材」や「仕入れ」(テキスト「『仕入れ』について」参照)もおろそかになってしまいます。
 それで自分が(お客さんや読者や友達から見て)つまらない様子になってしまったら、お店の魅力も減じていき、続ける意義もなくなっていきます。たぶんそうはならないと思いますが、もし夜学バーやこの尾崎という人間を面白いように維持、そして発展させたいと願う人がいたならば、なんらかの形で「貢献」していただけたらありがたいという話です。
 お店は続いていきますし、作品もまたつくります。こうして文章も書きますし、20年間続けているホームページの日記ログは(当たり前ですが無償で)20年分まるまる公開しております。こういう「存在のしかた」は、決して楽ではなく、また簡単なものでもありません……。


 ここからさらに蛇足の蛇足です。

 飲食店が「飲食以外でお金を集めよう」とすると、Tシャツやステッカーなどを作って売ったり、クラウドファンディングをしたり、NPOっぽくやるなら賛助会員や寄付を募ったりといった方法が考えられます。
 賛助会員や寄付、募金、投げ銭といったものは見返り(リターン)を求めないものなので、まさに「存在への対価」を得るためのものだといえそうです。ただ、もしそこにあらかじめ「お金をいただけたらこういうお礼をいたします」という設定があると、それは「お礼への対価」になるかもしれません。

 あるプロジェクトが資金を用意できないとき、その趣旨に賛同する人や応援しようと思う人をインターネットを通じて募り、いくらかずつお金を出してもらうことを「クラウドファンディング」といいます。
 クラウドファンディングにはふつう「リターン」というものが設定されます。
「3000円出資していただけたら、お礼のメールとステッカーをさしあげます」「10000円いただけたら、お礼のメールとTシャツを」「50000円いただけたら、成果物(映画ならそのエンドロール)にお名前を刻みます」「100000円いただけたら、わたしと一日デートできます」といった具合に、原則としてプロジェクトを企画する側が設定し、出資者はその中から希望する「額とリターン」を選択します。
 個人的な考えでは、これはほぼ「モノを売る」のと変わりません。お礼のメールとステッカーを3000円で売り、お礼のメールとTシャツを10000円で売り、成果物に名前を刻む権利を50000円で売り、一日デート権を100000円で売っている形です。
 通常の売買とちょっと違うのは、「等価」っぽく見えないところだと思います。
 おそらくは定型文であろうメールとステッカーに3000円、というのは普通に考えて高額です。しかし出資者はあくまで「プロジェクトを達成させるため」にお金を出すので、「リターン」が出資額に見合わないのは当たり前です。その差分は「プロジェクトに貢献した」という実感と、プロジェクト実現によって自己に跳ね返ってくる利益が未来、埋めてくれるでしょう。
 3000円のうち「リターン」の原価が仮に100円とすると、2900円がプロジェクトの資金にまわることになります。
 非常によくできたシステムです。企画者はきわめて安い経費で多額の出資を得られます。出資者は「自分がプロジェクトに貢献した」ことの証拠を得られ、誇らかな気持ちになれます。「一日デート権」などは一生の思い出になるかもしれませんし、アイデンティティや自己実現にさえ寄与しえます。
 アイドルのチェキ(または配信中の課金など)やホストクラブのシャンパンも似たような構造を持っています。「アイドルに貢献した」という実感、感謝されたり認知される(かもしれない)嬉しさ、またそのお金によってアイドル活動が少しでも長く続けられるようになるのだとしたら、それも利益になるでしょう。ホストクラブでも、その一瞬の充実感や担当ホストからの寵愛だけでなく、そのホストの成績が上がることによって得られる利益や、ホストを続けてくれることによる利益、あるいは永遠に愛しあえる道さえやがて開けるかもしれません。(その可能性がほんのわずかでも高まるかもしれません。)

 クラウドファンディングの肝は「付加価値」です。だと思います。
「プロジェクトが実現することによる利益」だけでいいなら、「リターン」は不要なのです。「リターン」がさまざま設定されるのは、できるだけ「付加価値」をつけたほうが出資額が大きく得られやすいから、だと思います。

「存在への対価」には「リターン」が設定できません。設定すれば、すなわち「リターンへの対価」を求めることになるからです。
「存在への対価」は、「約束」に基づいて発生するものではなく、「これまで存在してきたこと」と「いま存在していること」そして「これからも存在し続けること(への願い)」にのみ基づくものです。

「これをするから、こうしてくださいよ」という契約ではなくて、ただお互いに(自由に)「貢献」しあう、という状況はきっといい。その道すじが開くのを祈り、このページをつくってみました。.


2020/04/08

 上記の文章を書いて25日ほど経ちました。夜学バーの存在に対価をくださった方々、本当にありがとうございます。
 お店というのは商売なので、基本的には営業利益のみで成り立たせていくべきもの。4月1日に三周年を迎えた夜学バーもいちおう「成り立つ」という状況にはあります。僕(尾崎)一人であれば霞くらいは食べていけますが、人並みの収入にはほど遠く、コーラを飲んだりクリームをなめたりする余裕はあまりありません。すると夜学バーがその機能や魅力を十全に発揮するのが難しくなります。
 時間的、経済的、精神的に余裕があってこそ、発展や洗練が目指せるようなお店になっている、と現状は思われるのです。僕があんまりいろんなことに「手いっぱい」になってしまうと、お店を素敵に楽しくしていく試みが思うようにできず、結果としてだんだんつまらないお店になっていき、やがて存在できなくなってしまうこともありえるというわけです。

 ほんとうは「儲かるシステム」をまず確保して、同時に「機能や魅力」も拡張していくことが望ましいのでしょう。そうできているすばらしいお店もあると思います。しかし僕にはたぶん、その能力や資質がありません。夜学バーの「機能や魅力」を底で支える美意識は、なかなかその領域を想像できないでいます。

 このお店は、ごく広い意味で教育機関としての役割を果たしていると思います。それはもちろん「若い人を育てる」という枠にとどまらず。「じわじわと世の中をイイ感じにしていく」ような存在であると思っておりまして、お店のあらゆる考えや判断は常にそれを意識してつくられています。

 お店として、年齢を問わず人と相互に影響しあい、当然世の中とも繋がって補強しあう。その「影響」や「補強」が、僕や従業員やお客さんたちにとって「良い」と信じられるものであるために力を尽くす。それが単なる「閉じた一派」にとどまらぬよう、たえまなく世界に開きつづけて、「どうでしょうかね?」と問い続ける。極端な事態を避け、少しずつ、じわじわ、やさしく。
 だれとも喧嘩しないで、仲良しの発想を胸に。どことも徒党を組まないで、孤高たる友達を探す。よその得意なことはよそに任せて、自分のするべきことをなす。
(この段落はわかりづらいのであとで四回くらい読んでいただけると非常に助かります。)

 そういったことを考えるのに夢中で、「成り立つ」(霞くらいは食べられる)というレベルに経営はとどまってしまっています。言うほど貧乏ではない(現金が少なくても今のところは楽しく暮らせている)のでご心配は無用ですが、もし夜学バーをさらに善くするための焚き木をくださる方がいたら、とこのページを作ったのでした。

 今日までに多くの方から、それぞれの大きさで、それぞれの言葉で、志をいただきました。本当にありがたいことです。
「それぞれの言葉で」というのは、通帳に表示される半角カタカナの文字列(最大13文字)のこと。通常は振込人の名前だと思いますが、「ソンザイヘノタイカ」としてくださった方もおられますし、それぞれでした。郵便局を使うとこういうことが面白いです。他の銀行でもできるのかな?
 今のところ、記名と匿名のバランスは4:6くらい。いずれにしてもうれしいです。ありがとうございます。郵送でマスクなど送ってくださった方も。そしてお店に顔を出してくださる方も。声をかけてくださったり、内心で想ってくださっている方も。
 これでつぶれずにすむ、というような話ではありません。どうあれ当分の間、経営的には倒れることはないはず。もちろんここしばらくの感染症の影響(あとから読んでピンとこない方は、調べてみてくださいませ)で、一時的にかなり凹むのは間違いありませんが、いろいろ工夫して、存続させます。

 1月末から、恐ろしいほどに経営は落ち込んでおります。緊急事態宣言の出ている向こうひと月はさらに少なくなるでしょう。このペースだと売上(利益ではなく)は5〜10万円くらいということもありえます。しかしすべてのみなさんのおかげもあってそうそう困ったことにはならなさそうです。重ねてお礼を申し上げます。
 上のほうにも書きましたが、お店との関わり方は「行く」ことだけではないし、「お金を出す」だけでもありません。あらゆる好意的な関係に最高の感謝を捧げます。

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