閉店のお知らせ

 夜学バーbrat(東京都台東区上野2-4-3 池之端すきやビル301)は令和5(2023)年6月30日をもって閉店します。

 それまでのスケジュールはトップページへ。6月8日以降は無休です。ぜひ、一日でも多くご来店ください。夜学バーが好きだったり、興味を持っている方であればどなたでも。初めての方は特に歓迎いたします。この期に及んで遠慮は御無用。
 平成29(2017)年4月1日から6年3ヶ月営業しました。



<閉店の理由>

 事情により「不動産の契約が更新できなくなった」ゆえ。
 同じ場所での再契約も可能でしたが、閉店を選びました。
 続けることはできたが、やめるということです。

 なぜそう決めたか、詳細をこれから書いていきます。
 めちゃくちゃ長くなるので、少しずつ書き足していくかと思います。ゆっくりじっくり、お読みいただければ幸いです。
 シンプルでバズりやすそうな文章で行こうかとも思いましたが、やはりここは夜学バーらしく、長々と。



【目次】

●お店は「なくなる」のだということを示したい
●好奇心と満足感
●風通しをよくする(よどみのリセット)
●遠心的に、かつ合理性のほうへ
●「答え合わせ社会」における「未知」の「意味」
●閉店宣言の効果
●閉店しました





●お店は「なくなる」のだということを示したい

 孝行したい時に親はなし、と言いますが、お店というものも、行きたいと思ったまま行かなければ、行かないうちになくなってしまうものです。

 好きなお店が存在しているうちは、「行きたいな」「いつか行けるといいな」と夢を見ることができます。それだけで十分に楽しく、そのお店の「良さ」を反芻し何度でも味わうことができます。50年前のパリ旅行を思い出し、写真を眺めては「また行きたいな」と幸せな気分に浸るのに似ています。
 パリはなかなか爆発して消えてなくなったりはしません。しかし、お店はなくなることがあります。そうするとそれはそれでまた「懐かしい」「もういちど行きたかったのに」とエモい気持ちになります。

 これらの「幸福」はお店の果たす機能、役割として非常に大切なもので、こういうちょっとしたポジティブな気分が少しずつ世の中をよくしていくのだと思います。
 ただ、お店からすればこのとき、何も起こっていません。どこか遠くでこのお店を愛してくれている人がいて、永遠の思い出として心にしまってくれていたり、大いなる学びとしてその後の人生に役立ててくれていたりしても、お店側がそれを感知することはできません。ふたたびお店に来ていただくか、何らかのメッセージを送っていただかない限り。

 僕は中学高校の国語科教員を通算5年間くらいやっていたのですが、学校の先生ってそういうもんなんですよね。実に報われない、いや「報われ」が実感しづらいもんです。生徒たちの心にはたぶん一生残って、「あの先生のあの言葉に支えられている」「あの先生の教えが役立っている」なんて折に触れて思ってもらえている(はず!)のに、卒業後は「ありがとうございます」の一言も言ってもらえないことがほとんど。どこか遠くで僕のことを愛してくれている生徒が無数にいることは誰よりもわかっているけど、連絡とったり会って話したりしてくれる子ってほんの一握りで、ほとんどの人は黙って、たまに思い出しては「先生元気かなあ」なんて思ってくれているのでしょう。しかし、そのことを僕は、知ることさえできません。

 もう少し有り体にいえば、どれだけ遠くで愛されていたとしても、一円の儲けにもならないし、モチベーションも高めてもらえない、ということ。
 実のところ、「良いお店のはずなのにやめざるを得ない」という事情の裏には、けっこうこういうことがあると思います。
 もちろん単純に、お店のほうがリピート率を高める努力をすべきだとか、もう一度行きたくなるほどの魅力がないから仕方ないという見方もあります。お客の母数が多ければそれでも成立するはずだ、とか。でも、だとすると、「ものすごく良いお店」だけが残って、「そこそこの良いお店」は生き残れないことになります。つまり、「好きだと思う人が非常に多い」なら続けられるけれども、「好きだと思う人はけっこういる」というくらいのランクだと、閉店せざるを得ないということにもなります。数の論理オンリーになってしまいます。ええ、そりゃもちろん、「それがビジネスというものだ、それが社会というものだ」というご意見もよくわかりますが、「それがビジネスで、それが社会だってことで済ましちゃって良いのか?」と僕(夜学バー店主)なんかはチラッと、考えてしまうわけです。

 夜学バーというお店は、まさに「好きだと思うひとはけっこういる」というお店です。お店に来る前から、こういった長くて理屈っぽい文章の束を見てファンになってくださる方もいらっしゃいます。「行ったことないけど面白そうなことをしているな」と思ってもらえがちです。
 ところが、「お客さん」と「ファン」というのは若干、ズレるのですよね。お客さんはお金を払ってくださるけれども、ファンというのは必ずしもお金を払ってくださいません。石野卓球さんも
よくおっしゃってます
「お客さんでありファンでもある」という方が多いとありがたいのですが、夜学バーの場合はその性質上、「お客さん」になるためには通常、営業時間中に決まった場所に行って、座って何かを注文して、一定時間を過ごす必要があります。それは忙しくて事情に満ちた現代人にはそう簡単なことではありません。ソファに寝そべってスマホをいじりながら夜学バーの「お客」になることは困難なわけです。ゆえにどうしてもこのお店は(インターネット上の活動がこのように活発であるがゆえに!)、「お客さんよりファンのほうが圧倒的に多い」という状況になってしまうのです。

 この状況はおそらく、何もしなければずっと続きます。「夜学バーは好きだけど、なかなか行くことができない」という方は、それぞれの生活に忙しく、5年でも10年でも「ああ、今夜も夜学バーは営業しているのだなあ、でも行けないなあ」と思い続けるかもしれません。「行ってみたいけど勇気が出ないなあ」と思い続ける方もいると思います。
 お店が存在しているうちは、その思いは延々と続きます。それがちょっとした心の支えになることもあって、「良いお店の社会的意義」というものでもあります。
 実際、「なかなか行けませんが、日報を読んで行った気になってます、いつも楽しみにしています」といったようなお言葉をいただくことがけっこうあります。非常にありがたいことですが、日報は無料で公開しておりますので、お店には1円も入りません。さらに、「日報を書くことによって来ない(日報で満足するのでお店には来てくれない)人もいるのではないか?」という疑念すら湧きます。するとモチベーションもさほどは上がりません。嬉しいんですよ、もちろん。

 そこで、「『ファン』の方々にお店を支えてもらうにはどうしたらいいか?」というのが課題となります。そういう方々に支えてもらわないと、経営的にはあんまりよくないのです。固定費が月に13~15万程度。30日間お店を営業して、そのうち週5で僕が担当したとして、僕の収入は10万円ちょっと。よくて15万、確変が起きても20万くらいでしょうか。年収150~200万円くらいのワーキングプアラインですね。
「それでも好きなことやってるんだからいいじゃん、それで満足してるんだよね?」と言われたら、「満足はしていない」と答えるしかありません。満足はしていないけれども、「好きだ」と言ってくださる人はかなり多いし、その人たちのことを僕は好きだし、世の中にとって、あるいはお客さんや応援してくれゆう人(唐突な土佐弁)にとって、けっこう良い影響を及ぼしている存在だと信じておりますので、そういう使命感みたいなものもあるから、続けているのです。本当はもうちょっと儲からないと、東京の成人の暮らしがまともに成り立つわけがないのです。
 店主が無理をして、「本当は成り立つわけがない」ような生活をしているようなお店は、健全ではありませんね。今回、「6月で契約が終わります」と告げられた(5月26日のことでした)とき、「ほんならいい機会だから辞めよう」とわりとすぐに思ったのはそれゆえ。健全にやれていたら、フツーにそのまま再契約していたと思います。

 すなわち、今のままのやり方では「無理がある」ので、たとえば先述した「『ファン』の方々にお店を支えてもらう」という点を強化したうえで、別の仕方でやらないといけないんだろうなと考えております。具体的にどうするかは考え中、みなさまぜひ相談に乗ってくださいませ。

 話を戻します。いまここに書いたようなことは、実は何度も書いたり言ったりしてきました。でも、実際にお店がなくなってみないことには、身に沁みませんよね。それで辞めるというのもあります。誤解を恐れずに言えば「死んでやる~!!」の世界。こういう場合、実際に死んでからみんな気づくものなんです。本当に死ぬなんて思ってないというか、「本当に死んでしまう」という可能性を、頭から消して過ごすのです。死なれたらあまりにも都合が悪いから。「まさか自殺なんて……」ということを、後から言います。本当は予感していたとしても、気づかないふりをするものなのです。気づいてしまったら、その予防のために自分が動かなければならなくて、面倒だから。

 誰も、いまこのタイミングで夜学バーが閉店するなんて思っていなかったでしょう。僕もあんまり思っておりませんでした。でも、「6月で終了です、再契約しますか?」と問われたとき、そのデメリットではなくメリットを先に考えて、たとえば上記のようなこと(ほかにもたくさんあって、これから書いていきます)が浮かんだわけです。
 お店がなくなる、ということになれば、そのお店を知っている人は、さすがに何か考えるじゃないですか、と。夜学バーの「学」の部分の真髄ってそういうところにあると僕は思っております。明後日の方向から急にボールが飛んできた、それについてどう考え、どう受け入れて反応するか。それが《リアルタイムにみんなで作っていく場》の醍醐味なのです。
「場」という概念についてはかつて書いた『場の本』をご参照ください。

 めちゃくちゃ本心で言いますが、これは一種の自死であり、ある意味で哲学的事業でもあります。



●好奇心と満足感

 誰もが「死んだらどうなるんだろう?」と考えますが、人は自分の死後を知ることはできません。生前葬をしてもその欲は満たせないでしょう。お店の場合、店主はその一部始終を見ることができます。また、お店を生き返らせることさえできるのです。
 夜学バーが閉店したらみんななんて言うんだろう?という好奇心はあります。どのくらい別れを惜しんでくれるのか、どのくらい人が来てくれるのか。

 個人のWeb日記にも書きましたしPodcast「
氷砂糖のおみやげ」でも話したのですが(第9回)、4月の夜学バー6周年(2日間)はお客があんまり来なかったのです。特に顔見知りの方が少なく、「一見さん」のほうが多いくらいでした。
「常連」という概念を否定(拒絶)する夜学バーとしては笑っちゃうくらいに「らしい」現象だったわけですが、やはりさみしくもありました。もし、「今日は周年らしいから自分みたいなもんは行かないでおこう」という判断をした人がいたとしたら、それはむしろ「常連」みたいなもんを強く意識しすぎで、「概念」そのものを否定(拒絶)したい僕としては「逆! 逆! 何も意識しないで単純におめでと~って一言言ってくれたらいいじゃん!」とか思っちゃうのです。

 さすがに、終わるときくらいはみなさんおいでください。あるいは電報とか現金書留ください。この閉店劇は「そのため」でもあります。(正直で素敵!と思ってくださいませ……。)もしこないだの周年がもうちょっと違った感じだったら、フツーに再契約していたかもしれません。そのくらい無駄に繊細で、執念深く、面倒くさい人間なのです、この店主は。頭がおかしいのでしょう。

 好奇心といえば、「やめる」メリットとして最大なのは「別のことに取り組める」ということです。「夜学バー」という概念はもうちょっと続けるとして、どこでどのような形で継続するのか。それはいつやるのか。また、夜学バー以外の活動をどうするのか。そういう前向きなことをあれこれ考えられるのも最高、胸の真ん中を刺激します。

 そうスパッと切り替えられるのも、「この物件、この条件でやれることはおおむねやった」という満足感のおかげでもあります。100%やりきった、なんてことは当然ありませんが、6年で7割くらいはやって、あとの3割は50年くらいかけて埋めていくようなものではないかと思っています。

 考えれば考えるほど、よくは知りませんがバンドの解散に近い気がします。いまのメンバーでやれることはだいたいやったし、次にどんな音楽をやるか、あるいは音楽でない別の道に進むのか、と可能性が開けるのも楽しい。満足感と好奇心がバンドを解散に向かわせる、というケースはそれなりにあるでしょう、きっと。
 この例をネガティブ照射すると、「マンネリ」とも言い換えられます。「なんかこのメンバーで曲作ってツアーやって音源つくるの飽きてきたな」と。

 お店だって、同じ場所で似たようなことをやっていると必ず「よどむ」のです。膿は溜まってゆく。閉店理由のけっこうな割合をこれが占めています。新しい風に心を洗ったほうがいい。



●風通しをよくする(よどみのリセット)

 お店と家庭とはけっこうよく似ています。維持するということは非常に大変です。トイレットペーパーがなくなれば買い足さねばなりません。ほころびが出れば修繕が必要だし、汚れたら(汚れる前に)掃除をします。そういったこまごまとした手入れをどれだけ欠かさずやっていても、換気扇が壊れたり電化製品が故障したり、カーペットのシミが取れなくなったりしてきます。
 どんな空間も、使われれば使われるほど物理的に消耗していくものです。またモノが溜まって捨てられなくて、どんどんゴチャゴチャしていったりもします。本当はどうにかしたいけど気を遣ってそのままにしているものもあったり。それは一種「味」でもあるわけですが、「固着して動かなくなった状態」でもあって、そこに柔軟性は宿りません。地層として堆積してゆけば、下のほうのものはもう動かせない、といったイメージです。
 たとえば50年続く喫茶店の魅力とはほとんどの場合がこれで、「長く続けた結果定着した様式美」とでも言いますか。その美しさを僕はとても愛していて、古いお店というものにはほとんど反射的に心ときめいたりもしてしまうのですが、自分がそういうお店をやりたいか、やるべきか、向いているか、ということはまた別の話なのです。

 20歳のとき、mixiで知り合ったお姉さんに連れられて新宿のとあるバーに行きました。その時の感想は「こんなに勉強になる空間があるのか!」というようなものでした。年上の人たちがたくさんいて、自分を対等の人間として扱ってくれて、知らないことや考えたこともなかったことをたくさん学ばせてもらえる。行くたびにいる人が違うし、いきなり知らない人がドアを開けて入ってきて、あっという間にその場に馴染んでしまったり。若い僕には刺激的で、病みつきになりました。「本を読む」ということと同等か、時にはそれよりずっと上質な学びがそこにあるように思えたのです。
 僕はわりとボケとかジョークを飛ばすのが好きなほうなのですが、適切に笑ってもらえたり、突っ込んでもらえたりするような柔らかさもありました。当時のオーナー(店主)は「東京が大好きな関西人」で、高度に知性的な瞬間と、思いっきりバカバカしい瞬間とを鮮やかに行き来する優れたバランス感覚を持っていたのです。
 3年ほど通ったあるとき、その店主が「辞める」と宣言しました。「そしたらもう、このお店に来るような人には会えなくなるのか」と思うとあまりにさみしくて、「僕が引き継ぎます」と申し出たのが、記念すべき「店長デビュー」というわけです。
 細かく言えば、僕はそのお店でさらに1年くらい前から月に1度の頻度でお店に立っていたし、店長と言っても「間借り」のような形態で、引き継いだあとも週に1日(木曜)だけの営業だったのですが、説明が面倒なのでここはほんわかさせておきます。ともあれ、中学校の非常勤講師と並行して、週に1日だけ朝までバーを開くという生活が始まりました。

 4年半くらいしたところで借りていた物件のオーナーが変わり、「出ていけ」とのことで、出ていくことになりました。「やっぱり人の下で働くとろくなことがない、自分だけの責任でやれないとしょうがない」と悟った僕は、いろんな人の力を借りて西新宿に物件を借りて小さなお店のようなものを作りました。詳しいことは端折りますが、これは2年9ヶ月で終わります。もともと取り壊しが決まっていた建物だったので予定通りの終焉です。

「よく考えてみると物件なんか必要ないんじゃないか?」とわけのわからないことを考えて、今度は野外にフィールドを移し、お店のようなことを始めました。何もないところにランタンだけ置いて、「ここがお店です」とやったわけです。もちろん本当に「お店」をやると法かなんかに触れかねないので、持ち寄りの飲み会のようなものでした。これは半年くらいです。寒いと難しいので10月までにしました。その休止期間に「いい物件があるんですけど、お店やりませんか?」という話が来ました。後の夜学バーです。ようやく辿り着けました。


 ものすごく簡単にいえば、「湯島にあるBar bratというお店が後継者を探している」ということでした。僕はかねてから湯島という地名を超カッコいい!と思っていたので興味を持ち、いちど下見してほぼ即決しました。ここなら自分のやりたいことがやれるだろうと。
 ただ、ずっと新宿でやってきた身からすると湯島(上野)は見知らぬ土地、それも雑居ビルの3階です。どうやって集客しよう? インパクトのある名前をつければ面白がってもらえるかな。湯島天神や湯島聖堂(孔子廟)も近いし、店主は現役の教員(当時)だし、好きなアニメは『まなびストレート!』だし……そもそも僕がバーという空間に感じた最大の魅力は「学び」だったわけだし……。
 教養バー、勉強バー、学問バー、まなびバー……、いろいろ考えましたがいずれも「手垢のついた」感じがして、内輪感が出やすいというか、「あるジャンルの人間のみを求める」ような、排他的なイメージがあります。
 悩みぬいて、Bar bratの冠に「夜学」の2文字を付け加えることに落ち着きました。「夜学」という言葉はすでに死語となりつつあり、ちょうど手垢の落ちきったような気がしたのです。
 山田洋次監督の『学校』という映画は夜間中学が舞台で、年齢も出自も生活背景も多種多様な生徒たちが集って学ぶお話。幼きころに観て「面白いな」と思ったのを覚えています。夜学バーの「夜学」はそのイメージでもあります。

 夜学バーbratの「brat」ってなんやねん!とお思いの方も多かったと思いますが、実はかくなる事情。「Bar brat」の部分を残しつつ、かつ自分のオリジナリティを付け加えて集客できないか、という苦肉の策でもあったのでした。

 それで今の夜学バーには、bratという前のお店の名残が意外と強く残っています。そのまま6年も経つと、その遺物がすっかり固着して「地層」となり、ある種の既得権益さえ主張してくるような感じがしてくるのです。
 抽象的でわかりにくく恐縮ですが、何か問題が起きたとかではありません。bratのマスターとも仲良しです。言いたいのは、「古くなるとどうしても澱みや膿は出てくる」というようなことです。
「これって捨てていいのかな? 残しとくべきかな?」と迷って、そのまま6年経ったようなものもけっこうあります。その全てが良い影響をお店に与えているかといえば、そうではないのですが、今そこにメスを入れるのは色々としんどい、みたいなこともあったりするわけです。これまた抽象的ですみませんが。いろいろあるのだ、とだけ思っていただければ。(実家とか部室とかってそういうことありません?)

 積もってきたものは、もちろん「味」にもなってゆくのですが、それは「動かしづらい」ということがたいていは同時にあって、「身動きが取りづらい」という不利益をお店に与えます。それは物理的にというよりは、案外観念的に作用します。


 ようやく小見出しにある「風通し」という話になってゆくのですが、すなわちお店が長く続き、物理的に味が出て固着してゆくと、「風通し」が悪くなります。(僕はそう思います。)
 あえて乱暴に言いますが、「味のある古いお店」と聞いて思い浮かぶのはなんですか? 「デカいツラした常連」とかじゃないでしょうか?

 味のある古いお店は、いわゆる「常連客」が長く支えてきたようなイメージがあるはずです。夜学バーにしてもそれはある程度まで事実です。さっき書いたような、前の店とか、前の前のお店から通ってくださっているお客さんも少なくありません。でも夜学バーにはもちろん、そういう昔からのお客さんだけでなく、常に新しい人がやってきては通うようになってくれています。
 それをスムーズに実現させる秘訣は、古くからきている人にデカい顔をさせず、新しくきてくれた人に小さい顔をさせないこと。みんなに同じ顔の大きさでいてもらうことです。すなわち夜学バーの自慢というのは、いわゆる「古参」と「新参」のあいだに溝がほとんどないこと、です。これはもう、6年間心血を注いで気を付けてきたことなので胸を張って言えます。夜学バーの場所としての魅力のほとんどは、まずここに尽きるとさえ思っています。言い切ってしまいますが、みんなが対等であること、です。

 念のため書いておきますが、これは「差別が存在しない」とか「みんなを平等に扱う」ということとはまったく違います。どうしても店主の価値観が基準にはなってしまいますが、よき振る舞いをする人と、よくない振る舞いをする人とでは、当然こっちの振る舞いだって変わってきますし、「そういうのはやめてください」とか「そんな質問に答える必要ないですよ」といった牽制や注意もするときはします。みんなに同じ顔の大きさでいていただくためには、ある程度の介入はせざるを得ません。
 もちろん、「よくない振る舞い」をする人を排除するのかと言えば、しません。一時的にはちょっと厳しくするでしょうが、それ以降に「よくない振る舞い」が少しでも減ったり弱まったりする(少なくともそうしようという意志を見せていただける)のであれば、むしろ大歓迎なのです。学びの場ですので。

「せやかて、店主の価値観の押しつけやあらへんの?」と言われるとちょっとくらいは痛いです。自分のお店である以上、そういう面は絶対に、けっこうあります。ただしこちらも、考えや考え方をいくらでも変えてゆく姿勢と覚悟を持っているつもりです。僕にとっても学びの場なのです。


 話がそれましたが、今のところ夜学バーはうまくいっているとは思います。しかし、このまま同じ場所で5年、10年と続けたらどうでしょう? 澱みは、膿は、さらに広がってゆくはずです。そして空間は物理的に固着していき、風景は既得権益を主張して、「風通し」はどんどん悪くなっていくかもしれません。そうすると、最も恐れることには、「昔からきている人には心地よいが、初めてきた人にはちょっとすわりが悪い」ような空間になってしまう可能性すらあります。それだけは夜学バーは、絶対に避けたいのです。
 昔から通っているか、初めてきたかに関係なく、お店の扉が開かれた瞬間に入ってくる風は新鮮でなければなりません。ゆえに僕は、誰がお店に入ってきても原則としてほぼ同じ対応をします。初めての人にも、小学校からの友人にも。思いもかけぬ人が来れば多少はうろたえるでしょうが、それでも平静を保とうと努めるでしょう。(それすら無理なら、何らかのフォローを試みます。)

 10年続いていて、10年通っているお店には、たぶんかなりの安心感を持つはずです。しかし、そこが移転して新しくなったら、ちょっと「すわりが悪い」ような感じになると思います。つまり緊張感があるわけです。それで「変わっちまったな」と新しい店舗には通わなくなる、といったケースは多いと思います。僕が思うに、その原因って本当は、「お店が自分に合わないふうに変わった」のではなくて、「前の店には惰性で通っていただけだった」という話なのではないでしょうか。慣れているから安心感があっただけで、それ以上の理由は特になかった、と。
 人がお店に通う理由についてとやかく言うつもりはありません。慣れているから通う、何も問題のないことです。むしろ普通のお店なら当たり前のことです。ただ、夜学バーのような偉そうな理念を掲げているお店は、それではダメなのです。長く続いていて、長く通っているから安心感があって、だからまた行く、というのではいけない。それでは人によって「安心感」や「緊張感」に偏りが出てしまう。通った回数や年数にかかわらず、誰もがある程度の安心感と緊張感を同時に持っていてこそ、「みんなが対等でいられる」ということが実現するはずなのです。


 夜学バーは開店当初から、「常連という概念を採用しない」ということを強く主張しています。(
テキスト「『常連』という概念について」参照)
 それは「常連という概念が風通しを悪くするから」に他ならないのです。
 その場にいる人は、ステータスにかかわらずみんな対等。それが安心感と緊張感を同時に生み出し、予定調和ではない、社交辞令ではない、自由で学び深いアンサンブルが奏でられる……→happy! みたいなのが夜学バーのコンセプトなのであります。

 今回、夜学バーbratは閉店するわけですが、僕はこれまで何度となくお店や環境を変えてきました。ともかく素敵な「場」を作りたい、ということだけが一貫しています。『場の本』というのを前にもご紹介しましたが、これは夜学バーを開く直前に書いたもので、その頃までの僕の考えをまとめたものです。お時間があればぜひ。
 ゆえに今のお店をやめるといっても、僕がその「場」というものから離れるということではありません。エンドではなくリセットなのです。いつかリセットしなければならないな、と思っていたところに、不動産の事情で急にその選択肢が目の前に来たというだけです。必ずまた、何らかの形で復活を果たすに決まっています。
 ただ、6年間一所懸命やってきた夜学バーが、その素晴らしさ(自分で言う)のわりに経営的にはさほど振るわなかったのは事実(とはいえ続いていたからには、それなりには流行っておりました、念のため)ですから、次のプロジェクトではその点をもうちょっと工夫しなければ。いま必死に考えております。お知恵を貸してくださる方、大募集。

 夜学バーというものに僕はまだ愛着と可能性をかなり抱いているので、もうちっとだけは続けたいです。うまくいけば移転、という形にできるとは思うのですが、それには興味を持ってくださっている方、具体的にはこの長い長い文章をこんなところまで読んでくださっている方のご協力が必要です。よろしければ拡散とかしてください。そういうほんの小さなことが、小さなお店には本当にありがたいし、意外と意味だってあるのです。よろしくお願いいたします。


 この節の最後に。「式年遷宮」というのをご存知でしょうか。由緒ある神社が一定期間ごと(伊勢神宮なら20年)に社殿を(主に別の場所に)造り替え、神様にもお引っ越ししていただく、という仕組みです。
 なぜそんなことをするのか。伊勢神宮のホームページをみると、理由は不明とありつつも「唯一神明造という建築技術や御装束神宝などの調度品を現在に伝えることができ、今でもいつでも新しく、いつまでも変わらない姿を望むことができます。これにより神と人、そして国家に永遠を目指したと考えられます」とのこと。
 スクラップ&ビルドを繰り返すことによって、むしろ変わらないでいられる。永遠を目指すことができる。この極めて日本っぽい逆説を、夜学バーも辿ろうとしているのかもしれません。なんて尊大すぎる態度のまま、いったん筆をおきます。
 風通しよく、よどまぬように。



●遠心的に、かつ合理性のほうへ

 夜学バーを象徴する言葉として「遠心的」というのがあります。
テキスト「遠心的な場をめざして」やPodcast「氷砂糖のおみやげ第6回あたりにそれなりにまとまっていますが、いろんなところで手を変え品を変え語っています。
 ごく簡単にいえば「中心をめざす(求心)のではなく、より遠くへ行こうとする態度」で、より具体的には「目標や目的を固定しないで、まだやっていないことや誰も思いついていないようなことに柔軟に取り組もうとする流動的な態度」みたいなことです。「未知(知らないことやわからないもの)のほうへ向かっていく」ともいえます。
 これがこのお店のほとんど唯一の指針かもしれません。ゆえにこそ「味の出た老舗」をめざすのではなく、「どうなるかわからない」ほう、すなわち「変化」のほうへと今回、舵をとったのです。

 今のところは移転を考えており、候補地もあるといえばあるのですが、そこがうまく借りられるかどうか、それが動き出すのがいつになるのかはまったくわかりません。ただ確実なのは「brat」という名を冠したお店は湯島から消え、あのテナントは僕のお店ではなくなります。

 夜学バーをどこかで続けるにしても、同じような条件で同じことをやっても仕方がないこと。すでに書いたように夜学バーは儲かっておりませんから、この機会にちゃんと儲かるような(あるいは何らかの方法で資金を得られるような)形にしなければ。といって自分の美意識に照らして妥協はできません。どこにでもあるようなバーをやるくらいなら、別の仕事をすると思います。基本的に夜学バーおよび僕(店主)のやっていることは「売れない芸術活動」のようなもので、儲からなくて当たり前。とはいえ人生が維持できないのはヤバいので、もうちょっと工夫していく必要があります。

 これまでの夜学バーの良さを最大限に残した(そして願わくはさらに素敵になった)夜学バーを続けていくとしたら、店舗での儲けはあまり期待できないので、固定費を下げる方向にまずは発想します。家賃が安くなれば、もっと言えばタダになればいいわけです。
 しかし夜学バーというお店はたぶん「東京の、ターミナル駅近くの、アクセスの良い場所」でなければ成立しません。夜学バーの魅力の一つは、遠方から寄ってくださるお客がたくさんいることです。これにより客層の広さ、深さ、すなわち豊かさが変わってきます。「かなり遠くから年に一度くるお客」「ちょっと遠くから月に一度くるお客」「わりと近所から週に一度くるお客」といった方々がバランスよく同じ場所に集う、それによって様々な化学反応が期待できる。時に奇跡のようなことさえ起こります。夜学バーは「奇跡の確率をできるだけ高める」ということをたゆまず努力することによって、けっこういいお店にできていると思うのです。
 そのためにはどこからでもアクセスしやすいことが肝要で、新宿や上野クラスの街でないとまず難しく、中野や北千住でもちょっと弱い。となると、絶対に家賃は高くなってしまうし、「ウチを使っていいですよ」なんて奇特な方も現れにくい。
 将来的には、夜学バーとは違った別のコンセプトの空間も作りたいと思ってはおりまして、それは根津とか西荻窪でも成立するようなものなので、いいお話があったらぜひともご紹介いただきたい!のですが、いまはともかく夜学バーの話。

 そういうわけで、物件探しは難航を極めます。いま目をつけている場所がダメだったら次の手はないという感じです。立地や他の条件がほぼ同じで、現在の家賃より安いということは、普通に考えると有り得ないのです。もし多少安いところに移れたとしても、種々の条件はちょっとずつ悪いと想像できますから、営業努力はどのみちかなり必要に思われます。


 先ほど「店舗での儲けはあまり期待できない」と書いたのは「営業努力を頑張る気がない」という話ではもちろんありません。現状の夜学バーの魅力的な部分を残そうとすれば、大幅に儲けることは構造的に難しい、というような話。
 席数や回転率を増やせば、今の夜学バーのようなゆったりとした時間は失われるでしょう。客単価を上げようとすると若い人(中高生等以下含む)が来づらくなりますし、可処分所得で客が選ばれることにもなってしまいます。
 その対策として「奨学制度」があり、安酒もあればちょっと高めの商品もあったりします。「支払額をばらつかせつつ、平均としての客単価を上げてゆく」が当初からの経営的テーマ。これをさらに洗練させていくのがこれからの課題です。
 と言ってシャンパンなどの抜きものを煽ったり、とにかくたくさん飲ませようというのは、ダメではないのですがそれをやったうえでお店の雰囲気を「ワーキャーのウェーイ」にしないでおくのは相当困難です。
 一応夜学バーも最近はシャンパンを置いておりますが、たぶんほとんどのお客さんは気づいていませんし、実際にほぼ出ることはありません。煽るのも「らしくない」が、アピールしなさすぎても何も意味がない。ちょうど良いバランスを探っております。

「何かおつくりしますか?」「次どうします?」「アレェ〜、グラスが空ですゾ〜?」「てかユミ飲んでなくない?」みたいな言葉は意識的に禁じております。開店以来一度も言ってないと思います。よほど非礼なお客さんがいたら、お説教がてら注文を促すことくらいはあるかもしれませんが、記憶にはないです。これを当たり前にやるようになったら、夜学バーの空気感は全然違ったものになるでしょうね。
 それがバーテンダーとしての気遣いであり、テクニックでもある、というのもわかりますが、だからこそ、夜学バーはそれをやらないのです。バーテンダーというプロフェッショナルである前に僕は、あるいは夜学バーの従業員は、生身の人間なのです。そういう気持ちでお客さんと向かい合うから、すてきな場が生まれやすく、奇跡の確率も高まると考えているわけです。精神性としては喫茶店、すなわち茶の湯に近いものをめざしています。(「喫茶店茶の湯論」は僕の持論。)
 ただお分かりの通り、こちらはドリンクを売らないと潰れますから、たくさんご注文いただけたら助かります。いや、ご注文いただかなくても、「釣りはいらねえぜ!」とか「これ、おこづかいだよ〜」みたいなのはより一層助かります。(本音)

「一杯、頂いていいスカ?」的なのはようやく最近、「夜学バーの売上に貢献したいんでジャッキーさんもぜひ飲んでください」という意思が常時当然あることが確認されている相手に限って、すなわちすでにツーカーとして成立している場合のみ、たまに発動いたします。この3年超の超絶不景気がそうさせたのもありますし、そのシステムを拒絶する代わりに自分で勝手に際限なく飲んでアル中になってしまったら最もよくないので、「基本的にはご馳走になったものだけ飲もう」ということにしました、最近は。みなさん遠慮なく「ジャッキーさんも一杯」してください。(必死)

 何が言いたいかというと、夜学バーというお店は、その雰囲気とか、文化的な味わい、「奇跡可能性」とかいったものたちを何よりも優先し、「利益」というものが二の次になっているため、構造的に儲かりにくいのです。飲食店が儲かるには「席数、回転率、客単価」だと思うのですが、そのどれも、夜学バーはその性質上、伸ばしにくいのです。そういう意味では最初から「勝てない戦」でもあります。
 もちろん、僕もそれほどバカではありませんので、ある程度計算はしてあります。上記のような雰囲気を保ったままでも、十分僕が生活していけるような設計にはなっているはずなのです。ただ現実はそううまくいかず、とりわけ2020年以降は様子が変わってきています。いまが工夫の時でしょう。


 夜学バーのような「良いお店」(と僕やおそらく多くのお客さんが思っています)が、経済的理由で閉店せざるを得ないのは悲しいことだし、正しいこととも思われない。とるべきは、できる限り経営を合理的に効率化させつつ、しかし従来の「良さ」も殺さずにおくという道。その態勢を整えたり、惰性で続いてきたかもしれないことをいま一度見直すためにも、リセットが必要なのだと思っております。



●「答え合わせ社会」における「未知」の「意味」

 ここまでをざっと読み返してみましたが、言いたいことはだいたい書けた気がします。ここからはさらなる蛇足となるでしょう。ご興味ある方だけ読み進めていただければ。

 現在は6月15日、ジャイアンの誕生日。閉店まであと半月。このページを公開したのが6月1日の木曜日。その木金はもちろん、たくさんのお客さんに恵まれました。その後3日から7日まで僕は旅に出ていて(詳しくは僕の
個人ホームページの日記を)、8日から月末までは無休で営業する予定です。

 閉店発表から昨日(14日)までで僕がお店に立ったのは8日間。延べ人数ではなくユニークユーザで、おおむね100人くらいの来客がありました。最初の7日間は平均15人くらい、そして昨日の水曜はなんと4人。もうみんな飽きた? ともあれ重複する方を除いても100人前後か。もちろん、閉店まで来たいだけ何度でもおいでください。遠慮は無用です。あまりに混んでたら息を殺して突っ立っていてくださればいいだけですから。何人いようと、騒がしくはさせないように努めます。

 思った以上に、いや、思った通りに、夜学バーには「お客さん」がたくさんいますし、「潜在的な顧客」もたくさんいたことがわかりました。ちゃんと計算してはいませんが2割くらいが初めていらっしゃる方で、久しぶりにいらっしゃる方が5割くらい、3割くらいが直近1~2ヶ月にもいらっしゃっている方、という感じでしょうか。それで来客数がだいたい2~3倍くらいになっております。

「終わる」となればやはり、「ずっと気になっていたので来ました」とか「ずっとまた行きたいと思っていたのですがようやく来られました」という方が、背中を押されて重い腰を上げてくださいます。
 原則、人は行動に「意味」を求めます。
 ただ夜学バーに行くだけでは「意味」が発生しないけれども、終わるとなれば、そこに行くことに「意味」が生じます。つまり、ふだんの夜学バーには「行く意味」を感じないけれども、終わりかけの夜学バーには「行く意味」を見いだせる。
 日本の人はたぶん、「続いている」ことよりも「終わる」ことのほうにエモさを感じやすいのだと思います。ラブラブな曲よりも失恋の曲のほうが多い(売れている)のでは?とか。宇多田ヒカルの『First Love』(アルバムは800万枚くらい売れたそうな)だって「最後のキスは」から始まる別れの歌。

 夏草や兵どもが夢の跡。


 反省すべきはもちろん、終わらなくても「行く意味」を見出せるようなお店にできていなかったこと、なのかもしれません。ただし、すでに書いたように夜学バーはごく小さいお店で、たった一人の言動や時に存在そのものが空間を左右してしまう繊細な場だし、常に混み合っている状態ではその真価が発揮されないことも明らか。「たくさんのお客が来ることが正しい」というお店ではないのです。ここは非常に難しい部分です。
 実のところ、夜学バーの最大の強みは「お客さんよりも圧倒的にファンが多い」というところにあるのかもしれません。好きな人は多いが、実際に足を運ぶ人(および頻度)はそれほどではない。ゆえにこそ、あのゆったりとした時間、慎重に言葉を選び思考を重ね合う、色とりどりの学びや奇蹟が顕現しうるわけなのです。もうほんと、ヤバいくらい美しい逆説として、客が来ないからこそ素晴らしいお店、というのはいくらでもあります。古くしなびた静かな喫茶店、と言えば一瞬で理解していただけるでしょう。

 コーヒー360円の茶色い喫茶店が「まともな売上」を出すためには、バズること。若い人たちが「レトロでかわいい!」と写真を撮りに来てくれるようなお店づくりをするしかたぶん、ないですよね。そこに静謐さはまず望めません。

 実際、夜学バーが日に5万円以上の売上を出そうとすると、ほぼ休まずにドリンクを作り続けることになります。今はそういう時期だから大歓迎、嬉しくて仕方がないのですが、ずっとそういうふうだとさすがに身体がもたないと思います。
 余談ですが混んでいる時のオペレーションはけっこうすさまじいものがあります。夜学バーとしての「場」を調整しながら無数の動作を極力無駄なく、順々に流麗にこなしていくカウンター内での僕の振る舞いは、およそ千手観音、速すぎる日本舞踊。我ながら芸術的と思うほどです。6年間の、いやお店をやるようになってから十数年間の集大成みたいな動きをしているので、ぜひ味わいにおいでください。
 こんなことは今だけのはずです。別の場所で夜学バーが再開した時には、またゆったりとした、時に静謐で、実り豊かな独特の時間がまた流れてゆくでしょう。

 昨夜(水曜)はお客が4名のみだった、と先に書きましたが、紛れもなく「静謐」で、学び多い時間を過ごすことができました。特に深い時間、ごく最近に初めておいでになり今回は二度目という方と、数年ぶりにおいでになった方との3人でお話ししていた時間はかけがえなく、まさに夜学バーの真骨頂。それぞれがそれぞれに「今考えていること」を提出し合い、それらすべてがより良く更新されていった、という実感がありました。僕らにとってその時間は「意味」に満ちており、僕はもちろん「お店をやっていてよかった」と思いましたし、彼らもきっと「今日、この店に来てよかった」と思ったことでしょう、間違いなく。

「意味」というものはあとからついてくることも多いのです。夜学バーの場合、行く前は行くことに「意味」があるかどうかはわかりません。行って、自分がその場に関わることによって、初めて「意味」が生まれるかどうかが問われ出します。
「映える」と評判のクリームソーダは、行く前からその「意味」が判明していて、行ったあとはその「答え合わせ」をするだけになります。現代というのは「答え合わせ社会」でありまして、すでに答えがあることを確認しに行く作業に喜びを見いだすのが一般です。「未知のものに飛び込む」という発想は、あまり流行りません。


 ちなみに、僕は2012年から「答え合わせ社会」という言葉を個人ホームページ内で何度も使っております。(「答え合わせ」の術語使用は2011年から確認。)先見の明があったと思います。今ではかなり多くの人がこういう事象について言及していると思いますが、この当時はほとんど聞かれなかったはずです。自慢。夜学バーが言ったりやったりしていることも、6年以上経ってようやく少しずつ当たり前になってきたかな、という実感があります。ということはちょっとは古びてきたということなので、さらに新しいほうへと舵を切って行かねばなりません。


 神保町の古い古い喫茶店「ミロンガヌオーバ」が移転して、正面が全面ガラス張りになりましたね。かつては暗くへっこんだ入り口に木製の格子ガラス戸、まわりは厚い煉瓦に覆われ、中の様子はほとんどわかりませんでした。初めて入るときにはドキドキワクワクしたものです。しかしそういう造りはもう、今の時代は流行らない。ちゃんと経営的に成功しようと思ったら、今風のガラス張りにすることは正攻法だと思います。
 現代の人にとっては、中が見えていたほうがいいのです。そこに「答え」がすでにあるからです。中に入ったら、あとは「答え合わせ」をするだけなのです。

 いま「未知」は流行らない。それに逆行するのが夜学バーで、このホームページにも画像は一切ありません。答え合わせをさせないためです。文章も長く、持って回った言い方ばかりして、簡単に実態が掴めないようにしています。徹底的に「答え合わせ」を拒絶し、「未知」である状況をあえて維持しようと努めてきました。

 夜学バーに行くことには通常、事前に「意味」などありません。とりあえず来てみて、自分で「意味」を作り出したり、つかみ取ったりするものです。それが「未知」ということなのです。

「閉店する」と聞いて夜学バーにおいでになる人は、ある意味で答え合わせをしにきています。「終わるらしい→ああ、本当に終わるんだ」と。既知の確認。しかし夜学バーというお店は「未知」を提供するお店ですから、「終わるんですよ~」では終わりません。ちゃんと「未知」の用意はしてあります。具体的にいえば、インターネットには書いていないことを、現場ではお話しできるということです。

 この話の流れだと、「自分なんか答え合わせしようとしているだけだから、行くべきではないな」と考えてしまう人が出てくるかもしれないと思ったので、念のため撒き餌(?)をしてみました。ええ、今は答え合わせでも何でもかまいません。なくなってしまうお店を見にきてください。そして記憶と記録に残してください。ただし「いいお店だった」と終わらせず、いつか再開した暁には、「未知」を求めてやってきてください。

 書くのも野暮ですが、「未知」なるものに飛び込むとき、ドキドキしたりワクワクしたりします。その気持ちを忘れるべきではない、と僕は思います。大好きな子ども向けアニメの主題歌にこうあります。「非常ドアを開けるたびに胸がなぜかドキドキする 新しい世界へ飛び出すスリル 君にも教えたいよ」「ドキドキワクワクこれがかんじんなの ハラハラキュンキュンいつもしていたいだけ」年がバレる? いえ再放送で観ていました。(未知を担保!)



●閉店宣言の効果

 現在は6月26日の夜です。僕(店主)が現行の夜学バーに立つのはあと4日。
 繰り返しになりますが、6月1日に閉店のお知らせを出して、上旬少しお休みをいただきましたが8日からは休みなく営業、週に6日は僕がお店番しております。驚くほど多くの方においでいただいております。ありがたいことです。

 お店でも何度となく口にしているのですが、「閉店してみるもんだなあ」というのが正直な感想。賑やかで楽しい、一時的に儲かる、ねぎらわれたり惜しまれたりする、いろいろ良いことはありましたが、何よりも「潜在的な顧客を掘り起こせた」のが最大の収穫と言えます。
 久しぶりのお客さんや、昔からの友達にたくさん会えていることも嬉しいですが、それ以上に「初めて来ました」という方の多さに大いに救われています。
「ずっと気になっていた」という方と、「閉店が決まってから夜学バーを知った」という二手に分かれるわけですが、後者はちょっとズルっぽいですね。わずか188リツイート294いいねとはいえ、閉店騒ぎによってほんのりとTwitterアカウントが拡散されたおかげでしょう。フォロワーは2103(いずれも2023年6月26日現在)いるのでもうちょっと伸びても良さそうな気がするのですが、いやはや夜学バーのバズらなさには頼もしさすら感じますね。

「潜在的な顧客」として僕が注目したいのは、「今知った」人たちではなく、「ずっと気になっていたが、閉店と知ってようやく行く気になった」という人たち。「そんなに眠っていたのか!」とこちらは驚嘆しております。いや、正直にいえば、もっとずっとたくさんいるはずだとは思います。閉店間際に駆け込むなんて……と遠慮したり、閉店間際の雰囲気はきっと自分には合わないだろうな……と二の足を踏んでいる方もかなり多いと僕は考えております。この「遠慮」と「二の足」が多くのお店を経営不振ひいては閉店へと追い込んでいくので、みなさまよろしければどうぞこういったノイズはどっかの棚に置いちゃって(棚上げしていただいて)、「自分は夜学バーに行ったほうがいいのかどうか」だけを考えていただきたく存じます。

 自分が夜学バーに行ったら、自分にとってどんなメリットがあるだろうか? あるいは、夜学バーにとってどんなメリットがあるだろうか? そして、そのことはこの世の中(宇宙!)に対して、どんな影響を及ぼすのだろうか? みたいなことを、純粋に検討していただければ僕は非常に嬉しいのです。
 しかし通常、そんなことをいちいち考えて行動を決めることはあんまりありません。時間や体力は限られていますから、あらゆることに全力で思考をめぐらすわけにはいかない。だから「遠慮」や「二の足」といったノイズが発生して、「とりあえずやめておこう」と、検討を早めに終わらせてしまうのでしょう。ものごとを考えすぎるのは効率が悪い、どこかで切り上げなければならない。そのために「遠慮」とか「金がない」とか「忙しい」といった、さして本質的ではない言い訳(ノイズ)が持ち出されて、思考をいったん終了させる、そういう事情はきっとあろうと僕は思っております。

 こういったノイズ(といま僕が呼んでいるようなもの)は、逆に働けばショートカットにもなります。すなわち「閉店」と聞いたとき、「なくなっちゃうんだから、ああだこうだ考えずにとりあえず行っておこう」と、思考を切り上げて行動のほうへ行くわけです。今回、けっこう多くの人の中でこういう現象が起きていると思われます。

 たとえば「流行ってる」とか「今話題の」とかってのも、ショートカットを誘発するノイズでしょう。それを食べたからどうだとか、行ったからどうだってのはろくに検討されず、「なんか話題だから行ってみよう」というふうに、理由なく行動を決定できる。
 映画は常にたくさん上映されていますが、その中で「○○を観よう」と選択するのはかなり多くの場合「話題だから」で、それを自分が観ることの意味なんてのはさして意識されないはずです。そういうものだし、そういうふうにものごとというのは選ばれるのが自然でもあります。

 夜学バーというものは、別に流行ってもいないし話題でもないです。「このお店はいまの自分にとって必要だ」と判断した人たちが来るようなお店です。それでも「閉店」となれば瞬間風速はちょっとだけ上がり、なんとなく「話題」という感じになります。それで「行ってみるか」と重い腰を上げてくださる方がいらっしゃる、そういうふうに今のところ僕は理解しております。
 重要なことは、その「閉店だから行ってみるか」でおいでくださった方の中にはものすごく雑に分けて2種類あるだろうということです。「夜学バーが必要な人」と、「夜学バーが別に必要ではない人」。僕はこの数週間お店にいて、その2種類の人が実際にどちらも存在しているのだという実感を得ました。前者の方がいてくださる(と実感できる)ことは本当に、幸福なことです。

「閉店だと聞いて初めて来てみたら、自分には夜学バーが必要だと感じた」という方は、けっこうな人数いらっしゃいました。僕はそう思っています。「もっと早く来ていればよかった」と後悔してくださる方も少なくありませんでした。僕が反省すべきは、「閉店という飛び道具を使わなくてはそういう需要を掘り起こせなかった」という点にありますが、しかし閉店という飛び道具を使わずにどうやってその人をこの場に呼ぶことができたのか?というと、これは困難をきわめるでしょう。はっきり言って、閉店するしかなかったのではないかとさえ思います。


 ところで、「へいてん」という言葉から「へ」を抜くと「いてん」になりますね。なんかもっと上手な言葉遊びにもできそうですが、思いつかないので雑にそれだけ書いてみます。
 僕はあえて意図的にずっと「閉店」という言葉を使っていますが、お察しの通り夜学バーは「移転」を計画しております。このページの公開時からすでに《「夜学バー」という概念はもうちょっと続けるとして》とチラッと書いていますし、
●風通しをよくする(よどみのリセット)という項ではずいぶん匂わせをしています。

《夜学バーというものに僕はまだ愛着と可能性をかなり抱いているので、もうちっとだけは続けたいです。うまくいけば移転、という形にできるとは思うのですが、それには興味を持ってくださっている方、具体的にはこの長い長い文章をこんなところまで読んでくださっている方のご協力が必要です。よろしければ拡散とかしてください。そういうほんの小さなことが、小さなお店には本当にありがたいし、意外と意味だってあるのです。よろしくお願いいたします。》

 こう書いたうえで、「式年遷宮」という話に繋げていましたね。移転計画自体はすでに進行中で、じつは申し込んでいる物件もあるのですが、6月26日の今現在は不動産屋の審査待ち。これがダメだったらそれ以上に良い物件はまず見つからないでしょうから、かなり困ってしまいます。その時には本格的に「ご協力」をいただかないといけなくなるかもしれません。(ぜひすてきな物件のご紹介を……。)

 この「閉店のお知らせ」を公開した時にはすでに移転を念頭に置いておりました。それを「移転」ではなく「閉店」と言い通しているのは、一つには物件が確定しないから。また、巧妙に「夜学バーbratは閉店します」と書いているように、もうbratという屋号は絶対に使わないから。引き継いだ「Bar brat」が閉店することは事実でしかないのです。夜学バーという概念は連れていきますが、bratとは、そしてあの「池之端すきやビル301」という空間とも、ここで訣別。
 しかしもちろん最大の理由は、「移転」では効果が薄いからです。

「閉店します」と言われたら、ショートカットが誘発されます。「じゃあ行かなきゃ!」です。しかし「移転します」だとどうでしょう。「あー……移転直前は別れを惜しんで《常連》さんが集まるだろうから、自分は浮くんだろうな。むしろ新しい店舗になってから行ったほうが気軽に行ける気がするな」そんなふうに考える人が多いのではないでしょうか? そして、この人はきっと移転後もなんだかんだ何かに遠慮したり二の足を踏んで、忙しかったりお金がなかったりして、永久に夜学バーには足を運ばないのです。(そういう人もいるでしょう、という話です。)

「移転」と言うより「閉店」と言ったほうがインパクトが大きく、もたらされる利益(むろん金銭的な領域だけの話ではありません)が大きいと踏んで、そのような言葉選びをしています。「潜在的な顧客」を掘り起こすための工夫です。
 つまり夜学バーは、「移転」と言って問題なさそうなところを「閉店」と頑なに表現し続けて、「閉店詐欺」をしているとも言えます。やめるやめる詐欺。

 ただ、個人の感想としてはこれは紛れもなく「閉店」です。「移転」とは実質的には「閉店および新規開店」だと思います。別の空間である以上、どうしても同じお店ではありません。「夜学バー」という店名は残すと思いますが、まったく同じことはやりたくないし、やれるとも思えないです。今のところは「だいたい同じに見える」ようにやるつもりではありますが、こっそりといろいろなところを改造すると思います。心構えも経営方針もたぶん変わります。

「移転」と表現するデメリットは、「変わってしまった」ことをネガティブに捉えられてしまうことです。「移転」と言ってしまうと、「移転先でも同じ体験ができる」と暗に理解されてしまいます。そんなわけはないのです。移転前のファンは移転後のお店について「なんか違うんだよな~」と思ってしまうことが多いでしょう。それは「移転っていうことは、場所が違うだけで同じ体験を提供してくれるはずだ」と期待するからですね。
「移転」と言って同じ看板を掲げるのならば、「前のお店と同じ種類の魅力」を期待されてしまうのは無理からぬことでしょう。似たような例で、「老舗の喫茶店を引き継ぎました! 店名も同じです!」と言っておいて、前のお店の魅力を上手に継承できていないと、「だったら別の名前でやればいいじゃん」とファンは思わざるを得ません。もちろん「看板だけでも残してくれてありがとう……」って気持ちも同時にありつつ。
「店名は同じですが別の場所で心機一転、今の時代にあわせたオシャレなカフェとして新たにオープンし直します!」みたいに言ってくれたら、「なるほど」と思って、実際行ってみても「あーなるほど」って思う、だけで終わるような気がするんですけど、「移転します、店名も同じです!」だと、「おい全然違うやんけ!」ってちょっと憤っちゃう人の気持ちも理解できる気はするんですね。(自分のことでもありますが……。)

 これは閉店詐欺と批難されないための言い訳でもありつつ、お店とはいったいどういうものであるかという思索でもあるつもりです。
「よどみのリセット」というフレーズを先に使いましたが、「移転」という言葉にはその「よどみ」まで引き連れてゆくイメージがあります。「閉店」といえば少なくともいったんはリセットする感じがあるでしょう。単に言葉の問題ですが、大切なことと考えます。
 藤子不二雄A先生の代表作『まんが道』の実質的続編は『愛…しりそめし頃に… 満賀道雄の青春』というタイトルで、「まんが道」という語は入っていません。心機一転、ちょっと違った作風でやります、というアピールなのではという気がします。
 これにあやかって、僕も次のお店の名前を「夜…学びそめし頃に…」とかにしようかと一瞬血迷ったのですが、まだとっておきます。


「夜学バーbrat」というお店はいずれにせよ6月30日で閉店です。どこにも移転しません。ただ、「夜学バー」という概念を採用したお店は近いうちどこかに作りたいと思っております。いま申し込んでいる不動産が通れば大吉ですが、だめだったらいったんは凶です。どうなるやら、僕にも想像つきません。

 火曜から金曜までは怒濤の4日間になるでしょう。僕も多くの人にきてもらいたいです。次に更新されるのはおそらくそのあと。この長い連載もたぶんあと1回で終わります。



●閉店しました

 現在は令和5年7月5日の夕方です。6月30日に現店舗(旧店舗?)を閉店後しばらく経ち、ようやくいろんなこと(主には体力と気分)が落ち着いて、こうしてきちんとした文章の書けそうなタイミングが来ました。

 6月27日(火)から30日(金)にかけての最後の4日間は、「いつもと同じようにするために、いつもとは違うようにする」という感じでした。変わらないために変えてゆく、というやつ。

 ふだんの夜学バーなら一晩にせいぜい5~10人程度の来客なのですが、この数日間は15~30名くらい(単純に3倍)と予想されました。実際6月の営業はずっとてんてこまいになっており、正直「
体力の限界!」。手を動かすことに集中せざるを得ない時間も多くなり、「いつも通りの夜学バー」を最後まで貫き通すことに困難を感じつつありました。
 そこでオペレーションをやや簡素化して対応することに。主として「おつまみを出さない(持ち込みはむしろ推奨)」「水差しと紙コップを卓上に置き、お冷や(チェイサー)をセルフサービスにする」という二点。これだけでずいぶん楽になるのです。また退店時に食器をお戻しいただくこともほぼ自然発生的に定着し、非常に助けられました。いつもの夜学バーのフルサービスとは異なりますが、それゆえに維持できた「夜学バーらしさ」も同時にあったと思います。

 お店も大掃除しました。カドに設置していたテーブル板を撤去し、積んでいた本などを片づけ、補助椅子を置いたり立ち飲みするためのスペースを確保。カウンターの椅子も一席増やし、詰め込めば15人くらいは入るようにしておきました。これも「いつもとは違う」わけですが、「混みすぎてて入れない」「身動きがとれない」といった事態はもっと「違う」し、モノのもうちょっと少なかった初期の夜学バーに近づいたとも捉えられます。

 これである程度までは多くのお客を迎えられるのですが、夜学バーというのは「客層をコントロールする」ということによってその質を保ってきたわけですから、誰でもいいからたくさん来ればいい、という考え方は最後まで採用しません。いわば「ふるいにかける」ようなこともしました。
 月曜の深夜に下記の内容をホームページのトップに書き、Twitterにも全文転載しています。

 夜学バーbratの営業は残すところ6月27日(火)~30(金)までの4日間となりました。初めての方も含め少しでも多くのお客さんにおいでいただくため、ちょっとだけいつもと違う工夫をさせていただきます。

・この4日間に限り、おつまみは原則出しません。持ち込みは可能ですが匂いの強いものや汁物は避け、ゴミは完璧にお持ち帰りください。
・チェイサー(お冷や)はセルフサービスにします。また飲みもののうち水だけは持ち込み良しとします。
・忙しくなってきたら使い捨てコップにてドリンクを提供する可能性があります。また時間や手間のかかるメニューは状況によって「休憩中」となり一時的に注文不可能となる場合があります。そのほか臨機応変に、夜学バーとしての場の健全な維持と体力の温存とを優先して様々なことを簡略化、省略するかもしれません。飲食オペレーションに呑まれて「夜学バーさ」を損なわせてしまわぬよう。
・新たなドリンクが届いたら飲み終わった食器をご返却ください。また、お帰りの際にはおしぼりなども含めカウンター上のものをお戻しいただけますと幸いです。
・ご自身が注文したメニューを覚えておいていただけますと、お会計の際に間違いが起こりにくいのでとても助かります。
・混み合ってきた場合は、先に来ていた人からお店を出る、というのが小さなお店の暗黙のルールですが、「遠慮したり気を遣ったせいで心残りがあった」というのが最後の最後になるのは寂しすぎます。いったんお会計してから時間をおいてまたおいでいただく(その際木戸銭はかかりません)のもよいですし、店主との合意がとれれば「ちょっと散歩に」と外出していただいてもかまいません。実際、庚申(朝まで営業)の日などはそういう方がけっこういらっしゃいます。現実的には、どのような出ていき方をしていただくかは店主との信頼関係によって決定されると思います。
・物見遊山で「閉店らしいしせっかくだから行ってみるか」とおいでいただくのは大歓迎ですが、とりあえず「行った」という事実だけをつくるだけつくって居酒屋のような感覚で座っていることは決してゆるしません。ここは夜学バーですので、一所懸命その名に恥じぬ対応をさせていただきます。このあたりはいつもよりだいぶ厳しくやります。
・こんなことを言われても困るかもしれませんが、僕は斉藤洋さんの『ひとりでいらっしゃい』という児童書がとても好きです。ひとりで行けば入れるけれども、誰かと連れだって行くと現れないふしぎな部屋、というのが出てきます。夜学バーはちょっとそういうところがあります。できるだけ、ひとりでいらっしゃい。複数人で来る予定のある人は、待ち合わせなど一切せず、一人ずつ来てみてはいかがでしょうか。もちろん絶対に一人でないとダメだ、という話ではありません。魔法がかかったり奇蹟の起こる可能性がより高いと思えるほうを選んでください。これらは本気で書いています。よろしくお願いします。
・人が多いと無意識に声が大きくなってしまう人は多いです、意識して静かにいてください。店主は耳が敏感ですぐにぐわんぐわんなります。そのほか声量については色々考えていることがあるので、気になる方はおたずねください。
・いま思いつくのはこのくらいですが、ともあれ「店員の作業を最小限にするためにご協力ください」というのと、「夜学バーを最後まで夜学バーらしく、学びある場として保つため、平常時の夜学バーと同様に《その場をよくし、ひいては世の中をよくする》よう意識して存在していただけますと幸いです」という話です。最後だからとて、何も特別なことはありません。いつも通り、ここは学びの場でしかありません。そしてこの一連の文章は、これから初めて夜学バーにやってくるあなたのために書いています。迷っていたら絶対に来てください。ただしお行儀良くしようと努める気のない人は絶対に来ないでください。

 これを読んだお客さんから「ラーメン二郎みたいな注意書き」とのご感想をいただきました。面倒くさいお店ですみません。これは25日(日)の反省を踏まえてのことでもあります。
 その日は、数は多くなかったものの明らかに物見遊山の、夜学バーで何かを学ぼうというよりはただ「実績解除のスタンプを押しに来た」という風情の方も見受けられまして、そういった方々が居酒屋のように内輪の話を続けるような場面もありました。そんな折、ある初来店の若い人(と見えました)が満席と見て取って、中に入らず、僕とも一言も交わすことなくそのまま踵を返してしまったのです。こんなに残念なことはありません。
 その「居酒屋勢」が悪いのではなく、これは当然夜学バーの落ち度です。彼らを夜学バー的学びの中に引き込めなかった、また居心地を自然にコントロールしきれなかった僕の力不足。正直言ってこの時は、あまり上手にやれませんでした。そもそも「最後の日曜」に駆け込み需要が集中することを予想して先手を打っておくべきだったのです。すなわち、上記の注意書きは数日遅かったわけですね。
 営業の後半は非常に良い雰囲気でやれました。やはり日曜の遅い時間は客足が鈍りますね。それについてはいつもと同じ。

 この口うるさい声明が功を奏したのか、最後の4日間は一人のお客も門前でお帰りになることがなかったと思います。いらっしゃったらすみません。日曜に帰っちゃった人も、ぜひ今度、お店にきてください。いつまでもお待ちしております。
 最後だから無礼講、ってことは絶対に嫌だな、と思っていたので、最後の最後まで口うるさい、面倒くさいお店でいられたことも実に誇らしいです。もちろんそれ以上に、オペレーションを簡素化したりお部屋を片付けたりしたことに具体的な効果があったのだとは思いますが。


 そして実は、「いつもと同じようにするために、いつもとは違うようにする」の最も美しく夜学バーらしいことは、「新人を登用したこと」でしょう。
 基本的に僕は、みんなが思いつかないようなことをやりたいのです。最後だからジャッキーさん(店主=僕)が一人でやるだろう、とか、手伝いとして昔の従業員がカウンターに入るかも?というのは、誰しも予想できること。最後の最後に、謎の新人が複数人入るというのは、おもろいんちゃうか、と思って、そうしました。

 むろん、おもろいという言葉の内には、そういうふうに「未来」を感じさせて終わることって美しいよね、というのが含まれていて、これが本当です。アニメ『マジンガーZ』の最終回で次番組のロボットであるグレートマジンガーが助けに来るとか、青山剛昌『YAIBA』の終盤で「六代目沖田総司」という、その時点では明らかにヤイバよりも強い美少年が現れて、決着をつけずに去って行く、とか。鳥山明先生の『ドラゴンボール』もウーブという子供の登場で幕を閉じますね。最後の最後で新キャラが出てきて、未来を感じさせる。そういうことが大好きだしで、そういうことがしたかったわけです。
 とはいえ、店長の女(スケ、イロ)が急に手伝いに来るとか、まったくお店を知らない人がいきなりでかいツラをする、というのは一気に最悪なので、ちゃんとお店に長く良く通ってくれていて、ちゃんとやりたがってくれそうな方々を選んでおります。
 夜学バーは教育機関でもありますから、最後の最後を「教育」で終えるというのを、したかったのですね。それこそ『ドラゴンボール』のラストと同じなのです。(おなじ愛知県というのもあり、僕は鳥山明先生をまことに尊敬し申し上げておりますから、死ぬまで鳥山作品を例えに使っていきます……。)
 27日の火曜日は新人ではなく、「あすか」さんという、5年間ほど断続的にお店を手伝ってくれている方にお願いしました。一人でやるのは「体力の限界!」なので、慣れた人にも来てもらった。彼女がもともと火曜担当だったのもあります。
 あすかさんが書いてくれた追悼文はこちら。名文です。
 この日は思ったほどお客は多くなく、「二郎みたいな注意書きのせいかな~」と笑っておりました。現役従業員のまちくた氏もやってきていて、3人でキャッキャやってる時間が長かった。カウンター内で、あすかさんがまちくたさんの髪を結ってあげていて、その間に注文が入ると、二人ともパパって動いて連携してドリンクを作る、そしてまた髪結いに戻ってゆく。惚れ惚れするほど素敵な光景だった。僕もまちくたさんにツインテにしてもらった(今、髪が長いのです)。赤いチェックのシャツ着てたのもあって、自分がかわゆすぎて爆笑、そのまま学ラン(ヤガシューのsakuくんが遺していった)を羽織ったら、「概念がバグる!」とみんなで爆笑。なんか、この日こそが本当の意味で「夜学バーっぽい楽しさ」が最も極まっていたかも。

 28日(水)と30日(金)は、高校2年生に来てもらった。初来店は小5か小6の時だけど、カウンターの中に入るのは初めて。直前(日曜深夜)にLINEでスカウトしたら、二つ返事で「行きます」と言ってくれた。28日の時点で驚くほど「しごでき」で安心。これなら最終日も任せられる。
 ちなみに拙著『小学校には、バーくらいある』執筆時にちょうど小学校を卒業する前後で、けっこう綿密に取材をさせてもらった。あのお話のリアリティ(あるとしたら)の何割かはこの方のおかげです。改めてありがとう。
 教えることは多くない。ストレート、ロック、水割り、ソーダ割りという「基本の4」を覚えてもらったら、ほとんどのドリンクはそのどれかの応用なのである。もちろんお酒は一滴もなめさせないけれども、作り方の理屈さえわかってもらえたら妙な味になることはない。そして何より大事なのは、堂々としていること。これについては何の問題もなかった。
 終わりがけに謎の高校生を急に登用するというのは、お客さんたちにとっても新鮮だったようで、これも夜学バーらしいと受け取ってもらえた、と思う。ここは学びの場ですから、カウンター内に今まさに明らかに、具体的に「学んでいる」人がいるというのは、名に恥じぬ良き光景だったはず。

 29日(木)は中学3年生に来てもらった。この一年くらいよく通ってくれている。誘うのには迷いがあった。果たしてやりたがってくれるだろうか、と。カウンターに入ることに興味がある、というような話はしたことがなかった。でもやっぱり、誰かを呼ぶならこの人だな、という直観があったのだ。勇気を出して声をかけた。勇気、要るんですよ。僕は基本的に本当に、臆病なので。

 ちなみに、夜学バーの歴代従業員のほとんどはお客さんの中から、「ここで働かせてください」と申し出てくれた人たち。火曜に来てくれたあすかさんは例外で、貼った文章にも書いてあるとおり僕からスカウトした。数少ない例外なのだ、実は。
 今回の高2と中3も、スカウト組。たまたまではあるが、なんとなく面白い。

 TwitterのDMで声をかけたこの中3さんも二つ返事で、ろくに打ち合わせもせず当日いきなり来てもらった。薪を割るのが得意だそうで、氷を割るのもうまかった。「木目と同じ?」みたいなこと聞いたら「まさに、そうです」と。すげー。ここ、ものすごく夜学バーっぽいポイントな気がする。技術というものは、応用できてこそなのだ。
 手さばき的にも、接客的にもよき才覚をお持ちと見た。年若きゆえ遅い時間まではいてもらえないのが残念。当人も楽しかったようで、ニヤリとしてしまった。みつごの魂。

 若きふたりは真剣に(?)お客さんとして通ってくれていたのでしょう、特に説明しなくてもだいたいの仕事の流れはすでに理解してくれていた。これぞ「知識の活用」すなわち「応用」であって、生きた学びの証。


 3日間とも、夜中はもちろん僕だけで営業。29日に来てくれていた人がこんな文章を書いていた。古い友人だが、このお店がなんらかの刺激やきっかけになっているとしたらとても嬉しい。
 中3から10年くらい仲良くしてる女の子が、結婚しますと言って男の人を連れてきた。「恩師に紹介する気持ちで」とのこと。
 僕が二十歳のころ初めて通ったバーに、同じ時期に通い始めた「同期」のお兄さんが来てくれた。卒業した大学が同じだったこともあって、東京の兄と慕い、初めて出席した結婚式もこの人のだった。
 働いていた女子校の生徒。その前に働いていた中学校の生徒。20歳の時にmixiで知り合った同い年の友達。まなびストレート!というアニメを通じて仲良くなった友達。高校の同級生。放送大学の学友。前のお店から通ってくれている人たち。
 そういった古い友人たちよりもずっと多く、このお店ができてから知り合ったお客さんたちがたくさん来てくれた。5~6年通ってくださっている方から、ほんの1週間前とか数日前に初めて来たという方、また、今日初めて来たのだという人まで。お店として「生きている」というのはこういうところで証明される。本当に幸福なことです。

 かねてより夜学バーは「奇跡の起こる確率を高める」ということを標榜しております。奇蹟、ちゃんといろいろ起きていました。(見方によれば必然でしかないようなことなのですが、幸福すぎる必然は奇蹟と区別がつかないのです。)

 ある友達(お客さんと区別がつかない)から、「おすすめの喫茶店を教えてください」と言われた。それで僕は白山の「貴苑」という、いわゆる「好きすぎて誰にも教えたくない」お店を伝えた。誰にも、というのは語弊がある。そのお店にお客さんが増えるのは良いことだけれども、失礼な人や、明らかにお店の雰囲気を壊してしまうような人たちが急増するのはよくないと思うから、拡散には慎重になっている、というくらいの意味。この子にならいいや、ということでおすすめしたのである。
 その子は一度行って気に入って、後日ふたたび足を運んだ。そうしたらなんと、貴苑はすでに閉業してしまっていた。
 中を覗いてみると、誰かいる。若い女の子。あとから聞くと二十歳だという。「私がこのお店を継ぐことになりました。せっかくだからコーヒーを飲んでいきますか?」と言われ、小一時間話し込んだ。これが29日の話。このときに夜学バーの話をしたそうなのである。で、30日にその女の子が来てくれた。貴苑の内装や調度品、食器などをできるだけ活かして、「ELLA & LOUIS」というレコードでジャズをかけるお店にするのだそうだ。
 これは奇蹟なのだろうか? その認定については置いといて、きっかけは「おすすめの喫茶店を教えてください」である。そこから風が吹けば桶屋が儲かるように、事態は延伸していった。僕が友達を信頼してお店を教えて、彼女はそのお店を気に入ってリピートして、そこを継ぐ人は「コーヒーでも飲んでいきますか?」と言うような人で、僕の友達は「じゃあ、ぜひ」と頂いちゃうような人なのだ。その友達はそこで夜学バーの話をしてくれるような人で、継ぐ人は「明日までなんですね! 明日行きます」と言って、本当に来てしまうような人なのである。
 奇蹟というのは、それをつなぐ人間たちによって育まれてゆく。複数の人たちの感性が一列に繋がると、ときおりそれが線として可視化される。そういうことがこの6年間でどれだけあったか、まったく数え切れない。

 6月24日(土)、夕方までお店に立っていたまちくたさんは「明大前のライブ観に行ってきます」と出て行った。翌日、「きのう愛知から来て、明大前にライブを聴きに行って、その感想をTwitterでチェックしていたら、まちくたさんという人が出てきました。それで夜学バーを見つけて、これはと思って来てみました」というお客さんがあった。そのライブは関係者だらけで、お客と言えるのは3人くらいだったそうな。その中の2名がこういうふうな繋がり方をするというのは、「感性が線になる」ということそのものだろう。
 はじめは、「女子高生めあてのおじさんか?」と多少、警戒した(しますよね)のだが、話を聞くとこの人は本当に、純粋に、夜学バーのホームページを読んで感銘を受けてくださったようなのだった。
 その日は前述したとおり、お客さんがやたらめったら多い日だった。それもあってかその人は数日後、28日(水)にもいらっしゃった。「あれ? 愛知にお住まいなのでは?」とたずねたら、「仕事が終わってから(新幹線で)来ました」と。なんて強火! ここにきてこれほどの強火担(つよびたん)が現れるとは……!
 彼のいたタイミングはちょうどお客さんも凪いでいて、わりと静かな時間だった。「二郎声明」の効果もやはり、あったと思う。しかし重要なのは、わずか数日前に夜学バーを知り、まだ2度めの来店であるこの方も当然その「声明」を読んでいるはずなのである。こういう人のことは弾かない、いや、弾けないのだ。強火だから。
「こないだはすごく混んでいたので、こういう(ふだんの夜学バーを想像できる)状態の時に来られてよかったです。」と、新幹線での弾丸ツアーにも悔いがないようだった。実に嬉しいこと。

 新潟から弾丸でいらっしゃった方もいた。「ゆよん堂」というお店を内野という、新潟大学に近いエリアで営んでいる方。一度お邪魔したことがあって、それから緩やかに繋がっていたのだが、このページの文章を読んで「行こう」と決めてくださったらしい。励みになります。

 そういった話はきりがないくらい、いろいろな人が、いろいろな思いと事情を持ってご来店くださった。非常に有り難く、誇らしいです。


 最終日、お店は24時に閉めた。いちおう30日までなので、その日のうちに終わらせたかった。あとは「片付け」と称した、だらだらとした宅飲み状態へ移行。
 そして深夜2時くらいから、簡易的な「ライブ」を行った。

 きっかけはまちくたさんが、「最終日に弾き語りでライブやろうよ」と誘ってくれたことだった。あんまり気乗りしなかったのだが、「私が前座で、エレキで長渕剛の『乾杯』を歌うから!」と言うので、なんかよくわかんないけど面白いなと、計画を進めた。
 なんで気乗りしなかったのかというと、このお店は音楽のお店では決してないから。最後に音楽で締めましょう!というのは僕の好みではないし、夜学バーらしくもない。店は店のまま終わりたかった。それで営業が終わったあと、片付けに紛れてやっちゃおうということにした。
 自分の中で線引きができていることが重要なので、30日で夜学バーbratはおしまい! で、そのあとのプライベート時間で、なぜか理由もなくライブをする、というふうにしたかった。ゆえ個人的につけたライブタイトルは「令和5年7月1日」。

 1年ちょい前、16歳だったまちくたさんが夜学バーを本格的に手伝い始めたころ、小さなギターを一本、夜学バーに置いていった。僕はそれをたまにいじって練習して、なんとか下手ながら譜面を見つつ簡単な曲を弾き語りするくらいはできるようになった。その上達を手助けしてくれたのはもちろん彼女。今現在の僕のギターの音色は、まちくたという人間がこのお店で過ごした時間の象徴でもある。
 お店の終焉後、僕がこの場所で弾き語りをする、というのは、なんらかの決算なのだ。そんな気がした。

 6月22日に初めていらっしゃった若い人に、「こんどライブするんすよ~」と言ったら、「小沢健二さんがソロデビューの頃に使ってたフェンダーと同じの持ってますけど、使います?」と言われたので、「ぜひ!」と答えた。こういう約束は果たされないことも多いが、彼はしっかりと30日の深夜、重いエレキギターを携えてやってきた。それを使って僕は小沢さんのソロデビュー曲である『天気読み』をやった。彼とは本当に短い時間をともに過ごしただけであるが、「約束通りにギターを持ってくる」「それを僕はしっかりと弾く」こういうことが存分に友情である、と思う。

 約束といえば、29日に来た古い友人に、「明日ライブやるんだけど、君も出てよ」と言ったら、本当に来て、3曲やってくれた。黒井46億年という名の、一応シンガーソングライターである。ぜんぜん活動していないし新曲もずっと作っていないが、僕は好きなので、お尻をひっぱたきたかった。相変わらず、というか、練習してないぶんよりいっそうド下手だったけど、熱量は変わっていなかった。安心した僕は「その勢いで新曲を!」と煽ったら、後日ネットで「9月に音源出します」と宣言していた。こうやって少しずつ、いろんなものを動かしていきたい、と思っているのが、夜学バーなのです。僕の個人的な感想ですが、彼が音楽をやらないよりも、やっていたほうが、ほんのちょっと世の中はよくなると信じるのです。

 話は前後しますが、オープニング・アクトのまちくたさん(成人済)はまず小沢健二さんの『昨日と今日』(アルバムで『天気読み』の前にある曲)をやったあと、「『乾杯』をやるというのは嘘で、実は生まれて初めて曲をつくってきました」という。某ミュージシャンのエピソードにちなんだフェイクだったらしい。『風葬』という曲。ちゃんと、終わってゆく夜学バーと、これからのことを思わせる歌になっている。いい曲です。
 僕はここで本当に頼もしい気分になりましたね。そう! どんだけ個人的に線引きをしたところで、現実的にはこれが夜学バーの最後を飾ることにはなるってのに、他人の曲のコピーをするだけじゃ「ただのお遊戯」になってしまう。それをたぶん、意識的にか無意識にかまちくたさんもわかってくれていたんじゃないかと思う。たとえ稚拙だったり恥ずかしかったりしても、オリジナル曲で勝負できなければならないのである。
 そのあとに出た黒井46億年も、すばらしいオリジナル曲を持っているから打診したのだ。どれだけ上手でも、他人の曲をやる人には今回は頼まなかった。

 さてそれで、僕はどうしたのか? 小沢健二さんの曲ばっかりやりました。それはもう、このお店の理念ってのは、いやもっと言えば僕の基本的な考え方ってのは、かなり小沢さんに育てられたり、鍛えられた部分がありますから。セットリストは以下です。だいたいアコギ。


 恋しくて
 美しさ(転調前まで)
 ある光
 さよならなんて云えないよ(転調後から)
 流動体について(ギターソロまちくた)
 天気読み(フェンダー)
 流れ星ビバップ(終盤のみ)
 お散歩遠く
 ぼくらが旅に出る理由(まちくたギター、僕歌)


 詳しくはこの動画を見てもらうとして……。
 さて『お散歩遠く』とはなんぞや? オリジナル曲です。誰にも言わず、こっそり作りました。詳しくは僕の個人ホームページのこの記事をどうぞ。
 いやしくも夜学バーという聖地でライブをやるなら、やはりコピーだけじゃダメなのです。めっちゃくちゃ忙しい中で、ものすごく短い時間で作りましたが、↑の文章にあるようになかなか僕は好きです。よろしければ


 奇蹟、というのはどうして起こるのかというと、ある程度「気が合う」ということが関わってくるような気がします。まちくたさんも僕も、誰にも一言も言わずに勝手に「生まれて初めて作った曲(僕は1.5曲目くらいだけど)」を持ってきている、この符合はかなり奇蹟っぽいですが、結局のとこ「みんな考えることは同じ」という話なのでしょう。
 すでに書いたように、これを「ただのお遊戯」に終わらせないために。そして、言葉では表しきれない夜学バーへの想いを別の形で具現化するために。

 まちくたさんがギターを弾いて、僕がそれに乗せて歌った最後の『ぼくらが旅に出る理由』も、お互いがお互いの演奏を聴いて、合わせながら作っていくような感じがあって非常によかった。夜学バーという空間は、一人の人間では作ることができません。カウンターの中にいる人と、少なくとも一人以上のお客さんがいて初めて「夜学バー」という空気は生まれます。それのかなり原始的なというか、純粋な実演を、音楽なるものを通じてやったようなところはあると思います。

 僕は「音楽は万人に共通、誰とでも通じ合える」という言説を、もちろん否定はせず、それはその通りとほぼ認めますが、そういう言葉を使うことは好きじゃありません。人と人とはいろんな通じ方をするもので、音楽でばかり通じようとするのは手抜きだし、それで通じられない相手を排除しかねない。夜学バーは「音楽」というものを介在させる可能性を封じはしませんが、そればっかりに偏ることは絶対に避けたいと思っています。だから「最後に音楽で締めましょう!」を僕は嫌がるわけです。音楽、というノリにどうしてもなれないという人は山ほどいます。僕だって基本的にはそうです。フェスもライブも苦手です。
 一つの例として、今回は音楽を使用しました。それを禁止するのはまた問題があります。好きなようにやりつつ、それがあまりにも偏らないように意識はし続ける。そういうバランスでなんとか、うまいことやれたんじゃないかと個人的には思っています。


「友達は家へ帰ってしまった 夜通しのリズムも止まってしまった 大空へ帰そう にぎわう暗闇から涙を拾って」(小沢健二『暗闇から手を伸ばせ』)

 一人、また一人とおうちに帰っていって、僕もやがて帰路につきました。そして夜学バーbratなる、6年3ヶ月続いたお店はおしまいになりました。
 店内はいずれ片付けられ、もぬけの殻になった後、別のお店に変わる予定です。
 夜学バーという概念はどこへ行くのか? というと、ようやくお知らせできますが、ごく近くで復活を果たす予定です。

 物件の更新ができないと不動産屋から伝えられたのが5月26日、それですぐに閉店を決め、6月2日には実はべつの物件を申し込んでおりました。その審査結果を知らされたのが、なんと6月29日。ギリギリでした。いちおう最後の2日間だけは、かなりホッとした状態で営業できたというわけです。

 慎重な僕は、契約書を交わすまでは安心しないようにしておりますが、96%くらいの確かさで、あの店舗から徒歩1分未満の場所で復活できることが決まっております。具体的な場所は追ってお知らせいたします。
 9月1日(あるいは9月0日)に再開予定。そのあたり、予定を開けておいてくださいませ。
 なぜ9月頭かというと、学校っぽいふうにしたいから。新学期。地方にもよりますが、8月31日までは夏休み、というのがなんとなくしみついているもので。


 変えたいところは変えて、変えたくないところは変えない、新しい夜学バーをやっていくつもりですので、ぜひとも見に来てくださいませ。閉店詐欺と、開店祝いとを定期的にやれるのが式年遷宮のたまらないところですね(晴れて復活が決まったからこそこういう冗談が言えるのです、お許しください)。

 次は「開店のお知らせ」でお目にかかります。長文をお読み下さってありがとうございました。もう一度最初からお読み頂けると幸いです。

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