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ギン/夜学バーの従業者
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おはこんばんちは。はじめましての方ははじめまして。ギンです。昼間は大学で植物研究の末席を汚しております。夜間は寝たり起きたりしております。2025年の3月末に初めて来店し、以降様々な紆余曲折を経て夜学バーに立つ運びとなりました。
学生である私の本分は勉強ないし研究ですが、本分以外の時間の多くは音楽に費やしてきました。私の専門である「生物学」と「音楽」に共通するキーワードが「再生」です。「再生」は私の人生の主要なテーマの一つです。
植物は非常によく再生します。我々人類含め動物の身体も再生しますが植物の再生力には劣ります。我々の再生力は概ね傷や病気が治る程度ですが、植物は葉っぱの切れ端一枚からまるまる全身が再生することさえあるのです(詳しくは「再分化」でご検索ください)。
音楽もまた再生するものです。様々な媒体で再生されます。私は4年ほど学生オーケストラ団体に在籍しておりましたが、高名な諸先生方には「音楽はナマモノ」という旨のご指南を度々賜りました。「音楽」そのものは、普段は形而上の世界に潜んでいますが、「再生」によって生きた形を持ってこの世界に姿をみせるものだと私は認識しております。
二つの世界に共通する「再生」の本質とはなんなのか。私は、「変化して、同じすがたであらわれる」ことだと理解しております。
植物が再生した時、同じ個体の葉っぱでも、それは再生前の葉っぱがそのまま戻ってきたわけではありません。同じ曲でも演奏毎に違いが生まれますし、たとえ同じ音源を聴いても聴こえ方は毎度異なるでしょう。
私は常々「再生したい」と思っております。それは「成長」と言い換えられる時もあれば「上達」や「回復」である時もあるかと存じます。時には「贖罪」であるとも思います。 夜学バーには様々なお客様がいらっしゃいますが、同じ組み合わせの人が居合わせることも珍しくありません。しかしそのような場合でも同じ会話になることはありません。再生していると感じます。
「音楽はあらゆる場所で常に流れていて、私はそれを掬い上げているだけ」という旨の発言をした音楽家がいます。これは音楽に限らない話だと考えております。
夜学バーには潜在的にあらゆる場が存在しているのだと信じます。再生するためにあらゆる人とお会いしたく存じます。
ギンでした。バイちゃ。
iPhoneから送信(2026/01/28)
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《店主より》
つい数日前、お店に遊びに来たギン氏は連日の寝不足と疲労と飲酒によって憔悴しきっており、そのせいでもないでしょうが約1年前はじめて夜学バーに来た時のことを思い出して語ってくれました。その日のことは僕もよく覚えております。他にお客はなく、いくらか世間話のようなことをしたあとで研究内容について詳しく説明してくれたのでした。勝手に語り出したのではなくて僕が「ほうほうそれでそれで」と引き出したのだと記憶しています。それは植物の「節」についての話でした。花や実、葉などに比べると「節」の研究は他の部位よりは遅れていて、研究の余地が大きい分野なのだということだった気がします。イチゴやレンコンなんかを例に決して易しくはない内容を可能な限りわかりやすく話してくれました。僕は完全に専門外なのですが好奇心に任せて一所懸命くらいつき、それはこういうことですか、すなわちこういうふうに考えて良いのですかと確かめながらできるだけ本質的な理解を得ようと努めたはずです。その時の僕について彼は「この人はちゃんと話を聞いている」と感じ、それで通うようになったといいます。実際まさにその次の日にも彼は足を運んでくれたのです。ドラクエの話なんかもしたね。
記憶が新しいのでつい書いてしまいますが、数日前の彼はこのように言いました。「自分の研究内容を人に話したとき、そのパターンはだいたい2,3に分けられる。聞いたことをほとんど踏まえずに我田引水してほぼ関連のない自分の話を始めるか、難しいねと言って終わらせるかが大半。下に見るか上に見るかの違いだけで、突き放すという点で共通している。ちゃんと話を理解しようとしてくれる人は少ない」と。
ふつうの飲み屋においては、確かにその2パターンにだいたいおさまるでしょう。夜学バーの特異で素晴らしい(自画自讃)ところは、「ちゃんと話を聞いて理解しようとする」ことに本質があります。難しいなら難しい、わからないならわからないとは表明しつつ、「それはこういうことですか」を積み重ねて少しでも理解に近づこうとする。(それはその場にいる「みんな」で行うのが原則だが、誰も不快にならない前提において、その中の誰かには参加する必要がない。)
初来店において彼はそれを経験し、気に入ってくれたわけです。ここにおいてギン氏は夜学バーのあり方を愛し、維持を担うのに適した人物だと思われます。彼の根底にあるものは孤独で、「誰もわかってくれない」という悲しみに満ちています。しかしその先に生まれるのは絶望ではなく、「誰かにわかってほしい」という渇望です。ゆえにこそさまざまな飲み屋などに顔を出し、時には一か八かで自分の研究について話し(これはある種の試し行動かもしれない)、落ち込んだり喜んだりしているのだと思われます。そこでの喜びとは「わかってくれた」ということではもちろんございません。「わかってくれようとした」ということが一番の幸福です。これこそが僕がつくりたいと思っている「場」の真髄なのであります。
本文にある植物と音楽の「再生」の話を彼は全身全霊で書いています。簡単でとっつきやすい内容ではないのですが、彼なりにできる限りわかってもらおうとしているように見えます。この祈りが誰かに届くように僕も祈ります。(2026/2/13)
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