saku/夜学バーの従業者

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 さくです。現在(2025年)は大学生として勉強に励んでいます。
 2024年の4月頃から夜学バーの中に従業員として立つようになりました。

 お店に始めて行ったのは高校2年生(2022年)の3月14日。夜学バーではその頃、現在従業員として働いているまちくたさん主催で漫画『鈴木先生』を語る会の企画が進められていました。
 作者の武富健治先生をTwitterでフォローしていた僕のタイムライン上にたまたまその情報が流れてきて、「何だかよく分からないけど面白そう」となり、夜学バーを訪ねました。

 1回目の来店では「何だか面白かったけどフワフワとしていてよく分からなかったなー」という印象。
 でも面白かったので、5日後(2022年3月19日)にもう一回訪ねてみることにしました。

 2回目の来店では何故か薬物についての話に。
 その時の、「薬物依存は薬物そのものが引き起こすのでは無くて、人間関係の欠損が引き起こす」という話を軸にした、話がどんどん積み上がって、広がっていく場の面白さ!!
 夜学バーというお店に通っていると、自分自身の頭を使うことによって、これまで自分に無かった言葉がどんどん出てきて積み上がっていきます。
 その過程がすっごく楽しくて、どんどん夜学バーに魅せられるようになりました。

 僕の場合、この夜学バーとの出会いがはっきりと人生の岐路になっています。
 高校を2023年に卒業した後、僕は半年間沖縄、一ヶ月インド、その後に労働の日々を送って1浪として大学に入学します。
 もし夜学バーという場に、当時高校2年生の僕が来なかったら?
「みんなが行くから僕も」ということで大学に行って、沖縄で理不尽なことに出会うこともインドの汚さに心を曇らすこともなく、暮らしていたはずです。

 夜学バーという存在がきっかけとなって、「自分の頭で考える」ということをしてみるようになりました。そして、そこから得られる学びを楽しめるようになった。
 多少なりとも賢くなってしまったのです。ラッキーなことに。

 沖縄では職場でとんでもなく理不尽なことに出会ったり、インドでは出会う全ての強烈さに精神的にかなり落ち込んだりしました。
 そのこと全部を含めて大きな「学び」になったし、自分の思考の土壌にもなる良い経験ができたと思っています。

 夜学バーでは、「自分で考える」ということに加えて「みんなで考える」瞬間があります。
 それぞれが自分の頭で考えたことばを話すと、その発せられたことばたちによって空間や時間がキラキラと美しく彩られる。

 もっともっとその美しさを知りたい。そして、そのキラキラとした美しい空間と時間を僕1人ではなく他の誰かと共有したい。
 是非一度、覗きにきてください。毎週水曜日にお待ちしてます。
(2025/02/24)

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note

《店主より》

「フワフワ」が「キラキラ」になっていった過程とその感覚が活写された名文と存じます。saku氏が夜学バーというお店をどのように捉えてくれているかがよくわかる。来店した日付や、その時に話した内容をよく覚えているのも嬉しい。若き彼にとってよほど鮮烈な印象だったということでしょう。
 せっかくなので当時の日報を漁ってみます。

〈略〉なんだかすごい日だった。まちくたさんじゃないほうの高校生は初めて来てくださったのだが、いいときに来たと思う。持ってる。ちなみに未来の話をすると、彼が二度目に来たときは他のお客さんはいっさい誰も来ず、僕と数時間サシでお話しする会になった。それもある意味で神回。持ってる。〈略〉
2022/03/14月

 雨。14日に初めて来てくれた高校生が二度目の来店。「二度めは、ずっと」と言いますが、やはりちょっと安心しますね。いちど再会できたら、また何度でも再会できるような気がする。できない時だってあるだろうけど。
 この日はそれからお客なし、1日の売上がなんと500円。いやー、これこれ。これですよ。ギャンブルの醍醐味というか。僕がパチンコも競馬も必要としないのはこういう商売してるからなんですよね。土曜の夜に高校生とサシで4時間くらい喋るって、これはほんとうにかけがえのない500円ですね。半分ヤケで言ってますが。
 話題は多岐に渡り、僕が喋りすぎたかなと思う瞬間もあったけど、相手もさるもので、的確なコメントをシュッとくださる。そして自分の思ったことや、経験を話してくれる。おかげで一方的になりすぎることがない。そういう人なので、「自分もこのお店でなんかやってみたい」という申し出を快諾。なんかやってもらいます。とりあえず22日に見習いでカウンターに入ってもらうことにした。学年が変わる前に「実績」をつけておけば、一生言えますからね。「高3からやってます」より「高2からやってます」のほうがバリューがある。
 なんてこというと、「アルェ〜、ジャッキーサァン、年齢差別ですカァ〜〜??」とか言われるの怖いですが、ちょっと違うのです。それについては今、ちょっと長めの文章を構想中。
 軽くだけ書くと、ダブルスタンダードっていうのは、「条件(入力)が同じなのに出力が違う」ってことだと思っていて、「条件が違う時に出力が違う」ってのは、当たり前のこと。大事なのは、「その時、どの条件に焦点を当てているか」ということを都度自覚していること、なんだろうな、とか。いやこれは説明するの難しいし、まだまとまってもいないので、これはメモ程度のものとして。
「今って、年齢に焦点を当てる必要ありますか?」って場面が、ちょっと多すぎるよね、みたいなことを僕は言いたいのかもしれません。
2022/03/19土

 14日は賑やかだったみたいだけど、19日は土曜なのにお客1名。これはやっぱり「持ってる」ってことだと思う。他のすべてのみんなが「行かない」という選択をしている日に、彼だけが「行く」を選んだのだ。
 引用の終盤はsaku氏に直接関係がないように思えますが、夜学バーにおいてすべての若い人の課題とは「年齢とどう向き合うか」ということだし、裏を返せば若くない人でもそれを意識したほうがいいだろう。「いったん年齢を度外視する(焦点を当てない)」という判断はとても大事だし、「今は年齢を意識する時だ」という瞬間も当然ある。そこをしっかり峻別したうえで、うまく(最も面白くなるように)取り扱うのがたぶん夜学バーの真髄。
 たしかsaku氏もどっかのタイミングで「年齢に頼りすぎている」と自戒していたような気がする。

 それにしても彼も(ということは他にもそういう人がいたわけです)来店2度目で「何かやりたい」と申し出てくれているのですね。このスピード感は年齢を重ねると失われがちだと思う。年かさの人間も意識して加速していかなければならない。
 ほどなくして「フェスティバルがやりたい」と言い出すのだがそれもまたすごいスピード感。彼らは自分からは言わないのでこっそり書いておきますが2022年夏にsaku、まちくた、モエの主催でかなり大規模なお祭りを夜学バーの外でやったのです。掘ればすぐに出てきます。

 戻って、saku氏による本文について。それぞれの「自分で考える」が「みんなで考える」という形に結実した時、その空間や時間はキラキラと輝く。この表現について完全に同意、共感します。実際僕もそのキラキラのために「考える」ということをしているのです。一人で考えるだけではダメで、だからお店をずっとやっているのだと思います。
 そういう感覚を共有できる従業員がいるというのは実に嬉しく誇らしいことなのですが、同時に責任のようなものも感じています。引き込んでしまったなと。「みんなが行くから」という理由で大学に行く、という未来を奪ってしまった。ゆえにこそ、お互いに全力を尽くさなければ。やるからにはやろう。徹底的に。堂々と。
 そのために必要なのはなんと言っても「お客さんの存在」です。これを読んでいる皆様方、ぜひsaku氏と同じ空間を過ごしてみてください。


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