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■夜学バー 営業時間について■
●スケジュールのみかた
本ホームページのトップやGoogleカレンダー、各SNSに発表されるスケジュールをご確認ください。「18-25j」とある場合、「18時開店、25時閉店、担当:j」という意味です。jとは店主「尾崎昂臣/ジャッキー」を指す略記号です。
開店時間は、「お客が来店可能になる」時間で、閉店時間は、これがやや複雑ですが、「店を閉める時間の目安」を表します。ただし、これより遅くなることはよくありますが、早くなることはほぼありません。延長はあっても早仕舞いすることはまずないという意味です。
●閉店時間とは
この「閉店時間」の内実は二つに場合分けできます。
店主が担当する、あるいは店内にいる場合については、「その時間まではお客が来るのを待ちます」という意味になります。25時までと告知してあるなら、お客がなくとも25時までは座して待ちます。その後は原則としてお客さんが帰るまで営業を続けます。一階入り口に看板が置いてあるのですが、それが出しっぱなしになっていれば営業している可能性が極めて高いです。ただし悪天候、悪戯、善意などで奥に引っ込んでいる可能性もゼロではないので、気になったら看板がなくとも上がってきてみてください。
なぜそのようにしているかというと、自分だったら門前払いされたら悲しいから。ほぼそれだけです。「25時まで」と言ったら25時まではやるし、看板を出していている以上は最大限の誠意を示したい。もちろん事情によってはお断りすることもあるかもしれませんが、「終わっちゃいました」とだけつっけんどんに言って帰らせるようなことは絶対にしたくないものです。信頼を持って会いにきた人にいきなりビンタをくらわせるような。
話は変わりますが、逆に、ドアを開けてお店を覗くだけ覗いて何も言わず帰ったり、「⚪︎人入れますか」とおっしゃるので「入れますよ」と返したら無言でドアを閉めて二度と戻ってこないとか、電話で「行きます」と言っておいて来ない、等々はお店をやっているとけっこうあります。ものすごく心にダメージを負い数日引きずるので、どうか何か一言おっしゃってください。「また今度」とか。たとえ嘘でも。そこにいるのは感情を持った人間なのです。それはお客でもお店の人でも同じです。
店主でない従業員が担当の場合は、「この時間に閉店ということにしておけば終電等で余裕を持って帰れる」という時間に概ね設定されています。23時閉店とあっても23時になったら必ずしも即座に退店を促されるわけではありません。その従業員が帰りたい時間に帰れれば問題ありません。ちょっと早めに帰りたければ片付けを急ぐし、そうでなければ比較的ゆっくりと作業を進めるでしょう。厳格なルールはなく、その場の雰囲気や当日の事情、気分などに合わせて流動的にやってもらっています。その場に店主がいる場合は引き継いで営業することもあります。
ちなみに2025年5月現在において働いてくれている某氏は、終電が0時6分(ないし5分)なのに閉店時間を「24時」としています。ギリギリ終電で帰れれば問題がないし、あまりにも面白い流れがありそうなら「帰らない」選択も厭わないという意志が垣間見えます。
もちろん、ここで大切なのは「閉店時間から6分後には自分は電車に乗っています」という事情をどこかのタイミングでお客に伝えること。それは一つの技術でもあります。お客との対話、コミュニケーションのなかで「0時すぎにお店を出られるよう動きましょう」という合意を取りつけ、達成する。ある意味お客さんとの共同作業。みんなでいかに協力してスムーズにそれを「達成」するか、これは夜学バーにおける一つの学びアクティビティでもあると思っています。
そのうえで、「タクシー代出すんでもうちょっといいですか?」というお客からの提案もあり得るし、「○○駅からは歩きますんで、もう30分営業します」からの「それじゃあ悪いんで、店員さんも飲んでください、何杯でも」といった交渉も起こり得ます。さらにいえば「もう朝までカラオケ行っちゃおうよ~」とかいう話もないではないでしょう。べつに夜学バーが「アフター」を推奨しているというわけでなく、さまざまな関係のあり方が想定される個人同士のやり取りにはかなり幅広い可能性が存在するという話。それを殺さず、最もふさわしい道を自らの意志で選び取ってもらいたいというのが、店主としての従業員への願いでもあります。
●最近の傾向(2025年5月26日記)
2017年4月の開店以来「年中無休」「17時から終電過ぎまで」を基調に営業してきました。今でもそれが「基調」ではあるのですが、あまり必死に遵守しないように努めております。やりすぎると「体力の限界! 気力もなくなり、引退することになりました」(千代の富士)となりかねません。より持続的なやり方を模索中です。
最近は日曜日を中心に休みを設けることもありますし、若手の立つ日に店主が顔を出さず静養する日も増やしています。持続のためには従業員が育たねばなりませんし、彼らがいなくなった後でもまた新人を育てられるような体制も整えなければなりません。いかに夜学バーの再現性を高めるか、ということに店主は注力しております。マニュアルを作ったりフローを組み立てたり、何より「夜学バー的空間を現前させるTips」みたいなのを伝えるのに躍起です。これまでは口伝と「見て盗め」でやってきましたが、それでは速度が遅すぎ、また同時に複数名を抱えることが困難なのです。
現在従業者が5名もいてみな若く、指導する側としてはうれしい悲鳴。どうにか経験を増やして、なんでも自分で考えて動けるようになっていただきたいのですが、そのためにはお客さんがたくさん来てくれないと仕方ありません。夜学バーの(そして世界の)未来への投資だと思って、積極的に店主以外の担当日に駆けつけていただけますよう心から願います。
そうです、それは投資なのです。お店というのはそもそもすべてクラウドファンディング。貴重な時間と幾らかのお金を、なにとぞ。
●その他、営業についての考え方
「来るもの拒まず、去るもの追わず」という言葉がありますが、「店」というものはそもそもこの性質を持つものと思います。店は都市のように出入りが自由で、入店すればすべての商品が自分のものとなる「可能性」が瞬時に開かれます。宣伝するとか看板を出すということはその可能性を一般に開くということで、希望を抱いて扉を開けた人が「もう終わりです」と門前払いされたら想定していたすべての可能性を失うことになるわけです。ゆえ、やむなく断らざるを得ない場合にお店の側がすべきことは当然「可能性の補填」です。すなわち「またぜひ来てください」以外にはないと思います。
あとはそのことをいかに誠実に、具体的に伝えるか。「ごめんなさい、今日は〇〇の事情で閉めてしまいます。いま看板を仕舞いにいくところで、入れ違いまことに申し訳ございません。このお店は〜〜〜〜(営業日や営業時間を伝える)ですので、ぜひまたおいでください。詳しくはホームページがございますのでご確認いただければ幸いです。こちらは当店のショップカードです、よろしければ本当に、いつでもご来店くださいませ。この度は重ね重ね申し訳ありませんでした」的な。これはさすがに慇懃すぎる気もしますが、内容としてはこのくらいのことを伝えなければならないと思います。
状況が許せば多少立ち話をしたり、「簡易的でよろしければ一杯だけいかがでしょう」と提案もできます。たとえばビールだけなら栓を抜けば提供できて、洗い物も不要。そのような柔軟な交渉の余地も、よほど焦っているのでなければできるようにしておきたいものです。
僕が「来るもの拒まず」を「店」の性質と思うのは、もちろん個人の価値観ではあります。店とはそのくらい自由で可能性に満ちた、開かれたものであるべきと思っているのです。
「去るもの追わず」に関しては、少なくとも固定店舗型の「店」に関していえば原理的に追うことが困難だという事情にまず拠ります。店というものはどうしても「待つ」という性質から逃げられません。そうでないのは訪問型の押し売りくらいのものでしょう、たぶん。
個人的には、本当はお客さんのことを追いたくてたまりません。最近見かけないあのお客さん、とか、一度だけ来てくれて楽しくお話ができたあの人、とか、地の果てまでも追いかけてこの店にまた引き摺り込みたいと本音では思います。しかし自分には待つことしかできない。呪いのようなものです。営業をかけようにも連絡先も名前も知らないことがほとんどだし、仮に知っていても自分から連絡することは難しい。「店」というものはあくまでも「待つ」ものであり、「来るもの拒まず、去るもの追わず」という原則に従うものであると、思いすぎているのかもしれません。もうちょっと追ったっていいよなあ、と最近は思っています。ホストみたいに。
それでも今のところは、「待つ」ということをひたすらにしているばかりです。「最近行ってないなあ」とか「一度は行ったが二度目はなんか気まずいなあ」といった方々、お店はずっと待っています。性質として、基本的には待つことしかできないのです。
そして逆側を向くと、お客というのは「行く」ことしかできないし、「待たせる」ことしかできません。「待つ方が辛いかね、待たせる方が辛いかね」というのは太宰治の名言として知られておりますが、店も客も似たような呪いにかかっているように思います。お互いの事情をわかり合って、待ったり待たれたりしながら、時には膝突き合わせようではございませんか。よろしくお願い申し上げます。
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