#001 | 氷砂糖ってどんなもの?① 祈りから軽犯罪まで併せ呑む |
#002 | 氷砂糖ってどんなもの?② 子どものすべてが蘇る |
#003 | 氷砂糖ってどんなもの?③ 児童書はばかにしていた が |
#004 | 今はただその時のつづき① 「さかいめ」について |
#005 | 今はただその時のつづき② 大人の世界になじめない |
#006 | 今はただその時のつづき③ 「遠心的」と分散思考 |
#007 | 居場所って何やねん!?(0) おたより紹介など |
#008 | 居場所って何やねん!?① 居心地なんてぶっ飛ばせ! |
#009 | 居場所って何やねん!?② 「常連」否定論→伝説の周年反省会 |
#010 | 居場所って何やねん!?③ 「中立な場所」をめざす苦しみ |
#011 | 男性の弱さについて① 「強さ」なんて認知の歪み! |
#012 | 男性の弱さについて② 結論は依存のもと |
#013 | 14歳-41歳という魔境① 「競争」と「比較」の27年 |
#014 | 14歳-41歳という魔境② 「認知の歪み」=「認知の固定」 |
#015 | 14歳-41歳という魔境③ 齢に取り憑く悪魔たち |
#018 | #013~017についての言い訳、 転じて「夜学バーの活用法」 |
#016 | カジュアルなデストーク① 「死の自己決定」はいくつから? |
#017 | カジュアルなデストーク② 最後に切るカード、死 |
#019 | 『ふしぎな木の実の料理法』(岡田淳、こそあどの森の物語1)① バーバさんの気持ち/トワイエさんの家は夜学バー |
#020 | 『ふしぎな木の実の料理法』(岡田淳、こそあどの森の物語1)② 世界観の作りこみ/ふたごは論理的に踊る |
#021 | 『ふしぎな木の実の料理法』(岡田淳、こそあどの森の物語1)③ しあわせなオノマトペ/しゃべるのには練習がいる |
だから、自分が譲歩するっていうことが何故可能かっていうと、自分が譲歩することによって自分と他人との距離を広げるっていうんじゃなくて、自分と他人との関係が一本線でしかなかったことを、もうちょっと譲歩すればこの道の幅が広がるから。ここが原っぱになりうる、ここで遊べるっていう。
俺、ワリと他人に対して譲歩するの平気っていうのは、原っぱを作っておかなければ一緒に仲良く出来ない、お互いが仲良くなる為の場所っていうのが絶対に必要で、そこに入っていかなかったから、そのかわり他人の変な中に踏み込んでいっちゃうっていう風になっちゃうから。(略)
(略)だから自分が譲歩するのはいいけれど、他人に譲歩されるのはいやなんだよね。他人に譲歩されるっていうのは、原っぱの人間じゃなくて社会の人間だから。社会の人間が譲歩するのは、必ず譲歩させる側に権力があるっていう意味があるから。俺、譲歩されると、「俺は権力で、だから相手は譲歩してる」っていうことになるから、いやなのね。遊ばしてくれない。「さあ、どうぞ、どうぞ」って、お辞儀されてしまったら、これは譲歩になってしまって、俺は権力者になる。いやだ、俺、譲歩するんだったらいくらでもいい。
《『ぼくたちの近代史』河出文庫版P192-193。関連する文章はP86-87にもあり、そこに「ダンス」という表現が登場する。Podcast内でジャッキーさんはこの2カ所を総合した説明をしている。この本は現在入手難で、今手に入るのは第三部のみを収めた河出新書『「原っぱ」という社会がほしい』 ところで、橋本さんは少なくとも本編では「原っぱという社会がほしい」ということは言っておりません。単行本では見出しになっておりますが、ご本人が考えたものかは不明。引用部を見れば明らかに「原っぱ」は「社会」に対置される概念として登場しています。》