■夜学バー日報 2024年上半期■

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2024/1/4木 17-24j
 新年明けましておめでとうございます。夜学バーです。現在5月3日なのですが一所懸命日報書きます。
 三が日はお休みして4日から営業。初期のころ(2020年くらいまで)は年中無休を貫き通すため毎日とにかくお店を開けるということをしていたのですが、元日や2日は本当にお客がないのですよね。泣きながら口あけて突っ立ってたつらい記憶。3日になると「この日くらいしか行けるタイミングがない」という方々(同業者、里帰り、旅行者など)がいらっしゃったりするので、3日からでもよかったんだけど、マァ休みも重要。この頃はほぼ僕一人でやっていたので。
 早々、近所のお店の方がおいでくださる。ご近所づきあいはほぼやっていない、と主張する夜学バーですがお友達というのはどこにでもいるもので。お客さん10名のうち2人連れが4組(8名)というのはもしかしたら、正月ならではなのかも。誘い合って来るタイミングなんだろうな。
 初めてや二度めのお客も複数あり、幸先は悪くない。

2024/1/5金 17-24j
 お客は5名。お正月の金曜ってどっちにも転びそうだとは思っていたが、ゆったりとした営業になった。3名は慣れた方々だが、2名は初めて。おひとりは名古屋出身ということでヒントをいくつか出してもらって出身地(最寄駅)を当てようとしたが「東海通」が出てこなかった。名城線ユーザなのに。僕のほうはやすやすと当てられて完全敗北。(どんなヒントを出したか忘れたのが悔やまれる。)
 夜学バーはいわゆる「ゲーム」のようなことはまずやらない(やるバー多いんですよ)が、その場で編み出したものならやることがある。「その場で生まれるもの」の力を好むがゆえ。

2024/1/6土 17-24j
 高校の同級生とその友達、近所のお店ですすめられたという二人連れ、かつて僕が家庭教師(?)していて今は網走にいる子とその友達、鶯谷のラブホテルに勤務している元編集者、など豊かなる顔ぶれで計9名。いいな。いつもこのくらいだとなおよし。
 この日のテーマは「紹介する」ということだったかもしれない。友達を連れていける(いきたくなる)お店と思われているのは誇らしい。網走の子なんかは「あわよくばこのまま通ったら」という気持ちもあったんじゃないかな。自分はふだん遠くにいて、おいそれと来られないわけだから、せめてと。そういうふうに「代わりに」という気持ちは嫌いじゃない。二人連れを派遣(?)してくれた近所のお店の人も、「ふだん(営業時間がかぶっているし)行けないから」ということで紹介してくれたのだと思う。その気持ちだけでも、この場に来てくれるのはとてもうれしい。

2024/1/7日 14-19自習j、-24j
 引き続き正月らしい動き。いや実際正月なんてほぼ終わっているんだけど、なんとなく年始ってのは人を動かすのでしょう。愛知に住んでいる旧友や茨城に住んでいる友達、転職で関西に引っ越していったお客(友達)、10年くらいまえ高校生の時にお店(おざ研)に来てくれていた子など、いろんなところからいろんな人が集まりつつ、比較的近くて比較的頻度高くおいでくださるお客さんたちもそれ以上に来てくれた。正月の終わりと日常の始まりがちょうど重なるような地点なのかもしれない、1月7日の日曜日というものは。
 時間をおいて思い出しながら書くとエピソードよりも分析みたいなことが多くなってしまって躍動感に欠けちゃう。すぐに書けるようにがんばりますんで、もうちょっとお待ちください!

2024/1/11木 17-24j
 三日休んで平常運転! お客3名。平常運転だ!

2024/1/12金 17-24j
 金曜、お客1名。平常運転だ!
 初めておいでの方だったが、その後またおいでくだすった。うれしい。三度めもぜひ。

2024/1/13土 1330−1630受注、17-24j
 受注営業として「ガレットデロワを食べる会」。夜学バーとジャッキーさん(僕)をレンタルできるという仕組みで、主催者がその代金を支払うのだが、出席者から参加費を集めることによってちょうどいい塩梅になっていたと思う。いろんな使い方があるので「発注」みなさまご検討ください。詳しくはトップページから飛んでくださいまし。
 
2024/1/14日 14-19自習j

2024/1/18木 17-24j
「2年限定で住める教育施設型シェアハウス」(この説明で合っているのだろうか?)にお住まいの方が、たびたび同居人(と言っていいのだろうか)を連れてきてくださる。そこに18歳男子居合わせ、その場で見学に行くことが決まった(後日実際行ったらしい)。偶然が現象に進んでいく力強さ。月並みですがそういう場でもありうることを誇らしく思います。
 後半、人が少なくなってきたところで柔道整復と鍼灸やっている教え子に遊んでもらう。遊んでもらうと言うのは、「診る」というほど本格的なものでもないしお金も払っていないゆえ。たまにゴキッとかグキッとかやってもらうと調子いいのだ。ずっと痛めている左足首もいじってもらった。「亜脱臼してますね〜」とのことで、戻してくれた。翌日、固定具(サポーター)まで持ってきてくれた。なんていいやつ! 教え子は財産です、本当に。もちろんお客様方も。みんながいなかったら生きていける自信がない。
 件の18歳男子も初体験。ゴキッとかグキッとか言ってた。

2024/1/19金 17-24j
 昨日来ていた生徒が友達を連れて。この人は一人で来ることもあれば誰かを連れてくることもあって、うまいこと使ってくれてる。「先生とはきっと話が合うはずだから、なんか話してよ!」と無茶振り。「そう言われると余計に話しづらい」と二人で抗議した。お互いにたぶん悪く思ってはいないのだが、ふつう仲良くなるには時間がかかる。初回はこんなもの。また会いましょう。
 二人が帰ったあとは無人の時が続き、花金と言うが本当に水商売ってのは当てにならない。遅い時間に一人だけ来る。「コンカフェ、ガルバ、キャバクラなどの業態と性的搾取との関係」について、かなり真面目に考えた。このかたはとても頭がいい(雑な説明)ので、お気持ちで議論するというより論理的に考察しあえるので面白い。いったんお気持ちは置いといて、どう考えるのが妥当か、という視点に二人とも立てるので話がよく組み立つ。それでいて肝心なところでは「お気持ち」に降り立ったりもする。そのバランスが絶妙なとき、「楽しい〜」って僕はなります。ありがとうございます。
 川本真琴さんがこの日で50歳となられましたのでずっと曲を聴いていたが、それを分かち合える人はいない。ズレた間の悪さも君のタイミング(575)。
2024/1/20土 17-24j
 前半お客1名のまま長く、お腹すいたねということで近所の中華屋「竹子」に電話してチャーハンなど食べる。夜学バー唯一の提携店(?)である。竹子だいすき。緊急事態宣言下でも竹子だけは元気に営業していた。その恩を忘れない。暗闇の明かりは勇気をもたらす。
 後半もちらほらとお客。土曜の夜としてはもうちょっと流行ってほしいものだが、一人でも来客があればやっている甲斐がある。金のためならもっと儲かるようにやる。良い時間だけを(僕が)過ごせるよう、歯を食いしばってこのような酔狂な店にしているのだ。もうちょっとこれでやってみる。

2024/1/21日 14-19自習j
 開店すぐ、新潟からのお客がきて、終わるまでいた。よほどこの空間のことを好きでいてくれているのだろう、たまにしか来られないからと長い時間いてくれたのだと思う。嬉しい。
 その間に二人、短い時間顔を出してくださる方が。このような気軽さで「自習」を利用していただけるのは理想的。喫茶店に入ったって500円くらいかかったりする(もちろん、店による)わけだから、もうちょっと奮発してぜひ四階まで。下の自販でコーヒーでも買ってきてください、もちろんご注文アラバこちらでつくります。

2024/1/25木 17-24j
 お客さんが元同僚の方を連れてご来店。「お酒を飲まないのでこういうお店に来るのは初めて」とのこと。夜学バーはお酒を飲まない人かなり多いので気にせずおいでください。ただ、薬物(アルコールのこと)なしでも1500円〜かかります。その分の価値ある空間と時間を作り出すために日夜がんばっております……。ソフトドリンクももうちょっと特別なものを増やさないとな。最近は「ノンアルのハイネケン(ビール)」を使ったカクテル(梅ネケン、イエロー・マジック・ビア)はじめいろいろ考案してみてますのでおたずねください。また皆様からのアイディアもお待ちしてます。
 またお友達を連れてきてくれた方が。「好きな店だから連れていきたい」と思ってくださるのだとしたら本当に嬉しいことです。すごくカジュアルな「勧誘」でもあるわけですが、素直にはまっていただけたら幸いです。
 夜学バーは一人で来ても「会話」が発生しやすい仕組みになっておりますが、と言って僕が「会話を偏重」しているわけではありません。演劇やアニメ制作において脚本というものがほんの一要素にしか過ぎないように、人と人(あるいは場)との交流において会話というものもその程度の位置付けでしかありません。ゆえに無理して話しかけたり言葉を引き出したり、ということはしません。しかし声を発したい時には発せるような環境づくりは常に意識しております。くすぐったりもします。ただ、不自然にそれをするようなら黙っていたほうが楽しいことだって多いと思います。
 僕もどこかに飲みに行って、質問ばかりされるとか、ずーっと店主の話を聞いていなければならない状況にあるとかなり疲れてしまいます。そのバランスが上手なお店にこそ通いたくなります。努力しているつもりなのですが、正解もなければ定石もないので、いつも不安なまま「大丈夫かな?これでいいのかな?」とやっております。あたたかい目でお見守りを。
 深夜、お客さんと一対一に。「このお店は、来れば来るほど言葉に気をつけなければ喋れなくなっていきます」(大意)というご感想を賜る。普通は逆なのだ。通えば通うほど気が抜けて、言葉に気をつけられなくなってゆくはず。夜学バーはいつでもある程度緊張感のあるほうが理想。しかしもちろん、同時にリラックスもできていたほうがなお良い。そのバランス。緊張と緩和が同時にあること。難しいけれども、そうでなくてはメリハリあるダンスは踊れない。

2024/1/26金 17-24j
 開店と同時に1名ご来店(というか、僕が到着する時すでにお店の前にいらっしゃった)。「(自分以外の)人間は記憶力があまり良くない」という実感を、高校の同級会で得たらしい。たとえばAさんとBさんにまつわるエピソードを、当人同士は覚えていないのに彼だけは覚えている、みたいなことが多いとのこと。それについて僕は「それもそうかもしれないが、中学か高校くらいまで自我らしい自我がなかったという人は存外多いもので、そういう人は《記憶を定着させる柱》を持っていないわけだからどんなエピソードでも大概忘れる」みたいな話をした。記憶というものは「自我(ここでは「自分」とか「自己同一性」という言葉でも表しうるような意味)」という軸に蓄積していくものだから、その軸がない場合には大抵のことは忘れるだろうと。すなわち、「自分自身とその経験」を結びつけるからこそ記憶できるのであって、「その経験」だけが単品であってもどこにも結びつかないで流れて行ってしまう。丸暗記がすぐに忘却されるのと同じこと。こんなような質の対話を、彼とは彼が10代の頃から延々しているような気がする。静岡茶をお年賀としていただいた。ありがとうございます。

 話が前後するが、この日は夜学バーに新しい椅子が届いた。カウンターの中で僕が座るための椅子。古いのは不要になるので「どなたか入りませんか」とTxitterに投稿したら希望者が2名。即座にふたりともお店にやってきた。協議のすえ、あとから申し込んできたほうが持って帰ることに。先着だった方、もし遠慮してくださったのなら申し訳ない。何かで埋め合わせたらと思いますが……。なんだろう。何かで。
 生徒がひとりで来てくれた。若い女の人計3人でなんだか女子校を思い出した。「先生も一杯」で言われ、あちらも夜職経験者なので遠慮なくいただく。その後お客ちらほら。最後にちょっと失敗(失言)したかもしれない。まだまだ修行が足りない。
 今年初めておいでになった方が「〇〇とか××の話できなかったけど」と名残惜しそうにお帰りに。こういうのも反省というか、申し訳ない。帰り際、息子が読むためにと古本を2冊お買い上げに。そうなのです、最近夜学バーでは不要になった本を売っているのです。暇つぶしに眺めてみてください。

2024/1/27土 17-24j
 グランドスラム。誰も来ませんでした。本を4冊くらい読んでしまった。そんな日もある。
 小山田圭吾さんの誕生日ゆえサイン入りTシャツ着てきたんだけどそういう時に限って誰にも見てもらえなかったりするんですよね。ズレた間の悪さ。

 24時をすぎ、「自分のやっていることはどこにも需要などなく、このまま忘れられ朽ち果てていくのだ」みたいな気分(気分だけです、本気でそう思っているわけではありません)で電気消して外に出たら、若い女の人が扉の前に立っていた。「わっ!」と声出してしまった。「このお店に?」と尋ねると、「入ってみたくて……」といったようなお返事が。「ちょっと寄っていきますか?」ともう一度中に入って電気つけた。
 高知駅前に「へびや」というお店があって、人に教えてもらって初めて訪れた際、お店の前に自転車停めてたら目の前で明かりが消えて、店主がスッと出てきたことがある。ほぼ同じ状況。彼は「あ、入ります?」と言って即座にきびす返し、電気をまた点けてくれた。そういうことがあると、自分もそうしなければならないという気になる。
 彼女のいわく、近所のブックバーで働いているのだが、シフトだったのでお店に行ったけど鍵がかかっていて中に入れない。困ってウロウロしていたところで「夜学バー」という看板を発見し、気になって登ってきたという。行く宛はほかになかったようなので、招き入れてよかった。それにしてもよくぞ看板だけで来てくださいました。未成年(成人)とのことでコーヒーをお出しした。
 そのブックバーを僕は知っていて、店主の方も何度か飲みにきてくれている。不義理にもこちらから訪ねたことはない。コンセプトがやや特殊なので遠慮してしまっていたのだ。いい機会だから今度飲みにいかなければ。「何時までやってるんですか?」「朝5時までです」「それならお店の後に行けますね、もし今から開くようなら今日にでも行こうかしら」などと話す。
 僕はあんまり湯島の街でご近所付き合いがないので、たまたま看板を見て入ってきた人が、知っているお店の従業員だった、というのは稀な奇遇。やはり「本とか置いてあるお店」として通じ合うものがあるのだろう。あちらの店主とも「そういうお店同士お互いに頑張りましょう」なんて話をしたものだ。
「どうでしょう、道案内も兼ねてあちらのお店に連れて行っていただいて、もう一度ピンポン鳴らしてみませんか。そのまま営業するようなら飲んでいきます」と提案し、ともに夜学を出ることに。一つも信号を渡らない同じエリアで、徒歩1分程度。
 エレベーターの扉が開く。その前に女性が二人立っている。ややこわばった表情。ただならぬ状況にあることを直観した。最悪の事態が頭をよぎり、その通りだった。お二人は店主の奥さんと娘さんで、彼は遅くとも20時半までには息を引き取っていたと告げられた。今は警察が入って現場検証をしており、家族も中に入れないという。
 付き合いは深くない(それなりに長くはあったが)とはいえ知らぬ仲でもないし、連れてきてくれた彼女にとって自分がいたほうが安心するのかむしろいないほうが良いのかわからない。警察の帰るまでは(午前3時半くらいだった)邪魔にならぬようにしてその場にいた。帰り際、「(形見分けとして)本を一冊持って行ってください」と仰っていただき『漢方の心身医学』という本を選んだ。小山田いく先生の『星のローカス』が全巻置いてあって、(これは夜学バーにも並べてある、そんな話もしたかったな)と思った。
 58歳。聞けばほとんど休まずに毎日15時から朝5時まで営業し、家に帰ってもろくに寝ないでまた出掛けていたそうだ。なぜそんなに働かなければならなかったか、有り体に言ってお金が足りなかったらしい。死因はまだ詳しくはわからないものの、過労と心労がたたったのは明らかに思われる。
 同じ街で似たような仕事をしている人間として、感じることのないわけがない。ましてやこの月末の土曜の夜、お客が一人も来ないで終わった店だ。焦って「じゃあ毎日営業するしかない!」と過労方面に突っ走ってしまうことは十分あり、そして疲れが常態化してくると人間は正常な判断力を失ってしまう。彼も周囲からいくら「休め」と言われても休めない状態にあったらしい。気持ちとして、とてもわかる。他人事ではない。
 冷静になれば、働く時間を絞ってそのぶん効率(利率)を上げれば良いのだし、そのためにその他の時間を休養や準備や構想などの企業努力に充てることはとても重要とわかるはずなのだが、「そんなこと言ってる場合じゃない」と考えてしまいがちだし、実際本当に切羽詰まっていたりもする。そこで「殺されるわけじゃないし」と能天気楽天家モードに切り替えられるかどうか。おそらく責任感の強い真面目な人には、それの苦手な人が多いだろう。
 過労気味の友達は他にもいる。心労に押しつぶされそうでいる友達も。ともかく休み、心も身体もリフレッシュすることだと思う。「認知の固定」という言葉を僕は好んで使うが、これをいかに避け、常に柔軟な気持ちでいるかにかかっている。それがなくなった時、僕だって誰だって危ないことになる。
 生前にあのお店に行って、差し向かいで酒を酌み交わしたかった。悔いても仕方ないことだが、生きているうちにしか何もできないのだ。改めて心に刻みつけた。「おやすみなさい」も死んでからではむなしすぎる。

2024/1/28日 14-19自習j
 お客は1名、2日続けて閑古鳥。笑っちまいますがそういうこともある。同情を求めたり「自分は良いことをやっているはずなのになぜ売れないんだ!」と憤ることはみっともなく、ダサい。それが現実で、より良くするための時間が今与えられているということなのだ。本当はSNSに泣き言でも垂れたいところだが歯を食いしばって耐える。洞窟の隠者は淋しさを超えたのではない。さみしさの先にあるものを信じているだけなのだ。それゆえに彼はただ待つ。自分を求める勇者の到来を(ゲーム脳)。
 掃除機をかけてお店を整えて、本でも読もうかと思っていたところで来客。
 上のお子さんが来年度大学受験、下のお子さんが目下中学受験中とのことで、勉強のお話を。できる限りの助言をしたつもりではあるが本人と話してみないことにはどうしようもないし、また僕の受験指導力はさすがにもう現役ではない。原理原則は教えられるけれども最近の傾向とかには対応できていないので、いろいろ過去問に当たってみなきゃ。
 尤もウラを返せば「原理原則」であればかなり良い指導ができると思いますので、興味ある方はぜひご相談ください。場合によっては(中高生とかなら)無料でやります。
 たとえば英語と古文と漢文と現代文とを横断する学び方(考え方)を早いうちに身につけておくと、あらゆる分野に応用が効いてくるのでおすすめ。数学も一通りはできますがかなり忘れているので一緒に勉強しましょう……。学校の勉強をちゃんとしてみるとだんだんすべてのことがつながって見えてきて、夜学バーみたいな場に来た時にはどんな話題でも即座に理解して対応できるようになります。便利。楽しい。

2024/2/1木 17-24j

2024/2/2金 17-24j

2024/2/3土 17-24j

2024/2/4日 14-19自習j、-24j

2024/2/5月 17-24j

2024/2/6火 17-24j

2024/2/8木 1930-24j

2024/2/9金 17-24j

2024/2/10土 17-24j

2024/2/11日 1930-24j

2024/2/14水 17-24j

2024/2/15木 17-24j

2024/2/16金 17-24j

2024/217土 17-24j

2024/2/18日 14-19自習j

2024/2/22木 17-24j

2024/2/23金 17-24j

2024/2/24土 1230-18自習まちくた、-24j
 木金の実質的なお客は、少ない数えかたで計2名、多い数えかたでも計5名であった。人気がないなあ〜と思っていたところ、受験を終えたまちくた氏の圧倒的な人気があっという間にその人数を飛び越えてしまった。頼もしい。しかし一方で、「ジャッキーさんとかいう人大丈夫? 訴求力なんい?」と心配もする。まあ僕は長い目で見るからいいのです。3月末までまちくたさんは土曜の昼自習を担当するようです(3月9日を除く)。これは本人の希望。使いたいように使ってくれ、ただしお店の利益になるような仕方で。
 まちくた氏にしてもさく氏にしても、報酬は「相談制」。当面は恐ろしいほどの薄給でやってくれるようです。やりがい搾取という概念についてはすでに書いたかもしれないけど、たぶんまたいつか。
 このあたり心配してくださる方もあったようですが、「相談制」(この言葉はいま考えました)ということにも意義や信念がちゃんとあり、そこはしっかりと尊重させていただきます。お金についても何についても、とにかく外部の常識に沿ってのみ考えたくはない(考えるにしても参考に留めたい)、というのがこのお店の根幹なので。
 いちおう夜学バーには「正規の報酬」も規定されていて、最終的にはそれに則るのだと思います。またその額も上がったり下がったりするかもしれません。状況に合わせて、柔軟に。

2024/2/25日 14-19自習j
 日曜の昼自習は基本的にあまり人が来ない。夜営業しても基本的に人は来ない。日曜を定休日にしたくなる気持ちとてもよくわかる。湯島の街は閑散としている。けっこう新鮮なので一度ぜひ。
 17時くらいまで一人きりだったが最近見習いで入ってくれているさく氏が来店。3月19日(火)以降は火曜担当となる予定なのでよろしくお願いします。
 その後、8日いらっしゃった「札幌勢」の方々のうちお二人がご来店。宣言通りまた来てくださって嬉しい。「二度めは、ずっと」と言いますからね。8日にはまだ届いていなかったサッポロッピーをご賞味いただきました。
 コミティア帰りの漫画家もご来店。「ジャッキーさん渋谷系知らないでしょ、ヴィジュアル系でしょ」と煽られて「知ってますよ!」と返したものの、僕の知っている範囲はかなり偏ったものゆえ「知らない」レベルと認定されてしまった。ちなみにヴィジュアル系に関してもかなり偏っているので「知っている」レベルにはない。そういうことが僕には多い。高校生くらいの頃から「広く、やや深く」でやっている。こういうお店をやるにはそれがちょうどいいような気はしますが、専門がいまいち定まらないというのはちょっとコンプレックスかも。藤子不二雄、小沢健二、岡田淳、橋本治あたりならかなりのものと自負はありますが、分野というには狭すぎるし、「専門」と胸を張れるレベルかも疑わしい。僕の想定が高すぎるのもあると思うけど。
 ちょっと延長して終了。早めに営業が終わる日は引き際が難しいけど、日曜の夜はイレギュラーが起こりやすいので、あえてみんなが帰ったあとでもちょっと残って仕事してるくらいがいいのかも。他のお店が軒並み閉まっているからか、ほんとに通りすがりのわけのわからないお客(超歓迎しております)が来たりして面白いのです。

2024/2/26月 24-29開放
 裏面のような日。月曜だが庚申(60日に一度の徹夜せねばならない日)なのでいちおう夜中だけはお店にいて鍵をあけていたら、一人だけ来客が。二人でしっとりと過ごした。こんな日もよい。
 でも7年間ずっと庚申ほぼ欠かさずやってて、なんなら10代から僕は自分の家やらお店やら野外飲みやらで守庚申してたのだが、定着しないもんですなあ。そりゃまあ、庚申と夜学バーの両方に命かけてる人でなければ月曜の夜なんか来られるもんじゃないですよね。つまり僕だけでしょう……。気が向いたら、命かけてください。寂しいので。

2024/2/29木 17-24j(見習さく)
 17時ちょうどに、開店当初から通ってきてくれている(当時は大学生だった)お客が高校の後輩を連れて。「(後輩が)信頼できる人間がいないというので、僕の信頼しているジャッキーさんに会わせようと思って」というようないきさつだそうな。もちろん「君もジャッキーさんを信頼しなよ!」という意味ではなくて、「ちなみに僕はこのような人間を信頼していますよ」という紹介なのだと思う。そうでないとまずい。
 この人が僕を信頼してくれているのは、自分で言うのもなんだが、この人(仮名:バイク川崎川崎バイク)はかなり無茶苦茶な人で、かなり多くの人から馬鹿にされたり嘲笑されたり、ムカつかれたりしていて、その中でごく珍しく僕は彼の話をしっかりと聞き、そこにある微々たる「可能性」を凝視し、毎度言葉を尽くして向かい合ってきたからだろう。いや、ですね、このように自画自賛したくなるくらい、それはじつに大変な時間だったのです。ほんと普通なら匙を投げていると思う。出禁にしていてもおかしくはない。
 しかし、6年か7年という長い時間をかけて、バイク川崎川崎バイク氏はほんのわずかずつ、「よく」なっていった。少なくとも僕から見てはそうである。このことは僕にとっても自信につながっている。夜学バーというのは教育機関でもある、と度々書いているが、それは「教え(地に足がつき、筋の通った考えや指針)が育ってゆく」場というような意味。僕が彼にしたことは「教え、育てる」ではなかった。ただバイク川崎川崎バイクなりに考えたり工夫したことを、ときに否定し、ときに肯定しながら、ともにあれこれ考えてきたのである。あるいは「ジャッキーさんはどう思いますか」といった質問に対しサボらずにしっかり考えて答え続けた(これがけっこう骨なのだ)。それらの時間が「信頼」という言葉でまとめられたのは今回、とても嬉しいことだった。
 とはいえ今回、僕がカウンター内でその二人に接したのはほんのわずかな時間だった。見習いのさく氏がすぐにやってきて、交代したからだ。その後はデスクワークをしながらみんなの話を聞いている時間が長かった。後半は会話にけっこう参加した。
 バイク川崎川崎バイクの後輩の方も楽しんでくれたようだった。色んな意味でいい時間だったと思う。いったんお店がカラになったとき、さく氏と小さな感想戦を催した。彼はばかではない(→精神的に向上心がある)ので、「(自分の振る舞いは)どうでしたか?」と聞きたがるのである。えらい。
 夜学バー的なお客さんとの向き合いかたや、空間の作り方についてはあまり言うことがないというか、「あとは経験」という感じなのだが、だからこそあえて高等な注文をつけた。それがなんだかは秘密。長くなるので……。(忘れないようにメモったからそのうちこっそりどこかに書きます。)

 その後もちょこちょことお客があった。さく氏曰く、「夜学バーに立ったあとはものすごく疲れている」とのことで。すごくよくわかります。あそこに立っているだけで尋常じゃない気力を消耗する。立ち仕事だからという話ではなくて。全方位から視線が集まること、一挙手一投足に気が抜けないこと、常に「この空間をさらに素晴らしくするために自分は何をするといいか」を考え続けていなければならないこと、などなど、常に頭も体もフル回転なわけである。
 疲れるってことは、そういうことをちゃんと考えてくれているってことだと思うから、夜学バーとしては非常に嬉しい。僕もいまだにかなり疲れるので、慣れればなくなるわけでもない。慣れたからってなくなったらまずい。大切なのはこれを「意味のある疲れ」「充実した疲れ」として捉えることなのだろう。(やりがい搾取の匂いがする!)

2024/3/1金 17-24j(21から見習さく)
 中3、志望校に合格したそうで。報告ということでもないのだろうが来てくれた。嬉しい。楽器の話とか本の話とかする。バーナード・ショーの『人と超人』がどういうわけだが夜学バーではプチブーム。こないだ別のお客さんも「読んでみたけど面白いね! きちがいしか出てこなくて!」と言ってくれた。僕も大学時代に夢中に読んだものだ。
 後半は同じく志望校(大学)に合格した「さく」氏がやってきて、見習いとして業務を任せる。この二人のような若人が来てくれていることは夜学バーにとって誇りであり財産である。もちろん明日来てくれるまちくた氏も、その他のたくさんの人たちも。
 年齢差別をしたくはないが、そのくせしっかりと年齢差別をしているので書くが、もちろんあらゆる素晴らしいお客さんたちが誇りであり財産でもある一方、若ければ若いほど「財産感」は高まる。なぜならば、いま10代である彼らはそのうち20代となり、30代となり40代となり50代となり、死ぬまですべての年代を塗りつぶしてゆくのだ。
 僕にとって(店にとって)あらゆる年代のお客さんが大切なのは当然であるが、大切であり続ける期間がより長い(はずの)人たちは本当に正直に言って、やはり「財産感」が高いのである。これについて誰も嫌な顔をしないでもらいたい。僕は単に「子供たちは未来だ」(byケーダブシャインさん)みたいなことを言っているに過ぎない。ほぼ一般論。

 毎度誤解や誤読を恐れずに書いておりますが、お店でお客さんと話をしていると「えっ、僕のあの文章をそういうふうに解釈したんですか!?」と驚くことが少なくない。もっと誤解や誤読を恐れたほうがいいのかもしれない、知らないところで恐ろしい読まれ方をして、知らぬまに嫌われていたりするのかもしれない。だが信じて書くのみだ。伝わることを信じるのではない、伝わらぬことをも含めて、書くことを信じるのだ。(なんかカッコいい、意味はよくわからないけど。)
 僕はかなり正確に文章を書いている(つもりな)ので、その正確さ(職人的技術!)に甘えて、「正確さとは無関係に伝わってしまう領域」(芸術的領域!?)を無視しがちなのである。「正確に書いてるんだから伝わるよね」という甘え。悪い癖だ。読む人は「正確に読む」なんてことをしてくれない。できないのではなく、「正確に読む」ことは体力も時間も使うから、通常は省エネに努めるものなのである。面倒そうな話は早合点して読みとばすのが常道である。
 伝えたいことがあるのならば、正確さを捨ててでも「伝わること」を優先して書くべきなのかもしれない。しかし僕は別に「伝えたい」わけではないのだ、たぶん。傲慢にも「伝わるはずだ」(もっと傲慢には「伝わるべきだ」)と信じているだけなのである。(夜学バーのバズらなさの秘密もおそらくここにある。)
 ゆえに、続けます。

「年齢差別をしたくはないが、そのくせしっかりと年齢差別をしている」という記述について。僕は特定の年齢(層)の価値が高いとか低いとかいう考えを持っているわけではないし持ちたいとも思わないが、年齢というものは意味を持ちうるとは思っている、みたいなこと。僕は半ば以上冗談で自分のことを「9歳」と言うことがあるが、そこには「年齢によって差別されたくない」という気持ちと「年齢にはしっかりと意味がある」という気持ちが同時に表れている。
 年齢は意味を持つが、その意味によって「差別」と言えるようなことが行われるのには強く反対だという話である。男であることや女であることは意味を持つとは思うが、それによって不当さが発生するのはよくない、ということに似ている。
 夜学バーにとって「あるお客が10代である」ということは特別な意味を持つ、そういう話である。もちろん20代でも60代でもそれぞれが「意味」を持っていて、それは必ずプラスの意味。ただ10代は「誇り」だの「財産」だのといった視点で見たときに特筆すべきものがある。
 財産というのは、経済的には「顧客期間が長い(はず)」ということがある。しかし20代以上のほうが一般に「いま使ってくれる額」が多いわけだから短期的にはそっちのほうがこの意味で財産である。ただ財産という言葉にはもっと広いイメージがある。〜〜なんでこんな当たり前のことをわざわざ書いているのだ。真夜中だからだ、きっと。
 経済的でない面での「財産」の意味は「誇り」という言葉のニュアンスに近くなる。要するに、「10代が通ってくるバーなんてすごいね」というやつ。ブランディング。「あらゆる年代の人が通ってくるお店」というのが夜学バーの理想で、おそらくもっとも難しい層が「10代以下」と「80代以上」で、後者は現実的でない(エレベーター無しの4階ですし)としたら前者を尊ぶのは自然である。
 ぜひわかっていただきたいのは、夜学バーは「10代が通ってくるお店」にしたいわけではない、ということだ。そんなお店にまともな10代がくるとは思わない。目指すのは「あらゆる年代の人が通ってくるお店」で、その達成を考えると集客難易度の高い10代くらいのお客があるとつい(この「つい」が重要)嬉しくなってしまうし、この10代はやがてすべての年代を塗りつぶしていくわけだからさらに都合が良い。
 念のため書いておくと、「10代」という言葉選びには9歳以下を差別する意味合いはない。いちいち「10代以下」と書くのも正確さにこだわり過ぎかなと思って抑制しました。正確には、9歳でも4歳でも一人で通ってきてもらえたら嬉しいのです。後者は現実的ではないけども、前者ならあるかもしれない。実際小4で一人で通ってきていた人がいたので。

 なんでこんな長文になっているのかというと、種明かしをすると、これを書いているのは3月1日の営業後でして、この日のお客は金曜で晴れているのに2名、売上は2400円でありました。こういう日は、本当に正直に言って、かなり気持ちが落ち込んでしまいます。こういう日があること自体は面白いし、水商売なんだから他の日にバランスを取るものだということは重々承知していても、やはりいくらやっても閑古鳥には慣れないもので、辛い気持ちになることは止められない。それは「食っていけない!」とかいう切実な叫びではなくて、「いちおう世の中のために必要だと思ってやっているのに需要がない」という、自分の「下手くそさ」を呪って落ち込むのである。
 さく氏はしばらく信じられないほどの薄給でこのお店を手伝ってくれるつもりのようだが、「本当にそれでいいのか?」と問うと、「まあ、お金はどこでも稼げますから」と言った。なんという天晴れな人材であろう。僕もそう思う。ただ金が欲しいなら誰がこんな店をやるものか。
 そんなこんなで、やるせない気持ちを文字にしているのですね。お目汚し失礼いたしました。でもいいことを書いたつもりです。また、この日きてくださった2名の方と、いらっしゃらなかったすべての方に心から感謝あるいは感謝類似情動を捧げます。

2024/3/2土 1230-17自習まちくた、-24j
 中学生1名、大学生2名、僕の教え子1名、教えてない子1名。教え子と教えてない子(授業を持っていなかったという意味)は同じ学校で、学年は違うが初等学校から一緒だったためか面識があった。ここで偶然再会したのである。僕のほうも驚いた、というか、鉢合わせた瞬間ニヤリとしてしまった。
 同じ時期に同じ学校にいた知己が3人もいれば、その話をしないのはむしろ不自然というもので、他のお客さんがいながら昔話をしてしまった。もちろん、夜学バーらしいやり方で。みんなにわかるように、かつ、みんなが面白い(はずの)ように。それを一般化して考察すれば「内輪ネタ」が「夜学バー」になる。「一部の人にしかわからない話」は基本的には敬遠したいが、あえて打ったほうが楽しい時もかなり多い。「友達が友達のことを楽しそうに語っている」姿が僕は大好きなのだ。もちろん語り方次第でもあるんで、できるだけ上手に。恐れずに。

2024/3/3日 14-19自習j
 初来店のご夫婦がおいでになる。質問に応え夜学バーとはどんなお店なのかを縷々話す。若いお子さんが複数いらっしゃるそうだ。もしかしたら「子供たちが行っても大丈夫な場所か」を偵察に来たのかもしれない。だとしたら嬉しいな。
「夜学バー説明会」みたいなの、需要があったらやりたいものだけども、需要などない。ビラでも撒くか。

2024/3/7木 17-24j
 新潟市からのお客さんあり。前回(初回)は昨年8月の本郷での「夜学バー博」で、その時は中原中也記念館のおみやげをくださったのだが、今回は前橋文学館の萩原朔太郎のおみやげをくださった。小林秀雄の話をたくさんした。我ながら、こういう話がしっかりとできるお店というのは、いいなあ、と思う。僕の専門は国文学で、だからこそお店自体はあんまり文学っぽくしたくない(偏りが出るので)のだが、しかし話題としては大歓迎です。
 ところで、「ここはあれですか、文学がテーマなんですか」みたいな質問を受けることがかなり多いのだが、たぶん多くの場合「本=ブンガク」というふうな連想をされているだけ、と、思いたい。文系か理系かで言えばやはり文系にかなり寄ってはしまいますが、小説などいわゆる「文学」っぽい本は比較的少ない、つもりなのですよ。よく見ると。あんまり「本=ブンガク」にはしたくないものですから。
 私大文系受験だった僕は数学もそれなりにできるようになりたくて、大人になってから高校数学(IA IIB)は何周かやったし、放送大学で数学の科目を軒並み履修しあと教科教育法さえ取れば教員免許が取れるくらいには勉強した。しかし! 受験数学ができるかといったら、全然できない。共通テストでもほとんど点は取れないだろう。よく「解説さえ見れば人に教えることはできる」というふうに説明する。問題を「解く」のは本当に難しい。
 ともあれ、放っとくと文系に偏りすぎてしまうので、もうちょっとバランスを取りたい。僕のお父さんと長兄は理科の先生で、実のところ我が家は理系家系でもある。自分でも素養は多少あると思うのだが、いかんせんこう、方向音痴なので(?)図形がまったく頭に浮かべられない。脳内の黒板も狭い。だからこそもうちょっと練習したいなと思う。
 自分語りになってしまった。
 中盤は、父親との対決(!)について対策を練る留年大学生が、まさに親世代にあたる方にご意見賜るという場面(僕が水を向けたのですが)もあって面白かった。いろんな世代が同時にいて、互いに良き影響を与えあうというのがヤガクの理念の一つ、みなさまどうぞお手柔らかに、微笑みながら厳しく。
 後半、女子校時代の教え子が来てくれてしばらくサシで話した。16歳だったのが就職している。直近、かなり大変なことがあったそうで、そんな時に顔を見せに来てくれるのは本当に嬉しい。少しでも気晴らしになっただろうか。また大いに利用してくださいまし。

2024/3/8金 17-24j
 新人・さく氏にカウンター内をお任せした。お客が一人のうちはほぼ問題なかったが、その後初来店の3人連れがやってきて、注文も一気に入るわけなので大変そうだった。慣れるまでは夜学バーのマルチタスクはかなりきついと思う。僕だって今でもいっぱいいっぱいだ。逆に言えばこのスキルを10代で身につけたら無双なのでみんながんば。
 3人組は、いわゆる「夜学バーに来そうな人たち」とはちょっと違うように見える感じの人たちだった。なぜそんな持って回った言い方をするのかといえば、もちろん「そうとも言えない」からである。特に最初にお帰りになったおそらく最年少であろう方はかなり夜学バー「向き」のように僕には思えたし、他のお二人もよくよく話すとかなり聡明で、人の話をしっかりと聞いてくださる素敵な方々だった。男3人で飲んできたn次会で、さらに酒が入れば「ちょっと違うように見える感じ」にもなろう。まして彼らはこのお店のことをまだ良くは知らない。「ここはこのようなお店です」ということをしっかり示せれば、たぶんかなり良き場をつくってくれる人たちだと思う。
 ただ、その運転を初心者(さく氏のこと)がするのはかなりしんどかっただろう。僕は最初の一杯ずつを手分けして作った以外はずっとカウンターの外にいた。もちろん部外者としてではなく場の一員として座りながらさく氏の振る舞いをずっと観察していたわけだが、いや、かなり上手い。「欲を言えば」くらいのことを、あとであれこれ伝えた。感想戦は楽しい。彼はとても精神的に向上心があるので、ちゃんとダメ出しをしたほうが喜んでくれるのである。なんと殊勝な。
 彼がまだ高3の時は、今のように夜学バーに立ってもらおうというつもりはそんなになかった。まだうまくできないだろうと思っていたのだ。しかしこの1年、宮古島で働いたりインドに行ったりいろんなバイトしたり就職活動してみたり改めて大学受験をしたりという豊かにも豊かすぎる経験を通じて彼はずいぶんと伸び、かつ伸び代も遥か。実際お店に立ってもらっても相当うまくやってくれる。まちくたさんもだけど、若き日の1年間ってのは本当にすごい。
 さく氏は19日から毎週火曜日に立ってくれる予定なので、皆様ぜひご贔屓に。よろしくお願いいたします。

2024/3/9土 13−17受注『蓮と刀』、17-24j
「ジャッキーさんに橋本治の本を解説してほしい」という発注を受けて実現した「180分で名著 橋本治『蓮と刀』」はなんと7名の来客に恵まれ、またストリーミング配信では1名の方が聴いてくれていたようです。アーカイブ残ってますのでよかったら。
 この二日後みごとに体調を崩したわけですが、決してこの会のせいではございません。いろいろ重なったのもあるし、一番悪いのはたぶん寝不足が続いたあとにバングラデシュ料理食べてすぐ寝たからだと思われます。何も食べずに12時間くらい寝たらたぶん普通に回復したでしょう。失敗した〜。
 愛知県からいらっしゃった方が昼と夜に1名ずつ。ふしぎと引き寄せるのだなあ。夜からいらっしゃった院生の方は「ウィンチで引っ張って飛ぶグライダー」が趣味だそうで、僕全然知らなかったのでけっこう興奮した。数千円で空が飛べるのだという。かなり興味ある。
 スポーツについての話から、「今後人間の考え方が二者択一的でなくなっていくのではないか」というような話題を提示したら、「たしかに勝敗以外の要素が数値化されるようになってきた」として将棋の優勢判定やサッカーのボール保持率などを例示してくれた。まだまだ数値化から離れることは難しそうだが、「勝ちか負けか(白か黒か)」という明快さは少しずつなりを潜めていくのかもしれない。このテーマについてはしばらく考えていくと思いますので、ご興味ある方ぜひ。(もともとは量子コンピュータの概念を聞き齧って得た妄想です。)


2024/3/10日 14-19自習j
 14時、卒業式を終えたまちくた氏来る。ちょうどコーヒーを入れようと思っていたところだったので2杯分つくって一緒に飲んだ。なんか、国語科室でぼんやりしてたら卒業証書持った生徒が「先生〜卒業したよ〜」とか報告しにきた、っていうような感じ。違うのは電車で30分かかることくらい。ずいぶん遠い国語科室だが、距離とは時にせいぜいこう。
 いったん家に帰ってから打ち上げに行くのだそうだ。濃密な1日の一部となれたなら幸いである。この3年間、彼女にはずいぶんお世話になったし、救われた。これからも大いに救ってもらおう。もちろんたくさんお世話もしたし、救った(言葉は大袈裟だが)自負もある。これからも救い合えむことを。
 彼女が去って20分ほどして、ヤガシューの某氏(ほぼ伏せてないが、原則としては伏せるのがこの日報の姿勢なのである)来る。「さっきまでまちくたいたよ!」「えー!」などと。ニアミスはさみしいが楽しい。けっこう長い間二人で話した。久しぶりだったので嬉しかった。
 ヤガシューとは夜学集会の略で、かの「ダチュラフェスティバル」の運営者なのだが、もう1年半以上の時が過ぎた。結成から数えれば2年弱。いつまでもダチュラじゃねーだろう、ってのは僕もわかっているし、実際ひとりひとりそれぞれの人生を送っているわけだが、つい心のどこかで3人を同じまとまりとして思い浮かべてしまう。それほど愛着があるのだと許してほしい。
 ただまあ、「いつまでもダチュラじゃねーだろう」は一方でありつつ、「いつまでも夜学集会ではありますよね」という気分も同時に僕は持っておりまして、皆様がその気ならまだまだこの夜学を利用していただきたい。時にばらばらに、時に一緒に。来年の初夏くらいには全員が20歳となる。だからなんだということはないが感慨は深い。
 ぽつぽつと来客あり。自習らしく黙々と作業を進める大学生。やがて「ハイボール」と飲み始める。良い使い方をしてくれている。その後延長して22時くらいまで営業。バッファが効くのもいい。もうちょっとこの自習時間は続けてみようと思います。

2024/3/14木 17-24j
 個人ホームページの3月13日の記事に書いたが、いろいろ重なって体調が悪かった。個人Txitterでも(珍しく!)それを匂わせ、実験的にあえて一階に看板を出さずに営業してみた。お客は1名のみであった。そうかな?と思ってやってみたわけだけども、本当にそうだった。
 もちろん僕の体調やその匂わせ、表の看板の位置の違いなどとの相関は不明。何もなくたって0〜1名しか来客のない日はザラにある。そんなことよりもスケジュールを出すのが遅れたことのほうが大きいだろう。「やってんのかどうかわかんないよ!」とお思いの方、いらっしゃったら申し訳ないです。
「木金土日に店主います」とはいろんなところに繰り返し書いているのでわかってほしいとは思いつつ、わざわざ電車に乗ってやってきてくださる方々からすれば「確実に開いている」という言質はほしいだろう、とても深く理解できますので申し訳ない気分でいっぱいです。ただ、それでも知っていてもらいたいのは、そうであるからこそ、何も言わずに休むということは僕の場合、ありません。このことはしっかり力説しておかねばならないなあ。コツコツと。
 現実として今日も、ものすごく体調が悪かったのだがなんとかして17時に(厳密にはほんのちょっと過ぎてしまったが)お店を開けた。それはなぜって「開ける」と書いてしまったからだ。本来なら寝ていたかったくらいだが、まあ不思議なことにお店に着いてしばらくすると体力も気力も湧いてくるんだから偉いもんだ。むしろそのために来たのかもしれない。家にいると回復しない部分もあるんだと思う。そういう意味では僕もけっこう「仕事人間」だな。
 といった性質であるからこそ、疲れを溜めてしまうというのもある。であるからこそ、「疲れてるんだろうな」と遠慮してくれる人もいるのかもしれない。しかし僕はどちらかといえばほしいのは労いだし、誰かに会いたいと思ってお店をやっているのだから、「しんどそうに見えたら来てね!」というのが本音。心細い夜だった。それで日報を書き進めてみている。

 トップページのスケジュール欄にこっそり書き込まれておりますが、今月下旬に4日間、(過去の)日報を書く時間を設けてあります。見学可ですのでよかったら。

 それにしてもお金をもらう立場で「来てね」と言うのは「金をくれ」と言っているに等しいのだから、ちょっと躊躇はするのだけれども、自分のやっていることは良いことである、という自負をしっかりと顧みて、胸を張って「来てね」と言いたいものである。このお店が世の中から消えてしまってはいけない。そのためにできることをよっく考えてちゃんとしなきゃな。

2024/3/15金 17-24j
 さく氏(19)に見習いに入ってもらった。最初のお客は愛知県から新潟県へ出張があり、その帰りに立ち寄ってくれた僕の高校時代からの友達。新幹線だと必ず上野を経由するのだ。このお店がもし中野とか江古田にあったら来てくれなかった可能性は高い。僕が「ターミナル駅」にこだわっているのはこのことが大きい。
 一方で「ご近所型」(地域密着型)のお店への憧れもある。どうにかして「夜学バー江古田店」を開学させたいと思っているのだが、そちらでやるとなると、もちろん西側のお客さんを広く呼び込みつつも、「ご近所型」としての面もしっかり出していかなければ安定は難しいだろう。湯島の夜学バーはいつまでもたぶん「わざわざ型」でやっていくと思うが、ところ変われば品変わる、見極めてやっていきたい。
 いつもならガバガバと酒を飲むその友人も昨夜仕事関係で飲みすぎたらしく、コーヒーを2杯飲んで行った。さく氏が生まれて初めて他人のために入れるコーヒーを寸評しながら、楽しそうであった。夜学バーに限ったことではないが店員はお客さんによって育てられる。しかし「わしが育てた」なんて思っちゃ傲慢で、お客のほうも育てることによって育っていくもの(親子に師弟もそうですね、たぶん)で、「育て育てられて生きるのさ」的な話なのですね。それが成立するような場を僕は好きです。

2024/3/16土 1230−17自習まちくた、17-24j

2024/3/17日 14-17受注『リボンの騎士』、-19自習j、-24j

2024/3/19火 17-24さく

2024/3/21木 17-24j

2024/3/22金 17-24j

2024/3/23土 1230-17自習まちくた、17-24j

2024/3/24日 14-24自習j

2024/03/25月 休

2024/03/26火 17-24さく

2024/03/27水 休

2024/03/28木 17-24j

2024/03/29金 17-24j

2024/03/30土 1230-18自習まちくた、18-24j

2024/03/31日 休

2024/04/01月 休

2024/04/02火 17-2330さく

2024/04/03水 休

2024/04/04木 17-24さく→j

2024/04/05金 17-24j

2024/04/06土 17-24j

2024/04/07日 14-19自習j

2024/04/08月 休

2024/04/09火 17-2330さく+見習

2024/04/10水 休

2024/04/11木 17-24j+見習

2024/04/12金 17-24j

2024/04/13土 17-24j+モエ

2024/04/14日 14-19自習j

2024/04/15月 休

2024/04/16火 休

2024/04/17水 休

2024/04/18木 17-2330さく

2024/04/19金 17-24j

2024/04/20土 17-24j+モエ

2024/04/21日 15-19自習j

2024/04/22月 休

2024/04/23火 休

2024/04/24水 休

2024/04/25木 17-2330さく

2024/04/26金 17-29j※庚申の日

2024/04/27土 17-22モエ、-26j

2024/04/28日 2230-26j

2024/04/29月 休

2024/04/30火 休

2024/05/01水 休

2024/05/02木 17-2330さく、-26j

2024/05/03金 17-26j

2024/05/04土 17-26j

2024/05/05日 17-26j

2024/05/06月 14-19自習j

2024/05/07火 休

2024/05/08水 休

2024/05/09木 17-2330さく

2024/05/10金 17-26j

2024/05/11土 17-29[夜学バー7.11周年記念祭]

2024/05/12日 14-24後夜祭j後夜祭まちくた

2024/05/13月 休

2024/05/14火 休

2024/05/15水 休

2024/05/16木 17-24さく

2024/05/17金 17-26j

2024/05/18土 17-22モエ+まちくた

2024/05/19日 10‐18さく

2024/05/20月 休

2024/05/21火 休

2024/05/22水 休

2024/05/23木 17-24さく

2024/05/24金 17-23まちくた、23-26j

2024/05/25土 17-22モエ、22-26j

2024/05/26日 14-19自習j、‐24j

2024/05/27月 20-24j

2024/05/28火 休

2024/05/29水 休

2024/05/30木 17-24さく

2024/05/31金 17-26j

2024/06/01土 17-26j
 日報書けなくて吐きそう! とりあえず最新のところからちょこちょこ書きます。記憶が薄れると具体的なことがまったく書けなくなるので。
 15歳だった教え子が大人になって「先生も飲んでください~」と一緒にハイボールを飲む。たまにある光景だが何度くり返しても嬉しい。これは極めて個人的な感慨であって、そこだけで(その二者間のみで)完結するのはつまらない。夜学バーたるからにはその「感慨」を空間に広げていかねばならない。この僕のうれしさ、また彼女の楽しさが、そこに閉じて他を疎外するようなものではなくて、むしろ外側への潤滑油となるようなものでないと。
 この日はそれが割合にうまくいったと思う。初めて来た人が「えー、初めてなんですか?」と言われるようなことが僕の一つの理想なんだけど、どんな関係の人がいても、その人がウェットすぎず、ドライすぎないでいられることが大事。(ちょっと今人と話しながら書いているのでわかりにくかったらすみません。)
 具体的には、単純に、その教え子がその場にいるほかのお客さんと違和感なくその場に座っていることができたら夜学バーとしては「成功」と言えるわけです。むしろその「仲の良さ」や「付き合いの長さ」が排除的にではなく融和的に(?)働くとさらによい、ということ。
 夜中は、ちょっと前に近所のお店で出会った男性がご来店。まさかおいでくださるとは! それだけでも感動なのだが、前にお会いした時は女性と二人だったのもあるのだろう、その時の雰囲気とけっこう違って感じた。もし彼が今回その女性と二人で来てきたら、きっと「モード」は変わっていた。彼が感じることや考えることもきっと変わっていただろう。
 二人や三人で来たことのある人は、ぜひとも一人で来てみてほしいのです。絶対に違う体験になるので。
 最近、とあるゲームをつくった男性。「このゲームは夜学バーとダチュラフェスティバルがあったからこそできたものなので、そのお礼を言いたくて」と。こんなに嬉しいことはない。ダチュラ~も夜学バーがなければありえなかったもの(詳しくは調べてネ)なので、二重に嬉しい。どんなゲームかというと、ジャンルとしては「ボードゲーム」の端っこに引っかかるかどうか、というタイプのものだと思うのだが、業界ではかなりの物議を醸した問題作のようだ。そういうものに間接的に関わることができたのは誇りである。わーい。

2024/06/02日 休

2024/06/03月 休

2024/06/04火 20-24j
 10年前、西新宿で「おざ研」なる闇バーをやっていた頃に高校生だった人。いまだに来てくれるのは嬉しいし、いまだに夜学バーのことを「おざ研」と言ってしまうのも愛しい。もし僕がべつのお店を始めたら、みんなそこを「ヤガク」って呼んじゃうのだろう。あるある。
 前回彼が来たときのことはたぶんまだ書いてないけど、なんかいろいろあって彼はイチャキャバに行ったのですね。イチャキャバってのがなんなのだか僕は知らないけどそのことが彼女にバレて大変だったんだとかなんとか。でも彼女はそれがイチャキャバではなくふつうのキャバクラだと思っているらしくて、万が一にもこの文章を読まれたら彼はきっと大変困るのでありましょう。僕は彼の彼女を存じ上げないのですがその方のお姉さんはヤガクの近所でお店やっていて、僕も知り合い(すごい偶然!)なので、まわりまわればありえないこともない。
 ふだん夜学バーで「イチャキャバ」みたいな単語が出ることはほぼないし、僕がこのようにお客の個人的な事情を漏らすこともほとんどないのですが、彼との稀有なる友情においてあえて書いてみました。たまにはそういう「ノリ」になることもあって、そこも含めて小さなお店は面白い、という話で。
 そこへ彼をイチャキャバに連れてった当人(女の子)が登場。出勤前だったので軽く話して去ぬ。そこから2時間くらいまた彼と差し向かい。長い付き合いで、1年に一度会うかどうか。お店をやっていなければこれが5年とか10年とかに平気でなっちゃうかもしれないんで、やっぱり場というものは大切だなと思う。
 彼が帰ってしばらくして、お客が一人。少し前に近所のお店で居合わせた方で、数日前にもいらっしゃった。気に入ってくださったようで嬉しい。
 たぶん転勤でまた近く他所に越すらしい。その間てきとうに通ってくだされば嬉しいし、どこに住んでいようが東京に寄る用事はきっとあるでしょうから、その際にはぜひ。これはいろんな人に対して思っています。最近見ないな、と思うお客さんはたくさんいるのですが、その何割かは引っ越しちゃったり転職したりしたのかも。たまに寄れそうなときに来ていただけたら。1年に一度でも、5年に一度でも。

2024/06/05水 20-24j
 今日も20時開店。早々に数名の来客。水曜はノー残業デーになってがち、みたいなのもあるのかな。ごはんゆっくり食べて来たらちょうどいいくらいの。そしたらでも19時開店くらいのほうがいいのかしら。その中で出勤前の人も一名。そういうお客さん増えてほしいな。ここをゲート空間として景気付けして夜の店に出ていくような。
 某従業員来てPC開く。作業場として使ってもらえるのも嬉しい。後半はわりと静かめ。今後月~水をどのように営業していくか悩んでおります。

2024/06/06木 17-24さく
 この日僕は練馬で友達と会う用事があったのでさく氏に全面お任せ。すると23時半ごろに連絡あり、「いまお客さんが二人来たんですがジャッキーさん今日は来ますか?」さく氏は終電が0時6分なので、僕が交代できないならお客をすぐ帰さなければならないわけだ。僕もちょっと忙しかったので「行けません!」とだけ返した。するとややあって「終電逃したので朝までやります!」とのこと。偉い。強い。たのもしい。
 そういうわけで僕も練馬から取って返し、夜中の2時半くらいに夜学バーに着いた。始発が動き始めるというところで、近所のバーの人から「アフターで使いたいんだけど行っていいですか」と問い合わせが。今から? まあ乗りかかった船というか、面白いのでOKした。結局8時か9時くらいまで営業したのではなかろうか。
 かつて中学の教員をしていたころの教え子(11学年下)が来てくれていて、アフターで恋バナみたいなことしてる人たちを横目にいろいろ話した。「いまだにこういうとき、帰ることができないんすよ、楽しいから最後まで遊んでたくなっちゃうんすよね!」わかる。彼はそのまま仕事に行って少なくとも午後2時までは働かねばならぬそうだ。がんばってくれてありがとう。楽しかった。
 この1年半くらい僕の中に「夜ブーム」みたいなのがあって、夜のお店でそれなりにお金を使ってみようと活動しているのだが、それもそろそろ疲れが出てきた。バー等に行くのも非常に楽しいが、そのぶん昼の喫茶店にいけなくなってしまう。バランスを取り始める時期だなと思う。

2024/06/07金 17-26j
 金曜もこの店は出足が遅い。日によれば遅いまま終わる(すなわち閑古鳥)こともある。早い時間はすきや町町会の町会長(!)がおいでになって、10月に行われる予定の上野演劇祭(!)について計画を話し合う。ひとりシェイクスピアの楠美津香さんが上野~浅草エリアで劇場を探しているとのことだったので、町会長が自社ビルの地下に最近つくった芝居小屋を紹介したいと申し出ると、「じゃあ明日、わたしこの方のお芝居を見に行ってみる!」とのことで、実際ホントに行ってくださって話はトントン拍子に進み、12日には美津香さんが下見にいらっしゃって、僕も立ち会わせていただいた。すごいなあ。言ってみるもんだし、面白そうなことには首を突っ込んどいて損はないである。
 というわけで10月12日と13日の土日に「劇団夜学バー(仮)」の公演あるはずですし、ひょっとしたらほぼ同時開催で僕のひとり芝居も夜学バーでやるかも。予定空けといてくだちいませ。

 従業員モエ氏来店。この日は彼女の二十歳の誕生日で、「二十歳をすぎて初めて飲むお酒は夜学バーの雪国と決めていた」と。これには実は前例があり、2019年8月21日の日報にちゃんと記されている。
 星新一が、「あるアイディアを最初に書いた人はもちろんすごいが、2度めに書いた人もすごい。なぜならば、2度めに書いた人は新しいジャンルを生み出したといえるからだ」みたいなことを言ってたって、こないだ岡田淳さんが言ってた。モエ氏は、f氏(とその友人と僕)が生み出した美しい時間をもう一度なぞって、それをジャンルにしてくれたのだ。ここにおいて、「二十歳をすぎて初めて飲むお酒として夜学バーの雪国を選ぶ」という行為は、慣例となった。第三号以降もお待ちしております。
 モエ氏はまた、f氏と同じく親友を連れてきてくれていた。その方も一緒に飲めればよかったのだが、まだお酒を飲める年齢に至らないとのことだったので、今度ぜひ。
 ネポ中(ネーポン中毒)の高1、スガキヤを食らう。いちおうフードとしてスガキヤラーメンだけ用意しているのでお腹空いている方はどうぞ。うわさのf氏来る。彼女は自分が当時してもらった(↑の日報参照)ように赤玉パンチをごちそうしたかったそうだが、雪国一杯でタイムアップだったので断念。また今度ということになった。「また今度」って僕は嫌いではない。しかし果たされないことなど大嫌いだから、果たされないといけない。果たされますように。
 学生時代から来てくれていて、いまは立派な社会人の男子。ビール飲んで「カー!」とか言ってて、茶々を入れると真面目な顔で「なんでも声を出したほうが気持ちいいと気づいたんです」とのこと。お風呂入って「アー!」とか立ち上がるときの「よっこいせ」とかも、言ったほうが絶対に気持ちいいと。わかるんだけども。
 深い時間は金曜らしく、「通りすがりに看板を見て」という若い男女や、正体不明の三人組など新鮮な取り合わせに。三階から四階に移ってから「通りすがりに」というお客がかなり増えた。一番はたぶん入口の緑の看板がポップで目立つ(作ってくれた人ありがとう!)からだと思うんだけど、あとは当然コロナ感覚が薄れてきたこと、Googleマップユーザの増加、そして「四階まで上がっちゃったんだから」という「損切りのできなさ」があると思う。みなさん諦めたように扉を開けてくださる。ありがたや。
 さて謎の三人組が夜学バーに来店したいきさつが面白い。そのうちのお一人が小沢健二さんの大ファンらしく、「これ以上酒を飲むとオザケンの話しちゃうんで……」とおっしゃるのでオザケン名曲&レアトラック特集をいたしますと、「アア!」「これは!}「エッ、このバージョンはっ!}とすばらしい反応。心が通い合って帰り際、現在松本に住んでいるとのお話があり、「あれもしかしてギブミーリトルモアとか(通ってますか)?」と言うと、当たり。ただその後が意想外。
「ギブミーのべつのお客さんから、この文章面白いよって言われて、読んでみたら面白かったんで。それが尾崎さんのホームページで」尾崎さんの? 夜学じゃなくて僕の、個人の?
 どうも僕がむかし、松本に行ったときのことを書いた文章が「ギブミー」のお客さんの間で回し読み(?)されていたということらしい。僕は具体的な店名を書いていないのだが、「これってギブミーのことだよね?」と解読?されていたようだ。誰が、どんな経緯であのホームページにたどり着いたのか。こんど松本に行って確かめなければ。

 何度も書いているけど、僕は東京では営業(宣伝)活動をあんまりしない。地方に行ったときにはできるだけやる。「お客の居住地域をできるだけ散らしたい」という意図。さらに素朴な話としては、「遠くからお客が来るとうれしい」。僕もうれしいし、居合わせたお客さんとしても面白いと思う。この日だけでも、徒歩圏に住んでいる人もいれば神戸や松本の人まで、いろんな地方からお客さんが来てくれていた。とても豊かで嬉しい。
 しかしその「豊かさ」を海外に広げると大変なことになる。僕は「営業」の足を世界の隅々にまで伸ばさねばならない。そして言葉の通じない人たちどうしの「交流」にまで夜学バー的テクニックを伸長させていく必要がある。さすがにそれは僕の仕事ではない。インバウンドとは無縁に、ひっそりとやるつもり。

2024/06/08土 17-22モエ、22-26j
 ちょっと遅れて僕(店主j)は19時ごろ到着。児童書が好きだという方がご来店。『時間割男子』というシリーズをお勧めいただく。ハリ書房という書店で拙著『小学校には、バーくらいある』を読んで、面白かったので来てくれたとのこと。最初にミルクセーキをご注文されたので、もしかしてそうかなとは思った。作中にミルクセーキが、とてもおいしそうに(のはず!)描写されるのです。ある小学校3年生(2年生だったかも?)の読後第一声は「ミルクセーキ飲みたい!」だったそうで、けっこう印象的に書けたんだなと嬉しく思っております。
 もう7年も通ってくれている男子、「初めて人を連れて来ました」と。「いま私は東京にいないので、彼が私に求めている成分と同じようなものを東京で求めるとしたら、それは夜学バーにあるんじゃないかと思うので」というようなことを言ってくれた。ちょっとわかりにくいかもしれないが、要するに「自分と話しているときの感覚と似たものを夜学バーでなら味わえるのではないか」と言っているのですね。信頼されているということだ。非常にありがたい。
 その今は東京に住んでいない彼が、初めて来た二人(連れてきた友達と、児童書が好きだという方)に対して、「夜学バーとはどういう場所で、どのような振る舞いを是とし、それはどういう理屈に基づくのか」ということをあれこれ解説してくれた。配信したいくらい素晴らしい内容だった。至福。
 
2024/06/09日 14-19自習j、‐24j

2024/06/10月 20‐24j

2024/06/11火 休

2024/06/12水 20-24J

2024/06/13木 17-24さく

2024/06/14金 17-26j

2024/06/15土 17-22モエ、22-26j
 かつて働いてくれていたsoudaiくんのブログを見てこのお店にやってきたという方が来ていた、と報告を受ける。
2024/06/16日 14-19自習j、‐24j

2024/06/17月 20-24j


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