令和2年度冬から
2021/08/31火 13−20
13時過ぎに高1来る。18時過ぎに帰る。その他お客なし。考えてみれば今日は平日だったのだ。しかも夕方からは雨。普通の人は来ないですね。わざわざ31日に長丁場で開けたのは、東京では今日で夏休み終わりという学校がほとんどのはずだから。高1の子も「夏休み最後なので家にいるのが嫌で」みたいな意味のことを言っていた。その意味ではよかったが、5時間ずっと二人であれこれ話すだけの時間になった。
ちょっと前、ある高校で非常勤講師をやっていた。夏休みは出勤しなくても良い(給料は他の月と同額出る!)のだが、わざわざ講師室の前に「この日は出校してますので用がある人はきてください」と張り紙をした。週に2、3日くらい用もないのに学校に行って、自己推薦書とか志望理由書とかを手伝ったり、たまたま来ていた生徒とただ雑談したりしていた。たぶん、僕と雑談するのを主目的として学校に来て、ついでに勉強をしていたような子もいたはず。振り返れば、学校をお店のようにしていたのだとも言える。どこにいても、やることはだいたい同じなのだ。
9月も、夏休みに講師室で待っていたように、夜学バーはたびたび開かれ、なんの用もなく僕はボケーっと座っております。張り紙はトップページに。気をつけておいでください。
(「日報」より一部引用)
今や、お店がやっていることなんて「当たり前」ということになっています。東京都で11月28日から始まった22時までの時短営業要請は1月11日まで続く予定ですが、今のところかなり多くのお店が営業しておりますし、たぶん今後も営業するでしょう。年末年始に例年とそうは変わらない日数のお休みをとりながら。飲食店に限らず企業などでもそうで、ここのところお客さんにたずねてみているのですが、「28日まで仕事ですね」とか「年明けは4日からですよ」という方がやはり多いのです。
もし、夜学バーが年末年始に22時までの営業を毎日続けたとしても、それは誰にとってももう「日常」でしかありません。べつに進んで非日常にしたいわけではありませんし、日常はそれ自体すばらしいものだとも思います。ただ、現在あるこの「日常」はおそらく緊急事態宣言下よりも感染(拡大)リスクがやや高い日常です。いま喫茶店におりますが、大きな音で何度もくしゃみとせきをしている人がいます。マスクはしていませんし口を押さえている様子もありません。ずいぶん遠い席なので僕の方もさほど慌ててはいません。普通の日常というのはそういう日常でもあります。どうやら日常というのは一般、緊張感がないということでもあるようなのです。何も考えなくても生きていられるのが、日常というものらしいのです。