まちくた/夜学バーの従業者

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 まちくたです!
 これを書いている2024年11月時点では某大学の1年生です。
 夜学バーには高校2年生のときから従業員として不定期で働いています。
 といっても年齢もあり見習い期間が長く、今の肩書きはベテラン見習い師^_^です。
 さて、自己紹介がてら私と夜学バーとの出会いなど話していきます。
 ときは中学生のときまで遡ります。中2の終わりから中3にかけての私は武富健治氏作の漫画『鈴木先生』に〝狂って〟いました。
 自分の頭では何事も考え尽くせないな〜と思い悩んでいた時に、家の本棚にあった『鈴木先生』を読みました。
『鈴木先生』は私にとって頭を使う道場のような作品でした。「『鈴木先生』を読んで〝考える〟という行為を練習して、自分の抱える現実の物事に応用する」ことができるようになりました。
 闇雲にかつ突発的に思い悩むだけだった私に、〝思考の土台〟ができたことで考えることが楽しくなりました。いろんな人といろんな話がしたくなったし、その中で生まれる自分の新しい考えに夢中だった。
 そんな私の様子をみた父が、連れて行ってくれたのが夜学バーでした。
(父は浅羽通明先生の大ファンで同じく浅羽先生のお弟子さんであるジャッキーさんと元々知り合いだったようです。)※
 小沢健二氏の天使たちのシーンという曲に
「いつか誰もが花を愛し歌を歌い
返事じゃない言葉を喋り出すのなら
何千回ものなだらかにすぎた季節が
僕にとてもいとおしく思えてくる」
という一節がありますが、私にとって夜学バーという場所は〝誰もが返事じゃない言葉を喋りだす場所〟です。
 返事とは、〝あなたの言葉を受け止めました〟という合図です。それも大切なことですが、相手の言葉を受け止めただけでは、コミュニケーションとして味気ない。
 たしかに、誰かの話を聞いて自分は返事だけして、自分の中だけで考えを巡らせることも楽しいでしょう。でもそれは、映画をみたり本を読んで自分の中で感想を抱くことと変わらない行為です。
 せっかく人と話をするなら〝相手を知る〟ことの先に行きたい。
『鈴木先生』に狂っていた中学生の私は〝いろんなことを知って自分の考えを巡らせること〟に夢中でした。
 そこから夜学バーにきたことで〝人といろんなことを知っていろんな考えを交じらせる中で誰も考えつかなかった新しい考えを生み出すこと〟の楽しさを知りました。
 夜学バーでは、人との会話がただの情報交換になったり、用意してきた言葉を喋る人とそれに返事をする人の構図になることを徹底的に避けます。
 そして返事じゃない言葉をしゃべり、誰も用意してこなかった未知の言葉へ辿り着くアシストをしてくれる。
 このアシストは私が夜学バーに立っているときにする最大の仕事です。
 でもその仕事を私は遂行できるのか、本当にその仕事は私がやるべきことなのか、従業員も増えて、未熟ではあるものの新人ではない立場になったとき、再考する必要があると思いました。
 そこで大学に入ってからの私は、大学の人間関係の中で〝返事じゃない言葉を喋り誰も用意してこなかった未知の言葉へ辿り着くことの楽しみ〟を共有できる関係を築こうと試行錯誤することにしました。
 9ヶ月ほどたってわかったことは、みんなそれほど〝返事じゃない言葉を喋り誰も用意してこなかった未知の言葉へ辿り着くことの楽しみ〟を大切にしていないということ。
 返事じゃない言葉を喋り誰も用意してこなかった未知の言葉へ辿り着くことができる人や、できる場所はあります。けれども、それに価値を見出して持続させようと努力する人は少ない。
 その一方で、私は〝返事じゃない言葉を喋り誰も用意してこなかった未知の言葉へ辿り着くことの楽しみ〟にとてつもない価値を見出していて、そういう場所をつくるために努力できる人であることにも気がつきました。
 そして長い(?)道のりを経て、私はやっぱり夜学バーの従業員であるべきなんだと確信していまに至ります。
 具体的にどういうことがあってどういうことを思ったのかは、ぜひ私のいる日に聞きにきてください!
 本気で頑張っています。すべてを!
(2024/12/03更新)

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雑記

《店主より》
 まちくたは僕にとって非常に大切な友達であります。上記(2024.12.3更新分)を読んでなんとなくその根拠を感じていただけていたら幸いです。
「人といろんなことを知っていろんな考えを交じらせる中で誰も考えつかなかった新しい考えを生み出すこと」とは、まさに夜学バーで起きていること、僕が起きてほしいと願って、目指していることを完璧に端的に表したすばらしい要約。似たようなことは僕も書いてきていますが、ここにあるフレーズはまったく当人のオリジナルで、自身の実感から出てきている新鮮なものです。借り物ではない。まさに本文にある「返事じゃない言葉」。
 そしてまた素晴らしいことには、彼女は夜学バーにおける自分の仕事まで言語化して見せています。「返事じゃない言葉をしゃべり、誰も用意してこなかった未知の言葉へ辿り着くアシスト」と。
「アシスト」なんて言うと偉そうに見えかねないのだが、その前提として「(自分自身が)返事じゃない言葉をしゃべる」という身銭を切る姿勢がある。新しい地平を拓くために、まず自分がそれをやる。胸襟を開いて、勇気出して、一歩踏み込む。そこが頼もしさとか、安心感になる。その空間の。
 引用してくれた『天使たちのシーン』にはこんな歌詞もあります。「いつか誰もが~」と同じメロディで、

「毎日のささやかな思いを重ね
本当の言葉をつむいでる僕は
生命の熱をまっすぐに放つように
雪を払いはね上がる枝を見る」

 国語の先生だったら(僕は国語の先生だったので!)こんな問題を作るかもしれません。
〈傍線部①「返事じゃない言葉」とあるが、これと最も近い意味を表した語句を、本文中から五字以内で抜き出しなさい。〉
 んまあ、「最も近い」「五字以内」ということであれば「本当の言葉」しか選べないでしょう。たぶん。もちろんこれは詩(歌詞)なんで個人の解釈としては何でも選べそうなんだけど、国語の先生としてはここが限界。何の話だっけ。職業病みたいなもんですぐ作問しちゃうんですよね。
「本当の言葉」とだけ聞くと、「本当の言葉ってなんやねん! ニセモンの言葉があるんかい!」って突っ込みたくなるけど、それは傍線部①「返事じゃない言葉」に繋がっている(イコールという意味ではありません)かもしれないと思うと、少し理解できるような気がするわけです。
 僕も彼女も、本当の言葉、返事じゃない言葉、っていうのをとても重視していて、それは「腹を割って話す」とかいう意味じゃなくって、新しい未知なる言葉をその場でその都度一緒に作っていこうねっていう共犯関係で、それってけっこう「ふざけあい」の形をとりうるから僕らが話すとけっこうどぎついブラックジョークみたいなことにもなりがちなのですが、そういう意識を互いに持ち寄っていると確信できるから、かなり年の離れた異性に対して僕は恥じることなく「友達だ」と言えるのです。

 まちくたは「〝返事じゃない言葉を喋り誰も用意してこなかった未知の言葉へ辿り着くことの楽しみ〟を共有できる関係を築こうと試行錯誤する」ことを続けている。試行錯誤! トライ&エラー。怪獣を恐れずに進むこと。犬たちが吠えるときもキャラバンを進めていくこと。店主である僕も常に試行錯誤で、毎日のように何かしら失敗して、それでも「楽しみ」を創り出せる場所を追究しております。従業者たちも同じように思ってくれている、その証拠の一つがこのページでしょう。

※「浅羽先生のお弟子さん」とありますが、ただ勝手に私淑しているだけでございます。出会いは「大学の先生と学生」だったのですが、僭越ながらいまでは崇敬する「同志」と思っています。


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