【2026年のさく】
夜学バーに週1日もしくは2日程のペースで立ち続けるようになったのが2024年3月、大学1年生の時でした。
そしてもうそろそろ大学3年生。立ち続けて3年目になります。夜学バーに初めてお客さんとして来たのは2022年17歳の時。
個人的な近況。大学2年生の終わりまで日本大学芸術学部の放送学科に通っていたのですが、色々と思うところがあり今年度からは同学部の映画学科の3年生に転科することに。
1年生と2年生が学ぶカリキュラムを1年でギュッと学ばなければならなくなるので、相当忙しくなるし覚悟しておいた方が良いと先生方から言われました。望むところ。
もちろんどんなに忙しくなろうとも2026年度も、そして今後も夜学バーに立ち続けていく所存です。
夜学バーではお互いがお互いに向き合う訳ではなく、どんな未知に踏み込んでいけるかを一緒に模索し場を作っていくような時があります。
そういう時、「独りで生きながらみんなと生きる」ということの端っこに触れたような気分になります。これが立ち続ける理由のひとつ。
独りで生きながらみんなと生きるということをしたいけれど、自分にはみんなが、他者がまだよく分かりません。
だからこそ、他者の分からない部分を見つめ続ける勇気を、自分が発する言葉を大切にする知性を、相手の話をちゃんと聞ける想像力を持ちたい。その試行錯誤を夜学バーで重ねています。
立ち続ける中で、己の未熟さゆえの失敗と後悔が尽きることはありません。
だからこそまだ歩みを止めることはできないですし、きっと止まることもないのでしょう。
ぜひお越し下さい。
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(2026/03/19)
<店主より>
夜学バーではお互いがお互いに向き合う訳ではなく、どんな未知に踏み込んでいけるかを一緒に模索し場を作っていくような時があります。
僕の愛する夜学バーのあり方を見事に言い表してくれています。まさにこういうことです。このことを「意識している」というのが夜学バーの特色でしょう。
「お互いに向き合う」というのは緊張しますし、「お互い(個人)」というところから離れることが難しくなります。角度としては向き合っていてもいいんだけども、僕の表現でいえば、その間に「砂山」のようなものがあったほうがいいと思うのです。
砂山というのは砂浜や砂場で砂を集めてできる大きなかたまりで、そこに水をかけるなどして固めていくことによって何らかの形ができていき、うまく行けばお城をつくることさえできます。それは波風や「帰宅」によって崩れたり見えなくなってしまう儚いものではありますが、その時間の中では何よりも輝いていて、永遠に心の中に残るはずのものです。雪の日のかまくらも同じです。
砂の城やかまくらは一人でつくることもできますが、何人もの力を借りてつくることもできます。そのほうが大きくて頑丈で独創的になるものです。独りよりもなぜか大勢でやるほうが独創的になりやすいのはじつに逆説的で魅惑です。一人の天才がつくった砂の城よりも、その天才がべつの人たちと一緒に自分の個性を殺さずにつくった砂の城のほうがきっとより独創的であろう、と信じる、という話でもあります。
夜学バーの場合、砂山は「カウンター」にあたり、砂の城は「未知」にあたります。L字型のカウンターの上でともに未知を創っていく、その営みのなされている状況を「場」と呼ぶわけです。
さく氏の言う「独りで生きながらみんなと生きる」というのは、「みんながめいめい砂山に向き合っている」というようなことだと僕はイメージします。その砂山がどんな城になるのかは誰にもわかりません。リーダーもいなければ責任者もおらず、納品先もないので完成させる必要すらなく、誰もが好きなように砂山と向き合います。「あえて今は手を出さない」という場合もあれば、「壊してしまいそうで躊躇する」という場合もあるでしょう。そして「いっそ壊してしまえ」という人もいるかもしれない。その人の破壊の自由を、いったんは認めないのが夜学バーの考え方で、しかし「なぜ壊そうとするのか」の検討は欠かしてはならない。その城が恐ろしくグロテスクな城で、絶対に建築を許してはならない種類のものかもしれず、その人以外にはそれに気づいていないか、言い出せないだけかもしれない。
途中で放棄することはもちろんできるし、別の砂山を用意したっていい。作りかけた砂の城はそのまま忘れられて風化することもあるけど、ひょんなきっかけで建築が再開されることもある。しかし閉店すると、そのすべての城はすべて崩れる。みんなの記憶の中にだけそれぞれの形で残る。
そういうことを積み重ねていくことによって、「他者」というものとの付き合い方、捉え方がそれぞれにできあがっていく、と信じる。夜学バーは原っぱ、空き地、公園といった子供の遊び場の延長にあると僕は常々主張するのですが、これはそのようなわけなのです。
(2026/04/06)
<以下、2026/04/06までの掲載文>
さくです。現在(2025年)は大学生として勉強に励んでいます。
2024年の4月頃から夜学バーの中に従業員として立つようになりました。
お店に始めて行ったのは高校2年生(2022年)の3月14日。夜学バーではその頃、現在従業員として働いているまちくたさん主催で漫画『鈴木先生』を語る会の企画が進められていました。
作者の武富健治先生をTwitterでフォローしていた僕のタイムライン上にたまたまその情報が流れてきて、「何だかよく分からないけど面白そう」となり、夜学バーを訪ねました。
1回目の来店では「何だか面白かったけどフワフワとしていてよく分からなかったなー」という印象。
でも面白かったので、5日後(2022年3月19日)にもう一回訪ねてみることにしました。
2回目の来店では何故か薬物についての話に。
その時の、「薬物依存は薬物そのものが引き起こすのでは無くて、人間関係の欠損が引き起こす」という話を軸にした、話がどんどん積み上がって、広がっていく場の面白さ!!
夜学バーというお店に通っていると、自分自身の頭を使うことによって、これまで自分に無かった言葉がどんどん出てきて積み上がっていきます。
その過程がすっごく楽しくて、どんどん夜学バーに魅せられるようになりました。
僕の場合、この夜学バーとの出会いがはっきりと人生の岐路になっています。
高校を2023年に卒業した後、僕は半年間沖縄、一ヶ月インド、その後に労働の日々を送って1浪として大学に入学します。
もし夜学バーという場に、当時高校2年生の僕が来なかったら?
「みんなが行くから僕も」ということで大学に行って、沖縄で理不尽なことに出会うこともインドの汚さに心を曇らすこともなく、暮らしていたはずです。
夜学バーという存在がきっかけとなって、「自分の頭で考える」ということをしてみるようになりました。そして、そこから得られる学びを楽しめるようになった。
多少なりとも賢くなってしまったのです。ラッキーなことに。
沖縄では職場でとんでもなく理不尽なことに出会ったり、インドでは出会う全ての強烈さに精神的にかなり落ち込んだりしました。
そのこと全部を含めて大きな「学び」になったし、自分の思考の土壌にもなる良い経験ができたと思っています。
夜学バーでは、「自分で考える」ということに加えて「みんなで考える」瞬間があります。
それぞれが自分の頭で考えたことばを話すと、その発せられたことばたちによって空間や時間がキラキラと美しく彩られる。
もっともっとその美しさを知りたい。そして、そのキラキラとした美しい空間と時間を僕1人ではなく他の誰かと共有したい。
是非一度、覗きにきてください。毎週水曜日にお待ちしてます。
(2025/02/24)
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●note
《店主より》
「フワフワ」が「キラキラ」になっていった過程とその感覚が活写された名文と存じます。saku氏が夜学バーというお店をどのように捉えてくれているかがよくわかる。来店した日付や、その時に話した内容をよく覚えているのも嬉しい。若き彼にとってよほど鮮烈な印象だったということでしょう。
せっかくなので当時の日報を漁ってみます。
〈略〉なんだかすごい日だった。まちくたさんじゃないほうの高校生は初めて来てくださったのだが、いいときに来たと思う。持ってる。ちなみに未来の話をすると、彼が二度目に来たときは他のお客さんはいっさい誰も来ず、僕と数時間サシでお話しする会になった。それもある意味で神回。持ってる。〈略〉
(2022/03/14月)
雨。14日に初めて来てくれた高校生が二度目の来店。「二度めは、ずっと」と言いますが、やはりちょっと安心しますね。いちど再会できたら、また何度でも再会できるような気がする。できない時だってあるだろうけど。
この日はそれからお客なし、1日の売上がなんと500円。いやー、これこれ。これですよ。ギャンブルの醍醐味というか。僕がパチンコも競馬も必要としないのはこういう商売してるからなんですよね。土曜の夜に高校生とサシで4時間くらい喋るって、これはほんとうにかけがえのない500円ですね。半分ヤケで言ってますが。
話題は多岐に渡り、僕が喋りすぎたかなと思う瞬間もあったけど、相手もさるもので、的確なコメントをシュッとくださる。そして自分の思ったことや、経験を話してくれる。おかげで一方的になりすぎることがない。そういう人なので、「自分もこのお店でなんかやってみたい」という申し出を快諾。なんかやってもらいます。とりあえず22日に見習いでカウンターに入ってもらうことにした。学年が変わる前に「実績」をつけておけば、一生言えますからね。「高3からやってます」より「高2からやってます」のほうがバリューがある。
なんてこというと、「アルェ〜、ジャッキーサァン、年齢差別ですカァ〜〜??」とか言われるの怖いですが、ちょっと違うのです。それについては今、ちょっと長めの文章を構想中。
軽くだけ書くと、ダブルスタンダードっていうのは、「条件(入力)が同じなのに出力が違う」ってことだと思っていて、「条件が違う時に出力が違う」ってのは、当たり前のこと。大事なのは、「その時、どの条件に焦点を当てているか」ということを都度自覚していること、なんだろうな、とか。いやこれは説明するの難しいし、まだまとまってもいないので、これはメモ程度のものとして。
「今って、年齢に焦点を当てる必要ありますか?」って場面が、ちょっと多すぎるよね、みたいなことを僕は言いたいのかもしれません。
(2022/03/19土)
14日は賑やかだったみたいだけど、19日は土曜なのにお客1名。これはやっぱり「持ってる」ってことだと思う。他のすべてのみんなが「行かない」という選択をしている日に、彼だけが「行く」を選んだのだ。
引用の終盤はsaku氏に直接関係がないように思えますが、夜学バーにおいてすべての若い人の課題とは「年齢とどう向き合うか」ということだし、裏を返せば若くない人でもそれを意識したほうがいいだろう。「いったん年齢を度外視する(焦点を当てない)」という判断はとても大事だし、「今は年齢を意識する時だ」という瞬間も当然ある。そこをしっかり峻別したうえで、うまく(最も面白くなるように)取り扱うのがたぶん夜学バーの真髄。
たしかsaku氏もどっかのタイミングで「年齢に頼りすぎている」と自戒していたような気がする。
それにしても彼も(ということは他にもそういう人がいたわけです)来店2度目で「何かやりたい」と申し出てくれているのですね。このスピード感は年齢を重ねると失われがちだと思う。年かさの人間も意識して加速していかなければならない。
ほどなくして「フェスティバルがやりたい」と言い出すのだがそれもまたすごいスピード感。彼らは自分からは言わないのでこっそり書いておきますが2022年夏にsaku、まちくた、モエの主催でかなり大規模なお祭りを夜学バーの外でやったのです。掘ればすぐに出てきます。
戻って、saku氏による本文について。それぞれの「自分で考える」が「みんなで考える」という形に結実した時、その空間や時間はキラキラと輝く。この表現について完全に同意、共感します。実際僕もそのキラキラのために「考える」ということをしているのです。一人で考えるだけではダメで、だからお店をずっとやっているのだと思います。
そういう感覚を共有できる従業員がいるというのは実に嬉しく誇らしいことなのですが、同時に責任のようなものも感じています。引き込んでしまったなと。「みんなが行くから」という理由で大学に行く、という未来を奪ってしまった。ゆえにこそ、お互いに全力を尽くさなければ。やるからにはやろう。徹底的に。堂々と。
そのために必要なのはなんと言っても「お客さんの存在」です。これを読んでいる皆様方、ぜひsaku氏と同じ空間を過ごしてみてください。
(2022/03/14月)
雨。14日に初めて来てくれた高校生が二度目の来店。「二度めは、ずっと」と言いますが、やはりちょっと安心しますね。いちど再会できたら、また何度でも再会できるような気がする。できない時だってあるだろうけど。
この日はそれからお客なし、1日の売上がなんと500円。いやー、これこれ。これですよ。ギャンブルの醍醐味というか。僕がパチンコも競馬も必要としないのはこういう商売してるからなんですよね。土曜の夜に高校生とサシで4時間くらい喋るって、これはほんとうにかけがえのない500円ですね。半分ヤケで言ってますが。
話題は多岐に渡り、僕が喋りすぎたかなと思う瞬間もあったけど、相手もさるもので、的確なコメントをシュッとくださる。そして自分の思ったことや、経験を話してくれる。おかげで一方的になりすぎることがない。そういう人なので、「自分もこのお店でなんかやってみたい」という申し出を快諾。なんかやってもらいます。とりあえず22日に見習いでカウンターに入ってもらうことにした。学年が変わる前に「実績」をつけておけば、一生言えますからね。「高3からやってます」より「高2からやってます」のほうがバリューがある。
なんてこというと、「アルェ〜、ジャッキーサァン、年齢差別ですカァ〜〜??」とか言われるの怖いですが、ちょっと違うのです。それについては今、ちょっと長めの文章を構想中。
軽くだけ書くと、ダブルスタンダードっていうのは、「条件(入力)が同じなのに出力が違う」ってことだと思っていて、「条件が違う時に出力が違う」ってのは、当たり前のこと。大事なのは、「その時、どの条件に焦点を当てているか」ということを都度自覚していること、なんだろうな、とか。いやこれは説明するの難しいし、まだまとまってもいないので、これはメモ程度のものとして。
「今って、年齢に焦点を当てる必要ありますか?」って場面が、ちょっと多すぎるよね、みたいなことを僕は言いたいのかもしれません。
(2022/03/19土)