小林カモメ/夜学バーの人員(star)

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2026/06/30 孤高と協働Vol.1
店主より(2025/07/04)
2025/10/08
2025/02/25
店主より(2025/03/01)

 2026年6月13日、夜学バー内で行われた「孤高と協働Vol.1 分科会『月と街のAidade』」に参加した。10人が参加していたが自分含めて小沢健二氏についてほとんど知らない人が5人もいた。基本的に今回のテーマになった「月と街のAidade」に関する話や考えを言っていく感じだったが色々脱線したり、小沢健二氏のバックグラウンドトークになったり参加者の専門に絡めて意見が出たりと、様々な視点から知ることができて楽しかった。個人的に特に興味深く思ったことを書いてみる。個々の詳しい話は来た人だけのナイショなのさ〜

 3時間ほど話していて一番面白いと思ったのは「Aidade」というのは二面性を有していないだろうかという議論だった。今回のライブツアーのタイトルにもなっていて確かに何かの“間”といえばどっち付かずではっきりしないようなイメージがある。要は片側に寄ることを意図的に避けているとも言えるだろう。まあここら辺は実際に会の中で話したし、極端は良くない!っていうのも中庸ではなくなってダメだよねということも話した。
 中庸という点で上がったのが、小沢氏の昔の歌詞と現在の歌詞で語尾が変わっているということだった。昔は「〜さ」と言い切っている形をとっていることが多かったが、今では「〜のだよ」と断定しない、導くような口調に変わっていてその変化も今回のツアーの考えにだいぶ影響しているのではないかとみんなで考えた。
 それらの話を受けて「Aidade」って言ってるけど、AとBの間のどこか一点っていうわけじゃなくて、その2つの間のどこをとってもいいし、どこにいてもいい、ある種の曖昧性があるんじゃないかなっていう結論に至った。はっきりこれっていう場所を作るんじゃなくて、ゆるやかに動きながら、その時々にいいと思った方へという感じ。今回はそういうのを含めてグラデーションと表現してた。
・わからないようでたまにわかる
・昨日と今日がくっついていく世界で

 今話したのは自分では確実に気づけなかったポイントだし、到達できなかった結論なのでこれだけでも来た甲斐があったくらい面白い時間だった。これみたいに歌詞から読み解けるものもありそうなので歌詞精読会(過去やっていたらしい)なるものも開催してほしいなあ。

 ここからは会が終わって自分で考えたことになるけど、今回の「Aidade」という考え方が日本文化特有の“あわい”に似ているのではないかと感じた。
「あいだ」と「あわい」は厳密には少し違っていて、前者は何かに挟まれてできる空間のこと。後者は二つの重なるところ、交わるところを意味する。例として最適なのが日本建築における縁側。一応家というプライベートな場所なのに外にも面していて、内外どちらの要素も持ち合わせている。
 さっき書いた「Aidade」の解釈だと、「あいだ」よりも「あわい」の意味に近い気がする。この会で話し合った内容と自分で考えた感覚的に、今回のツアーの思想的に、いろんな考えが混ざり合っていて、ある一点を拡大して見てるとAという結論が得られるけど、また別の点はBかもしれないし、全体を見てみるとCかもしれない。そんないろんな結果が混ざり合ってできているように思えた。
 ここら辺の考えは自分の中だけで完結しているのでジャッキーさんや他に参加した方、それ以外にもこれを読んだ方たちみんなで考えてみたい。

《店主より》
「孤高と協働」主催者の一人(もう一人はお客さん)として少々補足。「~さ」から「~のだよ」への変化は僕が現場で指摘したことですが、「~のだよ」が断定のニュアンスを持つというのは僕の意見ではなく、個人的には「考えたうえでの自覚的確信的な主観的判断」みたいなふうに表現したい。「~さ」が単純で快活な若々しい言い切りであるのに対し、「~のだよ」は人生経験に裏打ちされた重厚さがある。
 また中庸については、小沢健二さん本人は「中庸であるべきだ、というのも一つの極端である」と語っておりました。
 そのうえで、「Aidade」という語が二面性、僕の用語でいえば「同時」という性質を持っているだろうというのは僕もそう思います。縁側のたとえはその意味でも良いですね。
(2026/07/04)

 この度、壊死様の第一歌集『暗号書簡』に、私の短歌を4首寄稿させていただきました。

 これまでの作品の中から選んでいただいた歌が掲載されております。
 たくさんの方に届いてくれると非常に喜びます。ご興味のある方は、ぜひこちらのリンクからご覧ください。
(2025/10/08)

 こんにちは。小林カモメです。2025年2月よりカウンター内に一人で立っております。現在は高校3年生で、4月から都内の大学に進学する予定です。大学では短詩型表現(主に現代短歌)をお勉強しようと考えております。
 せっかく従業員ページを設けてもらっているので、自己紹介的なこともしようかと思います。

<夜学バーと出会うまで>
 静岡県沼津市で生まれました。これはなんと私の尊敬する歌人、上坂あゆ美さんと同じなのです!!
 ↑これが書きたかっただけで特に意味はないです。

 わたしの人生を構築している最大のピースはスポーツだと思います。年中の頃から硬式テニスを始めて、今までずっと続けております。現在18歳ですので、硬式テニス歴14年くらいになります。こうやってみてみると長い! 硬式テニスは選手コースとして真剣にやっていた時期もあり、小学生から中学生までは体育会の世界で育ってきました。高校3年生の春からは馴染みのテニスショップでバイトし始めて、今年の2月からは通ってたテニススクールでコーチバイトもしております。硬式テニスの延長として高校2年生くらいからビーチテニスもやっております。
 いろんなことに興味を持ってとりあえずやってみるような好奇心旺盛人間だったのが、高校に入学し仲良くなった周りの人間や個性的な教員によってさらにそれが加速し、さまざまな文化的営みを積極的に行うようになります。高校在学中に現代短歌、フィルムカメラ、銭湯巡り、雑誌制作(夜学バーにおいてあるのでぜひ読んでください!)などにハマる。

<小林カモメと夜学バー>
 夜学バーのことは高校3年生になる少し前くらいから知っていましたが、なかなか腰を上げられず、行こう行こう状態になっていました。そんな私でしたが、高校3年生の春学期に大学の授業を聴講できる制度を使って社会学の授業を受けたところ、その授業の中で先生が言った「いろんな場所に行って知らない人と話して、常に生活の足場を増やしなさい」という言葉に非常に共感して、このまま夜学バーに行かず終いになってしまってはまずいと思い、ついに湯島に向かうことを決心しました。
 夜学バーに初めて行ったのは2024年8月8日でした。実際にジャッキーさんに「ここで働かせてください!」をしたのは9月20日だったので、初回から1ヶ月ちょっとしか経っていません。その1.4ヶ月くらいの間に5回くらいは行って、たくさん話をして、夜学バーという場所が好きになっていきました。夜学バーには頭のいい大人がいて、高校生の自分を必ず1人の人間として対等に扱ってくれる場所があるという安心感が心地よかったです。5回行ったうちの4回は他にお客さんがおらず、3、4時間ほどずっと2人きりでお話しできる環境だったのが非常に幸運だったと思います。
 他にも、ジャッキーさんの距離感の掴み方や話の間合いなどが上手すぎるのはもちろんですが、他の従業員の方々も私と全然歳が離れていないのに「夜学バー」の従業員として夜学バーと共に成長しようとしている姿に、自分もここで「場」を作る側にならなければいけないと思いました。これは冗談抜きでこう思っていて、何か同級生と違うこと、自分から掴まないと獲得できないことをやらないと、という焦燥感に駆られていました。

 夜学バーは日によって本当に別々の顔を見せると思っています。むしろそうじゃないとおかしいはず。だからといってそれが悪いとか良いとかの話では全くなく、夜学バーの根底は全員で共有しながらもまた一味違う夜学バーを生み出していると思います。
 まだまだ未熟者で学ぶことばかりですが、どうにか頑張っておりますので普段はカモメ以外の日に来ている方々にも、ぜひ一度、二度、三度と私の日に足を運んでいただいて、小林カモメがどんなやつか確かめに来てください。 どなたでもお待ちしております。
(2025/02/25)

《店主より》
「いろんな場所に行って知らない人と話して、常に生活の足場を増やしなさい」という言葉は非常によいですね。夜学バーがめざしているのは「いつ行っても知らない人と話せる(可能性が高い)」ような場所。つまり、「夜学バーという足場を一つ確保しておけば、効率よくいろんな人と話せる」という欲張りな空間でありたいということ。僕自身もお店を続ける最大のモチベーションはそれです。《常連という概念の撤廃》は、この理想を実現するための工夫の一つ。「日によって本当に別々の顔を見せる」ために必要なこと。
 もちろん同じ人と顔を合わせたとしても、毎回同じような話というのでなければお互いに新鮮なもの。そうであるために別の場所にも足を向けたり、たくさんの人と話したり、本を読んだりします。新鮮さを保つために。いつも同じ話しかしない人間にならないために。一方で「定番のノリやエピソードトーク」みたいなのも好きだったりします、「待ってました!」的な。そのへんは緩急とバランスで。
 この観点からすると、カモメ氏が最初に通ってくれた5回のうち4回が「店主とサシ」だったらしいというのは、どうなんでしょう? こちらとしては「もっといろんなお客さんと話してみてほしいなあ」と申し訳なく思っていたはずなのですが、彼が「非常に幸運」と捉えてくれているのはありがたい。確かに、合計10時間以上?差し向かいで話したということは、僕の考え方やお店のあり方、あるいは相性みたいなことはよく伝わったのでしょう。こちらも彼のことをよく知ることができました。
 それにしても5分の4(80%)が一人きりだったというのは実にすごい。さすがにそこまでお客の少ないお店ではないし、「自分が来るときはいつもお客がいっぱいで」という声もよく聞きます。一方で「いつも自分だけだな」と思っている人がいるとしたら、おそらくナチュラルに「逆張り」しているのです。多くの人とは逆の選択を無意識にとっているということで、ちょっと特殊で孤独な人だってことなのかも。いや単にきっと偶然なんですけれどもそう思ってしまうくらい不思議な現象ではあります。
 ともあれ夜学バーは「他に人がいても、いなくても面白い」ということでなければならないと思っております。醍醐味はもちろん「複数の人と場を共有する」ことなのですが、差し向かいの時間に育まれるもの生まれるものも莫大で、貴重。

「このまま夜学バーに行かず終いになってしまってはまずいと思い」「自分から掴まないと獲得できないことをやらないと、という焦燥感に駆られて」というのは実に彼らしいところだし、夜学バーに通底する精神でもあります。
「一歩踏み込む」ということには勇気と、度胸と、覚悟が要ります。初めてお店の扉を開ける時でもそうだし、会話に入っていく瞬間もそう。ずっと黙って座っていることも選べる一方で、「自分はこう思う」とか「ここが気になるので教えてほしい」と表明することもできる。それは公園で遊んでいる人たちに「入れて」と申し出ることに似ていて、言い方や態度などによっては「だーめ」と断られてしまうことだってある。必ずしも受け入れてもらえるわけではないからこそ、勇気、度胸、覚悟といったエネルギーが必要になる。
 それを踏まえて夜学バーがめざすのは、必要とされる勇気、度胸、覚悟をできる限り小さくすること。
 いわゆる「常連」で固まった、既存の人間関係に閉じた内輪話に終始している状態の場に入っていくことは容易ではなく、そうとう巨大な勇気、度胸、覚悟が必要となります。そのわりに大した成果は出ないか、かなり先になるでしょう。そうではなくて、ほんのわずかな勇気、度胸、覚悟だけをもって、たった一歩を小さく踏み出すだけで即座に大きな楽しみ、面白みが訪れるような環境づくりを、この夜学バーはめざしているというわけです。
 そのための工夫は実のところ色々あって、僕が従業員たちに教えている具体的なことは主にこのあたり。いったいどういうことなのか? 少しでも気になってくださったら、ほんのわずかな勇気と度胸と覚悟を握りしめて、ぜひご来店ください。ほんのわずかでいいはずです。ものすごく巨大なものを要求されるようだったら、それはこちらが失敗しているのです。ちなみにこのような長い文章を書いているのもその負担を軽減させるため、のつもりなのですが、果たして成功しているのでしょうか……。「むしろ怖い」と思われて失敗することも多いような気はしています。精進。店主は朗らかで優しい人物です(これも逆効果?)。
 カモメ氏は若くしてその一歩を、何度も踏み込んでくれた人。大きな感謝と感嘆を捧げます。
(2025/03/01)


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