文責は尾崎(Jacky)。夜学バー日録。
2022年後半(7月〜12月)

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2022/07/01金 17-25j
 ぐうたらの月が終わった! 7月はフルスロットル!! みんな待ち焦がれているかな〜? みたいな淡い甘い期待はやはり甘くて淡かった。「1ヶ月もお店ほっといたくせしてなにを虫のいいことを!」という声も(幻聴として)聞こえてきた。
 僕は常々「イベントよりも日常」と言ってきていますから、「営業再開需要」なんてものはないほうがいいのです。平熱がよいです。しかしこの7月頭の金土日は明らかに「平熱未満」という感じだったので、「死食った!」と思いました正直。でもなにが原因でもないのです、いろんなことが絡み合ってそうなっているというだけなので、あんまり気にしても仕方ありません。
 たとえば、経験則でしかないですが新型コロナウィルス氏の感染者が増えると、すこぶるリテラシーの高い(慎重とも言う)夜学バーのお客さんはしっかりと減ります。えらいもんです。ある程度はそれでいいと僕は思っています。静かにお行儀よくいてくださる方にはぜひおいでいただきたいです。距離とって常時換気してぼそぼそ話すことによって感染することはほぼない、というのが実のところ僕の理解です。逆に、距離とって常時換気しててもでかい声で喋ってればそれなりの確率で感染すると思います。もともと大きい声が僕は苦手なので、堂々と「お静かに」って言えるのは個人的にけっこう気楽です。
 まあ、エンジンってのは徐々にあったまっていくもので。聡明な人は慎重で、慎重な人はすぐには動かず様子を見ます。
 そういう、誰もいない日に限って逆に来がち、みたいな人はいて、そんなに来店頻度が高いわけでもないのに「2人っきりの時間が何時間も続く」みたいなことが何度も。今日もそう。「今日は混んでるんだと思いました」とその方は言う。僕もそう思った。しかし世の中ってのは実のところそういうふうにはできていない。逆張りの星の元に生まれついた僕らなのかもしれない。
 結果、お客は3名。うむ!

2022/07/02土 17-25j
 日中は「夜学集会」さんに場所をお貸しした。途中から僕も会議?に参加。開店すると早い時間にお客がお一人。小沢健二さんの話などする。その方お帰りになり、しばしまたヤガシューのみ。みんなでがんばって(本当に頑張ったのだ)某作家へのメールインタビュー原稿(ほとんど対談)を作成。その後ポツポツと3名、20代男女女。楽しかったけど土曜日としてはもうちょっと、という感じ。
 奈良県天理市に旅行で行っていた、という方と、熱き天理教談義。僕は特定の宗教を特に信ずるものではありませんが、天理市の在り方と、天理教の教義や歴史はかなり好きです。本当に怪しい話ではなくて。だって中心となる教えが「陽気ぐらし」ですよ。陽気に暮らすと、神様がよろこばれるから、我々は陽気に暮らさなきゃいけないんですよ。すごいなー。あと天理の商店街にある酒蔵の日本酒がめっちゃおいしいです。

2022/07/03日 17-25j
 2日続けてお昼は「夜学集会」に貸し出し。ダチュラフェスティバルの打ち合わせと冊子用インタビューをしていたらしい。自分たちの好きなミュージシャンや作家に熱烈オファーして、断られたのもあれば引き受けていただいたのもあって。いろいろありながらも準備進んでいるようです。がんばれー。
 女子2人お出かけし、男子1人だけ残って、お互い仕事をカタカタ。たまに喋りながら。けっこう捗った。男子も帰って瞬間グランドスラム。しばし誰もいない。そこへ初来店の二人連れ。「上野でバーを探していて」とのことだったが、なかなかどうして、夜学バーにめぐりあうべくして来たような。いきなりイヴァン・イリイチの本を手に取ったのは「おお」と思いました。やはり日曜はすごい。すごいすごいと連呼しても今日だってほかにどなたもいらっしゃらなかったのだから、日曜の夜は本当にすごい。

2022/07/04月 17-25j
「一対一で数時間過ごす」というのが3回あった。3本勝負。
 まず、最近顔を出してくださるようになった方。ぽつぽつと話したり、どっと話したり。少しずつ少しずつ。いつの間にか話題が広がっていくことが嬉しい。お家が近いのでおすすめの喫茶店や作業用カフェをお教えするなど。
 次に、「夜学バーが一番仕事できるんですよ」と言ってくださる方。東京西側にお住まいなのにわざわざ寄ってくださるということは、本当にお仕事捗るのでしょう。お互いカタカタと進める。たまに話したり。自分が編集者とかライターだったら(いちおうどっちもやっているのですが)、行きつけのバーでお酒やコーヒー飲みながら存分にカタカタしたいので、そういう需要を満たせているということは実に嬉しい。
 お帰りになって少し後、また別の方。よくお酒を飲む人で、僕もいくらかいただく。いちおうお酒の店をやっているので酔っぱらってもらえると嬉しい。もちろん嫌な酔っぱらいかたでなければ。酔っぱらいかたにもいろいろあるのです。

2022/07/06水京島店)→17-29j ※庚申の日
 京島店の準備をして、約3時間だけ営業したのち、湯島へ移動して朝まで。拘束時間でいえば20時間近く 働いたことに。翌日はまた京島店なので14時間くらい拘束(というか自縄自縛)。うーむ。よく「いつ寝てるんですか?」と聞かれますが平均8時間くらいたぶん寝ています。↑こういうことがあると2日で10時間くらい(それでもなんとかそのくらいは確保する)になるけど、翌日11時間寝て「3日平均7時間」にする、みたいなのが大概。なんてこと言うと「人間って寝溜めできないんすよ」と言われるのだが僕がしているのは寝溜めではなく「寝ない溜め」なので……。また「2〜3日の平均で考えるのはアリ」と昔ものの本で読んだ。睡眠についてはなにが正しいのか本当に見極め難しいけど。とにかく7〜8時間くらい寝て、起きる時間を一定にすればよいのだと信じております。あんまりできてないけど。
 庚申の夜、24時までに7名のお客あり、24時までにみなさまお帰りに。無人になってしばらくして2名来店。ひとまず朝までさみしくはなかったです。※60日に1度の庚申の夜は、決して眠ってはならぬという言い伝えあるのです
「庚申の夜にこんな早く帰るなんて……」と惜しんでくださった方がお二人おられました。たとえば「2年」という歳月、経てば生活スタイルも変わります。大学生だった人が会社員になってたりもします。庚申の日は曜日を選びませんので、約7分の5の割合でつぎのひ平日なのです。
 なぜこの習わしをいつまでも続けるのか? ほぼ意地ですが、楽しいのは確かです。昔の人の気持ちも少しはわかるような気がします。
 次回は9月4日、日曜日です。しばらくはないと思いますが、4月から10月くらいまでの間に翌日お休みの庚申があれば、「夜学バーと上野公園の二会場開催(サーキット庚申)をやりたいので、公園係を募集します。公園でランタン置いて宴する、その管理者を。お店のほうには僕がいます。途中入れ替わったりしてもよいです(公園でも遊びたい)。ご興味あらばぜひなにかしらの方法でご連絡を。

2022/07/07木京島店

2022/07/08金 17-25j
 この日のことはあんまり覚えていない……いや覚えてはいると思うのだが、なぜか引っ張り出せない。安倍晋三さんが撃たれた日で、まるで号外のような夕刊が届いた。お客さんとはその話をしたか、あえてしなかった(意識はしたはず)と思うのだが、その記憶があんまり浮かんでこない。覚えている方、ぜひ教えてください。
 広島からいらっしゃった方が来たのはこの日だったかな?

 世間に大事件があると、「ほかの人はどういうふうに感じ、何を考えているのだろう?」と僕は思う。こういう日にも人と話せる環境はかけがえなきもの。遠慮せず、覗きにおいでください。特定の思想はありませんが、ふざけることがあります。その点のみご留意を。

2022/07/09土 17-25saku、j
 夜学集会(ダチュラ・フェスティバル運営)のsaku氏が22時くらいまで担当。僕はカウンターで、かつての生徒とSPI(的なもの)の支援をしたり、夜学集会モエ氏のインタビュー原稿の支援をしたり。かつての生徒は高1、高2と国語を受け持っていた。それがもう大学4年生。時の経つのは早い。いまだ僕と仲良くしてくれて、頼ってくれるのはとても嬉しい。いまだにジャニーズのコンサートとかちゃんと(?)行ってるのも心強い。
 みんな交代してくんですけど、僕だけは交代する気ありませんから。

 saku氏けっこう手慣れてきている。まちくた氏、モエ氏もそうだが夜学集会の3人(みな高校生)は「複数の人に同時に話しかける」ということをあるていど自然にやれているように見える。意識してやってくれているのかもしれないが、意識したとてそう簡単にできることでもない。若いからとかそういうのあるのか? だんだん失われていく力なのか? 単に今は僕の目にそう見えているだけ?
「複数の人に同時に話しかける」は、できない人は本当にできない。少しでもできている自覚がもしあれば、その感覚を忘れずに、広げたり伸ばしたりしていってほしいと思う。世間で必要な能力とは別に思わないし、バーに立つ人間として必要とも思わない。しかし夜学バーのカウンター内では(驚くべきことに)必須なのであります。
 というようなことを考えていたら、7月26日(火)の夜に行われたヤガシュー(夜学集会)3人と僕と武富健治先生との「ペンタ談」で、そんなような話が出ていた。ふだんヤガシュー3人でやっているスペース(Twitterの会話配信機能)では、「相手に対して言葉を投げるというより、誰にともなくその場(空間?)に言葉を投げている」(J訳)というようなことを誰かが言っていた。それが彼らの総意であり、ほとんど毎日行われているスペース会談の中でその能力がより育まれていくのであれば、彼らはまさに「夜学集会」の名にふさわしい資質を備えている、少なくとも備えつつある。夜学バー空間の根幹をなす「複数の人に同時に話しかける」というのは、結局のところ「場に言葉(等)を提出する」というのとほぼ同じだから。
 アーカイブは近日中にダチュラジオとしてUPされるはずなので、よろしければ聴いてみてください。

2022/07/10日 17-25j
 1991年7月10日はフリッパーズ・ギターというバンドがラストアルバム『ヘッド博士の世界塔』をリリースした日。それから31年。そんなこと露も知らぬであろう大学院生の若者が「ジャック・ターをください」と。
 ジャック・ターとはロンリコ151とサザンカンフォートとライムジュースをシェイクしてクラッシュアイスに注ぐカクテル(夜学バーではそう作ります)なのだが、実はかの有名な『Doctor Head’s World Tower』という小説の作者と同姓同名。(ただし綴りは、カクテルのほうはTar、作家のほうはTarrであるらしい。)(どういう事情か31歳くらいで夭逝したこの天才の名は文学史上のどこにも見られない。)
 31年前の話なんか書くとジャッキーさんというのはいったい幾つの人間かと思われるかもしれないが、いや世間では中学生がYMO(1978結成、1983散開、その後は略)の話をしていたりするわけだから、分らぬもんですよ。『分らぬもんですよ』(You Never Can Tell、1897)というのはバーナード・ショーの戯曲のタイトル。どうでもいいですよ。

 新潟は内野なる「ウチノ食堂」で夜学バーをすすめられて、という方がご友人を連れて。人生に迷っている、というような話をウチノ食堂の店主にしたら、「では夜学バーに行ってみたらどうか」みたいな話になったという(聞いた話を思い出して書いているので詳細な事実は不明である)。遠く遠く繋がれてる君や僕の生活、そして人生。LIFE。数百キロの距離を超えて、人が人を運んでくれる。なんというロマンティックなことだろう? こういうことだから僕は時々旅に出て、誰かと友達になって帰ってくるのである。

2022/07/11月 17-25j
 今日は個人的な記念日。なにかというと僕が高校1年生の時にひらいたホームページのおたんじょうび。何周年かはひみつです。
 だからといってお客がたくさん来るわけでもなく。高校1年生の時に同じクラスだった友達が数年ぶりにきてくれたけど、彼は今日が記念日だと知らなかった。偶然来るのはむしろすごい。持ってる。で、「実は離婚しそうで」みたいな話を持ってきてた。持ってる持ってる。
 お店の電話が鳴り、「前に行ったことがあるはずなのだが場所がわからなくなった」とのことで、いまどこにいらっしゃるかを聞いたらだいぶ遠いところ(ローソン)あたらいにいるとのこと。丁寧に道案内をしたが、なかなかいらっしゃらない。換気のため開けっぱなしにしている扉から何度も階段を上り下りする足もとが見える。建物まではわかったが、どのお店かがわからないらしい。前に来たことがあるのでは? 三階なので泥酔客は基本的に来ないし、来たとしてもリピートするとは考えにくいので、本当は初めてなのではないかと疑いたくなる。お話ししてみたらもちろんというか、嘘をついている感じではなかったのだが、お互いに要領を得ない不思議な感じではあった。税務署……公安……麻取……いろんな可能性が頭をよぎったが、よぎっただけで、良いお客さんだった。僕もよっぽどの方向音痴だから迷うのはわからないでもないです。上京してしばらくは毎日自分の家を泣きながら探していたのを思い出す。そうまでしておいでくださってありがとうございます。ぜひまたを。

2022/07/12火 15-21まちくた、あすか

2022/07/13水 京島店→17-22まちくた、j
 cac2。そこに僕を含めた3人はもう、10年以上の付き合いになる。そういう日もある。
 僕はカウンターの外に出ると基本的には「客」としてのふるまいになる。知らない人や慣れていない人がいればそれでも気を張って全体のバランスを考えるが、慣れた人ばかりだと、あるいは人数が多くて「かたまり」になることが自然のようであると、ちょっと無責任に自由になる。まあつまり普通のお客くらいの動き方をする。こうなるとカウンターの中にいる人は難しい。お客同士がみな10年という知り合いになるわけだから、「お店の中心にいるのにひとりだけアウェー」みたいになりかねない。さらにお客同士にも独特のバランスがあって、どのようにバランスを取ればいいか、よくわからなくなると思う。
 僕だったらどうするだろう。お客の3人が完全に2&1に分かれているようなら、2のほうはとりあえず置いといて、1のほうへ意識を向けるかもしれない。あるいは、1,1,1に分解するよう持っていくか。3人があるていどまとまっているようなら、気配を消す時もあるし、適度に(もちをこねるように)参入する場合もある。こっちが司会者になっちゃうようなこともある。いろいろとすべはあるので、ともかくいろいろやってみる。
 なんにせよその時間が自分にとって良い時間にならなければもったいない(僕の個人ホームページの日記2022/07/31参照、探せばすぐ見つかります)。その意味で、夜学バーの店員は決して「奉仕者」ではないし、「我慢」すべきことなど原則ない。むしろ貪欲に自分の利益を取りに行かねばならない。そうでなければ、もっとちゃんと儲かる商売をやればいい。儲からない代わりに、営業中に自分の利益を最大限に得てやろうというのがこのお店の「ビジネスモデル」なのである。

2022/07/14木 京島店

2022/07/15金 17-25j
 打ち合わせでヤガシューの人一人きている。昔一緒に同人誌を作った女の子(当時中3〜高1)が「ネームを見てほしい」とやって来る。もう10年近く経っているのに、まだ同じように頼ってくださるのはありがたいことだ。ヤガシューの人もう一人くる。お仕事帰りの方、ネットで知ったらしい二人連れの若者、友達などなどいろんな「関係」の人たちが一堂に会す。と言っても入れ替わり立ち替わりなので、店内にはせいぜい4〜5名という感じ。

2022/07/16土 17-25j
 だいたいこの日くらいからお客が減ってくる。これ書いてるのは8月3日だが、振り返ると7月後半は本当にさっぱり妖精だった。1日に本当は10人くらいお客があると嬉しい(夜学バーがサステナブルたる要件)のだが、僕が非番だった日を除いて計算すると平均客数は3.66名。月末少し回復してきて、31日は8名の来客があったが、そこを除いた場合は3.27名まで一気に下がる。5人くらい来た日はまだいいが、1人とか2人という日はちょっと苦しい。なぜだか何倍も疲れちゃう。「水商売」ってのはそういうもんだからしかたないし、そのギャンブル性が醍醐味だったりもするし、そこに惹かれて僕もやってる部分はあるんだが、ネガティブな気分の日が多くなればモチベーションは乏しくなってくる。そういうこともあって「京島店」はもうやめよう、とこのくらいの時期には考え始めていた。いつまでもあると思うな店とJ。僕だっていつまでこういうことやってるかわからない。会える時に会いにきてほしいものだ。いきなり隠遁する可能性だってなくもないんだから(脅し)。まあ、僕のことを良く知っている人ほど、「ジャッキーさんが人と会う場をなくすわけないじゃん」って思うんだろうけど。それはもちろん当たってると思いますが、僕ですら予想もできないようなことは訪れるです。
 思い出話をすると、僕のC匠にあたるYさんという人は、S宿のGールデンGというところでM銘K茶というBーをやっていたのだが、6年くらい経営したところで引退してしまった。それから2度と彼はカウンターに立っていない(厳密には数える程度にはあると思う、僕も一度だけ依頼したし)。僕が彼のお店に通えたのはそのうち半分程度、たった3年くらいの間だった。その間に学ぶべきことは学びきったとは思うし、彼との関係は常に良好なので個人的にはあまり問題ないのだが、あのお店を、あの空気感を、あのさりげない技術を他の人に味わってもらうことはもう不可能なのだというのは実にもったいない。
 現役でいることの重要性ってのを僕は強く感じるが、現役でそれをやっている間は他のことができない、というのもまた事実。僕が別のことをやりたくなったら、あるいはやる必要を感じてしまったら、やっぱりプレイヤーとしてここに立つことはなくなってしまうかもしれない。もちろん「生涯現場にいる」ということに憧れはあるし、それが正しいとも思っているけど、正しさは一つではない。「現場」だってあちこちにいくらでもある。僕だって一度は「教壇」を終の現場に検討したことはあったのだ。
 そういうことを踏まえて、限りある夜学バーの時間を楽しんでいただければと思っております。この日のお客は5名。夜中、Yさんの経営する株式会社Aひる社の7階をA羽通明先生が半ばジャックしてやってる古本屋「どら猫D」からハシゴしてきたお二人。まさかYさんとA羽先生がこのように繋がるとは、20歳の僕は想像もしていなかった。何をしてたってどこかで繋がっている、というのなら、一つの現場にこだわることは別にない。僕がどうしてもこだわって残したいのは15歳の時に開設した「ホームページ」くらいなのかも。

2022/07/17日 17-25j
 お客さんが甥っ子を連れて。「おじさんになじみのバーに連れていってもらう」というのは非常に素敵なシチュエーション。選んでくだすってありがたいです。その後はほぼずーっと静か。一人きて、しっとり飲んだのみ。

2022/07/18月祝 14-21RMP、21-25j
 RMP featuring まちくた。お客は2名。2名? そう記録にあるからにはそうなんだろう。11時間営業して2名。2名か。まあしかたない。そういうもの。
 まちくたさんの数年来のインターネット上のご友人がいらっしゃって、お客少なかったとはいえなんとなく夜学バーになじんでくださっていたような気がする。それだけで全て良し。そういう意味でも時空が歪んでいる。なんというんですか、このお店では時間の在り方が一定でない。そこが我ながらゲージツ的と思う。

2022/07/20水 17-22まちくた、j
 この日もお客は2名。二人連れで、僕は一度会ったことがあるが、まちくたさんは初めてというパターン。13日の場合と似て、難しい。
 細かいことはまあ置いといて、ともかく「世の中をよくする」「自分に利益をもたらす」「好きな人にも利益をもたらす」「好きな人を増やす」といったことが夜学バーの根底にある(数少ない?)理念で、そのためには「他人をまず対等と仮定する」「目の前に見えているものが全てではないと言い聞かす」などなどの具体的なコツが必要になってくる。何より「現状は自分によって変えられる」ということ。それがなかったら、こんなお店には全く意味がない。

2022/07/21木 京島店

2022/07/22金 17-25j
 通りすがりの男性がいらっしゃる。たまたまヤガシュー(夜学集会、ダチュラフェスティバルを主催する高校生たち)の2人に挟まれる形となり、「何も知らずに入ったバーで高校生がイベントの打ち合わせをしているとは……」とたいそう(ポジティブに)驚いてくださった。このかたはどうやらとても落ち着いた良い方で、後にまたご来店くださったので、ヤガシュー間接的に夜学バーに貢献してくれてる。ありがとう。
 18〜19歳の若い男子がご来店。僕の友達の友達らしかった。「とにかく行け、行っていろんなことを吸収してこいと言われた」とのこと。いろんなことを経由していろんな人が来てくれる。よろこばしい。来客数や売上とは別のところで、このお店は少しずつ育ってゆく。これで良い。僕が飢えて死ななければ、これで良い。(みなさまおこづかい喜捨ください。)
 お酒飲める年齢の方々もご来店。500円や1000円で帰る人もいれば、3000円、4000円と払ってくださる方もいて、それぞれにそれぞれの大きさで売上面も支えてくださっている。おのおのに楽しんでくださっていたら幸い。うまいことやっていきましょう。

2022/07/23土 17-25j
 土曜日、お客は2名。読めないものです。やっぱりどうしてもこの2年半ほどで「お客」は減少している。それは仕方ないし当たり前のこと。のんびりやっていくしかない。じっくり種を蒔き続けるほかになし。それに、目に見えるお客さんは減少しているかに思えても、「潜在的顧客(行こうかな、行きたいなと思ってくれている人)」は減らない。むしろ増え続けている、はず。
 一人はかなり昔からたびたび(数ヶ月に一度くらい?)飲みに来てくれている人。もう一人はたしか今年の頭くらいから通ってくださっている方。案外偏らず、楽しくやっております。

2022/07/24日 17-25j
 この日のお客は1名。思えばこのあたりが「感染者数の急増によってお客さんが減った」という現象のピークだったと思う。面白いことに、ここから特に「感染者数」が減ったわけではないのに、じわじわと来客は増えていくのである。こんな小さいお店の来客数で統計的に有意なことが言えるわけないのだが、それでも世の人々の心理をそこについ見てしまう。そしてそれはそんなに間違っていないように僕は思う。
 もう2年半、そのようなことが繰り返しているのだが、未だどっしりと構えてることはできない。焦ったり寂しかったり、虚しかったり、いろんな気持ちになる。それら感情が浮かんでくるたび「執着せず空へ逃がす」をやらねばならない。ほとんど座禅である。

2022/07/25月 17-25j
 来客数の変遷を書いてみよう。7月1日から31日までのうち、僕のいた日のみを並べてみる。おおむね17時から25時までの8時間営業。

<3→4→2→3→9→7→9→5→5→2→8→5→3→2→2→5→2→1→3→(10)→3→5→5→7>

 月の初めは緩やかで「3→4→2→3」(1日〜5日)、この間の感染者数は「3546→3616→3788→2772→5302」。
 その後、「9→7→9→5→5→2→8」(6日〜15日)のあたりはそれなりに盛況だったのがわかる。この間の東京都の感染者数は「8341→8529→8777→9716→9482→6231→11511→16878→16662→19059」。
 そして「5→3→2→2→5→2→1→3」(16日〜25日)と落ち込んでいく。この間は「18919→17790→12696→11018→20401→31878→34995→32698→28112→22387」。
 そして26日に謎の特異点が現れる。カッコしているのは僕が非番だったため。27日以降も、じわじわ増えている感じなのがわかる。感染者数は「31593→29036→40406→36814→33466→31541」。

 だから何? ということではある。単純に「感染者数が多ければ人が減り、少なければ人が増える」ということではない。いったい何が言えるのか。ひとまず僕の体感のみを根拠に、思うことを記録しておく。
 月の初めに人が少なかったのは、「6月ずっと休んでいたから」というのもあると思う。まだバッファの期間というか。その後増えるのも、「6月休んでいたから」という事情が少しはあるかもしれない。ようやく「営業している」ということが周知されてきて、「再開していきなり行くのもナァ」という人の腰も上がってくる。
 ただ、感染者数から何かを言うのだとしたら、「急増しはじめの時に客は来る」のである。これは前々からなんとなく思っていた。「やべ、もうちょっとしたら飲みに行きづらくなるから今のうちに行っとかなきゃ」と。
 具体的には、感染者数が4桁の時は「まだ慌てるような時間じゃない、今のうちに行っとこう」という気持ちになり、5桁になってほんの数日で20000に手が届きそうなのを見て、「あ、やべ」と控えるようになる、というような。もちろん、こんな数字を毎日チェックしてるのは僕みたいなやつだけで、普通の人は報道やネット等の「ノリ」を感じて行動を決めているのであろう。たぶん月の頭くらいには「はーい、また増え始めてきましたから、控える準備をしましょうね〜」という空気ができはじめ、16日ごろからは「はーい、そろそろやばいっすから控えましょうね〜」という空気になってきていたんじゃなかろうかな。
 ではなぜ、26日(以降)に人は増えるのであろうか? 数字だけ見れば単純には「30000台が3日続いたあとに20000台が2日続いた」ということではあるが、曜日の問題もあるし、繰り返すがみんなそこまで数字を見てなどいないと思う。「とりあえず控えてみたけど、もういまさら我慢するのもなんだし、周りを見回すと案外みんな控えてもないみたいだから、まあ適当にやりゃよさそうだな」という感じと見る。つまり25日くらいまでの静けさは「とりあえず静かにして様子を見よう」であって、26日以降にお客が来はじめるのは「どうやら別に静かにしていなくてもよさそうだぞ」という判断、なのではと。あと、給料日?(意外とそんなもんだったりもする。いろんな要因が複雑に絡みあって現象は目に見える。こんな文章はただの遊びに過ぎない。)

 先にも書いたが、こんな小さなお店の来客数の揺らぎによってまともな分析ができるとは考えていない。ただ、この珍妙な時代に夜学バーと世の中がどのように並走していて、そこで僕がどのようなことを考えていたのかというのを、歴史として残しておきたいという気持ちがある。
 とにかく僕は毎日のようにお店に行って、そこにどんな人が、どのくらい来るかというのを見て、それを通して世の中を見ようとしてみている。とりわけ、初めての人がどのくらい来るか、というのは重要な指標である(たとえばなぜか「急増しはじめの時」にこそ初来店の人が多い)。もちろん自分のお店だけを見ていては見誤るので、できる限りたくさんのものを見て比較検討した上でものを言っているつもりではある。なぜそんなめんどくさいことをするのかというと、さみしいから。「お客さん来ないなー」と思ってお店で待っている間に、つい考えてしまうという、ただそれだけ。
 人はべつに数字では動かない。数字に応じて「世の中の他の人」がどう動いているのか、という空気の揺れを、肌で感じて動く。そのことがよくわかるから、この2年半は面白い。ただ一方で、すごくさみしい。僕はそういう「空気の揺れ」とは無関係に生きているつもりで、夜学バーの役割というのはそこにあると信じております。

2022/07/26火 15-21まちくた、あすか

2022/07/27水 京島店→17-22まちくた、j
 静かな日であった。唐突だがお店をやるのは本当に楽しい。我が母校の祖、大隈公による『大隈重信演説談話集』(岩波文庫)を古本屋100円で買ったのでさっきパラパラと読んでいた。

「我輩の主義として、訪問して来るほどの人には事情の許す限りは面会することとしている。それで老人も来れば青年も来る、貧乏人も来ればまた若い婦人も来るので、昼間は新聞を見る暇さえない(P25)」
「我輩は門戸開放主義で誰とでも喜んで話をする。この国府津の別荘に来ておっても界隈の爺さん婆さん漁師どもを捉えて話をするが、なかなか面白い。大分お馴染みも出来、得るところも尠なくない。で、今日の先輩諸士を見ると、青年に鎗込められると自己の估券が下がる様に思って、墻壁を設け、自ら高うして常に面会する事を避けている。これは実に愚の至りであると思う。なるほど今日の青年はなかなか怜悧である。我輩も時々鎗込められる事があるが、しかし色々の人と接触してみなければ広く智識を得られるものではない。」(P41)

2022/07/28木 京島店(終)

2022/07/29金 17-25j
 先日たまたま通りかかってイン!してくださった方がふたたびのご来店、「二度めは、ずっと」と言いますがとても嬉しかった。早い時間に数名のお客さんがあって、とても楽しい時間を過ごしたのち、お一人を残して皆様お帰りになり、それから数時間一対一であれこれのことを話す。贅沢な時間。そんなに頻繁に会うわけじゃなくても、少しの時間を何度も何度もともに過ごして、何年もかけてだんだん仲良くなっていくのは、お店をやっている幸福の一つ。

2022/07/30土 17-25j
 最近は夜が早い。22時くらいになると誰もいなくなる。7月は25時まで意地のようにお店を開けていたが、さびしい時間が多かったな。いろんな方がおいでくだすった。「友達には言えない」ような話をぶちまけに来てくださる方がいたり。これはまさにバーとかそういう、世間的な「利害」なるものの存在しない関係の場ならでは。いくらでもそういうふうにご利用ください、ただし場の肴として美味しくいただくことにはなりますが。
 転職に向けて学校に通ってますという報告をしてくれた方、本屋に行ったついでに寄ったという方、今度はまた数ヶ月後に来ますねという方、なんだかいろんな。また初めての方もいらっしゃった。じっくりと僕の書いた文章だとか、置いてある本を読んでくださったり、自然な感じでお話をされたりするのを見ると、嬉しい。

2022/07/31日 17-25j
 ダチュラ・フェスティバルの打ち合わせのためsaku氏がきていた。「やー今日は朝から晩まで怒涛の打ち合わせで」とのこと、さらに18時からも夜学バーで打ち合わせ。その方は気を遣ってかジンジャーエールをご注文くださった。木戸銭は無しで、500円だけいただいた。こういう時はどうしようかちょっと迷う。いろんなパターンがあります。打ち合わせで来た人には必ず木戸銭フリーにするというわけではなくて、どんな理由で来ようとも、「夜学バーとして木戸銭をいただいてもいいな」と判断した場合には。たとえば打ち合わせの後もしばらくいらっしゃって、「夜学バーを」楽しんでいただいたりした時。ま今回の場合は、saku氏が呼んだわけだから、saku氏からお金をもらうのが筋なのだが。出世払いナ。
 いろんな人が来て面白かった。相変わらず22時以降は人が少ない。僕を独り占めしたいとか、じっくり話したいことがあるという場合には、遅い時間が今はおすすめです。早い時間も相変わらずあんまり人いませんけど。

2022/08/03水 19-22j
 たった3時間営業なのに3人もお客が。わーい、嬉しい。本当に嬉しい。皆様ありがとうございます。こういうニッチな日(?)にお客があるととても喜びます。いえいつでもおいでください。

 ここから先しばらくサボっていたため、10月22日から新しいほうから過去に向かって更新していきます。23日以降も同時に進めるかもしれません。しばらくお待ちくださいませ。
 ↑なんて書きましたが、忙しかったため、11月6日から順次さかのぼっております。(2022/11/06深夜記)

2022/08/05金 17-25j

2022/08/06土 17-25j

2022/08/07日 14-21j

2022/08/09火 15-22まちくた、

2022/08/10水 17-22まちくた、

2022/08/12金 17-25j

2022/08/13土 17-25j

2022/08/14日 17-25j

2022/08/15月 15-22j

2022/08/16火 17-22まちくた、

2022/08/17水 17-22まちくた、

2022/08/19金 22-24j

2022/08/20土 22-24j

2022/08/21日 20-24j

2022/08/23火 21-25j

2022/08/24水 17-22まちくた、

2022/08/25木 15-22まちくた、

2022/08/26金 15-22まちくた、-25j

2022/08/27土 13-19学生YMO大集会(みつきち)、19-25j

2022/08/28日 15-22j

2022/08/30火 15-22まちくた、

2022/08/31水 17−22まちくた、-25j

2022/09/01木 17-24j

2022/09/02金 17-25j

2022/09/03土 15-22j

2022/09/04日 15-28j※庚申の日

2022/09/06火 1730-23RMP(まちくた、かなみ)

2022/09/08木 17-24j

2022/09/09金 17-25j

2022/09/10土 15-22j

2022/09/11日 15-22j

2022/09/13火 17-24j

2022/09/20火 1730-22まちくた、

2022/09/21水 17-24j

2022/09/22木 17-25j

2022/09/23金 15-25j

2022/09/24土 15-22j

2022/09/27火 1730-22まちくた、

2022/09/28水 17-24j

2022/09/29木 17-24j

2022/09/30金 17-25j

2022/10/01土 15-24j

2022/10/02日 15-24j

2022/10/03月 17-24j

2022/10/04火 1730-22まちくた、

2022/10/07金 17-25j

2022/10/08土 15-24j

2022/10/09日 15-24j

2022/10/10月 15-24j

2022/10/11火 1730-22まちくた、

2022/10/14金 17-25j
 これを書いているのは11月8日で、さすがに記憶が怪しくなってまいりました。このまま8月頭まで遡るのはかなり厳しそう。だんだん簡素になっていくと思います。
「水割りをください」と言われたとき、焼酎をさすのだろうか? ウィスキーだろうか? 「お茶割り」だと焼酎に緑茶、「ウーロンハイ」なら焼酎にウーロン茶。「ハイボール」とか「ソーダ割」だとウィスキー。難しい。
 かつてはとにかく「水割り」といえばウィスキーだったと思います。しかしハイボールが流行って、ウィスキーを水で割る人がごく少なくなってきたゆえに、「水割り」といったときにウィスキーなのか焼酎なのかがわからなくなってきた、という感じなのかも。また「本格焼酎」がじわじわ広まってきて、「水割りで美味しい安い焼酎」が身近に増えてきたのもあるでしょう。二階堂なんかが王道です。
 大流行して久しい「レモンサワー」もだいたい焼酎ですよね。ただ、夜学ではウォッカで作ります。
 そう、焼酎はだいたいウォッカで代替できます。缶チューハイなんかをよく見ると、最近ではウォッカベースのものが多いですね。悪名高きストロングゼロもそうです。僕の大好きな本搾りも。
 そのうち「水割り」といえばウォッカ割り、みたいになってくる可能性も、ないではないです。そうなってほしいという気持ちはべつにないですが。
 お酒の文化も変わってくるんだよね、というだけの話。

2022/10/15土 15-24j
 日中はゆったりとしていたが、夜に7名という団体客がいらっしゃり、次いで3名連れ、2名連れと続き、数年ぶりに立ち飲みのでる事態に。合計で17名。なかなかそういうことはございません。土曜だって1人とか2人の日もあって、本当に読めないお店。面白いんですが、不安は常に。
 7名というのは湯島で展開されている「アーツ&スナック運動」まわりの方々。11月に演劇のイベントをやるそうで、夜学バーもちょっとだけ関わるので、その顔合わせと打ち合わせ。ありがたいもんです本当に。3名連れは僕の大親友(19)とそのお友達。その一人、駆け出しの漫画家さんが、夜学に並べてあるMoo.念平先生の漫画(『山奥妖怪小学校』や『どろんこ7』)をすごく気に入ってくださって超嬉しい! センスある! ぜひ売れてほしい! 応援する!(フーフー)と、うっかり興奮してしまいました。2人連れは、従業員f氏の知り合いで、演劇をやっている方々。お芝居に縁がありますね、今日は。

2022/10/16日 15-24j
 あんまり夜学バーは近所付き合いをしていないのですが、昔からよくおいでくださっている近隣のお店の経営者さんはおりまして、その方もかなり久しぶりにおいでになりました。「だって夜学バー、最近いつ開いてるかわかんないんですもん」とのこと、申し訳ないです。年中無休に戻すべく奮闘中です、いろんなところに書いていてうるさいかもしれませんが、意思表明をしないと人員も集まらなかろうと。

2022/10/17月 17-24j
 先月、初めて沖縄を訪れ、たまたま入った「ブックパブ」の店長さんが、ご友人おふたり連れてご来店。すごいですね、やっぱり遠方での営業(?)って意味ありますね。そこのお店は、行ってみたらなんと僕の大学の後輩が通い詰めているらしく、「えー〇〇くん知ってんの?」みたいな感じになったのです。それでその後、その後輩を呼び出して朝方まで飲み交わしましたとさ。で、これまた偶然に、その方々が夜学にいらっしゃる直前まで、僕の後輩であり〇〇くんの先輩である人物がいたのです。ニアミス。絶妙なご縁。

2022/10/21金 20-25j
 昼からまちくた氏にテスト勉強の場として貸し出す。そこへ、よくおいでくださる超(?)高学歴女子をお呼びして、指導してもらう。夜学バーはそういう使い方もできるのですね。すごい。報酬はちょっとの飲み代(少なくて申し訳ないです)。おかげさまで前のテストより20点くらいよくなったそうです。成果!
 小諸の「読書の森」という、山奥の泊まれる喫茶店からのご紹介でおいでくださったお客さん、二度めの来店。お友達を連れて。遠く遠く繋がれてる君や僕の生活〜♪(←歌ってる)という感じ、嬉しいです。東京と小諸(長野県)がゆるやかに連動している。こういうことがたまんなくて、僕はたびたび旅に出るのです。
 金曜だからか、二軒めか三軒めに選んでくださる方々もちらほら。夜遅くにチラッと飲んでいかれる方も。曜日って面白い。

2022/10/22土 15-22(−24)まちくた、j
 たぶん偶然、ヤガシュー(ダチュラ・フェスティバル主催の高校生3人)集う。22時終了の予定だったがちょうどそのくらいの時間に初来店のお客さん来たので、まちくたさんと交代して延長営業することに。すると23時台に「今から行きます」と謎の人物(ぜんぜん知らないアカウント)からDMが来たので、しばらく待っていると24時くらいに現れたのは、かつて山口県に引っ越していった古いお客さん。「(酔っ払いすぎて)アカウント間違えた」とのことだった。ようやく東京への出張が組めたという。現在の(壮大な)仕事の話など聞く。持つべきはお客。待つべきはお客。

2022/10/23日 18-24j
 昼間は浅羽通明先生の「星読ゼミナール」に貸し出し。久々の開催でした。18時くらいからは通常営業、昼から残っていらっしゃった方と長々話し、ちらほらとお客もやってくる。静かな夜。ようやく入国できた、日本のゲーム大好きなメキシコ人の方とレイディアントシルバーガンとかの話をした。好きなゲームは忍者龍剣伝だそうな。

2022/10/24月 17-24j
 じき従業員として復帰予定ののめみさんにリハ(ビリ+ーサル)としてカウンターに入ってもらった。これから少しずつ従業員を増やしていくつもりですが、だいたいみんな修行中の身。詳しいことは長文にまとめる予定ですが、ともあれ、夜学バー的人材を育てるのは夜学バー的お客さんなので、みなさま本当によろしくおねがい申し上げます。たくさん鍛えに来てください。育ててください、このお店を。
 すべてを書くわけにはいかないし、書きたくもないこの日報。ほんの一部だけ抜き出しております。
 のめみさんに立っていただいているあいだ、おおむね僕はカウンター外でのんびり。初めてのお客さんといろいろ話せたりして充実。お客さんとして座っているときは、責任感とか(あえて)あんま無くしております。カウンター内にいるとできないこともできるので楽しい。たびたびはお客の気持ちにならないと。
 22日においでくださったお客さん再訪。うれしいことです。三度四度がありますようにがんばります。

2022/10/25火 1730-23RMP
 まちくた・かなみ両氏による「ルージュマジック^_^プリキュア」。冗談のようにはじまったが意外と続いております。ただ二人で営業するってだけの通常営業。
 と言って、イベント! 大盛り上がり! ということとは程遠く、僕の観測した限りお客は4名。中2、ミュージシャン、経営者、長野人。次回もあるはず、よろしくお願いいたします。

2022/10/28金 18-25j
 高3来て、明後日に控えた某大学某学部の「某思考入試」二次試験対策。沖縄出身者がたまたま顔を合わせ、きわどい冗談が飛び交う。いろんな人飲みにくる。交差する。こういうのを面白いと思ってもらえたら喜ばしいことなのだが。

2022/10/29土 18-24j
 早い時間にお一人いらっしゃり、遅めの時間にお二人。女子校勤務時代の教え子と、小中の同級生。どんなマリアージュ?「バイトで、ここから徒歩1分の店舗にヘルプで入ったので来ました」とのこと。ついでのある町。ありがたいことです。ターミナル駅ならではの、人の集まり方。
 11月1日上演予定のひとり芝居の台本を朝まで書く。幼なじみは終電を逃し、それに付き合ってくれた。

2022/10/30日 18-22j
 毎度読めない日曜日。長野県からおいでの方や、○ーデンから帰国してる方など遠くからの来客もあり嬉しい。目上の方を連れてきてくださる方もいらっしゃる。
 対等な友達や、ちょっと「目下」といえる後輩を連れておいでになるパターンはやや多く、「目上」を連れて来てくださるパターンは比較的少ない。少ないとはいえけっこうあって、嬉しい。上からの目線で「このお店を教えてあげよう」ではなくて、「このお店……いかがですかね?」と下から目線で(?)紹介するのとでは、かなり雰囲気が違う。どういう感じでお誘いしたのだろう、と思うとこれもまた面白い。(なんか枕草子みたいな文章である。)

2022/10/31月 22-25j
 藤子不二雄Ⓐ先生のお別れ会があり、開店を22時としていた。めずらしく「シャツ」にジャケット、左胸にはサタンバッジ。かっこよく仕上がっていたのだが、お客は2名。おひとりは初来店で、21時20分ごろ、早めに着いたなと思っていた矢先においでになった。大きな鍋をお持ちで、「おでんがしたいなと思って、ゴミ屋敷のおじさんから1000円で買ったんです」という強烈なエピソード。おまけで同じくらい大きなタライみたいなのをもう一個もらったそうな。面白い。
 進んでお酒を飲む習慣はないそうだし、夜学バーでも召し上がらなかった。そういう方にこそ来てほしい。そのために「場」としての面白みをもっと躍進させねばならない。がんばります。コーヒー一杯、ジュース一杯に1500円払う、その価値のある場所にしなくては。んまあ自分で言うのもなんですが、僕という人物を無制限で利用できて1500円というのは、あまりに安すぎると思ってはいる(し、そうであるために日夜がんばっている)ので、ぜひなんでも投げかけてくださいませ。なんか出てきます。

2022/11/01火 18-22まちくた、-25j
 僕のお誕生日。ひとり芝居『うさぎとたぬきと柿』っていうのを作って、上演した。17時からと、22時からの2回公演。その合間はまちくたさんに営業してもらった(火曜日なので)。2回めの公演後は僕。お芝居について詳しくはこちらをご参照ください。
 僕の記憶が確かであれば、1回目の公演は観覧者7名。間の営業にのみいらっしゃった方が3名、2回目の公演は観覧者8名(2.5回目の公演時には体調不良により1名早退なされて7名)。両方見てる人が1名。23時以降の営業にいらっしゃったのが2名。
 ということで演劇を通してご覧くださったのは13名。序盤のみ見ていただいたのが1名、配信で見てくださっていたのが確認できた限り2名(でもたぶん5人くらいは見てたんじゃないかな)。
 僕のやる気とみなさまのご要望あらば再演ないし次回作ありますので、応援メッセージいかなる角度からでも大募集しております。

 改めまして見てくれた人たちありがとうございました。「夜学バー」という場のポテンシャルはすごいのです。なんせ演劇がやれてしまうのですから。音響も照明も、あれこれ演出ちゃんとしていましたでしょう。ただ一人で動いてしゃべるのだけでなく、「ちゃんと演劇っぽくやる」というのが今回のテーマでした。「夜学バー」といういつもの空間は、やりようでハッキリ劇場にもなるのだということ。それによって何が示したいのかは自分でもよくわかりませんが、空間っていうのはそのくらい可能性を秘めているのだ、というか。やっぱり夜学バーって教室であり、劇場でもあるんだよ、というのか。

 記録として。お客は10代から20代前半の若い人が比較的多く、あとは同い年くらいの人と、5〜10くらい下の人、5〜10くらい上の人が、それぞれ何名かずつ。男女比は女の人のほうがちょっと多いくらい。
 もうちょっと詳しいことはぜひ上に貼り付けた日記のほうをご参照ください、あるいは、直接聞きに来ていただければ。

2022/11/02水 19-25j
 お客は二人。かねてから応援してくださっている(僕の個人ホームページ なんかも読んでくださっている)方と、2年半ぶりくらい?にお会いした。かな。たぶん。本当に2020年の春以降、会えない人とは会えていなかったし、いまだに会えていない人もかなりいる。お客を「待つ」商売としては痛手でしかない。みなさまのほうが整いましたら、ぜひまたおいでください。いつも通り、「ご無沙汰です」なんてさえ言わず、当たり前にしていますので、何も気になさることはございません。5年ぶりでも10年ぶりでも、にこにこ笑顔でお願いいたします。
 初来店の方で、「このお店で働いてみたい」とおっしゃる方が。とても嬉しいことです。といってお互い、すぐにそうしようという感じでもなく、「ここで働くってのはどういうことなんだろうか?」「どうしてここでなければならないのだろうか?」というようなことをあれこれお話しした。「働いてみたい」と言うことと、「働かせてください」と言うことは全然違う。前者はどうぞお気軽におっしゃってください。後者となると僕も表情が変わります。

2022/11/03木祝 15-29j※庚申の日
 60日に一度の庚申の日、ゆえ朝まで営業。14時間営業ということに。とはいえ最初のほうはお客さんいなくて、夕方にお一人いらっしゃり、そのあと北海道の奥地に住む古い友達(もともとは僕の同人誌の読者であった)が、新婚旅行のついでに二人で寄ってくれた。数年ぶりの再会。あとからその友達も合流した。その方と僕はもう10年近くぶりになるかもしれない。
 その後にいらっしゃった計7名はみな朝方までいらっしゃった。本を読んだり渾身のDM送ったり絵の仕事をしたり、お話ししたり、ちょっとよくわからないノリになったり、思い思いの時間が流れていった。僕としては、あんまりよくなかったと思う瞬間もあれば、なんかすごかったな良かったなという瞬間もあった。毎回、庚申の日は無礼講のように、僕はだいぶあえて気を抜く。それでなければ生まれない深夜営業ならではのグルーヴ(?)に身を委ねる。もちろん状況、お客さんにもよりますが。なんかお祭りとか寄合における、「荒れるまで行かないギリギリの外れ方」を目指しております。荒れたらいけない、その加減が難しい。

2022/11/04金 19-25j
 華の金曜日だってのに23時半くらいまで来店なし。仕方ないからエモい文章をインスタに書いた。あと『自動車の社会的費用・再考』(上岡直見、緑風出版)という本を8割くらいまで読んだ。
 けっきょくお客は1名。売上は1400円。キープボトルから一緒にハイボール飲んだ。いろいろお話ししてたのしかった。

2022/11/05土 15-25j
 高校演劇時代の友達が二人で来店。大会で同じ地区だった女子校の子たち。一人はちょっと前に再会を果たしていたけど、もう一人は高校ぶりかも。お互い「変わってないけど、いい感じに年をとっているね」という感想だった、はず(僕の感想は相手に伝えていない)。
 その二人はもう、中高大と一緒で、部活まで同じで、卒業後もずっと仲良しだったみたいだから、お互いのことをなんでも知っているし、中高の話題になれば鉄板ネタがたくさんあって不足しない。その話を聞いたり、その様子を見ているのが楽しくて仕方ない。先生の名前とかがいきなり固有名詞で出てくるんだけど、田尻なら田尻、江沢なら江沢という数文字に、ものすごい情報量が詰め込まれていて、超巨大なエネルギー塊なのである、二人にとっては。僕はそういうのをけっこう、美しいと思うのだ。現役の高校生が先生について語るのとは全然別の響きがある(そっちもけっこう好きですが、寝かせたウィスキーには敵いませんや)。
 そこに初来店の女の人。鉄板ナポリタンをご注文。同窓の二人は相変わらずエモい話をしていたりするのだが、さすがやっぱりなんというか、いい子たちなので、ちゃんといろいろ気を遣ってくれていた。どのくらい楽しんでくださっていたかは知れないが、いろんな状態の日があるので、ぜひまたおいでくださいましね。動じず、引かず、楽しそうにいてくださってありがとうございました。
 初めてのお客があると非常にうれしい。二度めはその、五倍はうれしい。
 途中、古いお客さんたちがきて一杯だけ飲んでいってくれた。上野に用事があったそうで。やはり主要駅だといいな、「ついで」があるから。またゆっくり来てくださいな。
 それから猫先生こと浅羽通明先生がご紹介くださったお二人連れ。女子校教員時代の教え子と、そのお友達。訳ありな高校生。と来店が続く。
 昨夜さみしかったぶん、いろんな人が来てくれて幸福。本当に水商売は水商売だ。こんなにも読めないものか。高校の友達と教え子たちと、昔からのお客さんと恩師からの紹介と、初めての方と、現役高校生と。なんか人生の早送りみたいだった。昨夜は一時停止みたいな感じだったもの。
 それらの方々がみないなくなった深夜、一人でたたずんでいると、最後のお客がご来訪。二人でしっとりと飲む。有終でありました。

2022/11/06日 15-22j
 上野に用事があったらしき高校2年生女子2人組。AとBとする。Bは初来店。Aに「拉致されて」何も聞かされず来たそうで、でも話はどこかで聞いていたようで、「えっ、ここが夜学バー?」「えっ、(この人が)ジャッキーさん?」とすべて事後、自分がどこにいて誰と会っているのかに気づいたという顛末、非常に面白かった。4〜5時間いてくれた気がするけど、実際はどうだったろう。ここにいると時間が本当にわからない。
 そこへ高校3年生男子来る。40代男性来る。20代女性来る。「どんな客層なんですか?」みたいなこと、よく聞かれるので一応わかる範囲で年代書いてみました。だけど毎日すべてを公開しないかぎり偏ったデータにしかならないのであまり意味はない。要するに「いろんな人が来てますよ」ということが伝われば僕としては問題ございません。いろんな人、おいでください。今日は高校生が過半数を占めましたがたまたまです。いつもこうではありません。
 なんでしょう、人々は(←主語でかい)「浮く」みたいなことを気にします。お客が女性ばかりの店だと男性は腰が引けるようですし、若い人ばかりだと若くないと思っている人は遠慮しがちです。お外で「夜学バーというお店をやってます」と言うと「私みたいなのが行って大丈夫ですか?」とかなりの確率でたずねられます。気持ちは大いにわかるのですがハッキリと「属性(年齢性別職業学歴その他)は関係ありません」と表明しておきます。「大事なことはそんなんじゃない」と思っています。
 属性を気にするとしたら、むしろかけ離れた属性の人が同時に存在していたほうが面白いです。そこを楽しみ、なんらかの学びを得ましょうねというのがそもそもの夜学バーの理念です。

 高校1年生でホームページを開いた時、「ここにいろんな人が同時に集まるんだ」とワクワクしたものです。中学までの友達、高校の同級生、演劇部の先輩やその周辺の人たち、インターネット(主として「ドラえもんチャット」)で知り合った人たち……さまざまな友達と同じ場所で遊べる、これが僕のやりたかったことなんだな!とたぶん、思ったと、思います。今お店でやっているのもそれとほぼ同じこと。
 この辺の話は長くなりますし、すでにいろんなところに書いているので、ぜひあちこち探してみてください。

 これ書いているのは11月6日、当日の深夜ですが、ここから遡って、がんばって8月5日まで、少しずつ埋めていきます。応援よろしくお願いいたします。新しい方向へも進めるかもしれません。しばらくサボってすみません。

2022/11/08火 1730-22まちくた
 天才17歳のまちくたさん、先日ツイッターで「ちょっと早急に高野文子と安野モヨコの漫画を全部ほしいんですけど?」とつぶやいておられたので、僕はすぐさま高野文子さんのほぼ全作品(『絶対安全剃刀』『おともだち』『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』『るきさん』『棒がいっぽん』『黄色い本』『ドミトリーともきんす』『しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん』『いずみさん、とっておいてはどうですか』)を用意し夜学バーに並べました。(今年の頭に発売された『うたのほん』は、買いそびれていたら買い方がわからなくなってしまいました。どうやったら買えますか?)
 若い若くないですべてを語ることはできませんが、一部語ることはたぶん悪くないでしょう。あまり好きな言い方ではないのですが、やはり早いうちに良いものに出逢っておくにこしたことはありません。僕自身、二十歳から通い始めたバーで、年上の方々から膨大な量のCDや漫画などを借り、お話も聞いて、膨大な知識を蓄えていきました。あの時期がなければ今のような「なんかいろいろ知ってる人」になってないかもしれません。
 そしてこの日、あるお客さんが安野モヨコ先生の漫画を大量に持ってきて、まちくた氏(および僕)に貸し出してくださいました。言ってみるものですね。この日のお客さんは2名のみでしたが、おかげさまでなんだかうれしい気持ちになりました。
 そう! せっかくまちくたさんという天才17歳がお店番してるのですから、「世のため人のため後続の人類のため」に、ぜひおいでくださいませ。彼女の修行になりますので。従業員の質が磨かれれば、ひいては未来の夜学バーの隆盛にもつながります。もちろんお店なんてのはふつう「自分のため」に行くのであって、「誰か(ここでは若い従業員やお店そのもの、または僕)のため」に行くものではありません。しかしこの夜学バーというお店は、利潤(金銭)を追求する以上に、そのように「世の中をよくする」ことを優先しているお店ですので、ほんの少しだけ意識していただけると幸いです。みんなで「自分の目に見える世の中」を、ほんの少しずつ素敵なものにしていきましょう。

2022/11/10木 17-25j
 昨日「お客は2名」と書きましたが、この日は1名。8時間営業して1名なのです。最近はそういうタイミングもよくあります。2020年の春までは、もうちょっと人気あった気がするんですけども。しかしくじけちゃできない、泣いてちゃできない。ズッコケ、失敗、なんのその。平和になるまで三勇士。ヤンマだ、アゲハだ、マメゾウだ。(手塚治虫原作アニメ『ミクロイドS』より『ヤンマだ、アゲハだ、マメゾウだ』作詞 阿久悠)
 そのお客さんと6時間くらい? ずっとお話ししていました。贅沢な時間。自分で言うのもなんですが、僕みたいな人間は世間そのへんにいくらもおりませんので、独占して最大8時間「利用」できる由、お得と言えばお得なんじゃないでしょうか? みなさまいつでも、おいでください。
 そして僕のほうでも、その素敵なお客さんと6時間あれこれ思考を交わせるのですから、双方良しなのです。楽しかったし実りあった。流れで、いつの間にか企画立ち上がり、一緒にあることをやることになった。そのうちお知らせいたします。お楽しみに。

2022/11/11金 17-25j
 金曜、とて不景気、なのはある程度似た方向性のお店には共通するようで、ある同業の同志が「あまりにも客が来ない、今日はもうだめだ」と悟り、20時でお店を閉めて夜学バーにやってきた。コーヒー飲んでた高校生と3人でお話しする。
 岩手の人と遠距離恋愛しているという女性。上野駅で待ち合わせで、それまでここで待つという。エモーショナル。ターミナル駅にはドラマがある。(べつにターミナル駅でなくともドラマはある。)

2022/11/12土 21-25j
 21時開店。お客は3名。うち、「店名が気になって」という初めての方が2名。たまたま(?)お店にいたまちくたさんに応対してもらう(22時以前である、ちゃんと)。オリジナルカクテル「ドラえもん」「ドラミちゃん」はもう6年目。言葉を選ばずに言えば「テキトーに」考えたレシピなのだが、だんだん愛着が湧いてきたし、だんだん美味しくなってきている、気がする。

2022/11/13日 13-18のめみ
 久々の登板、お客は1名。修行させにきてあげてください。8日の記事参照。

2022/11/14月 17-23のめみ
 お客は1名(だったらしい)。

2022/11/15火 急遽16-j、1730-22まちくた
 前日に飲んでいたお店で、次のようなやりとりがあった。「明日行きます」「17時半からです」「それだと時間がないので、一瞬ご挨拶だけします」「そんなら16時くらいから開けます」「タスカリマス」「そんならわたしも行きます」そんな感じで、16時開店。お客はその2名と、まちくたさんと交代してから高校生が1名。直近7営業日で、15名。平均2名ちょい。うむ! もうちょっと頑張っていきたい。がんばります。

 こうやって僕はおりに触れ「若い子きてますよ〜。みなさんもおいでくださいよ〜」なんてノリのアピールをいたしますが、そう言われれば言われるほど、自分を「若い子」ではないと思っている人は「自分はお呼びでないのだな」と思ってしまう。「若い子の遊び場だったら、おじ(い)さん/おば(あ)さんであるワタクシは、行ってはならないのだな」と。
 そんなことない、というか、むしろそうではない、あらゆる属性の人間が「いうる」ことが夜学バーの「バー是」なのですが。これをもっとわかりやすく、すんなりと伝わるような言い方を、つとめたいものです。
「そこで自分は浮くのではないか」という心配を、人はします。しかし初めての場所では浮かないほうがおかしいともいえますし、「てかさー浮くってナニ?」という素朴な疑問も浮かびます。「浮くんじゃないか」という心配は、「なんだかよくわからないがやめておこう」の言い換えかもしれません。「わからない」がすなわち「やめよう」に直結している場合に、「〇〇なんじゃないか」という理由をあとから探し出すという順序でしょう。「具体的にこういう問題があるから」ではなく、「浮くんじゃないか」というような抽象的な心配であれば、その奥には「もうこれ以上このことは考えたくない」というものくさの気持ちがある可能性が、微粒子よりももうちょい大きいサイズでありそうなものです。(面倒ですみません……。)
 若い人がいる、のではなくて、「若い人もいる」というのが開店時からずっとの夜学バーの「路線」で、よーするに「みんななかよく」というだけのことなのです。なんとか、それで……。
 ともかく、あなたがどんな「属性」であろうが、「行きたい」というお店が1ミリでもあれば、ぜひおいでください。僕はひたすらに喜びます。ただし、お行儀は良くお願いいたします。

2022/11/16水 18-25j
 大学生や高校生もいるシェアハウスに住んでいる方に、夜学バーの宣伝をお願いした。草の根で少しずつでも広がっていくと良いな。
 女子校勤務時代に高3古典を教えていた生徒がかつての「推し」を連れてきてくれた。立場変わり、遠慮もだんだんと薄れ、名実ともに友達になってゆく様子がとても良かった。僕はその推しの方とお会いするの2回め。大した話をしているのでもないけど、態度を交わし合って、たぶん少しずつうちとけていくような感じがやっぱり心地よい。そういうつぶつぶが栄養となり、我らは健やかに育ってゆくのです。  あす大学の合格発表を控えた高校生男子来る。受験番号教えてもらって、翌日10時の発表を僕も見た。結果は内緒。まだ20代前半であろう女性が、「ジュース飲む? おばさんがおごってあげる!」と申し出て、面白かった。「おばさん」って言いたいだけみたいになってた。(ちなみに、「一般→奨学生」はごちそうシステム発動しますが、高校生等以下の「木戸線フリー」身分に対しては適用されません。)
 22時くらいにお客さんいなくなって、そのあといらっしゃったお客さんと一対一でしっとりと。いろんな状態があって、長い長い即興の一曲みたいなのが僕は本当に心地よいのです。

2022/11/17木 17-25j
 2週間ほど前に初めておいでなすった方が二度めのご来店。うれしい。「二度めは、ずっと。」ですからね。参考文献:僕著『小学校には、バーくらいある』
 その方より「『ルドルフとイッパイアッテナ』を書いた人の本を紹介していましたよね、読んでみたいです」というようなお申し出あり、音速で斉藤洋さんの『ひとりでいらっしゃい』を差し出す。小学生の頃から大好きな本だから、興味を持ってもらえてほんとうに嬉しい。みなさん何度も宣伝しておりますが、このお話、ぜひお読みください。僕の理想の一つは、これなのです。
「1ヶ月ぶりくらいかな」とおっしゃるお客さん。たぶん実際は3ヶ月ぶりくらい。時間感覚というのは面白い。いずれにせよ、何ヶ月に一度であれ数年に一度であれ、忘れないでいてくださること、またお会いできることが非常に嬉しく、ありがたい。すべてのテーマは「再会」です。『ひとりでいらっしゃい』だってそういう話と見ることもできる。
 夜、仲の良い女の子が別々にきてふたり揃う。待ち合わせたのかそうでもないのか、わからないけど、どちらでも素敵。

2022/11/18 17-25j+f
 17時、僕(尾崎)により営業開始。近所のお店の方がパソコン作業しながらハイボール召し上がる。ちょっと世間話する。お客さん増える。ナポリタン注文入る。野菜腐っちゃうからありがたい。早い時間なら遠慮せず、遅い時間には遠慮がちにお申し出ください。
 やがて先の方お帰りになる。もう一人の方、とよ田みのる先生の『友達100人できるかな』読みふける(お店に常備しています)。19時30分くらいにf氏くるが、ほぼ同時に二人連れが二組あったので、二人でカウンター入って協働。それらの方々別々にお帰りになった頃、しばし3人(お客は1人)でゆったりとし、四人連れ現れる。合計10名で、標準くらいなのに「なんか1週間ぶんくらいお客さんがきたな」という気分に。
 23時半を過ぎて、お客いなくなり、f氏も終電ゆえ帰る。僕はひとり、25時までは居ようと思って、これを書いている。いま0時12分。だれかくるかなー。

2022/11/19 18-25j
 ↑だれもきませんでした(昨日)
 夜学バー史上二度め(たぶん)の同伴利用で3名来店。みな女の子。夜のラジオって感じで面白かった。その方々がおいでになったときすでに女性が二人いて、「女の人多いですね。いつもこうですか?」と言われた。いつもこうではない。男性ばかりの日もあれば、女性ばかりの日もあるし、いろんなバランスの日があって、面白い。
 みなさまお帰りになり、21時台にすっからかんに。そこへ岩手から文学フリマに合わせてやってきたという女性が一人。「仙台のへんてこ屋さんで聞いて知った」とのこと。
 へんてこ屋というお店には僕は、行ったことがない。先月仙台に行った時に見つけて、「こんなへんてこなお店あったかな?」と興味を持った。すでに閉店時間を過ぎていて、人の気配もなかったから、扉の前にショップカードと最新冊子『あたらよのスタディ•バー』を、かんたんなお手紙を添えて置いてきた。翌日くらいにすぐさまメッセージが届き、お互いに「仙台に行ったら」「東京に行ったら」みたいなやりとりがあった。
 つまり、テロかストーカー同然のアプローチを僕がして、それに見事に応えてくださった、へんてこなお店。そしてへんてこな関係なのである。
 やってみるもんだな。テロだかストーカーだかみたいなことをするのに抵抗がないわけではない、というか、気狂いだと思われて、嫌われるんじゃないかとか、そういう心配はとてもあった。でも「へんてこ屋」って名乗ってるくらいだし少しくらい狂ってても大丈夫だろう。勇気出して「えいやっ」とやった。それがよかった。うまくいかないことも当然あるけども、うまくいくこともあるものだ。
 その方もお帰りになり、22時台でまた空っぽに。25時まで営業と言っているので時間はまだある。スピーカーの位置を変えてみた。音響がかなり良くなった。そしたら24時前、お客さん一人きた。
 7名いらっしゃってみな女の人だった。そのうちお酒を召し上がった方はおふたり。客単価を平均すると2000円切っている。ちょっと高価なカフェってところか。いろんな日がある。

2022/11/20日 17-24j
 第3日曜のお昼はおおむね、浅羽通明先生による星新一を読む会「星読ゼミナール」。ふだんは文筆家てきな方に「先生」をつけてお呼びすることはあまりないのですが、浅羽先生は僕の大学の先生でしたので、文字通り「先生」なのです。「さん」付けなんてとてもできません。ちなみになぜか漫画家にはたいてい先生をつけます。
 先生お帰りになったあと、流れでお客さんが3名残ってだらだら。この会が始まってから5年半皆勤賞な男性と、初めての方おふたり。両極端。大学1年生だそうで、これをきっかけに夜学バーにも通ってくださるといいなあ、と切に願う。浅羽先生はけっこうこのお店の宣伝をしてくださっているらしく、とてもありがたい。僕も声を大にして言いますが、浅羽先生がこの「星ゼミ」と「ふるほんどらねこ堂」でのみ売っている直販原稿は毎回必読です。ほんの300〜500円程度。時事問題を多く扱っておりますので最新原稿を常にぜひ。
 17時にTwitterで開店宣言をすると、中2女子現れ、次いで高2女子現れる。などと言えば「若い人たちばかりなんだな……私はもう若くないからこのお店にはそぐわないな……浮いちゃうな……さあ帰るわよポチ……」みたいな方がいらっしゃるのではと危惧するのですが、年齢は飾りにすぎませんから。「同じ場を共有する」ために数字はいっさい関わりません。本当はこのジャーナルでお客さんの年代を書くことにも正義はまったくないのです。ただ「いろんなお客さんが来てますよ〜」という宣伝、アピールのために書いているのです。「いろんな」にはあなたも必ず含まれます。よろしくお願いいたします。
 そのあと、お店に慣れていらっしゃる方がお二人と、初来店の男女二人連れが一組。よきバランスで大小の「交流」あり「共有」がなされておりました、と思います。
 日曜の夜にしてはそれなりの賑わい。しかしこの日以降しばらく、夜学バーは閑古鳥の止まり木と化すのでありました……。これぞ水商売。

2022/11/21月 17-23のめみ
 帰国し、最近また復帰してくださっているのめみさんの営業。日報を書いてくださったので、載せます。

【2022/11/21 17-23 のめみ】 お客さんがいらっしゃらない時は「待っている」ようなかたちではありますが、「ひらいている」わけであり、それは決してお店やドアのことだけではないと思うのです。19時頃から1名、帰られた後、22時半頃から1名いらっしゃいました。「ひらいてい」ないと22時半から足を運んでは下さらなかったでしょう。終電の都合がありますから余韻を余りのばせないのですが、22:59まで気を引き締めてお待ちしております。

2022/11/22火 1730-22まちくた、-25j
 なかなかお客がない。僕はお店のお掃除をせっせと進め、まちくた氏はお勉強。たまに難しいところを教えたり。さみしくもそれなりに充実した時間。しばらくしてまちくた氏と同年代の女子あらわる。西岸良平が好きとのことで、「今日ソラマチの展示に行ってきたよ! よかったよ! 中高生は900円だからぜひ!」と煽る。(後日訪れたそうです。)
 というわけで22時までの売上は500円(確か)。まちくた氏はお帰りに。祝前日なので25時まで営業。3時間突っ立ってるだけで終わるかな? と思ったが、計2名あらわる。ありがたいことです。
 想像できないでしょうし、想像しないでしょうが、お店をやっていて「誰も来ない」という寂寥感と不安はタトエヨウない。カッコつけて強がって突っ立ってても、心の中を空っ風が吹き抜けるような気持ち。そこにお客があると本当に嬉しいのですが、カッコつけて強がって、普通の顔で立ち続けます。よく見れば「ありがとうございます」と顔に書いてあります。
「以前に教えていただいた阿佐ヶ谷のバーに言ってきましたよ」というご報告を受ける。これはうれしい。好きなお店があっても、僕はなかなか頻繁には行けなかったりするので、ある種ポケモンじゃないですけれども、代わりに行ってくださるの本当に。自分で言うのもなんですけれども僕はお店マニアだから、普通の人がまずたどり着けないようなコア〜なお店をよく知っていたりしますんで、そういうのを聞き出す目的でいらっしゃっても十分にモト(?)が取れるかと存じますよ。学び、学び。

2022/11/23水 17-23f
 久々の単独登板。あえて見に行かず。f氏はとにかく昔から「夜学バーが好き、夜学バーにいたい」と言ってくれているので、そのぶん厳しめ(?)に向き合っています。店員としてだけでなく、お客としても繁くいらっしゃいませ。それが何よりの修行になりますから。これからレギュラー扱いということで木戸銭フリーにしますので。日報もぜひ書いてください。と謎の私的業務連絡。

2022/11/24木 17-25j
 19歳の大親友、たびたび友達を連れてきてくれる。「この人がジャッキーさんだよ。この人は〇〇さんね」というような、固い「紹介」はない。ただ連れてきてくれて、一緒にいる。こういう「会わせ方」はいいなと思う。人と人の間に風が通る、「風通し」という言い方を僕らは最近している。友達と友達を会わせて、その後具体的にどうなるということもない(ことが多い)が、それで僕らはお互いにいろんなことを知ることができるし、連れてこられた人と連れてきてくれた人も、お互いをさらによく知ることができる。そうやってみんながなんとなくほんの少しずつ仲良くなっていく。
 人は、その人の築いている無数の「関係」を含めて、その人なのである。その人がどんな関係の「糸」を持っているか、それをどのように引っ張ったり、ゆるめたり、弾いたりしているか。そういうことで人は人のことをより深く知っていき、好きになり、仲良くなる。
 そういうことが彼女にはよくわかっている。いいやつなのである。
 そこへやってきたお客が、たまたまその彼女の友達だった。3人で並んで座る。二人はやがていなくなり、一人のこり、数時間差し向かいで話す。「文字」という媒体に「勝ち目」はあるか、みたいな話から、大学に通っているが卒業できるかがかなり怪しい、どうしよう、というようなことを経由し、……かなり深いところまで潜ったと思う。
 こういう時間が夜学バーのような売れないお店の醍醐味でもあるが、ここにまた違った、彼にとって全然知らないような人が唐突に入ってくることこそ、醍醐味中の醍醐味なのである。これまたいろんなことをみんなで話す。
 お客は計6名。多くはないけど、ゆったりするにはちょうどいい感じ。個人的には、もうちょっとだけ人が多いと、バランスがいい。

2022/11/25金 17-25j
 華の金曜日。お客は3名。後半は長らく2人(僕含め3人)でゆっくり、学術領域でいえばたぶん「民俗学」周辺の話をしていた。もっと正確に、普通の言葉で表現すると「リアリティについて/身体によって知る大切さ/個人の認識の(深淵さと)限界」などなど。最後に残ったのは初来店の若い人。大学を辞めたばかりだという。これまたゆっくりと様々の事を話す。
 この日のテーマはおおむね「行くこと、歩くこと、見ること、会うこと、話すこと」みたいなこと。「リアリティ」のようなこと。そしてここから3日間、図らずもそれが通底していた。
 その人は、僕の高校1年からの大親友が経営する「ecke」というカフェで、僕の書いた『小学校には、バーくらいある』という児童小説を読み、興味を持って来てくれたという。
「フットワークが軽い」という言葉があるが、重要なのはたぶん「軽さ」ではない。「踏み出すべきだ」というタイミングを、自分で自在に決められること。「見にいこう」「会いにいこう」「歩いてみよう」という決断。恐る恐るでも。軽くなくて、重くていい。
 ①僕の大親友のお店に立ち寄り、②そこで僕の「本」を手に取り、何かを感じて、③わざわざ来てくれた。そこには少なくとも三つの決断があって、それによって彼女の身体はたくさんの実感を得た。あるいは、もとよりなんらかの実感を求めてそれをしたと言ってもいいだろう。初めにカフェに入ったことも、本を手に取って読んでみたことも、その作者のお店に行ってみようと思ったことも、身体が求めた、いや、彼女が自身の身体に食べさせた栄養であった。そういうことによって彼女は人生を育てていこうとしている。なーんて僕は思いました。つまり、すごくいいやつだと。
 偶然だとか、導きだとか、いろんな言い方はできる。けれども実際、意志を持って「いこう」「しよう」と思って身体を動かした。その「踏み出す」が何より重要で、それが自分だけの時間、すなわち人生なるものを創ってゆく。
 話は尽きず、電車は終わった。「歩いて宿まで帰ります」と言う。その地はほぼ僕の帰り道の上にあったので、ともに歩くことにした。それでめずらしく、本当にめずらしく30分早くお店を閉めた。ふだんはできるだけ、25時といったら25時まではお店にいるようにしているのだ。道すがらもたくさんお話をした。「共に歩こう」という決断、その善し悪しは知らず、ただ我々が育まれるならいい。

2022/11/26土 17-25j
「これから飲み会なんですけど、少し時間があったので」とご来店の方、2杯もお酒を召し上がった。しかもけっこう強いのを。1次会が2次会になる。いやこれを0次会と言うのかな。大学のご学友との会らしいので、「お前もう飲んできたのかよ〜笑」みたいなやりとりもあるのかな、と思うとなんだか愉快。いろんなふうに利用してもらえるのがとても嬉しい。
 高1あらわる。学校にまつわる相談事をきく。そこへふざけた大人あらわる。ふざけているので適当な嘘ばかりつく。僕もふざけているので嘘ばかりつく。「待ち合わせの時間が早まったのでお会計を」と大人言う。それも本当か嘘か、わからない。
 しばらく高1とふたりでゆっくり話す。この1週間は、そのような「長きよき時間」をたらふく過ごしている。経営的には廃業レベルだがこういう時期あってこそと思うしかない。その子お帰りになって、初来店の若い学生さん。昨日の人もすばらしかったが、この人も実にすばらしい。
 あまりにも感激したのでちょっとだけ具体的な話を書く。その人は先日、秋田県の能代市へ行ってきたそうな。「ほう、それは何しに」「人に会ってきたんです」
 聞けば、ある材料を用いる研究か何かをしていて、その材料を鬻(ひさ)ぐお店だか工場(こうば)だかを訪れたという(少しでも具体性を引き下げようとしている)。
「研究とか勉強って感じですか」
「そういうわけではなくて……」
「お仕事っていうほうが近いんですかね」
「いや……これは自分の勝手な感覚でしかないんですが、礼儀といいますか」
 続きを聞けばなるほど礼儀としか言いようがない。その材料を買うにあたって、まずその人に会っておきたかったというのだ。顔を合わせたこともなく、かつその材料を現地で実際に見たこともない状態でそれを買うというのは、失礼にあたるだろうと。
 そのためにかかるお金や時間は膨大である。陸路なら上野駅から5時間前後、18270円と出た。往復10時間、36540円。高速バスなどの安いルートもあるだろうが、時間はさらにかかるだろう。秋田にはLCCも飛んでいない。それでも彼は「会いに行く」ことを選んだのだ。
 ここからは僕の言い方でしかないが、実感を取った。そうでなくして、その材料は現実にやってこない。リアリティを持たない。生き生きとしない。それは「製品(ないし作品)」の質に現れる。絶対に。
 僕もすぐ、人に会いに行く。先月まさに秋田県に行った。秋田駅で下車し、滞在時間はわずか1時間半。その合間に、大衆食堂で500円の鍋を食べ、かつてお世話になった飲み屋さんにご挨拶し、友達の営むフェイシャル&ボディサロンに立ち寄った。持参した自転車を駆ってできる限り街並みも見渡した。これはスタンプラリーのように得点を稼ぐようなものではないと信じるし、映える写真やエピソードを収集するためのものでもない。貪欲なのは間違いないけど。ただ「会う」とか「走る」をしたかった。それが僕の大切にしたい実感なるもので、友達と立ち話しした10分程度のわずかな時間は、驚くほどいま光り放つ素敵な記憶となっている。「あそこに新しいお店ができて、すごく面白い女の子がやってるんだよ、機会あったら一緒に行こう」なんて感じの会話もした。またこの町に来なければならない。再会の予感、未来は輝く。
 初対面の彼とは、はじめ何気ない世間話から恋愛に関わる話題を経て、少しずつ未知の領域へ進んでいった。そして上記のような、感激するお話を聞くことができた。この時間。波。潮流。同じ場を共有し、互いに間合いを噛み締めあえばこそ辿り着けた境地。
 インタビューではない。一緒に歩いていっただけ。そういう気持ちが僕のほうにはある。彼はどうだったろう? わかる必要はない。これから仲良くしていけたら嬉しいし、そうでなくとも邂逅の光は消えない。

2022/11/27日 17-25j
 日曜日。そしてワールドカップ日本戦。8時間の営業でお客はたった一人だけ。11月10日(木)も同じ人と、同じ感じだった。世間とのズレ方が似てるのかもしれない。また5時間くらい話す。尽きない。
 この夜について、「テレビのあるお店は激混みで、テレビのないお店には誰もいなかった」という噂を聞いた。ほんまかいな。でもそういう傾向はあったと思う。夜学バーにはテレビありません。19時から試合があって、ある方面では相当な経済効果を生んだんだろうけれども、ある方面では打撃にしかならなかった。ものごとには両面がある。金曜ロードショーが視聴率をとればとるほど、飲み屋さんは困る。テレビマンは雨が降ると喜ぶらしい。みんながお家でテレビを見てくれるから。外食産業は正反対。
「こういう日」こそが特別で、輝きやすいと昔から思っている。おお、「輝きやすい」っていい表現だな。使っていこう。20歳くらいのとき、すごい台風の日に自転車で10キロ走って新宿まで行って、そのころ夢中で通っていたバーに行ったら、お客はほんの数人で、朝までずっとそうで、それがなんとも素敵な時間で。その時にいた人たちともぐっと仲良くなった。嵐吹き荒れる外界と、飛ばされそうな木造の小さなオンボロバー。雨音と風とサニーデイ・サービス。台風の日はまさしく「輝きやすい」。緊急事態宣言下はずっとそうだったし、世の中が一斉に同じ方角を向いているような時こそ、自分が「ここだ」と思える場所に足を運んでみますと、「輝きやすい」んでお得なのです。
 僕が何かを表現するときに使うのはだいたい「文章」なんだけど、その材料のほとんどは実感に拠っている。本もたくさん読むんだけど、歩いたり走ったり、見たり聞いたり触ったり、どこかへ行ったり誰かと話したりをそれ以上に爆食いしている。僕はもともと引っ込み思案で友達のいない陰キャなコミュ障だったわけですが、今ではいろんな人と接することがそれなりに得意になってきており、「そういうこと」を売りにしたようなお店をやってさえいる。肉体とか身体というものを何より重視してきたからだと思う。頭に支配されたら人と仲良くなんてできない。
 僕はかなり自転車に乗るのですが、それをやめたらきっと色々なことがわからなくなる。ややこしいことを言えば僕にとって自転車というのは、自分の身体が、この大地と、器械という媒介を通じてどのように関わっていくか、という「関係」の象徴なのであります。ごく単純にいえば、ペダルをこのくらい漕いだらこのくらい進むとか、ハンドルをこのように切ったらこのように曲がるとか、そういうことが、あらゆる関係という関係の象徴だと僕は思うわけです。それを鍛えてくれる、あるいは常に確認させてくれる高純度な器械。
 言葉も、身振り手振りも、表情も何もかもすべて、自転車のように僕と世界とを繋いでいる。誰かと誰かを結んでいる。一対一でお喋りするとき、たぶん最も鮮明に浮かび上がる。
 どこかに行くとか何かに触れるとかして、「実感」というものを鍛えていくのは、つまりその「関係」ってものをより優れさせる。自転車に乗るのが上手になるように、何かと、誰かと、関係を持つことが上手になっていく。すべて練習なのだ。
 そのために僕はお店を開いているし、お客さんは来てくれている、と思う。すべては「そこに人がいて、自分のすべてがそこへ反映される」という環境において、実感なるものを掴むため。手触りを得るため。そのうちに生きることが上手になってゆく。自転車が上手になるように。自転車にうまいへたがあるかって? あるんですよ。すごく。人を愛することにうまいへたがあるかって? あるんですよ。すごく。飛躍しているようですが、本当にそうなのです。よくわからないと思いますので、この三日間の「実感三部作」よろしければもう一度、よろしくなくともぜひはじめからまたお楽しみくださいませ。

2022/11/28月 17-23のめみ
【のめみ】
 20時過ぎまでどなたもいらっしゃらずさみしく過ごす。本日は営業の方や酒屋さんもいらっしゃいませんでした。1人いらして、今日私が着ていたツールドフランスのパーカーに反応してくださる。そこからフランスの話などを。店主来る。酉の市の話などを。もうひと方いらして、「いってらっしゃい!」の話などを。店主いってらっしゃい、最初の方いってらっしゃい。もうひと方いってらっしゃいと重なるように新潟から来てくださった大学生ご来店。店主がつい先程帰ったことを告げると残念そうになさったので、店主と繋げる役目を果たしました。その方を大通りまでお見送りして本日の夜学バーは閉店したものの、物語はまだ続いているような夜でした。

【店主】
 お店に顔を出したあと、花園神社の酉の市をチラ見するため新宿へ。ついでに友達の立っているお店に立ち寄る。彼女手製の「新聞」をもらう。そのお店で新聞係になったらしい。偶然、現在火曜を主に担当してくれているまちくた氏も「夜学新聞」をこの頃すでに構想中で、のちに見せてあげた。(ちなみに「夜学新聞」の第1号発行は12月16日、いまこの文章を書いているまさに今日です。)
 ところで、このお店で同席した初対面のおじさんから「俺のボトルから飲みなよ兄ちゃん、ぜひロックで(意訳)」とお呼ばれし、生まれて初めて甲類焼酎のキンミヤをロックで飲んだ。意外と美味しかった。いける。
 飲んでいると、のめみさんから連絡が。「新潟から大学生が来ていて、ジャッキーさんに会いたがっています(意訳)」。すでにSNSでフォローしていただいている、あの人だろうとピンときた。僕が上野まで戻るのは大変だし、あちらは宿への道筋に新宿を通りうるようだったので、来てもらうことにした。落ち合って、歩きながら少し話す。JRの東口から大江戸線都庁前駅までの、短い間。
 ものすごく内容のあることを話したわけでもない。ただ、たぶんその時に過ごした時間には矛盾がなかった。うまく表現できないが、すべて矛盾のない流れであった。ありがとうございます。そしてありがとう。

2022/11/29火 1730-23RMP

2022/11/30水 18-25j
 高校生、バイト先の高校生を連れて来店。たまにこのような「拉致案件」がある。喜ばしいことである。
 最近ハマっているフレーズに「風通し」がある。自分の通っているお店に友達を連れて行き、その後その友達がそのお店に一度も行かなかったとしても、とりあえず「お店と友達」の間には関係ができた。風穴が開いた。
 ようするに「紹介」という行為なわけだ。AさんがBさんに、Cさんを紹介する。BさんとCさんは、別に仲良くはならない。だけどその後、AさんがBさんにCさんの話をすれば、Bさんは「ああ、Cさんね」と顔が浮かぶ。AさんがCさんにBさんの話をしても、「ああ、Bさんね」とCさんは思える。こういうのが「風通し」である。みんな当たり前にやっていること。なんでも相談できる友達には、とりあえず一回、恋人を会わせとく。
「好きなお店だから連れて行きたい」というのは、「きっと気にいるよ!」というノリじゃなくても、別にいいのだ。風穴を開けるため、風通しを良くするためという考え方もある。
 彼氏をお父さんに紹介する。もしお父さんがその時その彼氏を快く思わなかったとしても、「顔を見た」ということは実際かなり大きい。「ふん、あいつか」なんて言いながらもしっかり顔が浮かんでいて、「話が通じる」という状態にはなりやすい。
 こないだ、友達が謎にお母さんを紹介してきて、「なんで?」って思ったけど、そのあとその友達との関係が、なんか少し心地よくスースーとしていったのがわかって、「あー、こういうこと」と実感したのでした。

 5月に、ダチュラフェスティバル(調べてください)の主催者たちと渋谷のGAKUってところのフリマに出た。その時に夜学バーを知った、という人が、半年以上を経ていらっしゃった。嬉しい。なんでもやってみるものなんですよね。「今は目の前にタネをまいて待とうぜ」ってやつ。ちょっとした活動が遠くで実になる。江戸の仇は長崎で討たれる(なんか違う)。参考文献:中村一義『ピーナッツ』
2022/12/01木 17-25j
 静かな木曜日。僕は厳しいので、「私って面白い女なんですよ〜」と言う人に対して、「えっ、そうなんですか? 初めて知りました。えー!? 面白いの? 本当??」みたいな無礼を働いてしまった。ここで愛想笑いなんてとてもできない。「ひっどい!」と言われてしまった。ひどいのではない、厳しいので有る。

2022/12/02金 17-25j
 前半なんだか面白い取り合わせだった。中学生、高校生、近所のバーの店長さん、漫画家さん。っていう一瞬がたぶんあった(記憶は曖昧です)。みな女の人。噛み合うような噛み合わないような、って時に、思わず喋りすぎちゃうことってありますね。しっとりいきましょう。オーセンティックバーですので!(口癖)
 後半、静かになりかけたところに、かつて夜学バーの水曜担当だった「ちか」さんが某所で間借り経営している「あおむけ」というお店から、はしご客が2名。ありがたや。しかも僕のために天才料理人ちかさんによるお弁当までテイクアウトしてきてくださった。ありがたや。その二人は全くの初対面、「あおむけ」でたまたま出会い、「じゃあ今から夜学バー行きますか?」というノリでやってきたらしい。いいですね。軽やかに生きましょう。
 終盤、完全に静かになりつつあったところで、時おりおいでくださる女の子が、持ち込みのキンパ食べながらキープボトルの電気ブラン飲んで、わりあいゆっくり色々話した。

2022/12/03土 17-25j
 最近ようやくまた、学生(大学生や専門学生)がきてくれるようになってきた。お金なかったら「奨学生希望です」とちゃんと申し出てくださいませ。学生だから無条件に奨学生、ということには原則なりません。まあどうみても苦しそうだな……とか思ったら勝手になってたりはします。
 茨城からのお客さんがすごい名古屋弁の先輩とともに。名古屋弁すぎて嬉しくなってしまった。僕も名古屋なので。そこに名古屋在住で、名古屋のブックカフェ(真本堂)で夜学バーを教えてもらって来たというお客さんが。ほかに愛知県出身の人もいて、「ここは住吉かどっかのバーか?」となった。住吉というのは、名古屋の中心「栄」にある地名です。
 そういうタイミングもあるということです。滅多にはありません。でもなんとなく湯島は愛知の人集まるような気はしています。なぜだろう。考察求む。
 田嶋陽子特集の『エトセトラ』という雑誌を熱心にお読みになるお客さんあり、帰り際に「借りて行っていいですか?」と言うので「連絡先を教えてくだされば」とお貸しした。僕は田嶋陽子さんがとても好きなのである。彼女の本は図書館で借りられるものはほとんど読んだと思う。立派な方です。僕はフェミニズムについて一家言ある者ではありませんで、人として本当に魅力的と思っています。騙されたと思って著書を読んでみてくださいませ。どの本でもいいと思うけど『愛という名の支配』が名著だと僕の日記にはあります。

2022/12/04日 17-24j
「(鉄板)ナポリタン二つ!」と注文入る。二人のうち一人は「これから高速バスで帰る」とのことで、聞けばあまりにも時間なく、「それだと間に合わないかも、でもがんばる!」と必死につくった。その子も超高速で食べてくれたけど半分くらい減らしたところでダッシュ退店。残ったもう一人は急遽それをかたづけるために助っ人を呼んだ。フードロスなし。そしてバスにも間に合ったらしいです。すごく緊張感あった。楽しかった。
 昨日田嶋陽子特集号を借りて行った方が、早くも返しにきてくださった。ありがとうございます! 布教できて嬉しかったです。またいつでもおいでください。
 神戸で「ポエム」という喫茶店を経営している敏腕経営者が現れる。東京でお会いしたのは初めてかも。喫茶店事情についてなど語り合う。よいと思うことと、よくないと思うことが似通っていて面白い。大きな声では言えないが特定のお店や人間についてもあれこれお互い、たぶんちょっと何かがスッキリした。でも一番感動したのは、彼も松本大洋先生が現在連載している『東京ヒゴロ』を愛読しているということ、そして「松本大洋、舐めてましたわ〜」という、僕と同じ贖罪の気分でいるらしいこと。大洋先生ごめんなさい。これから一生ついて行きます。そう、彼とは喫茶観よりも先に、漫画観で通じ合っているのでした。二人とも、すべて漫画で学んできたのです。

2022/12/05月 17-23のめみ(急遽→j)
【17-2030のめみ】
 月曜日、雨、胸がざわつく。電話が鳴ったり、荷物が届いたりはしたが、お客様はいらっしゃらなかった。心なしかいつもより淋しさが募る。のっぴきならぬ事情により店主にバトンタッチ。

【2030-23店主】
 のめみさんより連絡を受けてピンチヒッター。すぐに駆けつけました。その後お客は1名のみでしたが、駆けつけなかったらその人は扉の前で立ち尽くしていたわけで。来てよかったです。

2022/12/06火 17-25j
「この条件が揃ったら夜学バーだな」というノリ、たぶんありますよね。選択肢の一つとして常にあって、その成立要件のうちいくつかが出揃うと「うん今日はあそこ行こう」ってなるような。僕もそういうのあります。一方で「なんかよくわかんないけどそんな気分だな」ということも多い。いずれにしても、頭の中に常に可能性を抱いてくださっている方が「顧客」なのだろうと思っています。火星に住んでいる人が「100年後くらいに地球寄れたら夜学バー行くか」と思ってくださるとしたら、その人はうちのお客さんであります。本当、どれだけ遠くなっていても気にせずにおいでください。そういうお店です。

 今日はクリスマスということになった。シャングラ傾けて酔った。カレンダーが人を左右するのではない、人がカレンダーを左右するのだ。時間軸を曲げて!
 ところで時間軸ってなんなんでしょうね。軸とは。
 時間というのがもしも、一直線に進むものだとしたら「軸」なんてないはずだから、やっぱり時間ってのは地球みたいにくるくる回ってるんだと思います。
 そういえばドラえもんの映画の曲で「時間は螺旋の階段」って歌詞がありますね(『さよならにさよなら』)。

 僕はよく、初めて会った人にも「再会!」って思うんだけど、それは自分の時間観が「くるくる回る」だからだと思う。未来にいる人たちも、みんな過去にいた人たちなのだ。意味わからんけど、たまにスピっと実感する。
 では「時間軸が曲がる」とは? 平行で単調に進んでいたはずのそれぞれの時間が、ぐにゃっとズレて交わる、そういう話。僕の時間とあなたの時間がなぜ交わるのか? どこかで誰かが、軸をねじ曲げているからなのだ。たとえば螺旋階段、登っていたはずがいつの間にか平坦になってる。向こうから人が来る。「こんにちは」と初めて出会う。でもそれは知っている人なのかもしれない。

2022/12/07水 18-25j
 最近ようやく(?)初来店のお客さんが増えてきた。総数はそんなに増えていない。
 埼玉の中っくらいの街の外れでカフェをやっている友達が今日(執筆時=17日)、「どうしたらもうちょい人が来てくれるんかねえ」「常に廃業寸前みたいになっている」とツイートしていた。お近くの方ぜひどうぞ
 奥田民生の『愛のために』という名曲に「おっさんわかるよまあそういうな」という歌詞がある。「確かに近頃よくわからない だけども雨も降り風も吹く ステキな日本を守ってくれる」と続く。さっき久々に全編聞いてみたのだが、うむ、いい曲だ。幼い頃はピンと来てなかった(でも好きだった)。
 近頃よくわからないんだけども、雨も降り風も吹くんで、「僕らは僕らでそら行こう」とか「十分休んでから行こう いちいち道草して行こう」って気分で。まあお互い。みなさま方も。
 以前どこかに書きましたが、「市場原理に任せていても自分好みの世界にはならない」という事情が確かにある。市場というのは「需要」によって動いていく。「需要」というのは現代ではほぼ「欲望」と置き換えられ、それは実のところ「市場」側の何者か(誰?)によって操作され、支配されている。おとろしいですねえ。(個人の怖がりです。)
 ゆえ、世の中を自分好みに塗り替えるには(すなわち世の中をよくするためには)「需要=欲望」の外側で活動したほうがいい。消費活動に関しても「欲望の外側」にあるものにお金を払うことを意識する。それでどんないいことがあるかといえば、直接実感できる範囲には特にないだろう。ただそれによって「自分にとって少し都合の良い世界」ができる可能性がある。そこに賭けるか、どうかという話。
 件の友達のカフェにしても、この夜学バーにしても、たぶん人間の欲望の外側にありがちな存在。「欲望を満たすためにお金を払う」という対象ではあんまりない。だからこの世の中では風前の灯で、いつでも消えかけている。だがそういったお店を好きな人は結構いて、「存在していたほうがいい」「存在していてほしい」と思ってくださっている(と信じますね)。
 生き残るためには「市場原理と手を組む」ということをすればいいのだろうが、それは「人間の欲望の内側に入り込む」ということでもあって、そうしたら基本的にはお店の「感じ」は変容せざるを得ず、「こういうふうになるんなら別に存在していなくてもいいかもな」と、かつてのファンだって思うようになるだろう。難しいところ。
 僕が何年か前から口癖のように言っているのは、「お金があって、それを何かに使おうという時、何に使うかなんですよ」。主体性を欲望にのみ置くか、理性にも置くか。僕は今非常に偉そうなことを言っているのかもしれない。だけど言っておかねばならない。これは予言かもしれないのだ(適当)。
「そんなことゆうたかてお店に行けなきゃお金も払えませんや」という方もいらっしゃいましょうが、世の中には現金書留というものがあります!(ひどく雑なようですが真実です。レターパックで現金送ってはいけません。)

2022/12/08木 1930-23f
【店主】
 一瞬寄る。お客数名おられる。任せて帰る。
 f氏は演劇をやってきた人なので、あとで「ダメ出し」しなければ(怖い、がそういう文化がなんか演劇にはありがち)。主に換気扇がどうとかそういう話。

2022/12/09金 17-25j
 九州から友人(僕の個人ホームページの愛読者!)が。とりたてて特別な感じもなく、以前近県に住まっていた時と同じようなノリで「じゃ、また」と帰っていった。平熱。すごく良い気持ちだった。
 この日は合計7名の来客あり、金曜日〜という感じ(このお店ではこれで多いほうなのだ、近年は……)。そして招かざる客、保健所の人々が大挙して押し寄せてきた。「営業許可証と従業員名簿を見せてください」というわけだ。定期的にあるのです。
 これは、もう、ほんの10分くらいのことだったんですが、疲弊しましたね。何せ前回(平成30年)には「この従業員名簿ではダメです、免許証ではなくて本籍の入った住民票かパスポートを用意しなさい」と言われ、三度も警察署に通わされて毎回面倒な書類を書かされ、もう御免じゃ〜と思っていたので、ドキドキだった。もちろんなんの問題もない書類を今回は揃えていたのだが、「あーこれはダメですね(ニタリ)」みたいな可能性もあるわけで。結果、なんの問題もなかったわけですが、体力がごそっと奪われた。クサクサしたので(珍しく!)飲んで帰った。(とりわけ週末は人が多いのでお酒のお店にはほとんど行きません)。
 保健所の人が言うには、「その頃は基準が厳しくて〜今はもうちょっとゆるいですよ〜」。運が悪かったのもあるんだなあ。
 夜のお店をやっているとそういう抜き打ちみたいなのが結構あるのです。警察や保健所の。そういえば前回は確か保健所じゃなくて警察と名乗っていたような気がする。それで厳しかったのもあるのかしら。
 なんにしても、これに立ち会えた今日のお客さんはある意味「持ってる」というか。非常にレアな場面でした。僕が一瞬で疲弊したのも含めて。
 昔から、いわゆる「権力」みたいなものが僕は苦手なのです。できるだけ関わらないようにしていきたい。

2022/12/10土 18-25j
 最近「初めてのお客さん」が増えている。2020年の春、緊急事態宣言下ではほとんどなかった(ほんの少しはあったから、面白い)。その後、多くなったり少なかったりしたが、ここんとこが一番「増えた」を実感している。10月くらいからかな。気になっていたお店に行ってみたり、知らないところを切り拓いたりする余裕が、みんなの中に生まれてきたのだと思う。きっと。
 北見(北海道の!)から、山形(秋田かも)からと、遠方の方が幾人か。「全国旅行支援」の効果もあるのだろう。※先生秩父は遠方に入りますか? もちろんお近くの方もいらっしゃる。
 8席しかないところに「5人でいきます」とご連絡。基本的に来客は断らない。すでに数名いるけれどもギリギリいけそうなので換気を全開にして受け入れたのだが、ぎゅうぎゅうになるのを申し訳なく思ったか、なんらかの危機感や違和感があった(?)のかで、うち2名は座らずお帰りに。5名中3名のみ夜学バーに残ることに。え、そんなことあり? こちらは何も問題ございませんし、実はそういうこと、たまにあります。
 先月26日に書いた方、再び。「二度めは、ずっと」。また是非、いつでも。参考文献:尾崎昂臣『小学校には、バーくらいある』

2022/12/11日 17-24j
 かつて中学校の先生だった頃の生徒と、その同級生(僕は受け持っていなかったが当時から仲はよかった)が、別々に、時間かぶらずに来店。ニアミスというやつ。久々だろうし、行きあえたら面白かったんだけど。残念。宝くじで一桁だけ違ってたみたいな惜しさ。いつか当てたいね。
 ちなみにこの「いきあう」は信州弁の用法。「出くわす」的偶然ニュアンスは特になく、単に会う、顔を合わせるという感じで使われる。母が松本なので、名古屋弁にほんの少し信州弁が混じっているのが僕の言語。「うつかる」とか言っちゃう。
 ご近所さん、いつもはお酒を召し上がるが、本日はお友達とともに、カフェオレだけ飲んでゆく。幅広くご利用いただけて誇らしい。

2022/12/12月 18-23(実際は1830-24)のめみ
【のめみ】
 ドラマチックなゆえん(所以・由縁)で1830オープンに。のめみ単独店番としては過去最大数の計7名の方にお越し頂きました。10代から40代までが入れ混じるバー。今日はさまざまなドラマが化学反応した結果、40代の方々が10代20代へ昨今の事情を聞く、という構図になってしまったこともありました。おねえさまおにいさまの前で若者は少々萎縮してしまうもの。若者の中ではおねえさまである私がちょこちょこ軌道修正をさせていただきました。とはいえ今夜はあまりにもドラマチックであり、これを日報に是非とも反映させたいのですが、それぞれのドラマのままお持ち帰りいただいたままの方が良いこともあり。ドラマチックなことが起こるやもしれない夜学バーとしてぜひ皆様お見知りおき下さいませ。
 実は前半ドラマ(のべ5名)と後半ドラマ(のべ4名)で若干趣向は異なるのですが、いずれにせよドラマチックなのでした。お客様からしたら断片的なドラマでも、一部始終のドラマの観察員からすると、絶妙な数奇な巡り合わせのもと生まれたきせきてきな(奇跡的とも軌跡的とも書けますね)美しいドラマが生まれ得ます。これだからお店は趣があり、やめられないのだろうと思った一晩でした。

【店主】
 お店をのめみさんにおまかせしていたら、実兄からLINEがきた。夜学バーの写真とともに。あらー、まあ。僕のいない時に。
 この偉大な兄はちょっとした有名人だし、僕を知る人にとっては何はなくとも面白いので、会えるもんなら会っといたほうがいい。ちょうどLINEしてた友達に「いま兄が来てるみたいだから行ってみたら?」的なことを言った。ちょっと前に僕はその子の母親に(のっぴきならない友情によって)お会いしているので、そのお返し。家族紹介ブーム。風通し。
 ドラマチックな理由によりお店に来ていたまちくたさんにもすぐ連絡した。「まだいる? もう帰った?」「さっき3人組のお客さんと入れ違いに出てきた」「バカモーン! そいつがルパンだっ!」速やかに引き返せ、と言ったら「でもこれから習い事なんです」と。さすがにちょっと迷ったが、保証します、絶対面白い、損はさせませんという感じでゴリ押しして戻らせた。
 ところで、ドラマチックな、というのは何かというと、大したことでもないし忘れてしまったら勿体無いので書いておこう。のめみさんがお店の鍵をおうちに忘れてしまったらしいので、まちくたさんを派遣して開けてもらったという、それだけの話。でもけっこうやっぱり色々あったわけです。まちくたさんも学校あって習い事もあるのにわざわざ来てくれたわけで。でもおかげでのめみさんとまちくたさんは他のお客さんと共に同じ時を過ごせたし、僕のお兄ちゃんにも会えたわけなのですね。会えたから何?ってことでもありますけど、たぶんそれなり意味はあったと思う。
 これが前半ドラマ。後半については僕はよく知りません。優しさは溶け、沁み込んでゆきます……。

2022/12/13火 1730-22まちくた
 まちくたさんは本当にやる気のある人なのでいっぱい来てたくさん鍛え上げてください。本気のお願いです。新年は怒涛のまちくた営業連続8日間あるのでよろしくお願いいたします。(僕もいるよ) 

2022/12/14水 18-25j
まちくた氏が勉強しに来ていたのみで、お客はゼロ。実質グランドスラム。野球で言うとノーヒットノーラン。一切の来客がない場合は完全試合。僕は野球をしたことがないし野球も見ませんが、野球漫画はかなり読みます。

2022/12/15木 17-25j
 小学校からの同級生という女の子二人組、を挟んでお客が左右に一人ずつ。空間が真ん中で分割される格好になりがちで、別の采配もあったなという気がする。でもこれはこれで、左右の方々は本を読んだり、たまに混じったり、店主(僕のこと)と話すなどして、悪い時間ではなかったと思う。いろんな場があって良いのだ。
 その後、数年ぶりのお客さんや、初めての方、教え子など顔ぶれ様々で、10名ほどの来客。平日としては珍しい。いつもこのくらい活況なら良いのですけども、昨日がゼロだったことを考えると2日間の平均は5人だから、うーん、もうちょっと。しかし焦らず、良き「キャクソー」をまたゆっくりと作っていきます。「また」というのは、やっぱ実感として2020年の春でいったんリセットされてしまった観あり。『ファイナルファンタジー6』という僕の一番好きなRPGは、物語の真ん中で世界が文字通り「崩壊」し、仲間たちは散り散りになって、荒廃した世界の中でみんなと再会しながらラスボスを倒しにいく、という筋。そんな気持ちでやっている。たとえ裂けた大地に挟まれようと、僕の力でこじ開けます。また会いましょう。

2022/12/16金 17-25j
 金曜ですが、いわゆる「静金」。中学生と高校生が昼から勉強してて、実質的なお客さんは2名。忘れ物をとりに来た方がおひとり。2ヶ月以上前のもの。失礼ながら軽いお小言(?)を告げてしまった。狭いお店なので、忘れものをいつまでも置いておかれるとけっこう困りますし、ものの質も保証はできません。あとおふたり、「取りに行きます」と言って来ていない人がいます! 早く、早く!
 ボトルキープというのにはふつう「ボトルチャージ」というのがあります。自分用のお酒(ボトル)をお店に置かせてもらう代わりに、来る都度に特別な料金(たいてい500円くらい)を支払うという制度。なぜ自分のボトルを飲むだけなのにお金が余計にかかるのかというと、当然「家賃」。ものを置く、そのスペースを占有するのだから、その代価を払えという話なのですね。
 お酒のボトルの何倍もの大きさのモノを、2ヶ月間置いて、「忘れ物取りにきました〜」とモノだけ持ってそのまま帰るというのは、そこそこ礼を欠いているわけです。仲の良いお客さんなので、今度またお説教します(怖い)。この情報が何の意味を持つかは人それぞれでしょうが、僕より19くらい年上の方。
 こんなことを書きますと、自分でも「うわー怖、忘れ物もできねーのかよこの店〜」と思うのですが、いや、うーん。別に本件、怒ってもいないし、実のところそんなに困ってもおりませんで、正直もっと長く取りにいらっしゃらないことも想定していたので、「あっもうきてくれた」と思ったのも事実ではありますが、しかしその、考え方としてというか、なんというか、考えてしまったので、書いてしまいました。まあ、思いますよね。「おい! まだ来ないのかよ!」とか、くらいは。「わすれものチャージ置いてけ!」とか。発想として。普通そういうことは公には言わないと思いますが、言いたくなったので書きました。言い訳がましくてすみません。

2022/12/17土 17-25j
 4名、初めての方とそうでない方が半々。あるお客、お酒を多く召し上がり、「まちくたさんがどうなるかは重要ですよ、悪くなったらジャッキーさんのせいですよ!」「まちくたさんはすごく(夜学バーにとって、そしてジャッキーさんにとって)重要な人物だと思いますよ!」等々と仰る。その通りに僕も思います。
 いま毎週火曜日を中心にお店を手伝ってくれている天才高校生まちくたさんは、年明けに怒涛のシフト組まれておりまして、これはもちろん本人の希望によるもので、僕は彼女に修行してもらいたくて「ぜひそうしよう」と超前向きに賛同したもの。それがいったい彼女にとってどういう「修行」であるのか? 僕にはわからないことですが、僕は僕なりに、彼女は彼女なりに善く生きていくわけで、我々がよき友人である限り、お互いにとってよくなるように関わってゆくというだけ。みなさま一緒に、ぜひ。


2022/12/18日 17-24j
 昼間は「浅羽通明の星読ゼミナール」なる読書会が開かれていた。いつもは僕がいて色々するのだが、今回はまちくたさんにお願いしてみた。なんでもできるようになってゆく。肝も据わってゆく。僕が着いた時には浅羽先生とまちくたさんがお話ししていて、「師匠と弟子とが喋っとる〜」みたいな気分に。あくまで気分、まちくたさんは弟子ではありません、念のため。浅羽先生のことは師匠というか、大学の先生だったから永遠に「先生」、だけどだんだん友人と言えるくらいの距離感になってきて、とても幸福、光栄です。
 やが区の日曜の夜は静か。とはいえ3名ほど来客が。お一人は「これから大阪に向かうが、東海道新幹線が止まっているので急遽夜行バスに切り替えた」とのことで、それまでの時間で飲みにきてくださった。嬉しい。

2022/12/19月 17-23のめみ
【のめみ】
 夜学自習合宿から引き続きの高校生が2名。「日本史ってどう勉強したらよいですか?」という旨の質問を受ける。世界史選択であったことをことわった上で、どんな勉強の方法があるか、ということについて述べた。そのうちのひとつに「先生になること」を挙げたところ、早速範囲を決めて互いに授業をし合うことを決めたよう。おそらく夜学自習合宿にて行うようなのでぜひまた感想を聞かせてください。進路変更した話や編入をした話などをしたら結構刺さってくれたようなのですが、なんだか「年長者が年少者に"おはなし"をする」になってしまったのではなかろうかと猛省。従業員も日々学ばせて頂いております。
 高校生帰宅後、21時半少し前に1名ご来店。共通の趣味を介してのここ数年のTwitterフォロワーの方がいらしてくださった。初対面。会いに来てくださること、大変ありがたく思います。

2022/12/20火 17-25j
 まちくたさんと、そのお友達(高校生)が18時くらい?までいた。火曜なので本来はまちくた担当なのだが、のっぴきならない予定があったらしい。好きなバンドのコンサートでもあったのかしら。
 その後最初に来たお客さんが、単調な質問をものすごい手数で飛ばしてくるので、「質問疲れしてきました」と正直に言ったら、1時間くらいして「質問を封印してみたのですが、難しいですね」と述べられた。気を使わせてしまって申し訳ないです。しかし重要な問題なので、そこから「質問とは」みたいな話になったり。それで23日に僕の個人ホームページに「質問、要求、告白」という長文を書いた。僕のサイトには夜学バーのホームページのどっかから飛べます、探してみてください。
 こうやって偉そうに文章を書いているといかにも僕が「無謬」であるかのように見えてしまうかもしれないけれども、毎度「あれでよかったかな〜」とか「失敗したなあ〜」とか思いながらやっております。しかしタモリさんが『笑っていいとも!』という(かつての)長寿帯番組を続ける秘訣として「反省しないこと」と言っていたのを受け、僕もあんまり反省はしないようにしております。少なくとも、クヨクヨはしない。「さっきはああやったけど、こういうルートもあったよな」くらいまで考えたら、もう忘れる。ストレスが一番よくない。
 ある人が、人を連れてきて、それは明らかに僕との「顔合わせ」でもあったはずなんだけど、あんまりそれを意識してもいけないし、意識しなくてもたぶんだめだし、すっごく難しい。「大丈夫かな? これでいいのかな?」半信半疑。本当のことを運んでゆく……。参考文献:小沢健二『飛行する君と僕のために』

2022/12/21水 18-25j
 先週の水曜日は「実質グランドスラム」だった。今週はお客さん一人。お互いカタカタ仕事して、たまに話して、明日が今年最後の締め切りなんです〜みたいなことだったりして、いい年の瀬って感じだった。みなさま、水曜日、空いてそうですんで、狙い目ですんで、よろしくお願いいたします。いえまあ、週によるです、読めません。

2022/12/22木 17-25j
 12月16日から1月10日まで毎日夜学バーに来ます!と豪語したまちくたさん。「おうやってみろや」と喧嘩越しに許可した僕。しかしこの日はのっぴきならない事情で「公欠」となりました。おうちでリモート夜学。2度目はないぞよ。
 いまスウェーーデンから帰国している古い友達とゆったり話していたら、よく知る70代の方がやってきて、座るなりいきなりバーっと「自分の話」をまくし立てる。年上、目上だからといって遠慮していたらこういう小さなお店は本当に一瞬で荒廃するので、時に注意したり、逸れた話を元に戻したりなどしながら理性マックスで応対する。ご自身でも「喋りすぎる」ことや「話がどんどん変わっていく」ことへの自覚はあるようなのだが、それがどのくらい周囲に対してネガティブな影響をもたらすヤバイことなのかというのはたぶんあんまりピンと来ていない。すなわち、相手がそんなに面白がっていない、ということがわからない(あるいはそれをまったく問題と思っていない)ようなのだ。このことは過去に直接お伝えしていて、おそらくそれでいらっしゃる頻度もかなり減ったのだが、もしまた頻度が増えるようなら、もう一度じっくりお伝えして、どのように居ていただくかを一緒に考えなければならない。それができるくらいには仲はよく、互いにリスペクトもあるはずだから。
 はーーーまた無謬っぽい感じになってしまった。偉そうですよね。わかっていますよ。だけどそういうことをちゃんと書くということが、このお店のあるべき姿と店主たる僕は考えてしまっている。ご意見あらば、なんらかの方法でお伝えください。メールアドレスも探せば見つかります。
 何度でも言いますが、僕は非常〜に柔軟で、可愛らしい良いやつです。「嘘つけ!」「自分で言うなんて信用ならん!」と思ったら、会いに来てみてください。お金がもったいないと思ったらその旨お伝えください。見るだけで帰っても構いませんので。(3分以内でお願いします。)ナマイキであることは否定しません。
 営業終了後の真夜中、片付けて鍵を閉めてちょっとぼんやりしていたら、ガチャッとドアが引かれ、次いでトントンと扉を叩く人あり。なんだろうと勇気出して開けてみたらお二人連れで、「浅草の某店で教えてもらって来ました、自分も近くで飲み屋をやっているんです」とのことで、ちょっと歓談。そういうこともあるんだなあ。深夜営業やりたくなってきた。

2022/12/23金 17-25j
 静金。お客は2名。いい時間ではありましたが、もうちょっと変化があったってよかったな。
 あるお客さんが「告白された側がごめんなさいって謝るのマジ意味わかんないですよね」とおっしゃって、いやほんとその通り。なんなんでしょうね。無理やり謝らせるなんて、「勝ち目もないのに告白する人」はほんとヒドい!
 
2022/12/24土 17-25j
 ごく早い時間に、ドラえもんシャンメリータワー(2段)が2回出た。高校生もいたんでノンアルがちょうど良い。シャンメリーだからお安いです。ぜひ。『ドラえもんのクリスマス』とか『ドラえもん音頭』かけながら注ぐの、楽しかった。あと赤白ワインとか泡も実はあります。ほとんど出ないけど。3000円くらいから30000円くらいまで幅広い価格帯あるのでおたずねください。
 特記事項はそれくらい。まちくたさんにナポリタンの作り方をざっと教えたり、おおむねいつも通り。お客の総数はまちくたさん含めても7名で、23時には誰もいなくなった。イブの日付変わる瞬間は孤独にこの文章をカタカタしておったわけです。本当にありがとうございました。

2022/12/25日 17-23f

2022/12/26月 17-23のめみ
【のめみ】
 夜学自習合宿から引き続きの高校生が1名。つまりまちくた氏。2時間近く2人きりの時間があったと思うのだが、お客さんなのか合宿生なのか従業員なのかよくわからず、"夜学バーらしく"在ることができなかったと思う。今一度、夜学バーとはどういう場所であり、どう立つべきなのかを自問したいと思います。
 その後22時近くまでひとりで過ごしたのち、計2名ご来客。雪国をお作りしたところ、いつもよりも色が澄んでいるとのこと。冷やされ方が甘いと濁らないようだ。バーテンダーとしてのスキルも向上していかねばなりません。反省の多い1日ではございましたが、向上する気持ちしかありませんので、皆様あたたかくお見守り下さると幸いです。遠隔ではなくぜひとも直接。

2022/12/27火 15-22まちくた
 すでにお客さん幾人かある中で、初来店の2人連れがカウンターの中央付近に座る。こういうとき2名のお客さんは「その2名の中で閉じた空間」を作りがちで、場は分断される。すなわち、その人たちを境として、東西ができる。
 普通のバーというのはそういうものだし、一方で「せっかくだからみんなでお話ししましょうよ!」というお店もあるものの、そういう全体主義的(?)な姿勢を良いとも思わない。そうなったらそうなったで、そうなった場合の空間ができあがるということで何も問題がない。夜学バーは(というか僕は)そう考える。
 とはいえ、「面白くない」のはつまらない(そりゃそうじゃ)。それであって面白くあるように、みんなで工夫するのである。むろん「工夫しましょうよ!」などという野暮ったいことを言うわけもない。どうしたら面白くなるのだろうか?を考えた人が、何かをやってみる。
 場というものは、かき混ぜれば動くものである。あるいは、何かを投げ込めば波紋が起こり、それに反応してあめんぼや魚たちは動いてゆくものである。ただそれだけで「あるべき姿」に近づいてゆく。みんな馬鹿ではないし、それぞれに魅力的な人たちで、かつ「面白い」ということを求めているんだから。でなければこんなお店をわざわざ選びはしない。
 重要なのは、その一歩を踏み出すことに勇気が要る、というだけ。技術とか勘とかもあるが、一番はなんたって勇気である。合言葉は勇気。それさえあればどうにかなる。すべきは「かき混ぜる」だけなのだから。

2022/12/28水 1730-23RMP(まちくた、かなみ)

2022/12/29木 17-25j
 年末となってきました。年末年始にお店を開けていると、「今ぞ!」とばかりに、普段はなかなかお店に来られないお客さんが顔を見せてくださるようになります。「やっと来られた〜」とかすごく喜んでくれたりして。こちらも感慨深くなります。
「住んでいるシェアハウスに若い子いるから連れていきますよ〜」とおっしゃっていた方が有言実行、大学生を連れてきてくだすった。気に入ってくれたならいいな。「高校生もいるのでなんとか連れてきたい」「こっそりショップカード置いときます」と実にありがたい。やっぱりこういう小さなお店は口コミが命。インターネットどんだけがんばったって、人が人に語る力には敵いません。
 僕は微力で、宣伝力発信力はあまりに乏しいけれども、たくさんの素晴らしい人たちが少しずつ、代わりにひそひそ誰かに話してくれている。それによってなんとか続いているのがこのお店。僕が霞食ってがんばってるのもありますが(と強調しておきますが!)いつも静かにこっそり助けてくださるみなさんがいなきゃ霞も美味しくなくなっちゃう。あー今日も霞が美味しいのです。

2022/12/30金 17-25j
 これ書いてる今現在は1月9日なのですが、年末年始の営業を振り返って思うに「女の人が多かった気がする」。普段は6:4かあるいはもっと男の人が多いと思うんだけど、クリスマスくらいから僕のいた日のみで集計してみるとそれがちょうど反転している。いろんな理由がありそうで、こういうの考えるのは本当に楽しい。競馬でも始めようかな(関係あるんか?)。
 僕は便宜上こうやって性別で分けてデータ取ってみたりすることがありますが、「もちろん」そういう区分けの闇の側面もよく考えているつもりではあります。だけれども、その区分けをまったくないものとすることについても闇の側面ってのはちゃんとあるんで、ある時には区分けをきっちりして、ある時にはまったくしない、という幅を持った生き方をしている、つもり。こういうこといちいち言おうとするからいつも文章が長くなってしまう。
 ちなみに、1月3日から1月8日(すべてまちくた→j)までの男女比率はちょうど半々で、非常にバランスが良い。まちくたとjのバランスが良いってことなんでしょうか? そういうことにしておきましょう。
 男女区分けデータ、闇に触れる可能性を知りつつ書いてしまうのは、気にする人がいるから。「自分なんかが行っていいんでしょうか?」みたいなこと、本当によくお外で聞かれる。特に「若い人が多い」というイメージを持たれていると、「自分なんかが行ったら浮いちゃいますよね」というニュアンスで言われることが非常に多い。だから「いやー色んな人がいますよ、男女比もあんまり差がないですし」みたいなアピールをしたいわけですね、ここで僕は。
 性別、年齢、職業、学歴など、本当にみんなバラバラ。大卒以上の率も日本の平均よりは高いと思いますが、行くところ行けばもっとずっと高いですもの。専門卒も高卒もなんなら中卒もおりますし、それは出身県の違いくらいのもんだと少なくとも僕は認識しています。属性に偏りがあったとしても、それ自体が問題なわけではないし、その偏りがまた別の偏りに変化したとしても、「変化した」というだけのことで、だからなんだというのは二の次の話。楽しく学べればいいのです。
 で、さて、闇というのは、「自分を男だとも女だとも思っていない」あるいは「自分を男だとも女だとも認識してほしくない」という人の気持ちを踏み躙ることになるのではないか? という領域。「男女」と分けてものを語った時にはよく生じる問題。
「ああ、このお店は男か女かで人間を分けているんだな、では自分はお呼びでない、行かないほうがいいな」というふうに思う人もいるかもしれない。「自分なんかが行っていいんでしょうか?」という人を安心させようとして、「自分は行かないほうが良さそうだ」と判断する人を増やしてしまいかねない、そういう危うさが「闇」という言葉の周辺にはあります。
 闇は深いのですが少しずつ考えてゆきます。僕は、お客さんのすべてを「男」「女」の二つに分けたわけではない。お客さんのなかから「男」と「女」を取り出したときに、6:4とか4:6になる、みたいな話をしている。つまりその時に「取り出さなかった」人もいるかもしれない。そういう留保は一応つけている。だから実数を出して比較することはしない。いや、できない。
 僕が「男」として取り出した人全員の性自認が男であり、かつそう思われることを良しとしているかどうかはわからない。同様に「女」として取り出した人もそう。個別に、この人は女である、この人は男である、と僕が決めてしまうことは非常に危うい。そんな確認をしたわけではないし、確認したところで、何が確認できたのかはよくわからない。ゆえに「実数」というものは出せないのだ、絶対に。数値化できない。
 せいぜい曖昧に、だいたい6:4くらい、というふうにして、「例外」のケース数をぼかしてしまうくらいしかやりようはないのだ。
「なんですか? 自分は例外にされるのですか?」ということで不快に思う人もいるのかもしれないが、さすがにそこまで気を遣うとものを考えて表明することが困難になりすぎるので、申し訳ないがその可能性は考慮しつつ配慮しない、ということにせざるを得ない。
 何を僕は長々と書いているのでしょうね……。ともかく、その人の性別がなんであるか、ということを個別に決めることは困難だが、「なぜか」割合を出すことはできてしまう、という不思議が世の中には存在するのだということです。
 この12月30日のお客は5名、おそらくみなさま男性で(と書いてしまうことも非常に危ういわけです)、年末年始の女の人が多かった(この言い方ならギリかもしれない、というのが今日の主張です)なかでは珍しいこと。
 嬉しかったのは、高校時代から通ってくれている12月31日生まれの大学生が日付変わるまでいて、「2年連続で誕生日このお店に来たことになりました」と言ってくれたこと。ハァ〜、感慨(エモ)。その彼は友人を2名連れてきてくれていて、うち1名は数年前、高校時代に来てくれたことのある人。再会!
 お店をやっていると辛いこともありますが嬉しいこともたくさんありまして、毎日がギャンブルみたいで本当にスリリング。だから競馬もやる必要がないはず。

2022/12/31土 15-29まちくた、のめみ、j
 3人体制で、14時間営業。実際には朝7時くらいまで何人かいたので、16時間か。
 どこまで書くべきかよくわからないけれども、怯えるより美しさを優先したほうがいい。大晦日だけはとくべつなのだ。
 15時からまちくた氏により開店。中学時代の同級生と勉強しながらお客を待つ。夕方に僕到着。ぽつぽつとお客がくる。のめみさんが来たところで保護者役を頼み交代。


【のめみ】
 21:30頃に到着。既に4名のお客様と店主の計5名がいらした。椅子に5名座っていると、結構埋まっているなあ、と感じる。1名帰られたり1名来られたり、店主が中抜けしたりした。まちくた氏とチェンジ。年越し蕎麦タイムの到来。(後世のために注釈をつけますが、この日はのめみ特製関西風年越し蕎麦をご用意したのでした。わかめ・かまぼこ・わけぎ・天かす入り。)
 夜学バーはそんなにガヤガヤとうるさい状況になることはいつであっても少なく、また、時折外からの奇声や誰かが階段を昇る音が聞こえることが外部の存在を感じさせる出来事であるのですが、この日は大晦日ゆえ、同ビル別室のお店がかなり盛り上がっていたよう。神聖に大晦日を過ごし年越しを待つ私たちには少々"異"なるものではありました。
 年越し5分前に1名来客。2022/2023夜学バーは私含め7人でお迎え致しました。除夜の鐘BGMを鳴らしたりなどする。
 1名ご帰宅され、初来店の2名が素敵なお召し物でご来店。年越しちゃった蕎麦を計3食作る。睡魔に負けた、とのことで1名ご帰宅。おおよそこのあたりで店主にバトンタッチ致しました。
 大晦日の年越しの瞬間の店番をやると決めたときは、誰もいない年越しになったらどうしようとたいそう不安ではありましたが、満席に近い夜学バーで新年を迎えることができ、大変嬉しい気持ちです。本年もどうぞ宜しくお願いします。
 その後閉店までの物語もほとんど全て目撃致しましたが、店主が日報を書いてくれるでしょう、ここらで筆を置きます。


【再び僕】
 2017年末からほぼ毎年、年越しはお店で迎えておりました。でも僕は本当は「年越しの瞬間は一人で、あるいはごく親しい友達と、神社で甘酒飲みながら迎える」ということが一番したいのです。僕が一年で一番好きなのは大晦日。とりわけ年越しのあの瞬間なのだ。
 それで半ばワガママのようにのめみさんに来ていただいて、僕は年越し前後の数時間だけお店を抜けた。近所にある老人のお店(言い方)におせちを受け取りに行ったり、キラキラ橘商店街のお寿司屋さんで明太子やしらすなんか買ったり。そいで家に帰って紅白見ながらエモい文章や詩を書いて、カウコン(ジャニーズカウントダウン)の途中で家を出て、近所の神社で甘酒もらって、火にあたろうとしたところくらいでざわりと空気が変わり、すぐ鐘が鳴った。これです、これ。
 あの感覚、なんというのでしょう? まったく一年のうちその時以外に絶対に有り得ない一瞬。新年を知らせる鐘が鳴る、そのほんのレーテン何秒か前に、みんなはもう表情を崩している。それまではどこか張り詰めた、何か差し迫ったような顔をしているのだ。それがもう、たまらない。幸福の定義がリセットされる。
 ロックの良い曲でバーンと大サビの鳴る、直前の裏拍みたいな。
 そいでもう何軒か神社を眺めて、「ふうー」みたいに思いながら自転車漕いでお店に向かった。1時くらいに様子見てなんか大丈夫そうだったからもっかい外出て上野公園の周辺の神社で火にあたったり、早くも片付けの済みつつある小さな神社を見つけて「来年はここに来てみようかな」なんて思ったりした。
 その間の「物語」を僕は知らない。知らないことがあるのも良いことだ。すべてを知っていればいいというのではないし、いつでもお店にいるのがいいということもない。欠席する力、ってのが重要なのだ。そこに余白が生まれ、詩が育つ。物語も動いてゆく。「かき混ぜる」ということでもある。
 深夜2時過ぎくらいにのめみさんに代わってカウンターに入る。お雑煮つくったりナポリタン作ったりでちょっとくたびれた。計6人(3人、1人、2人)が途中、湯島天神へ初詣に出ていった。そして帰って来た。彼女たちの物語も僕には知れない。またある人は大きな荷物持ってきてて、そのまま飛行機で故郷へ帰っていった。それもまた別のおはなし。
 最後まで残ったのは高校生3名だった。日の出が6時50分ということだったので、「それまではいます」と言う。(保護者には話が通っておりますし、僕とも友達だったりしますのでご寛恕ください。)
 夜学バーがなければこの3人が一緒にいるということはほぼ確実になかっただろう。そう思うだけで自分のやっていることには何か意味があるのだよなと思える。嬉しい。
 寝てる人、眠そうな人、起きてる人、三者三様。僕はカウンターにいて、まちくたさんはギターではっぴいえんどの『春よこい』を弾き語りしていた。「お正月といえば……」から始まる年越しモチーフの名曲で、ふさわしい。僕も同じ曲をやってみた。動画撮ってくれた。3月からまちくたさんにギターを教わって、なんとなく暇な時に練習してとりあえず少しだけ弾けるようになったのだ。「もっと歌ってください」と言ってくれたので調子に乗ってゆずの『始発列車』と『朝もやけ』をやってみた。どちらも岩沢厚治さんの作。そ、いろんな物事が嫌いそうな偏屈な僕だが、なぜかゆずとか好きなのである。年を取るとなんかもう悠仁の曲は胃もたれする感じがあるのですが、岩沢先生はエバーグリーンですね! そのあたりで日の出の時間だったので、一緒に外に出てそれぞれ帰った。エモい写真を撮ってもらった。
 一年の計は元旦にあり、と言うけど、初日の出が元旦の旦であるならば、大晦日の夜こそが「一年の計」なんじゃないかと僕は思う。夜の人間だからかもしれないけど。その一年というのは前の一年でもあるし、次の一年でもある。ああ、二年の計が元旦にあるのかもな?
 過ごしてきたこの一年のすべてが大晦日にあるような気がするし、その明けた元旦というのは前年を踏まえて見える次の一年がすべて含まれているように思える。朝方のあのシーンは宇宙の終わりと始まりを同時に象徴する光の爆発であったのだ、みたいなとくに意味のないことを書き残しておく。
 彼女らにとっても、血のつながりもない人間が経営する謎の店で、自分の意志で年越して、なんかたぶん別に単純ではない心持ちのまま朝日浴びて帰ってくってのは、すごく特別だったと思う。そんなくらいの素晴らしい朝は数えきれないほど経験してきた歴戦の僕でさえ、かけがえなくグッと来ていたのだ。そのすべてはビー玉とビービー弾のあいだくらいの大きさの真珠みたいな丸いピカピカのやつになって僕の手のひらにいま載っている。


【まちくた】
 夜学バーの日報には、ただお店のことを記録する以上の意味があります。中にいる人が何を考え何を見てどう振舞ったのか、それを日々提示することで、言語化しにくい夜学バーという場を説明することにもなるし、夜学バーらしい振る舞いを学ぶ手立てにもなるでしょう。

 私自身、中で働くようになる前、まだお客さんでもなかった頃からそんな夜学バーの日報が大好きです。だからこそ、私に何がかけるのかわからなくて、私の営業日に私の言葉で日報を書くことをあまりしてきませんでした(日報の代わりに新聞を発行しはじめた節もあります)。でも、年始の連勤期間は、日報を書きたいと思っていますのでしばしお待ちください!

 最近、お家にいる謎の成人男性(父親)に「12/31の日報すごく良かった!なんでまちくたさん目線の文章ないの?早く書きなさい!」と執拗に迫られています。
 たしかに、のめみさん目線とジャッキーさん目線で語られる日報は、夜学バーの解像度がより高まっていたというか、先述した〝夜学バーとは何か〟がよくわかるもので、とても素敵な日報です。
 それに、何を隠そうあの日夜学バーに一番長く居たのは紛れもない私です。
 未来人のためにも早めに記録していて損はありません!
 ということで12/31~1/1の分だけ先に日報を書きます。
(とてつもなく長い前置き終わり)

 1人で夜学バーにきて鍵を開ける。この時点で夜学バー毎日登校を掲げて勉強に励むやがっしゅくを始めてから2週間ほど経っていました。
 鍵を開けて新聞を取って(31って新聞あったっけ?)換気扇を回してetc...という夜学バーを開けるための作業もいつものことになりつつあり、これから楽しい年末と年始がはじまる実感はありませんでした。

 しばらくしてやがっしゅく仲間の高校生がきて一緒に日本史の勉強。〝やがっしゅくとは、私が毎日夜学バーにきてお勉強をしているのでみんな一緒にお勉強しましょう〟の行事です。中学生や高校生がきて一緒に勉強してくれて心強かったです^_^勉強というものはし始めると全然時間が足りないことに気が付きます...やがっしゅくの成果が現れるのはもう少し先になりそうだけど、良い学習ができました!ありがとうございました(すべてへ)。

 少しずつお客さんが集まり始めて、何日か前に「良いお年を〜」といって別れた人に年が終わる寸前にまたお目にかかれたりする。
 平熱のような高熱のような不思議な時間。
 年明け後も含めてたくさんの方がいらっしゃりましたが、終始、私とほぼ同い年の人が2人ほど存在していました(大人の目を欺くため遠回しな表現)。少なくとも私ともう1人の子は初めて家族以外と過ごす年越しで必死に親を説得するなどし、ドキドキとウキウキを胸に年を越しました。

 年越しそばを食べてお雑煮を食べて湯島天神でお参りしておみくじ引いて帰りに出店でたこ焼き買ってまたお店に戻る。
 年越し前後の時間は「年を越す」というめちゃめちゃ時間を意識したときであるはずなのに、まるで時間が止まっているかのような気持ちになります。
 夜中の1時でも2時でも堂々と歩いて神社にお参りできるなんて不思議。でもひとたび朝がくれば、また時間が進みはじめる。
 夜学バーは、外の光が完全に遮断されているので、外が明るいんだか暗いんだかよくわかりません。徐々に人が帰り初めて、学校みたいな時計の針をみて「あ〜もう6時か〜」なんて思っていたら、余韻でなかなか帰れない子どもたちが最後まで残ってしまいました。
 学校帰り友だちとの別れ際に別れるに別れずその場でずっとだべってしまうあの感じ。
 流しの歌が聞こえてきたら帰る合図!
 みんな無事お家に帰れました。

 私は人が歌を歌っている姿が好きです。欲を言えば、歌を歌いながら楽器なんかも一緒に演奏してくれたなら、その瞬間のその人は、世界で一番かっこいい。だから歌おうとしている人には、できるだけたくさん歌ってほしいし「歌ってー!」って言います。

 GLIM SPANKYというバンドに〝大人になったら〟という素晴らしい歌があります。
 その歌の歌詞に「知らないあの子が私の歌をそっと口ずさむ夜明け 優しい朝」という一節があります。
 歌がなりやんで、寝てるみんなを起こして、いよいよ帰ろうとドアを開けたら外は明るくなっていました。そっと口ずさまれる歌声が今年一番の朝を呼んできたんだと思いました。

 以上が私目線の12/31(と1/1) 記録です。

 今年もがんばるぞ〜

 https://www.uta-net.com/song/184065/


【三たび僕】
 上記は、1月13日にまちくたさんから送られてきた文章。エモいですね。欲が出て、もっとたくさんの人の視点から読みたくなりますね。良い一年の締めくくりになったと思います。今年もよろしくお願いします。

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