氷砂糖のおみやげ

各回に関する資料(#001~)です。
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#001氷砂糖ってどんなもの?①
  祈りから軽犯罪まで併せ呑む
#002氷砂糖ってどんなもの?②
  子どものすべてが蘇る
#003氷砂糖ってどんなもの?③
  児童書はばかにしていた が
#004今はただその時のつづき①
  「さかいめ」について
#005今はただその時のつづき②
  大人の世界になじめない
#006今はただその時のつづき③
  「遠心的」と分散思考
#007居場所って何やねん!?(0)
  おたより紹介など
#008居場所って何やねん!?①
  居心地なんてぶっ飛ばせ!
#009居場所って何やねん!?②
  「常連」否定論→伝説の周年反省会
#010居場所って何やねん!?③
  「中立な場所」をめざす苦しみ
#011男性の弱さについて①
  「強さ」なんて認知の歪み!
#012男性の弱さについて②
  結論は依存のもと
#01314歳-41歳という魔境①
  「競争」と「比較」の27年
#01414歳-41歳という魔境②
  「認知の歪み」=「認知の固定」
#01514歳-41歳という魔境③
  齢に取り憑く悪魔たち
#018#013~017についての言い訳、
  転じて「夜学バーの活用法」
#016カジュアルなデストーク①
  「死の自己決定」はいくつから?
#017カジュアルなデストーク②
  最後に切るカード、死
#019『ふしぎな木の実の料理法』(岡田淳、こそあどの森の物語1)①
  バーバさんの気持ち/トワイエさんの家は夜学バー
#020『ふしぎな木の実の料理法』(岡田淳、こそあどの森の物語1)②
  世界観の作りこみ/ふたごは論理的に踊る
#021『ふしぎな木の実の料理法』(岡田淳、こそあどの森の物語1)③
  しあわせなオノマトペ/しゃべるのには練習がいる

#001 氷砂糖ってどんなもの?① 祈りから軽犯罪まで併せ呑む
令和5年4月10日(月)15時配信/1週めの1本め


【目次】
○ふたりのなれそめ
・ぷにょさん、尾崎の「論理的おこづかいおねだり」に興味を示す
・クラウド・ファンディング以外の道を探って
・お金をほしがる男性と、あ金をあげている女性???
・クラウド養い・養われイング社会へ

○Podcastを始めた経緯
・ふざけた会話から
・ふたりの「遠くない」感覚
・ジャッキーさんが日記に書いているようなことをもっとライトに伝えたい、というかわたしが理解したい(ぷにょ)
・単純なことしか本当は考えていない(ジャッキー)
・その象徴が「氷砂糖」!

○氷砂糖ってなに?
・「こういう気持ちで生きていきたいんだよね」と言い合っていた時に究極の形としてジャッキーさんが持ち出してきた、過去をときめく宮沢賢治の『注文の多い料理店』序文 ⁠
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43736_17656.html
・宮沢賢治は本当に「自己犠牲の人」なのか?という疑問 ある日のお客さんとの会話から
・氷砂糖は持っていてもいい
・宮沢賢治の祈り ※「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」が正確。放送では「人」と言っていました
・祈りといえば「世界三大ザワケンジ」の小沢健二さん
・眼前の氷砂糖とどう付き合っていくか?
・禅とかに通じてくるよね。知恵なんですよね(ぷにょ)
・氷砂糖という複雑な存在
・「中津川野外学習」の思い出と軽犯罪の自白(ジャッキー)
・盗んだ氷砂糖を噛みくだく~♪ ←歌ってる
・ドーピング剤でもあるわけですよ。結晶ですよね、エネルギーの(ジャッキー)


この続きは4月11日(火)15時に配信します。
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#002 氷砂糖ってどんなもの?② 子どものすべてが蘇る
令和5年4月11日(火)15時配信/1週めの2本め


 緊張もほぐれてきたせいか、前半はややもったりしております。ほぐれすぎて体温の高まった後半、16分くらいから「本題」に入ります。あるマンガによって蘇ったぷにょさんの子どもの頃の記憶、のくだりが個人的には好きです。ぜひともそこまでお付き合いください。


【目次】
○配信のしくみ
・基本は1週1テーマ、月曜日に更新され、話し足りなければ火曜、水曜……と続けて配信
・冒頭のポエムは原則として月曜日のみ

○余談 保険の話
・ジャッキーさんは日本児童文学者協会の会員
・工夫しないと生きていけないくらい低収入
・保険の審査には落ちました

○氷砂糖と子どもの記憶
・氷砂糖と学校が紐づいている尾崎と、学校の思い出がほとんどないぷにょ
・飢えていた小学校時代
・無類の軽犯罪好き
・軽犯罪は頭が良くなる(????)
 
○果実酒のなかの氷砂糖
・なにか幸せなイメージ
・平和ならぬ家庭にあって「絵的に」ホッとする氷砂糖の存在
・大人の世界とも接続している
・「さぞかしおいしいものなのであろう」
・お話のなかの登場たべもの
・氷砂糖に物語性を感じる人たち
・ここまでは一種の自己紹介

○いよいよ核心に入ってゆくわけですけど
・岡田淳さんの「こそあどの森」シリーズを、ぷにょさんがまた手に取ったきっかけ
・ジャッキーさんが間借り喫茶店に「子どもの本」を置いていたことを、ぷにょさんはばかにしていた(ゆるせない!)
・「これでお客さんは来ないでしょ~。もうちょっとおしゃれなやつ、雑誌とか置きなよ~。コーヒー飲むような人が来るような店にはもうちょっと、写真がいっぱいある……」←ぐうの音も出ない正論
・週刊文春と女性セブン、ではない
・宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』に「こそあど」の第1作『ふしぎな木の実の料理法』が登場するのを見て、幼い日の記憶が……
・図書館で借りて読み、すべてが蘇り、手のひら返し。「子どもの頃にいいなと思ったものが、すべて詰まっていたの」「私はこれで生きていきたい、みたいな」
・申し遅れましたが僕(J)、岡田淳さんの大ファンなんです
・次回はそこから


この続きは4月12日(水)15時に配信します。
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#003 氷砂糖ってどんなもの?③ 児童書はばかにしていた が
令和5年4月12日(水)15時配信/1週めの3本め


 墨田区京島で数ヶ月間だけやってみた「喫茶 夜学バー」の振り返りから、子どもの本に関するお話へ。

 終わりがけはなんだか話がとっちらかっておりますが、たぶんジャッキーさんの言いたいことはこういうこと。「小さい子が活躍する小さい子の読む本がなければ、小さい子が自分ごととして共感できる物語がなくなってしまう。小さいころに小さい子の活躍する話を自分ごととして読んでおけば、年をとっても小さい子のことを自分ごととしてとらえられるのではないか。小さい子のことを自分ごととしてとらえられない大きい人には、ちいさい子の気持ちが本当にわからない。」


【目次】
○墨田区での喫茶店の失敗(?)を振り返る
・児童書やドラえもんの飾ってある喫茶店にお客は来るのか?
・一般的バズり感覚のないジャッキーさん
・児童書に込められた知恵「私がいたらなかったです」
・小石川や中央線なら成り立っていた?
・文化の違いについて。現代の古民家オシャレリノベ若者文化といえばDJ、サウナ、銭湯……「嫌いだもんね」「嫌いじゃないです!」
・レコードではなくMDで小沢健二をかける店だった(一般的バズり感覚欠如の象徴)

○ふたりのバランス
・「児童書とか絵本とか、子どもの本が好きな人って、やべえやつなんですよ結局」
・だんだん毒気が出てくるジャッキーさん(でもそれはすべていつもの飛ばしすぎたジョークなのです……お許しを)
・バランスをとりにいくぷにょさん、それに感謝するジャッキーさん
・本放送におけるぷにょさんは「俗担当」
・「こんな本置いて(お客が)入ってくるわけないじゃん」というぷにょさんの感覚は正しい
・10000人いたら50人くらい入ってくるかもしれないが、100人だったら1人も入ってこないかもしれない
・夜学バーも、上野という巨大な街にあってさえ成立しているか怪しい
・ひと夏の幻の喫茶店「夜学バー京島店」を想ってしみじみ

○児童書をばかにしていた「が」
・岡田淳『ふしぎな木の実の料理法』に、ぷにょさんは幼き日にも出合っていた
・当時読んだ感覚を思い出しながら、改めてこの作品の魅力について考える
・主人公スキッパーの住む「ウニマル」と呼ばれる家に憧れていた感覚が蘇った「私、ここに住みたいってすごい思ったなあ」
・自分だけの空間を持っている男の子、っていうのがすっごいうらやましかった
・ぷにょさんの幼年時代は「絶対こうじゃないわけじゃん」「こうじゃなかったです」
・出てくる登場人物も、優しいんだけどあんまり干渉してこない
・「こんな気持ちになったことなかったかも、最近」「そういう感じの読書、最近してなかったから」  
・「やっちまった~、児童書なんて置いてみたいなこと言って恥ずかしい~」と、悔恨するぷにょさん
・「自動的にそう思っちゃうようになるんですかね、年を経ると。昔は楽しく読んでたわけじゃん?」
・本屋さんでジャッキーさんにだけ見えていた(?)なぞなぞの本と『さやか10歳の日記』
・ぷにょさんが「こそあどの森の物語」シリーズを第1巻(『ふしぎな~』)しか読まなかった理由は……ずばり……
・宮崎夏次系先生ありがとう

○すばらしいから好きなだけ
・ジャッキーさんが好きだという岡田淳という人物と「こそあど」の作者が結びつき、急にジャッキーさんへの信頼感が回復(回復?!!?!)
・児童書やマンガを、ノスタルジーとかで好きなわけでは全然ない
・「昔好きだったんだよね、ってことでは全然なくて、昔好きだし、今も好きだし、いつ読んでも、もう、こんなに素晴らしいものはない!と」
・「そういうやつって、でも、やべえやつなんですよ。社会性とかがあるとはとても思えないというか。だから、がんばんなきゃいけない。」
・それを「やべえやつ」と切り捨てるのはとてももったいない
・(速記者の独り言:この本の向こうに人がいる、すなわち作者がいる、という考え方をするのと、この物語、というふうにだけ受けとめるのと……この違いはけっこう重要だと思う。意外と前者のほうがすでに大人びているのかもしれないけど、後者の人はまだ子どもであるがゆえ、やがて大人になっていってしまう、のかもしれない。)

○子どもの活躍するお話について
・「小学生が活躍しなきゃダメですよ」VS「活躍する年齢は14歳から」
・楳図かずお先生の『14歳』では、第1話から「14歳で終わる!」と語られる
・13歳までが活躍できる限界、とテキトーなことを言うジャッキーさんに、80歳でも活躍したらいいと思いますけど、とぷにょさんがバランスをとりにゆく→「本当だ、楳図先生80歳すぎて活躍してるわ!」と素直なジャッキーさん
・大きい字の本も小さい字の本も読む、そこに境目はない
・次週はこの「境目」あたりのお話を(したいけど、どうなるものか?)


この続きは4月17日(月)15時に配信します。
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#004 今はただその時のつづき① 「さかいめ」について
令和5年4月17日(月)15時配信/2週めの1本め


「大人じゃないような子どもじゃないような なんだか知らないが輝ける時」なんて歌がむかしありました。そこに「さかいめ」などないのである、というのが今週の大きなテーマ。ただし次回(#005)、次々回(#006)ではまた遠心的にさまざまな話に飛んでゆきます。お楽しみ頂けたら幸いです。


【目次】
○「さかいめ」の話
・夜学バー店主たるジャッキーさんは「子どもが読むような本を読む」→「てんでようち」→「精神面の成長が遅いのカナ? 止まってんのカナ?」→そうだけど、そういうわけではない
・「さかいめ」という言葉が前回提示された
・野球のボールくらいの字の本も読むし、ダニくらいの字の本も読む
・世阿弥とか読みますからね

○脱線、世阿弥の話
・ノスタルジーではなくて温故知新に近い
・今の演劇とあまり変わらないような考え方
・夜学バーのPR冊子『夜学の初心』に書き下ろした世阿弥についての文章
・「初心忘るべからず」は世阿弥が由来
・「未熟な頃の初心」「その時々の初心」「老後の初心」
・(速記者の独り言:このあたりの話はちょっとわかりにくいと思うのですが、言いたいのは「初心」というのは「ゼロ地点」だけに宿るものではなくて、「点を取れるあらゆる地点」が初心でありうるよね、みたいなことです(わかりにくい))
※『風姿花伝』のほか『花鏡』『申楽談儀』なども同時期に読んだので、内容がごっちゃになっている可能性があります
※どうでもいいですが現代でも室町時代でも「ふうてい」が正統のようです(調べました)

○「さかいめ」ふたたび
・子どもの頃からのたくさんの初心
・中学、高校の初心に宿る、山田詠美『ぼくは勉強ができない』……20代や30代で読んでも名作なのか?
・「自分はその時の延長線上に生きているのだから、今でも好きなものがないとおかしい」
・「脈々続き続けているイメージなので、さかいめがないというか、どんどん増えていく」「大変だよね」「大変かも」

○「こそあどの森の物語」シリーズについて
・岡田淳『ふしぎな木の実の料理法』には、すべてが詰まってる(わたしにとっては)
・すべての道はこそあどの森に通ず
・【要注意】このPodcastは、「こそあど」を読んだことのある人のための放送ではない
・「しらねえもんの話ばっかしやがって」とは思わないでください
・何について話していようが、それは「この世界について」話しているのです、全員にとって関係ある、この世界
・「早めに言っといたほうがいいと思うんですけど、我々ちょっと頭がおかしいんですよね」
・「そのお話」のことを語りたいわけではない
・読んでくれたらいいな、とは思います。全12巻+1冊。ほとんどの巻は1~2時間くらいで読めるはず

○子どもに読んでほしい本があったら、どうするか?
・読めとか言わないほうがいい
・とにかく自分が楽しそうに読み、若干手に取りにくい場所に置く
・「あなたにはまだ早い」くらいのことを言うのも効果的、それでぷにょさんは吉本ばなな『白河夜船』を読み、ジャッキーさんは川端康成『伊豆の踊子』を読んだ
・岡田淳さん(というか、こそあどの森の大人たち)の態度ともちょっと似ている?
・さっきから「知らねえよ!」という感じかもしれませんが……#001冒頭の「友達のハットリさん」と同じようなことなのです!(伏線回収) 
・「こそあどの森では」とか「スミレさんは」とかいうのは、「うちの中学校では」「ハットリさんって人がいて」くらいのことだとご理解ください
・子どもの本なので、すぐ読める、読みやすい、フリガナある、字が大きい

○みたび、「さかいめ」
・楳図かずお『わたしはカズオ』より 「いまはただそのときのつづき そう! みんなただそのときのつづき」
・「人はどこかで区切りをつけてしまって、それこそさかいめのようなものを設けてしまうけど、続いてるだけなんです」
・「小学校、中学、高校、ってどんどんどんどん更新されて新しくなって、上書きされてくようなことがあるかもしれないけど、今というのはすべての時期の続きなんで。一本線じゃなくて、無数の、それこそ時間って切り分けられないから(略)、いろんなことがあったすべての瞬間の続きが今である、っていう時間観なんです」
・「特にだから、仕切り直してないってことですよね」

○上書きシステムからの脱却
・就職活動を一切せず、そのままプータローとなりて……
・変わるたんびにデビューしなおさなきゃいけない気がしてた
・大学卒業のときには、既存のシステムに乗っていくことができなくなった
・「いちおうあがいた」ぷにょさん。セミナーで立って話してた人がうさんくさかった。こんなわかりやすい金儲けみたいなことやって……
・専門用語で言うと「灰色」(参考文献:小沢健二『うさぎ!』)
・これには加担できない、ついていけない、という感覚
・高校はなんとなく行った、大学も行くことにした、その先は……なんにもわかんなくなっちゃった
・大学くらいってただの器じゃん
・「(新卒で就職したら)3年は働こう」世代、今はもっと短い?
・何か一つのありかた(部品)になることを求められる
・たぶん人によって向き不向きや好き嫌いがあるんだけど、自分は苦手だった・「おじけづいた」という表現がいちばんしっくりくる!

○次回は……
・そんなおじけづいた我々はどういう人間たちなのか?
・共感でも「そういう考え方もあるんだ」でも……よろしければお付き合いくださいませ


この続きは4月18日(火)15時に配信します。
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#005 今はただその時のつづき② 大人の世界になじめない
令和5年4月18日(火)15時配信/2週めの2本め


 あまり安易に「大人」という言葉を使いたくはないのですが、幼い頃から今までずっと「なじめない」と思い続けてきたのは確かで、生きていくためにはやはりそのことをちゃんと踏まえなくてはうまくいかないと思うわけです。

 今回は、大人の世界の決まりごとの話から、うつ病の才能というトピックに移り、最後には「遠心的」という言葉が登場して終わります。このフレーズはけっこう大事で、次回はそのような話になってゆきます。


【目次】
○大人の世界になじめない
・22歳で大学を出たジャッキーさん 
・ふたりの大学時代の話(中央の私立、地方の公立)
・学校に「行く」ことは好きなジャッキーさんと、通学が「うわ」なぷにょさん
・四年制大学を出たインテリの我々、その後どうなったか……向かなかった社会でのお仕事の話など
・大人の世界になじめない……「明文化されてない決まりがけっこうあんだな」
・学校におみやげを持っていくような、育ちのいい子ばっかりが先生になっている?
・(速記者からの裏情報:ぷにょさんは、ジャッキーさんがビッグカツとかを主食にしていると思っていた)
・「なじめなさ」 を説明するのは困難、何がいけないのかわかってないからなじめてない 


○大人は「正論じゃないから言わない」?
・まかり通っているが、正直理論的じゃないから後ろめたい
・まちくた(夜学バーに生息する高校生)さんの父上の箴言「門限には根拠がないから筋道立てた説明はできず、理屈抜きで強く叱るしかない」
・学校の先生が「ダメなもんはダメなんだ」と言ってくることと同根
・(速記者の補足:「世間というものは とどのつまり 肝心なことは 何一つ答えたりしない 個人でもそうなのだ 大人は質問に答えたりしない」と『賭博黙示録カイジ』というマンガで利根川というキャラが言っていますが、たぶんそういうこと)
・中学生のとき、ジャッキーさんは学校の先生の理不尽さに「ぐぬぬ」とするしかなかった。高校になると言い負かすことができるようになって、よりタチの悪い存在に。しかしそれにともなって「話の通じる」先生たちとも邂逅してゆく
・それがずっと続いている、その結果として、一人でやるしかない、大人のいない世界で
・「大人」という言葉は取り扱い注意、最終的には「大人などない」を主張したい

○突っ張っていたジャッキーさんの反省
・多くの人がそういった「なんとなくのルール」で動いているからこそ、この世の中はうまくまわっている
・「決まり」によって保たれる秩序というものは、かつて思っていたよりも大事だとわかった
・自由にさせてうまくやれるほどみんなは器用じゃないし賢くもない
・本当は、みんなが自由に、みんなが幸せになるように考えて行動すればいいだけ。ただそれは思っていたよりもずっと難しい
・「なんでいかんの?」が口癖だった幼年時代のジャッキーさん。そのままずっと変わっていない
・もし途中で世の中への「順応」を選んでいたら、鬱病で自殺していたかもしれない?(ぷにょさんによる所感)

○鬱の才能ないの
・「うつ病の才能がない」と言われた19歳のジャッキーさん
・26歳で死んでしまった友人のこと。彼には鬱の才能があり、自分にはなかった
・正論を言って、マイミクを切られた(正論がいつも良き結果を生むわけではない)
・(速記者の感慨:ここで語られているのはジャッキーさんのホームページの日記にけっこう出てくる「西原夢路」くんのことだが、肉声で公に語るのはけっこう珍しい。)
・発達心理学を(ふまじめに?)学んでいたぷにょさんによると
・そろそろ僕たちも「ミッドライフクライシス」の年齢に
・「サブカル40歳うつ病説」もある
・それに備えていかないといけない
・受け入れたらどうってことないけど売れ入れられなかったら地獄……これが才能ってことかもしれない

○受け入れることができないと
・芥川賞が絶対にほしかった西原くん(死んじゃったジャッキーさんの友達)
・「遠心的」なジャッキーさんと、「求心的」な西原くん
・(遠心的……どこか遠くへ行こうとする姿勢。大隈重信のいう「在野精神」とも似た話)
・(求心的……彼の場合は、この女の子と付き合えなきゃいけない、芥川賞をとらねばならない、という目標ありきの姿勢)
・彼が26で、ある意味破滅して死んでいくのを見ると……
・「ぽかぽか、ひなたぼっこでいきたい感じだよね、わたしたちは」
・死んだ彼とずっと友達であるという意識も、「今はただその時のつづき」という感覚につながる

○次回は
「求心的」「遠心的」について、ちょっとだけ深めておきたい


この続きは4月19日(水)15時に配信します。
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#006 今はただその時のつづき③ 「遠心的」と分散思考
令和5年4月19日(水)15時配信/2週めの3本め


 氷砂糖のふたりが話し合っていることは、小沢健二さんの提唱(?)する「遠心的」という考え方や、森博嗣さんのいう「分散思考」に通ずる、はず。時代はだんだん「遠心」と「散」のほうに動いてゆく……その中で僕らはどうやって体温を保っていったらいいのか?といったことを話しているつもりです。

 ところで、下記「もくじ」はほぼ自分用というか、何を話したのかを思い出すための索引なのですが、あまりに長すぎて作るのが大変だから次週からできるだけ短くがんばります。


【目次】
○「遠心的」という専門用語
・中心から離れていく
・ぷにょさんも小学生のころから小沢健二さんの音楽を聴いていた

○「人となり」を伝えたい
・ぷにょさんがはじめ、ジャッキーさんのことをどう思っていたか
・「見透かされ(て)そう」はよく言われます
・意外と単純なことしか考えてない、同じことを手を変え品を変え言っているだけ
・ぷにょさんにとって夜学バーは最初「修行」という感覚だった
・そういうお客さんは多い? ひらめきや啓示をお披露目してみたり、チューニングをしに来たり
・そのうちに、ジャッキーさんが「ふつうにただ人と仲良くしたい人」なんだとわかった。「優しいんですよね」←うれしい
・Podcastの目的の一つは、ジャッキーさんの文章などからにじみ出る(らしい)「こわい」「へんくつ」「かたぶつ」「つよそう」といったイメージを払拭したいから。50くらいの貫禄たっぷりのおじさんと思われることも多い。なんで?
・ぷにょさんからの第一印象「ひょろっとした、中性的な素敵な方。ある種の層にすごく支持されそうな、マッチ棒のような体型の……」「ルパン三世とかさ、NANAとかさ、ああいう感じじゃん、画風が」「手足の長い、頭の小さい、細身のね、髪もサラサラだし」←褒めすぎ、でもうれしい
・しゃべって人となりをもっと伝えたい
・最近まんをじしてインターネットに姿をさらし始めたジャッキーさん「これがんばってるんですよ、実は」
・大人気ハッシュタグ「#かわいいぼく」も冷ややかな目で見ていたぷにょさん
・自己分析「半分くらいの人は冷ややかに見てるんじゃないですかね、もっとかな」
・それがだんだん「完全にネタなんだな」とわかっていった
・わかりにくいボケしかできない
・物欲しげな感じも、ボクかわいいでしょ?みたいな感じも実際はない
・「絶対にいいねしないけど、めっちゃ見てる」という層
・積み重ねていく ことによって、みんな慣れていく
・こうして話が逸れていくのも、「遠心的」ということ?

○遠心的の代表は「散歩」
・ジャッキーさんのWeb 日記の変遷、「ひごろのおこない」から「少年Aの散歩」へ
・傷ついた時は散歩する。中3のある夜の思い出
・歩きながら小沢健二さんのアルバム『LIFE』を何も見ないで全曲歌いきれた時、「あ、オザケンのことすごく好きなんだ」と思った
・ぷにょさんは『球体の奏でる音楽』から聴き始めた

○小沢健二と岡田淳/遠心的なムード
・『球体』(たとえば『大人になれば』)の世界が、「こそあどの森」に通ずる?
・「優しいというかなんか軽やかなさあ、パステルカラーの世界っていうか、お砂糖っていうか……」「氷砂糖に戻ってきたぞ!」
・ウッカリして、が許される世界
・厳しく、緊張感が漂っていた環境からの逃避
・求心的なものに耐えられないわたしたち、遠心的なムードを好む
・求心的って「勝つ!」みたいな
・求心的なことばかり言う家族
・訴え、主張、要らないとは言いませんが、疲れ果てたところはありますね

○「係(かかり)」という発想
・世の中には求心係と遠心係がいて、夜学バーは「遠心温泉」のようなもの
・ジャッキーさんは遠心係なので、お金が儲かったり社会的な地位が高まったりしない
・小沢健二さんは「遠心人間」の中で一番売れている?
・(速記者による調査結果:「遠心的」という言葉の元ネタは「ロッキンオンジャパン」1994年4月号でした、夜学バーホームページ内の読みもの「遠心的な場をめざして」に記載あり。《『カメラ・トーク』『ドクター・ヘッド』『犬キャラ』と歌詞を書いてきて一向に治らない性癖というか、なんつーの? 遠心的っつーの? 絶対に求心的ではなくって……。》)
・(マカロニえんぴつ『遠心』は2019年発表でした)
・(折坂悠太『夜学』は2018年発表なので、夜学バーのほうが早い!)

○時代は「遠心」を求めている?
・求心の先にユートピアはなかった
・「これまで通りの進み方では、そんなに楽しくないかもね」とみんなうっすら思っているのでは
・分散的な考え方が大事になってくる。森博嗣『集中力はいらない』で説明される「分散思考」という素敵な態度は、「遠心的」によく似ている
・「集中してんだけど分散してる(遠心的)」という状態=ゾーン?
・自分が全体と等しくなる、みたいな話(雑)
・散歩も「散」、目的がない
 
○大人じゃないような、子どもじゃないような
・遠心的な場、ウッカリして甘いお茶を飲むような休憩所
・本当は「大人などない(大人とか子どもといった概念は無視してよい)」という話がしたかった
・遠心的とは結局、決めつけないこと。曖昧な状態にいつづける、属さないこと
・属す才能はない
・大人になったおぼえもないし、子どもであったおぼえもべつにない
・単純に、大小とか能力の問題。現象として懸念されることへの対策として
・物語から取り出して現実へ 
・改めて、Podcastを始めたきっかけの話
・友達みたいに思ってもらいたい

○次週は
・「居場所」という言葉についての話をする、つもり
・良くも悪くも転がる言葉、時に「何が居場所やねん」と思うことも!?


この続きは4月24日(月)15時に配信します
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#007 居場所って何やねん!?(0) おたより紹介など
令和5年4月24日(月)15時配信/3週めの1本め


 今回は「居場所について」ということで始めたつもりですが、1週め、2週めの振り返りと、みなさまのおたより紹介に終始してしまいました。しかしその中でもいくらか重要な話題が飛び出ているので、気楽に聴いていただければ幸いです。

 放送の補足や訂正などは目次の中に書いています。今回は「三角フラスコ」とチューニングについてと、コンビニのFAXはセブンイレブンが非通知、ローソンとファミマが番号通知ありらしい(だからローソンやファミマから送ってね!)ということを付記しております。


【目次】
○初回の収録後にしたこと
・サムネイル画像について 「こそあどの森」オマージュ
・音楽について ウダタクオ『tractor』『高知が聴こえる』ほか 許諾済み
・高知の風物詩と化していた?ジャッキーさん

○みなさまからの反響
・何かを言ってもらえないことには続けていけるわけがない
・おたよりの届けかた
・肉声で人となりを伝える

○おたより紹介
・夜学バーにいるような感じがする
・「仲間」とかっていうと偏屈センサーが発動する
・余談 コーヒー教育の場
※「三角フラスコ」(新潟県新発田市)の話を始めたきっかけが回収されてないので解説、こちらのホシノさんも自分の信頼するコーヒー店に定期的に行って、「味のチューニング」を行うそうです
・「常連」も偏屈センサーに引っかかる
・某ラジオにおける「静岡県 ほっちゃんと宇宙旅行さん」の話
・ハイロウズ『十四歳』「リアル よりもリアリティ」
・すでに個人的ベストポッドキャスト(!)
・シュガーネームとシュガーヒール
・「教えてない子」
・新規リスナー獲得のためにどうしたらいいのか

○居場所の話をできていません
・少しそれにまつわる話はできた 常連、仲間という言葉とか、三角フラスコの方式とか
・取扱注意の言葉について 考えすぎちゃってる、こじらせてすぎている言葉を大募集
・E-mailとFAX番号を読み上げております
・FAXは非通知だと消しちゃいます、セブンイレブンからだと非通知、ローソンとファミマは番号通知ありになるそうです お手数おかけします


この続きは4月25日(火)15時に配信します
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#008 居場所って何やねん!?① 居心地なんてぶっ飛ばせ!
令和5年4月25日(火)15時配信/3週めの2本め


 小さなお店をやっておりますと、「ここはみなさんの居場所になっているんですね」なんてことをよく言われます。もちろん良い意味でおっしゃっていただいているわけですから、嬉しいは嬉しいのですが、「居場所って何やねん!?」とも同時に思います。今回からは、そんなお話。

「居場所」「居心地」「居る」ということについて、札幌の「漂流教室」や愚「夜学バー」を例に考えています。基本的にジャッキーさんという人は「居」という文字そのものに訝しみを持っていますが、漂流教室のように徹底的にそれについて考えている人たちには強いリスペクトを抱いています。
 サードプレイスという言葉が流行って久しいですが、定義と照らし合わせると夜学バーは絶対にサードプレイスではない、というところが個人的に面白いところです。


【目次】
○さらに振り返り、少しだけ
・自分の話し声を聴いてみた感想
・求心、遠心はなんにでも使える

○ようやく、居場所について
・居場所という言葉の「求心的っぽさ」
・「訪問と居場所 漂流教室」(札幌)のこと
・「漂着教室」という居場所
・お金がかかることを「計算に入れてしまう」と、行きたいか行きたくないか(居たいか居たくないか)という気持ちに影響を与えてしまう
・「ただ居るだけ」、ぷにょさんにとっては図書館だった

○夜学バーは「居場所」なのか?論争
・「居心地」は提供しません
・(漂着教室の場合)大切なのは「居心地」ではなく「居る」ことそのもの
・夜学バーと漂着教室の似ているところ
・自由であるからこそ、めちゃくちゃいろいろ考えなきゃいけない
・ぷにょさんの「かくかく」は「各々」という意味と思われ、現代では誤用とされるが日本国語大辞典を紐解くと千年~数百年前は「かっかく」とも読んでいたっぽい
・人類の意識が高まっていった未来の感じ?
・「コミュニティ」や「仲間」との距離感、「宴会」という言葉のあえてのチョイス

○絶対に「サードプレイス」ではなくて
・ウーウーとサイレンの音が入っておりますが、夜学バーで録音している臨場感をお楽しみいただければ幸いです
・誰かが勝手に「居場所」と形容することが多く、「居場所です」と主張する人は案外少ない
・夜学バーは絶対にサードプレイスではない
・居心地とかどうでもいいです 良かったり悪かったりすればいい 緊張感が大事 親しき仲にも礼儀あり
・驚くほど「サードプレイス」の定義に当てはまらない夜学バー せいぜい8個中1~2個くらい ほとんど正反対かもしれない
・安らぐだけではなくて
・ぷにょさんは夜学バーに「頭のストレッチ」に来ているそうな ありがたいですね

○バーという存在の良さ
・ガラス張りでない重たい扉、その先に何があるかわからないバクチ感を愉しんでいただきたい 入店時の緊張感
・最初から結果がわかっていないと嫌だという現代人
・あてが外れても「それはそれで」という遠心的態度
・予想していた通りのことしか怒らないのはつまらない

○次回予告
・周年反省会……ぷにょさんがどうしてもしゃべりたかったこと


この続きは4月26日(水)15時に配信します
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#009 居場所って何やねん!?② 「常連」否定論→伝説の周年反省会
令和5年4月26日(水)15時配信/3週めの3本め


 みなさま「常連」という言葉についてどんなイメージをお持ちでしょうか。特に何も思わない、当たり前にある言葉でしょ?という方もいれば、若干ネガティブなイメージを持つ人もあると思います。今回は夜学バーという小さなお店の考える「常連」という概念についてお話ししています。
 そして、「常連」についてかなり特殊な考え方をする夜学バーというお店にも「周年」は訪れます。周年といえば「常連が集う」というイメージですが、夜学バーの基本スタンスは「常連などない」なのです。そのせいなのか? この春の「六周年」営業はずいぶんな閑古鳥だった模様……。なぜそうなったのか、それは良いことだったのか、どう考えるべきなのか……。なかなかこんな話は余所では聞けないと思いますので、ニヤニヤしながらぜひどうぞ。

 今回は個人的にとても気に入っている回というか、夜学バー店主「ジャッキーさん」のタテマエとホンネ、その両立に悩み苦しむサマがものすごく素直にあらわれていると思います。まさに彼の「人となり」がわかる、といいましょうか。ぜひ聴いていただき、少しでも身近に感じていただけたらと思います。

【目次】
○前回のおさらい
・サードプレイスでは「絶対にない」夜学バー
・居心地は優先されない
・「居心地がいい」は正義なのか?

○ところで
・いま飲んでいるお茶の話
・ASMR(お菓子の音)
・おたよりを読まれた方にはノベルティとしてウダタクオ『Final Ambient』をさしあげます(外ビニールに我々のサイン入り)、おたよりについて詳しくは第7回をご参照ください

○「常連」という概念について
・常連という概念は存在しない、常連などない(などない構文)
・詳しくは夜学バーHP「⁠読みもの⁠」内の「『常連』という概念について」を 
・お花見もバーベキューもしません!
・人間を二つに分けることをしたくない
・お花見(花見沢俊彦)をやめた話
・花見に来た人=常連 というレッテルが貼られる(カテゴライズされる)のは嫌だ
・「古参である」という事実と、「あの人は古参だと常に意識していること」はまったく違う話
・常連か否かなどという「さかいめ」は存在しない
・そういうお店ってけっこうあるんですよ(ここからしばらく悪口の一歩手前、詳しくは本編で!)
・いろんなお店の話
・出ました、「ケンジとユミ」の話
・「常連と一見(いちげん)」という世界観からおさらばしたい
・一期一会ですから
・同じ人間でも、お店に入ってくる時の気持ちは毎回ちがう
・「大歓迎」はいっさいしない
・「紹介する」ということもない

○まんをじして、「周年」反省会
・4月で六周年だった、が……
・周年当日のジャッキーさんの日記が……
・悲しくて話せないジャッキーさんに代わり、ぷにょさんによる日記の朗読(随時本人によるコメント付き)
・「繊細とは自分勝手なものだから」という名言
・祝うとか祝われるとか、「そういうの」が苦手な人、みたいなことに関しては岡田淳さんの『⁠雨やどりはすべり台の下で⁠』という絶世の名作にすべて書いてございます、ぜひ(自分って本当に雨森さんだし、雨森さんみたいにあつかってほしいと思っているんだろうな……)
・編集しながら泣いています
・努力が実ればそうたやすくもう迷わない(涙)
・寂しくなることは誰にも止められない(⁠Amika『How can I say』⁠)←このようにこっそりと歌詞など引用して、特に説明はしない、ということをジャッキーさんという人はよくしています
・このあたりはともかく、直接音源を聴いていただきたく存じます……
・「日付が好き」 なジャッキーさん
・ホームページの「周年」について、10年に一度だけオフ会をするという話、補足するとたしか20周年オフ会をしますというのは数年前からずっとトップページに書いてあったはず、詳しい告知をしたのは数週間前とか?だけど。つまり日付は数年前から決まっていた……というか7月11日で固定なので。しかもちなみに土曜日でした!
・「ピーナッツ食って待ってたの」の元ネタは『ドラえもん』2巻「ロボ子が愛してる」絶対に読んでください
・心の叫び「言い訳が上手だよ!」←正直ですよね、この人は本当に
・編集しながら泣いてます
・「みんな言い訳がほしいんだよ」
・一票の重さの無自覚
・考え過ぎちゃうみなさま、と僕(J)
・どのような場合でも人が来てくれたほうが嬉しい(唯一絶対の真理)

○次回予告
・何一つ矛盾していない! という話を次回、します


この続きは4月27日(木)15時に配信します
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#010 居場所って何やねん!?③ 「中立な場所」をめざす苦しみ
令和5年4月27日(木)15時配信/3週めの4本め


「六周年」の当日に思わぬ閑散さを見せた夜学バー。いったいどうすればよかったのか? その反省会も佳境です。
 店主のジャッキーさんが命をかけて守り抜く「夜学バーの理念」、それがむしろさみしさの源でもあったり。なかなかどうして人生というものはうまくいかないもの。
 長々話した結論として、つまるところこの店主は「人に会いたい」としか思っていないのです。複雑なことは趣味でやってるだけ。ただの幼稚な人間です。そのあたりのことが伝わればと思います。ぷにょさんがうまく引き出してくれています。
 ところどころジャッキーさんがちょっとすねてる感じがあるのは、本当に悲しんでいるからだと思います。何卒お許しを。


【目次】
○前回のおさらい
・「常連という概念を否定する」「遠心的な態度を重視する」ことと「周年に人が集まらなかったことをさみしがる」こととは矛盾しない
・繊細さとは自分勝手なもの
・ぷにょさんは、「(ジャッキーさんが日記に)書くこと」に矛盾を感じた
・正直さ、素直さをようやく獲得できてきた

○大人は(?)わかってくれない
・ジャッキーさんのこの「面倒くささ」は坂元裕二脚本ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』というドラマの中村慎森(岡田将生)に似ている(ぷにょさん曰く)
・ジャッキーさんがマジ泣きしたある日の打ち合わせ
・「本当の心は本当の心へと届く」は小沢健二さんの『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』より
・小2の時の「シュラバ★ラ★バンバ事件」
・誤解され続けた人生
・いよいよ反省会っぽくなってゆきます
・9歳児でありつづけ、傷つきつづけているジャッキーさん
・ただ僕等は絶望の望を信じる(中村一義『魂の本』)
・複雑なことをやったり言ったり書いたりしても、単純な処理で終わらされてしまうこと……これもジャッキーさんの一生に暗い影を落としている
・「伝えていこう、Podcastで」←今の希望
・中学のときのエピソード「うさぎの置きもの事件」「遠足にスコップ事件」
・Jはいかにして面倒くさい生徒となりしか
・ときおりは、わかってもらえる

○「常連」と「周年」は関係あるのか?
・「そういう認知の歪みがみなさん、おありなんです」←ジャッキーさんすねてるのでお許しください
・社会の常識や自身の思い込みによって、勝手に「周年」という言葉を定義しているのではないか
・みんな省エネしておりますから仕方ない、「欲をいえば」なんです
・この話はピカソの逸話として伝わっているがソースは特になく、都市伝説的なものらしいです
・ワンエピソードの突発的な「さみしい」ではなく、数十年ぶんのさみしさがそこに詰まっているのです
・「遠慮のかたまり」による不幸
・「おくゆかしい」は便利な逃げ口上!

○根本的な話
・「わからない」ことについて考えるのはしんどい、ゆえにもう考えないようにする
・みなさん忙しいんです
・大仰に祝ってほしいわけではない、「祝う」という言葉にも思い込みが潜んでいるのではないか(ドン)
・ジャッキーさんという人は「友達に会いたい」としか思っていない、この「友達」という言葉はものすごく広義で、一度お店に来てくれて良い時間が過ごせた人も十分に僕にとっては友達なのである、「一度会ったら友達で」なんて歌もありましたが、思い返せば小さいころって一回遊んだらもうすごい親しい気分になるみたいなこと、けっこうなかったでしょうか?
・かりに初対面でも「ホームページたのしく読んでます」とか「わたしも岡田淳さんが好きで」とか言ってもらえたら本当に幸せで、すぐ「友達!」って思っちゃうかもしんない
・つまるところ「友達に会いたい」ということでしかないのに、それをおそらく想像してもらえていないというのは、ジャッキーさんが9歳であるということが認知されていないばかりか、「9歳とはいかなる存在か」ということも認知されていない結果なのでありましょう
・おじいちゃんと孫みたいなもんでいいのです(どっちかというとここではジャッキーさんがおじいちゃんなのかな、9歳だけど)
・誤解なんです
・自分でいうのもなんですが
・ジャッキーさんというおかしな人間に接するとき、「前例」がないからどうしたらいいかわからない
・孤高とはそういうもの……
・ジャッキーさんの「備えない」姿勢。さみしさを解消しようとしないから、たださみしいだけ←このあたりでちょっと言いかけてやめていることを補足しておきます。さみしさを何かで埋めて見えなくするのではなくて、さみしさをそのままに(stay free my misery)しておく。さみしくなることは自然なことだから、無理に予防したり治療したりしなくてもよい。すべて受けとめる。そしてその中で、できるだけさみしくならないような生き方を探してゆく。つまりたぶん、小手先でさみしさを潰してゆくのではなくて、根本的にさみしくなくなるほうをゆったりと目指す。そのためには今あるさみしさにまっすぐ向き合ったほうがいいような気がしている、みたいなことが言いたかったのだと思います。
・「どこにも属していない人」という安心感(中立性)
・中立な場所なんて思ったより存在しない。「その一点で夜学バーはかけがえがない」byぷにょ
・古本屋界隈とも飲み屋界隈ともいまいち仲良くできない不器用なコウモリ
・守ろうとしないと守れないような場所なのです、一応……

○「居場所」というテーマに戻って
・夜学バーは誰にとっての居場所にもなれていない、だから周年と言っても人は来ない!(結論!!)
・やっぱり岡田淳さんの『雨やどりはすべり台の下で』にすべて書いてあります、僕は雨森さんなのだ……

○次回予告
・放送では触れられませんでしたが、今週全体にほんのり漂っている「男性の弱さ」ということについて来週はお話しします


この続きは5月1日(月)15時に配信します
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#011 男性の弱さについて① 「強さ」なんて認知の歪み!
令和5年5月1日(月)15時配信/4週めの1本め


 本当は弱いのに強がっていると、どこかに必ず「歪み」が生じる……。男性が自分の弱さを隠して生きることにも問題があるけれども、女性が男性について過度に「強い」と思い込んでしまうこともずいぶん危険。特に若いときは、「この人は完璧な男性! 私に(上から)愛を注いでくれる素晴らしい存在! この人に愛される自分でいないと!」なんて思ってしまいがちですが……。
 ぷにょさんがこだわりを見せる通称《認知の歪みシリーズ》、今週は「男性の弱さについて」。一所懸命がんばって「泣き虫の弱虫」を獲得したジャッキーさんと、一所懸命がんばって(?)「完璧な人間なんているわけないし無条件で《上》から愛してくれる神様みたいな男もいない」と悟ったぷにょさんの、人生の感想戦のような時間。どうぞお付き合いくださいませ。


【目次】
○泣いてしまうことについて
・橋本治さんの講演『ぼくたちの近代史』⁠音源⁠ ⁠本⁠ その一部が収録された本『⁠「原っぱ」という社会がほしい⁠』
・橋本さんのまねをして「⁠仲良しの発想⁠」というYouTube講演会をやったことがある

○男性の弱さについて
・弱さを隠さないタイプの人(修行を積んで隠さないでいられるようになった)
・弱さをつっつくと激怒する男の人もいる
・寂しくなることは誰にも止められない(参考文献:Amika『How Can I say』←2回目)
・弱さを隠すとゆがんでしまう
・筋トレの闇
・自己目的化しがちな求心的行為

○二者択一にとらわれなくていい
・矛盾をこわがらず、同時、両面、同居をゆるす
・勝ち負け(勝ちか負けかのどっちかしかない)はおかしい、同時にどっちもあるかもしれない
・AかBかの片方に閉じていくのは合理的ではない
・泣きたい時は泣けばいい(三重野瞳さんの曲名のつもりで言ったけど正しくは『泣きたいだけ泣けばいい』でした)

○依存と執着の思い出
・他人が完璧に見えてしまう若い時分
・幼い認知はゆがみがち
・思えば二十歳前後の若造が……
・男は弱くないと思ってしまう
・(この)男性に認められなければ存在価値がない??
・若い女の大いなる誤解
・神様みたいな人なんていない
・みんな自分のことで精一杯、でもお互いそういう者同士で支え合う関係もつくれる
・「強がる」とそれができない
・対等じゃないほうが安心する心理もある

○弱いという自覚はあるか
・「弱さゆえの強がり」に気づいていない人も多い
・最近の若い人は弱く生きることが上手?
・草野マサムネさんはその草分け?
・草野マサムネとゲッターロボ!
・草野さんも9歳くらいの人なの?
・「男は強くあらねば」はだんだん減ってきた
・男の人を「上」にしすぎていると、失恋は一層痛手になる
・ジャッキーさんを例に、「(男は)弱い」ということを周知していきたい(?)

○顔について
・ホスト営業ができない(やってみたい)
・「そういうタイプの見た目してんじゃん」←そうですか?
・自分が美しいことに気づいたのは……
・だんだん美しくなっていっただけだと思います(ニコニコ生きてるから)
・「自分の顔に責任を持つ」とは?

○次回予告
・引き続き「認知の歪み」シリーズ
・「14歳と41歳」について話す前準備を


この続きは5月2日(火)15時に配信します
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#012 男性の弱さについて② 結論は依存のもと
令和5年5月2日(火)15時配信/4週めの2本め


「男性は弱いんだよ!わかってよ!」という男性視点のメッセージよりも、「男性が弱いということをわかっておかないと、大変な目にあうかもよ!」という、男性でない側からのメッセージが主眼。番組内でジャッキーさんという自認男性と、ぷにょさんという自認女性との問題意識がほぼ重なっているのは、この両面に目を向けているおかげかもしれません。
 今回はこれまでにも出てきた「遠心的」という考え方に加え、「かもしれない運転」「認知の固定」「宇宙の中で良いこと」といった重要キーワード(?)が登場。日々を苦しみなく、あるいは苦しみつつも進むために、これらを材料の一部として、今後もあれこれ考えていくしょぞんです。

「さあもっと遠くまでゆこう」
「ゴール目指すなんてやめよう」
(フリッパーズ・ギター『ゴーイング・ゼロ』より)


【目次】
○引き続き、男性の弱さについて
・なぜ、男性の弱さが周知されるべきなのか
・ジャッキーさんの4月18日の日記(ある心中事件の話)
・17歳くらいの危機を乗り越えた立場から「あんな儚いものに寄りかかっていたなんて。男なんてシャボン玉なのに」
・渦中にいる人にとってはすべてが深刻である、という認知の問題
・男がシャボン玉であり、自分は「立てる」ということを知る機会がないと……
・でも「あなたにはできるかもしれないが私には無理だ」と考えてしまう
・最終的には「幸せになる必要ってある?」まで行ければ
・勝ち負けで考えると「負けたら意味がない」というふうになってしまう
・ついゼロかヒャクかで考えてしまう
・ジャッキーさんが「弱くいる」(正直でいる)ということがただそれだけで意味があるかもしれない
・それが許容される環境をつくることも重要

○(広義の)性的合意について
・「弱いこと」が許容されなかった高校時代の苦い思い出
・保守的で男尊女卑的な同級生
・私の嫌うアティチュードですよ
・「嫌がってないからいいじゃん」を平気で言う
・男様が撫でてやってんだよ
・末っ子と長男という違いは関係あるか?

○「弱さ」「素直さ」を封印してきた歴史
・「そういうふうに潰されていくんだよね」
・自己防衛のため自分を演出していた10歳からの10年間
・ヨロイをまといすぎて素直になれなくなっていた
・《何も本当のこと言ってないじゃない》(小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』)
・素直プロデュースのほうが接しやすい
・ぷにょさんがジャッキーさんのことを誤解していたころ

○どうして認知は歪むのか
・誰かを「素敵な人」だと思いすぎると、「私が悪い」に陥りがち
・認知の歪みは柔軟性のエラー
・何かを固定させると、他のものを歪ませないといけなくなる
・それで「自分がダメなんだ」になってしまう
・「かもしれない運転」でいきましょう

○神の手の中にあるのなら~♪
・無限の可能性を想定するのは怖い?
・《無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない 宇宙の中で良いことを決意する時に》(小沢健二『流動体について』)
・常に疑いつづけるために、所属しない (故に宇宙)
・もっと大きな、外側のルールがある(宇宙)
・夜学バーの扉の向こうには広く豊かな無限の宇宙が……
・「かもしれない」を恐れるなかれ

○氷砂糖と遠心的と
・とりあえず氷砂糖をなめますか
・氷砂糖は全能ではないが
・恋愛は「氷砂糖以上覚醒剤未満」?
・遠心的であるとは、すぐに結論を出さない(依存に陥らない)ことでもある

○次回予告
・4月18日の日記に戻って
・死が選択肢としてリアリティを持ち始めているということ
・14歳から41歳までのきちがいじみた時間


この続きは5月8日(月)15時に配信します
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#013 14歳-41歳という魔境① 「競争」と「比較」の27年
令和5年5月8日(月)15時配信/5週めの1本め


 14歳から41歳までの27年間は、人生のメインなどでなく「人を狂わせる魔境」なのではないか?と問題提起するぷにょさん。彼女の見聞きした経験をもとに、「どうすればその魔境的な時間を乗り越えていけるのか」を考えます。
 前半17分くらいまでは単純なエピソードトーク。その後20分間で「14歳から41歳」という時間についてじっくりと語っています。もちろん語り尽くせず、また次回!


  14歳から41歳――
  子供じゃないけどおじさん・おばさんじゃない
  「不惑」ってゆーのにもまだ早い
  たとえていうなら
  真っ青な青春時代から
  すこしずつ
  「老練」の紫に染まってゆく…
  その途中の
  ほんのちょっとの間の
  群青な時代(とき)――


という、「群青時代」という概念を考えました。もちろん元ネタはやぶうち優先生の『水色時代』。「白→水色→青→群青→白」というふうな展開をあらかじめ想定しておくと、落ち着いて年を取っていけるような気も、しないではないです。


【目次】
○14-41問題
・14歳という年齢については第3回でも語っていた(楳図かずお『14歳』についてなど)
・今日飲んでいるお茶の話
・今回は安らげない話題?
・実はこの回は、40分以上録ったのがお蔵入りして2回目の収録!

○最近身近で起こった怖い話4選
・知らずに人を傷つけてしまっていたらしいこと
・「子どもについての話」に乗っかったつもりが、「男にかまってもらえない」話として受けとめられてしまったこと
・離乳食について興味がないのに離乳食の話をひたすらされ続けたこと
・女性用トイレの連続女性蔑視落書きの犯人が40歳女性だったこと

○14歳から41歳までの期間について
・巷の流行Word「認知の歪み」
・ミッドライフクライシス(中年の思春期)
・男女ともに40歳くらいで通る(われわれも他人事ではない)
・「活躍できる年齢」についての、ジャッキーさんとぷにょさんのイメージの違いを思い出す(#003参照)
・エヴァンゲリオンには14歳しか乗れない
・14歳以上だと物語は個人の問題にフォーカスされがち
・周囲との比較が著しくなり、いろんな苦悩が始まってくる
・41歳くらいに、その競争市場から撤退を迫られるようになる
・そこを諦めきれないと苦しいが、そこを抜ければ競争のないユートピアに……?
・14-41は「人生のメイン」ではなく、「人を狂わせる魔境」の27年間!!?
・値踏み、比較、競争の世界
・その期間が終わるころ、思うように「結果」が出ていないと焦ってしまう←これがクライシスの正体か?!

○《サブカル40歳うつ病説》の正体
・「若者が持っていない力」を身につけずに年老いてしまうのが問題の核心
・若きかっこよさだけでやっていく限界が40代でやってくる
・運営側に回れなかったホストはどうなる?問題
・全体を見る能力、人を指揮したり教育する能力を蓄えておくべし
・かつて女性は「クリスマスケーキ」だった、だんだん遅れてきてはいるものの
・せっせと働くアリさんとキリギリス(バンドマン)の話になってきちゃった
・キリギリスも鬱にくらいなるんじゃないすかね
・キリギリスが音楽を続けていくにはどうしたらよいのか

○次回予告
・みんなが鬱にならずに生きていけるすばらしい世界は存在しないのか?→こそあどの森ってのがヒントになるよね!
・でも認知の歪みシリーズ、もうちょっとだけ続くんじゃ(なかなか「こそあど」に踏み込んでいけない)


この続きは5月9日(火)15時に配信します
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#014 14歳-41歳という魔境② 「認知の歪み」=「認知の固定」
令和5年5月9日(火)15時配信/5週めの2本め


 引き続き「14歳-41歳」について。今回はほぼ「認知の固定」というキーワードの紹介と応用に終始。ここで提起されている「認知の歪みとは認知の固定とイコールである」という考え方は非常に有用というか、便利だと思います。

 前半は非常に重要なこと、そのうちおそらく特集されるであろう「場」というものに関してのかなり本質的なことが語られております。下の目次の中に件の橋本治さんの文章を引用しましたので、よろしければ読んでみてくださいませ。

 後半はひたすら離乳食の話。ここが長すぎて、なんと最長記録を更新してしまいました。
 ジャッキーさんが離乳食の話を通じて言いたかったことを先にまとめておきます。簡単にいえばこの人は、「離乳食に興味がある人だけに人間関係が閉じていく」ということがさみしくてならないのです。それでどうにか「離乳食の話をしたい人」と「離乳食にはとくに関心がない人」の間に素敵な関係が結ばれる可能性について夢想しているわけです。しかし誰もがそのような関係を結び合えるまでにはこの世の常識は成熟(僕の視点からはこの言葉になります)していない、どうしたらいいんでしょう、というようなことを言いたいのだと思われます。


【目次】
○原っぱでダンス
・ゆずれない部分があるから、その他の部分が歪んでしまう
・ふたたび橋本治『⁠ぼくたちの近代史⁠』――固定されない、流動的な「原っぱの論理」

 だから、自分が譲歩するっていうことが何故可能かっていうと、自分が譲歩することによって自分と他人との距離を広げるっていうんじゃなくて、自分と他人との関係が一本線でしかなかったことを、もうちょっと譲歩すればこの道の幅が広がるから。ここが原っぱになりうる、ここで遊べるっていう。
 俺、ワリと他人に対して譲歩するの平気っていうのは、原っぱを作っておかなければ一緒に仲良く出来ない、お互いが仲良くなる為の場所っていうのが絶対に必要で、そこに入っていかなかったから、そのかわり他人の変な中に踏み込んでいっちゃうっていう風になっちゃうから。(略)
(略)だから自分が譲歩するのはいいけれど、他人に譲歩されるのはいやなんだよね。他人に譲歩されるっていうのは、原っぱの人間じゃなくて社会の人間だから。社会の人間が譲歩するのは、必ず譲歩させる側に権力があるっていう意味があるから。俺、譲歩されると、「俺は権力で、だから相手は譲歩してる」っていうことになるから、いやなのね。遊ばしてくれない。「さあ、どうぞ、どうぞ」って、お辞儀されてしまったら、これは譲歩になってしまって、俺は権力者になる。いやだ、俺、譲歩するんだったらいくらでもいい。

《『⁠ぼくたちの近代史⁠』河出文庫版P192-193。関連する文章はP86-87にもあり、そこに「ダンス」という表現が登場する。Podcast内でジャッキーさんはこの2カ所を総合した説明をしている。この本は現在入手難で、今手に入るのは第三部のみを収めた河出新書『⁠「原っぱ」という社会がほしい⁠』 ところで、橋本さんは少なくとも本編では「原っぱという社会がほしい」ということは言っておりません。単行本では見出しになっておりますが、ご本人が考えたものかは不明。引用部を見れば明らかに「原っぱ」は「社会」に対置される概念として登場しています。》

・夜学バーは橋本さんのいう「原っぱ」にしたい
・みんながみんなを思いやるダンスパーティ
・理想は「仲良し」だけれども、がんばって仲良くしようということではなく、大事なのは仲良しという「発想」――詳しくはジャッキーさんのYouTube講演「⁠仲良しの発想⁠」を

○認知の歪みは認知の固定
・どこかが固定しているから、帳尻あわせでどこかが歪んでしまう
・「旦那の話=のろけ」という認知の固定があったのではないか?(前回紹介した2例目)
・キーワードで発動してしまう「認知」
・「自分に関心があることに引きつけて他人の話を理解してしまう」危険
・無理からぬグヮー

○ずっと離乳食のターン!
・「離乳食」が「推し」と化していたのでは?(前回紹介した3例目)
・Soup Stock Tokyoの離乳食提供にまつわる問題について
・「赤ちゃんは誰にとってもかわいいはずだ」も、ある種の認知の固定なのかも?
・人を傷つけない言論などない(by 浅羽通明)
・すべては予測できないが、できるだけ避けていこうというのが暗黙のルール
・結婚や子供というのは非常にセンシティブなテーマで、そこがどこかで「固定」してしまっていることが多い

○ここからずっと離乳食のターン!
・同じ属性(未婚同士、既婚子持ち同士)でしか遊ばない問題について
・ジャッキーさんが言っているのは「ダンスを踊りたい、踊れる側の考え」
・「しんどいことはしたくない」という人たちも多い
・41を超えたら変わるのか
・ステータス(属性)によって分断されないユニバーサル社会をのぞみます、そうでないとさみしいので
・「共通の話題」がそんなに必要か?
・ジャッキーさんは離乳食の話を延々されてもある程度楽しめてしまうのかもしれないが……

○ずっと離乳食のターン!
・ジャッキーさんの思考実験「考え方を変えます」――離乳食の話を延々し続けた人はむしろ偉いのかもしれない!?
・「離乳食の話ができる相手」じゃないのに誘うなんて凄い!(???)
・現代日本に足りてない能力や姿勢
・離乳食から木登りに行ったっていい
・ジャッキーさんの熱弁と、どうしても実例に戻ってゆくぷにょさん
・いったん実例に戻って
・ただ自分の言いたいことを言いたい人たち
・自分が優先されている状態に「固定」されると楽になる

○次回予告
・「魔境」の話をしなければ
・ある年齢や状況に取り憑く悪魔や闇のようなもの
・闇を憎んで人を憎まず
・氷砂糖に一応戻ってきた


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#015 14歳-41歳という魔境③ 齢に取り憑く悪魔たち
令和5年5月10日(水)15時配信/5週めの3本め


「中2病」という言葉があるように、ある年代になると罹患しがちなある種の病、というのが存在するような気がします。14歳から41歳までの期間に取り憑いてきがちな悪魔(本編では小沢健二さんの文章をヒントに「田島カンナ」という存在を想定しています)もいるし、その後の空白に忍び込んでくる悪魔もいると思います。そういうモノたちにつけ込まれないためには、どうしたらいいのか……?
 このPodcastでは児童書のシリーズ「こそあどの森の物語」をたびたび取り上げますが、子供の世界にそのヒントがあるんじゃないか?というのをジャッキーさんとぷにょさんは共通して思っています。橋本治さんの「原っぱ」論も振り返りつつ、「14歳から41歳」という世界に入る以前のことを考えてゆくことにしましょう。


【目次】
○マクラ「この人なら大丈夫」という甘え
・伝説の離乳食回(#014)をふりかえって
・「この人なら許してくれるだろう」という甘え――なめられてんちゃうの
・お店にきたお客さんの相談から「この人に限って、傷ついたり不快にはならないと思っていた」→ジャッキーさんもこういうふうに思われがち?
・だろう運転……これぞまさに認知の歪み、認知の固定、すなわち「望み」……
・「立派な人だから独りよがりな気持ちをぶつけても大丈夫」という判断

○闇を憎んで人を憎まず
・悪い人ではないし能力もあるのに、そういう(邪悪な?)行動に駆り立てられてしまうのはなぜ?
・ある年齢層に達したらバグるということ――中2病とか大4病とか
・「病魔」が取り憑いてくる
・41歳くらいで新しい悪魔が近づいてくる……?

○小沢健二さんの文章「邪悪、ヴォルデモート、あるいは田島カンナ」
・若くてかわいい女性の外見をした邪悪なる悪魔たち
・「可愛い人たち どうしてでしょう 性格めちゃくちゃに悪いよね つけ上がらせてる 世の中のせい」(小沢健二『失敗がいっぱい』)
・カリフォルニアのディズニーランド、タワー・オブ・テラーの一番上で「サブカル女子の頂点」と思ったファンタジスタさくらださん(正確にはBoseさんと結婚する前の話かも)
・「邪悪は可愛い若い女の子の容姿を必要とするのです」
・邪悪が去ったあと、カンナ(に取り憑かれていた女性)はどうなるのか?
・20歳のとき、ゴールデン街で出会ったカンナ(?)のこと
・自己利益常時最大化女
・でもそれは「ある邪悪」が彼女に取り憑いていたのであろう
・10代の頃は自分らも狂ってましたから
・それがいろんな年代に存在していたっておかしくはない

○邪悪その後に
・14-41という27年間の競争と比較の中で生まれる悪魔、田島カンナ
・少しでも良い男を、少しでも良い利益を得ようとがんばる
・それが去った後の空白に入り込む新たな闇が「ミッドライフクライシス」?
・早めに用心して上手に生きていこう

○「それよりも前」に戻りましょう
・備えとしての児童書「それ(14-41)が始まる前ってどんなだったんだっけ」
・橋本治『ぼくたちの近代史』における「原っぱの論理」も、小学校までの話だった
・「原っぱ」は、社会に取り込まれる前の子供たちが自然につくっていた高度な世の中
・10歳以下の子供が活躍する話『魔神英雄伝ワタル』『飛べ!イサミ』……
・小さい子が入ってきたら、ルールのほうを変えてしまえばいい
・柔軟で流動的な世の中へ
・『飛べ!イサミ』では男女が一緒に遊び、幼稚園児もともに活躍する

○次回予告
・次々週くらいに「こそあど」1巻を取りあげたい
・14-41は「第一部完」
・次週は「死生観」の話になるかも
・子供の話をする前に、思春期、中年、老人の話をしておきたい 


この続きは5月15日(月)15時に配信します
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#018 #013~017についての言い訳、転じて「夜学バーの活用法」
令和5年5月15日(月)15時配信/6週めの1本め


 配信の順番が前後していて「?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、16,17回の前にちょっと言い訳しておきたいことがありましたので特別回として挿入されております。「お聞き苦しい点が」ということなのですが、こういうのを後から冷静に振り返って話せるのはこのPodcastの面白いところだとも思います。「認知の歪みについて話している本人の認知が歪んでいた」という面白さ、おもしろ話としてみなさまと共有できたらと思います……。
 話題は言い訳から始まりますが、いつの間にか「夜学バーというお店の活用法(どんな姿勢のお店であるか)」だったり、「死生観」の話にもなってゆきます。#013~017を聴いていなくても楽しめると思います、肩の力を抜いて、どうぞ。


【目次】
○なぜ第15回の次が第18回なのか!??!?
・神妙な弁明
・謝罪と言い訳の回です
・認知の歪んだ(固定された)状態で認知の歪みについて語っていた

○夜学バーの活用法
・ジャッキーさんは常に中立でいる(必ずしも味方はしてくれない)←バズらない秘訣
・どちらかが正しいと断罪する危険性を熟知している
・表面的に寄り添ってしまったら固定された認知が強化されてしまう

○相手の立場に立ってみること
・共通の話題が強く持てなくたっていいじゃない
・ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』からの引用(ぷにょ)
・別学教育は楽園だが、は無知であることを温存する……?
・エンパシーとは「相手の靴を履くこと」、誰かの靴を履くためには、自分の靴を脱がなければならない
・夜学バーは常にその点を気にかけ、「常に裸足でいようとしている」のかも
・「くつ」の発音について
・シンパシーは「感情」、エンパシーは「能力(知的作業)」
・「感情」が弱い人間は「知的作業」を鍛えるしかない

○夜学バーは裸足でくるお店?
・裸足であることは恥ずかしい
・みんな何らかの属性という靴を履いている
・みんなが裸足で来るお店、茶室のようなお店が夜学バー
・喫茶店茶の湯論「喫茶店というのは道なんですよ」
・「みんなが同じ靴を履いている」お店と、「お客さんの靴を履いてあげる」お店と、「裸足でいる」お店と

○このあと配信される16、17回の言い訳
・ぷにょさんのしゃべり方が投げやりに
・ぷにょさんがまったくジャッキーさんの話を聞いていない箇所が……
・ジャッキーさんのお母さんがハリー・ポッターを読んでいなかった謎
・『ソフィーの世界』で認識が広がったぷにょさん
・ヨースタイン・ゴルデル『カードミステリー 失われた魔法の島』からの引用(ぷにょ)
・生きてるだけで丸もうけ。私たちはもうすでに「結果」である。あとは自由!
・橋本治さんは「人生には当たりはずれがございます」と言った(河出文庫『青空人生相談所』)
・「考え方(捉え方)」のインストールが大事
・さまざまな可能性を想定できるということが多様性という発想の良いところ
・器用になって、生きやすくなるかも?

○次回予告
・ひとまず16~17回の、死生観にまつわるお話をどうぞ
・そのあとは楽しい楽しい、「こそあどの森」回です!(お願いです聴いてください~)


この続きは5月16日(火)15時に配信します
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#016 カジュアルなデストーク① 「死の自己決定」はいくつから?
令和5年5月16日(火)15時配信/6週めの2本め


 子供の頃の話をする前に、それを経た後のこと……思春期、中高年、老人といったトピックをある程度さらっておこう、というわけで今回は「死」にまつわるお話。
 個人的な話ですが高校生の時、自分のホームページ(現存)のチャットルームで「死について語ろう」と人を集めて座談会をしたことがあります。大いに盛り上がったものですが、やはり結論らしい結論は出ず。結論を求めない態度を育てるには、結論の生まれ得ない話をぐるぐるとし続けるのもありなのかもしれません。「答え」のあるようなことばかりを考えていても、求心的な性質が強化されるばかり……。さあ「遠心的に」いきましょう。


【目次】
○「その前」の時代に戻るために
・思春期、中高年、そして死の話をしてから、「その前」の時代の話に進んでいきたい
・ジャッキーさんの著作『小学校には、バーくらいある』の帯にある言葉「ちいさいころにわかっていたら、それからずっとわかっていられる」
・「コアにあるのは子供の頃の正しいこと」(三重野瞳『Wonderful bravo!』作詞:藤林聖子)

○もっと気軽に死を語る
・須原一秀『自死という生き方』における「満足死」の概念
・性的同意年齢のように、判断能力基準で「希望死年齢」を設ける?
・「お酒は二十歳から」を守っていれば飛び降りられなかったのではないか?
・二十歳まで自殺しないでいれば、その後も自殺しないという可能性
・今死にたい、という強い意識は尊重したい(?)が、果たして本当に「その判断力」を信頼してもいいのか
・何歳なら「死の自己決定権」は認められるのか

○もしも気軽に死ねるなら
・「死ねること」により湧いてくる生きる希望、という逆説
・「死んでやる!」というメッセージ性(報復力)も薄まる
・「お前なんで死なないの?」という悪用もされるはず
・映画『PLAN 75』と藤子・F・不二雄『定年退食』『21エモン』(ゼロ次元)
・死んだらどうなるのか? 高校生のジャッキーさん著『あの世そのイチ』

○次回予告
・先週と今週の総まとめを……できるといいな


この続きは5月17日(水)15時に配信します
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#017 カジュアルなデストーク② 最後に切るカード、死
令和5年5月17日(水)15時配信/6週めの3本め


 よくものごとを考えてしまう人たちは、思春期からずっと死と隣り合わせ。それでも生きているのは、「死以外の選択肢を選び続けているから」だと思います。そして死以外の選択肢がすべて消えると、まんをじして(?)死がリアリティを帯びてくるのではないかと。
 ゆえに、「生きてればいいことあるよ」という未来の話は、あんまり意味がないのでしょう。手持ちの選択肢がどんどん減っていって、いよいよそれがゼロになったとき、「ああ、もう死ぬ《しかない》」となるので。おそらく今すぐ目の前に、死以外の選択肢が登場すればいったんはその最終カードを温存することができます。そのすきにまた、どんどん手持ちのカードが増えていったなら、生きていることを続けようと思う、というようなことだろうと個人的には想像します。
 では、いかにしてその選択肢を育んでいくのか? 手持ちのカードを失った状態から、またそれを得るためにはどうしたら? というようなことを、考えてゆきたいと思います。


【目次】
○死ぬという多様性(選択肢としての死)
・「死」というカードは最後に出す
・死ぬ「しかない」という時に人は死を選ぶ
・結婚する「しかない」という状態になると人は……
・認知の固定という問題がここにも
・たくさんある選択肢のうちの一つである、という感覚

○出た!ぷにょさんの「いま聞いてなくて」
・ジャッキーさんの話をまったく聞いていなかったぷにょさん ※#018参照
・岡真史『ぼくは12歳』のことを考えていたらしい
・「死への好奇心(夢)」をどう考えるか
・「いろんなことを考えて生きていったらいいんじゃないかな~人間は」というジャッキーさんの雑すぎるまとめ

○安易に「死」のみへ閉じていかないために
・できるだけ小さいころに広い視野や可能性をたくわえておく――ジャッキーさんにとっては児童書やマンガが重要だった
・幼いころから「一つのパターン」ばかりが強化されてしまうと、他の道が見えなくなっていき、それが閉ざされた時に「死ぬしかない」となる

○「こそあどの森の物語」
・主要人物たちは全員、家族構成がちがう
・多様性の物語、でもある
・多様な人たちでもチームは組めるし、組んだチームはふたたびばらばらになってもよい
・人間(他人)をどのくらい求めているか、というところもそれぞれ異なる
・単純に「友達ができてよかった」では終わらないところが重要
・「一緒に暮らすことになりました」だったらガッカリしちゃう
・増えてるだけなんだよね
・一人の時間も大事だし、みんなとの時間も大事
・異質な人たちがなんかうっすらめちゃくちゃ仲良い
・まず自分というものが存在できなければ
・でも人は一人では生きられないので、何らかの関わりは持たなければ
・正解のない世界

○現実ではどうだろうか?
・こそあどの世界観が(小4の時くらいに)無意識に刻まれていた、というぷにょさん
・こそあどの森ではなく、もっと人数の多いリアルの世界だとどうなんだろう
・「ねばらなぬ」というこだわりとの距離感
・婚活しかやっていないと、婚活で出会う人としか出会えない
・確証のない「かもしれない運転」に開いてゆく勇気
・井上陽水さんの遠心的人生
・遠心ソング、Flipper's Guitar『GOING ZERO』「さぁもっと遠くまで行こう」「ゴールめざすなんてやめよう」
・ぷにょさんの人生観(このへんも#018で言っていた「投げやり」な部分なのだろうか)
・「そんな日もある」という救い
・生きてるだけで丸もうけ

○お店はすべてSN(世界観ノンフィクション)である
※浅羽通明先生は「SF」を「世界観フィクション」と読み解いている
・深刻ぶった切羽詰まった大人ばかりではなく、ウッカリして甘いお茶を飲む大人が世の中には必要だ
・喫茶店はそういう人生の宝庫?
・お店とは一つの世界観である
・石川遼くんのポスターや皇室カレンダーが貼ってあるすばらしいお店たち
・いろんな個人商店のとりどりな価値観
・みんなで甘いお茶を飲む『ふしぎな木の実の料理法』

○次回予告
・ジャッキーさん、ついに岡田淳さんの話を公にする!(意外とこれまでしていきていません)
・「こそあどの森の物語」第1巻『ふしぎな木の実の料理法』(岡田淳、理論社)についてお話しします


この続きは5月22日(月)15時に配信します
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#019 『ふしぎな木の実の料理法』(岡田淳、こそあどの森の物語1)① バーバさんの気持ち/トワイエさんの家は夜学バー
令和5年5月29日(月)15時配信


 まんをじして、岡田淳さんの「こそあどの森の物語」のお話。
 今回は第1巻『ふしぎな木の実の料理法』。
 読んだことのない方こそ、ぜひ。おみやげ話を聞くような気持ちで。
 今回は特別に長いですが、36分くらいからのジャッキーさんの熱弁が聴きどころと思います。

 ところで、いろいろあって先週はお休みしてしまいました。#019~#022は4日連続配信の予定でしたが、様子を見つつゆっくりお送りいたします。月曜尾にはなるべく更新できるようにしますので、なにとぞお見守りください。


〇旅行者の視点で
・Podcastにおいて「子どもの本」について語ることに需要はある?
・本の話をしているというよりは、どこかにある森の話をしていると思って聞いてください

〇岡田淳「こそあどの森の物語」シリーズ(理論社)
・全12+1巻、1994年から続くシリーズ
・誰もが読むものではないが、クラスの何人かは読んでいる
・派手ではないし、はっきりとしたモチーフやテーマがあるわけではない。ゆえにわかりやすくはない
・その魅力を説明するのは難しいし、他人にすすめたくなることも(意外と)少ない

〇『ふしぎな木の実の料理法』概要
・どこかにある森
・主な登場人物(スキッパー、ポットさん、トマトさん、スミレさん、ギーコさん、トワイエさん、ふたご、そのほかにドーモさん、バーバさん、マサカとナルホド……)
・わかりやすい属性のキャラではなく、独自の人格の人たち
・みんなにとって秘密の作品?
・ついにこの本の話ができることがうれしくて仕方ない
・岡田淳さんの読者と話していると、同じ小学校に通っていたような気持ちになる

〇第1巻の大まかなあらすじ
・人とコミュニケーションするのが億劫なスキッパーという少年が、必要に迫られて人と会わなければならなくなる

<ふたりの好きな箇所3選 >
○ぷにょさんの1つめ バーバさんからのお手紙「いつも→ときどき」
・トワイエさんもそこに注目している
・スキッパーの「単純な」成長物語ではない
・お手紙の下書き段階ではどうだったか
・なぜ引きこもりのスキッパーにこんな、人と会うことを煽るような手紙を送ったのか
・ナンデモ島でバーバさんが経験したかもしれないこと
・「この気持ちをスキッパーと分かち合いたい」とバーバさんは思ったんじゃないか
・スキッパーのバランス いつも同じことを考えていると、「三つ」を選ぶことができない
・だから「いつも」ではなかったのかもしれません

○ジャッキーさんの1つめ スキッパーがトワイエさんの家に行くシーン(P71~)
・「これは夜学バーだな」と思った
・トワイエさんは質問もせず、なにも言わなかった
・人に対する「対等」な向き合い方
・相手をよく観察して、軽はずみなことをしない(ジャッキーさんのいう「他流試合」……夏目漱石『こころ』より)、保留の態度
・スキッパーは言葉ではなく、ものや動作をつかった(夜学バーでもよくあること)
・ポアポアを焼いている時も、トワイエさんはなにも言わなかった
・黙っていることや、静かな時間が時に重要な意味を持つ
・トワイエさん「よかったら、またいつでも、きてください」→夜学バーの従業員、まちくたさんが中学3年生の時に初めてお店に来たときのエピソード
・トワイエさんにとっても、とてもすてきな時間だったのかもしれない

#020 『ふしぎな木の実の料理法』(岡田淳、こそあどの森の物語1)② 世界観の作りこみ/ふたごは論理的に踊る

令和5年6月5日(月)15時配信


『ふしぎな木の実の料理法』2回目です。(全4回)
「こそあど」世界を支える設定の細かさやビジュアル面の魅力をぷにょさんが語り、ふたごのりくつっぽさや楽しさ、演劇的な魅力などについてジャッキーさんが語っています。裏テーマは「なかよし」でした。
また、なんと収録途中にハプニングが……でもそのまま続行しています。お楽しみに。


【目次】
○オープニング
・きのみ? このみ?
・友達について話しているような感覚で、本の話をしています
・いま飲んでいるお茶の話
・「いちいち自分を下げないでくださいよ」「わたし自己肯定感低め女なんですよ」
・小沢健二「すかさずお茶をいれろ」
・こそあどの森の人たちは、お茶をいれる達人
・「ためしてみる」という親身さと好奇心
・試行錯誤だっ!(楳図かずお『漂流教室』)

<ふたりの好きな箇所3選>
○ぷにょさんの2つめ 図鑑のページ(フワフワダケ)
・図鑑の字をまねていた小学生時代のぷにょさん
・この本の見た目(ビジュアル)が好き
・作中のちょっとしたアイテムが作り込まれている
・講演会でおっしゃっていたことを思い出す
・岡田淳さんの作品では、完全なファンタジー世界のお話は実はめずらしい だからこそリアリティが追求されているのでは
・『びりっかすの神さま』では、学校が舞台だからむしろ背景を描かないほうが想像しやすくなる
・言葉だけでわからせるのではなく、イラストや地図を駆使するのが岡田淳流(だと思う)、子どもの本はビジュアルが大切
・ユキモグラという生き物のリアリティ
・「なかよしなんだ」というフレーズがジャッキーさんの「仲良しの発想」に影響を与えた可能性
・スキッパーとバーバさんがなかよしでよかった!
・なかよしというものの種類(質?)のちがい
・仲良しとはいったいなんなのか?という深い思索がさりげなく書き込まれている……「だから南の島から木の実を送ってきてくれたのです」
・たった1ページで伝わる「なかよし」ということの素敵さと不思議さ
・一緒に住んでいなくても、いろんな人となかよしになれるのかもしれない
・ジャッキーさんのYouTube講演「仲良しの発想」

○ジャッキーさんの2つめ ふたご初登場
・ふたごというキャラクターは、「日本児童文学史上最も魅力的なキャラクター」by J
・いちばん料理法を知らなそうな森の住人
・ぷにょさんとジャッキーさんによる、ふたご実演
・実は! ふたごって「やたら論理的」である ものすごくりくつっぽい そして想像力も豊か
・テキトーそうに見えて、洞察力、想像力に富んだ、かしこくていいやつら ただふざけてるだけ
・これが一言でいうと「楽しい」ということで、ふたごの最大の魅力

《ここで、なんとお客様がやってきて臨時の公開収録へ!!》

・「すべてをわかりたい」という好奇心、いわゆる「理系男子」的な面倒くささすらある
・この場面を大好きなもうひとつの理由は、これがほとんど演劇のようだから!
・ジャッキーさんが小説を書くと、こういうふうになる
・『木の実』のラストシーンでは、誰のせりふかは書いてないのに、誰がしゃべっているかがすべてわかる ジャッキーさんのみるところかなり「演劇的な」場面
・一人では生まれないリズム(ふたごオンリーで演劇にできてしまう)
・りくつっぽさ担当がトワイエさんでもスキッパーでもなく、ふたごなのが面白い しかもこのりくつっぽさに、読者は気がつかない(すごい)
・日本が生み出した最高のクールジャパンの結晶
・お茶じゃないけど

#021 『ふしぎな木の実の料理法』(岡田淳、こそあどの森の物語1)③ しあわせなオノマトペ/しゃべるのには練習がいる

令和5年6月12日(月)22時配信


『ふしぎな木の実の料理法』3回目です。(全4回)

 相変わらず「好きな箇所」を話し合っています。ぷにょさんは作中の幸福な言葉づかいについて、ジャッキーさんはスキッパーが「しゃべる練習」を一人でしていたことについて紹介しています。

 今回も話題は遠く、遠くへ。友達の話を聞くような気持ちで、たのしんでいただけたら幸いです。


【目次】
○オープニング
・「好きな箇所3選」だけでしゃべりすぎてしまっている
 
<ふたりの好きな箇所3選>
○ぷにょさんの3つめ ふんだんなオノマトペ
・スキッパーが、少しは知っている人たちとおおむね会ったあとに、まったく知らない人(マサカとナルホド)と出会うシーン
・ものを食べたりお茶をしたりする時のしあわせな気持ち
・岡田淳さんのエッセイ集『図工準備室の窓から』の「ドリトル先生の台所」(このお話は講演会でもある時期必ずされていた)
・『ドリトル先生航海記』の冒頭、ドリトル先生の家に少年が招き入れられるシーンが、若き日の岡田さんに「人は信じられる」「人生は生きるに値する」という気持ちを与えた
・挿絵がないのに、挿絵があったかのように錯覚することがある
・あたたかく受け入れてくれ、子どもである自分を対等に扱ってくれる大人の存在
・マサカとナルホドのような、一見粗野な人たちでさえ、食後にお茶を入れてくれる
・ネタがバレたくらいで面白さの損なわれる物語ではない
・大きい事件が起こるわけではないので、ディテールが際立つ
・ラストシーン、スキッパーがマサカとナルホドを思うのは、「彼らがそこにいないから」――いいものはみんなで分け合う
・スキッパーの優しさや、情

○ジャッキーさんの3つめ 話す練習をするスキッパー
・トワイエさんの家を出ていった場面
・おまけ → トワイエさんが手を振ってくれていたこと 松尾芭蕉『おくのほそ道』「人々は途中に立ち並びて、後ろ影の見ゆるまではと見送るなるべし」、ドラえもんの名曲『友達だから』「見えなくなるまで僕は見送る」
・「森の中に自分の足あとが増えてゆく」という文学的な表現(参考文献:華原朋美『I’m proud』
・話す練習をしてギーコさんとスミレさんの家に向かったスキッパーだが、なかなかうまくいかない
・「飲みものがあるのはありがたいことです。飲んでいる時はしゃべらなくてすみます」この気持ちがわかる人は……
・言葉のかわりに、ものと動作を使ったスキッパー

○「しゃべる練習」の想い出
・新宿ゴールデン街時代、お店にやってきた「ぶきみな」10代の青年に朝までお説教を……
・ぶきみさをなくし、相手との距離感を設定するために「敬語」に代表される言語の工夫がある
・名著『橋本治が大辞林を使う』に出てきたエピソードにならい、彼にアドバイスをしてみた
・「離乳食の話」(#14参照)はモノローグだったのが問題だったのではないか?
・橋本さんは、問題の中心となっていた青年に「敬語の口の動かし方の練習」をさせた。「しゃべるというのは口を動かす身体運動である」
・お説教をした相手はその次の時、しゃべる練習をしてからお店にきた その成果がちゃんと出ていた!
・しゃべるのには練習が必要、じつはフィジカルな行為である
・練習の成果がうまく出なかったスキッパーは「もうたくさんだ」と思ったが、つぎにふたごの家に行ったときにもめげずに「じつは」をやった えらい!

○ちょっと長めの次回予告
・スミレさんとギーコさんの家(ガラスびんの家)の窓。「ガラスごしには、明るいところから暗いところは見にくい」
・喫茶店の窓は、ふつう「中から外は見えやすいが、外から中が見えにくい」ようになっている(日中は外が明るく、店内はやや暗い)
・しかし、神保町ミロンガヌオーバの新店舗やこないだザ・ノンフィクションでやっていた国立のスナック水中はガラスはガラスでも全面張りで中も明るいため、外から中も見えやすい
・ガラスびんの家には、古い喫茶店のようなすてきさをジャッキーさんは感じる
・徳島で見つけた、閉ざされたバーの窓にそっと……
・次回は「こそあどの森の家」をテーマにしつつ、第1巻についての総括をいたします
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