モエ/夜学バーの従業者

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 こんにちは、モエです。

 2024年4月からカウンターに立ち始め、同年7月からしばしお休みをいただいておりました。
 2025年の春頃から再びカウンター内に復帰予定です。

 自己紹介は苦手なので、私から見た夜学バーについて書こうと思います。

 私は夜学バーにいると時間が止まっている気がします。

 その場の自分が何も進んでいないからではありません。

 むしろ夜学バーにいる間は実際の時間よりもっと未来まで、もっと遠くに、行けている気がする。
 夜学バーから一歩外に出ると遠くに私が出ていた分の時間が戻って来たように感じる。

 だから、時間が止まっているような非現実的な感覚に私はなります。

 何故なのかは今の私でははっきりとは分かりませんが、以下の歌詞と夜学バーとの繋がりを私が感じたことに少し関係があるのではと考えています。

 『だれでも知ってることさ
 いちばん大事なことさ
 だけどすぐにそれを忘れてしまう!』

 サニーデイ・サービスの風船讃歌という曲の歌詞です。

 この歌詞から引用すると、夜学バーは「それ」を思い出させてくれる場所だと思っています。
 あなたにとっての「それ」が何か、私にはわかりません。
 ですが、夜学バーでならば思い出せると勝手に信じています。

 私はいつも冗談でなく、本気で、あなたを、今これを読んでいる誰でもないあなたを待っています。

 新しい扉を開くのは怖くて不安で、あなたの心の中の子供が隠れてカタカタと震えているかもしれません。私は初めての扉を開く時はいつもそうです。

 あなたに会いたい人がたくさんいます。
 それはもちろん私だけではなく、店主も従業員の皆も同じ気持ちでいます。

 笑顔で迎えます、ということを言いたいのではなく、あなたと同じ場や話題を共有することは当たり前にあるということを言いたいのです。

 目に見えずとも、何も聞こえずとも、みんなが心のどこかで手を繋ぎ合っているような、そんな時間と空間を作りたいです。作ります。

 夜学バーは4階にあるので階段を登る過程が少し疲れますが、ぜひ足を運んで扉を開いてくれたらこの上なく嬉しいです。

 待っています。401です。

P.S.
空間作りだけでなく、お酒もソフトドリンクも大切につくります☺︎

モエ
(2025/03/06)

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note

《店主より》

 モエさんは言葉と言葉の間にあるものを壊さず優しくその場に置いて書く人で、独特の読後感はそこから来るのだと思います。普通そういうことは詩において行われるもので、散文でそれができるのは(あえてそれをするのは)めずらしい。

 このような「自分について不特定多数に伝える」ための文章を書くのは恐ろしいことです。ゆえ、そこに並ぶ言葉と言葉の間はギチギチに詰められることがほとんどでしょう。すなわち「隙のない」ものを目指そうとする。理屈に気を配り、穴のないように神経を張る。このホームページの文章はほとんどそうなんですよね。僕って本当は柔らかくて可愛いだけの子供(個人の感想)なのですが、文章になると「ギチギチ」をやろうとしてしまいます。怖いからですね。誤解されたり、理解してもらえないことが。「わかってもらいたい」が強すぎるのでしょう。その反動というかガス抜きとしてたまに詩を書いているくらいです。
 彼女にだって「わかってもらいたい」という気持ちはあるはずだし、一語一語慎重に言葉を選んでいて、手を抜いているということはありません。ただ、僕が今やっているように「言葉と言葉の間を詰める」ということだけはやっていない。その「間」にあるふんわりとしたものをそのまま置いたまま書いているように僕は感じます。
 その間隙にこそ信じるべきものがある。だから怖くともそれを開けておく。それこそが夜学バーという場にふさわしい書き方なのではないか。そんなことを勝手に感じ取っております。

《私はいつも冗談でなく、本気で、あなたを、今これを読んでいる誰でもないあなたを待っています。》
 これは常々僕も言ったり書いたりしているようなこと。僕らは「あなた」という存在を信じていて、それが証明されることを待っております。お店を開けて、閉めるまでの時間はただただその祈りです。

《笑顔で迎えます、ということを言いたいのではなく、あなたと同じ場や話題を共有することは当たり前にあるということを言いたいのです。》
 これこそが僕の思う夜学バーの真髄で、「どのように何をする」ではなく「同じ場にいる」ということがいかに大切で、難しく、ゆえに有り難い(めったにない)かということをモエさんは知っているのでしょう。頼もしい。

《みんなが心のどこかで手を繋ぎ合っているような》時間と空間。ここで僕が好きなのは「どこかで」のワンフレーズ。どこでもいいし、どんなふうでもいい。そのあり方は刻一刻と変わり、たった一瞬だけふっとそれがわかったりする。個人的には奇跡と呼び、この発生確率をできるだけ上げんと刻苦するのが夜学バーというつもりです。

(2025/03/14)


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